《続・平熱日記》27 いらないもの 思いっきり挙げます


【コラム・斉藤裕之】近所の公園のフェンスに、また、新調されたのぼりが括(くく)り付けられています。「空き巣に注意!」「自転車にはカギを‥‥盗難多発」。

そもそも、のぼりは戦なんかで士気を高めるためのものだったり、お祭りなどの賑やかな場所に立てるもの。例えば街道筋の定食屋、のぼりがいっぱい立っていると逆に美味しそうに思えない。ツーランクダウン。

公園ののぼり然(しか)り。フェンスにボロボロになってはためくのぼりを見るたびに、考えさせられます。せっかくの街並みにマイナス要因。空き巣が多い街なのかと思っちゃう。先日も駅前のロータリーに、複数のイベントののぼりが競い合うように取り付けてあって、なんとも田舎臭い。

それから、近場のドライブでよく見かけるもの。どこの中学校、高校にも「〇〇大会出場〇〇君」「〇〇大会第3位」とかフェンスに貼ってあるあれね。品がないですねえ。能ある鷹はなんとやら、なんていうのは今や美徳ではない?

オリンピックにキャラクターが必要?

いらないと感じるもの。先日ある新聞のコラムを読んで、以前からの私の持論と重なる部分が多く、独りよがりの意見ではないことを再認識した次第です。ざっくり言うと、「学校にはいらないものが多すぎる」「戦後何も変わらない日本の学校」「なので先生は忙しすぎる」というところでしょうか。

入学式、始業式、終了式等々。卒業式を除くセレモニー、および偉い人の話。部活、ちょっと踏み込んで修学旅行、運動会、制服もいらない。あくまで個人の感想であり、これらに代わるものはあってもいいと思いますが。

ついでにキャラクター。オリンピックにキャラクターが必要なのでしょうか、ゆるキャラだのなんだの。国民的行事や自治体に、いちいちキャラやマスコットは不要。個人的には、国体やオリンピックの在り方も一考の価値あり。

ちょっとそれますが、日本の映画も子供向け。魔法がかった奇跡の青春恋愛もの。理由は儲かるか否か? はたまた勧善懲悪、痛快活劇的なアメリカもん。

最後に街路樹。延々と続くユリノキやモミジバフウ。その根元には雑草が茂る。この木や草がなければ道もかなり広くなり、剪定(せんてい)や除草のお金もかからない。ちょうどこの季節、牛久沼を越えて藤代に向かう国道では、大きな白い花が咲きます。「タイサンボク」の花。誰にも愛でてもらえないかわいそうな花。

「きれいに使っていただきありがとうございます。店長」トイレの貼り紙もいらない。(画家)

➡斉藤裕之さんの過去のコラムはこちら