【コラム・沼尻正芳】私が初めて勤務したのは、新興住宅地の大規模中学校だった。多くの生徒が都内や県内の難関校を目指す、いわゆる学力の高い学校でした。私は3学年に配属され、美術の授業に燃えていました。授業を始めると3年生の反応がなぜか物足りませんでした。授業の感想を3年生に聞くと「先生、なんで美術があるの?」「美術は受験に関係ない」「才能がないから努力しても無理」「受験勉強で疲れているから美術は息抜きさせて」。そんな本音が聞こえてきました。

これでは、ゼロからの出発どころか、マイナスからの出発です。生徒たちの誤解を解きほぐし、授業をもっと工夫しなければ…。鑑賞の授業で、「ゴッホ」や「ピカソ」に焦点を当て「作家は何を表現したのか」「作品にどんな工夫があるのか」などを生徒たちと一緒に考えました。

生徒たちの心を耕し、価値ある内容をつくらなければ、授業の活気は生まれません。授業の中で「作品は、作者の思いや気持ちや考えなどを素材や色や形で表現したもの」「絵は感動や心の表現、表面のうまい・へたで判断しない」「美術の授業で目と心と手を訓練し磨き合う」などを繰り返し話しました。

私の思いをプリントして生徒達に伝え、感想文を書いてもらいました。

「絵は『かきたくないと思ってかく』のと『自分から進んでかこうと思ってかく』のでは、自分にとっても作品としても天と地ほどの違いが生まれる。『自分から進んで絵をかき失敗しても最後まで諦めないで完成させる』ことは、少し大げさに言えば一人で未知の世界に飛び込み、そこで様々な困難に出あい、それを乗り越えて無事に帰る体験や喜びに似ている」

「失敗も間違いも無駄ではない大切な勉強だ。『絵をかくことは自分を見つめる作業』であり、新しい自分を発見し生み出す作業。絵をかくことを『才能』や『うまい・へた』と言う人がたくさんいるが、絵の中身や制作の本質を考えたとき、それはごまかしだ」

「『自分から進んで絵をかく』ことは、自分の中に潜んでいる本当の意味での個性や発想力・観察力・構成力・想像力・集中力・忍耐力、感情や強い意志、創造性などを磨き、それを豊かにすることにつながる。『絵は苦手』で悩み苦しみ思い通りにならなくても、頑張って損はない。諦めず頑張れば自分の可能性が広がり、心も鍛えられ豊かに成長できる。そして、自分がつくった作品は『世界に一つしかないかけがえのない貴重な作品』ということも忘れないようにしたい」

情操教育を担う美術は危機的状況

プリントを読んだ生徒たちの感想文が山のように集まりました。「(略)このプリントは私の心を乱します。私は気づきました。黒く汚れた私の心を。でも、うれしかったです。今までの私の数々の失敗は無駄ではなく、私にとって大切なものだったと気づきました。先生に私の感動が届きますように」。

一人ひとりの感想に、生徒たちの熱い思いがたくさん詰まっていました。生徒たちの感想に感動し、一人ひとりの感想文を要約しプリントして生徒達に再度返しました。生徒たちの授業態度が大きく変わってきました。

「失敗していい。はみ出していい。違っていていい。自分らしくこつこつと諦めないでやれば夢が実現する」と繰り返し語ってきたことを生徒たちが実践するようになりました。授業に集中する生徒が増え、授業外でも美術に取り組むようになり、学校のいろんな場所に生徒作品をたくさん飾りました。この生徒達との出会いや交流が、授業の原点になりました。

新しい学習指導要領では、中学校美術の授業は1学年で週1.3時間、2・3学年は週1時間です。美術の授業時数は、指導要領改訂の度に少しずつ減っています。小学校の図画工作の時間も大きく減少しました。情操教育の一端を担う美術は、危機的状況のようです。

「美術で何を学び、美術で何を育てるのか」、美術の内容と必要性を子どもたちや社会全体にしっかりと伝えていかなければと思います。美術の楽しさ、素晴らしさを授業の中で体験させ、子どもたちの主体性や豊かな心を育むことが必要です。(画家)

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