【コラム・古家晴美】これまで2回にわたり、霞ケ浦の幸としてイサザアミとたん貝について紹介してきました。今回は、霞ケ浦の東西を挟むように南北に延びる稲敷台地と行方台地の夏祭りと小麦について触れてみたいと思います。

7月の後半になると、全国各地で祇園祭や天王祭りを始めとする夏祭りの幟(のぼり)が神社の境内に見受けられます。春祭りが作物の豊作への祈りをささげるのに対し、秋祭りはそれへの感謝を込めて行われます。一方、夏祭りは病虫害や風水害などの厄除けを主な目的としてきました。最近では、週末にイベント化した大規模な祭りが開催され、数十万人の人が集まることもまれではありません。

今でも地域に根差した祭りは多く見られます。この場合、神社で神主さんの祈祷(きとう)を受けた後、氏子などが神輿(みこし)や山車・鉾(ほこ)などを曳(ひ)いて集落を巡行します。夜は神輿を御仮屋(おかりや)に安置し、翌日、神社に戻し、日を跨(また)いだ形で祭りは挙行されています。

この夏祭りのころ、小麦は収穫期を迎えます。高度経済成長期以前、稲敷台地に位置する上町・下町(現牛久市)で小麦を栽培していた農家では、八坂神社の祇園祭を控え、子供にゆかたの1枚でも買ってやりたいと、小麦の現金収入を当てにしていました。そのため、祇園祭の前までに、小麦の収穫・脱穀・出荷をすませていたと言います。

また、親戚に配るために、赤飯以外にその年に穫(と)れたばかりの小麦を石臼で挽(ひ)いて製粉し、小麦まんじゅうを作る、うどんを打つなどしました。(『城中・新地、上町・下町の民俗』)

「ぜんびん団子」と「あんかけ団子」

一方、行方側の白浜(現行方市)でも、祇園祭の時に、各家庭で小麦のまんじゅうを作ったそうです。こちらは畑作が盛んな土地ではありませんでしたが、祇園祭用に自家用の小麦と小豆を栽培し、それを製粉し使いました。(『麻生町史』)

神輿が出ることもなかった浮島(現稲敷市)でも、祇園の時には必ず小麦だんごを供えたと言います。甘いこしあんの中に小麦だんごを落として茹(ゆ)でたぜんびん団子と醤油味の葛(くず)あんをかけたあんかけ団子の2種類を家庭で作って、夏のおやつとしても食べました。

現在、小麦の国内自給率は2017(平成29)年度が14パーセントとなっています。これは1960(昭和35)年度の39パーセント(『農水省食糧需給表』)と比べると、激減し、多くを輸入に頼っていることを示しています。

年間通じて小麦粉として店頭に並び、小麦の収穫期がいつか、などと意識することも少なくなってしまいましたが、夏祭りの機会に小麦についてご一緒に振り返ってみませんか。(筑波学院大学教授)

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