水曜日, 4月 23, 2025
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《霞ケ浦 折々の眺望》8 霞ケ浦の生物多様性 植物のトゲとツル性

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湖水晩景

【コラム・沼澤篤】霞ケ浦の生物多様性復活を目指す活動では、希少種や外来種が話題になる。しかし実は、生物多様性は雑草と呼ばれる地味な野生植物を調べることで、よく理解される。

イヌタデはタデ科イヌタデ属の代表であり、十分に光があたる水田やハス田の畔や農道に繁茂し、秋には小さな紅色の花を多数つける。昔、農村部で少女時代を過ごした方は、「あかまんまの花」で思い出すかも。地方によっては、同じイヌタデ属のミゾソバも「あかまんま」と呼び、花を摘んで、家から持ち出した小杯に盛り、赤飯に見立て、小春日和の庭先の陽だまりに茣蓙(ござ)を敷いて、ままごと遊びをした。

余談だが、「あかまんまの花を歌うな」は作家中野重治の有名な詩。彼は霞ケ浦の記念碑的映画「米」に出演した女優、原泉(はらせん)の夫。

イヌタデやミゾソバの茎は滑らかで、トゲはない。しかし変異種では、茎に小さな柔らかいトゲ(毛)がある。湖岸の湿地帯ではアシ群落の辺縁部で見かける。そこでは水位上昇に伴う強い波浪で、葦原(あしはら)がなぎ倒され、シロバナサクラタデやヤナギタデなどを含む、一年生のイヌタデ属の漂着種子が発芽し、光を十分に受け繁茂する。しかし数年すると、その場所は多年生植物が侵入して藪(やぶ)化し、混沌(こんとん)世界になり、1年生植物は、丈が高い他の植物が作る日陰で十分に生育できない。

しかし、同じイヌタデ属のサデクサ、アキノウナギツカミ、ママコノシリヌグイは、他の植物にもたれかかり、絡(から)みつき、光を求め、しなやかな茎を上へと伸ばし、たくましく光合成を行う。その細い茎には、下向きの小さなトゲが多数発達し、他植物に絡みつき、風が吹いても、振り落とされない。トゲは江戸の町火消が使う鳶口(とびくち)のような形状と機能を持つ。

青く丸い実をつけるイシミカワ

植物がトゲを持つ理由の一つはアザミやサボテンのように、動物に食べられないためである。しかし、湿地の藪に生育するイヌタデ属は生存競争の結果、遺伝子を変異させ、細い茎に強靭なトゲを発達させ、他植物に絡みつく戦略を獲得した。

その極みは、秋に小さな青く丸い実をつけるイシミカワである。その青い実を、篠竹(しのだけ)鉄砲の弾(ジャノヒゲの実や杉の雄花を使うこともあった)に使って遊んだ少年時代の日々を思い出すか。イシミカワはイヌタデ属とは思えないほど、鉄条網のようなトゲをつけ、ツル化して藪の上を這(は)い、光合成をして子孫を残す。

霞ケ浦の湖岸や流入河川の氾濫原(はんらんげん)では、他にもツルマメ、ノイバラ、クズ、ヒルガオ類、ヤブガラシ、ガガイモ、ゴキヅル、ヘクソカズラ、カナムグラなどのツル性植物が繁茂している。

栽培種のインゲン、キュウリ、ゴーヤ、アサガオなどは別として、ツル植物は人間に嫌われるが、ツル性やトゲの獲得は生存戦略なのだ。霞ケ浦の湿地保全では、景観とともに、アシ群落内外に生育する植物群集の種(しゅ)と遺伝子の多様性に着目することが肝要。(霞ヶ浦市民協会研究顧問)

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《ご飯は世界を救う》14 街の食堂・庶民の味方「大阪王将」

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【コラム・川浪せつ子】皆様ご存知の「大阪王将」。似ているのが「餃子の王将」。どこが違うかご存知でしょうか。元は同じお店で、2つに分かれたそうです。つくば市には20年ほど前「大阪王将」が、数年前に「餃子の王将」が徒歩5分ぐらいの所にできました。

現在、どちらも結構なお客様が入っていらっしゃいます。今回「大阪王将」を描いたのは、私にはなじみが深いので…。

今でこそ、女性が結婚してからも働くのは普通になりましたが、私の世代ではあまり多くはありませんでした。3人の男の子育て、家事、仕事。私にはサポートしてくれる人はいなかったので、疲れ果てご飯をつくれないとき(連れ合いも激務)、「晩ご飯に安くご飯(お米)が食べられる場所」は貴重でした。近場に食堂があったのでよくお世話になりました。

ですが、数年前に高齢化で閉店。ほかにも大好きなご飯屋さんが時代とともに次々なくなっていくのは本当に寂しいです。

この「大阪王将」さんも、高齢化と人手不足を感じます。ホール(給仕)の方が私よりかなり上。でも動きがものすごくスピーディーなので驚きです。働き続けるということの重要性、偉大さを、拝見していて感じます。今回連れ合いと2人で食して、1400円でした。街の食堂、庶民の味方、頑張って欲しいです。

栄花林さん、「当分休みます」の掲示

話は違うのですが、今年3月21日掲載した「栄花林」(中華料理)さん。お店に行ったら入口に「当分休みます」。

その後、知り合いから、連休中に店主さんが亡くなられたと聞きました。その方がたまたま私の絵を見つけてくれて、絵をコピーしたものを店主さんの奥様(ホール担当)に持っていってくれました。とても喜んで下さったそうです。

この話を聞いて、絵を描いていて本当によかったと思いました。つたない絵であっても、人に喜んでもらうことができる。これこそ、私が一番望んでいることだからです。秋に、息子さんがお店を引き継ぐ計画もあるそうです。そしたらまた描かせていただきますね。(イラストレーター)

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《茨城の創生を考える》11 経営者がアントラーズに学ぶべきこと(下)

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カシマスタジアムのアントラーズ・サポーター 【撮影:池田充雄】

【コラム・中尾隆友】前回、前々回の記事(上・中)では、アントラーズが地方の会社経営のお手本となる秘訣として、デジタルを駆使しながらマーケティングに労力と時間をかけていることについて述べた。アントラーズの前年度の売り上げはクラブとして初めて70億円台に達し、今後は100億円を目指して会社と選手が一丸となって邁進(まいしん)しているらしい。

「まちおこし」で始まったチーム

アントラーズが発足した25年前には、そのような売り上げを伸ばそうという発想はまったくなかったという。親会社の住友金属(現在の日本製鉄)や鹿島臨海工業地帯に進出した企業の方針に従って、まちおこしをしようと始まったクラブチームだったからだ。そういう経緯があったため、アントラーズの経営陣は親会社や鹿島進出企業がチームを支援してくれるだろうと思っていたというのだ。ところが意外にも、Jリーグのクラブチームとしてスタートした直後から、親会社や鹿島進出企業が「イニシャルコスト(初期費用)は出すが、ランニングコスト(運営費用)は何とか自らで稼いでほしい」と自立した経営を促されたという。他のJリーグのチームとは異なり、初めから厳しい現実に直面、それでは一生懸命稼ぐしかないだろうと腹をくくったということだ。

強い危機意識を持って生き残る

これまでアントラーズの経営を支えてきたのは、25年もの間、常に「明日、つぶれるかもしれない」と考えながら、強い危機意識を持ってやってきたということだ。商圏が他のチームと比べて圧倒的に小さいために、「つぶれないためには、勝つしかない」「勝つためには、何をなすべきか」といった思考回路のもとに、強いチームづくりと売り上げの伸びの両立を目指して運営されてきたのだ。

Jリーグが誕生した当時のクラブ(10チーム)は親会社の単なる広告・宣伝部門と見なされていたのだが、今でもJ1からJ3までの55チームのうち、経営的に親会社から自立できているチームはほとんどない。日本のプロスポーツチームの経営は親会社がある程度は補填(ほてん)して成り立っているので、そういった意味では、アントラーズは稀有(けう)な存在だったといえる。

経営は1020年先を予測して

私は、会社の経営者は10~20年スパンで未来を予測して対応していかねばならないと思っている。とくに地方の経営者は10~20年後に人口がどれだけ減るのかを意識しながら、戦略的に事業を縮小して利益が出やすい体質に変えていかなければならない。今からそういった備えを怠れば、地方の会社が生き残ることは難しいだろう。

それに加えて私は、10年後の顧客を予想しなければこれからのビジネスは駄目だという意識が欠かせないと考えている。10年後の社会はどう変わっているか、10年後の顧客の生活スタイルはどう変わっているか予測をしながら、今から少しずつ準備をしていかなければならないのだ。(経営アドバイザー)

※記事は鹿島アントラーズの鈴木秀樹取締役事業部長と対談した内容をまとめたものです。

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《続・平熱日記》43 ブルーベリーを摘みながら考えた

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【コラム・斉藤裕之】「うちのブルーベリー、食べようと思ったらムクドリにやられちゃって…」。庭に実のなる樹を植えている人にとって、ムクドリは実に可愛げのない鳥。でもなぜか、わが家のブルーベリーはその難を逃れ、毎年たわわに実をつけるのですが、かといって家族にもそれほど人気もなく、結局ジャムなどにして冷蔵庫で永眠。

しかし巷(ちまた)では、老眼に効果ありと評判のブルーベリー。老眼鏡がなければメールも読めない私ですが、何となくその効能を信じていないところに、先日、テレビでお医者さんが「医学的にはブルーベリーは老眼との因果関係はない」と断言しているのを聞いて、「だよね」と思った次第です。

例えば1日に必要な野菜の量。食べられますか? 籠(かご)1杯の野菜に「無理、無理!」。

よくあるサプリメント宣伝の一幕。本末転倒。誰も食べることが不可能な量が1日に必要な量なんておかしいでしょう。そもそも、そんなにたくさんの種類の野菜があることが不自然。前にも書いたことがありますが、エスキモーやモンゴルの遊牧民に野菜を摂(と)れといっても無理なこと。

先日ある有名な料理人の方が、新聞紙上で面白いコメントをされていました。夏休みは子供の食事の世話が大変、なんてこともよく耳にしますが、例えば子供のお弁当は「毎日同じもので十分です」と。毎日違うものを食べないといけない、毎日いろんなものを食べるべきだと思い込んでいる気がして。体にいいとか栄養がとか考え過ぎ。ましてキャラ弁が食べ物としてどうなのか疑問に思います。

身の回りにあるものをそれなりに食べる

さて先日東京さ行ったときのことです。老眼になって、いやそれ以前から本を読まなくなって久しいのですが、久方ぶりに本を買って帰りの常磐線に乗りました。

明治から今の時代の日本の食について書かれた本で、私の記憶や田舎の風景と重なることが多く、電車内のよい暇つぶしとなりました。結論から言えば、適当な不便さの中で身の回りにあるものをそれなりに食べていくというのが正解ではないかと。

これも最近よく聞く「腸内フローラ」。世界中の随分ハイカラなものが節操もなく食べられる環境にはなりましたが、日本人が昔から食べてきたものは、とてもよいお花畑を腸の中に作ってくれているそうですよ。

思うに、老後2000万円足らないというのは政府のいやらしい作戦。これを聞いた爺さん婆さん、父ちゃん母ちゃんが慌(あわ)てて稼ぎ始めたら、国もヤレヤレですもんね。

さて、今年も結構な量のブルーベリーが採れました。実は知り合いのお店でスイーツの材料として使ってくれるというので、持って行くと美味しいパスタランチに化けるのです。お国には申し分けありませんが、私はそうやって生きていこうと思います。(画家)

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《邑から日本を見る》45 生きるための図書館

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飯野農夫也氏の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】皆さんにとって図書館ってなんだろうか。毎日のように通う人もいれば、縁が遠い人もいるだろう。私が住む那珂市の図書館は、暑いせいもあろうが、連日、車が駐められないほどの盛況(?)ぶりだ。

私は、以前は、本は買って読むものだと考えていたので、あまり図書館を利用することがなかった。しかし最近は、週に2~3回は利用している。よく行くのは、那珂市立、県立、茨城大学の図書館だ。蔵書が増え、置くスペースがないこと、一度しか読まない本は借りて読めばいいと考えるようになったからだ。さらに、図書館のレファレンスが充実してきて、わからないことを聞いたり、資料を取り寄せたりができるようになってきたこともある。

そんな私にピッタリの本を、著者でつくば市在住の竹内悊(さとる)さんが贈ってくれた。あえて竹内さんと呼ばせてもらうが、私が町長のとき、瓜連(うりずら)小学校を木造で建て替えるに当たって、どのような学校図書館にしたらいいかを相談した。竹内さんは私より15歳上で、2004年までつくば市にあった図書館情報大学の副学長を務めた方だ。それ以来、困っていることがあると手紙を書き、適切なアドバイスをいただいている。

竹内さんは、60年以上図書館と関わってきたなかで、「図書館とは人が生きる上で一体なんなのだろうか」と考え続けてきた。そして「本というものは、人の感覚と思考と行動の記録なので、人が生きていく上に大きな働きを持つものである。その多彩な本と、人の多様な要求を適切に繋ぐために、図書館がある」というのがその答えとなった。

『生きるための図書館-一人ひとりのために』(岩波新書)はそのことを踏まえ、地域の図書館の事例や、子どもたちに本を届けようとしてきた石井桃子さんらの活動、公立図書館が直面していること、図書館が東日本大震災に遭ったときどうしたか、小中高、大学での図書館の試み、地域でどのような図書館をつくっていくかなど、本と図書館に関心がある人に多くの示唆を与えてくれる。

図書館は「めがね」「ひきだし」「コンパス」

ここでは本書のあらましを紹介できないので、私の印象に残った言葉をいくつか。

▽ 読書は個人の考えを育て、(授業での)社会科は世の中の仕組みについて知る。さらに、自分を作りながら、人と共に生きる。

▽ 読書とは、それをしたからこれだけの効果があったとはいえない内面的なもので、数量化はできない。行政がかかわることとは、子どもたちが本を自由に手にする環境を作り、そこで子どもと本とを結びつける人を育てることに力を尽すことだ。

▽ 図書館法は、利用者が自由に書架の前に行き、内容を確かめてから読んだり借り出したりできる公開書架制に変えた。

▽ 公共図書館の資料費が削減され、司書の配置転換によるサービス水準が低下してきている。

▽ 生徒は学校図書館で「めがね」と「ひきだし」と「コンパス」という道具を手にする。

本書を、本が大好きなあなた、図書館で仕事をしている人、さらに図書館行政に関わっている首長、議員、教育委員会の人たちにささげたい。(元瓜連町長)

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《映画探偵団》22 筑波小唄と筑波節は2つで1つ

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【コラム・冠木新市】桜川流域には茨城県出身の詩人野口雨情が作詞した『筑波小唄』と『筑波節』の民謡が残っている。10年前にその事実を知ったころは、特に雨情や民謡に興味があったわけではなかった。つくば市の年配者に尋ねると、「そんな歌、知らないな」と言われた。

とりあえず、どんな民謡なのか聴いてみようと、つくば市や茨城県の図書館、北茨城市の野口雨情記念館などに当たってみたが、どこにも音源は残されていなかった。こうなると私の悪い癖で、ぜひ探してみたくなった。

昭和5年(1930)、世界大恐慌の影響が日本に出始めた年、雨情は旧筑波町から歌作りの依頼を受ける。10月1日から2日、筑波山中を散策し、翌3日、5番まで詩がある『筑波小唄』を作り、作曲家藤井清美が直ちに曲をつけた。同日、関係者を江戸屋別館に招き、筑波芸妓(げいこ)によって披露の運びとなった。

ところが、この歌は、45日後の11月18 日に1・2番と3・4・5番に分けられ、詞が追加されて『筑波小唄』と『筑波節』になるのである。なぜ1つの歌が2つに分けられたのか、詞を分析してみた。

『筑波小唄』の「うすい情」「笹で啼(な)く」、『筑波節』の「うす明り」「ほろり泣いたも」と、対をなす表現が出てくる。また最後のフレーズは「北条を通れば うしろに筑波 ままよ逢わずに 帰らりよか」(『筑波小唄』)、「真壁出て見りゃ 南に筑波 逢いにゆきます 山越えて」(『筑波節』)とあって、男と女が筑波で逢う構成になっている。

つまり『筑波小唄』は男心を、『筑波節』は女心を描く2曲で1組の歌なのである。『筑波小唄』はうぐいす芸者藤本二三吉が、『筑波節』は北条芸妓連がSPレコードに吹き込み、昭和7年(1932)にはNHKラジオで披露している。

その後、ひょんなことからリメイク版レコードが見つかり、歌誕生80周年記念として、2010年10月10日、筑波銀行つくば本部ビル10階で、「雨情からのメッセージ」と題し講演・朗読劇・歌・踊りのイベントを開催した。

東映『仁義なき戦い』5部作

私は東映『仁義なき戦い』(1973-74)5部作を思い出した。この作品は5部作中4本が、キネマ旬報ベストテンに入る日本映画史の名作だ。中でも、第3部『代理戦争』は広島ヤクザが西日本2大組織のどちらにつくかで右往左往するズッコケ喜劇で、第2次大戦後の米ソ大国と小国の政治状況を象徴しており、ヤクザ映画の範疇(はんちゅう)を超える仕上がりになっていた。

だが第4部『頂上作戦』は、盃(さかずき)外交に組員の内部分裂、世代間の争いが加わり、複雑混乱した印象で不満だった。しかし第5部『完結篇』ができ、全作オールナイト上映を見て驚いた。続けてみると3部と4部が密接につながり、一本筋が通り面白さ倍増なのだ。

あとから、脚本家笠原和夫の『昭和の劇』(太田出版)で知るのだが、3部と4部は元々一本のお話で、映画が大ヒットしているため、東映から「2本に分けて作れ」と命じられたそうだ。

いつの間にか雨情と民謡に魅せられた私は、2012年にSPレコードを発見しCDに復刻、DVDを作って踊りも復活させた。来年秋には歌誕生90周年を迎える。『筑波小唄』のお囃子(はやし)は、サイコドン ハ トコヤンサノセ である。(脚本家)

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《地域包括ケア》41 「もしバナゲーム」をやってみました

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もしバナゲーム

【コラム・室生勝】私たちのサロンでは桑名市のテキストを使って、ACP(もしものときのために、自分が望む医療やケアについて前もって考え、家族や医療・ケアチームと話し合い、共有する取り組み)の勉強をしたが、そのようなときに自分が望む医療や介護について話し合うなどできそうもない―と、みんなが異口同音で言う。

そこで、ACP入門として「もしバナゲーム」を何度もやってみることになった。まず、36枚のカード(1枚はワイルドカード※1)に書いてある文章を理解した。35枚のうち「痛みがない」「私が望む形で治療やケアをしてもらえる」「信頼できる主治医がいる」などの24枚は読んで字の通りだ。

「人との温かいつながりがある」の“人”は家族や友人知人のほかに、ケアマネジャーやヘルパーらも含まれるのではないか。「親友が近くにいる」の“近く”とあるのは、“こんな姿を見せたくないので会いたくないが、電話で話せるし、近くにいるので安心”ということではないか。短い文章なのでいろいろな読み方ができる。

「家で最期を迎える」「人生の最期を1人で過ごさない」の“最期”は死ぬ間際でなく、死亡までの数カ月~1年のことだと意見が一致した。「自分が何を望むのか家族と確認することで口論を避ける」で、“口論を避ける“のは誰と誰が口論するのか。それは家族間のことだろうとの結論に達した。

「怖いと思うことについて話せる」「死生観について話せる」の“話せる”は、「宗教家やチャプレン(※2)と会って話せる」との意見が大勢だった。「私を1人の人間として理解してくれる医師がいる」「尊厳が保たれる」「私の価値観や優先順位を知る意思決定支援者がいる」は、突然の病気や事故で意識がなくなった場合や、認知症で自分の意思を表明できない場合には絶対必要なことである。

「最期」に望むことを言えるように

ゲームは、ワイルドカードを除いたカードを4組用意して1テーブルに8人が座り、交替しながら4人で行った。トランプの「51」のように、ジャンケンで親を決め、親がカードを5枚ずつ配り、5枚を表向きに場に広げ、残りを中央に積む。親から順番に時計回りで自分のいらないカード1枚と場の中のカード1枚を交換する。

2周目からは、交換したいカードがなければパスできる。全員がパスしたら、場のカードを流し、中央のカード5枚を場に広げる。このように交換やパスを続け、中央のカードがなくなった段階でゲームが終わる。各自、手元の5枚から特に大切なカードを3枚選び、その理由を述べ合う。

ゲームの度に配られる5枚のカードは違うし、交換するカードも毎回違う。最後に残る5枚も違う。何回もゲームをしているうちに、自分が望むことの表現の仕方が分かってくる。何回も経験すると、医師や看護師、家族と一緒にACPを行うときに自分の望むことを自分の言葉で言えるようになるのではないか。(高齢者サロン主宰)

※1 ワイルドカード=白紙で自分が望むことを書く。「愛犬と一緒にいたい」「晩酌を続けたい」など

※2 チャプレン=施設で働く牧師、神父、司祭、僧侶など聖職者

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《宍塚の里山》44 大池はピンクの蓮の花が満開です

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宍塚大池に咲くピンクの蓮の花

【コラム・及川ひろみ】今、宍塚大池は蓮(ハス)が美しく咲いています。「極楽浄土のよう」の声も聞かれます。花に顔を近づけるとミントのようないい香り。池全体に甘い香りが漂っています。

土浦市は日本一のレンコンの産地。霞ケ浦周辺に蓮田の花が見られますが、白い花々が一面に咲くことはありません。昔から日本にある野生の蓮はピンク色ですが、明治時代、食用として中国から輸入された「シナバス」は、レンコンが育つように改良されたもので、花が少ないからです。

シナバスは太く、食べるとシャキシャキとしていますが、野生の蓮は細長く、食べると少し硬く、ねっとり感がある食感。食用とはかなり違います。ピンクの花を咲かせる野生の蓮を地元では「柳バス」と呼びます。蓮田に柳バスが出ると駆除しますが、高級料亭では変わった蓮として料理に使われると聞いたことがあります。

レンコンを食べたとき、細い糸を引きますが、この糸は藕糸(ぐうし)と呼ばれるもので、レンコンだけでなく、花や葉の茎を折っても見られます。茎にもレンコンの穴のような大小10個ほどの穴が空いていますが、その穴から細い糸がばねのような螺旋(らせん)状になって出てきます。

蓮の糸で布を織る 花茶をいただく

茎数本を束ね、ポキッと折り、出てきた数十本の糸を撚(よ)り、撚った糸数本をまとめてさらに撚り、木綿糸ほどの太さの蓮の糸を作り、それを横糸にして布を織ったことがあります。縦糸はハスの茎の皮からとった、茄糸(かし)と呼ばれるハスの糸を使いました。布作りは丸一日、数名がかりで取り組みました。手間をかけ出来上がった布は4✕6センチほど。しっとりとした、動物のなめし皮のような不思議な感触でした。

仏教では聖なる花として慕われる蓮。その糸から作った布は、曼荼羅(まんだら)や袈裟(けさ)に使われ、珍重されているそうですが、布作り体験があまりにも大変だったので、その後は行っていません。

蓮の花茶は、花が開く直前の蕾(つぼみ)の先端を少し開いて緑茶を注ぎ、花の香りを楽しむお茶です。江戸時代、不忍池(しのばずのいけ)の畔で催された優雅な遊びということで、大池でも楽しみました。

皆さま、蓮の花が満開の宍塚大池、ぜひ足をお運びください。そして「蓮の花や葉、レンコンで楽しむ、お楽しみ会」を一緒にしませんか。蓮が覆った池の中では、酸素不足が起こり、他の動植物への影響が…。生態系にとっては困ったことです。(宍塚の自然と歴史の会代表)

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《食う寝る宇宙》43 7月下旬、地球近傍天体がありました

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【コラム・玉置晋】7月25日、直径約130メートルの小天体「2019OK」が地球から約7万2000キロのところを通過。月軌道の内側5分の1ほどの距離でした。このような地球近傍天体はNEO(Near-Earth object)と呼ばれています。

発見されたのは、最接近1日前の7月24日でした。宇宙防災の立場からは、「もしも」という観点で見ないといけないのですが、100メートル級の小天体が地球に衝突した場合、東京都と同規模の範囲を壊滅させるとの報道もあります。

しかし実際のところは「よくわからない」ので、日本では、社会としてどう立ち向かうのかという議論は醸成されていません。この件について報道されたのは7月29日でしたから、「とっくに通過してるやん!」

きっと偉い学者さんやお役人さんが、きちんと考えてくれていて、助けてくれるはずだと考えておられる方がいましたら、残念ながら、われわれ人類の実力は「ある日都市が壊滅していました!」のレベルであることを認識しておくべきです。

「宇宙災害3兄弟」 

100~1000年に1回の頻度だけれども、社会に壊滅的な被害をもたらす災害は「低頻度大規模災害」と呼ばれています。僕が研究している宇宙天気も同様なので、NEOのニュースはとても親近感(?)をもってウォッチしました。宇宙天気、NEO、スペースデブリ(宇宙ゴミ)のことを、僕は「宇宙災害3兄弟」と呼んでいます。

歴史的に最も浅い、末っ子のスペースデブリが、ビジネス化の点では一歩先んじています。宇宙天気も、負けじとアプローチをしたいところで、8月5日、つくば市で開催された「いばらき宇宙ビジネスサミット2019」に参加しました。

僕が属している茨城大学野澤研究室(宇宙天気防災学)も、企業などと交流する発表とポスター展示を行いました。ブースに足を止めてくださる方がたくさんいらっしゃいました。宇宙ビジネスセクターでも、宇宙天気への関心は高いという感じです。課題は持続可能な事業とするにはどうしたらよいのか?

NEOが地球をかすめていたころ、「ししむん(家族や親しい友人は僕をそう呼ぶ)、来週の日曜は暇ですか? 日帰りで野辺山に行こう」と、LINEで連絡をいただきました。その友達は、家族皆が宇宙好きの「スペースファミリー」です。というわけで、次回のコラムは「食う寝る宇宙 野辺山編」です。(宇宙天気防災研究者)

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《くずかごの唄》43 どんぐり山の18年④ 昆虫類絶滅の危機

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今夏のどんぐりやまイベントで撮影したオオムラサキと甲虫【撮影・御供文範】

【コラム・奥井登美子】今年の夏の「どんぐり山昆虫観察会」も、蜂刺されもなく、無事に楽しく終わることができた。

異常な天候不順で、7月の日照時間が少なくて昆虫類の発生に響くのではないかと、心配していたが、子供たち大人気の甲虫もたくさんいて、大満足。すごかったのは、紫色の宝石、オオムラサキを10羽も観察できたことだった。

私が小学生のころ、父が鳥もちを使って大型トンボのヤンマを捕まえる方法を、実にうれしそうに話してくれたことがある。

「お父さんは京橋の生まれ育ちでしょう。いったいどこへ、毎日トンボ採りに行ったの?」

「今の東京駅ですよ。あそこは『三菱が原』と言って、大きな広い原っぱだった」

「ヤンマが発生するような湿地もあったの?」

「ありましたよ」

「それが、いつ、なくなったの」

「慶応の学生時代、僕は三田まで毎日歩いて通っていました。歩くと町の中の変化がわかります。そのころ、原っぱの湿地にエンヤコラの掛け声も勇ましく、人力で、松の木を7000本くらい打って、湿地を東京駅にしてしまったのです」

父の話は100年前の「東京昆虫物語」だったのだ。

トンボも蝶も、めっきり少なくなった

昆虫は交代が早いので、生物全体の危機を象徴している。昆虫類は1年で2.5パーセントが絶滅の危機を迎えているという。10年で25パーセント。20年で50パーセントになってしまう。

ヤゴが育つような水たまりが減り、土浦でもトンボを見かけなくなってしまった。わが家の庭で自然に育てているチョウたちも、10年前と比べてめっきり少なくなってしまった。

「オオムラサキが10羽もいたことがありましたよ」。どんぐり山の昆虫が「霞ケ浦昆虫物語」にならないことを願っている。(随筆家)

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《雑記録》2 参院選雑感:山本太郎とは何者か?

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【コラム・瀧田薫】参院選は投票率50%を割る低調ぶり。目立ったのは「NHKから国民を守る党」(N国)と「れいわ新選組」(れ新)が議席を獲得し、政党の成立要件を満たしたことぐらいだろうか。

「N国」はいわゆるワンイッシュー政党で、NHK攻撃に特化した政党である。代表の立花孝志氏(51)は、自ら公言しているように、思想的な背景をもたない。文筆家・古谷経衡氏は、「『N国』に投票したのは、思想もなく、主張もなく、思慮もなく、『なんか面白そう!』というノリで投票する、限りなく無色透明の『政治的非常識層』」(YAHOOニュース、7月22日)という。

古谷氏に依拠して「N国」の今後を占えば、この党がワンイッシュー政党であり続けるのは難しいと思う。結局、保守系無所属議員との連携に活路を見いだすしかないだろうが、その先がどうなるかは分からない。

「れ新」は党代表・山本太郎氏(44)のカリスマ性が突出しているが、ワンマン政党ではない。山本氏は「代弁者ではなく当事者を国政の場へ」というスローガンを掲げ、比例代表特別枠に、障害をもつ船後靖彦氏と木村英子氏を指定し、自らは落選覚悟の選挙を戦ってみせた。特別枠を地方区から出馬できなかった前職への補償枠とした自民党とは大違いである。

ポピュリストとは一線を画す政治家?

ともあれ、山本氏とはいかなる政治家か。彼はポピュリストか否か。以下、この1点に絞って検証してみよう。

ポピュリストの基本的特徴はその政治手法にある。まず、政治から見放(みはな)されている人々に呼びかけ、利己的で腐敗した政治・経済・文化エリートがあなた方の不幸の原因だと攻撃し、人々の怒りに火をつける。

しかし、人民の側に立って体制を批判し、既成の権力者を攻撃する者が、皆ポピュリストというわけではない。真のポピュリストとは「自分だけが真に人民を代表する」と主張する者である。つまり、人民とその代表者たる自分を同一視し、当然の帰結として、彼の主張に対する異論・反論はすべて人民の意志を否定する「非民主主義的」言説として切り捨てる。

本来、民主主義のもとでは、抑制、均衡、多元性が尊重され、その制度的保障として「三権分立制」などがある。しかし、ポピュリストにおいては、そうしたもの一切が「人民の意志の実現」を阻(はば)む障害物でしかない。ポピュリストは対立や分断を利用し、誰が「真の人民」なのか、そして彼らがいかに強力な存在であるか、繰り返し主張し続け、それに賛同しない人々は人民の敵、国家の敵として指弾(しだん)される。

山本氏が掲げたスローガンにおいては、「代弁者」と「当事者」が明確に分けられていた。この事実を確認しておきたい。彼がこのスローガンを掲げ続ける限り、彼は「真のポピュリスト」とは一線を画す政治家であるだろう。このスローガンが彼の直感から生まれたのか、誰かの助言によるものなのか。出来れば、彼に直接聞いてみたいと思う。(茨城キリスト教大学名誉教授)

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《吾妻カガミ》61 「NEWSつくば」に全国紙が注目

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NEWSつくば編集室が入る建物(左)と手づくりの案内版

【コラム・坂本栄】NEWSつくばが朝日新聞の全国版で取り上げられました。7月13日朝刊のMedia Times欄(第3社会面)で、茨城県南の地域紙・常陽新聞の流れを組む本サイトと新潟県の地域紙・上越タイムスの「生き残りへの選択」がリポートされています。

同欄では毎回、内外のメディアの話題が紹介されていますが、この回は、部数減や広告減で苦戦する地域紙の存続モデルがテーマになりました。水戸総局とつくば支局の2記者による取材には、私と編集担当が対応。さすが朝日、なかなか緻密(ちみつ)なインタビューでした。

読まれていない方は目を通していただくとして、記事のポイントは明快です。ペーパー媒体を止め、ネット媒体で復活し、権力も監視するNEWSつくば。政治など硬めの記事は載せず、地域団体紹介などを主に扱う紙面づくりに転換した上越タイムス。伝える手段である媒体(ネット:ペーパー)も、伝える情報の中身(政治重視:政治軽視)も、対照的な生き残りのモデルというわけです。

記事では「坂本さんは米国の新潮流を参考にしてNEWSつくばを立ち上げた。日本では先駆的な試みだ」と持ち上げられており、恥ずかしい限りです。

日本には寄付文化が根付かない?

ネットでもペーパーでもメディアを維持するにはおカネがかかります。朝日の記事では、当サイトの「経営」に関する部分が上越タイムスに比べ少なめでしたので、少し補足しておきます。

上越さんは紙面刷新による部数増=売上増という経営モデルを選択したそうですが、われわれは特定非営利法人(NPO)による運営モデルを採用しました。サイト運営の経費は基本的に寄付や会費でまかなうという形です。実験的な試みといえます。

2017年秋の立ち上げは「企業の大口寄付」で経費をまかないました。その後、大口寄付のほか、「個人や企業の会費(小口寄付)」「企業のバナー広告」「他メディアへのニュース提供」へと収入ソースを拡げてきました。これらの柱を太くしながら新しい柱も探すというのが、われわれの「経営」の基本です。

寄付集めの過程で、寄付によって(首都スミソニアン博物館などの)文化活動を支援する米国モデルを日本に広めるのは難しいのではないか、と思ったこともあります。日本の税務当局は企業による寄付行為があまり好きでないらしく、寄付をすると税逃れではないかと詮索(せんさく)されると、あるオーナー経営者から聞いたからです。

このことを元財務省キャリアに話したところ、それは日本の税務署が優秀であることの証明だと、笑っていました。寄付する余裕があるなら税金で納めろというわけです。(おカネの流れを国が仕切りたい)日本には(文化事業に直接おカネを流す)寄付文化はなかなか根付かない? NPOメディア定着のためにも改めさせましょう。(NEWSつくば理事長)

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《茨城の創生を考える》10 経営者がアントラーズに学ぶべきこと(中)

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カシマスタジアムのアントラーズ・サポーター【撮影:池田充雄】

【コラム・中尾隆友】鹿島アントラーズの鈴木秀樹取締役事業部長によれば、J1で親会社から自立した上で優勝しようとしたら、とにかく売り上げを伸ばしていくしかないという。昨年度のJ1の18チームの平均売り上げが30億円に達しない状況下で、日本のチームが世界のトップチームと互角の勝負をするためには、将来的に100億円を目指さなければならないというのだ。 

アメリカのプロスポーツから学ぶ

そこでマーケティングが重要な要素になってくるわけだが、アントラーズはすでにアメリカのプロスポーツチームのデジタル戦略を模倣して、国内で試行錯誤を繰り返してきた。Jリーグのチームで初めて、スタジアム内にハイスペックWi-Fiを導入し、インターネットの環境整備にも余念がない。

デジタル戦略を推し進めた成果として、ファンに関する様々な調査によってデータが蓄積され、新しいアイデアが次々と生まれているという。こういうアイデアを実行すれば、こういう結果が出るということが予想しやすくなったというのだ。仮に予想が外れて思わしくない結果が出れば、次回からやめればいいというわけだ。

マーケティングに労力を惜しまない

10年以上前にはスポンサーからチラシを配るように依頼され、その効果があるのか疑わしい中で多くの人員を使って配っていたが、デジタル戦略を駆使するようになってからは、逆にこちらからスポンサーに「デジタルクーポン」を配ろうと提案できるようになったという。データの裏付けがあるならばスポンサーは賛同してくれるし、コストが安いゆえに失敗しても次は成功しようと前向きに考えられるというのだ。

デジタル技術の進化が日進月歩で進み、マーケティングの結果に基づいて以前の数分の1のコストでビジネスができることは、アントラーズにとって売り上げを伸ばす原動力となっている。ただし、決してアナログの調査を軽視することなく、デジタルとアナログの両方の調査には、人手と時間を惜しまずにかけているということだ。

アントラーズは地方の経営の手本

私は、アントラーズのデジタル戦略は地方の会社経営にとってお手本になると思っている。人口の減少度合いが大きい地方で経営をすればするほど、デジタルを駆使しなければならないということ、マーケティングに労力と時間をかけなければならないということ、この2つの要素が重要であると考えている。

これまでの地方の会社経営では、とりわけ小売業では商圏で何事も考える傾向があったため、距離というものが絶対的に大事な尺度になっていた。ところが、デジタルを駆使すれば距離はあまり意識する必要がないことがわかってきた。地方の経営者に最も求められるのは、マーケティングの結果をもとに、顧客の興味を引きつけるアイデアや仕掛けを次々とつくっていくことなのだ。(経営アドバイザー)

※記事は鹿島アントラーズの鈴木秀樹取締役事業部長と対談した内容をまとめたものです。(下)は8月14日掲載予定

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《続・気軽にSOS》42 嘘をつくということ

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【コラム・浅井和幸】やることなすこと上手(うま)くいかず、空回りをする。どんどん余裕がなくなり悪循環をしていると、周りの人は器用に、ずるく、上手く生きているなと感じてしまうものです。

きっと人というものは、卑怯(ひきょう)な方法をとった方が、上手い生き方ができるんだ。だから、真面目で、一生懸命で、嘘(うそ)をつかない自分は、上手くかないと考えてしまうものです。

さて、この「正直に思ったことを言うと上手くいかない」とか「適当な嘘をついていた方が上手くいく」という考え方が、今回の主題です。

確かに、全てのことを正確に正直に話すことが、日常生活で求められることはありませんから、少々の嘘も、その嘘を受け流すことも必要になる場面は多々あります。

あまり親しくない相手から「今日は暑いですね」と言われた場面は、単なるあいさつ程度の意味しかありませんから、「この程度で暑いなんて言っていたら生きていけない」とか、「暑いと言って楽になれるわけないから、つまらない話をしてくるな」と思っても、それを言ったら、相手を怒らせ不快な気分にさせるだけです。

これは正直に思ったことを言ったから、相手を怒らせたわけではありませんよね。嘘をついても怒らせることはできます。「いやいや、寒いよ」と言って、相手がよい気分になるはずもありません。

嘘つきか正直かではなく、相手の話題に対する思い入れの程度の違いを無視するのか、コミュニケーションで埋めていくのかがカギになります。

目的に反する手段を選んでいる?

天気の話はさらっと流して、もっと話したい別の話を深めるのか、それとも、今日のところは、あまり会話をせずに別れるのかで対応は変わってくるでしょう。

また、思っていることを、即(そく)、全て言わないことが、嘘つきであるということではありませんよね。仕事の真面目な話をしているときに、部屋が暑いと感じたからといって「暑い」と言葉にする必要があるかどうかを考えてみると分かりやすいですね。このとき、「暑い」と口にするのが正直者だということではないはずです。

今回は、「嘘」という言葉で話をしてみました。しかし、上手くいっていないときに、何か自分に対する褒(ほ)め言葉が原因で上手くいかないのだという考えに陥っていたら、危険ですよということをお伝えしたかったのです。

「仕事ができるから、周りがねたんで悪口を言っている」とか、「自分が正しいことばかり言うから、周りが受け入れてくれない」とかですね。

あまりにも周りの人がボンクラで、上記なようなことが起こることも稀(まれ)にあるでしょう。しかし、ほとんどの場合は、別のことで、目的に反している手段を選んでいる可能性が高いものです。(精神保健福祉士)

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《ことばのおはなし》12 私のおはなし

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このコラムでは、言語について研究している私が、日々の生活の中でことばについて感じたことを徒然(つれづれ)なるままに書いてきたのだが、連載を担当させていただくきっかけとなったのは他でもない、私自身の“ことばを失う”という体験だった。

コラムニスト紹介のページにも書かれている通り、私は数年前、脳動静脈奇形(AVM)という先天性の脳内血管の奇形が原因で、脳出血を経験した。出血により影響を受けた脳の部位が偶然、言語と右半身の機能の一部を司(つかさど)っていたのだ。(正確には、私が失った言語機能は母語である日本語に限られたものであり、第2言語の機能は失われていなかった)

1年前、連載を始めるにあたり、まず私自身の経験を説明する必要があるとも考えたのだが、私はためらってしまった。なぜなら、ことばの無い世界をことばで語るというのは矛盾したことのように思えたからだ。そもそも、自分自身の経験とはいえ、説明するのが非常に難しい。

さらに、私は医療従事者ではない。言語研究者だ。この場は私個人のブログではなく、NEWSつくばという地域メディアのコラムであって、病気のことについて誤った情報を発信してしまう懸念もあった。

しかし、1年間連載を続けてみて、私が日々の生活の中で感じる、ことばについてのあれこれの背景にある経験を、改めてきちんと説明する必要を感じるに至ったのだ。

言語研究者の失語体験の記録

人の記憶などあてにならないものだが、幸い、私は毎日日記を書いており、失語状態から回復してすぐに、当時のことをすべて記録に残している。入院中の面談票などもすべて残しているので、できる限り私の記憶には頼らず、記録をもとに当時のことについて書こうと考えている。

これからここに記すおはなしは、家族も含め、まだ誰にも話したことのないおはなしだ。少し不安は残っているが、それでも私は物語ってみようと思う。ことばを失うということが、一体どういうことなのか。あのとき、私は何を見て、何を感じていたのか。

これは、言語研究者の失語体験の記録であり、私のおはなしだ。-次回に続く-(言語研究者)

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《光の図書館だより》21 高校生の祭典「学祭TSUCHIURA」開催

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学祭TSUCHIURA 2019ポスターの一部

【コラム・入沢弘子】土浦市立図書館は今日1日で開館540日。96万人をお迎えし、100万人達成までカウントダウンの日々です。当館の特徴のひとつに、来館者の半数近くが高校生であるということがあります。毎日、夕方になると高校生で埋め尽くされる館内。土浦は10の高校に9000人が在学する「高校生のまち」なのです。

この特徴をシティプロモーションに活かせないかと、昨年から開始したのが「学祭TSUCHIURA」。今年は各校から選出された企画検討委員22人が放課後に集まり、企画内容、日程、開催場所や広報ツールなどについて話し合い、記者発表もしました。

ポスターは、土浦在住のアーティスト・ふるやまなつみさんが高校生達の意見をすべて取り入れて仕上げてくれました。可愛らしいイラストに委員のみんなも大満足です。

新企画:模擬店とスタンプラリー

「学祭TSUCHIURA2019」は8月3日(土)、開催されます。企画検討委員の希望であった「中学生の進学先検討の時期での開催」「来場しやすい場所での開催」を反映。イベント内容は昨年好評の5企画(各学校の部活動披露、学校対抗のビブリオバトル、アート作品展示、学校紹介展示ブース、土浦の高校生活の楽しさを詠んだ俳句募集)が継続。

新企画は「来場者とのコミュニケーションをはかりたい」という希望から実施が決まった模擬店と、「各会場をすべて見てほしい」との思いからのスタンプラリーの2つです。

当イベント開催により、駅前が高校生で賑わい、土浦の高校を進学先に選ぶ小中学校生や保護者が増え、参加した高校生は土浦の楽しい思い出を胸に大人になり、いつの日か暮らす場所に土浦を選ぶ……という願いを込めた「学祭TSUCHIURA」。

土浦の高校生が一堂に会する機会、OB・OGのみなさんも後輩の活躍ぶりを見にいらしてください。(土浦市立図書館長・市民ギャラリー副館長・市広報マネージャー)

イベント名:「学祭TSUCHIURA」

  • 日時:2019年8月3日(土)10時~16時半
  • 会場:うらら大屋根広場、市民ラウンジ、アルカス土浦
  • 参加高校:土浦第一高等学校、土浦第二高等学校、土浦第三高等学校、土浦工業高等学校、土浦湖北高等学校、土浦特別支援学校、つくば国際大学高等学校、土浦日本大学高等学校、常総学院高等学校、土浦日本大学中等教育学校
  • 詳細は市ホームページに記載

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《令和楽学ラボ》2 茨大阿見キャンパスにフードイノベーション棟が完成

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茨城大学阿見キャンパスのフードイノベーション棟

【コラム・川上美智子】つくば市から15分ぐらいのところに茨城大学農学部のキャンパスがある。茨大は戦後の学制改革により発足し、今年創立70周年を迎えたが、農学部は他の学部に3年ほど遅れて県立農科大学を母体に開設された。そのキャンパスに、このほど新たに「フードイノベーション棟」が完成した。

地方の国立大学において、新棟建設のために文部科学省が補助金を承認することは極めて珍しいという。それは、茨大が取り組みを進めてきた教育改革を文科省が高く評価したからに他ならない。

農学部は2年前に将来を見据え、国際安全基準に準拠した食づくりの人材養成のため、食生命科学科(国際食産業科学コースとバイオサイエンスコース)と、地域総合農学科(農業科学コースと地域共生コース)の2学科4コース制への教育体制の改編を行った。それは、狭い農業から脱却し、世界に通用する農業・加工・流通・消費に至る新産業人材育成への転換を意図するものである。

その中で、新教育体制に欠かせない国際安全基準HACCP(危害要因分析重要管理点)準拠の実験研究棟が誕生したのである。また、隣接する農学部付属国際フィールド農学センターもGAP(農業生産工程管理)認証を受けて、国際農業への適合化を図った。

国内外や地域の知の拠点に

当方は、茨城キリスト教大学定年退職後、かつて非常勤講師を勤めていた茨大と再びご縁ができて、大学の経営評議会委員や農学部のアドバイザリーボードのメンバーとして、茨大の改革を評価・助言する立場となった。

そのため、たびたびキャンパスを訪問し、農学部の研究スタッフの層の厚さや、先進的な魅力ある旬の研究への取り組みなどを知ることとなり、この4月からは共同研究をやらせていただくこととなった。また、来年4月につくばの保育園が開園したら、園児たちに農学センターで野菜や芋の収穫をさせたいと思っている。

実際、茨大の教育システムの改革や未来を見据えた研究拠点づくりは凄(すさ)まじい勢いで進められていて、大きなパワーが感じられる。教職員や学生たちにも自信が漲(みなぎ)り、弾けて明るい。まさに茨大の叡智(えいち)が結集され、大輪が咲いたのである。

茨大と筑波大学の2つの国立大が切磋琢磨(せっさたくま)して、国内外や地域の知の拠点として一層、人材育成や地域発展に寄与することを期待している。(茨城キリスト教大学名誉教授)

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《制作ノート》9 不動院の本尊 不動三尊像を描く

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不動院の三尊像㊧と制作中の絵

【コラム・沼尻正芳】つくばみらい市の不動院については前にも書いた。そのときに紹介した三重塔の絵は不動院に奉納し、本堂の絵は市に寄贈することになった。今、不動院の本尊である不動三尊像を描いている。これらを不動院の三部作にしたいと思う。

本尊は国指定の重要文化財で、秘仏。年に3回の開帳がある。そのとき、本堂では護摩(ごま)が焚(た)かれる。本尊は本堂外陣から拝観するが、距離があり細部がはっきりと見えない。昨年12月、住職にお願いして本尊を特別に拝観させていただいた。

住職は「須弥壇(しゅみだん)に上がって本尊を拝観した檀家は初めてです」と話した。厨子(ずし)を開くと、抜群のスタイルの不動明王と2体のあどけない顔をした童子像が現れた。約1メートルの不動明王は右手に剣、左手に綱を持っている。迷いや邪悪な心を剣で断ち切り、悪い心を綱でしばり善い心を起こさせるという。

目も牙もむき出す忿怒(ふんぬ)の形相(ぎょうそう)だが、不動明王は大日如来の化身で慈悲の心を持ち、心を鬼にして人々に働きかけ人々を護る。約60センチの両脇侍(きょうじ)は衿喝羅(こんがら)童子と制吒迦(せいたか)童子で、意思を持つ少年の容姿をしている。

ヒノキ材、寄せ木造りの像で藤原時代彫刻の傑作である。3体とも細身、穏雅で上品な面相。体躯は腰をキュッとひねり、メリハリがある。衣文(えもん)の彫りは浅く、洗練されている。もとは彩色されていたが、焼け出されて剥落(はくらく)し、地肌をあらわにしている。この像は「日本の彫刻」地方別(美術出版社)にも見開きで紹介され、「小像ながら優秀な彫像として著名である」と記されている。

不動明王の火焔をどう表現するか

本尊の絵は、20号と50号を同時に描き、20号で試作して50号はそれを生かしながら描くことにした。初めて本尊に対面したときの感動、不動三尊への思いが絵のテーマである。三尊の特徴や存在感、光背(こうはい)を持たない不動明王の火焔(かえん)をどう表現したらよいのか。三尊は前後に配置して明暗を強調して描くことにした。火焔は実際にたき火をして構想を練ったが、思うようにいかなかった。くすんだ色で彩色した三尊と鮮やかな色の火焔が主従逆転のようでしっくりしなかった。

参考になるものを探していたころ、京都東寺の「空海と仏教曼荼羅」展を上野で開催していた。ヒントを求めて、東京国立博物館に足を運んだ。真言密教の国宝仏が並ぶ傍らに五大尊の大きな掛け軸があり、不動明王の光背に火焔の渦巻きが描かれていた。その渦巻きはやや図案的に感じられたが、これを応用できると思った。

家に帰り、三尊の背景全体に十数個の火焔の渦巻きを描いてみた。配置した渦巻きが画面全体をまとめ、三尊を一体化してくれる効果があるように思った。これで三尊像を何とか絵にできるかもしれない。

制作は現在進行中である。制作はいつも試行錯誤で、感覚も思考も常に一進一退だ。絵の表現は永遠の未完成のようである。絵の表現には完成がないのだろう。パーフェクトな表現がないならば、頃合いのよいところで筆を置くしかない。絵を描きながら、筆を置くタイミングを三尊像に聞いている。(画家)

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《茨城の創生を考える》9 経営者がアントラーズに学ぶべきこと(上)

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カシマスタジアムのアントラーズサポーター【撮影・池田充雄】

【コラム・中尾隆友】私は鹿島アントラーズが地方の会社経営(自営業も含む)のお手本になるとずっと考えてきた。経営の常識から判断すれば、茨城県の東端という人口の少ない地域で、Jリーグのトップリーグ(J1)で優勝争いをするクラブ運営ができているのは凄いことだからだ。

なぜ鹿島アントラーズは凄いのか

サッカー業界では以前から、クラブチームの商圏(マーケット)は半径30キロだといわれている。アントラーズの本拠地がある鹿嶋市は人口が6万7千人、半径30キロの同心円の半分は海(太平洋)と地理的にも厳しく、マーケットには78万人しか住んでいないのだ。

プロサッカー球団の経営をするためには、マーケットが最低100万人いないと成り立たないといわれている。たとえば、FC東京のマーケットには2300万人、浦和レッズには1700~1800万人が住んでいる。経済合理性から考えたらありえない状況のなかで、アントラーズが存続してきたこと自体が奇跡に近いというわけだ。

小さいマーケットで成功している秘訣

人口が少ない地域で成功を収めている秘訣は、マーケットの外から顧客を呼ぶことができているということだ。それは、最大の収入源であるカシマスタジアムの観客数の内訳を見れば一目瞭然だ。

カシマスタジアムの平均観客数は約2万人だが、実は半径30キロのマーケット内からの観客数は全体の25%を占めているに過ぎない。マーケット外の茨城県や北関東からの観客数が25%、東京23区などの首都圏からの観客数が50%というのが、アントラーズの顧客シェアになっているのだ。

勝ちへのこだわりとファンへの感謝

なぜ茨城県の東端にあるチームにわざわざ首都圏から半数もの観客が訪れるのかというと、それはアントラーズが常に優勝争いができる強いチームであるからだ。だからこそアントラーズは、徹底的に勝利にこだわって強いチームづくりを進めてきたというわけだ。

茨城のチームを応援するのは、東京のチームを応援するよりも時間と体力とお金を使う。そういう顧客に渋滞の中でも満足して帰ってもらえるようにと、アントラーズの選手全員に、勝ちへのこだわりとファンへ感謝の気持ちが浸透しているという。(経営アドバイザー)

※記事は鹿島アントラーズの鈴木秀樹取締役事業部長と対談した内容をまとめたものです。(中)は8月4日掲載予定

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《食う寝る宇宙》42 パソコンが故障 亡き愛犬のイタズラ?

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【コラム・玉置晋】先日、わが家の愛犬「のび太」が他界し、私と妻は悲しみに打ちひしがれております。2週間、ほぼ寝ずの看病で疲労困憊(ひろうこんぱい)。火葬が終わり、パソコンを開くと、‥‥ん? 青い。

僕が使っているパソコンはWindowsというオペレーティングシステム(OS)で動いています。このOSは深刻な問題が発生した場合、画面背景が青色になり、白文字で障害の診断状況などが示されます。私の顔面も青くなりました。

パソコンに、僕の全作業ファイル、研究データが保存されているからです。「NEWSつくば」のコラム原稿も含まれています。データのバックアップは毎月定期的にやっていますが、最後にやったのはひと月前。

疲労困憊の中、僕ができる対処はすべてやりました。本来ならば、静寂の中で「のび太」のことを想いながら眠りにつくはずが、別な意味で泣きながら一夜を明かしました。「のび太」め、よりによって、大事なパソコンを連れていきやがった!

翌日、お店に持っていったら、ハードディスク(データを記憶する部品)の障害と診断されました。戻ってくるのに1週間、部品交換とデータ復旧に約10万円かかりました。データが戻ってくれないと、本当にマズイの!

宇宙開発は官主導から民主導に

 わが家の近くにはパソコンの修理屋さんがあり、今回のようにレスキューをお願いすることができましたが、宇宙にいる人工衛星には修理に行けません。機器が壊れたらミッションはおしまい。

だから開発においては、放射線や熱の変化に強く、細かな宇宙ゴミがぶつかっても壊れないように頑丈(がんじょう)に作り、地上からは24時間体制で衛星運用者が張り付き、異常が発生していないか見守ります。とても、お金がかかってきました。おかげで、僕も人工衛星の運用という仕事でこの15年、ご飯を食べて来られました。

50年前の1969年7月、人類は月面に立ちました。米ソ冷戦下、米国が国家的威信をかけて実現させました。この50年、官需によって民間企業が宇宙機を開発し、それを国が運用してきましたが、すでにこういった関係は「オールド・スペース」時代と呼ばれています。

いま、宇宙ベンチャー企業が宇宙開発の主役になり、地球周辺の宇宙サービスは民間に委ねられています。月の開発も民間で行おうと、世界中でチャレンジが始まっています。「ニュー・スペース」時代の到来です。

さながら宇宙は、米国西部開拓時代のゴールドラッシュの様相。僕もアイデアと勇気を持って立ち向かわないとね。「のび太」よ、応援してくれ。(宇宙天気防災研究者)

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