火曜日, 4月 22, 2025
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《宍塚の里山》40 栗はどうして大木にならないのか?

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小さな栗のイガ

【コラム・及川ひろみ】全国一の栗の産地である茨城県、梅雨の季節は栗の花が見ごろです。花は木を覆うように白く垂れ下がった花を咲かせます。しかし垂れ下がった花から、どのようにして栗が実る―栗のイガができるのでしょうか。不思議ではありませんか。

白いたくさんの花は雄花で、その根元をよく見ると小さなイガの赤ちゃんが見られます。これが栗の雌花です。栗の花には独特な臭いがあり、これに誘われ、いろいろな虫がやって来る、いわば虫媒花(ちゅうばいか)です。晴れた日なら、ベニカミキリ、アカシジミなど美しい虫たちが白い花にやって来ます。

ところで、青森県にある縄文時代の大規模集落跡、三内丸山遺跡には、シンボル的な三層の掘立柱の建物が再現されていますが、その柱は栗材でできています。直径1メートル近くもあります。当時、この辺では栗が栽培されていたことも明らかになっています。

童謡「大きな栗の樹の下で」と歌われている栗ですが、今は太い木がほとんど見られません。里山でも普通に見られる栗ですが、大木になることはなく、同じ仲間のコナラやクヌギに比べても若くして枯れます。

三内丸山遺跡の不思議 掘立柱は栗の大木

原因は、シロスジカミキリ、ミヤマカミキリだといわれています。これらの虫は栗畑でも代表的な害虫です。枯れた栗の木を伐(き)ってみると、何本もの太いトンネルが見られますが、これは日本で最も大きなカミキリムシ、シロスジカミキリや、やはり大型のカミキリムシであるミヤマカミキリの幼虫(テッポウムシ)が作ったものです。

シロスジカミキリのメスは丈夫な顎(あご)で、木の幹を一周するように樹の堅い皮に帯状にたくさんの穴をあけ、その後、体を半回転させ、腹の先端にある産卵管を穴に差し入れ一卵ずつ産卵していきます。ミヤマカミキリは樹皮のくぼみに卵を産み付けていきます。

1本の樹に何匹もの幼虫がトンネルを掘ることから、カミキリムシの幼虫が入った樹は次第に弱り、大風などで倒れます。それで栗の木が大きく育つことがほとんどないのです。

しかし、三内丸山遺跡ではどうして栗の樹が大きく育ったのでしょうか。最近の考古学の研究によると、シロスジカミキリは縄文時代以降に日本に入って来た渡来の生き物だったのではないかといわれています。

さて9月になると、里山には芝栗、山栗と呼ばれる小粒の栗がたくさん実ります。甘いですよ。しかし、甘いものにはこれを好む生き物がすばやくやって来ます。風が吹いた朝などに、落ちたばかりのピカピカ光った栗を拾い、生でかじる。里山の楽しみの一つです。(宍塚の自然と歴史の会代表)

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《映画探偵団》20 本のある空間 土浦駅ビルとその周辺

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【コラム・冠木新市】桜川の終着点、土浦に月2度ほど足を運ぶ。土浦駅の並びに市立図書館「アルカス」ができてから楽しみが増した。アルカスには、昭和初期の新聞縮刷版があり、また桜川流域の資料も豊富で、私にはなくてはならない空間になった。行く度に来館者の姿が目立ち、市外からの人も結構多いのではと思われる。そんな図書館が建つ前は、関東一を誇る「つちうら古書倶楽部」を目指していた。

5年前、『茶の間の土浦五十年史』(市村壮雄一著)を3000円で購入し、いい資料が手に入ったと喜んだ。ところが後日、同じ棚の下に同じ本が2000円で出ているのを見つけ、喜びが薄れた。いい本が見つかっても、あちこち広い店内を見た方が賢明である。

昨年は探し求めていた『大菩薩峠』(中里介山著)の全巻揃いを遂に発見した。しかも、12冊の愛蔵版3000円物と5000円物、文庫本20巻の富士見書房4000円物とちくま文庫5000円物、計4セットだ。一体どこに隠れていたのかと思った。私は巻末の注釈が詳しいちくま文庫版を買った。

アマゾンでネット注文すればもっと早く安く手に入るようだが、昭和アナログ世代の生き残りとしては店内の散策体験は捨てられない。

また代表の佐々木嘉弘さんとの会話も貴重だ。先日、古書まつりの最終日に団員と行った際、『新橋芸者かるた』2500円が大人気だったようで「今度手には入ったら4000円の値で出します」と話してくれた。隠れ芸者マニアは意外に多いようだ。

図書館、古書店、あとは新刊書店があればと思っていたら、5月31日、駅ビルの「プレイアトレ」2階に「天狼院書店」がオープンした。60坪の空間に棚ごとにリクエストノートが置かれ、レジ横の黒板には開講するゼミの予定が書かれ、ほとんど目立たないが小さなステージもあった。

若者を意識したオシャレなつくりで、これが成功したら全国に100店つくる計画らしい。同じ本を扱っていても図書館と古書店と新刊書店では性格が異なる。

戦後4度映画化された『大菩薩峠』

未完の大長編小説『大菩薩峠』は戦後4度映画化された。1度目は東映の片岡千恵蔵主演、渡辺邦男監督の3部作(1953)。公開後はほとんど上映されず未見。2度目も東映で千恵蔵主演、内田吐夢監督の3部作(1957~59)。第3部ラスト、氾濫する川の中、壊れた橋の上で息子の名を呼ぶ千恵蔵の演技は息をのむ迫力だ。

3度目は大映の市川雷蔵主演、三隅研次・森一生監督の3部作(1960~61)。女性たちにクールに接する雷蔵の表情はニヒルで格好よい。4度目は東宝の仲代達矢主演、岡本喜八監督(1966)。これはモノクロで1作のみ。仲代が新撰組を斬りまくるラストは悪魔的な不気味さ、ニューヨークで大受けした。

どの作品も個性的で魅力にあふれ甲乙つけがたい。華麗な雷蔵版はアルカス。土俗的な千恵蔵版は古書倶楽部、異色な仲代版は天狼院書店と言えようか。

『大菩薩峠』の映画化が途絶えて半世紀が経過した。新刊書店、図書館、古書店と本の運命をたどれば、本の墓場、いや、リサイクル古本市が想像できる。きっと亀城公園で実現するのではないか。いずれにしても「本」は読むだけではなく「歩く」ためのものだ。私にとっては。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

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《土着通信部》31 筑波山で始まったミュオン研究の現在地

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G20貿易・デジタル経済相会合の背景を飾った筑波山のシルエット=9日、つくば国際会議場

【コラム・相澤冬樹】G20貿易・デジタル経済相会合の会場となったつくば国際会議場には、本会議場や記者会見場の背景に、舞台の書き割りよろしく筑波山が描かれていた。男体山の方が高く、長く筑波と付き合ってきたものには違和感ある絵柄である。東の女体山(877メートル)、西の男体山(871メートル)の標高は頭に刷りこまれている。しかし、描き手には、男体山の立ち上がりが強調されたこの構図こそが自然だったのだろう。

実は、これに似た筑波山のシルエットを、ごく最近見たばかりだった。話は東海村のJ-PARCにあるミュオン実験施設に飛ぶ。ここで、日本でのミュオン研究は1990年代、筑波山の観測から始まったと聞いた。長い付き合いなのに初耳で驚いた。

今日、メルトダウンした福島第1原発の原子炉内部をのぞいたり、ピラミッドの内部を透視したり、巨大構造物の内部を立ち入ることなく見せてくれると注目の素粒子ミュオン。地球にやってくる宇宙線は、大気を構成する原子の原子核と衝突して大量の宇宙線シャワーとなり、多くがミュオンとニュートリノに崩壊して地表に降り注ぐ。透過性が高くて物質とほとんど反応しないニュートリノに比べれば、ミュオンは電荷を持つ分、物質と衝突する確率が高い。地表側に検出装置を置き、高いエネルギーを持つ粒子に構造物を長時間さらすと、次第に描像が乾板に浮かび上がってくる。レントゲン撮影のX線代わりに、ミュオンを用い内部を観察するのである。

「ミュオンラジオグラフィー」という技術で、わが国における草分けが、東大名誉教授、永嶺謙忠さんだ。東大助教授時代の1993〜94年に、筑波山(男体山頂)から約2キロ離れた山麓(標高150メートル地点)に検出装置を置き、約3カ月間の観測をしている。火山の内部構造の探査を目的とする準備観測として、内部の密度分布の測定を行ったもの。孤立峰である筑波山は、上空から降ってくる宇宙線シャワーをキャッチする地表側に検出装置を置きやすかったのだろう。

男体山が高いシルエット

測定結果をまとめた論文「宇宙線ミュオンを用いた火山体トモグラフィ」は、「地学雑誌」(1995年)に掲載された。今も、科学技術情報サイトのJ-STAGEでpdfファイルを読むことができる。当然、ミュオンで撮影した筑波山が写っているのだが、山の輪郭が浮かぶだけの連続写真である。とても内部まではうかがいしれない。しかも、この双峰のシルエットは「男体山が高い」のである。

観測位置から仰ぎ見る形で、ピントを男体山に合わせたためだろう。遠くに写る女体山は低くなる。モノトーンの粗い画像が、いかにも先端科学の始まりっぽくて興味深い。

永嶺さんはこの後、高エネルギー加速器研究機構(KEK)教授となり1999年、検出器系を増強して、3.9キロの距離から浅間山火口の形状の検出に至っている。火山体の活動状況の経時変化をオンライン透過像で知ることにも成功、そして今年3月には、「ミュオンラジオグラフィーの開拓」で日本学士院賞を受賞した。

J-PARCでは、宇宙線ミュオンを用いず、加速器を使う。加速した陽子を標的に当て、ミュオンを大量発生させる装置で実験を行っている。ミュオン研究は、より洗練された画像を描くようになっている。(ライター)

《続・平熱日記》27 いらないもの 思いっきり挙げます

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【コラム・斉藤裕之】近所の公園のフェンスに、また、新調されたのぼりが括(くく)り付けられています。「空き巣に注意!」「自転車にはカギを‥‥盗難多発」。

そもそも、のぼりは戦なんかで士気を高めるためのものだったり、お祭りなどの賑やかな場所に立てるもの。例えば街道筋の定食屋、のぼりがいっぱい立っていると逆に美味しそうに思えない。ツーランクダウン。

公園ののぼり然(しか)り。フェンスにボロボロになってはためくのぼりを見るたびに、考えさせられます。せっかくの街並みにマイナス要因。空き巣が多い街なのかと思っちゃう。先日も駅前のロータリーに、複数のイベントののぼりが競い合うように取り付けてあって、なんとも田舎臭い。

それから、近場のドライブでよく見かけるもの。どこの中学校、高校にも「〇〇大会出場〇〇君」「〇〇大会第3位」とかフェンスに貼ってあるあれね。品がないですねえ。能ある鷹はなんとやら、なんていうのは今や美徳ではない?

オリンピックにキャラクターが必要?

いらないと感じるもの。先日ある新聞のコラムを読んで、以前からの私の持論と重なる部分が多く、独りよがりの意見ではないことを再認識した次第です。ざっくり言うと、「学校にはいらないものが多すぎる」「戦後何も変わらない日本の学校」「なので先生は忙しすぎる」というところでしょうか。

入学式、始業式、終了式等々。卒業式を除くセレモニー、および偉い人の話。部活、ちょっと踏み込んで修学旅行、運動会、制服もいらない。あくまで個人の感想であり、これらに代わるものはあってもいいと思いますが。

ついでにキャラクター。オリンピックにキャラクターが必要なのでしょうか、ゆるキャラだのなんだの。国民的行事や自治体に、いちいちキャラやマスコットは不要。個人的には、国体やオリンピックの在り方も一考の価値あり。

ちょっとそれますが、日本の映画も子供向け。魔法がかった奇跡の青春恋愛もの。理由は儲かるか否か? はたまた勧善懲悪、痛快活劇的なアメリカもん。

最後に街路樹。延々と続くユリノキやモミジバフウ。その根元には雑草が茂る。この木や草がなければ道もかなり広くなり、剪定(せんてい)や除草のお金もかからない。ちょうどこの季節、牛久沼を越えて藤代に向かう国道では、大きな白い花が咲きます。「タイサンボク」の花。誰にも愛でてもらえないかわいそうな花。

「きれいに使っていただきありがとうございます。店長」トイレの貼り紙もいらない。(画家)

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《邑から日本を見る》41 私の学び舎が消えていく

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飯野農夫也氏の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】環境自治体会議(代表幹事・山田修東海村長)が今年度で事実上幕を閉じる。先月、東京で開いた総会で、来年に環境首都創造ネットワークと一緒になり、新組織を立ち上げることを決めた。現在の会員は東海村、那珂市、ひたちなか市、古河市、行方市など30自治体。

同会議は、国連がブラジルのリオデジャネイロで環境開発会議(地球サミット)を開いた1992年5月に、ワインで有名な北海道池田町でスタートした。私はその時に、同町、沖縄県読谷村と共に開催の呼びかけ人になった。

環境自治体とは、「自治体のすべての政策分野で環境優先の考え方を取り入れ、地域において環境の視点に立ってまちづくりを推進し、同時に自らの活動において環境配慮を実現しようとする自治体」を言う。そして環境自治体会議とは、「自治体の首長が中心となって環境自治体づくりをめざしていくネットワーク組織」のことである。

地球サミットでは、21世紀に向けて持続可能な開発を実現するための行動計画「アジェンダ21」を採択した。これには世界が直面する環境と開発に関するあらゆる問題領域が含まれており、課題ごとに行動の基礎、目標、行動および実施手段を示して、誰が何をどのような手段でいつまでに実施するのかを明確にした、目標達成型の行動計画である。環境自治体のメンバーは、「ローカルアジェンダを策定し、市民の生活や地域社会をエコロジカルに変える」運動の先頭に立つことが求められる。

環境自治体会議 先進的事例も報告

会議では毎年1回、会員自治体の市町村で全国集会を開いてきた。参加者は、個性あるまちづくりや環境運動を展開している自治体の首長や議員、職員、研究者、市民運動家などで、首長も司会や報告者、助言者などを担当し、参加者は皆同列で議論した。意見がぶつかり合うこともしばしばだった。私は、第4回の大分県湯布院会議まで全体会の司会を担当した。

県内では古河市、東海村、行方市で開かれ、生ごみの減量やリサイクル、地域農業、霞ケ浦、水、地域交通、原子力、環境教育など環境に関するあらゆる問題をテーマとしてきた。その地域特有の課題やテーマもあるが、多くは先進的事例が報告され、学ぶことが多かった。ごみ一つとっても、水俣市の23分類などは現場まで見に行き、参考になった。

わが国の行政運営は、明治以降長いこと国が中心で、都道府県、市町村と縦系列だった。首長や職員、議員は隣の町でどんなことが行われているかを知らなくともよかった。環境自治体会議はそのような支配構造ではなく、横に手を結ぶ、隣の町の良いことをわが市にも採り入れる。そこに出かけて行き、学んでくる。

私が印象に残っているのは、北海道池田町、沖縄県読谷村、新潟県安塚町、大分県湯布院町、北海道斜里町、熊本県水俣市、秋田県二ツ井町など早い時期に開かれた全国大会で、参加する首長にエネルギーが満ちていた。会議だけでなく、夜の交流会で出される郷土料理や地酒も忘れられない。

自治体は4年に一度選挙があり、首長が代わると前のことを引き継がないことが多い。70以上あった加盟自治体が半数以下になってしまった。環境問題がこれからますます重要になってくるが、30年で一区切りということなのだろうか。私の学び舎が消えていく。(元瓜連町長)

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《食う寝る宇宙》39 宇宙のSDGsを研究しています

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【コラム・玉置晋】僕は茨城大学の大学院生ですが、放送大学の学部生でもあります。放送大の茨城学習センターは、茨大・水戸キャンパスの中、僕が茨大でお世話になっている野澤研究室(宇宙天気防災学)が入る理学部棟お隣の3階建てのキレイな建物です。

放送大の学生はそこで単位認定を受けたり、図書室で放送授業を受講したりしているのですが、サークル活動もかなり盛ん。僕はそのサークルの一つ「未来環境クラブ」に参加しています。

クラブ会長の川村優一さんは、環境省認定の「温暖化防止コミュニケーター」、茨城県認定の「地球温暖化防止活動推進委員」、茨城県教育委員会認定の「おもしろ理科先生」として、電気がなくとも、太陽光だけで高温調理が可能なソーラークッカーを使って、地球温暖化防止の啓蒙活動をされている方です。

クラブの今年度のテーマは「SDGs」。これ、読めますか? 同クラブの会合で、川村会長が白板に「SDGs」とお書きになって、僕は「”えす・でぃー・じー・えす”って何すか」と聞いたら、「玉置さん、これは、”えす・でぃー・じー・ず”と読むのです」と教えてもらいました。

SDGs=Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)とは、発展途上国に対する開発支援、先進国の持続可能な開発、全地球的な対策について、17分野の大目標からなる行動指針です。2015年に国連で採択されました(※)。

持続可能性 生存可能性 復興力

2020年の東京オリンピック・パラリンピックでは、「Be better, together(より良い未来へ、ともに進もう)」という持続可能性コンセプトを持って、SDGsに貢献していくと宣言されています。そのような時流もありまして、実はこのSDGsは、かなりのパワーワードのようです。受験生、就活生、そして、ビジネスパーソンは要チェックですよ。 

僕は、宇宙開発のサステナビリティ(持続可能性)、宇宙災害に対するサバイバビリティ(生存可能性)、宇宙災害に対するレジリエンス(復興力)をキーワードとして、「宇宙からみたSDGs」と題して発表し、議論を重ねているところです。

本テーマを含め、未来環境クラブでは、様々な切り口からSDGsに関して、研究発表を予定しています。(宇宙天気防災研究者)

※ http://www.undp.org/content/undp/en/home/sustainable-development-goals.html

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《地域包括ケア》37 看取りの場としての「サ高住」

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名古屋市南医療生活協同組合のサービス付き高齢者住宅

【コラム・室生勝】前々回のコラムで「2035年には団塊世代が80歳以上の死亡平均年齢となり、多死時代を迎える。つくば市でも看取りの場としての病院や施設は足りなくなり、在宅看取りが増えるであろう」と書いた。

看取りは臨終の短時間の介護を意味するのでなく、数時間~数日以内の死亡が予測される場合の臨終まで見守ることである。想定期間が長くなり、1カ月から数カ月に及ぶ場合もある。

1人暮らしや高齢者のみの世帯では、自宅での看取りは難しい。私は32年間の開業医時代に1人しか経験していない。多発性脳梗塞、軽度認知症でほとんど寝たきりの要介護「5」、70歳代後半の男性のケースだが、余命1カ月以内からヘルパーが毎日1回、医師と訪問看護師が交互に週3回、ケアマネージャーが週1~2回訪問、近所の人たちの見守りチームで自宅看取りをした。

最近は、介護型あるいは住宅型の有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)が看取りの場になりつつある。1人暮らしに限らず、高齢者のみの世帯や家族介護力が弱い世帯の高齢者が入居している。介護型老人ホームでは24時間の見守りがあるが、住宅型老人ホームやサ高住では夜間の見守りがない。

そこで、介護保険の訪問看護サービスの「24時間連絡体制加算」(24時間電話相談に応じる)か「24時間対応体制加算」(24時間必要に応じて訪問する)を利用すれば、夜間も安心である。要介護度が高い場合や認知症がある場合には、定期巡回・随時対応型訪問介護看護を利用する方法がある。ヘルパーと看護師が連携し、24時間連絡体制で必要に応じて随時訪問してくれる。

急がれる「終の住処」対策

看取りをする医師と24時間対応体制の訪問看護サービスがあれば、住宅型老人ホームでもサ高住でも看取りは可能であるが、私が調べた限り、つくば市で看取りをする有料老人施設は、介護型が2カ所、住宅型が1カ所しかない。サ高住では6カ所が相談に応じるようだ。電話やFAXで確かめるとよい。

介護型有料老人ホームは、入居一時金が数100万~1000万円と高いが、住宅型有料老人ホームは100万円以下、サ高住は0~30万円である。入居一時金は、月々の「家賃(賃料)」の一部を先払いするもので、支払った一時金の金額だけ月額費用は安くなる。

月々の支払いは、特別養護老人ホーム(特養)のように安くはない。サ高住は有料老人ホームより安く、食費込みで月額12~16万円である。これに介護保険サービスの費用が加わる。要介護5で限度額まで使った場合、総計16~20万円(介護保険サービス料を1割負担として)となる。

つくば市のサ高住は現在10カ所ある。2カ所は50室だが、8か所は30室以下で計268室である。看取りをしてくれるサ高住は5カ所、計107室であるが、「応相談」とあり、病状によっては入居を断られたり、重症になったら退所しなければならない場合もある。特養に代わる看取りの場としては少ない。

つくば市長公約事業のロードマップNo.29に「待機高齢者ゼロに向けた地域密着型特別養護老人ホーム及びサービス付き高齢者向け住宅の整備推進」とあり、つくば市は高齢者の終(つい)の住処対策を急がねばならない。モデルとして、柏市豊四季台の「24時間対応サービス提供拠点とサービス付き高齢者向け住宅」が参考になる。

次回コラムでは、名古屋市南医療生活協同組合のサ高住「よってって横丁」を紹介したい。(高齢者サロン主宰)

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《ことばのおはなし》10 微分のおはなし

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【コラム・山口絹記】「言語学って、どんなことやってるの?」。たまにこのような質問を受ける。大雑把だが大切な質問だな、と思う。何か自分自身の興味に忠実に学び続けていると、こうした根本的な質問に答えられなくなることがある。

ここで相手を選ばず、“ソシュール”とか“構造主義”とか“超文節素”などという単語を並べるのは簡単なことだが、それでは「難しそうだね」で、会話が終わってしまうことのほうが多いだろう。

では、どう説明すればよいか。相手の土俵に立ち、相手のルールに近い話し方を試みるのはどうだろう。

さて、会話の相手が数学という、ある種の言語が得意だったとする。そんなとき、私は少しだけ考えて、「関数ってあるじゃん」と答えてみる。

相手は生真面目に「Xの値が一つ決まればそれに対応する値が一つ決まるものをXの関数と言える」と答える。

「うん。じゃあ、微分は? 関数を微分し続ければ、定数になってグラフは水平になるよね?」

「多項式で表せる関数なら、ね。三角関数なんかはいくらでも微分できる。まぁ、他にもきちんと定義してほしいことがいろいろあるけど」

「細かいなぁ。じゃあ、物体の位置を多項式で表す関数があったとして、その関数を微分すると何になる?」

「一度微分すれば速度、二度微分すれば加速度を表す導関数になる。ねぇ、これ何の話?」

ことばの意味ではなく意図

「ことばのおはなしだよ。ねぇ、例えば“ことばを微分”できるとしたら、何になるのかな」

「いきなり雑な例え話になったな。意図とか感情を表すものになるとでも答えてほしいのか?」

「面白い。まさに例え話だ。でもキミ、同じことばが常に同じ意図と感情に結びつくとでも思ってるのかい? もしそうなら、この世から意図しない口喧嘩を一掃することだってできるはずだ」

「今まさにケンカ売られてるような気がする」

「ケンカなんか売ってないよ。私のことばをもっと正確に微分しなさい」

「“微分”に変な意味を与えるなよ」

「“変な意味”って?」

「今、微分を“ことばの裏にある意図や感情を読む”って意味で使っただろう」

「すごい。よくわかったね。辞書をひいても微分にそんな“意味”は載ってないのに通じ合えた。これってすごいことだよ」

「…確かに。でもそれが会話ってもんだろう」

「会話の積み重ねによって、新たな意味が浮かび上がってくるとしたら、それは微分というより積分かも」

「また雰囲気だけで雑な例え話を」

「そもそもさ、言語学って何やってるの? って質問に、関数ってあるじゃんって答えはおかしいんだけど、キミはおそらく、これは説明のための例え話だと推測して話に付き合ってくれた。つまり、キミは私のことばの“意味”ではなく“意図”を読み取ってくれた。会話というのは、どうやら“意味”のやりとりだけでなりたっているわけではないらしい。言語学にもいろいろな分野があるけど、こういうことを考えるのも、言語学だよ。面白いと思わない?」

「…なんか煙に巻かれた気がする」(言語研究者)

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《光の図書館だより》19 「本」を通じて賑わうまちへ

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土浦図書館児童コーナー壁面装飾 つくば国際短期大学の学生が制作

【コラム・入沢弘子】5月末、当館お隣の土浦駅ビル「プレイアトレ」に待望の書店が開店。それも注目の「天狼院書店」です。同書店は出版不況の中でも、体験型書店という新しい形態で、続々と店舗をオープンさせている新刊本屋さんです。

大都市圏の展開だけと思っていましたが、土浦出店と聞き驚きました。プレイアトレの「コト発信」と「体験の共有」というコンセプトに合致したのでしょう。

駅から徒歩3分ほどの場所には、昔から親しまれているまちの本屋さん「マスゼン書店」と、関東最大規模の古書店「つちうら古書俱楽部」があります。本の好きな方には堪(たま)らない環境。これをまちの活性化につなげる方法はないでしょうか。

全国に目を移すと、本でまちの賑わいをつくる動きが増えています。2016年に青森県八戸市にオープンした「八戸ブックセンター」は、市が経営する書店として話題になりました。私も何度か私的に訪れましたが、通常の書店と異なる選書や分類方法でユニーク。「本のまち八戸」の中心拠点として、隣接する観光交流施設「はっち」や市民交流施設「マチニワ」とともに中心市街地の活性化に貢献しています。

関西では、17年に兵庫県明石市に誕生した「パピオス明石」が注目されました。JR明石駅前の再開発ビルを「本のまち明石」のシンボル施設とし、市立図書館と大手書店が入居することで駅前の通行量を増加させています。

図書館、新刊店、古書店が連携?

そして当館は…というと、開館1年半で87万人をお迎えしました。市役所移転との相乗効果で、周辺の通行量が平日で約8,000人、休日は約12,000人増加しました。

先日、つちうら古書俱楽部の佐々木嘉弘代表と懇談した際、「図書館からウチへ流れてくるお客さんが増えましたよ」とおっしゃっていました。近くの飲食店でも、「図書館帰りにランチにくる人多いよ」と言われました。微力ながらまちの活性化のお役に立っているのかもしれないと、嬉しくなりました。

そして駅ビルに書店が開店。知的好奇心を満たすには、土浦駅周辺は絶好の場所です。公共図書館が書店や古書店と連携し、本を通じてまちに賑わいをもたらすことが今後の目標です。(土浦市立図書館館長兼市民ギャラリー副館長)

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《くずかごの唄》39 「ソラみたことか」奥の細道

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【コラム・奧井登美子】高校3年の時、私は、芭蕉の「奥の細道」の絵巻づくりに熱中していた。那須温泉の近くの殺生石の上で、蝶や蜂が死んでいるところを描かなければならない。その石の中に天然の砒素(ひそ)成分が入っていて、昆虫を殺してしまうという。砒素で死んだ昆虫がどういう姿なのか、想像できなくて困ってしまった。

「薬科大学へ行けば、砒素の毒なんか、すぐ教えてくれますよ」。私は、大学は文学部を希望していたが、父は薬科大学を受験しろと主張して、薬への興味をそそのかす。祖父の加藤尚富は、京都二条城の御製薬所だった加藤翠松堂(四日市)の出身という。父としては親戚の手前、4人の子供のうち1人は薬剤師にしておかないとまずいと思ったのかも知れない。

私は余り気がすすまないままに、上野桜木町にある東京薬科大学に入学した。大学も新制大学になって3年目、教科にどんな教師を選ぶか手さぐりの時代だったのだろう。本郷の東大から自転車で5分と近いせいか、講師は東大の若い先生が多かった。

叔父が森永砒素ミルク事件の渦中に

「衛生裁判化学」といういかめしい名の教科は、衛生化学と毒物学の混ざりで、東大助教授の奥井誠一が講師だった。身体と声の大きな人で、私はこの人に砒素毒の質問などして喰(く)いついた。クラス委員の私は、点数の交渉で、床が腐ってへこんだ東大の実験室まで押しかけて行ったこともある。

ちょうどそのころ、森永砒素ミルク事件があった。粉ミルクの添加物のカルシウム剤の中に砒素が混入していて、多くの子供が犠牲になった痛ましい事件だった。私の母の弟、叔父が森永の本社に勤務。叔父は毎日警察に行って帰って来ない。私は、こういう事件の真っ只中に放り込まれた企業の社員の悲劇をつぶさに味わったのだった。この事件の裁判で、奥井誠一は裁判所側の証人として「砒素中毒とはどういうものか」証言している。

その後、何の因果か、彼の弟と結婚した私は、義兄となった奥井誠一からさまざまな砒素中毒の話を聞くことができた。「奥の細道」の殺生石から発生した砒素への興味は、いつの間にか「奥井の細道」に変わってしまった。「ソラみたことか」。奥の細道で、芭蕉の相棒だった曾良が、空で笑っている。(随筆家)

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《吾妻カガミ》57 「つくば業」というビジネスモデル

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サンスイグループの100周年記念祝賀会で鏡開きをする東郷治久代表(右から3人目)ら

【コラム・坂本栄】メディアに携わっていると、表現の手段である言葉には敏感になります。ある事象を簡潔にしかもイメージが膨らむように伝えるには、どういった言葉を使ったらよいかと。5月19日、つくば市で山水亭を経営するサンスイグループの創業100周年パーティーがあり(記事は同日掲載)、祝賀スピーチの中で「つくば業」という言葉を聞いたときには、これは使えると思いました。

祝辞を述べる中村喜四郎代議士

式では来賓トップで、中村喜四郎衆院議員(茨城7区=グループ創業の地常総市を含む選挙区)が基調講演のような祝辞を述べ、サンスイのビジネス形態(つくば市内でホテル・レストラン事業、ペット事業、教育事業などを展開)を「つくば業」と呼びました。業種ではなく、これら事業を展開しているエリアに注目して「つくば業」と言ったわけです。

「さすが喜四郎さん」と、老練政治家の言葉のセンスに感心したものです。でも後で、これは議員の造語ではなく、グループの東郷治久代表の用語であることが分かりました。式招待状の中のサンスイグループ小史に「祖父の代には米穀業、父の代には映画館経営、旅館業、そして私の代には『つくば業』と大きく変化してきました」と記載されていたからです。

「つくば業」を私なりに定義してみます。学園都市つくばは、元々山林や田畑ですからビジネス用地は十分。筑波山など観光資源も豊富。大学や研究所が集まり教育環境は良好。東京との間に新鉄道TXもあり居住にも仕事にも便利……。こんなエリアで展開する事業の集合体と言ったらいいでしょうか。

グループのペット事業(筑波山近くの犬の動物園や犬の養老園)も、ホテル・レストラン(筑波山神社前のホテルや市内の和風宴会場)も、教育事業(ペット専門学校や日本語学校)も、つくばの地の利と特性を生かしたビジネスと言えます。まさに「つくば業」です。

ひとつの業種にこだわるな

今は魅力的な地域(面)での事業展開ですが、サンスイが面白いのは、事業環境の変化(時間軸)に合わせて、業種をスクラップ&ビルドして来たことです。

先の小史によると、祖父は、戦時統制で米穀商(東郷商店、現常総市)の妙味がなくなると、鉄道経営(現常総鉄道)に乗り出したそうです。父は、テレビの普及を見て映画館経営(県西県南県央で17館)を止め、旅館経営(筑波山神社前)に進出したそうです。そして、東郷さんは、科学万博のころ拠点をつくばに移し、上記の「つくば業」を構築してきました。

私が常陽新聞の名士インタビュー欄を担当していた5年前、東郷さんにも登場してもらったことがあります。その中で「うちの家訓は『一つの業種にこだわるな。一つよい時に違うことをやっておけ。9勝6敗でいい。商売は失敗してもいい』です」と話していました。祖父、父の体験が詰まった言葉です。

ビジネスには流行(はやり)すたれがあります。定着した事業(家業)を止めるのも、新しい事業を始めるのも、容易ではありません。そのリスクに怯(ひる)むなということでしょう。(経済ジャーナリスト)

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《ON THE ROAD》3 屋根と情報掲示板があるバス停

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【コラム・石井康之】今回は、いろいろな移動手段がある中で、バスに焦点を当ててみよう。バスは区間が決まっており、駅から円滑に乗り継ぎができ、タクシーに比べ割安で、階段の昇り降りもない。良いところがたくさんあるが、移動手段としてはやはりマイカーの方が多いだろう。

都内で暮らす私自身も、数年前までは車での移動が多く、電車やバスはほとんど使わなかったが、ここ何年か電車やバスを利用している。利用していろいろ考えた。都内では、乗り方さえ分かれば、停留所の区間が短いため、電車より目的地まで移動しやすい。

以前、都内に住む知り合いの外国人から、移動にはほとんどバスを使うと聞いたことがある。電車より簡単に目的地近くまで移動できるからだ。私も海外に行ったとき、電車は乗り換えが大変なので、移動にバスを使う。階段のことを考えれば、バスの方が何倍も便利だ。

しかし、駅から少し離れたバス停を利用するとき、雨の日や風が強い日は困る。服や靴が傘を差していても濡れてしまう。こんなとき、屋根のある停留所があればどれだけ助かるだろう。最近、高齢者の運転事故が多いが、高齢者にバス利用を促すには、雨の日の外出が面倒にならないよう、バス停に屋根を付けることも一案ではないか。

笠間の陶器市と駅に近い霞ケ浦

また、バス停の区間を短くし 簡単に目的地へ行けるようにすることも大切だと思う。そして、以前も書いたが、分かりやすい案内板(ピクトグラム)の設置だ。そこには、行先はもちろん、その日の天気や街のニュースなどが掲載されていたら面白い。

いっそ、バス停を、透明な蛍光カラーの強化ガラスを組み合わせた、死角を感じないものにしたらどうか。そして、今までの場所では屋根が付けられないなら、屋根を付けられる場所にバス停を移動させたらどうか。

5月連休中、笠間の陶器市に行き、土浦駅に近い霞ケ浦周辺も探索してみた。陶器会場の公園には、カラフルなテントを張った人たちがたくさんいて、まるでキャンプ場のようにも見えた。また、会場と最寄り駅との間は、往復バスが運行されていた。

土浦では、駅ビル「アトレ」内にレストランがオープン、にぎわっていた。駅から霞ケ浦方面に10分ぐらい歩くと キャンプ体験や野外イベントができそうな場所がある。こういった素晴らしい場所は、移動手段や案内板が整えば、ますます楽しいところになる。(ファッションデザイナー)

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《続・気軽にSOS》38 噛む犬 吠える犬 脅える犬

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【コラム・浅井和幸】犬と猫の保護や譲渡活動をしている団体は、茨城県内にもあります。その一つのNPOが運営しているシェルターに、週に数回のペースで、犬の世話のボランティアにうかがっています。私の場合、単なる犬好きが高じて、できる範囲で行っているので、大変どころか、そこの犬たちに会えることが生活の喜びの一つになっています。

東日本大震災のときに、福島の犬猫保護のために始まったこのシェルター。私は、不登校やひきこもりの方たちの活動の場になるかもしれないなという理由から、震災の次の年の初めぐらいから、少しずつ関わるようになりました。今では、福島から来た犬猫は、仮設住宅から次の住まいに移った飼い主のもとに帰り、県内で保護されたものがほとんどを占めています。

それまでは単なる犬好きでしたが、ドッグトレーナーが進める本を読み、インターネットで情報を集めながら、犬たちと接して勉強してきました。もともと学んでいた、人間相手の心理学やコミュニケーション方法が活かされた部分もありますし、犬たちと接することが、人間に接することへの学びにもなってきたと考えています。

そのうち、人を見ると震え出したり固まってしまう野犬や、人や犬を見ると唸(うな)ったり噛(か)んだりする、虐待されてきた犬と接することが多くなりました。その中で、たまたま上手くいった部分もあるかもしれませんが、脅(おび)える犬、危険な犬の扱いをお願いされることも増えてきました。

犬も人も心の動きに共通するものがある

私は人間への接し方が専門で、犬の方は全くの素人です。それでも、様子を見ながら接してみて、さらに様子を見て、こちらの対応方法に反映するというコミュニケーションは、心の動きには共通するものが犬にも人にもあると感じています。

先ほど、脅える犬と噛む犬がいると書きました。噛む犬は強気な犬だ、人間を馬鹿にしていると捉えられがちです。しかし、その様子を見てみると、やはり脅えているところがうかがえます。強気に吠(ほ)え噛む犬とみられている犬の中には、ビニールのガサッという音にびっくりしている犬がいます。

また、シェルターに新しい犬が入ったり、新しいボランティアがいると、挙動不審になったり、下痢をしてしまうという犬もいます。それらを観察すると、吠えるのも、噛むのも、怖いからだと捉えたほうが妥当だと感じることが多いのです。そう捉えられると、怖がらせないようにする距離の詰め方や信頼関係をつくる方法、安心感を与える接し方が工夫できるのです。

強気な犬は人間をなめているからという間違った解釈では、人間が上であることを教えてやろうと怖がらせたり、抑え込んだりしてやろうとしてしまうでしょう。そうすることは、それこそ犬の精神的な疾患やひきこもり状態をつくってしまうことに繋がります。

ドラマや小説のように短期間にパッと変化することもありますが、何年もかけてじっくり変わっていくケースもあります。スピードなどの程度の差はありますが、こちらのアプローチで変化があるのは、人も犬も同じなのだと日々感じています。(精神保健福祉士)

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《制作ノート》7 美術の授業 「なぜ美術を学ぶの?」

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美術の授業資料-自作の参考作品

【コラム・沼尻正芳】私が初めて勤務したのは、新興住宅地の大規模中学校だった。多くの生徒が都内や県内の難関校を目指す、いわゆる学力の高い学校でした。私は3学年に配属され、美術の授業に燃えていました。授業を始めると3年生の反応がなぜか物足りませんでした。授業の感想を3年生に聞くと「先生、なんで美術があるの?」「美術は受験に関係ない」「才能がないから努力しても無理」「受験勉強で疲れているから美術は息抜きさせて」。そんな本音が聞こえてきました。

これでは、ゼロからの出発どころか、マイナスからの出発です。生徒たちの誤解を解きほぐし、授業をもっと工夫しなければ…。鑑賞の授業で、「ゴッホ」や「ピカソ」に焦点を当て「作家は何を表現したのか」「作品にどんな工夫があるのか」などを生徒たちと一緒に考えました。

生徒たちの心を耕し、価値ある内容をつくらなければ、授業の活気は生まれません。授業の中で「作品は、作者の思いや気持ちや考えなどを素材や色や形で表現したもの」「絵は感動や心の表現、表面のうまい・へたで判断しない」「美術の授業で目と心と手を訓練し磨き合う」などを繰り返し話しました。

私の思いをプリントして生徒達に伝え、感想文を書いてもらいました。

「絵は『かきたくないと思ってかく』のと『自分から進んでかこうと思ってかく』のでは、自分にとっても作品としても天と地ほどの違いが生まれる。『自分から進んで絵をかき失敗しても最後まで諦めないで完成させる』ことは、少し大げさに言えば一人で未知の世界に飛び込み、そこで様々な困難に出あい、それを乗り越えて無事に帰る体験や喜びに似ている」

「失敗も間違いも無駄ではない大切な勉強だ。『絵をかくことは自分を見つめる作業』であり、新しい自分を発見し生み出す作業。絵をかくことを『才能』や『うまい・へた』と言う人がたくさんいるが、絵の中身や制作の本質を考えたとき、それはごまかしだ」

「『自分から進んで絵をかく』ことは、自分の中に潜んでいる本当の意味での個性や発想力・観察力・構成力・想像力・集中力・忍耐力、感情や強い意志、創造性などを磨き、それを豊かにすることにつながる。『絵は苦手』で悩み苦しみ思い通りにならなくても、頑張って損はない。諦めず頑張れば自分の可能性が広がり、心も鍛えられ豊かに成長できる。そして、自分がつくった作品は『世界に一つしかないかけがえのない貴重な作品』ということも忘れないようにしたい」

情操教育を担う美術は危機的状況

プリントを読んだ生徒たちの感想文が山のように集まりました。「(略)このプリントは私の心を乱します。私は気づきました。黒く汚れた私の心を。でも、うれしかったです。今までの私の数々の失敗は無駄ではなく、私にとって大切なものだったと気づきました。先生に私の感動が届きますように」。

一人ひとりの感想に、生徒たちの熱い思いがたくさん詰まっていました。生徒たちの感想に感動し、一人ひとりの感想文を要約しプリントして生徒達に再度返しました。生徒たちの授業態度が大きく変わってきました。

「失敗していい。はみ出していい。違っていていい。自分らしくこつこつと諦めないでやれば夢が実現する」と繰り返し語ってきたことを生徒たちが実践するようになりました。授業に集中する生徒が増え、授業外でも美術に取り組むようになり、学校のいろんな場所に生徒作品をたくさん飾りました。この生徒達との出会いや交流が、授業の原点になりました。

新しい学習指導要領では、中学校美術の授業は1学年で週1.3時間、2・3学年は週1時間です。美術の授業時数は、指導要領改訂の度に少しずつ減っています。小学校の図画工作の時間も大きく減少しました。情操教育の一端を担う美術は、危機的状況のようです。

「美術で何を学び、美術で何を育てるのか」、美術の内容と必要性を子どもたちや社会全体にしっかりと伝えていかなければと思います。美術の楽しさ、素晴らしさを授業の中で体験させ、子どもたちの主体性や豊かな心を育むことが必要です。(画家)

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《令和楽学ラボ》1 知的好奇心を刺激する「子ども大学」

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「子ども大学常陸」の講座風景
川上美智子さん

【コラム・川上美智子】今年で6年目を迎える「子ども大学常陸」の講座が始まった。子ども大学とは、2002年、ドイツで創設された子ども向けの大学である。日本では2008年、埼玉県の「NPO法人かわごえ」が大学のキャンパスと専門家講師を使い、学校とは別のもう一つの学びの場として第1号を立ち上げた。

この活動はその後全国に広がり、茨城県にも「子ども大学水戸」「いばらき子ども大学」「子ども大学常陸」の3つがほぼ同時期に設立された。いずれも趣旨に大きな違いは見られないが、毎年のプログラムには工夫が施され、子どもの第2の学びの場、体験の場となっている。

私が関係するのは、一番規模の小さい日立市の子どもを対象とする「NPO法人子ども大学常陸」である。

未来の社会の担い手となる子どもたちの自ら学ぶ力、課題を解決する力を育むため、知的好奇心を刺激し意欲的に取り組めるテーマを設定して、大学の教授や研究者、最前線で活躍する専門家に、参加型、体験型の形式でハイレベルな内容をわかりやすく指導いただいている。

今年のテーマは「ふるさとを知る、食べる」である。第1回は「ひたちについて考えてみよう!」で、人口減少著しい日立だからこそ子どもたちに夢をもってもらおうと、まちのよいところをいっぱい知り、深く理解するための講義と妹島和世設計の新市庁舎内の見学を行った。

シティプロモーション担当者からは、海の展望が素晴らしい駅と港、日本唯一のウミウ捕獲場、奥日立きららの里の日本一長いスライダー、世界最大のLNG(液化天然ガス)基地、ユネスコ無形文化遺産の日立風流物、日本最古のカンブリア紀の地層が見られる公園、パワースポット御岩神社等々の日立の誇れる一番の話がたくさんあり、子どもたちは目を輝かせながら聞いたり見たり、まちのことを考えたりした。

地域を支え社会を切り開く人材を育成

ちょうど、この6月半ばには、日立鉱山を舞台にした「ある町の高い煙突」の上映が始まる。煙害を解決するために奔走した住民とその熱意に応えた会社の世界一の大煙突造り、煙害に強いさくらを選別し大島から取り寄せ移植した市のシンボルの大島さくら、煙害被害防止のため日立市庁舎内に設置されてきた歴史ある気象観測所、大煙突を使って国産初の大型モーターを造り日立製作所を創業した小平浪平―など、日立のさまざまな出来事に繋がりがあることを確認する機会にもなった。

子どもたちは、誇らしい気持ちをもってこの町に住み、明日からの学校の学びに向かうに違いないと思えるよい企画であった。

2回目は「低炭素社会ってなに?と日立の一次産業を学ぶ」、3回目は「お芋ラベルデザインコンペと販売イベントの計画を立てよう!」、4回目は「さあ収穫だ!出店準備をしよう!」、5回目は11月の日立産業祭で「さあ出店だ!ひたちを食す!」と成果を確認する。

子どもが考え、互いに意見を出し合い、計画・実践し、達成感を味わう一連のプロセスが、学びの楽しさを知り、地域を支える人材や社会を切り開く人材の育成の一助になれば幸いである。そして、来年4月につくば市内でスタートさせる放課後児童クラブでも同様の取り組みができればと考えている。(茨城キリスト教大学名誉教授)

【かわかみ・みちこ】お茶の水女子大学大学院家政学研究科食物学専攻修了。1971~2016年、茨城キリスト教大学(当初は短大)勤務(1982年から教授)。2016~19年、社会福祉法人ユーアイほいくえん園長。19年4月から、㈱関彰商事ライフサイエンス事業部・保育園開設準備室(つくば市)勤務。現在、茨キリ大名誉教授、茨城県教育委員。著書に『茶の香り研究ノート―製造にみる多様性の視点から-』(光生館、 2000)、『茶の機能』(学会出版センター、2002)、『茶の事典』(朝倉書店、2017)など。兵庫県出身、水戸市在住。

《続・平熱日記》38 以心伝心 オー・ヘンリー短編集的美談?

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【コラム・斉藤裕之】特に形見というほどのものでもないのですが、生前父が身に着けていた腕時計。私自身は日ごろ時計をしないのですが、何かの折に引き出しの中の動かなくなった時計を見るにつけ、いつか修理してやりたいなあと思うのでした。

ある日のこと。朝の掃除など終えたころに、出かける用意をしているかみさん。聞けば、この春、私の実家を片付けた折に持ち帰った、母のネックレスを修理に出しに行くのだとか。

かみさんは、宝石貴金属には全く興味のない人で、私もこの手のプレゼントをした記憶がありません。それでも、母の真珠ネックレスの壊れた留め金を修理して、来る長女の結婚式に身に着けたいとのこと。

そういうことならと、件(くだん)の親父の時計を取り出して、かねてから気に留めていた近くの時計修理専門店に寄ってみました。実は私も、娘の結婚式にこの時計を身に着けて出席したいと考えていたのです。

どうやら、オーバーホールすれば動くとのことで、ホッとしました。それから、ネックレスの修理に向かいました。お互い話し合ったわけでもなく、結果的に、父、母の形見を身に着けて式に出ることを考えていたわけで、以心伝心。結果的に、オー・ヘンリー短編集的な美談?というところでしょうか。

鰹節削り器と陶製の甕

その日は特に予定もなかったので、ラーメンを食べて野菜直売所で買い物をして、帰りがけに大型リサイクルショップへ。

特にお目当てのものがあったわけではありませんが、広い店内を大方見終わったところで、気になったものがふたつ。鰹節(かつおぶし)削り器と陶製の甕(かめ)。大げさではなく、人生でまだ成功していないことのひとつは、鰹節を上手に削ること。うちにある頂きものの鰹節をいつか削ってやろうと思いつつ。その夢が千円ちょっとのこの削り器でかなうのです。

そして、甕の方はかす漬け用にちょうどよい大きさと値段。なんて思っていたところに、近づいて来たかみさんがつぶやいたこととは。「この甕と鰹節削り器いいよね!」。いやー、驚きました。ひとつならず、ふたつがドンピシャ。

というわけで、鰹節の香る冷奴と糠漬けで、今年の夏を乗り切るとしましょう。そうそう、以前、骨董屋の友人からもらった上半分にたくさん穴の開いた陶製のコップ。この不思議なコップは、糠漬けの糠に差し込むもの。余分な水分が穴を伝って溜まるというものです。ペン立てになっていたのですが、やっと本来の役目を果たせそうです。(画家)

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《邑から日本を見る》40 「全国首長9条の会交流会」に参加

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飯野農夫也氏の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】今月は、脱原発をめざす首長会議、全国首長9条の会交流会、環境自治体会議をはしごした。今回はそのうちの9条の会について報告する。

地方自治の最先端にいる市町村長が「平和憲法9条を守ろう」と立ち上がった。今年になって安倍首相が「地方自治体の自衛隊員募集業務への非協力」を理由に改憲を改めて打ち出した。わが国は明治以来、中央集権の名のもとに、国-都道府県-市町村と縦系列での支配構造が続いてきた。これを改めたのが1999年の地方分権一括法。この法律により「国と地方は対等・協力の関係」になった。

個人情報の保護を謳う行政執行に逆行する安倍首相の一方的な主張は、彼の無知・無法ぶりを示すものであり、国に楯(たて)突く自治体は容赦なく屈服させるという手法がこのところ目に余るようになった。沖縄・辺野古への新基地建設工事の強行や、ふるさと納税で国の言うことを聞かない4つの自治体への締め付け、地方創生事業の国から地方への押し付けなどは、憲法と地方自治を踏みにじる行為と言える。

自治体の長は選挙で選ばれ、住民の生命・財産を守ることを使命としている。憲法9条の改憲即ち戦争への道は、国民、住民の安全・安心を脅かす最たるもの。首長や首長経験者が声を大にすべき時という考えのもとに、全国の心ある者が18日、東京に集まった。

茨城では東海第2再稼働問題が最大の課題

「9条を守る首長の会」は2008年に宮城県で結成され、その動きが東北6県や茨城、新潟などに広がり、今回の全国レベルの取り組みに発展した。交流会には22人の元職が集まり、9条を守る必要性について熱い議論を交わし、首長が全国で力を合わせて「全国首長9条の会・結成準備会」を発足させ、会を早期に結成することを決めた。交流会には沖縄県の玉城デニー知事も賛同のメッセージを寄せた。

交流会の開催を呼びかけた宮城県白石市の川井貞一元市長は、自民党県連の青年部長を務めた、もともと保守陣営の人。「私たちは命を賭けて市民の安全と安心を守ってきた。絶対に9条を守り、安倍首相の暴走を止めるために首長9条の会を全国に広める」と述べた。また、経過報告をした宮城県旧鹿島台町の鹿野文永元町長は、安倍首相が改憲理由とした自衛隊員募集への非協力主張を「昔の徴兵制の復活。地方を隷従させるもので、地方自治への挑戦だ」と、力を込めた。

交流会では参加者全員が発言した。「秋田へのイージス・アショアの設置は許せない」「9条を自治体行政と住民の暮らしに活かすことが9条を守ることになる」「今度の参院選で安倍政権を倒すことが最重要」など。私は「茨城では東海第2原発の再稼働問題が最大の課題。この原発を止めることが9条を守ることにつながる」と発言した。

交流会では、9条の会の早期結成を呼びかけるアピールを採択し、全国の首長らに会への加入、賛同を呼び掛けていくことなどを決めた。事務局の話では、これまでに100人を超す現職・元職が加入を申し込んでいる。(元瓜連町長)

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《食う寝る宇宙》38 ドキドキ 先生方に宇宙天気防災講義

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【コラム・玉置晋】小中学校時代、僕はどちらかというと融通の利かない優等生タイプだったように思います。先生方に劇的なインパクトを与えるようなことを、しでかした記憶はありません。せいぜい、授業中に友達との私語で怒られたり、廊下を走って怒られたり、という程度。だから、先生方に対して後ろめたいことは何もないはずですけどねえ。

5月7日、水戸市にある「いばらき教育プラザ」というところで、宇宙天気防災の講演を行いました。宇宙にも地球のように天気がある、地球の嵐は台風だけど宇宙の嵐は太陽からやってくる、それは地上のインフラに壊滅的打撃を与える可能性がある―といった内容でした。

講演を聞いてくださったのは、小中学校を定年退職された先生たち。僕は30年前に小中時代を送った身ですので、ちょうど、そのころ、現役バリバリの先生たちの集まりです。

僕は恐縮しまくりでしたが、一生懸命お話させていただきました。講演後には時間オーバになるほどの愛ある鋭い質問に、タジタジながら回答させていただきました。先生方、本当にありがとうございました。宇宙天気防災について、後進の若い先生方に伝達してください。そして、若い先生方から、生徒さんに伝わることを期待します。

次の太陽活動期、第25太陽活動極大期は2020年代中盤になるといわれています。そこは、私を含め、今の現役世代で世界をお護(まも)りする覚悟でおりますが、その次の30年代の第26極大期の人類を護るのは、今の小中学生なのです。だから、現役の先生方につながる方々にお話しするのは、とても大事なことだと考えています。

さっそく宇宙天気が荒れました 

講演会の前日、太陽ではCクラスと呼ばれる小規模の太陽フレアが発生しました。小規模でしたが、太陽大気のプラズマと磁場を伴った「コロナ質量放出」(CME)が地球に向かって放たれました。

CMEは4日と少しかけて、惑星間空間を旅して5月11日に地球に到来しました。今回は事前に「宇宙天気擾乱時の対応プロトコル(実施手順)」を身近な人たちに宣言し、お試しで実践してみました。人工衛星のデータや地上観測のデータを用いて、太陽フレアの発生から地球での地磁気嵐やオーロラ活動を追跡するのです。

そこそこ役に立ったようなので、どこかの学会で発表しようかなと、野心を持っています。(宇宙天気防災研究者)

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《地域包括ケア》36 在宅医療介護連携 少ない医師の参加

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在宅医療・介護連携の推進=厚労省資料から

【コラム・室生勝】2010年に高齢化率が21%を超え、超高齢社会に突入した。その次に来る「多死社会」は2012年から始まっていると言われており、その年、国立社会保障・人口問題研究所が年間の死亡者が最も多くなるのは2040年と発表している。

時を同じくして、厚労省は2012年度に、「在宅医療介護連携拠点事業」を全国の市町村、医療機関、訪問看護事業所、医師会などの職能団体などに補助金を出して奨励。茨城県では4団体が、つくば市では筑波メディカルセンターが実施した。その翌年から3年間、つくば市医師会も取り組んだ。

市医師会は、主に「退院から在宅への移行の支援」「日常の在宅療養支援」「緩和ケア」「在宅の急変時の対応」「在宅での看取り」について、多職種が研修し、意見を交換した。しかし、医師の参加は少なかった。唯一の成果は、各診療所医とケアマネージャーが話し合う時間「連携タイム」(参照→つくば市ホームページ)一覧の作成であった。

2016年度からは「在宅医療介護連携推進事業」として市地域包括支援課が引き継ぎ、3年を経過したが、医師の参加が少なく、十分な成果を挙げていない。6圏域ごとに年6回開かれる圏域ケア会議の予定表が各診療所に配布されているが、筑波圏域以外では診療所医師の出席が毎回1名しかいないことも少なくない。

30名ほどのケアマネージャーや医療介護職が事例検討するが、事例の病気、治療内容を理解したうえで検討しなければ、適切な在宅ケア支援方法を見いだせない。ケア会議は13時半から90分間である。診療所医師に、30分間だけでも出席してほしい。この3年、私が可能な限り出席(筑波圏域以外)している状況である。

松戸市医師会の2人主治医制

本来ならば、医師会は、この課が担当する連携推進事業を牽引(けんいん)しなければならない立場である。市民への在宅医療を実施する診療所医師の紹介や多職種の相談などに積極的に応じてほしい。いま全国的に、従来の地域包括支援センターが有していない医療問題に対応できる「在宅医療介護支援センター」を、医師会や市区が各地で設けている。

今年1月、「在宅医療介護推進事業」の多職種意見交換会で講演した松戸市医師会の川越正平理事は、昨年4月に医師会が開設した「松戸市在宅医療介護連携支援センター」を紹介した。困難事例への相談支援・ 訪問支援、圏域ケア会議へのサポート医(医師会で研修養成)の派遣、2人主治医制の推進、在宅医療を新しく始める医師への支援―などを行っている。

つくば市でも、2月の在宅医療介護推進協議会で、保健福祉部長から「地域医療連携推進法人」という形で提案があった。医療職がいない地域包括支援課では、対応困難な医療問題を含む事例の日常的な相談に応じることができる。本年度の協議会の大きなテーマである。

この協議会は、本年度から委員構成が変わる。学識経験者、職能団体代表、民生委員代表、市職員などに、若干名の公募市民委員が加わる。私は昨年度まで在宅医療経験者代表であったが、本年度から在宅医療介護サービスを受ける立場の市民委員に応募した。

3月のコラムで紹介した喘息(ぜんそく)持ちのH郎さん(77)からは、かかりつけ医から協力医を紹介されたと連絡があった。松戸市医師会では「2人主治医制」といっているが、「協力医制」と称している医師会もある。主治医が学会や旅行で不在の場合、協力医が代わりに診療する。急変時に対応してくれるので、患者や家族は安心だ。(高齢者サロン主宰)

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《ひょうたんの眼》16 地図を見る趣味 何が面白いの?

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桜桃

【コラム・高橋恵一】昔、職場で、職員の趣味を紹介する企画があり、自分は「地図を見ること」と答えたら、珍しいといわれ、挙句は「地図を見ると何が面白いの?」という反応だった。ゴルフやテニス、読書や音楽鑑賞は、趣味として堂々と認められているのに、当時は、俺も地図を見るのが趣味だと名乗り出る人もなく、マイナーな趣味であった。

自分が地図に関心を持ったのは、小学校の教材としてB5判の「地図帳」を渡された時からで、B5見開きのページに、世界地図や日本の地方別の地域が陸地と水面に色分けされ、陸地は緑色の平野部と、茶色の濃淡で高度を表現した山地部が表現されていた。

地図は、1ページの中に膨大な情報を記号化して、書き込んである。世界は、国ごとに境界が国境線で区切られ,それぞれの首都は赤色で表現され、国内は、都道府県など行政界が県境線で区切られ、県庁所在地の都市に赤い丸を付けられていた。

地図を見る楽しみは、小さな発見にある。学校の休み時間に、地図帳を広げ、地名探しゲームをした。広げたページの中から、町や山、河川などを探すのだ。もちろん、索引を使うのは違反である。

関東で一番高い山は?

北海道地方で一番高い山(カッコ内数字はメートル)は、大雪山(旭岳、2291)。では、東北地方で一番高い山はどこか? 早池峰山(1917)より、磐梯朝日の吾妻山(2035)の方が高く、鳥海山(2236)も考えられるが、燧ケ岳(ひうちがたけ、2356)が最高峰である。どちらかというと、群馬県の尾瀬ヶ原の延長で、至仏山と兄弟みたいな存在だが、福島県の山である。

関東地方は、那須連峰,日光連山、三国山脈、赤城山、榛名山、箱根山など多彩だが、高さで言うと白根山、日光白根(2578)になる。地図帳の茶色の濃いゾーンから、標高の高いものを探すのだ。

中部地方は、日本一の富士山があるので、2位を探すゲームになる。北アルプスに奥穂高岳(3190)、槍ヶ岳(3180)をはじめ日本の屋根が連なるが、南アルプスの白根山(北岳、3193)が2位で、北岳は日本の2位でもある。

山ばかり探していてもつまらないので、山の多い中部地方で、湖を探すのも興味深い。浜名湖や諏訪湖のような有名な湖は探す手間もかからないので、加茂湖を探すことにした。小さいので見つけにくいが、地図帳には載っている。ヒントは、大きな島を探すことだ。

九州で一番高い山は?

近畿地方には2000メートルを超える山がないので、小さな島を見つけるのを問題にした。沖島(おきのしま)を見つけて欲しい。中部地方の湖探しをヒントにすれば、すぐに見つかるだろう。

中国・四国地方の高い山は、超有名な大山(だいせん、1729)と石鎚山(いしづちさん、1982)で、問題の出しようがない。

九州地方は面白い。ど真ん中に阿蘇山(1592)が鎮座し、北に久住山(1791)、西に雲仙岳(1483)、南に霧島山(1700)と、名だたる有名火山が競っている。しかし、一番高い山は、火山ではなく黒色の山マークの宮之浦岳(1936)。いつも雨雲に覆われ、縄文時代から杉の原始林に囲まれている山だ。

最後まで付き合ってくれた方には、お詫びするが、趣味というのは、他人の迷惑が判っていても、途中ではやめられないものだ。(地図愛好家)

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