水曜日, 4月 23, 2025
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《地域包括ケア》40 「人生最期の在り方」を考える会議

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もしバナゲーム

【コラム・室生勝】人生会議(ACP)とは、もしものときのために、あなたが望む医療やケアについて前もって考え、家族や医療・ケアチームと繰り返し話し合い、共有する取り組みのこと―と、厚労省は説明している。このチームは、主治医である病院医やかかりつけ医、病院看護師あるいは訪問看護師、ケアマネジャー、ヘルパーらからなる。

後期高齢者となると、自分ではまだ元気だと思っていても、最期はどうなるのだろうかと心のどこかで思い、苦しまないで最期を迎えたいと願っている。それを家族に伝えておかねばならないと思うが、言い出せない人が多いのではないだろうか。そのきっかけを作ってくれるのがACPだ。

初めてACPを経験する人には、桑名市の冊子をお奨めしたい。同市のホームページを見ると、「今から始めましょう! 元気な方でも、いつ、もしもの時……」と勧めているが、本人は言い出しにくい。お盆や彼岸のときに、祖父母の思い出話から始めてみるのはどうだろう。

葬儀や納骨の思い出から始め、最近話題の家族葬や樹木葬などについて話し、本人の希望を聞き出す。話が進めば、本人にもしものときにどうすればいいか、聞いてみよう。

要支援・要介護の人の場合は、本人と家族に現在の病状と将来起こりうることの説明を主治医に依頼するか、ケアマネジャーに相談する。桑名市のテキストには、まず、本人がこれから先どのように暮らしていきたいか、本人の目標・希望・想いについて整理することを勧めている。

目標や希望は病状の変化で変わることがある。年1~2回、家族が集まるたびに話し合うとよい。最期を住み慣れた家と決めていても、病状によっては病院で迎えるときもある。何回かACPを開いて、想定されることを考えておく必要がある。要支援・要介護の人は、主治医を含む医療・介護ケアチームが加わったACPを開いてほしい。

カードを使った「もしバナゲーム」

2013年、日本でACPを広く国民に知ってもらおうと、啓蒙活動を始めたのは亀田総合病院疼痛(とうつう)・緩和ケアチームである。その後、日本緩和医療学会で取り上げられ全国に広まった。2年ほど前から、地域の病院や市町村の在宅医療介護連携推進事業で医師を含む多職種の研修が始まったばかりだ。

亀田総合病院の医師たちは、米国の「Go Wish Game」の日本語版「もしバナゲーム」も作った。若い人たちの「恋バナ(恋のはなし)」を拝借したらしい。36枚からなるカルタやトランプに似たカードゲームである。

「人生の最期にどう在りたいか。だれもが大切なことだとわかっている。でも、なんとなく『縁起でもないから』という理由で、避けてはいないだろうか。このカードを使えば、そんな難しい話題を考えたり話し合うことができる」と勧めている。私たちのサロンでは、桑名市のテキストによる勉強のあと、「もしバナゲーム」を毎回、全員が交替でやっている。(高齢者サロン主宰)

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《ひょうたんの眼》18 現在位置の認識から考え、行動する

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カーナビの地図

【コラム・高橋恵一】車の運転でナビゲーターを利用するとき、現在位置の認識が重要になる。これは、地図を見る場合の大原則で、登山やハイキング時の利用は必須。物騒な話だが、軍隊の戦略戦術でも勝敗を左右する。先の日中戦争の内陸侵攻やインパール作戦などは、地図について無知に等しく、悲惨な結果になった。

地図の作成者は、起点の認識がしやすいように、工夫に余念がない。茨城の地理・漢学者、長久保赤水(ながくぼ・せきすい、1717~1801)の「改正日本輿地(よち)路程全図」は、経緯線を入れたことで出色である。我々は、世界地図を見るとき、先ず日本の位置を認識してから、周囲、全体の配置を確認する。ヨーロッパなら、見つけやすいイタリア半島からたどっていけばよい。子どもが日本で覚えやすいのは北海道である。

現在位置の認識、自覚は、あらゆる状況判断につながる。孫子の「彼を知り己を知れば百戦殆(あや)うからず」である。

「政治経済社会」の地図も編纂せよ

現制度の年金では、生活できず、65歳から30年間で2000万円不足するそうだ。財源の話の中で、若い世代は負担に否定的である。しかし、現在の若い世代は、30~40年後には年金が足りない世代になるのだ。当然、社会保障負担を根本からつくり直さなければならない。

「100年安心年金」の政府の説明は、食えないままの年金制度なら続けられる、ということだ。多くの国民は、自分たちの老後の生活保障について、どのような位置に置かれているのかを自覚しなければならない。人生地図の把握である。

1986(昭和61)年、路地裏の焼鳥屋で、仕事帰りの労働者風の数人が、税金を話題にしていた。「高給取りと言っても、稼ぎの88%を税金で持っていかれてしまうそうだ。働く気がしなくなってしまうよなぁ」と同情していた。

当時、8000万円を超過した分の所得税と住民税の合計税率は、88%であった。1億円の給与の専務は約6000万円、2億円の給与の社長は約1億5000万円の税金ということになる。現在は、高所得者の減税によって、1億円の給与なら5000万円、2億円の給与なら1億円強が税金ということになる(素人計算です)。

国税庁によると、2017年に年収1億円以上を稼いだ人の数は2万3250人になった。1986年に話を戻すと、高給取りの専務や社長は、納税した後に4000万円、5000万円が残ることになり、現在では、減税のおかげで、2億円の給与の社長は、1億円が残るのだ。いずれにしても、安月給の庶民が、自分の立ち位置を自覚すれば、同情する必要はないのだ。

また、企業の高収益で、シャンパンピラミッドのように、好景気の効果が下々まで行き渡るという異次元の経済政策も、上のグラスが大きく、限りなく膨らむので、下に流れない。2017年の日本の企業の内部留保は、446兆円強で1年間のGDP(国内総生産)に近く、前年比10%増だそうだ。金は、ある所にはあるのだ。

「応能負担の必要配分」。国家の税財政政策、所得の再配分機能の基本である。年金などの社会保障費は、負担力のあるところが担うべきであろう。国民は、自らの立つ位置を認識し、自覚して意思表示をしなければ、権力者のキャッチフレーズに乗せられて、惨めな結果に進んでしまう。

マスメディアや真の経済学者などが、正確な道しるべとなる「政治経済社会」の地図を編纂(へんさん)し、提示する責任があると思う。(地図愛好家)

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《宍塚の里山》43 「チョウトンボ」 チョウ? トンボ?

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右はハスのつぼみとチョウトンボ(吉川明宏さん撮影)

【コラム・及川ひろみ】光が当たると金色に光り輝く青紫の羽を持つチョウトンボ。先端は透明で、飛ぶ姿は優雅に舞うチョウのように見えますが、実はトンボ。日本のトンボの中では、最も美しいと言われるトンボです。

この時期、宍塚大池の水面には、このトンボがたくさん漂うように飛ぶ姿が見られます。ネットで簡単に採れそうですが、おっとどっこい、とらえようとすると空を切って素早く逃げ去り、やすやすとは捕まりません。

このトンボの特徴は下翅(かし)の幅がとても広いことと、腹がとても細く短いことです。トンボは飛んでいるときに長い腹が目立ちますが、チョウトンボは後ろの翅(はね)の下にちょっと見えるだけで、飛ぶ姿がチョウのように見えるのです。実は目玉からしっぽの先まで黒づくめで、腹が目立たないのはこの黒色も関係しています。

このトンボ、トンボになりたての若いころは、池近くの林の上空を20~30群れて飛びます。翅(はね)をほとんど動かすことなく、空中に漂っているように飛びます。上空を飛ぶ小さな昆虫を捕らえようと待っているのでしょう。

チョウトンボが多い宍塚大池では、この光景が池の近く、あちらこちらに見られます。今年は大きな群れを何度も見ました。

優雅な姿は大池の夏の風物詩

夏真っ盛りになると、大池では古代ハスを思わせるピンクのハスの花が見事に咲きますが、ハスの花に止まるチョウトンボは夏の風物詩。多くのカメラマンが、美しいハスの花とチョウトンボのツーショットを撮ろうとやって来ます。今年もその季節になりました。

これから、チョウトンボは水面にお腹をちょんちょんと付け、卵を水中に落とします。でも孵化(ふか)したチョウトンボのヤゴは、なかなか見つけることができません。池底の泥に身を隠し、水中のプランクトンなどを食べて成長すると言われています。

こうしてみると、トンボは幼虫時代のヤゴも成虫のトンボも肉食性で、特に成虫は害虫ハンターとしての役割を果たしています。

宍塚大池にチョウトンボがたくさん飛ぶのは、ミクリ(絶滅危惧種)、ウキヤガラ、ヨシ、マコモなどの抽水(ちゅうすい)植物と言われる水草が池を囲むようにあり、さらに水面にヒシなどの浮葉(ふよう)植物などもあるから、と言われています。

この美しい優雅なトンボ、まさに宍塚大池の夏の風物詩です。(宍塚の自然と歴史の会代表)

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《県南の食生活》3 稲敷と行方の夏祭り 小麦の季節

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再現 小麦まんじゅう

【コラム・古家晴美】これまで2回にわたり、霞ケ浦の幸としてイサザアミとたん貝について紹介してきました。今回は、霞ケ浦の東西を挟むように南北に延びる稲敷台地と行方台地の夏祭りと小麦について触れてみたいと思います。

7月の後半になると、全国各地で祇園祭や天王祭りを始めとする夏祭りの幟(のぼり)が神社の境内に見受けられます。春祭りが作物の豊作への祈りをささげるのに対し、秋祭りはそれへの感謝を込めて行われます。一方、夏祭りは病虫害や風水害などの厄除けを主な目的としてきました。最近では、週末にイベント化した大規模な祭りが開催され、数十万人の人が集まることもまれではありません。

今でも地域に根差した祭りは多く見られます。この場合、神社で神主さんの祈祷(きとう)を受けた後、氏子などが神輿(みこし)や山車・鉾(ほこ)などを曳(ひ)いて集落を巡行します。夜は神輿を御仮屋(おかりや)に安置し、翌日、神社に戻し、日を跨(また)いだ形で祭りは挙行されています。

この夏祭りのころ、小麦は収穫期を迎えます。高度経済成長期以前、稲敷台地に位置する上町・下町(現牛久市)で小麦を栽培していた農家では、八坂神社の祇園祭を控え、子供にゆかたの1枚でも買ってやりたいと、小麦の現金収入を当てにしていました。そのため、祇園祭の前までに、小麦の収穫・脱穀・出荷をすませていたと言います。

また、親戚に配るために、赤飯以外にその年に穫(と)れたばかりの小麦を石臼で挽(ひ)いて製粉し、小麦まんじゅうを作る、うどんを打つなどしました。(『城中・新地、上町・下町の民俗』)

「ぜんびん団子」と「あんかけ団子」

一方、行方側の白浜(現行方市)でも、祇園祭の時に、各家庭で小麦のまんじゅうを作ったそうです。こちらは畑作が盛んな土地ではありませんでしたが、祇園祭用に自家用の小麦と小豆を栽培し、それを製粉し使いました。(『麻生町史』)

神輿が出ることもなかった浮島(現稲敷市)でも、祇園の時には必ず小麦だんごを供えたと言います。甘いこしあんの中に小麦だんごを落として茹(ゆ)でたぜんびん団子と醤油味の葛(くず)あんをかけたあんかけ団子の2種類を家庭で作って、夏のおやつとしても食べました。

現在、小麦の国内自給率は2017(平成29)年度が14パーセントとなっています。これは1960(昭和35)年度の39パーセント(『農水省食糧需給表』)と比べると、激減し、多くを輸入に頼っていることを示しています。

年間通じて小麦粉として店頭に並び、小麦の収穫期がいつか、などと意識することも少なくなってしまいましたが、夏祭りの機会に小麦についてご一緒に振り返ってみませんか。(筑波学院大学教授)

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《続・平熱日記》42 映画では愛されるネズミを退治

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【コラム・斉藤裕之】小さいころ睡魔と戦いながらテレビで見た映画。なぜか、カワウソや恐竜トリケラトプスと少年の話など動物ものはよく覚えています。なかでもネズミと友達になる映画は印象的でした。そのネズミの名前は確か「ウイラード」。

わが家は天井や押し入れがないので、ネズミには住みづらいはず。現に10数年の間にネズミはおろか、ゴキちゃんさえもほとんど見たことはないのです。

ところが先日長女が遊びに来た折に、台所の流しをネズミが走ったのを見た、と言うのです。はて、流しの右には壁に隙間なく置かれた棚があって、左側にはこれまた壁にぴったりと冷蔵庫が。どう考えてもネズミが流しに昇ることは不可能かと。

ところがある日のこと。久しぶりにクスクスでも作ろうかと、冷蔵庫の向かいにある戸棚に手を伸ばしたとき、袋からザザーとクスクスがこぼれ落ちるではありませんか。ちなみに、クスクスは北アフリカ料理に使われる最小のパスタなんて呼ばれる小麦粉のつぶつぶ。すわ、何者かがクスクスの袋を食い破って盗み食いしておる。それはネ・ズ・ミ!

そう思って見張っていると、本当に小さな黒い影のようなものが流しの淵を一瞬駆け抜けるではありませんか。そこでよくよく調べてみると、冷蔵庫の下にほんのわずかな隙間があることに気づきました。

まさかここ? いやここしかありません。ネズミの存在を確信した私。早速ホームセンターでネズミホイホイを買い求め捕獲に成功。一件落着。

ヘビやワニの皮に群がる女性

ところで、かのディズニーが生み出したネズミは、今や誰もが愛するキャラクター。ランドでは着ぐるみにハグされてみんな有頂天。しかし実際にネズミが出れば100パーホイホイ。

生きている姿はグロいのに、形が変わるとオッケーな例。ちょっと強引な例かもしれませんが、例えば「玉虫厨子(たまむしのずし)」。元々はもぞもぞと動く虫の羽。美しいとはいえ、ありがたいお厨子に貼る神経。例えば蛇(へび)や鰐(わに)の皮。生きていればおおよそ気持ち悪い生き物なのに、バッグや財布に形を変えたとたん、「すてきねー」と群がる女性の心理。

しかし実際のネズミはかわいらしいもの。もしも私が小さな子供だったら、親に内緒で「ウイラード」という名前を付けて、餌付けでもしたかもしれません。また、最近都内に出る度に「都会のネズミと田舎のネズミ」という寓話を思い出すようになったことも付け加えておきます。(画家)

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《邑から日本を見る》44 根っこは深い、日韓関係

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飯野農夫也氏の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】日替わりで入ってくる日韓両国の動きに目が離せない。「対韓輸出規制、不毛な報復合戦は避けよ」「日韓関係は『戦後最悪』に 収拾困難、歴史的転換点か」などの新聞の見出しが気になる。

先日、隣町の在日の韓国人から「先﨑さん、困っちゃうね。こんなに政府同士がけんかしているのは。とばっちりはわたしたち一般の人に来るのだから」。普通に生活していても、周りの人の目が気になると言うのだ。

今月15日に、水戸市で一橋大学名誉教授の田中宏さんの講演を聞いた。田中さんは「明治以降の日本の近代国家形成過程にアジア蔑視の姿勢が内在し、矛盾が表面化したアジア太平洋戦争の戦後処理が極めて不十分だったため、問題が長く残存した」と言っている。

田中さんは講演の最初に、1963年に登場した「伊藤博文」の千円札のことを持ち出した。韓国統監を務めた伊藤は1909年に朝鮮民族の怒りを買って、ハルビン駅頭で韓国の民族運動家・安重根によって射殺された。その人の肖像画を、それまでの聖徳太子に替えて持ち出す。しかも、日ごろから政府を手厳しく批判する知識人から投書欄に登場する庶民に至るまで、日本人は誰一人そのことを指摘しないでいた。無神経でいた。韓国の人の伊藤に対する恨みを私たちは考えなかったのか。韓国併合はその翌年の1910年に行われた。

日本は1945年にポツダム宣言を受諾し、51年に対日講和条約が結ばれたが、これには中国と韓国は除外されていた。日韓基本条約が結ばれたのは戦後20年経った1965年のことである。日朝間ではいまだに国交正常化はされていない。

歴史認識と人権感覚が違う

田中さんは指紋押捺制度や朝鮮学校への差別などいくつも事例をあげながら、日本人は未だに東南アジアなどの他の国の人と歴史認識(歴史に向かう姿勢)と人権感覚が違う、と言う。植民地とされた朝鮮では、異国の言葉を使うことを強制されただけでなく、名前まで変えさせられた。「半日本人」という言葉があったとか。

現在、日韓では従軍慰安婦問題や徴用工問題などいくつもの懸案を抱えている。日本政府は、公式には、植民地支配、戦争被害者の戦後補償裁判で一貫して「日韓基本条約と日韓請求権協約で解決済み」と主張してきた。しかしそれは国と国との関係であって、個人の請求権は消滅しない、と外務省の条約局長が国会で答弁している。

今月4日、日本政府は半導体材料の対韓輸出規制を強化した。それをめぐって、韓国の文大統領は15日、「朝鮮半島の平和に総力を挙げる韓国への重大な挑戦だ。(日本政府のやり方は)日本経済に大きな被害が及ぶことを警告しておく」と述べた。さらに、テレビでは韓国での日本製品不買運動のニュースが流されている。それに対して日本政府は「報復ではない」と反論し、互いに譲る気配はない。

私は一連の動きを見ていて、田中さんが言う歴史認識の違い、即ち日本側はかつて植民地だった韓国を蔑視し、下に見、韓国側はそれに反発するという深層心理が作用しているのではないか、と考えている。根っこは深い。こちらの首相かあちらの大統領が替わらなければこの事態は収拾しないのではないか。そう思えてならない。こんなことを書くと、秋田県知事のように「非国民」と言われてしまうのだろうか。(元瓜連町長)

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《沃野一望》7 間宮林蔵その2 立身祈願

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つくば道

【ノベル・広田文世】

灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼

我(わが)ひめ歌の限りきかせむ  とて。

常陸国上平柳村の農家に生まれた間宮林蔵は、寺子屋の住職をあきれさせるほどの神童ぶりを発揮した。林蔵はやがて、小貝川の治水、なかでも堰(せき)の流量管理を指揮するために幕府から派遣されてきた役人のあとをついてまわり、水力学、土木工事、測量手法を、見よう見まねで習得していった。

林蔵は、さらに上を目指した。だが現実に、上を目指すという具体的生き様が思い描けないでいた。

天明の飢饉がどうにか落ち着き、豊作で迎えた天明7年の晩秋、上平柳村の若い衆は、お礼参りと称する筑波山神社詣でを企てた。1年に一度、豊作の年にだけ許される羽目外し。神社詣での本音の目的は、筑波山神社下のつくば宿の旅籠で手招きする飯盛(めしも)り女の嬌声(きょうせい)だった。

林蔵は、若い衆の仲間に加えてもらった。もとより、酒や女に関心はない。

当日、林蔵は、神社に詣でると、仲間の前から姿をくらまし、筑波山男体山への急坂を登り、頂上直下の立身岩といわれる岩窟を目指した。

林蔵は、暗闇の岩窟に正座し、一心不乱に祈願した。祈願したというより、漠(ばく)とした己の願望を己に問いただした。さらに上を目指すとは、いったい何なのか、何をしたいのかを、必死に探し求めた。

鬼神との盟約

そして林蔵は、明快な解答を得る。役人になるのだ。

小貝川の治水管理にせよ、飢饉の救済施策実行にせよ、指揮監督するのは役人だという現実を、散々見せつけられてきた林蔵だった。どれほどの策を考えついたところで、役人でなければ実行に移せない。林蔵は、潜在的にそう気づいていた。

そして、真っ暗闇の立身岩で祈願するなかで、潜在意識に眠っていた願望を明確に実像化させた。役人になる道が、己をつらぬく道だ。

林蔵は己の肉体に、悟りの証拠を残す決心をした。手の平を皿のようにくぼめ灯明油を貯め、芯をさしいれ火を灯した。暗闇に揺れる炎が、林蔵の手の平を焼いた。やがて炎は消え、林蔵の手の平に痛撃の火傷が残った。林蔵は痛みに耐え、立身岩に棲(す)みつくという鬼神との盟約を成立させた。

林蔵は村へ帰り、「役人になる」道をつき進む。小貝川の水流管理に派遣されてきた幕府普請役、村上島之允(むらかみしまのじょう)に取り入り、下僕に使ってもらう約束を手掛かりに、農家を捨て江戸へ出る。風雪の人生の第一歩を踏み出した。寛政2年(1790年)のこと。(作家)

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《続・気軽にSOS》41 ネガティブ上手「過ぎ」は困りもの

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【コラム・浅井和幸】ネガティブなことは悪いことではありません。不安や恐怖などがネガティブな気持ちとして挙げられやすいですが、これらも大切な役割があります。

例えば、車を運転していて人が飛び出すかもしれないとか、このスピードではカーブを曲がり切れないかもしれないとか、ちょっとしたミスや不運で事故を起こすかもしれないとか―の想像力があるから、周りを確認したり、ブレーキをかけてスピードを落としたり、保険に入ったりというリスク回避の対処をとることが出来ます。

これが、ポジティブな気持ちだけでは、どうでしょうか? 人が飛び出すことなんてありえないと考えたり、俺は運転が上手いからスピードも出してカーブを曲がっても大丈夫と思ったり、ミスや不運などないから保険に入る必要がない―と、前向き考えることが、むしろリスクに対処できない日常を送り続けるということになります。

ネガティブな気持ちだけが大きいと、事故が怖くて車の運転が出来ない状態になりますので、「過ぎる」ということは困りものです。ポジティブとネガティブのバランスが大切なのです。

ネガティブ過ぎて動けない人は、もう少しポジティブなところを探してみましょう。そうすれば、動き出しやすくなります。ネガティブな部分を見つけることは得意なので、それは自然にふるまえば出来ます。なので、意識してよいこと探しをしてバランスを保ちます。

ポジティブ過ぎて、まともにリスクにぶつかってしまう人は、もう少しネガティブな部分を見つけ出しましょう。そうすれば、リスクを回避しやすくなるはずです。

スポーツ世界のイメージトレーニング

スポーツの世界では、イメージトレーニングというものが重視されて久しいですね。あるプレーを上手くいったイメージを繰り返し想像することで、本番のときにスムーズにプレーがしやすくなるというものです。

ネガティブな人は、悪いプレーをいつも頭に浮かべているようなもので、エラーをする練習をしている状況と考えると分かりやすいでしょうか。かといって、ポジティブな人は、よいイメージトレーニングばかりして、本番で少しでもミスをすると、そこから崩れやすい状況になります。これらもバランスをとることが大切です。

基本的には、よいプレーを思い浮かべ、ポジティブなイメージトレーニングをします。それと並行して、上手くいかなかったネガティブなイメージも浮かべ、それをどのようにフォローするかのイメージトレーニングをするのです。

よいことが起こるように練習し、それでもミスをしたら、対策を実行できる余裕が必要ということです。最善を尽くす努力や工夫をし、それでも上手くいかないときは、時間をかけたり、周りの人に手伝ってもらったり、謝ったりして、乗り越えていくということがイメージできるとよいですね。(精神保健福祉士)

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《霞ケ浦 折々の眺望》7 植物の生物多様性 ツルマメ&ノイバラ

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【コラム・沼澤篤】生物多様性と生態系サービスは環境保全の目標。昨年の世界湖沼会議でも関連発表があった。今回は霞ケ浦沿岸の植物について考える。

沿岸のアシ群落内外には多様な植物が生育する。群落内は草丈が高いアシが林立し、照度が低いので、葉が細長いカサスゲやウキヤガラなどの植物が辛うじて共存できる。アシ群落の辺縁(へんえん)部では光が当たり、多様な植物が競争的に生育し、藪(やぶ)となる。藪では光を求め上へ伸びる、ツル性を獲得した植物が生育する。

ツルマメはツル状の茎が他の植物に絡みつき、秋には茶色の小さい莢(さや)が多数ぶら下がる。ツルマメはダイズの原種とされる。縄文期から食用に採取されたかもしれない。豆が小さいので十分な量の採取は大変だったろう。完熟した豆類は固く、土器で上手に煮るのは難しかったか。熟す前に茹(ゆ)でて枝豆、あるいは潰してズンダにして食したか。軽く炒って挽き、黄粉(きなこ)にしたか。

やがて縄文人はツルマメを住居近くで栽培するようになり、継代育種され、ツル性を失い、大きな豆をつけるようになったのか。現代人が枝豆をつまみに冷えたビールを飲む、ささやかな幸せは、縄文人のお陰かもしれない。異説では、ダイズは大陸で育種され、渡来人や遣唐(隋)使らによって持ちこまれた可能性もある。

霞ケ浦とダイズの縁はとても古い

最近、米国の広大な畑で大型農機がダイズを収穫する映像を見た。日本のダイズより草丈が高かった。収量も多いのだろう。米国産ダイズには、デュポンやモンサントの子会社がゲノム編集で作出した多様な品種がある。日本の納豆、豆腐、醤油、味噌のメーカーは遺伝子組み換えの輸入ダイズを使わないようだ。

今後の品種改良では、原種のツルマメとの交配で、病害虫に強く、湿地や荒蕪地(こうぶち)でも栽培できる品種が作出されるかもしれない。そうなれば、遺伝子資源の供給サービスといえる。利根川と霞ケ浦周辺では醤油が名産だが、原料のダイズ、麦、塩が、そして製品の醤油樽(たる)が舟で運ばれたことが大きな要因であり、さらにダイズの栽培、育種が、縄文期に霞ケ浦流域でも行われたとすれば、霞ケ浦とダイズの縁はとても古い。

霞ケ浦の湿地にはノイバラも多い。常陸国風土記には大和王権から派遣された征討軍が、穴に隠れた先住民を、トゲが鋭いノイバラで入口を塞(ふさ)ぎ、煙で燻(いぶ)し出し、「いたく」殺したとの凄惨な記述があり、茨城や潮来(古くは板久と表記)の地名の由来としている。

ノイバラはバラの原種の一つであり、小さな白花をたくさん咲かせて初夏の湖畔を飾り、香りが強い。何より丈夫である。各地のバラ園では魅力的なバラが栽培されているが、新品種の作出にノイバラが使われることもある。

ツルマメやノイバラの種子は増水時の水流で散布され、漂着先で発芽し増える繁殖戦略を持つ。栽培植物の起源を探る上で、霞ケ浦周辺湿地は遺伝子資源の宝庫であり、生物多様性の展示場のようなものである。(霞ヶ浦市民協会研究顧問)

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《ご飯は世界を救う》13 メニューがたくさん 土浦冷蔵のかき氷

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かき氷。マンゴー(300円)㊧と生イチゴ(700円)

【コラム・川浪せつ子】前回紹介したレストランでランチをしたあと、土浦冷蔵さん(阿見町住吉)へ。「二人展」の相方Sさんはカルチャーセンターで「チョークアート」を教えていますが、そこの生徒さんが土浦冷蔵でかき氷のお店をしているので、食べに行きました。

かき氷と言ったら、夜店やバザーなどで食べるイメージが強かったのですが、昨今の「かき氷」はスイーツの分野に昇格するという、ステキな食べものに変身。

50年ほど前から続く土浦冷蔵さんの本業は、地下水をくみ上げて純粋氷を作るというお仕事。また、マイナス50度の冷凍庫も持っていて、肉屋さんからのお肉や、研究所から特別な冷凍保存をしないといけないものを預かったりしているとのこと。

かき氷は、6年前、本業のかたわら開店したそうです。それがヒットして、2年前、敷地内に、かき氷専門店をオープン。年間を通しての営業だそうです。夏だけではなく、遠くからもお客さんが通い詰めるとか。盛夏には1~2時間待ちのこともあるそうです。

かき氷ファンのことを、「カキゴオリスト」「カキゴーラー」「ゴーラー」と呼ぶそうです。全国のかき氷店の本「かきごおりすと」も出版されています。今年の本は「vol.7」なので、7年前が初版ということですね。

そんなことで驚いていてはまだまだ。「社団法人かき氷協会」という組織もあり、そこでは「かき氷検定」なるものも。

「生イチゴ」「栗」「はちみつレモン」

最近のかき氷、飛び上るほどの美味しさです(ウソじゃありません!)。ただの氷を削っただけなのにね、何で? それは、氷の質はもちろん、シロップやトッピングの種類の多さ。

イチゴ味が昔から一般的ですが、今は「生イチゴ」なるものがあり、「イチゴジャム」と「イチゴジュース」を足したようなソース。「栗」というのはケーキの「モンブラン」のクリームに生クリームを混ぜた感じです。トッピングに栗のグラッセを散らしてあります。

ほかにも、「コーヒー」味、トッピングにレモンのスライスが乗っている「はちみつレモン」などなど。店主の方が20年前からお菓子作りにはまっているからこそ、ステキなメニューがたくさん出来たのだと思います。

これから本格的なかき氷シーズンですね。ぜひ行ってみてください。私のこの絵が、スタッフさんの着ているTシャツにプリントされています。皆さんに好評です。うぅぅ~、またすぐにでも、かき氷、食べに行きたい~!!です。(イラストレーター)

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《くずかごの唄》42 どんぐり山の18年③ 昆虫の知能 メス>オス

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立派なツノを付けたオスたちだが案外見かけ倒し=土浦近郊、どんぐり山

【コラム・奥井登美子】昆虫観察会の日にちが決まると、霞ヶ浦市民協会の草刈り係はがぜん忙しくなる。子供たちが危険でないように、山の草刈りを2~3日やらなければならない。私は「ヘビとハチ」危険なものの点検係だ。

昔の子供たちは小さい時から山と付き合っているので、どの山に何がいるか、危険な動物はどれなのか、ヘビの種類も、マムシと青大将とシマヘビくらいは誰でも知っていた。今の子供とその親たち、自然とあまり触れ合うチャンスがないせいか、何も知らない。

若い父親でよく見かけるドラマがある。買ってきたカブトムシしか知らない世代の父親。自分でも生まれて初めてなのだろう。木にしがみつく虫を最初はこわごわ、手で採って見る。6本の足を自由に動かして、その暴れ方のすごさに最初ひるんだが、しばらくやってみると、その力強さにびっくりし、興奮してしまい、連れてきた子供が「パパ、僕にも取らせてよー」と叫んでいるのに、聞く耳を持たない。背が高いから子供より有利だ。自分だけで採って、子供には、採ったカブトを自慢気に手渡す。

オスのカブトムシはお馬鹿さん

私たちは子供たちに、暴れるカブトムシを木から手で採る興奮を味わってもらいたいのだ。山の自然の中にいるカブトムシたちと付き合ってみて驚くのは、メスのカブトムシの頭の良さ、カンの鋭さである。バナナを袋に入れて吊るしてみるとよくわかる。

バナナの匂いをかぎつけてすぐ寄って来るのはメスばかり。オスはすぐには来ない。オスのカブトムシ、立派で強そうな兜を被っていて、戦国武将のよう。見るからに強そうだ。子供たちの憧れの虫であるが、メスと比べると、かなり鈍感で弱い。

メスのカブトムシは鳥が来るとすぐに逃げるので、鳥に食われてしまうことがあまりない。オスのカブトムシはのろまで、すぐ鳥に捕まってしまう。鳥に内臓をきれいに食べられていても、神経は残っている。不思議なことに、自分の内臓がすべてなくなっているのに、それに気がつかなくて、仲間とふざけあって遊んでいる。

要するに、メスは利口ですばやく行動する。オスは少々お馬鹿さんでとろい。カブトムシのメスとオスの成長を見ていると、近所の娘さんで、ひよひよしていた女の子が結婚して子供を産んでから、賢く、たくましくなっていく姿と、見た目ばかりを気にして、会社のつきあいばかりに神経を使う男どもの差を見ているようで、人間の子育てに共通のドラマがあって、とても興味深い。(随筆家)

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《法律かけ込み寺》8  法律のお医者さん―放置自動車―

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土浦市神龍寺(本文とは関係ありません)

【コラム・浦本弘海】

「先生、事件です!」
「なんだね、スタビンズ君」
「ぼくはスタビンズ君じゃありませんし、先生もドリトル先生ってガラじゃないでしょ!」
「それで金の匂いはする事件かな?」
「…………」
「ほら、じ、事務所の経営もあってね、オホン。で、事件とは?」
「放置自動車です」
「放置自動車、か……」

放置自動車はやっかいだ。法律論としては難しくないし、裁判になったとしても勝つのは比較的容易だ。ただ、適法に対処するのは骨が折れる。

最初にすることは警察への連絡・相談。ただ警察は犯罪が関与しているときでないと、なかなか動いてくれない。警察が動いてくれないケースでは、原則的に被害者が自分で対応することになる。

対応としては、放置者が自主的に移動することを期待し、移動を促す貼紙などをすることが考えられる。後日のトラブルに備え写真を撮っておくとよい。

それと並行し、放置自動車がゴミ(捨てられた物)かどうかを検討する。ゴミと判断できれば、放置自動車を無主物(民法239条)として自己の所有物とし、その上で自分の物として廃棄することが考えられる。

ゴミか否かの判断はやさしくないが、この点は大阪府放置自動車の適正な処理に関する条例の基準(⇒pdfファイル)が非常に参考となる。

ゴミとして廃棄するのであれば、やはりトラブルに備えて放置自動車の撮影など記録化は十分しておくべきだし、貼紙などでたとえば「3週間以内に移動しないと廃棄する」旨の告知をした方がよい。

だいたいが迷惑のかけられ損

また運輸局等(軽自動車は軽自動車検査協会)に確認すれば、所有者・使用者の情報が得られる(警察で所有者が確認できる場合もある)。

ローンの残っている自動車などで所有者がディーラー等の場合は、自主的に撤去してくれることもある。

やっかいなのがゴミと判断できないケースで、所有者・使用者に連絡しても無反応のときだ。最終的には訴訟を提起して(相手がそれでも何もしなければ)強制執行することになる。

強制執行をするには時間も費用もかかる(数カ月・数十万円)。もちろん損害賠償請求は可能だが、相手に差し押さえるだけの資産があるかというと……。率直に言えば、放置自動車は迷惑のかけられ損であることが多い。さて、この事実をどう受け入れてもらったものか。

「それで依頼人は相談をご希望かな」
「依頼人?」
「そう、依頼人。まさか動物じゃあるまい? そういえばアマミノクロウサギが原告になった訴訟があったな……。うちの事務所も閑古鳥が鳴いているし、いっそ動物専門の事務所にするか!」(ヤケ)
「先生…… 依頼人も動物の依頼者さんもいません」
「いない?」
「置かれているのは…… うちの駐車場です!」(弁護士)

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《吾妻カガミ》60 いま土浦が面白い 「本のまち」が起動

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市立図書館㊧と駅ビル・プレイアトレ。古書店は図書館の左徒歩1分

【コラム・坂本栄】前々回コラム(6月17日掲載)で予告した通り、土浦駅前にある図書館・古書店・新刊店のトップとの座談会が7月初めに実現しました。1館・2店の「売り」とコラボの可能性について聴く企画でしたが、実物の本を扱うお三方がネットの本屋(ネットで注文を受けて宅配/電子本を端末に提供するサービス)をどう見ているかも話してもらいました。

【土浦駅前「本屋」座談会】のやり取りは以下をクリックしてご覧ください。「駅ビルと近隣で進む『本のまちづくり』」(7月12日掲載)、「図書館+古本屋+新刊店による『ブック回廊』」(7月13日掲載)、「ネットとリアルの本屋は共存できる」(7月14日掲載)に3分割されています。

この企画、1昨年秋駅前に移った「土浦市立図書館」の入沢弘子館長の提案でした。5月下旬、土浦駅ビル「プレイアトレ」2階に新刊本屋「天狼院書店」がオープン。駅の近くには昔から「つちうら古書倶楽部」もあるので、図書館長と古書・新刊店主が会し、本をテコにしたまちづくりを議論したら面白いのではないか、と。当サイトがこのアイデアに乗り、実現したというのが舞台裏です。

新本宅配+貸本回収+古書発掘

天狼院の三浦崇典店主の話は愉快でした。同書店は、東京池袋、京都祇園、福岡博多に新刊を扱う店などを出していますが、そのモデルはユニークです。ひとつは、並べる本のジャンルを絞り込むセレクトショップ。もうひとつは、論文とか小説の書き方や写真の写し方などを教える講座を設け、本とリンクする体験を売りにしていることです。

三浦さんは、土浦店はオーソドックスな本屋にしたいと言っています。でも、かなり騒々しくなりそうです。というのは、入沢さんから駅を利用する高校生が多いと聞き、学生を活字中毒にしてしまおうと意気込んだかと思うと、本の宅配サービスを立ち上げ、貸出本の回収(図書館の仕事)と旧家に眠る古書類の発掘(古書店の仕事)も請け負う、3者コラボ案もぶち上げたからです。

このアイデアは、古書倶楽部の佐々木嘉弘代表の発言がヒントになりました。佐々木さんは体育館のように広い古書店を経営していますが、今は、古本の販売よりも古書類の買い取りが中心になっているそうです。著名作家の直筆手紙などを仕入れ、全国の好事家にカタログを送って販売する仕事です。

図書館をテコに駅前のにぎわいづくりを進める入沢さん。本をテコに知的ビジネスを構築する三浦さん。古本屋を古書骨董店に進化させる佐々木さん。土浦駅前の「本の回廊」は面白くなりそうです。(NEWSつくば理事長)

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《映画探偵団》21 桜川流域の「金色姫伝説」と宇宙人

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【コラム・冠木新市】桜川流域に残る「金色姫伝説」を10数年前に知った。アートイベントの題材に最高だと思った。しかし当時、伝説の地元であるつくば市神郡では、紙芝居作りなどの活動中だったので、遠慮することにした。その後の様子を観察していると、いまひとつ盛り上がらない印象を受けた。ある日地元の画家と会話し、私と同じ思いだと分かった。

伝説は、蚕影山(こかげさん)吉祥院桑林寺(そうりんじ)縁起『戒言(かいこ)』に出てくる。天竺仲国(てんじくは今のインド)霖夷(りんい)大王の娘、金色姫は、継母から残酷な仕打ちを受ける。1度目は悪獣のいる獅子吼山へ、2度目は鷹の群がる鷹群山へ、3度目は絶海の孤島で草木も生えない海巌山へと流され、4度目には内裏(だいり)の庭の深い穴へと落とされる。

けれども不思議と金色姫は生き延びる。姫の身を案じた大王は「仏法繁盛の国へ行き衆生(しゅじょう)を済度(さいど)せよ」と、丸木で作られたうつぼ舟に乗せ、海へと送り出す。姫は常陸の国へと流れ着き、権太夫夫婦に助けられる。だが姫は長旅の疲れから病気になり、すぐ亡くなってしまう。その後、権太夫は夢のお告げを聞き、遺体を納めた唐櫃(からびつ)を開けると、姫は小さな蚕と化していた。

これが養蚕発祥の地に残る伝説なのだが、昭和の貸本屋文化で育った私には、これもでかこれでもかと継母の虐待に耐えたインドでの金色姫に興味が湧く。神郡に舞台が移り、姫があっけなく死んでしまうのは尻つぼみではないか。神郡のアピール度が不足気味の伝説だ。しかし、「金色姫伝説」はその後、変容の道をたどる。

伝説はSF映画の世界へ

享和三年(1803)、うつろ舟に乗った髪の長い美女が玉手箱を抱かえて、常陸の海辺に漂着する。これが江戸の瓦版で報道され話題となる。また22年後、読本作家の滝沢馬琴が『兎園小説』で「うつろ舟の蛮女」として紹介する。さらに2年後、馬琴は星福寺(茨城県神栖市)から、蚕神である衣笠明神錦絵の画賛の依頼を受ける(寺の本尊は金色姫)。

錦絵は江戸で人気を呼ぶ。いつしか「金色姫伝説」と「うつろ舟事件」がゆるやかに結びついてくるわけだが、伝説の変容はまだまだ終わらない。平成に入ると、謎の美女が乗ったうつろ舟が球体でUFOの形に似ているところから、美女は地球外から飛来してきたとなる。つまり、金色姫は宇宙人となり、伝説はSF映画の世界へと広がるのだ。

2014年、私は『つくつくつくばの七不思議サイコドン』(ACCS)で、「金色姫伝説」をテーマに映像実験を試みた。若者が縁結びの石を探して、つくばを旅するお話である。

若者は平沢官衙で突然謎の光に包まれ、昭和13年(1938)の満州にタイムスリップする。そこで、筑波小田出身の満州映画協会筆頭理事、根岸寛一と出会う。若者は、根岸から満映の新人スター李香蘭主演で『金色姫伝説』の映画化計画を聞かされる。最終回は、現代に戻った若者が、つくばセンター広場でUFOに乗った金色姫と出会うシーンで終わる。

インドから日本そして宇宙。「金色姫伝説」は桜川文化圏で一番スケールの大きな物語だと思う。サイコドン ハ トコヤンセ。(脚本家)

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《地域包括ケア》39 終末期の医療・ケアに自分の意思を

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高齢者サロン

【コラム・室生勝】私が開いている高齢者サロンには後期高齢者が多く参加するので、介護予防だけでなく終末期の話もする。今月は「終末期の医療・ケアについての意思表明書(リビング・ウィル)」について架空例を参考に勉強した。

それは、80歳半ば男性、身長170センチ、体重75キロ。今治療中の病気は高血圧で、毎朝起床時の血圧は140~80以下に落ち着いている。数年前に狭心症があったきり発作はない。趣味はゴルフ。毎朝約3キロのウォーキングを行っている。アルコール、タバコは60歳前に止めた。

架空例のリビングウイルをみんなで考えてみた。高血圧があり、数年前に狭心症があったから、将来、心筋梗塞や脳梗塞を発症する可能性がある。発症したら入院して最善の治療を受けたい。しかし、重度の意識障害が進行、覚醒しないと診断されたら、延命治療をしないでほしい。

脳梗塞による片まひ、摂食嚥下(せっしょくえんげ)障害、構音(こうおん)障害、失語症などが合併したら、積極的にリハビリをして効果が不十分でも、3カ月で退院したい。退院後はデイケアや自宅でリハビリを続ける。誤嚥(ごえん)性肺炎が併発したら治療を受ける。そしゃく障害や嚥下障害のため摂食困難になったら、口腔リハビリをしながら流動食・半流動食と進めてほしい。経管栄養や胃瘻(いろう)は受けたくない。

食道、胃、小腸、大腸などのがんで、食物の通過障害が出たら手術を受けるが、それ以外のがんが発見された場合は手術を受けたくないし、制がん剤治療をしても副作用が強い場合は中止し、自然の経過にしたい。苦しい検査、例えば大腸内視鏡検査を受けたくない。痛みや苦しみを取ってほしい。

認知症になっても薬を服用したくない。趣味の話、懐かしい話、絵画、写真、音楽などを用いた介護を受けたい。病状が進行して食事も果物も菓子も食べられなくなったら、口唇を湿らすだけでよい。そのままで最期を迎えたい。

アドバンス・ケア・プランニング

医師の私が加わったから、架空例のリビングウィルをみんなで書くことができたが、医療者でないと書けないと、参加者から指摘された。自分が歳をとって、最期はどのような状態になるのか、かかりつけ医や検査してくれた病院医に聞かないと分からないと、参加者は異口同音に言った。

最近、高齢者が入院すると、「もしものとき」を想定して、最期にどのような治療や看護を受けたいか、どのような治療は受けたくないかを、患者本人が家族、医師、看護師らとも話し合うアドバンス・ケア・プランニング(ACP)が実施されているらしい。

厚労省はACPを国民によく知ってもらおうと、昨年11月30日(いい看取り・看取られ)に愛称を「人生会議」と発表した。聖隷浜松病院の看護師・須藤麻友さんが応募したネーミングである。彼女は、重篤(じゅうとく)な状態に陥り、意思表示できないままに最期を迎える患者をケアすることが多い中で考えついたと言う。

意思表示できるうちから、かかりつけ医、家族と話し合っておけば、自分の意思を伝えることができない状態になっても、自分の望む最期を迎えることができる。来月のサロンでは桑名市の冊子を教材に「人生会議」を勉強することになった。(高齢者サロン主宰)

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《宍塚の里山》42 梅雨の終わり~盛夏に咲くネムノキ

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ネムノキの花

【コラム・及川ひろみ】梅雨の終わりから盛夏にかけて咲く、ネムノキの花は繊細で美しい。淡い紅色の細い糸は雄蕊(おしべ)、先端のオレンジ色は花粉の詰まった葯(やく)です。花の中に、少し背の高い白い糸が見られますが、これが雌蕊(めしべ)です。

写真の花のめしべ、まだ成長しきっていないものが多数見られますが、おしべ、めしべの成長には時間差があり、自家受粉を避け、他のネムノキの花と受粉して、丈夫な子孫を残します。ネムノキの花の甘い香りは昆虫たちを誘い、蜜を提供する虫たちのレストラン。昆虫たちによって、めでたく受粉が成功します。

その後、10センチを超える長く大きな鞘(さや)を付けますが、それを見ると、ネムノキが豆の仲間であることが分かります。ネムノキのような花をつけるマメ科の植物は結構あり、触れると、葉が閉じるオジギソウは花や葉のつくりがネムノキとよく似ています。

ネムノキもオジギソウも、小さな向かい合う小葉同士が折りたたみ、オジギソウでは最後に葉の軸も垂れ下がります。オジギソウは触れる刺激ですぐ葉を閉じますが、ネムノキは夕方、葉が合わさって眠るように葉を閉じます。夜、ネムノキを見ると、姿が違い別の樹のように見えます。

ネムノキの花を見るともうすぐ夏休み

ねむの木は、河原や草原など開けた場所に育つ先駆植物(せんくしょくぶつ)で、根は地中深くのびます。昔、川崎市の北部に住んでいたとき、農家の方から、ネムノキのことを「根太」だと聞きました。1メートルほどの高さの樹でしたが、「抜けねえぞ」と。

成長は極めて速く、根付いたら瞬(またた)く間に大きく育ち枝を広げます。しかし、里山の樹木の中で春の芽生えは最も遅く、ほかの木々が葉を広げ終えた5月になって、ようやく枝の先端に芽を延ばす寝坊助です。

そして7月、暑さがこたえるころ、鮮やかな花を咲かせます。子どものころ、土曜日、お腹をすかせて家に帰る途中、ネムノキの花を見ると、もうすぐ夏休みと思ったものです。

その材質は柔らかく、加工が簡単なことから、かつては桶(おけ)、屋根板などに使われていました。また合歓皮(ごうかんひ)と呼ばれる生薬はネムノキの皮を干してつくりますが、鎮痛剤、利尿剤、健胃剤として、また、打撲や腫物には湿布薬として使われるそうです。

さて、ネムノキの花が美しい季節になりました。宍塚の里山の小川の縁に、ネムノキの花が見られます。土浦市宍塚の里山に出かけてみませんか。(宍塚の自然と歴史の会代表)

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《食う寝る宇宙》41 宇宙県いばらき×宇宙防災チーム

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【コラム・玉置晋】8月5日、つくば市で「いばらき宇宙ビジネスサミット」が開催されます(http://www.uchuriyo.space/iss2019/)。昨年に続き2回目です。このニュースサイトにも「宇宙ビジネス参入促進を つくばで8月に第2回サミット」(7月4日掲載)との見出しで取り上げられました。大井川和彦知事はひじょうに「宇宙推し」で、僕としては茨城がますます大好きになっております。

茨城県には、宇宙航空研究開発機構(JAXA)筑波宇宙センターをはじめ、宇宙開発や運用の拠点が集積しており、これらの業務に従事する官民の組織拠点があります。また、最近熱を帯びている宇宙ビジネスにチャレンジするベンチャー企業も生まれたり、県外から集まってきたりと、茨城は宇宙に熱い県です。

「いばらき宇宙ビジネスサミット」では、僕が所属する茨城大学理学部野澤研究室(宇宙天気防災)にも、「S-Matching with 国研&ベンチャー」において講演オファーをいただきました。これは、つくばに集積する国の教育・研究機関やベンチャー企業が、宇宙ビジネスに関連しそうな技術やアイデアを発表し、参加者との交流・マッチングを促進するものです。

僕たちは、宇宙天気災害から茨城を護りたいと考えています。このイベントはそこに向け一つのマイルストーンになると思いますので、僕は全力で応援いたします。

宇宙天気災害はSFにあらず

宇宙防災はなかなかビジネスに結び付けることは難しい分野です。主な理由は、今、生きている私たちは身近に宇宙天気災害を経験していないことです(一部の宇宙業界関係者は2003年、人工衛星を失い大変な経験をされていますけどね)。僕は、昨年の宇宙科学技術連合講演会で以下のように発言しました。

「宇宙天気災害は、SFにあらず。私たち日本人は、2011年に未曾有の大災害を経験し、『幸運に』生き残ることができた。宇宙天気災害は起きてしまえば、全地球規模で影響を受け、復興にも多くの時間と労力を要する。宇宙天気災害から社会インフラを護るガーディアン(守護者)を目指す方が一人でも増えることを期待する」(

これを実現するため、Facebook(https://www.facebook.com/groups/257361341395109/

)で仲間を集めています。ご興味ある方は、是非ご参加を。(宇宙天気防災研究者)

参考文献:玉置晋 野澤恵 宇宙天気災害から社会インフラを護る~宇宙天気インタプリタ~ 第62回宇宙科学技術連合講演会講演集 2018, 1K07(JSASS-2018-4241)

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《続・平熱日記》41 暦をめくりながら いろいろあった6月

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【コラム・斉藤裕之】手帳というものを持ったことがありません。予定がないわけではありませんが、月の末になると新聞に挟(はさ)まってくる暦に書くだけで十分です。さて6月も終わり、いつものように暦を外して捨てようとしたときです。書き込みがいつもより多かった先月。書き込むときに気が重かったもの、待ち遠しい予定など。

「東京、机」「益子、建具」「銀座、酒巻」。週末はあちこちに出かけることが多く、久しぶりに旧知のギャラリーに、友人の個展を見に行ったり。洋裁用の作業台をもらいに、慣れない首都高を走ったり。改築中の家に合う建具を探しに益子へも。

それから、「病院」と3カ所に記されています。1年ぶりに撮ったCTで尿管結石が判明。結構大きいその石を日帰り破砕手術。小1時間、腰の辺りに、エアーコンプレッサーの釘打ち機の空砲のようなものを打たれ続けました。

「よし、よかろう」と先生。「4千発です」という技師さんの乾いた声が聞こえ、体内の石は砕かれたのでした。いや、正確には砕かれているはずです(ただいま絶賛排尿中。次回レントゲンで確認とのこと)。痛くなる前でよかったと言えばそうですですが、昨年来の味覚障害に、数カ月服用した亜鉛サプリがよくなかったのでしょうか。

結石粉砕直後に長女の結婚式

そして、「かなこ結婚式」と書かれた6月吉日。長女の結婚式および披露宴が都内のホテルでつつがなく執り行われました。

当日、斉藤家は私達夫婦を含めて総勢5名という少数精鋭? やせ型のかみさんは着物の内側にタオルなどを詰め込まれ、暑さにお疲れ気味。私も着慣れないモーニングが途中から鎧(よろい)のように重く感じられ、結石粉砕直後ということもあってか、気絶しそうになりましたが、友人知人に見守られ和やかなよい式となりました。

思いの外、長女もきれいでしたし。驚いたのは、披露宴の終わりに式やパーティーの映像を編集したものが流れたこと。おまけに帰り際にはそのCDを手渡され、「他の方々はネットでどうぞ」って。友人への土産話にこの話をしたら、そんなの今や常識だって言われました。

さて1年の折り返し。長女の結婚式のために正月から伸ばし始めた私の髪の毛。「坊主にしないの?」って聞かれます。結構好評なので肩まで伸ばしてみましょうかね。(画家)

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《邑から日本を見る》43 参院選「政治の安定」か「生活防衛」か

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飯野農夫也氏の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】時の政権に中間評価を下す参議院議員選挙が始まった。「安倍政治の評価が争点」(茨城新聞7月4日付社説)、「安倍1強に歯止めか、継続か」(朝日新聞同)、「三権分立の不全を問う」(東京新聞同)。各紙の社説のように、今回は安倍政治への評価が争点になるようだ。

具体的な政策としては、憲法、沖縄辺野古への新基地建設、消費税の増税、老後の生活に2000万円足りないとする年金問題などで与野党間に大きな違いがみられる。党首討論などでは、与党の「政治の安定」か、野党の「生活防衛」かで、際立った違いを感じた。

1票を投ずる私たちは、そのどれを重要な課題、自分の問題とするかによって誰に入れるかを決める。茨城県では、再選を目指す自民党の現職と新人4人が2つの議席を争っている。

茨城県に住んでいる私は、やはり日本原電東海第2発電所の再稼働問題が最大の争点だと考えている。日本原電は、運転して40年経過したこの発電所をさらに20年延長して稼働させたいとして、昨年秋に原子力規制委員会に許可申請を出して認められた。

しかし、再稼働のためには周辺6市村の同意などクリアすべきハードルがある。東海第2原発が再稼働して事故を起こせば、本県だけでなく首都圏に大きな影響があると予測されている。マスコミ各社の世論調査でも、県民の6~7割が再稼働に反対の意向だと伝えられている。

私は、「どんな立派な政策(公約)を掲げても、茨城県をこうしたいと訴えても、東海第2原発が事故を起こせばそれらはすべて無になってしまう。福島の事故でわかるように、今住んでいるところにいられなくなり、生活そのものが根底から壊される」と考えている。

気がかりな日米貿易交渉のゆくえ

私は長いこと農業、農村に関わってきたので、「安倍農政」の是非も問いたい。

安倍首相は生産農業所得や農産物輸出額の増加を成果としているが、農業就業人口の減少、荒廃農地の増加など生産基盤の弱体化は止められず、政府が掲げた目標の進捗(しんちょく)状況は芳しくない。農業だけでなく林業、漁業の1次産業全体がそうなのだが、それらに従事していたのではメシが食えない(生活ができない)現状では、農山漁村の衰退は止められない。

さらに気がかりなのは、日米貿易交渉のゆくえだ。わが国はTPPの水準でと言っているが、トランプ大統領は5月の日米首脳会談のあと、「農産品と牛肉で大きな進展。成果は7月の参院選後まで待つ」と、思わせぶりな発言を繰り返している。参院選前に明かせないのは、この貿易交渉でわが国は失うだけで、得ることは何もないからではないか。安倍首相との間で密約ができていると勘繰りたくなる。

とにかく、選挙の時、主権者は私たちだ。私の1票がこの国を変える。各党、それぞれの候補者の主張、公約を見定めて、投票所に行こう。(元瓜連町長)

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《続・気軽にSOS》40 「人生がつまらないのはどうして?」

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【コラム・浅井和幸】ある男性来談者の「人生がつまらないのはどうしてですか?」との質問に、私は言葉が詰まり、ちょっと考え込んでしまいました。「どうすれば人生が面白くなりますか?」ではなく、「人生が面白くない」理由を問われたからです。

これは、「野菜がおいしくないのはどうしてですか?」という質問に似ています。それは、おいしい野菜を食べたことがない、まずい野菜を食べているからです。素材が悪いのか、調理が悪いのか、はたまたタイミングが悪いのか。体調が悪いときに食べたら、おいしくないかもしれませんね。

つまり、人生が面白くないのは、面白く感じないことばかりを体験しているからです。ほとんどの場合は、面白いことを体験しても面白くないと意識しやすくなっていて、思い出すことも面白くないことが多くなります。心身の調子が悪いときほど、「人生は…」と考えてしまうからです。

「面白いことを感じるためには、面白くないことを意識して避けることが大切だ」ということに固執してしまいがちです。楽しく、調子がよいときに、「人生は…」と考えずに、人生を面白くないように感じるよう努力していることになります。

前出の野菜に「人生」を当てはめれば、人生を面白くするには、面白い瞬間を感じること、意識することとなります。「面白い」を感じるには、少々練習が必要です。それは、より面白いと感じやすいかなという体験をしてみる、意識してみることになります。

楽しいときに人生の意味を考えよう

面白いことを感じるのに、練習が必要なはずがないと思われがちですが、まずは、形から笑顔や笑い声を出してみるという方法もあるぐらいです。

いきなり一発逆転の、全てがひっくり返るぐらいの面白いことを体験しようと考えることは、余裕がなければなおさら避けたほうがよいでしょう。むしろ、些細(ささい)な「面白い」「楽しい」「美味しい」「美しい」「心地よい」を、少しずつ感じるようにしてみてください。

些細なことをバカにせず、それらを感じられるようになってきたら、大きな喜びも感じやすくなっていくということを、頭の片隅に入れておきましょう。

そういえば、この質問と同じ様な言葉で、「人生の意味を考えるのですが、苦しいことばかりです」という言葉を聞きます。苦しいときに、人生の意味を考えてしまうからですね。できたら、楽しいときに人生の意味を考えるようにしましょう。(精神保健福祉士)

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