水曜日, 12月 25, 2024
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戦争を扱った2冊の本を読んで《ハチドリ暮らし》36

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写真は筆者

【コラム・山口京子】1日家にいて、新聞もテレビもラジオもインターネットも遮断すると、静かな空間ができます。自分の身の周りの静かさを実感しつつ、それでいて、自分を取り巻く社会がどうなっているのかに注意を向けないと、この暮らしも危うくなるのではと…。

新聞を読むにしても、関心がある記事は最後まで読みますが、そうでなければ見出しだけでスルーしています。そういう姿勢に、最近不安を感じるのです。関心がある記事だけ読んで、そうでない記事は読まないという態度は、いかがなものかと。

関心がなくても読まなくてはいけない記事があるはず…。そもそも自分の抱く関心がどういうものなのか、それはどうやって形成されたのか―自分に向き合って考えなければならないのではと。

消費者問題や家計管理などには関心がありますが、外交、政治、戦争などについては難しくて読み過ごしてしまうのが正直なところです。ですが、テレビや新聞ではウクライナやイスラエルの報道が目につきます。こんなむごいことが今の時代になぜ起こっているのか。

人間関係も国同士の関係も、一方が100%正しくて、他方が100%間違っているということはないでしょう。時事的なニュースだけでは、問題の歴史的背景や構造は分かりません。また、そのニュースの出所がどこなのかも注意が必要でしょう。

「世界から戦争がなくならない本当の理由」

なので、そういうときには図書館に行って関連する書籍を探します。2冊の本が目に留まりました。1冊は「世界から戦争がなくならない本当の理由」(祥伝社、池上彰)。もう1冊は「ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義」(大和書房、岡真理)です。

「世界から戦争が…」は、2015年、戦後70年の教訓を語るものとして出版されています。日本が戦後処理を人任せにしてきた結果を今も引きずっている、戦後日本の歪みが沖縄の基地問題に表れているのではないか、戦後日本の安全保障は米国に振り回されてきた―と。

そして、日本を「2度と戦争のできない国」にするために憲法9条を与えながら、自分たちの都合で「軍隊ではない軍隊」をつくらせ、さらには集団的自衛権の行使も可能にして「戦争のできる国」に戻そうとしている―と。そして米国が関与した戦争のあらましがつづられています。

「ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義」

昨年出版された「ガザとは何か…」では、主流メディアは、連日、ガザについて報じながら、その内容は事態の重大さに見合ったものもなければ、問題の核心を伝えるものではないと指摘しています。現在のメディアの姿勢を端的に説明しているように思いました。

ストックホルム国際平和研究所の2022年版(調査は2021年)によると、世界全体の軍事費は2兆2400億ドル(約300兆円)で、うち米国が約39%の8770億ドルを占めたということです。(消費生活アドバイザー)

裏金問題と自民党政権の調査《ひょうたんの眼》67

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アシビ(写真は筆者)

【コラム・高橋恵一】自民党安倍派の政治資金パーティーのキャッシュバックによる裏金づくり事件で、39人の国会議員が、自民党から処分を受けました。離党勧告が2人、党員資格停止が2人。対象議員86人のうち、47人が処分無しでした。

この事件は、自民党の派閥が、政治資金獲得のために開催するパーティーの収益の一部を現金で還元し、派閥側の支出記録も、各議員の収入記録も残さず、金の動きを隠す裏金を作ったらしい、というものです。

安倍派では、約20年前から行われていたようで、野党やマスコミが暴いたのでなく、神戸学院大の上脇博之教授の政治資金規正法違反容疑の告発で明らかにされました。

検察とは別に、政治不信に対応すべく、自民党・岸田政権も調査に乗り出したのですが、実態が明らかになりません。誰が主導した事件か? 裏金は何に使われたのか?―が明らかにされていません。

まず、何に使われたのかですが、何に使ったかの説明もせず、使途不明あるいは思い出せないということは、不法な買収とか供応、選挙違反となるような選挙運動の経費に使ったと判断せざるを得ないでしょう。手ぬぐい一本の配布や香典一つで責任を取り、議員辞職した例は数多くあります。

今回の事件は、不正とわかっていた裏金処理の確信犯です。金額の多寡にかかわらず、議員辞職すべきでしょう。

それよりも、誰が主導したかですが、裏金で最大の効果を得たのは、故安倍総理でしょう。安倍一強の体制は、配下の議員数の多さ以外の何物でもないでしょう。裏金の効果は絶大で、また違法性が高いという認識があったから還元を止めようとしたのでしょう。

止めていれば、今回の事件は、告発を受けることも無かったかもしれません。調査すべきは、還元再開後ではなく、20年前からの裏金と選挙・政治への影響です。

賢明な国民に期待

旧統一教会問題も、中途半端な教会と議員の表面的な関係だけの調査で、今後関係を断つという裏付けの無い結末でお茶を濁してしまいました。本来は、安倍政権が教会との癒着の中で、選挙協力をいかに得ていたを調査すべきでしょう。国政だけでなく地方議会も、「政策協定」により、ジェンダーフリーの否定、家父長制的な政策提言が多くの地方議会で議決されているのです。

岸政権の調査は、まさに政治家が説明責任を果たさせず、いずれも本質に踏み込んでいません。

極言すれば、裏金問題といい、旧統一教会問題といい、本来であれば、議員の資格の無い者の多数で、政権与党が成り立っていたことになります。この間、大企業や外国資本に有利な経済財政運営がなされ、慢性的な低賃金と非正規雇用が続き、格差社会が拡大し、一方で、分不相応な軍事「費」大国がつくられようとしています。

最悪の安倍政治が、終焉どころか、増長しているように見えます。まっとうな政治家と、まっとうなマスメディアと、賢明な国民に期待するだけです。(地歴好きな土浦人)

裁判所は水俣病患者を救済しないのか《邑から日本を見る》157

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不知火海。写真は筆者提供

【コラム・先﨑千尋】いつものように3月下旬には水俣から甘夏が届く。「他人に毒を盛られた者は他人に毒を盛らない」。50年近く前、海で魚を取れなくなった水俣病の患者たちは、そういう思いで陸に上がって甘夏を作り続けてきた。その甘夏を口に入れる。甘酸っぱい果汁が口の中いっぱいに広がる。何度も通った水俣のミカン畑に思いをはせる。

そんな折、ショッキングなニュースが届いた。先月22日に、熊本地裁は水俣病患者の訴えを退ける判決を下した。この裁判は、2009年施行の水俣病被害者救済特別措置法(特措法)に基づく救済策の対象外となった144人が、国と熊本県、原因企業のチッソに損害賠償を求めていたもの。同様の裁判で、原告全員を救済した昨年9月の大阪地裁判決とは大きく異なる判決となった。

原告側は、チッソ水俣工場から不知火海(しらぬいかい)に排出されたメチル水銀を、魚介類を通じて摂取したことによる水俣病だと主張。大阪地裁は原告側が訴える手足の感覚障害の原因を検討し、「水俣病以外の原因では症状を説明できない」として法律の線引きを一蹴し、原告全員を水俣病患者だと結論づけた。

しかし今回の熊本地裁判決では、疫学調査の結果や地元医師の診断書の信用性を疑問視し、25人のみを水俣病と認めた。そして、不法行為から20年経つと損害賠償請求権が消滅すると定める民法の「除斥期間」の起算点について、水俣病を発症した時期(大阪地裁は水俣病と診断された時点)とした。

このため、熊本地裁は水俣病と認めたものの、全員が発症から20年以上経過しているという民法の規定を適用し、賠償請求は棄却された。

環境省は特措法を遵守せよ

水俣病が公害病として認定されたのは1968年。しかし、いまだに被害の全体像がつかめず、国による救済策の対象外となった人たちは、これまで繰り返し司法に訴えてきた。特措法では居住地や出生年で線引きがあり、救済を受けられないまま取り残された人たちは裁判に訴えざるを得なかった。

そして、不知火海沿岸に住んでいた人の健康調査を速やかに行うと定めた法施行から15年経っても、実施のめどが立っていない。

私は、同じ趣旨の裁判なのにどうして裁判官によって結論が違うのかを考えてみた。判決文を書く基準の民法も特措法も同一だ。特措法の狙いは「あたう限りすべて救済する」だ。それなのに結論は真逆。裁判官の解釈によって結論が違うのだ。原告の1人は、判決後に「予想外の結果だ。頭が真っ白になった」と語っている。一方、環境省の担当者は「勝った」と話していると新聞は伝える。

なるほど、国は「勝った」。しかしその国とは何なんだ。森友事件に巻き込まれて自死した赤木俊夫さんは常に「私の雇用主は日本国民。その国民のために仕事ができる国家公務員に誇りを持っている」と話していたと聞く。裁判官も環境省の役人も、本来、国民のために仕事をするのが務めのはずだ。

水俣病の患者たちは法に触れることはしていない。チッソがまき散らした有機水銀を摂取した魚を食べ、身体がおかしくなった。その人たちをあたう限り救うために特措法ができたはずなのに、健康調査を15年もほったらかしにしている。それを裁判官も環境省の役人も認めず、環境省の役人は罰せられない。おかしいではないか。(元瓜連町長)

「… in 宇部」後記① 指輪と魚の話 【続・平熱日記】155

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【コラム・斉藤裕之】その日は春の嵐。3月も後半に入ろうというのに、山口県の山あいにある弟の家の窓の外は横殴りの雪。そんな中、空路東京からわざわざ個展会場にやって来てくれたのは教え子のF君(コラム150に登場)。

「海を見たいですね、瀬戸内海を!」。彼のリクエストに応えて車を走らせること20分。海岸線が見え始めると、そうだ!マヨねえから借りた山下達郎のCDをかける。男2人のライドオンタイム。しかしながら、車から出た私たちを待っていたのは強烈な寒風。

遠くに九州の国東半島を望みながら、瀬戸内海を背景にスナップ写真を1枚撮って、そそくさと車に戻った。「おー寒い~」

ケンブツジャコ

個展会場に戻って作品を見終わったF君は「色の違う指輪」(コラム150に掲載)という作品をご所望だという。え?でもこれは私と亡き妻の指輪を描いたものだけど。当時私の指には金色の指輪が似合わず、結果的に同じデザインで妻はゴールド、私はプラチナという、色の違う指輪にしたのを昨年描いたものだ。そんな他人の指輪の絵をなぜ欲しがる?

「実は僕らの指輪もそうなんですよ」「え?」。彼の薬指のプラチナ色の指輪の一部分はゴールドで、奥様のはその逆だという。もちろん私はそんなことなど知らずに、彼の結婚式の話をコラム150に書いて指輪の絵を添えたわけだが、偶然とはいえF君にとっては何か因縁めいたものを感じたのかもしれない。

それにしても、わざわざ山口まで来てくれたF君にはおいしい魚ぐらいはご馳走してやりたい。ということで、ギャラリーオーナーの涼子さんにお勧めの店を聞くと「ケンブツジャコって食べたことある?」。

この宇部あたりでしか食べないというケンブツジャコ(テンジクダイ)という金魚ぐらいの大きさの小魚(私は偶然昨年この魚を食べる機会があった。頭は固いので落として、カラ揚げに)を食べさせる店があるというので行ってみることに。残念ながら、その日はこの珍味をお目にかかれなかったが、それでもおいしい瀬戸内の魚をたらふく食べてF君も満足して東京に帰って行った。

イリコ

余談だが、宇部近辺ではケンブツジャコと共に「レンチョウ」いわゆる舌平目をよく食べる習慣があって、宇部のソウルフードなどと呼ばれているらしい。同じ県内、瀬戸内海でも、その土地、土地で食習慣が違うんだなあ。

また、山口の魚は冬の間ひとりでずっと鍋を食べ続けた私にとっても、春を告げる御馳走(ごちそう)となった。今回も、アジ、メバル、のどぐろ、フグ、いか、かわはぎ、さざえ、ウニ、セグロイワシ、サヨリなど(ほとんどは義妹の手料理によるもの)、それから島の岸壁で獲ったナマコも食べた。

そうそう、魚といえば昔「いりこ」というあだ名だったという方がイリコの絵を買っていった(詳細は次回に)。

帰りの高速では、何とも美しい富士山が現れたが首都高手前から壮絶な渋滞に巻き込まれて辟易(へきえき)した。半月ぶりの茨城は季節が止まっていたかのように木々が寒々しい。それでも日差しは春のもので、パクはいつもの散歩道を懐かしそうに楽しんでいた。(画家)

阿見町の「たけのこ料理」フェア《日本一の湖のほとりにある街の話》22

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イラストは筆者

【コラム・若田部哲】茨城県の阿見町は、総面積に対する竹林の面積が県内トップクラス。農林水産省が行っている農業状況調査の指標「農林業センサス」の直近のデータでは、同町の竹林の面積は102.4ヘクタールで、町総面積に対する割合は1.43%。県内44市町村の平均は0.39%であり、他市町村の約3.6倍の割合となっています。

このため、県内でも春のたけのこ生産が盛んであり、地元の直売所には季節になると新鮮なたけのこが並びます。さらに毎年4月には、たけのこ料理フェア「たけのこほっぺ」を開催。今回はこのイベントについて、同町商工観光課の井手さんにお話を伺いました。

農家の協力で「たけのこ」掘り体験

今回で12回目となる「たけのこほっぺ」では、町内6店舗の飲食店が、特産のタケノコを用いたメニューを提供しています。たけのこご飯や青椒肉絲(チンジャオロース)、てんぷらなど、お店ごとに工夫を凝らしたメニューはどれも美味!

また、同イベントで毎回好評なのが、たけのこ農家さんのご協力による「たけのこ掘り体験」。今回3カ所の竹林での開催が予定されているこの体験イベントは、毎年訪れる熱心なリピーターもおられるそうです。

お子さん連れや、都心からのお客さんも多いというたけのこ掘りの魅力を井手さんに伺うと「整備された竹林の中を歩く非日常的なさわやかさと、宝探し的なワクワク感に魅力を感じていただいているようです」とのこと。

整備された竹林は、目で鮮やかな緑を楽しめ、足裏で積もる葉の感触を楽しめる、とてもさわやかな体験です。また、良いたけのこは地面からまだ出ておらず、わずかに地面が隆起しているのを、上に積もった葉が少し浮いているのを足で踏んで探すのがポイントで、この点が宝探し的でとても面白いそうです。

採りたて「たけのこ」刺身は美味

採りたてのごく新鮮なたけのこは、アク抜きをせず刺身で食べることも可能で、これも自分で収穫してこそのお楽しみ。また、質の良いものの見分け方として、芽の部分が緑になっておらず黄色いものを選ぶと、柔らかくておいしいそうです。

今年のフェアは4月6日から30日まで。産地ならではの新鮮な味わいと、五感で楽しめるさわやかな行楽・たけのこ掘りを、ぜひお楽しみください。(土浦市職員)

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

→これまで紹介した場所はこちら

建つか?筑波大恩師の銅像《看取り医者は見た!》16

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具志堅用高さんの像(左)と油屋熊八さんの像

【コラム・平野国美】数年前に北海道のある街に出掛けた時のこと。地元の方との話の中で我が恩師の地元が確かここだと思い出し、名前を挙げてみると、「おお、YZ先生のお知り合いですか?」と、相手が身を乗り出してきました。

先生は筑波大学時代の担任で、留年を繰り返した私は、何度も天久保の寿司屋で説教と励ましを受けました。恐れ多くて、知り合いなどとは言えません。その後、先生は母校の東京医科歯科大学に転籍され、トップに登り詰めました。医学界では伝説の方です。

先生の業績で理解しやすいものは、東京工業大学と東京医科歯科大学統合(2024年10月発足)の地ならしがあります。20年以上前、ある空港でお会いしたとき、2大学だけでなく、4大学連合(東京医科歯科大、東京外国語大、東京工業大、一橋大)を唱えておられました。各大学の人材や単位の流動性を図るのだと。

銅像は街の歴史を刻む

地元の方は「立ち消えになりましたが、駅前に先生の銅像を建てようという計画案があったのです」と言っていました。この話を聞き、駅前広場に青空を指差して立つ先生のブロンズ像を想像しました。見た目は、俳優の國村隼さんと「こち亀」の両さんを足して二で割ったような感じです。

学生時代、なぜ東京医科歯科大を目指したのか、先生に聞いたことがあります。「俺、田舎が比布でよ。子供の頃に地元代議士の息子がよ、東京の大学に合格してよ。入学するとき、なまら、わんさの人が駅のホームに集まってよ。札幌に向かう電車に向かって、万歳三唱したの見てよ。俺も、いつか東京に行かなきゃって思ったわけよ。だから、冠(かんむり)に東京って書いてある大学を狙ったわけ」と、話されていました。

地元の人が言う駅前が、比布町なのか旭川市なのか分かりませんが、いつか銅像が実現してほしいものです。もう先生は80代に入り、穏やかな日々を過ごされていると思います。空港で最後にお会いしたときの言葉は「今からハーバードに行ってくる」でした。

銅像は芸術的な意味もあると思いますが、街の歴史を刻むものもあります。私が見てみたいのはロッキー・バルボア像(フィラデルフィア)です。今回の写真の右は別府駅前の別府観光の生みの親、油屋熊八さんの像、そして左の写真は石垣港にある具志堅用高さんの銅像です。(訪問診療医師)

医療通訳養成学校の卒業試験《医療通訳のつぶやき》7

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写真は筆者

【コラム・松永悠】3月末に私が講師を務める医療通訳養成学校の卒業試験がありました。筆記試験にロールプレイ、両方とも良い点数を取らないと合格できません。医療通訳は、通訳という職業の中でニッチな存在でありながら、一番難しいとも言われています。

毎年、うちの学校にたくさんの受講生が入ってきます。勉強のきっかけはいろいろですが、皆さんに共通しているのは、医療知識を学んで、通訳テクニックを身につけて、医療現場で人助けをしたいという気持ちです。

しかし一方で、現実はかなり厳しいものです。私は長年講師を務め、一貫して「数より質」という考えで受講生を見てきました。熱意があるのは大変素晴らしいことですが、医療通訳になれるかどうか、条件があります。さあ、それはなんだと思いますか。

語学力と黒子意識

「医療」の専門知識はもちろん必須ですが、これは努力すれば大抵クリアできます。ある意味、一番楽な部分とも言えます。私が考える大変な部分は二つあります。

一つ目、語学力です。日本語/中国語ができるから通訳できるとは限りません。受講生は全員、大きな支障もなく日常生活できる人たちです。しかし、母国語じゃない方の言語に変えた途端、語彙(ごい)が足りないとか、細かい文法の間違いとか、様々な問題点が現れてきます。これらは、長年の癖だったり、勉強不足だったりするので、簡単に直すことも、上達することも難しいです。

このレベルだと仮に最後なんとか意思疎通できたとしても、聞き手がとても疲れてきます。ただでさえ忙しい病院の外来で、こんな通訳に耐えられる医師はほとんどいません。特に文法のミスが多いと、一体何を言いたいのか分からなくなるので、医師の苛立ちは容易に想像できます。

つまり、医療通訳になるには、まず「きちんとした」語学力が必須です。「通じればいい」は、病院では通用しません。残念ながら、受講生の半分くらいはこのレベルに達していないのが現状です。

二つ目、黒子意識です。よく通訳のことを「黒子」に例えます。自己意識を抹消(まっしょう)して、相手の口になることに徹する必要があります。分かりきっていることでも、代わりに答えたり、勝手に話の内容を変えたりしてはいけないのです。我々の世界では「内容を変えない、足さない、減らさない」が鉄則です。

原石を見つけ磨き送り出す

これがいかに難しいことか、卒業試験のロールプレイを見れば良くわかります。どう訳したらいいか分からないとき、数秒間沈黙して考えるのは実は問題ありません。しかし、何かを話さなきゃと焦りだす受講生が必ず出てきます。すると、一部の方がセリフの元々の意味を大きく曲げて訳してしまいます。

この悪い癖をしっかり認識して、意識的に取り除かないと、医療現場でとんでもないミスにつながります。しかし、これもなかなか抜けられないものです。

医療通訳の難しさについて、少しばかり理解していただけましたでしょうか? 講師の仕事は、原石を見つけ、磨き、現場に送り出すということです。4月から新クラスが始まります。さあ、今度どんな受講生と出会えるのでしょうか。(医療通訳)

<参考> 医療通訳の相談は松永rencongkuan@icloud.comまで。

「言った、言わない」の押し問答《続・気軽にSOS》148

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【コラム・浅井和幸】いつも話が食い違う2人がいます。同意したはずなのに、そのときになってみると、「言った、言わない」の押し問答になってしまいます。何がこの食い違いを生んでいるのでしょうか?

人は記憶違いをすることもありますから、この2人の会話や考え方を具体的に追う必要があります。

あるときは抽象的な言葉が原因です。「次のテストを頑張ったらゲームを買ってあげる」という約束があった場合、この「テストを頑張ったら」の捉え方が「テスト点数が上位に入ったら」と「テスト勉強を頑張ったら」とに違ってくるでしょう。

あるときは主語が抜けていることが原因かもしれません。日本語は主語を抜いて話をする特性を持っています。「今日は雨が降るかもしれないので、屋外に出してあるものを片付けてから外出しよう」「うん、わかった」。さて、誰が片づけをするのでしょう?

言葉の定義が全ての人に共通でない

「次のイベントで収支がマイナスだったら、来年度からイベントは中止しよう」。さて、どの範囲の収支を指しているのでしょうか。イベント出店の一つ一つを指しているのか、それとも全体なのか? 中止にするのはイベント全体なのか、それとも出店一つ一つなのか?

「ゴールポストを動かす」という言葉もありますが、言葉の定義とか概念が全ての人が共通であるとは言い切れません。同じ日本語ではありますが、違うものを指していることもあるのです。違うことである可能性も探ることは、「言った、言わない」を避けるためにも必要なことなのです。

約束の食い違いが多いと感じるときは、相手に悪意があるかどうかを探るよりも、それぞれが同じ言葉だけれど、別の約束をしていたのではと捉え直すと解決するかもしれませんよ。(精神保健福祉士)

バイデン氏は勝てるか? 米大統領選(4)《雑記帳》58

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ルピナスの花(筆者撮影)

【コラム・瀧田薫】2024年11月の米大統領選挙は、前回に続いて、バイデンとトランプ両氏の対決となった。選挙までまだ半年余りあるが、現時点での各種世論調査結果や投票行動分析の専門家の見方では、トランプ氏の優勢を伝えるものが多数を占めており、選挙はトランプ勝利で決まりといった気の早いご託宣を下す向きもある。

前々回の大統領選(トランプ対ヒラリー・クリントン)では、事前調査の数字はクリントン氏の圧倒的優勢を示していたのだが、結果は「まさかのトランプ」勝利であった。この番狂わせで、選挙予測の専門家や世論調査そのものへの信頼感は大きく損なわれた。

近年、若者を中心に無党派層が増えており、これが世論調査の精度を狂わせる最大の要因となっている。無党派層の動向は極めて流動的で、極端な場合、1カ月いや1週間で潮目が変わることもあり、定点観測たる世論調査の網ではすくい上げにくいのである。

今回の大統領選でも、民主、共和両党の支持者に対するグリップ力の衰えとも相まって、無党派層が勝敗を分ける鍵になると見られている。

A・リクトマン教授の選挙予測理論

世論調査の信頼度が落ち込むと、それに代わる方法が試される。アメリカン大の歴史学者、アラン・リクトマン教授が考案した選挙結果予測理論は、有権者の意識ではなく現職大統領とその政権与党の強さ(支持率)と政策実績を分析対象とする。この理論によって、彼は1984年以降の10回の大統領選のうち9回で勝者を正しく予測してきた(毎日新聞「驚異の的中率を誇る教授に聞く」2023年12月23日付)。

この理論の具体的な方法は、「ホワイトハウスへの鍵」と呼ぶ13の指標を取り出し、その指標ごとに現職大統領と政権与党を査定し、成果が上がったかあるいはライバルに優っている指標については〇を、成果が上がっていないかライバルよりも劣っている指標については✕をつける。

最後に〇の数を数え、13指標中8以上で〇がつけば、現職の再選もしくは政権与党の指名候補者が大統領選に勝利すると判定される。なお、ラクトマン氏は今回の選挙の分析をすでに実施している。

ラクトマン理論が成果をあげた理由は、13の指標を選び出す困難かつ長期にわたる試行錯誤に彼が耐えたこと、さらに13の指標が精妙なバランスを保ってお互いを支え合うように工夫し、それに成功したことにあると思う。ただし、この理論にも欠点がないわけではない。理論に従って予測がされても、その賞味期限は意外に短いということだ。

バイデン氏にまだチャンスあり

そう言っては身も蓋(ふた)もないが、昨年12月時点でのラックマン教授の判定はすでに期限が切れている。今後、適当な時期に彼が再判定を下すのを待つか、13の指標に沿って自分自身で判定を下すこともできる。筆者の最近の判定では、バイデン氏にまだチャンスはあると出た。具体的には、残り半年、経済面(インフレへの対処、財政赤字への対処)で実績を上げることが重要な条件となる。(茨城キリスト教大学名誉教授)

土浦博物館の展示に誤り? 歴史論争が再燃《吾妻カガミ》180

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土浦市立博物館

【コラム・坂本栄】つくば市小田に拠を構えた小田家の祖、八田友家をメーンに扱った土浦市立博物館の展示内容に誤りがあると、土浦在住の高橋恵一氏が指摘してから2年が経ちます。この間、博物館が疑問にきちんと答えていないことに怒り、高橋氏はコラム66で「八田友家の『筑後氏』名乗り説は誤り」(3月20日掲載)と、再び博物館に論争を挑みました。

鎌倉殿の13人の1人、友家

博物館は、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(22年1月9日~12月18日)の放映に合わせ、特別展「八田友家と名門常陸小田氏―鎌倉殿御家人に始まる武家の歴史―」(同3月19日~5月8日)を開催しました。

この企画について博物館は「約600年にわたる時間軸の中で、友家から始まる15代の当主、さらにはその系譜をたどったものです。これほどの長きにわたり、滅びることなく土浦・つくば地域を支配し続けることは容易ではありません。さらに展覧会では関東の名門武家として認識されていくさまも紹介しています」と解説していました。

鎌倉殿(鎌倉幕府初代将軍・源頼朝)が家臣13人をどうコントロールするのか? それを脚本家・三谷幸喜氏がどういったストーリーで見せるのか? こういった興味を持ち、「鎌倉殿の13人」には毎回チャンネルを合わせましたが、13人の1人、友家を祖とする小田氏15代を扱った特別展はうっかり見逃しました。

博物館は「筑後」を誤解釈?

ということで、私にはこの論争の中味について論評する資格はありません。それに、鎌倉時代の歴史については高校教科書のレベルです。しかし、高橋氏が博物館に提出した要請文「小田氏の始祖・八田友家の苗字変更説の訂正を求める」(3月13日付)を読み、これは見過ごせないと思いました。

高橋氏の論点(中世史学者・糸賀茂男館長が率いる博物館の展示内容への疑問)を私の貧しい読解力でまとめると、以下のように超要約できます。

博物館は八田友家の官職名「筑後」を苗字(博物館の言い方は名乗り)と解釈、つまり鎌倉幕府の歴史書・吾妻鏡を誤読し、苗字が「小田」でなく「筑後」だったとする誤解釈を基に、初代友家から3代泰知までは小田に本拠を置いていなかったとの説を展開。こういった誤解釈によって、小田氏初期の歴史が歪曲されている。

市民は博物館の展示を信用!

高橋氏が最初に疑問を呈したのは、コラム47「…土浦市展示に事実誤認あり」(2022年4月20日掲載)でした。これに対し、博物館は寄稿「『…事実誤認あり』に応える」(同4月27日掲載)で反論しましたが、説得力に欠けるものでした。

冒頭リンクを張ったコラム66によると、誤解釈は博物館の展示にとどまらず、糸賀氏が執筆に関わった県内の市町村史でも展開されているそうです。高橋氏はこういった誤りの広がりを憂慮、「自治体の刊行物、博物館の展示内容は、市民が最も信頼する情報です。… 訂正すべきでしょう」と述べています。

糸賀氏の学説が誤りだとすれば、博物館はその説を広げる場として利用されたことになり、市営文化施設の在り方としては何か変です。(経済ジャーナリスト)

<注> 青字の日付をクリックすると、そのコラム・記事・資料が読めます。

関東大震災クラスの大震災にそなえて《くずかごの唄》137

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】関東大震災から100年。再び、関東地方に同じような規模の震災が起こるのではないかと、私はびくびくしている。

関東大震災。1923年(大正12年)9月1日のお昼時、どこの家でも炭や薪(まき)でご飯を炊いていた時だった。倒れた木造の家から発火、町の中2~3か所に火の手が上がったという。

私の母は妊娠中。大きなお腹を抱えて、父と姑(しゅうとめ)3人で新富町の家から皇居前広場に逃げた。途中、銀座通りを横切る時、火の玉が勢いよく飛んできて、危うく火まみれになるところだったという。

皇居前広場で3日間野宿。当時、朝鮮の人に対する差別があって、「朝鮮人が井戸に毒を入れたから水は飲んではいけない」と言われ、飲ませてもらえなかったのがつらかったという。その後、母は芝公園で出産し、私の兄、加藤尚文が生まれた。兄の戸籍謄本には出生地「芝公園」と記入されていた。

母の実家の母親(私の祖母)も震災後に亡くなり、6人の弟たちの面倒も見なければならず、母は心身ともに極限に陥り、震災後10年間、子供をつくることができなかったようだ。

当時、焼け野原の都心から、阿佐ヶ谷、荻窪方面に移住する家族が多かった。我が家も、荻窪のノラクロ漫画の作者・田河水泡(たがわ すいほう)さんのお隣りに住み、私はそこで生まれた。

私が言葉を覚え始めた頃、母から震災の恐怖を何十回となく聞かされて育った。10年目に生まれた娘に、その時に体験した恐ろしさを語ることで、やっと母は自分を取り戻すことができたのではないかと思う。

いざという時は雨水を利用

今年の能登半島地震も、飲料水など生活用水で苦労している。100年前の関東大震災と変わらないのではないかと思う。

近くの池の水、川の水、昔使っていた井戸の水。身近にある水の水質を、今は簡単に調査できる器具がたくさんある。調査しておけば、「いざという時に」何かと便利なのではないかと思う。

雨水の積極的利用も有効。昨年、土浦の自然を守る会のどんぐり山を見に来てくれた村瀬誠氏(薬学博士)は、地面にヒ素が含まれていて井戸水が使えないバングラディシュでは、雨水利用を積極的に実行していると話している。

関東地方にあり過ぎるマンションの屋上にちょっとした細工をすれば、災害時に備えての雨水利用が有効に働くと思う。(随筆家、薬剤師)

「保幼小連携」の推進を考える《令和楽学ラボ》28

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5歳児と小1年生の交流。写真は筆者提供

【コラム・川上美智子】保育園や幼稚園の5歳児と小学校1年生の間には大きな学びのギャップがあると言われ、そのギャップを埋めるため、幼児のアプローチカリキュラムと小学校1年生のスタートカリキュラムが始まり8年が過ぎました。この間に、新型コロナウイルスの流行などで中断を余儀なくさせられましたが、つくば市内では5歳児と小学校1年生の年2回程度の交流が始まっています。

本園の場合は、園児が香取台小学校を訪問し、1回目は小学生が制作した工作物を使ってお店屋さんごっこ遊びの体験交流をしました。2回目の訪問では、小学1年生がこの1年で勉強した科目ごとの学びを保育園児に紹介してくれました。

どちらの訪問も、園児にとって初めての小学校体験とあって、保育園で見せる幼い顔とは異なり緊張した面持ちで45分間をビシッと過ごし、1歳違いのお兄さん、お姉さんの立派な姿を前にして頑張りを見せてくれました。たった2回の交流でしたが、園児にとっては小学校のイメージをつかむ大事な機会となり、4月の入学を楽しみにしています。

ところで、8年前の幼保小連携のスタート時には、茨城県教育委員として県内のモデルとなる小学校をいくつか視察し、小学校入学時に求められる学習レベルの高さに驚かされました。

ゆとり教育の時代には、自分の名前が読めればOKと言われていたのに、現在ではひらがなの読み書きや数の理解など高度な力が求められます。幼児期は「学びの芽生え」として、「遊びを通して学ぶ」が強調されてきましたが、得手不得手もあり、遊びを通して自然に学ぶだけでは限界があるように思われます。ワークなどを使った系統的学び無しには、どうしても漏れが出てしまいます。

5歳~小1は人格形成の架け橋期

園では、3歳児から少しずつ楽しく学びを進めるカリキュラムを組み、年齢に合ったワークを活用してきました。また、興味・関心の幅を広げ、自ら主体的に取り組む何かを見つけるため、体操、リトミック、ヒップホップ、英会話、ピアノなどが学べる環境も整えてきました。

国が早期教育の重要性を認識し、保育園を幼稚園と同じ教育施設として位置づけ、「保育所保育指針」を改訂して就学前教育をスタートさせた2018年、各園には小学校へつながる学びの連続性を意図した「全体的な計画」の策定が義務づけられました。さらに国や県は「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」を提示し、年間保育計画を立てるよう求めました。

しかし、現場はまだ手探り状態で、指導者である保育士もこの大きな改革を十分理解はできていません。そのような中、さらに文科省は昨年「学びや生活の基盤をつくる幼児教育と小学校教育の接続について~幼保小の協働による架け橋期の教育の充実~」を公表しました。

それによれば、幼児期の教育は生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものであり、5歳児から小学校1年生の2年間を「架け橋期」と称して、0歳から18歳までの学びの連続性に配慮しつつ「架け橋期」の教育の充実を図るよう求めました。

その重要性を理解しつつも、保育園も小学校も、現場が忙しい中でこれ以上推進を図ることの難しさを感じているのが現実ではないかと思います。私自身はこの3月末で園を去りますが、つくばに蒔(ま)いた種を、現場がしっかり引き継いでくれるよう期待しています。(茨城キリスト教大学名誉教授、みらいのもり保育園園長)

春の陽気に誘われて《短いおはなし》25

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】
ずっと部屋に籠(こも)っていたけれど、いい陽気になってきたから家を出た。
コロナも5類になったし、食料もなくなってきた。
ずっと引き籠ってもいられない。
まだ少し肌寒かったので、パーカーのフードを目深に被(かぶ)った。
マスクもまだ外せない。

住宅街を歩いていると、庭先の芝桜がきれいな家を見つけた。
淡いピンクが一面に広がって、なんて美しい。
可愛(かわい)いな。春だな。
思わず見とれていたら、垣根のあいだから家主が現れた。

「何か御用ですか?」

「あっ、いや、芝桜がきれいだったもので」

家主が睨(にら)むので、俺はそそくさとその場を後にした。
世知辛い世の中だ。うっかり他人の家も覗(のぞ)けない。

公園に行った。公園の花なら、いくら見ても文句は言われない。
チューリップが見事だ。
近くの幼稚園児が集団で遊びに来ている。

「お花、きれいだね」

近くにいた子に話しかけると、すかさず先生が飛んできた。

「さあ、園に帰りますよ」と、さらうように園児を連れて行った。
世知辛い世の中だ。子どもに話しかけただけなのに。

せっかくだから写真でも撮ろう。
俺はスマホを取り出して、チューリップの写真を撮った。
すると、向かい側にいた若い女がチューリップを跨(また)いでやってきた。

「ちょっと、今撮りましたよね」

「ああ、花の写真を撮ったが」

「私のこと、撮りましたよね。盗撮ですよね」

「いや、たまたまあなたが入ってしまっただけで、撮ったわけでは…」

「消してください。今すぐ消して」

「分かったよ。消すよ」

せっかくきれいに撮れたチューリップの写真を消した。
世知辛い世の中だ。写真を撮っただけなのに。

なぜだろう。蜘蛛(くも)の子を散らしたように、みんな公園を出て行った。
別にいい。逆にせいせいする。
誰もいなくなった公園のベンチに座った。

日差しが暖かいので、フードを取った。
そうか。このフードとマスクとサングラスのせいだ。
すっかり不審者扱いされてしまったのだ。
何だ、そうか。
俺は、マスクとサングラスをポケットにしまって立ち上がった。

「ちょっとすみません」

男が話しかけてきた。
ほら、フードとマスクとサングラスを取ったら、さっそく話しかけられた。
人恋しかった俺は、にこやかに振り向いた。

「はい、何でしょう」

立っていたのは警察官だった。
警察官は俺の名前を呼んで、強い力で腕をつかんだ。
ああ、そうだった。
俺、指名手配されていたんだった。

ずっと隠れていたのに、春の陽気のせいで捕まっちまった。
あーあ、世知辛い世の中だ。(作家)

シニア世代のいろいろな活動紹介します《けんがくひろば》4

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「サロンゆうゆう」の様子

【コラム・椎名清代】新しいまち研究学園駅エリア。住民の多くは若い世代ですが、シニア世代も徐々に増えています。今回はシニア世代の活動を紹介します。

体にいいこと、楽しいことしよう

約14年前、研究学園駅前公園でのラジオ体操は1人でした。そのうち、仲間が2人、3人、…、10人と増え、その人たちから「もっと体にいいことをしよう」「もっと楽しいことをしよう」との声が上がり、木曜日に遊ぶ会=『木遊会』が発足しました。

TX駅前マンションを中心に、口コミで仲間が増え、この活動を知った遠隔地の人の参加もあり、ピーク時、この会は160余名に成長しました。

毎月の定例会のほか、年2回のバス旅行会、新年会、観桜会、そば打ち会、芋煮会など、季節ごとのお楽しみ会も行われてきました。趣味が同じ人たちが集う同好会も次々とでき、多くの人が楽しい時を過ごせていたと思います。

ところが、コロナ禍を経て高齢化が進み、役割を担える人が減少してきたこと、この地域に交流センターのような施設がないこともあり、活動を縮小せざるを得ない状況となっています。現在の会員は約120名に減っています。

会では、春の観桜会、夏の納涼会、暮れの忘年会のほか、ゴルフ会(原則隔月コンペ、筑波東急ゴルフクラブ)、麻雀会(毎週金曜日午後、マンション・レーベン研究学園内の林技術事務所)、パソコン会(毎週木曜日午前、同)、グラウンドゴルフ会(毎週水曜日、研究学園駅前公園)、ウォーキング会(毎月1回不定期、徒歩と公共交通機関で近隣へ)などを開いています。

シニアサロンで勉強とおしゃべり

研究学園地域に暮らすシニア世代の多くは、子供世帯と同居あるいは近くに住むため、全国各地から転居してきました。高齢になってから、新しい土地になじみ、友人をつくることはなかなか難しいことです。

自宅にこもりがちになってしまわないか…。そんな懸念から、気軽に楽しく交流できる場が必要と、長年つくば市で在宅診療と認知症ケアに携わってこられた元開業医の先生により、2003年に「サロンゆうゆう」が開設されました。

先生の長い経験から、健康づくり、介護予防、体調変化の見分け方、薬の飲み方など、多くのことを学びました。講話のほかに、軽い体操、歌、ゲーム、おしゃべりで、楽しい時が流れています。

コロナ休止期間を経て、現在、民生委員の方数名がサロンの運営を担っています。知りたいこと、楽しいことを皆で考え、作っていくこのサロンは月1回開かれています(第2月曜日13:30~、林事技術事務所)。毎回20数名の参加があり、緩やかにつながって、互いに気遣いあう関係ができたように思います。

たくさんの人と交流して、これからの時間を大切に過ごしてゆきたいと思います。 (けんがく活動団体協議会代表)

ゴジラの国の子どもたち《映画探偵団》74

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】アカデミー賞の視覚効果賞を受賞した山崎貴監督の日本映画『ゴジラ-1.0』が世界中で大ヒットしている。さらに米国映画『ゴジラ✕コング 新たなる帝国』が近日公開となる。今年はゴジラ誕生70周年にあたる。1954年当時、ゲテモノ作品と馬鹿(ばか)にする人もいたが、今ではゴジラは日本の文化財と言っても過言ではない。

考えてほしい。公開当時20歳だった人は90歳、16歳だった人は86歳、10歳だった人は80歳だ。日本はゴジラを見て育った子どもたちの国なのである。

『ゴジラ・デイズ』

1980年代後半、『ゴジラを創った男たち』のテレビドラマ用の企画を考えた。1954年は東宝撮影所で黒澤明監督の『七人の侍』が製作されていたころ。ビキニ環礁で水爆実験が行なわれ、日本国中に放射能の恐怖が襲う中、田中友幸プロデューサ一は『G作品』の企画を立案。街頭テレビでは米人レスラーに力道山の空手チョップが炸裂(さくれつ)。

この年発足した自衛隊の撮影協力のもと、『ゴジラ』が作られる。作家の三島由紀夫がロケ地を訪れ、国産特撮第1号のゴジラに関心を示す。苦闘する特撮監督円谷英二と本多猪四郎監督。ゴジラとその時代をノスタルジックに描く。

企画書を田中プロデューサ一あて送ると、代理の方から電話があり「現在、新作のゴジラを準備中で、古いイメージを与えて新しいゴジラの邪魔をしたくない」との返事だった。1984年の『ゴジラ』の興業成績がいまひとつだったため、その後作られてなかった。1年後、その新しい作品が『ゴジラVSビオランテ』(1989)だとわかる。

知人に預けてあった企画書は出版社に渡った。ちょうどそのころがゴジラ生誕40周年を迎える前年にあたり、ゴジラブ一ムが起きていた。出版担当者の「第1作だけでなく20作までひろげ、関係者にインタビューして40年史にまとめられないですか」となり、『ゴジラ・デイズ』(1993年)の本になった。その年、アメリカ版『GODZILLA』が製作されるとのニュースが流れていた。

『新諸国物語』

特撮監督・川北紘一にインタビューした際、『ゴジラ』公開時、夢中になったのは『紅孔雀』だと話してくれた。そうなのだ。70年前、ゴジラに負けず劣らず少年少女の人気を集めていたのは、東映の『新諸国物語』シリーズである。

北村寿夫原作のNHKラジオ連続放送劇『新諸国物語 笛吹童子』を映画化したお子様向け時代劇は、白鳥党とされこうべ党の戦いを描く勧善懲悪の活劇3部作だった。大ヒットを記録した東映は、続いて『新諸国物語 紅孔雀』を全5部作で公開する。

『新諸国物語』は最終的に『白鳥の騎士』『笛吹童子』『紅孔雀』『オテナの塔』『七つの誓い』『天の鶯』『黃金孔雀城』の7部作の大河シリーズとなる。戦後の混乱が残る日本で生きる少年少女に正義と勇気のメッセージを送る作品だった。

私が体験したのは『黃金孔雀城』(1961)からで、黒冠者(里見浩太郎)の忍術シ一ンにしびれた。またテレビで見ていた山城新伍・主演『風小僧』は『新諸国物語』のスピンオフ作品だと後で知る。『スター・ウォーズ』(エピソード4)は、元ネタが黒澤監督の『隠し砦の三悪人』であることは知られているが、善と悪のフォ一スの戦いを見て、私は『新諸国物語』を連想した。

世界はゴジラの国の子どもたちの時代を迎えようとしている。今こそ、『新諸国物語』をリメイクし世界に輸出すべき時ではないかと思う。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

いい日旅立ち《続・平熱日記》154

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】宇部の個展に向けてのロングドライブ。いつもパクを預かってくれるマヨねえこと小山さんは「1か月でも預かるよ」と言ってくれたが、山口で義妹のユキちゃんもパクを待ってくれていることだし。何も好き好んで千キロの道のりを犬と絵を積んで軽自動車で走らずともと思うのだが…。

とにかく無理せず安全運転。しかしなにせ長丁場なので、飽きない工夫が必要なのだけれども空いているのは耳ぐらい。普段はラジオ派、というよりも特に好んで音楽を聴く習慣もないのだけれど、高速道路でそれまで聴いていたラジオ局の電波が届かなくなるという厄介なこともあって、改めてCDの良さに気付いたのだ。

例えばCD1枚で1時間、約百キロは退屈しないで走れる。ところが世の中はサブスクやブルートゥースの時代になっているし、私の家にはろくにCDがない。

キーボードプレイヤーとしてバンドをやっている友人のマサシさん。銀行員の彼は私より一回りほど若い。先日はライブに招待されて、50年代から90年代までの洋楽を中心に楽しませてもらった。そうだ!彼にCDを借りよう。

「じょうばん せーん!」 

ところで長女の子供、つまり孫が3才近くになって2人で出かけることになった。というのも、2人目ができたので長女は少しでも体を休めたいから上の子の面倒を見てくれというのだ。生まれた時からしばらくはうちにいたし、それからも割と頻繁にうちに来ているので孫とは仲良しであるから、ふたりきりで出かけることに不安はない。

目指すは常磐線。そう、孫は電車が好きなのだ。「じょうばん せーん!」と繰り返しながら、楽しそうに駅のホームに到着。踏切を通過する度に喜び、さてどこまで行こうかと思ったが、その日は鉄橋を渡って我孫子で下車。それから、別の日には土浦までの旅を楽しんだ。

さてパクと山口に出発だ!

後日、快くCDを持ってきてくれたマサシさんとそんな話をした。というのも…彼の息子さんは以前私の家に絵を描きに来ていて、まだ学校に上がる前だったか、どうやら電車が好きだというので、とりあえず電車ばかり描かせた。家にあった子供百科事典の「でんしゃ」の項目数ページは切り取られ彼専用の見本となった。で、なんと息子さんはこの春JR西日本への就職が決まったというではないか。

JRといえば、CMにも使われた「いい日旅立ち」という歌がある。私が高校を卒業するころに流行(はや)った曲だ。なぜだか家に百恵ちゃんのレコードがあって聴いていた思い出がある。昨年まで新幹線の中で流れていたのも記憶に新しい。

さてパクと山口に出発だ! 「いい日旅立ち」になりますように! マサシさんのCDからどんな曲が流れてくるか楽しみだ。(画家)

植物のありのままを芸術的に描いた絵 《邑から日本を見る》156

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写真は筆者

【コラム・先﨑千尋】今、水戸市千波町の県近代美術館で、企画展「英国キュー王立植物園 おいしいボタニカル・アート 食を彩る植物のものがたり」が開かれている。私は絵心がないので、ボタニカル・アートとはどんなものかを知らなかった。本によれば、ボタニカルとは日本語では“植物学の”、アートは“芸術”だから、ボタニカル・アートとは「植物学的な絵=植物画」という意味になる。

「植物のありのままの姿を、誇張を交えずに、正確に、細密に表現し、かつ鑑賞に堪える芸術性をあわせた絵画」だそうだ。そう言われても、実際に見てみないと分からない。

この企画展は、キュー王立植物園が所蔵する作品や個人コレクションを主体に構成され、食用植物を題材にした18~19世紀のボタニカル・アートとともに、英国の食文化を伝えるティー・セットや家具、18世紀ごろの古いレシピやヴィクトリア王朝期の主婦のバイブル「ピートン夫人の家政読本」など、約190点が展示されている。

これらによって、この時代に貿易大国として世界に君臨した英国の食の歴史や文化、生活様式が分かるというものだ。同植物園は、18世紀に王室の宮殿に併設した庭として始まり、現在は世界有数の植物や菌類の研究機関でもある。

五感が刺激される不思議な絵 

会場に入ると、リンゴや洋ナシ、ザクロなどの果物やカブ、キャベツなどの野菜、紅茶やコーヒー、チョコレートの原料となるカカオ、ハーブやスパイスなど、私たちが日ごろ口にする食べ物や飲み物になる植物が目に飛び込んでくる。写真と見間違うほど、正確、精密に描かれた絵だ。

普通の絵だと、日本画でも西洋画でも、描く人の個性によってどこを強調するかがはっきりしており、見る人にもそのことが分かる。しかしボタニカル・アートはそうではなく、あくまでも対象となる野菜や果物を、主観を交えず正確に描写することに力点が置かれる。1枚の絵の中に葉の裏表や果実の内部などが綿密な手わざで描かれ、実物を見ているような気分になる。果物や野菜、花などが生きているのだ。手に取ってみたくなる。

写真とは違い、生命の力強さを感じる。描き手には、例えば、花びらの数、おしべ・めしべの形や数、茎に葉がどのようについているか、とげや毛があるかなどを注意深く観察することが求められる。ボタニカル・アートは「科学と芸術の融合」だそうだが、展示されている作品を見ていると、私の五感が刺激されてくる。

NHKの朝ドラ、植物学者・牧野富太郎をモデルにした番組を思い出した。牧野は収集した植物を、時間を置かずに描き、残した。全体図だけでなく部分図も多く描き、まるで解剖図のようだった。牧野は画家ではなかったが、誰にでもできる技ではない。同館では、昨夏の「土とともに 美術にみる<農>の世界」に続く好企画だ。(元瓜連町長)

ボタニカル・アート展は4月14日まで(月曜休館)。電話029-243-5111(同館)。

確定申告が終わって思うこと《文京町便り》26

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】自民党安倍派で蔓延(まんえん)していた、派閥パーティ券の売り上げの一部を派閥から戻す際、政治活動であれば政治団体の収入に記載しなくていいとの慣行・指示・経緯は不透明なまま、結局はうやむやに終わりそうな気配である。今年の確定申告でも、多くの国民は不承不承ながらも、国民の義務を果たすべく、申告会場に出向いたり、電子納税・申告システムe-Taxに付き合ったはずである。 

そもそも、確定申告をしている納税者はどの程度いるのだろうか。そして、その納税額はどの程度なのか。

国の租税・印紙収入を2022年度決算で確認すると、一般会計分計は71.1兆円、うち所得税は22.5兆円(源泉分18.7兆円、申告分3.8兆円)である。今や消費税23.1兆円の後塵(こうじん)を拝しているが、法人税14.9兆円を上回っている。

申告納税分3.8兆円は、個人の確定申告の結果、その申告分だけが計上・納税されているわけでもない。国税庁『民間給与実態統計調査(1949年分から調査開始)』と『申告所得税標本調査(税務統計から見た申告所得税の実態、1951年分から調査開始)』から読み解いてみよう。ただし、両調査とも全数調査ではなく、復元推計手法による標本調査である。たとえば、大規模・多額の場合は全数だが、小規模・少額の場合は(1/400などの)サンプリングなので、所得税の納税状況の全体像をイメージするしかない。

給与所得者の申告納税額は少ない

『民間給与実態統計調査』によれば、2022年12月31日現在の源泉徴収義務者(要するに民間事業者)は287万件、給与所得者数は5967万人、支払われた給与総額は231.3兆円、源泉徴収所得税額は12.0兆円で、給与総額に占める税額の割合は5.21%である。このうち、1年を通じて勤務した給与所得者は4360万人、その税額は11.7兆円である。

他方、『申告所得税標本調査』は、事業所得者83万、不動産所得者39万、給与所得者117万、雑所得者29万、他の区分に該当しない所得者16万で、合計285万の標本数である。

これらの所得区分は、納税者に複数の所得源泉がある場合は、各種の所得区分の中で大きいものに分類される。申告納税者数は653万人、所得金額は46.4兆円、申告納税額は6.6兆円である。所得者区分別で給与所得者の人数・税額および構成割合は、申告納税者268万人・41.0%、申告所得金額20兆円・43.2%、申告税額3兆円・46.5%である。

この『申告所得税標本調査』によれば、税額は6.6兆円(源泉徴収税額3.0兆円、申告納税額3.7兆円)である。所得者区分別の税額内訳をみると、給与所得者は給与所得に対する源泉徴収税額74.4%、申告納税額23.1%と、申告納税額の割合が低い。要するに、大半の給与所得者は、源泉徴収制度に甘んじているのである。

愚民政策から脱却すべき

1940年4月に戦費の効率的な徴収システムとして拡大・開始された源泉徴収制度は、徴収サイドは無条件の給与所得控除制度の適用範囲を限定しながらも堅持する一方で、特定支出控除(実額控除)を部分的にしか進めない結果、納税者(給与所得者、および徴税業務を代理執行している納税義務者=事業者)も確定申告まで持ち込む準備ができていない、というのが大半の給与所得者の納税状況ではないか。

少なくともシャウプ勧告(1949年)の趣旨は申告納税制度の普及にあったはずなので、『論語・泰伯』の「由らしむべし、知らしむべからず」以来の愚民政策は、脱却すべきではないか。(専修大学名誉教授)

糞かぶりの虫がいるけど、あれ何?《宍塚の里山》111

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左:ユリクビナガハムシ幼虫 右:ユリクビナガハムシ成虫

【コラム・中原直子】「なんか、糞(ふん)かぶりの虫がいるんだけど、あれ何だろう」。 2023年5月下旬、宍塚の里山で一緒に活動をしていた会員の大浦さんからそう声を掛けられました。大浦さんは小さな動物や植物を見つけるのがとても上手で、いつも観察会でいろいろな生物を見せてくれます。

行って見ると、畑に植えられたスカシユリの葉の上に、糞をかぶった体長5ミリ以上はあるハムシの幼虫がたくさん止まっています。ユリにつく大型のハムシというと限られるので、すぐにユリクビナガハムシの幼虫だとわかりました。

これまで宍塚でこのハムシを見たことがありません。宍塚では初めての記録となる昆虫なので、甲虫の研究者である吉武啓さん、重藤裕彬さん、高野勉さんと共に報文(吉武啓・中原直子・重藤裕彬・高野勉(2024)茨城県南部におけるユリクビナガハムシの発生確認と生態覚書、月刊むし636号、12~18ページ)として発表することにしました。

中国地方や九州以外ではまれ 

ユリクビナガハムシはハムシ科の甲虫です。成虫の体長は約1センチ、全身が鮮やかな赤色をしています。終齢幼虫の体長は約8ミリで糞を背負っています。世界に広く分布している種ですが、日本で普通に見られるのは中国地方や九州で、それ以外の地域ではまれです。ユリ科やそれに近縁な植物の葉や花蕾を食べ、園芸ユリの害虫として知られています。

まず、茨城県でこれまでに記録があるのかを調べました。博物館の報告書や地方同好会の出版物は重要な資料です。すると、2008年に水戸市と小美玉市で確認されていることがわかりました。また世界中の文献を調べたところ、日本で最初に確認されたのは1930年代に佐賀県で、外来種か在来種かは不明ということもわかりました。

その後、宍塚だけにいるのか、周辺にも広くいるのか、近くでユリがある所を見て回ったところ、つくば市内の2カ

分布調査と同時に、どのように育つのか、幼虫や蛹(さなぎ)はどんな形態をしているのか飼育観察しました。その結果、卵から1カ月~1カ月半で成虫になること、羽化した成虫は数日間食草を食べた後、いったん活動を止めることなどがわかりました。

小さな疑問が新たな知識に

野外で見つけた「これは何だろう?」を追求し、時には人々の協力を得て深掘りしていくことで、小さな疑問は新たな知識を得ることにつながっていきます。そして、それを多くの人に読まれる形にしたものが報文です。生物の学会・研究会や出版社は数多くあり、それらが刊行される雑誌に手順と規約を守って正しく投稿し、掲載されると科学的に認められた記録となります。

これは後世への貴重な共有財産です。今回私たちがたくさんの文献を調べたように、私たちの報文をこの先新たな疑問を抱いた誰かが参考資料として使ってくれるかもしれません。

身近な生物でも、実は生態や分布がよくわかっていない種も少なくありません。野外でふと浮かんだ疑問を、もっと科学的に探求してみませんか。(宍塚の自然と歴史の会会員)

近くに、二所ノ関部屋ができて《遊民通信》85

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【コラム・田口哲郎】

前略

大相撲が盛り上がっていますね。2022年6月に阿見町にできた二所ノ関部屋所属の大の里の活躍も楽しみのひとつです。大の里関は石川県出身ということで、ますます応援したくなります。

二所ノ関部屋は阿見町にありながら、最寄り駅は常磐線の「ひたち野うしく駅」です。部屋ができてから、ひたち野うしく地区では力士など部屋の関係者に街でたびたび遭遇するようになりました。

力士は鬢(びん)付け油をつけているので、すれ違ったら、椿油のよい匂いがします。たまに、力士の姿は見えないのに、椿油の香りがして、お相撲さんが通ったのだろうな、と思うこともあります。

力士が行き交い、華やぐ街

いまは三月場所で、大阪でみなさん頑張っていますが、場所が終われば帰ってくるので、また、ひたち野うしくではお相撲さんを見ることができるでしょう。

相撲部屋ができることで、こんなに街の雰囲気が良くなるものかと思います。若い力士が歩いていたり、自転車で通り過ぎるだけで、街が華やぎます。阿見町と牛久市の境目にあり、新興住宅地であるひたち野うしくの端にある部屋は、ともすれば新しさと整然としたきれいさはあるけれども、どこか味気なかったひたち野うしくに、思わぬ魅力を与えてくれたと思います。

部屋ができたのはコロナ禍の真っ最中でしたので、コロナ禍が一応の収束をみたこれからは、部屋の見学や部屋と住民との交流が行われるものと期待したいと思います。

お相撲さんが行き交う街は華やぎ、いろいろな人が集まり、にぎやかになるとよいですね。部屋が長く続いてゆけば、たとえば部屋出身の元力士がちゃんこ鍋屋さんを開いたりすることもあるのでは…とか、楽しい想像がふくらみます。

二所ノ関部屋応援しています!

ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)