火曜日, 3月 19, 2024
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地域を「計画・提案」する《デザインについて考える》6

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イラストは筆者提供

【コラム・三橋俊雄】今回のテーマは「地域をデザインする」です。私は長年、地域を元気にするための活動を、福島、新潟、青森県、京都府などの過疎化・高齢化が進む町や村で行ってきました。それらの地域で、多くの方々から話を伺い、その地で出合った様々な魅力を肌で感じ、あるいは地域の課題を探りながら、その町や村の「これから」についてデザイン(計画・提案)させていただきました。

そうした地域づくりの基本姿勢として、地域が主人公になれるための「内発的」というベクトルを堅持してきたつもりです。

コラム4「南北問題と適正技術」 では、先進国による発展途上国への一方的な援助が、結果として当該地域の問題解決につながらず、そうした中からダグハマーショルド財団の「Que Faire ?(何をなすべきか)」により、「内発的」という概念が提唱されたことをお伝えしました。

日本でも、1900年代後半の過疎化・高齢化対策において、工場誘致や企業誘致などに頼る「外発的」な地域振興策が多くとられてきた中で、果たして住民や地域の自然、社会、文化などが主人公になれる「内発的」地域づくりにつながるのだろうかという疑念を持ちました。

そのような時期に出合ったのが、上のイラストに示した「JRの中吊りポスター」でした。

「内発的」な地域づくりを志向

ポスターには新幹線とホテルやスキー場で楽しむ都会の若者たちの姿が描かれ、キャッチコピーには「例えば新幹線とドッキングしたスキー場の開発」とありました。このポスターからは、目立った産業のない雪国に対して、スキー場を整備して新幹線とつながるリゾートホテルを誘致することで、都会から若者たちが集まり、経済的波及効果によって地域の活性化が図られるという、地域開発のシナリオが読みとれました。

しかし、このような手法によって、自然、歴史、生活文化が生かされ、住民が生き生きと働くことのできる社会を実現することができるでしょうか?

大切な森林が伐採され、若者はスキー場の管理人やホテルの従業員として雇用されるだけという結果にならないでしょうか? スキー場とホテルの完成によって、住民の地域に対する「誇り」や「生きがい」を生み出すことができるでしょうか?

人間は尊厳をもって一個の人格を形成し、自己のアイデンティティーを確立させていきます。同様に、地域づくりの過程においても、「地域格」を形成し、地域のアイデンティティーを確立させていくことが大切であると考えます。そのためには、いかに地域が主人公になり得るかが「鍵」となってきます。

その意味で、「地域をデザインする」というシナリオには、「内発的」な地域づくりを志向するデザイナーの姿勢が不可欠であると考えます。(ソーシャルデザイナー)

つくば市長の主公約 陸上競技場始末《吾妻カガミ》179

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】つくば市の陸上競技場設計作業が来年度から始まります。3月議会に出された基本計画は2年前とほぼ同じで、人口や予算規模で水戸市に肩を並べる県内2番目の市の施設としては、他の県内施設に比べて見劣りするのが気になります。

県内の他施設に比べ地味

上郷高廃校跡に造られる陸上競技場(全天候型舗装8レーンの400メートルトラック)は、▼走路=第4種公認、▼観客席=2900(うち芝生席2000)、▼駐車場=700台(うちバス25台分)―といった計画です。

他の県内競技場を見ると、▼県営笠松:第1種、2万2000席、2700台、▼水戸市営:第2種、1万2200席、2000台、▼日立市営:第3種、8500席、1500台、▼ひたちなか市営:第3種、1万5000席、3000台、▼古河市営:第2種、3700席、1200台、▼龍ケ崎市営:第3種、2600席、174台、▼石岡市営:第3種、2500席、650台―となっています。

これら施設は記録公認に必要な種別が第1種~第3種なのに、つくば市営は第4種と「格落ち」です。これで市民のプライドは保てるでしょうか? 使い勝手を左右する観客席数や駐車台数も、他の施設に比べるとかなり控えめです。

市長は政治的判断を優先

どういった競技場を造るか議論されていたころ、私はコラム99「つくば市の2大案件」(2021年2月1日掲載)で、「県に掛け合って高規格(第1~2種)の競技場をつくば市内に造らせ、県南の各市にも建設費を分担してもらったらどうか」と提案しました。少なくとも水戸市営並み、できれば県営笠松並みを想定していたからです。

どこに造るかについては、「上郷高校跡(7ヘクタール)と総合運動公園計画(メインは陸上競技場)用地跡(45ヘクタール)が候補に挙げられます。市は前者に誘導したいようですが、アクセス路の利便性や拡張の可能性などは明らかに後者が上です」と指摘、狭い市道に囲まれた上郷高跡よりも国道408号に近い運動公園用地跡を推しました。

しかし、市原前市長が策定した運動公園計画を市民運動で葬った五十嵐市長には、最初から運動公園用地跡を使う選択肢はなかったようです。しっかりした施設をアクセス性がよい場所に造るという判断よりも、前市長の計画を否定する政治的な判断を優先したと言え、行政が政治に引っ張られた形です。

市史に残る「歪んだ選択」

五十嵐市長にとって運動公園用地返還と陸上競技場建設は1期目の主要な公約でした。ところがUR都市整備への用地返還は失敗し、扱いに困って倉庫業者に売り飛ばしました。陸上競技場を造る場所の方は、政治的な思惑から運動公園用地跡を外して、規格、規模、利便性で劣後する上郷高跡を選択しました。政治的な思惑が施策を歪めた事例として市史に残るでしょう。(経済ジャーナリスト)

新年度の土浦の花火は?《見上げてごらん!》25

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第11回土浦の花火フォトコンテストの入賞作品展示(土浦市役所)

【コラム・小泉裕司】記事「土浦市新年度予算」(2月15日掲載)によると、市は、4月1日実施の機構改革において、花火大会に関する情報発信の強化充実を図るために、「花火対策室」を「花火のまち推進室」に改編するとのこと。

1925(大正14)年の第1回大会から数えて、来年の第94回大会で100年、7年後には第100回大会を迎えるが、新年度は大会以外にどのような企画があるのか、実行委員会事務局に聞いた。

開口一番、新年度も「前年度並みの限られた予算規模の中でのやりくり」と釘を刺された。ちなみに、花火対策室の職員数は、昨年10月、1人減員の状態から3人体制に回復したが、大会に向けた準備に専念、新事業への取り組みはないという。

組織の名称変更についても、100年や100回のアニバーサリーに向けた特別な思いを込めたというよりも、連続した花火事故やコロナ禍を経た後の2大会の無事開催を踏まえ、「対策」という対処療法的イメージからの脱却が主たる理由らしい。

それであっても、「100年」「100回」は、遭遇することなど滅多にない希有(けう)な機会だ。何とかみんなで祝いたいと思う。次年度予算への反映に向けて、知恵を絞りたいものだ。

次の100年に向けて

過去、土浦市は、花火を歴史・文化資産としてとらえてこなかったことで、丁寧な資料の保存などが行われず、図録「花火と土浦」(2018年土浦市発行)の編集に際し、資料調査など苦労があったという。

この機会に、県紙である茨城新聞や地域紙であった旧常陽新聞などの記事や広告、大会運営に関わった市民や煙火業者などのエピソードの数々を、図録を補完するアーカイブとして集約し、次の100年に引き継いでいくことが大切ではないか。周囲の関係者に提唱しているところだ。

3月末に、いわゆる役職定年を迎える佐藤亨産業経済部長は、大会本部長を兼ねる。「本職に就いて、初めて花火の奥深さを知ることができた。若い時期に花火の業務を経験していれば、もっと花火の魅力を究めることができたのかも知れない」と、3年の在職を振り返った。

大会が万端整った後は、大会まで、事務所内に祭った気象神社(東京高円寺)のお札に好天を祈る毎日で、無事終了した後、お礼に参詣したとのこと。歴代の本部長が背負う宿命、最大の憂いごとである。ご慰労申し上げると同時に、今後は、現場を経験した「語り部」として、「土浦の花火」の魅力を拡散していこうぜ。

本日は、この辺で「打ち留めー」。「シュー ドドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

メロンなんて昔は食べたことなかった《写真だいすき》30

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産地のハウス内。活発にメロン畑の手入れがなされている。写真は本文とは関係ありません。撮影は筆者

【コラム・オダギ秀】ボクは農業関係の撮影が多く、そのため農協さんとの付き合いが多かった。今はもうはるか昔の話だが、その頃は、農協がらみの研修旅行がよくあった。研修というのは名ばかりで、実質は慰安旅行、宴会がらみの遊興旅行だった。ボクも関係者ということで、よくそれに同行した。

どこに行った時だったか、宴会の席で、形ばかりの研修をした。よその農協さんが、こちらは茨城なので他県のことなど聞いてはいないのだが、あまり関係のない作物の作柄など適当に報告する。「研修」ということを名目にするための、形作りのものだった。

その時、茨城のとある小さな農協のひとりの男の人が、遠慮がちに色々質問をはじめ、ていねいにメモをとっていた。「ん? 関係ないのに、何しとる?」。ボクはかえって疑問が湧き、あとで彼に尋ねた。するとその人Aさんは、初対面のボクの言い掛かりのような問いかけに、ていねいに応えてくれた。

「農作物というのは、1年かけて育てるものです。どんな遠くのささいなことでも、長い年月の間には、自然はどんな影響を及ぼすかわからない。だから、他の地方の自分とは関係ないような作物のことでも、知っておいた方がいいこともあるんですよ」と。

ボクは、その時から、そのAさんが大好きになり、何十年も過ぎた今も付き合い、心の支えにしている。仕事をするってことは、こんなことだと思わされた。今は鉾田市となっているが、当時は村と言っていたその村は、昭和が平成に替わったころ、日本一のメロン産地となった。そんなその村のメロンを支えて育てた人こそ、このAさんだったと思う。

いい加減な仕事はしない

茨城県は、メロン生産高日本一なのだが、1976(昭和51)年ごろはまだプリンスメロンが主流で、ネット模様のメロンは、庶民が口にすることは滅多にないものだった。そこに、売って安心、買って安心という「安(アン)心です(デス)」をネーミングにしたネット模様のアンデスメロンが生まれ、市場を席巻していった。

メロン生産農家は午後遅く、収穫したメロンを選果場に持ち込む。Aさんはそれを一つずつ手と眼で選果した。今のようにコンピューターやレーザーのない時代だったから、大変な情熱と労力が要った。選果するとメロンをトラックに積み、午前3時ごろ、東京の市場に間に合うように運んだという。

その厳しい選果をしてきたので、その村のメロンは評価が高まり、その村のメロンとしてブランドになった。Aさんは、寝ているのだろうか、と農家の人から聞いたことがある。「ありゃ寝てないよ」と農家の人は言ったが、それが本当と思えた。その努力があったから、その村のメロンは信頼され、高い評価を受けるようになった。

実直なAさんは地位を望むこともなく、農協の部長止まりだったらしい。だが、あきらかに、この地のメロン産地はAさんがいなければ、名産地とはなれなかった。いい加減な仕事はしない。ボクはAさんから、大切なことを学んだ。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

差別し、差別された子ども時代の私へ《電動車いすから見た景色》52

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筆者が作成した手紙のイラスト

【コラム・川端舞】ふと、あなたに話しかけたくなりました。私はあなたを誇りに思います。勉強を頑張っていることでも、毎日学校に通っていることでもなく、生き続けてくれていることに。

多くの学校が、障害のない子どもを前提につくられ、障害児はいないことにされています。今のあなたは、死にたいほど辛いのは、障害のある自分が普通学校にいるからだと思っていますね。でも、それは違います。どんな障害があっても、障害のない同級生と同じ学校に通うのは、国連が認めた権利であり、障害児でも過ごしやすいように環境を整える責任が学校にはあります。あなたは堂々と普通学校に通っていいのです。

私はあなたに、何があっても普通学校に行けとは言えません。一番大切なのは生き続けることだから。本当に苦しかったら、どうか学校を休んでください。でも、あなたが普通学校に通い続けてくれたおかげで、私は一生付き合える友人に高校で出会えました。本当に感謝しています。

自分の差別意識と向き合って

覚えていてほしいことがあります。この社会は「普通」と呼ばれる人ができるだけ過ごしやすいようにできていて、そこから外れた人たちは差別されやすくなっています。あなたも身体障害者という点では差別されることが多いですが、そのほかの点では誰かを差別してしまうこともあるでしょう。

例えば、あなたは同じ学校の特別支援学級にいる知的障害のある同級生を見て、「自分は勉強ができるから、あの子たちとは違うのだ」と思っていますね。または、人間は男女ではっきり分かれるものだとか、家庭にはお父さんとお母さんがいて当たり前だと思っていませんか。そんなあなたの言動が、無意識に周りの同級生を傷つけているかもしれません。

自分が差別していると気づくことは難しいし、痛みを伴います。これはあなただけが悪いのではなく、少数派とされる人たちをいないものとして学校や社会がつくられていることが問題なのです。一方、あなたは障害児としての経験から、差別される痛みを他の人よりは知っているはずです。だから、勇気を出して自分の中の差別意識と向き合い、少しずつ変えていってほしいのです。

社会は簡単には変わりません。でも、あなたの中の差別意識を変え、周囲にも伝えていく。そうすることで、共感してくれる人や、少しだけ考えを変えてくれる人、反対にあなた自身の凝り固まった価値観をほぐしてくれる人が現れます。彼らと対話を重ねていくことが、社会を変えることだと思います。私もそのように生きていきたいです。(障害当事者)

郷愁を感じる商店街のアーチ《看取り医者は見た!》15

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写真は筆者

【コラム・平野国美】初めての道を歩いていると、前方に商店街があるとか、ここから商店街に入るのだとわかるときがあります。商店が並ぶさまを見て、自分の中で認識する場合と、ある種の構造物を見て確認する場合です。初めての土地を歩いていて心がときめき、10年ほど前から、そういった「昭和の残影」を探すようになりました。

今回の写真をご覧ください。左は商店街の入り口にあるゲートです。ここをくぐれば、その向こうに何かが待っているような気がして、引き込まれていくのです。あちこちで見ますので、昭和の時代にはかなり設置されていたと思います。その残骸も見つけるときもありますし、取り外されたときにニュースになるゲートもあります。

私はアーチとかゲートと呼んでいますが、法律では「屋外広告物」として扱われ、看板、のぼり、横断幕、アドバルーンなどと同じだそうです。「屋外広告物法」によって、大きさ、高さ、内容(景観に配慮しているか)、設置禁止区域などが条例で定められています。

アーチは各自治体の条例で呼び方が異なりますが、「アーチ」「アーチ看板」「アーチ広告」「アーチ型広告物」などと呼ばれています。「ゲート」「商店街ゲート」「ゲートサイン」といった言い方もあるようです。

「純情商店街」「駅通り商店街」

法律や条例のルール内で制作されるので、奇抜なものは作れないと思いますが、そこは看板職人が腕を振るって制作しているのでしょう。商店街を歩いていると、制作された時代が形態や看板のフォントから感じられます。そして、その土地の風土や文化も感じられます。

左の写真は高円寺純情商店街のゲートです。下にある垂れ幕に「キング オブ コント 14代王者 空気階段 鈴木もぐらさん おめでとう」と書かれています。この街を愛して住んでいる芸人の受賞を祝っているのです。この後、「高円寺芸人」と呼ばれました。

元々、「高円寺純情商店街」という名は存在しませんでした。本当の名前は「高円寺銀座商店街」でしたが、この街の乾物屋の家に生まれた「ねじめ正一」さんの「高円寺純情商店街」が直木賞(1989年)をもらった後、今の名称になりました。風土、文化、サブカルをうまく生かした商店街とゲートなのです。

こんなゲートを近くで楽しみたい方は、常総市にある「水海道駅通り商店街」のアーチが参考になります。右側の写真です。各地にある古典的スタイル、昭和を感じる手書きのフォントなどが見られます。私は時々、夕暮れ時、ここで黄昏(たそがれ)ています。商店街のゲートはなかなか奥深いものがあります。(訪問診療医師)

確定申告をe-Taxで済ませました《ハチドリ暮らし》35

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写真は筆者

【コラム・山口京子】所得税の確定申告をe-Taxで済ませました。4年前の確定申告の際に、税務署でID・パスワード方式の届出をしたのがきっかけです。

年末調整で終了する場合や、公的年金の収入金額が400万円以下の場合では確定申告は不要です。ですが給与を2カ所以上から受け取っている人など、確定申告をしなければならない人がいます。また還付手続きや雑損控除、医療費控除、寄付金控除は年末調整ではできないので確定申告が必要です。

入力を終え申告内容確認票を見ることで、所得税徴収の流れがわかります。最近まで源泉徴収票を見ても所得税がどのような仕組みで徴収されるのかわかりませんでした。

確定申告の流れ

私の場合での、おおまかな確定申告の流れをお伝えします。

①収入金額を入力します:給与所得の金額と源泉徴収税額、雑所得の年金額や講演料の収入額と源泉徴収税額などを入力し、「所得の内訳書」がでます。

②所得金額が自動的に計算されます:▽給与は給与所得控除額が引かれて出ます▽年金は公的年金などに係る雑所得の計算方法によります▽65歳以上の方は年金額が110万円を超えると年金額に応じて所定の計算のもとに所得金額が出てきます▽講演料は必要経費を入力することでその額を引いた金額が所得金額となります。

③所得から差し引かれる金額が出ます(それぞれの控除金額を入力しますが、本人基礎控除の48万円は前もって記載されています):▽年金保険料や健康保険料、介護保険料などの社会保険料控除額▽生命保険料や地震保険料の控除額▽扶養控除、基礎控除など▽医療費の控除額(医療費控除とセルフメディケーション税制からの選択)

医療費控除に関しては、一般的にかかった医療費から10万円を引いた額と言われていますが、正確には10万円または所得金額の5%のどちらか少ない額です。ですので、所得金額が少ない場合は控除される金額が下がるので、自分の所得金額で計算することが大事です。計算方法は「1年間に支払った医療費-保険などで補てんされる金額-10万円または所得金額の5%=医療費控除額」です。

①②から③を引くことで、課税される所得金額と税額がでます。そこから税額控除されるものを引いて、納めるべき所得税と復興特別所得税額が確定します。所得税は超過累進課税で、税率は課税所得金額に応じて5%から45%となっています。

税金は収入にダイレクトにかかるのではないこと、様々な控除があること、社会保険料の額が思った以上に大きいことに気づきました。そして、控除の種類や金額がどういう根拠で決められているのかが気になりました。(消費生活アドバイザー)

次女、入籍する!《続・平熱日記》153

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】話は半年前にさかのぼる。「次女にだれかいい人いないかなあ…」なんてこぼしていたら、「私なんか、ある日宅配便で彼氏が送られてきましたよ…」。

「?!」。 内容は思い出せないが、彼氏と宅配便という言葉が新鮮で、要は彼氏も宅配されるご時世だということか。しかし、冗談抜きで次女のことで少々気がかりなことがあって、こんな時に男親はからっきし役に立たねえなあ…。

それから間もなく、「彼氏ができた!」という次女からの報告。そして、それからすぐに「結婚する!」という電話。事の次第を簡潔に言えば、次女のアパートにツタが生い茂って困っているという話を飲み屋でしていたら、植木屋だという若者が、それなら俺に任せろと。

すると、次の日に「ピンポン」とその若者がやってきて、ツタを切ってさっさと帰ってしまった。それがきっかけ。いやいや、本当に宅配便の話じゃないけど、まさかねえ。

次女だから書けることもあるのだけれど、次女だから書けないこともある。よくある話ではあるが、分かっているつもりだったのだけれども、次女のことを分かっていなかった、ということが分かったのはそれほど前のことではない。いわゆる多様性の時代と言われる、多様の中のひとりというか。

差し障りないところでいうと、なぜか彼女だけが家族の中でRHマイナスで、足の人差し指が長くて…。飲み屋で、他の客に「植木屋で一番大事なことはなんだ?」と聞かれ、「掃除ですかね」と答えた彼に、掃除のできない次女はしびれたらしい(そのとき彼は植木屋を辞めて無職だったらしいのだが)。

しかし、もうとにかく、もらってくれる人がいれば「どうぞ、どうぞ」というのが私の正直な気持ちで…。

私とではなく地中海旅行

閑話休題。先日、コーヒーを飲みに行きつけのカフェに行こうと思ったら、その日は牛久シャトーのイベントに出店しているというので、寄ってみた。

実は、カミさんは亡くなる前まで、このシャトーの日本遺産登録に関わる仕事をしていたこともあって、無意識にここに来るのを避けていた(というのもご存じのようにシャトーの運営は市の悩みの種でもある)こともあって、来るつもりもなったのだが。しかし、天候にも恵まれ、日本遺産に関係するイベントは朝から多くの人出で賑わっていた。

同じく日本遺産に登録され出店していた笠間のテントブースに、何気なく立ち寄った私は、栗羊羹(ようかん)を見つけた。次女は栗が大好きで、カミさんは面倒くさがりながらも渋皮煮を作ってやっていたことを思い出した。私は次女の結婚祝いにその栗羊羹を買って帰ることにした。

近い将来次女と行こうと約束していた海外旅行は、どうやら私とではなくハネムーンという名目に変わりそうだ。次女はなぜか地中海の国に行きたいという。フランス留学から帰国する直前に、お腹の大きい妻と小さな長女と共に南仏を旅したことを思い出した。

もちろん本人は憶えているはずもないが、そのときお腹の中にいた次女はちょうど30年の時を経て、地中海を臨むことになる。(画家)

この国の農業をどうする?《邑から日本を見る》155

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荒れ地がまもなく飼料畑に

【コラム・先﨑千尋】政府は先月27日、農政の憲法と言える「食料・農業・農村基本法」の改正案を閣議決定し、国会に提出した。同法の前身は、1961年に制定された農業基本法。経済の高度成長に合わせた法律だったが、1999年に、経済と農業・農村の激変に対応するために現行の法律になった。

法の制定から25年経ち、世界では食料争奪が激化し、国内では人口減少が進んでいる。今回の改正は、食料安保の確保を基本理念に掲げ、紛争に伴う食糧危機や地球温暖化、人口減少に対応し、環境と調和のとれた食料システムの確立を目指すというもの。来年度予算の成立後に衆参各院で審議がなされる見通しだ。

改正案では、食料安保を「良質な食料が合理的な価格で安定的に供給され、かつ国民一人一人がこれを入手できる状態」と定義している。食料自給率のほか、肥料や飼料など農業資材の確保などを念頭に複数の目標を設定し、達成状況を年に1回調査する。また、環境と調和のとれた食料システムの確立や多面的機能の発揮、農業の持続的な発展、農村の振興、水産業及び林業への配慮も条文に盛り込まれている。

では農業の現状はどうか。

同法制定時と比べて、農業の基盤である農地面積は57万ヘクタール(12%)減少し、基幹的農業従事者は234万人から116万人と半減している(23年)。農家の手取り収入となる生産農業所得は3兆1051億円(22年)と、大企業1社の売り上げにも満たない。この間、食料自給率はエネルギー換算で40%から38%にダウンしている(22年)。

この基本法案はわが国の農業のあるべき姿を示しているのだが、掲げている「環境と調和のとれた食料システムの確保」や「多面的機能の発揮」などは、現状がそうはなっていないことを証明しているものだ。どうしてそうなってしまったのかの検証がなされなければ、為政者の希望、願望にすぎない。

農業では食えない現実

国全体の数値や法律のことはさておき、私が住んでいる地域の周りを見てみよう。やはり遊休農地が年々増えており、後継者もいない。イノシシがワガモノ顔に田畑を荒らしている。空き家も増えている。

その根本原因は何か。訳は簡単だ。農業では食えない、生活できないから。弥生時代以来、日本人は全体として米を腹いっぱい食べることを夢みてきた。それが達成できたのが1970年頃。まだ50年前のことだ。喜んだのは束の間。すぐにコメ余りになり、減反政策が始まった。米価もどんどん下がり、農水省の統計でも大幅赤字だ。

変化の兆しもある。すぐ近くで花づくりをしているI君。石岡市八郷地区で有機農業・里山農業に取り組んでいるY君。いずれも農家の出身ではない。2人とも明るい。遊休農地を借りて干し芋用のサツマイモを作付けしているK君。隣町のM農場は、昨年から牛の飼料となるデントコーンを一面に作付けしている。常陸大宮市では、市が率先して有機農業に取り組み、学校給食にも有機農産物を提供している。

県内では農業でゆったりと暮らしている地域もある。鹿行地域や坂東市岩井地区などだ。あちこちの直売所もにぎわっている。ぼやくだけでは何も生まれない。生産者が変わるだけでなく、消費者も変わらなければ、とつくづく考えている。わが国の農業がなくなれば、詰まるところ、国民全体、消費者の皆さんも困るのではないか。法律以前の話だ。(元瓜連町長)

今年の高校入試 土浦一受験者が大幅減《竹林亭日乗》14

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雪が積もった筑波山

【コラム・片岡英明】県立高校入試が2月28日にあり、発表は3月12日である。今年は、土浦一高が4学級に募集減、牛久栄進高が1学級増、筑波高が進学コースを設置―などがあり、注目している。

報道によると、土浦一高は募集160人に対して受験が208人で、倍率が1.3倍と高くなった。昨年は募集240人に対して受験283人と1.18倍だったので、倍率は上がった。しかし、受験者は昨年より75人減っている。今回はこの受験者減について考えたい。

土浦一高に附属中学が設置される前の2020年は、320人の募集に対し受験したのは417人だから、今年の受験者は20年の半分である。募集が半分だから受験者減は当然で、その分、競合校の受験が増えたとの見方もある。

そこで、昨年のつくば在住生徒の県立高進学数を見ると、多い順に、竹園高200人、牛久栄進高129人、土浦二高113人、土浦一高88人だった。ちなみに、この6年間のこれら4校への総志願者数は以下の通りだ。

<定員>
▽2020年まで: 4校とも定員320人           合計1280人
▽2021年:土浦一が中学設置で1学級減280人      合計1240人
▽2022年・23年:土浦一がさらに1学級減240人    合計1200人
▽2024年:土浦一が2学級減160人、牛久栄進が40人増 合計1160人

最近4年で、つくばからの進学者の多い県立4校の定員が120人削減されたことになる。これら定員削減に伴って総受験者数も減少している。

<4校の総受験者数>
▽2019年:募集1280人 受験者1653人 倍率1.29倍
▽2020年:   1280     1671    1.31
▽2021年:   1240     1512    1.22
▽2022年:   1200     1549    1.29
▽2023年:   1200     1496    1.25
▽2024年:   1160     1483    1.28

4校の平均倍率は毎年1.2~1.3倍とほぼ一定で、人気校といえる。そういった高校の定員削減によって、受験者が1600人台から1400人台に減少していることがわかる。

志願先変更数からのメッセージ

この受験減から、高倍率の人気校を避けざるをえない受験生の苦労を読み取ってほしい。それは、いったん出願した後の志願先変更にも表れている。

今年の4校の当初志願者数と志願先変更後の差は、竹園16人減、牛久栄進2人減、土浦二12人減(昨年1人)、土浦一14人減(昨年8人)である。

竹園は320人募集に、昨年の395人から40人増加し435人、志願先変更で16人減の419人。牛久栄進は募集が320人から360人に増加したが、受験者が449人から440人に減少。志願先変更では2名減の438人と倍率が低下し、定員増の効果が出ている。

一方、土浦一は募集が240人から160人に削減され、受験者が283人から222人と61名減少。志願先変更でさらに14名減の208人となった。土浦二は320人募集に昨年369人から430人と61人増加したが、志願先変更で12名減少し、418人。土浦一・土浦二の志願先変更数の多さから受験生の声を読み取りたい。

定員削減のために発生した高倍率を避ける動きが竹園・土浦二・土浦一で生まれ、結果として志願先変更で4校の受験者は44人減少した。土浦一には、門を狭めずに地域の伝統校として多くの受験者が集まる魅力ある学校になってほしい。

県には、人気校の定員削減が、全体として今回取り上げた4校の総受験者数の減少につながっていることを理解してほしい。また、受験生がいったん志願した高校を変更するときの心情を受けとめてほしい。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

阿見町の茨城大学農学部《日本一の湖のほとりにある街の話》21

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イラストは筆者

【コラム・若田部哲】人はパンのみにて生くるものにあらず。しかれども、パン無かりせばそも生くること能わず。

我々生き物に必要不可欠な食物。阿見町にある茨城大学農学部では、食料の生産・品質の向上改善のための様々な研究がなされています。今回、同大国際フィールド農学センターの小松﨑将一教授に、土浦市・美浦村・阿見町―3市町村連携による、生ごみリサイクルによる地域環境改善と食物生産向上の研究について、お話を伺いました。

地球温暖化対策ならびに廃棄物の抑制は、現代における喫緊(きっきん)の課題となっています。そうした中、土浦市の日立セメント株式会社では、生ごみの発酵処理によるメタンガスなどのエネルギー生産と、発酵残滓(ざんし、残りかす)による堆肥生産を行っています。しかし、この堆肥は栄養成分バランスの偏りという問題がありました。

一方、JRAトレーニングセンターを擁する美浦村では、連日大量の馬糞(ふん)が発生し、この成分の地中への溶脱による水質低下などが問題視されていました。

生ごみ発酵残滓に糞を混ぜる

ここで、阿見町・小松﨑教授の出番です。教授は日立セメントの発酵残滓に、鶏糞・牛糞・馬糞をそれぞれ混合し、その育成効果の研究を行いました。その結果、残滓に対し50%の馬糞を混ぜることにより、コマツナの育成実験において、5.9倍の生育向上という目覚ましい成果を確認したのだそうです。

もともとの発酵残滓は、さらに2次発酵をさせれば肥料としての性能は向上するものの、そのためには新たな設備を追加せねばならず、割高なものになってしまいます。それに対し同研究は、発酵残滓に馬糞という地域資源を混ぜるだけで劇的に肥料効果を高めるという、簡便かつ地域が連携して問題を解決していくという、実に素晴らしい内容です。

実学の極みたる農学のお話は、伺いつつワクワクが止まらない、素晴しいひと時でした。余談ですが、つねづね定年退職したら、改めて大学で勉強し直したいと思っています。芸術をやり直す、経営を学ぶなど考えていましたが、農学も素敵だな…と、新たな悩ましい選択肢が浮かぶ取材となりました。(土浦市職員)

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

→これまで紹介した場所はこちら

マルハラと言葉の豊かさ《遊民通信》84

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【コラム・田口哲郎】

前略

昨今、マルハラなる言葉が世間に流通しています。若者がLINEなどで、文末に句点の「。」をつけるのをためらい、つけられて送られてくると威圧感を感じるというもの。たとえば、やりとりのなかで「わかりました。」と送ると、キッパリと言っているように思われて、怒ってるのかな?と心配されることのようです。マルハラと受け取られないように、「わかりました〜」とか「わかりました(^^)」などとソフトな印象を与える必要があるようです。

でも、文末につける絵文字に気をつけて、顔文字を並べすぎないようにしないと、おじさん構文と言われます。「おっけー!!わかったよ〜(^^)(^^)(^^)/」などとついつい過剰に飾り立ててしまうと、若者に揶揄(やゆ)されるのです。オジサンなので、末尾をデコってユルい雰囲気をかもし出したくなる気持ちはよくわかるのです。

あまりに素っ気ないとハラスメントと言われ、マルハラを回避すべく無理してテンションをあげるとオジサンぽいと言われる。どうすればよいのだという気持ちになります。

これは、日本人の繊細さが引き起こすものだとか、若者のナイーブさはいつの時代も変わらないとか、オジサン、オバサンを茶化(ちゃか)す文化はいまに始まったことではない(たとえばオバタリアンの強烈なキャラクターやサラリーマン川柳の自虐のセンス)とか、理由はさまざま考えられるし、言おうと思えばなんとでも言える気がします。そしてマルハラについて何を言おうと言い古されていることの繰り返しになるでしょう。

効率化がまねく、文章の簡素化

ひとつこうした現象について思うのは、いくらコミュニケーションツールが変わっても、人間同士の意思疎通の基本は変わらないのだなということ。そして、意思疎通の表現が簡素化されて言わば貧弱になっているということです。

文末に「。」をつけるかつけないか、というミニマリズムが極まるまでに、効率化が進行しているのではないでしょうか。飾り立てることはできても、これ以上は削れないレベルで選択を迫られる。他人と関わることを省エネするために言葉を簡単にしてしまったら、最後に句点の有無にまできてしまった。

紙の手紙ならば、文末につける決まり文句は多彩です。たとえば「時節柄、どうぞご自愛くださいませ」。手紙のやりとりではよく書きますが、LINEの了解伝達ではなかなか書かない文句です。できるだけ用件のみを伝えようというのではなく、相手を思いやる気持ちが定型ながら込められています。

そうすると、「。」で締めくくられていても、マルハラだ!とはならない。心の栄養みたいなものをきちんとつけてあげれば、ひもじくはない。人間の気持ちはカンタンに済まそうとしても思い通りにはならないようにできているようですね。

ごきげんよう。

(散歩好きの文明批評家)

病院でも増える外国人の患者《医療通訳のつぶやき》6

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写真は筆者

【コラム・松永悠】ここ1年くらい、電車に乗れば必ずと言っていいくらい、外国人観光客の姿が目に入ります。コロナによる制限がなくなって、さらに円安も手伝って、来日する海外の方が急速に増えていると実感しているのは私だけじゃないはずです。

実は、病院の中でも同じように、コロナ禍前よりも外国人患者が増えています。観光と違って、病気の治療は一刻を争うものです。がんや難病と診断された中国人患者が、藁(わら)にもすがる思いで日本の病院に来ています。

日本の医療機関で中国人患者がどんな治療を受けているかというと、例えば先端医療である陽子線治療、重粒子治療、手術支援ロボットダヴィンチなどを使って行う高度な手術などです。どれも医療機器が最先端だったり、熟練な技が必須だったりするものばかりで、今の中国では同じレベルの治療が難しいのが現状です。

医療通訳という仕事柄、私は日頃から日本の医師と中国の患者に接していて、どちらの気持ちも感想も最前線で見て、感じています。たくさんの不安を抱えながら、日本の医師にていねいに診察・治療をしてもらって、元気になって帰っていく患者もいれば、なかなか見ないケースに奮闘して、一生懸命治療法を考える医師もいます。

私の父が内科の医師でしたので、小さい頃から父からいろんな病気の話を聞いて育ちました。医師というのは人の命を救うのがもちろん仕事ですが、医学への探究心から難病や難しいケースと出会ったとき、絶対助けてあげるという仁の心と、研究したい、経験を積みたいという気持ちもたくさんあると言います。

観光地が混む、マナーが悪いと言ったインバウンドビジネスに対するマイナス意見も出ている中、病院内まで外国人が入って来たら嫌だ!という声も聞こえてきます。正直に言うと、このような意見を耳にするとき、いつも複雑な気持ちになります。

外国人患者がありがたくなる日

医療通訳を介して診察するため、どうしても診療時間がかかってしまうのは事実です。そのため医師が通常通りの診察ができず、日本人患者に割り当てられる時間が減ってしまい、一定の影響があるのは否定できません。

しかし一方で、少子高齢化が進む今、今後、患者の数も減っていくと容易に想像できます。そうなると、病院の経営も厳しくなりますし、病例の数も減っていきます。若手の医師になかなかチャンスが回って来ず、件数をこなさないと上達できない検査や手術もいっぱいあります。そうなってしまうと、医療水準が低下してしまうリスクも出てくるのではないでしょうか。

ここで考え方を変えて、しっかり外国人患者の受け入れ体制を作って、医療通訳もたくさん養成すれば、人を救いながら医師も成長して、さらに病院の経営にも一役を担うと言う流れができたら、外国人患者はありがたい存在になる日も来るかもしれません。

少なくとも、私は養成講師として、これからも良い人材を見つけて、良い医療通訳を送り出したいと思っている今日この頃です。(医療通訳)

<参考> 医療通訳の相談は松永rencongkuan@icloud.comまで。

人の幸せを語れるほどの力はありませんが…《続・気軽にSOS》147

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【コラム・浅井和幸】心理相談、居住支援、不登校・ひきこもり相談などなど、様々な相談や支援をしていると、クライアントの役に立てているのかを考えることが多々あります。

役に立つとは何か? その人の希望や目的に近づくサポートをする、苦しみや悩みを軽くする関わりをするということでしょうか。少しでも幸せに近づけるような接し方をするということでしょうか。

幸せとは何でしょうか? 何かを楽しめることや生きる余裕があることでしょうか。それとも今が楽しいことでしょうか。あるいは、死ぬ前に良い人生だったと感じられることでしょうか。

幸せになることは権利でしょうか、義務でしょうか。そして、不幸にはなってはいけないものでしょうか。

まだまだ未熟な私には答えが出ません。迷っているときは、とりあえずの今の人生観で接するしかないと考えています。今の楽しみをあまり損なわないように、それでも、もっと長い目で良かったと思えるように関わりたいと。

幸せが何かということも、何となく生活に余裕があって、ささいなことでも喜べることかなぐらいとしか考えられていません。例えば、空を見上げてきれいだなと感じられるとか、水を飲んでのどの渇きが潤ったとかが、ささいなことで喜べるということです。

人は不幸になる権利もある

繰り返してしまいますが、幸せになることは権利でしょうか、義務でしょうか? 不幸になってはいけないものなのでしょうか。どこまで他人である私が関わってよいものでしょうか。今の段階での私の答えは次のものです。

人は幸せになる権利もあるし、不幸になる権利もある。だから、ある人が不幸になりたいと考えているのに、浅井がそれを邪魔してはいけない。

結果、「浅井には、他人の幸と不幸を判断できるほどの立派な力があるわけではないけれど、自分自身も幸せに近づくだろうなと考えられる方向性は、依頼があれば出来る限りサポートする。だけど、不幸になりたいという人の権利はできるだけ邪魔をしないしようと努力するけれど、手伝うことは避ける」というのが、今の段階での私の答えです。

そこで、周りの人や環境への悪口、暴力、正義や愛の押し付け、人を悲しませたり苦しませたりすること、仕返し、自傷他害…。短期的な喜びを得たいという感覚に振り回された、中長期的な不幸を自分に呼び込む権利を行使していないでしょうか。

老婆心ながら、勝手に心配をしております。皆さんが、支えあい、苦しみや楽しみを共有し、少しでもより良い生活を送ることができることを願っています。(精神保健福祉士)

半導体戦争の主戦場、台湾から日本へ《雑記帳》57

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菜の花

【コラム・瀧田薫】2021年秋、台湾積体電路製造(TSMC)が、日本の熊本県に新工場を建設するとの報道発表があった。近年、「半導体」は石油をしのぐ重要戦略物資と化し、同時に米中技術覇権争いの最大・最高の焦点にもなっている。「半導体を制するものは世界を制する」といった言葉さえ耳にする。

そのなかで、TSMCの存在感は急上昇し、すでに世界最大かつ世界最先端の半導体受託製造会社である。そのTSMCがなぜ日本への進出を決めたのか。背景にあるのは、「地政学的要因・経済安保」の問題と「半導体関連技術のトレンド変化」である。

米バイデン政権は22年10月に「BIS(商務省産業安全保障局)輸出管理規則」を打ち出し、最先端半導体はもとより、半導体製造装置などの開発・製造に関連する物品の対中輸出を規制した。同時に、NATO加盟国、日本、韓国、そして台湾に、米国の対中政策への同調を求めた。

一方、これに先立つ20年5月、TSMCは米アリゾナ州に工場を建設することを決定したが、経済紙などは米国の圧力に対するTSMC側の苦渋の決断であると論評した。米中どちらとも友好関係を保ちたいのがTSMCの本音であった。ちなみにTSMCはその後、アリゾナで労働者の確保や地元労働組合との関係に苦しみ、アリゾナ工場での生産の開始は25年前半にずれ込むとのプレス発表である。

TSMCの日本進出については、もちろん「経済安保」も台湾有事に対する備えの問題もあるが、TSMCの側が日本進出に乗り気であった点、米国とは事情が異なる。TSMC側に半導体製造技術面で日本に対する期待があるからだ。

TSMC熊本工場建設に巨額補助金

日本国内の半導体事業はこれまで低迷続きだったのだが、半導体の製造技術にパラダイム変化が起きており、これが日本再浮上のきっかけになりそうなのだ。これまで、半導体の性能は、回路の微細化・精密化の技術に支えられて倍々ゲームで伸びてきた。しかし、このトレンドには物理的にも経済効率的にも限界が見えてきている。

これを突破する方法として浮上してきたのが「半導体材料や製造装置関連の技術革新」であるが、これはもともと日本の得意分野なのである。

TSMCは22年6月、つくば市の産業技術総合研究所つくばセンター内に「TSMCジャパン3DIC研究開発センター」を開所した。この研究所は、3次元パッケージ技術の量産を可能にする技術開発を、日本の材料メーカーや装置メーカー、研究機関との共同研究で推進する。これを成功させて、日本の半導体事業を再生できれば素晴らしい。

問題はこの寄り合い所帯の運営をどう賄うかだ。もちろん、TSMCもただで日本に進出するわけではない。日本政府はTSMC熊本工場の建設に巨額の補助金を支出した。しかし、維持費の補助も必要になるかもしれない。防衛予算、子育て支援、福祉・介護予算、教育・研究支援、災害復興など、今後予想される財政負担は目白押しである。それらとの折り合いをどうするか、政府による説明はない。

裏金作りばかり上手な政治家にこの難問が解けるだろうか。日本の産業、経済の将来が派閥領袖の支配下にある永田町次第ということでは危う過ぎると思う。(茨城キリスト教大学名誉教授)

土浦一高・附属中校長 ヨゲンドラ氏の試み《吾妻カガミ》178

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プラニク・ヨゲンドラ土浦一高・附属中校長

【コラム・坂本栄】茨城県立高校の校長公募で採用されたプラニク・ヨゲンドラ氏が土浦一高・附属中学の校長に就任してからそろそろ1年、副校長時のインタビュー記事「キーパーソン」で紹介してから2年近くになります。2月下旬、所用で土浦一高に行った際、いま何に取り組んでいるのか聞いてきました。

国際性育成と外国留学

「キーパーソン」でも書いたように、インド出身のヨギさん(ヨゲンドラ氏の愛称)が知事と県教育委員会から与えられたミッションは、生徒の国際性育成と外国留学、それから学校改革の3つでした。

国際性育成では、この1年の間に、アメリカ、ドイツ、オーストラリア、インドネシアの学生に来校してもらい、それぞれ1~3日の交流が実現。また、国内のインド人学校へ生徒が訪問、台湾の学生とはオンラインで交流したそうです。「外国の学生は自己肯定感が高いことがよく理解できたと思う」と、生徒には刺激になったとの評価でした。

外国留学(1年~半年)は、校長就任2年目の来年度に6人が予定されているそうです。留学先は、欧米のほか、オーストラリア、ニュージーランド。「海外経験をすると世界を見る目が変わる。これらの結果を見ながら今後も出していきたい」と、人数と留学先を広げることに意欲的でした。

ITシステムで進路指導

ヨギさんは日本に来てから金融系企業で仕事をしていたこともあり、学校改革には意欲的です。

「学校はいろいろな情報がすべてペーパーの世界。生徒の進路情報や教員の残業状況などが別々の書類になっており、まとまった形で見られない。この生徒はどの時期に成績が落ちたのか、そのとき学校側がどう対応したのか、などの関連が分からない。各種の情報を一覧できるような管理システムが必要だ」

「土浦一高は進学校であり、毎年(少なくとも)東大に20人、医学部に20人ぐらい入れるには(これが一番のミッション?)、ペーパー文化では結果を出せない。今の進路情報管理では、どの生徒が東大に行ける資質を持っているかよく分からないし、適切な進路指導もできない」

ヨギさんによると、昨年秋、生徒・教員情報のIT化を目指し、県教育委に青写真を提出したそうです。教育委もその必要性を分かっているようですから、早晩、土浦一高が導入する新システムが全県立高に広まるのではないでしょうか。

高1は内進と高入を分離

ヨギさんの話を聞いていて、「えっ」と思ったことがありました。附属中の1期生がこの4月に高校1年に上がりますが、その内進生(2クラス)は、高校1年で今春入学する高入生(4クラス)と「混ぜない」というのです。

内進生と高入生の分離は県教育委の指示によるもので、高1年は別々にし、高2・3年になってから「混ぜる」そうです。こういったクラス分けは土浦一高と水戸一高だけに適用され、附属中を持つ他の県立高は高1年時から「混ぜる」ということでした。

どうして内進生と高入生を分離するのか? 内進生は高1で学ぶ数学を中3で学んでおり、繰り返しを避けるというのがヨギさんの説明でした。県教育委は、土浦一高と水戸一高に絞って、附属中から入った優秀な生徒を特別に鍛える方針と言ってよいでしょう。

「起業家精神を育てたい」

ヨギさんの試みで面白いのは探求学習の重視です。具体的には「弁当工場を立ち上げ弁当を販売するといった事例研究をさせて起業家精神を育てたい」といった内容ですが、国際感覚や起業意欲が将来の仕事に必要というだけでなく、こういったセンス・マインドが生徒の進学意欲も高めると考えているようです。(経済ジャーナリスト)

<参考>

土浦一高&附属中の学校案内2024に掲載されていた3表にリンクを張りました。 

出身小学校別生徒数

出身中学校別生徒数

進学先大学名まとめ

湖沼市民会議で 霞ケ浦と宍道湖の住民が交流《くずかごの唄》136

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】茨城県主催のシンポジウム「いばらき湖沼市民会議―宍道湖・中海と市民活動について」が2月17日、 宍道湖漁業協同組合の桑原正樹氏も出席して県環境科学センター(土浦市沖宿町)で開かれた。宍道湖・中海住民と霞ケ浦住民の交流は奥が深い。40年前、両方の住民がアオコ問題を提起し、「水の時代」を開いたのである。

1983年に京都で開かれた第1回世界湖沼環境会議プレ会議で、私は地域住民が始めた霞ケ浦流入河川56本の水質調査の報告をした。そして翌年、本会議が大津で開催され、佐賀純一さん(土浦市の医師)が「アオコ河童からの提言」という題で、霞ケ浦のアオコの実情を発表した。

子育て中だった当時の私には、世界中の人たちにアオコを見てもらうだけでなく、匂いをかいでほしいという強い願望があった。その日採取した霞ケ浦のアオコの水を瓶に入れて会場で披露したら、世界湖沼会議全体がアオコの匂いで騒然となった。

宍道湖・中海からも漁民がたくさん参加していたが、湖を淡水化したら水がアオコだらけになってしまい、魚が採れなくなってしまうのではないかという危機感が高まり、漁民を核にした住民運動「宍道湖中海の淡水化に反対する住民連絡会」は、2カ月間で28万人の署名を集めた。

湖の水質保全と漁業の変化

当時の友末洋治茨城県知事に依頼され、霞ケ浦の水を最初に分析したのは義兄の奥井誠一である。当時、彼は東大の「衛生裁判化学」の助教授をしていた。国鉄総裁轢死(れきし)体をめぐる下山(定則)事件、森永乳業の砒素(ひそ)ミルク事件の分析にもかかわった毒物のプロである。

兄と雑談していたとき、「僕は心配しているんだ。アオコがこれだけたくさん発生してしまうと、アオコの毒性について本気になって調査しておかないと、後で大変なことになってしまうんじゃないかと…」。

あれから40年。アオコの発生は抑えられているが、霞ケ浦名物だったワカサギは取れなくなってしまった。今回のシンポジウムでの宍道湖・中海の漁民・住民との新しいつながりが、地球全体の気候の変化に対応した湖の水質保全と漁業の変化に対応できるかどうか、双方の住民に問われている。(随筆家、薬剤師)

パリジャンと私《ことばのおはなし》67

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写真は筆者

【コラム・山口絹記】昔から朝が得意ではない。はて、私はなぜ「得意ではない」などと迂遠(うえん)な言い回しをしたのだろう。人様に見られると思って文章を書いていると、無意識にええカッコをしようとしてしまっていけない。ハッキリ書き直そう。

私は朝が憎い。朝なんて来なければいいと常々思っている。ここまで書くと意味が変わってしまうか。とにかく私は朝が苦手だ。毎日この世の終わりみたいな顔をして起き上がる。早く寝れば早く起きられるなんていうのは迷信だと思っているし、朝起きられないのは心が弱いからだなどとのたまう人間とは一生わかりあえないだろう。

ちまたにあふれる朝気持ちよく目覚める方法なんて、この四半世紀の間に全部試してきた。そのすべてが当然無駄だったのだ。しかし、憎さもいくところまでいくと、妙な憧れのような気持ちが芽生えてくる。

私には小さい頃からやってみたいことがある。朝早く起きて、大きな紙袋いっぱいにパンを買ってきて朝食をとってみたいのだ。そう、紙袋からフランスパンが突き出しているアレである。パリジャンになりたいのだ。パリの人々が毎朝パンを買いに出かけているかどうかは知らないが、そんなことはどうだっていい。とにかくやってみたい。あわよくば、毎朝そんな生活がしてみたい。

今日は保育園休み?

しかし現実は厳しい。私と生活をともにしたことがある人なら口をそろえて言うだろう。まぁ、無理でしょ、と。そんなことは自分でもわかっている。自覚はあるから言わなくてよろしい。

家族にブーイングを浴びせかけられながら、いくつもの目覚まし時計をかけ、鉛のような身体にムチを打って起き上がればできないこともないだろうが、そういうことがしたいんじゃない。小鳥のさえずりに目を覚まし、無駄にさわやかなアニメのオープニングのように、真っ白なカーテンを開いて家を飛び出したいのだ。まぁ、無理か。ああいうのはフィクションだし。そもそも朝から食欲なんてないし。

先日、年に1回あるかないかの、ふと早い時間に私が目を覚ましてしまう事象が発生した。エスプレッソとスクランブルエッグを作って鼻歌交じりにパンを焼いていると、もうすぐ3歳の息子が「保育園休み?」と妻に聞いた。小学生の娘はいつになく慌てて学校に行く支度を始める。

私が変な(世間一般に普通の)時間に起きてくるものだから、調子が狂ったのだろう。我が家の朝はそんな感じである。これからもたぶん、そんな感じなのだろう。(言語研究者)

郷愁の商店街のゲートと鳥居《看取り医者は見た!》14

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【コラム・平野国美】地域の特性に応じた役割を果たすために設けられてきた商店街のゲートは、どこから来たのでしょうか? というよりも、なぜ造られたのでしょうか?

都市計画学のバリー・シェルトンは、「日本の都市から学ぶこと」の中で、商店街におけるゲートと神社の鳥居を中心とした参道の共通性について指摘しています。私は古本屋でこの書籍を見つけ、読んでみました。日本で生まれて育った私たちにはわからない、いや、気づけない街の構造を異邦人側から見ると、どう見えるのか、とてもユニークでした。

近代以降の日本において、家屋の欧米化、街並みの欧米化が進んだわけですが、そこに、どこか日本固有の文化が残るようです。完全に欧米化しているようで、実は良くも悪くも日本的な要素が残る。そこが面白いのです。しかし、これは完全に証明はできないのだと思います。それは、無意識に行っているから。

商店街の成り立ちとして、神社が起点となっている痕跡は見られます。商店街や駅名に神社仏閣の名称が付けられていることからも分かると思うのです。江戸時代には商業が急速に発展しました。商人たちは商業活動を行う場所として、城下町や街道沿いの宿場町、そして門前町(神社の鳥居前町)があるのです。

神聖な世界と浮世を分ける結界

神社が単に宗教施設としてではなく、縁日や市場の場所として境内が利用されたことも、この流れなのだと思います。ここで、それを私が勝手に裏付けると思っている右の写真が、岡崎市のパワースポット呼ばれる「晴明神社」と本町晴明ストリートにある商店街のゲートです。

晴明の文字と五芒星(ごぼうせい)が飾られたゲートは商店街の入り口なのか? 神社の入り口なのか? いずれにしろ、神聖な世界と浮世を分ける結界を意味しているのではないでしょうか?

左の写真は、愛知県瀬戸市の「瀬戸銀座通り商店街」です。ここでは、ゲートと深川神社の鳥居が寄り添っています。調べてみましたが、商店街のゲートが神社の鳥居に由来するという記載は見つけられませんでした。しかし、全てではないとしても、一部の商店街のゲートが鳥居のデザインに影響を受けているのではないでしょうか?

バリー・シェルトンのような都市建築学の権威が、この二つの印象を関連付けています。商店街のゲートは日本の伝統的な要素も表現しています。それゆえ、日本全国に受け入れられ造られた時期があったのでしょう。(訪問診療医師)

筑波メディカルセンターの救命救急体制《メディカル知恵袋》3

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図2

【コラム・阿竹茂】現在、茨城県には救命救急センターが6カ所、高度救命救急センターが1カ所あります(図1)。救命救急センターの役割は「重篤患者に対する高度な専門的医療を総合的に実施することを基本とし、重症および複数の診療科領域にわたるすべての重篤な救急患者を24時間体制で受け入れること」です。

筑波メディカルセンター病院は、1985年に開催されたつくば科学万博に合わせ、県内2番目の救命救急センターとして設置されました。地方の救命救急センターとして、軽症から重症患者まで幅広い救急医療だけでなく、ドクターカーによる病院前救急医療、死後CT検査による死因究明のほか、災害時の救急医療も行ってきました。

図1

自家用車での救急外来受診も 

救急搬送される患者さんは、2022年には約 5000件に上り、うち1300件(全体の26%)が救命救急センターの集中治療室に入院しました。主な傷病は、急性心筋梗塞や心不全などの心疾患、重症外傷、脳血管障害(脳出血、脳梗塞)などです。

重症患者は救急車で搬送されるとは限りません。自家用車で来院して、救急外来を受診する方(walk in)の中に、急性心筋梗塞、脳卒中、重症感染症など、重症かつ緊急性の高い患者さんがいます。筑波メディカルセンターでは、緊急性の高い患者さんに迅速に対応し、来院後~診察の間に急変することを未然に防いでいます。

ドクターカーによる救急医療 

2012年から乗用車型ドクターカーの運用を始め、2022年にはドクターカーで786件出動し、240件の病院前診療を行いました。ドクターカーは消防署からの要請で出動し、救急車の救急隊と連絡を取りながら、現場や搬送途中で合流し、派遣された医師・看護師が診療を行います(図2)。

救急隊では行えない検査・処置・投薬を行うことで、傷病者の状態悪化を防ぎながら病院に搬送しています。急性心筋梗塞や重症外傷など、緊急性の高い傷病者の場合は、ドクターカー医師からの連絡によって、病院で対応するスタッフの招集や治療の準備を早期に始めることができます。

死後CT検査による死因究明 

筑波メディカルでは、救急外来での死亡確認症例のほぼ全例について、死後CT検査を行っています。来院時心肺停止の症例の多くは、救急外来で死亡確認を行います。2022年の外来死亡症例は149人で、死因究明のために141人(全体の95%)の死後CT検査が行われました。

特に目撃のない心肺停止の症例は経過が明らかでないため、死亡原因が不明となることがありますが、死後CT検査で急性大動脈解離や脳出血を認め、死因と診断できることがあります。目撃のある心肺停止でも、急性大動脈解離による心肺停止は通常の心肺蘇生法では救命できないため、新たな方法が必要となります。死後CT検査による死因究明が進むことで、急変時の対応方法が変化していく可能性があります。

災害拠点病院と救急災害医療 

救命救急センターを有する県内の病院はすべて災害拠点病院となっており、災害時医療の準備や訓練を行っています。筑波メディカルセンターでは、救命救急センターの医師や看護師が、災害医療派遣チーム(DMAT)の主な構成メンバーとなっています。

東日本大震災(2011年3月)、つくば竜巻災害(2012年5月)、常総市水害(2015年10月)では、筑波メディカルセンターは DMATの活動拠点となり、救急災害医療活動を行いました。今年1月に起きた能登半島地震では、3次隊として茨城DMAT15チームが被災地に派遣され、筑波メディカルセンターのDMATも珠洲市で活動しました。(筑波メディカルセンター病院 救命救急センター長)