《邑から日本を見る》44 根っこは深い、日韓関係

飯野農夫也氏の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】日替わりで入ってくる日韓両国の動きに目が離せない。「対韓輸出規制、不毛な報復合戦は避けよ」「日韓関係は『戦後最悪』に 収拾困難、歴史的転換点か」などの新聞の見出しが気になる。

先日、隣町の在日の韓国人から「先﨑さん、困っちゃうね。こんなに政府同士がけんかしているのは。とばっちりはわたしたち一般の人に来るのだから」。普通に生活していても、周りの人の目が気になると言うのだ。

今月15日に、水戸市で一橋大学名誉教授の田中宏さんの講演を聞いた。田中さんは「明治以降の日本の近代国家形成過程にアジア蔑視の姿勢が内在し、矛盾が表面化したアジア太平洋戦争の戦後処理が極めて不十分だったため、問題が長く残存した」と言っている。

田中さんは講演の最初に、1963年に登場した「伊藤博文」の千円札のことを持ち出した。韓国統監を務めた伊藤は1909年に朝鮮民族の怒りを買って、ハルビン駅頭で韓国の民族運動家・安重根によって射殺された。その人の肖像画を、それまでの聖徳太子に替えて持ち出す。しかも、日ごろから政府を手厳しく批判する知識人から投書欄に登場する庶民に至るまで、日本人は誰一人そのことを指摘しないでいた。無神経でいた。韓国の人の伊藤に対する恨みを私たちは考えなかったのか。韓国併合はその翌年の1910年に行われた。

日本は1945年にポツダム宣言を受諾し、51年に対日講和条約が結ばれたが、これには中国と韓国は除外されていた。日韓基本条約が結ばれたのは戦後20年経った1965年のことである。日朝間ではいまだに国交正常化はされていない。

歴史認識と人権感覚が違う

田中さんは指紋押捺制度や朝鮮学校への差別などいくつも事例をあげながら、日本人は未だに東南アジアなどの他の国の人と歴史認識(歴史に向かう姿勢)と人権感覚が違う、と言う。植民地とされた朝鮮では、異国の言葉を使うことを強制されただけでなく、名前まで変えさせられた。「半日本人」という言葉があったとか。

現在、日韓では従軍慰安婦問題や徴用工問題などいくつもの懸案を抱えている。日本政府は、公式には、植民地支配、戦争被害者の戦後補償裁判で一貫して「日韓基本条約と日韓請求権協約で解決済み」と主張してきた。しかしそれは国と国との関係であって、個人の請求権は消滅しない、と外務省の条約局長が国会で答弁している。

今月4日、日本政府は半導体材料の対韓輸出規制を強化した。それをめぐって、韓国の文大統領は15日、「朝鮮半島の平和に総力を挙げる韓国への重大な挑戦だ。(日本政府のやり方は)日本経済に大きな被害が及ぶことを警告しておく」と述べた。さらに、テレビでは韓国での日本製品不買運動のニュースが流されている。それに対して日本政府は「報復ではない」と反論し、互いに譲る気配はない。

私は一連の動きを見ていて、田中さんが言う歴史認識の違い、即ち日本側はかつて植民地だった韓国を蔑視し、下に見、韓国側はそれに反発するという深層心理が作用しているのではないか、と考えている。根っこは深い。こちらの首相かあちらの大統領が替わらなければこの事態は収拾しないのではないか。そう思えてならない。こんなことを書くと、秋田県知事のように「非国民」と言われてしまうのだろうか。(元瓜連町長)

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