木曜日, 4月 24, 2025
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《映画探偵団》27 土浦の全国花火競技大会は世界一

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【コラム・冠木新市】28年前つくば市に引っ越してきた時、桜川流域での土浦花火大会を見に行った。10月のひんやりした時期に開催されるのに、見物客の熱気は凄(すご)かった。だがそのころの私は、地方の花火大会の一つとしか思っていなかった。後に、土浦の花火大会は「大曲の花火」(秋田県)、「長岡まつり大花火大会」(新潟県)と並ぶ日本3大花火大会であり、また赤字を覚悟して花火師たちが技術を競う「土浦全国花火競技大会」であることを知った。

日本の花火は世界一だから、土浦の花火は世界一といえるわけだ。しかし長い間観察してきたが、花火客を当て込んで一夜にして稼ごうとする雰囲気が強く、花火弁当コンテストや市博物館での花火記念展示はあるものの、世界一の文化を象徴する煌(きら)めきにはほど遠いのが現状ではないだろうか。

大正14年(1925)、神龍寺の住職秋元梅峰(あきもと・ばいほう)が不況に苦しむ土浦を見て、花火大会をすれば莫大な収入が一夜にして得られ、税金滞納、金融途絶から救えると考えたのが始まりであるという。95年が過ぎた今でもその原点は息づいているといえるが、もっと運営側でも花火師の花火玉に学ぶ工夫があってもよいのではないか。

平成26年(2014)、人口8万人の秋田県大仙市で、市と商工会と大曲商工会議所が「花火創造産業計画」をぶち上げた。5カ年計画で交流人口を272万人引き上げ、316億円の経済効果を見込む。2017年には、6日間にわたり「第16回国際花火シンポジウム」を開催し、38カ国449名が参加した。

経済的な面だけではなく、「花火を伝承する資料館の設立」「花火師に対する技術講習会の実施」「新たな特産物の開発」「花火創造産業の設立」「NPO法人大曲花火倶楽部による花火鑑賞士を認定」など、いろいろな仕掛けを打ち出した。実態は知るよしもないが、現在「大仙市花火産業構想第2期」が進行中だ。

C・イーストウッドの『荒鷲の要塞』

『荒鷲の要塞』(1968)は、アリステア・マクリーンの冒険小説を映画化した2時間35分の大作である。物語は、アメリカの将軍が飛行機事故でナチスの捕虜となり、アルプス山脈のロープウェイでしか行けない断崖絶壁の「鷲の城」に閉じ込められる。連合国側は、機密漏れを防ぐため、イギリス情報部スミス少佐(リチヤード・バートン)とアメリカ軍のシェイファー中尉(クリント・イーストウッド)らを将軍救出のために派遣する。

「侵入」「将軍救出」「脱出」の構成で描かれる冒険だが、2人の主人公の行動が淡々と描かれ、ドンパチは後半に集中する。しかし、黙々と爆弾を仕掛けていく作業を見ていると、妙にワクワクしてしまう。今では地味に映る作品かもしれないが、仕掛けられた爆弾がどう爆発するのか想像を刺激する。要塞の大爆発シーンに壮快感があるのは、それまでの仕掛けが効果を上げているからだ。

筒を横に向けると大砲という戦争の道具も、上に向けると花火という平和の芸術。花火玉は化学と数学と美術が結晶したもので、頭脳と忍耐力を要するためゲーム世代の若者の教育には絶好の素材である。

令和元年、人口14万の土浦市に女性市長が誕生した。これをきっかけに、「世界一の花火都市」ビジョンを華麗に、盛大に打ち上げてもらいたい。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

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《宍塚の里山》54 大陸から大池にやって来るコガモ

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宍塚大池堤防で日なたぼっこをするカモたち

【コラム・及川ひろみ】冬の宍塚大池では「ピリピリッ」と、澄んだ可愛らしい声が池の奥の方から聞こえてきます。鳴いているのはコガモ。ハトより少し大きい小型のカモです。コガモでよく聞かれるのは「子どものカモですか?」。いえ、立派な成鳥です。雄(おす)は頭が栗色、目の周りから後頭にかけて濃い緑。雌(めす)は褐色で、黒褐色の斑(まだら)が全体にみられます。

コガモはユーラシア大陸北部で雛(ひな)を育て、早いものは9月に日本にやって来ます。渡って来たばかりのころは、雌も雄も同じような色です。繁殖期、雄が派手な色合いだと、キツネなどの天敵に襲われやすいことから、この時期は雌同様、自然に溶け込む地味な色です。日本に来てからしばらくして、ヒレのついた脚で搔(か)いて羽根を抜け代わらせ、美しい姿に変わります。

宍塚にやって来る10数種のカモのほとんどの雄は、到着後、美しい姿に変身します。それで雌へのアピールを行い、番(つがい)が成立します。今ごろから、雄が雌に向けて盛んに求愛ディスプレー(誇示行動)するのが見られるようになります。

コガモでは、数羽から10数羽の雄が1羽の雌を囲むように円を描き泳ぎながら、頭を下げ体を伸ばし、お辞儀(じぎ)をしているかのように泳いだり、見せかけの羽づくろいをしたり、体をそらせて尾をぴんと上げたりと、様々なポースで雌の気を引きます。メスのOKが取れたオスは素早く雌の背に乗り、交尾(こうび)を成功させます。なんとも愛らしい姿です。カモによってディスプレーの姿は様々。見どころです。

水鳥はどうして濡れないのか?

さて、カモだけでなく、カイツブリやバンなど、池に浮かぶ鳥たちはどうして水に濡れることがないのでしょうか。

野鳥の多くは、ポマード状の脂(あぶら)が詰まった尾脂線(びしせん)と呼ばれる袋が尾羽の付け根(腹)にあります。この脂を嘴(くちばし)で体に塗り、水をはじいているのです。2007年大池で死亡したコナクチョウを解剖したとき、尾の付け根の腹の凹みに指を入れると、薄黄色のねっとりとした脂が出てきました。優雅に水面に浮かぶカモですが、頭の先端にまで脂を塗りたくる姿には、生きるものの必死さが伝わってきます。

30年ほど前、大池ではコガモが最も多いカモでした。現在はマガモです。かつてはほとんど見られなかった、オカヨシガモやオオバンがここ数年とても数を増やしています。どちらも全国的に増加傾向にあると、先日、野鳥の会の金井裕さんから聞きました。年によりやって来るカモの傾向が変わりますが、長い目で環境の変化を捉えるとことが大切です。

この冬は種類も数も例年より多く見られます。宍塚大池で冬の水鳥をお楽しみください。(宍塚の自然と歴史の会代表)

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《食う寝る宇宙》53 消えゆく赤色超巨星ベテルギウス

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【コラム・玉置晋】2019年の秋口ごろからか、インターネット上で、ベテルギウスが極端に暗くなっているという話題が飛びかっています。ベテルギウスとは、冬の星座の代表格オリオン座の1等星で、狩人オリオンの右肩にある星です。小学校高学年で習う冬の大三角形(おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオン、オリオン座のベテルギウス)の一角です。でかくて赤い「赤色超巨星(せきしょくちょうきょせい)」と呼ばれる恒星です。

ベテルギウスを太陽の位置に置くと、木星軌道に達するほどの大きさです。赤色超巨星の最後は「超新星爆発(ちょうしんせいばくはつ)」と呼ばれる大爆発を起こします。今回の減光はこの前兆ではないか?と騒がれています。

星までの距離は光が1年で進む距離「光年(こうねん)」で示されます。ベテルギウスという星は地球から約642光年離れたところにあります。約6千兆キロ! いま見ているベテルギウスの光は642年前(西暦1378年、室町時代)に発せられ、ようやく僕たちの目に届いたものです。

もしかしたら、ベテルギウスという星はもう存在していないかも知れません。また、超新星爆発の光が地球で観測されるのは、明日かも知れないし1000年後かも知れないです。

超新星爆発による大量のガンマ線放出

 超新星爆発の際には、大量のガンマ線が放出される「ガンマ線バースト」と呼ばれる現象が観測されます。もしも地球がこの直撃を受けたら、地球のオゾン層が破壊され、人類はエライことになるというのがSF小説の定番です。

4億5千万年前のオルドビス期末期の大量絶滅は、6千光年先から発射されたガンマ線バーストが10秒間地球を照射し、オゾン層を破壊したことが原因という説もあります。

同様のことが起こりうるのか、大学の指導教官と議論したところ、ガンマ線バーストのビーム指向は2度程度であるのに対して、ベテルギウスの自転軸は太陽系から20度ずれており、そう簡単に直撃はしないでしょう。

そして、何万年か先に爆発の衝撃波が太陽系にやってきます。しかし、太陽系に到達するころには弱まって、太陽風のバリアを超えてくることはないでしょう。ひとまずは安心です。(宇宙天気防災研究者)

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《くずかごの唄》52 老人性うつ病にさせない試み 幻の豪華弁当

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【コラム・奥井登美子】亭主を老人性うつ病にさせないために、①本とのつきあい②好きな友達とのつきあい③好きな食べ物の提供―とりあえず、この3つの試みだけを断固実行してみることにした。

亭主も製薬会社の研究所勤務の時代は、辰野高司さんの下で日仏薬学会を設立し、この間亡くなったが、日本びいきのシラク大統領が来日した時には握手してもらったという。

当時、彼はフランス料理もワインも、フランス人と一緒に会食したりしても困らないだけの知識と体験を持っていたはずなのに、いつのまにかフランス料理どころか、どの料理も何もかもどこかへ「蒸発」してしまっていた。

茨城に住んでいると、すばらしい新鮮な野菜が手に入る。一生懸命に私が調理しても、なぜか気に入らない。醤油注ぎがどこかに隠してあるらしく、醤油をかけてしまうのである。幼いころに食べた料理だけが料理と思いこんでいる。

昭和一桁(けた)。戦争で食べ物の一番少ない時代に、英会話が大好きだけれど調理の大嫌いな母親に育てられたせいか、手の込んだ調理をすると、なぜか気に入らない。

風邪のおかげで老人食の個性を体験

この間、私は薬屋のくせに、不覚にもシツコイ風邪にかかってしまった。「ママは何もしなくていいからね」。娘が亭主の食事を運んでくれた。

昼の弁当、夜の食事。つくばの有名店とやらに注文したらしく、キラキラした器に入っていて、豪華で、見ただけでもびっくりする。今の若い人たちは、こんなに美しいものを食べているのだ。私も大いに勉強させてもらった。

しかし食べてみてびっくり。どれもこれも塩分が少し多すぎて、1食7グラムくらい。1日食べたら20グラムくらいになってしまう。亭主の塩分は1日3食で6.5グラムと決められていて、私はその中で今まで悪戦苦闘してきた。せっかくの豪華弁当も塩分の制限で私たちにとっては幻弁当になってしまった。

塩分も慣れてくると、彼は時々内緒で醤油をかけているらしいが、なんとかやりくりできるようになっていたのである。風邪のおかげで、老人の食事の個性を体験することができた。(随筆家、薬剤師)

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《茨城の創生を考える》12 茨城の企業はもっと危機意識を

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落日の“商都”、土浦

【コラム・中尾隆友】私は全国の経営者を前にして講演をすることが多いが、そこでの反応にはある傾向を読み取ることができる。それは、裕福な地域の経営者ほど危機意識が薄く、廃れつつある地域の経営者ほど危機意識が強いということだ。

これを茨城県のケースで当てはめると、県南地域の経営者ほど危機意識が薄いといえそうだ。ご存知のように、県南地域は東京に近いだけでなく、とりわけTX(つくばエクスプレス)沿線は人口が増えているため、商圏(マーケット)で考えた場合、事業が傾くリスクは相当に軽減されるからだ。

人口減少とデジタル化で商圏は縮小

ところが、決して油断できないのは、経済のデジタル化が主流となる未来では、商圏という考え方が必ずしも盤石ではないということだ。アマゾンや楽天のような企業で商品・サービスを購入する消費者が増えれば増えるほど、着々と商圏は外部から浸食されていくのだ。

それに加えて、茨城県の人口減少は私たちが考えている以上に深刻な状況にある。国立社会保障・人口問題研究所の2045年の人口推計によれば、茨城県の人口は223万5686人にまで減少(2015年の291万6976人から23.4%減)し、日本全体の減少率(16.2%減)よりかなり大きいからだ。

主要な自治体では、日立市が36.6%減、石岡市が34.0%減、取手市が32.1%減、筑西市が31.8%減と、減少率が30%を超える自治体が少なくない。TX沿線を除いて、県全体で人口減少が加速度的に進み、商圏は縮小の一途をたどっていくだろう。

経営者に求められる資質とは

多くの経営者が取るべき道は、人口減少とともに縮小均衡をはかっていくか(廃業も含む)、人口減少によって売上げが減少した分、商圏の外から顧客を開拓していくか―2つに1つしかない。

経営者は10~20年後の社会を想像して、常に危機意識を持って事業に取り組まなければならない。時代の変化に早めに対応し、新しい戦略を構築するために知恵を絞らなければならない。

地域が活力を保ち続けるためには、企業が元気であり、雇用を提供する役割を果たすことが欠かせない。そういった意味で、ひとりひとりの経営者には頑張ってもらいたい。(経営アドバイザー)

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《続・気軽にSOS》52 草を食べるほどの生活困窮 その1

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【コラム・浅井和幸】ひきこもり問題で悩んでいる当事者やご家族が集まり、悩みを分かち合ったり、世間話をしたりするお茶会を開催していました。何気ない話をしている中、携帯電話が鳴り、私は席を立ちました。

見たことのない番号の着信で、何かの相談だろうな、お茶会の最中だから数時間後にかけ直すと伝えようかなと思い、電話に出ました。しかし、その相談内容は緊急を要する問題で、後回しにしたのはお茶会の方でした。

私が手持ちの資料やパソコンを持ち出して、あわただしく部屋から出たり戻ったりしている様子を見て、お茶会の参加者は深刻な問題のやり取りをしているのだろうと見ていたでしょう。電話終了後、お茶会に合流しても、その内容については誰も触れてきませんでした。

その相談者Aさんの状況は、所持金が千円に満たなく、今住んでいるアパートを追い出されるかも知れない、食べ物もなく草を食べている状況とのことです。市に相談したところ、居住支援をしている一般社団法人LANSの電話を教えてもらい連絡したとのことでした。

話を聞けば聞くほど、緊急な状況です。様々な福祉支援があってしかるべきなのに、市は手を出せないのだろうか? 何か釈然としませんでした。

いろいろな支援を想定し、とりあえず社会福祉協議会に電話を入れ、貸付金制度が利用できないか相談するように伝えました。そして、その結果を連絡してくるようにと言って電話を切りました。

市役所でも何もできないと言われた

その日は金曜日。役所などが閉まるまであと数時間しかありませんでした。私は、その電話の現場から100キロ以上離れた場所にいました。夕方、社協の担当者から電話が入り、貸し付け条件に合わないので、支援出来ないとのことでした。情報交換をし、月曜日に、何とかAさんと市役所に相談に行ってくれるということになりました。

その後Aさんから電話が入り、「お金を借りることもできない、市役所でも何もできないと言われた。電話をする約束をして電話をしたけれど、今から死にます。死ぬしかない」と、泣きながら話をしてくれました。

何とか生きるように伝えつつ、社協の人が熱心な方で月曜日に市役所に一緒に行ってくれる、方法はまだあるから落ち着くようにと伝えました。Aさんの家まで車を走らせ、1時間弱ほどで着きました。

お茶会で差し入れられたパンとお菓子を渡し、いろいろなことを想定して対応できることを話しました。少し少ないけれど、パンとお菓子で何とか月曜日まで生き延びて欲しいと伝えて帰ってきました。

いくつかの最悪の要素を考えつつも、月曜日まで生きていられたら何とかなるかもと思っていました。しかし、月曜日、また、Aさんは絶望を味わうことになるとは考えていませんでした。(精神保健福祉士)

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《ことばのおはなし》17 私のおはなし⑥

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【コラム・山口絹記気を抜くと重たい眠気にまぶたを閉じそうになる。意識が飛びかけるたび、ピアノのかすかな音色が聞こえた気がした。

「脳内の血管異常、感染症の可能性もあります」。医師の発言内容を深く吟味する余裕がない。脳内の高級梅干しに関しては専門家に任せよう。ここまでくればすぐに死ぬことはない。まずは状況把握、それから自分にできることを考える。

振り返れば、CT画像を見たまま青ざめている妻。娘はあくびをしている。看護師が来て左腕に点滴を打たれる。針を刺された瞬間、視界の隅に青白い火花が散った。今のは? ピアノの音色が突然大きく聞こえ始める。看護師の足音が頭の中に鳴り響き、全身を踏みつけられるような痛みが走る。静かにしてくれと叫びたいが何も言えない。

身体がぐるんと一回転した。いや、視界が回ったらしい。遠のく意識に全力ですがりつきながら、不思議そうに私を見つめる娘と目があった。まだ見ぬ娘の幼稚園児姿を想像し、心臓を冷たい水で洗われたような気がした。

この冷たさはなんだ? 何も、思えない。ことばが、消えていく。私は、何かを思わなければならないはずだ。ただ、胸に冷たさが残る。ノイズのように言語化された思いが立ち現れては消えていく。

ピアノの旋律が聞こえる 

見たい。見たい? 何を? 娘の。娘の、何? 何が…

ストレッチャーのタイヤがカラカラと音を立てる。ゆらめく蛍光灯と、時折見える妻の顔、誰かの声。心臓が膨らむような感覚。息ができない。体の奥が痛くて、苦しくて、縮こまることしかできない。

一瞬の浮遊感の後、私は背中から水に落ちた。全身の触覚が水中にぶちまけられる。音もなく遠ざかる水面に向かって、数多のエメラルド色に輝く小さな直方体が飛び去っていく。自分の身体の形がわからない。水になってしまったみたいだ。視覚だけが残っていた。水面が見えなくなると、唐突に土の匂いがした。朝霜に濡れる緑の匂い。鼻先から身体全体に触覚が戻ってくる。私は霧の立ち込める森の中にいた。目の前には樹冠の大きさも把握できないほど巨大な楠が立ち、足元の枯れ葉の上には点々と落ちている黒い実。ツンと鼻をつく香り。水たまりを避けながら一歩一歩近づいて、右手で幹に触れる。

「痺れてない。それに、話せる。…生麦生米生卵」

こみ上げてくるままにくつくつと笑ってしまった。皮肉なものだ。これが夢なのはわかっているが、意識を失う前よりよほど健全な身体だ。目を覚ましたとき、私の身体はどうなっているのだろう。快復しているとは思えない。このままずっと、夢の中にいたい誘惑に絡み取られそうになる。

しかし、今なら目を覚ますことができる。私は額を幹に打ち付けようとして、動きを止めた。ピアノの旋律が聞こえる。目を開けると、目の前の楠がサルスベリになっていた。振り返ると、どこまでも続く野原が月明かりに照らされ、やさしい風にそよいでいた。遠くから聞こえる雷と、ピアノの旋律。

私は、その曲名を思い出した。-次回に続く-(言語研究者)

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《雑記録》7 自民党は変わるのか? 20年度税制改正

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【コラム・瀧田薫】昨年12月20日、2020年度の税制改正大綱が閣議決定され、「未婚のひとり親」に対する税制上の差別が撤廃された。過去、死別や離別によるひとり親については所得税と住民税について一定の控除があったのだが、未婚のひとり親は除外されていた。数年来、公明党がこの差別をなくそうと動いたものの、伝統的家族観にこだわる自民党保守派の猛反対で実現できずにいた。それが、今回の改正では実現したのである。

いったい自民党に何が起きたのか。調べてみると、さらなる驚きが待っていた。この改正を主導したのは誰あろう、自民党幹事長代行の稲田朋美氏であった。稲田氏は安倍首相に抜てきされて防衛相に就任したが、南スーダンPKOに派遣された自衛隊の日報問題で引責辞任している。当時、稲田氏のお粗末な国会答弁を聞いて、慄然(りつぜん)としたことを覚えている。その稲田氏が毎日新聞「政治プレミア」12月19日付に一文を寄せ、この改正を主導したのが稲田氏自身であったことを明らかにしたのである。

筆者は原文を読んでみたが、防衛相であった当時の稲田氏と同一人物が書いたとは思えない内容であった。ちなみに江川紹子氏(オウム真理教を追及したジャーナリスト)も驚きをもって稲田氏の文章を読んだようで、12月25日付「政治プレミア」において、稲田氏を保守政治家と誤解していたことを詫び、稲田氏の仕事をきっかけとして、政治のあり方が変わる可能性について言及している。

すなわち、「保守かリベラルかという分け方はもはや意味を失っているのかもしれない。現実を見ているかそうでないかが一番大事なような気がする。稲田さんのような女性議員が増えていけば、政治のあり方も変わるかもしれない」と述べている。

リベラルな政策をつまみ食い?

筆者は江川氏とは違い、稲田氏の背後に安倍首相の存在を感じている。首相が今回の改正に前向きであり、自民党税制調査会長の甘利明氏がその意を受けていた。その流れの中で、稲田氏は安んじて税制改正のお先棒を担いだというのが実相だと思う。自民党保守派の反対を制したのは稲田氏と自民党女性議員ではなく、安倍一強政権である。

現状、保守かリベラルかという分け方が無意味化したことは江川氏の指摘するとおりであるが、この現象をもって保守とリベラルが歩み寄る新たな政治のあり方が生まれつつあると考えるのは早計であろう。安倍政権の強みは、保守政権の枠組みを強固に維持しながら、リベラルな政策をつまみ食いすることを躊躇(ちゅうちょ)しない、そのフットワークの軽さにある。

しかし、その結果、政治が場当たり的になり、政治の全体像や国家のあり方について、国民に見えにくくなっていることは大きな問題だ。筆者は「未婚のひとり親」に対する差別が解消されたことについては歓迎する。しかしこの改正はあくまで税制改正の部分であって、全体ではないことを忘れてはならないと思う。(茨城キリスト教大学名誉教授)

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《吾妻カガミ》71 つくばと土浦の市政をウォッチ

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【コラム・坂本栄】あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。今年は2020年という切りのよい年です。東京五輪が楽しみですが、夏の暑さが心配でもあります。もうひとつの注目イベントは米大統領選挙です。国際秩序混乱の元凶トランプさんにはお引き取り願いたいのですが…。

上記は私の年賀状の文面です。国内外の大きな問題はさておき、県南地域をカバーしている本サイトの今年の大きなテーマは、昨秋土浦市長になった安藤真理子さんの仕事のこなし方と、今秋に予定されているつくば市長の選挙です。

安藤市政の第1幕に注目!

土浦市長選については先のコラム「新旧市長の政治と経済センス」(11月18日掲載)で私なりに総括しました。この中で安藤さんの選挙センスには〇を付けたものの、行政センスについては「公約集は場当たりのところが多く、整合性に欠けるところが気になります」とコメントしました。

安藤さんは12月議会で公約の具体化について答弁しています。詳しくは「公約実現へ道筋語る 土浦市議会で安藤新市長」(12月17日掲載)をご覧いただくとして、市内巡回バスの路線拡充、市立保育園民営化の見直し、有料ごみ袋価格の引き下げ―いずれも、市財政にはマイナスに作用します。選挙中安藤さんは市の負債構造を危機的と言っていましたが、財政改革の方は大丈夫でしょうか?

(必要というよりもあれば便利な)縦横に走る巡回バス経路、(公営→民営の流れを止める)市立保育園の温存、(市民のごみ処理意識を鈍らせる)ごみ出し負担軽減―。私は(前経営者市長の施策を修正する)安藤市政の方向に違和感を覚えています。

つくば市長選挙の焦点は?

つくば市長五十嵐立青さんの仕事振りについては何回も取り上げました。ご関心ある方は、本サイトの上部バー「コラム」から《吾妻カガミ》に入り、つくば市役所の写真がある記事を開いてください。若い市長を鍛えなければと、五十嵐さんの施策(特に懸案の総合運動公園問題)については厳しめにコメントしています。

本サイトは土浦市長選を詳しく伝えました。候補者出馬表明(9月11日10月11日)、市が抱える課題(10月26日27日28日29日31日11月1日)、公開討論会(10月30日)、開票速報(11月10日)、当選直後の新市長インタビュー(11月11日)などです。つくば市長選も切れのよい記事をお届けします。

地域の話題やコラムなどのメニューを一層充実させ、1期4年目の五十嵐市政、1期1年目の安藤市政をきちんとウォッチ、つくば市長選で今年を締める。これが2020年の基本的な編集方針です。ご期待ください。(NEWSつくば理事長)

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《ON THE ROAD》6 台湾で感じた人と人のつながり

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【コラム・石井康之】今回は最近10日間滞在した台湾のことを書きます。台湾は昔の日本と新しさがちょうどいい感じに混じった不思議な街でした。台北から台南、そして台中、最後はまた台北へ。旅行ガイドに載らないようなところに行こうと、ホテルも1~2日で変える旅をしてみました。

台湾ではいろいろなところで、夜は夜市、朝は朝市があり、活気にあふれていました。私は毎日のように夜市に行き、屋台で食事を楽しみました。ただ日本と違い、ほとんどの店でお酒が置かれていませんでした。

旅先でお酒なしの食事はあまりなかったことですが、飲み物をお酒からジュースに変え、宿へ戻る途中、コンビニでビールを買いました。トルコに行った時も同じでした。台湾やトルコでは東京など違い、大声で争ったりする姿は一度も見ることはなく、いろいろなところで笑顔が見られました。

朝、バスで出掛けようとした時、ホテルの人に聞いても乗り場がわからず、歩いてバス停を探していると、70代後半ぐらいのおじさんが声をかけてきました。行きたい場所を地図で伝えると、おじさんはスマホで検索し、場所と時間を教えてくれました。

おじさんは教えてくれた後も心配そうに見ていてくれました。2日後、別の駅のバス会社の人に1番乗り場と言われ探していると、またお年寄りがどうしたと声をかけてくれ、バス停まで連れて行ってくれました。私が台湾で感じたのは、人と人のつながりがとてもうまくいっている国ということでした。

古い街と新しい街が融合

街も新しい建物だけではなく、古い建物をリノベーションして使っている様子があちこちに見られました。渋谷の高層ビルの谷間に昭和の建物があるような…。

古くなった公務員住宅もリノベしてアートショップや雑貨店になって、ひとつの街になっていました。古い街並みと新しい街並みは邪魔せずに融合しているように見えました。

泊まったホテルも、雑居ビルの上をホテルにしているところも何軒かありました。1階下を事務所として使っていたり、飲食店やゲームセンターがあったりと。

台中にあつた百貨店は2014年に大幅リニューアルした建物らしいのですが、素晴らしい百貨店だと思いました。建物自体かなり古いものですが、置いてある什器や商品が建物にとても合っていました。

店員も各階にちょうどよい人数で、勧め方もとてもよいと思いました。周辺には洋品店や食べ物屋など昔からの店があり、いい雰囲気でした。古いものを壊すだけの街は、古くからそこに住む人たちのつながりも奪うような気がしてなりません。(ファッションデザイナー)

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《ライズ学園日記》3 不登校問題 たとえ1人でも見過ごせない

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【コラム・小野村哲】教科書を開くと「うーん、うーん」と首をかしげてなかなか学習に取り組もうとしなかった子が、ある日、「(教科書を)色紙にコピーしてくれたら、勉強してもいいよ」と、言ってきた。「どうして色紙なの?」とたずねると、「だって、教科書はチカチカして見にくいんだよ」と言う。首をかしげていたのもまぶしさを避けるためだったそうだが、当時の私はその子が感じていたしんどさに寄り添うことができずにいた。

一言で「やる気がない」「根気がない」といっても、そこに思わぬ理由がひそんでいることもある。例えば、光過敏。まぶしくてすぐに目が疲れてしまう。だから根気が続かない。軽度であるからこそ、本人も周囲の大人たちも気がつかないでいるうちにストレスをため込んでいることもある。

一方で、減少傾向にあった小中学生の不登校者数は、2013年度以降増加に転じ、昨年度はついに16万人を突破した。茨城県では2700人ほどまでに減っていたものが、2018年度には3907人に達している。そのうち小学生だけを見れば、2011年の448名に対して2018年は1204人、児童数の減少を考慮すれば7年間で約3倍に増えている。不登校のような問題は統計だけで論じるべきではない。たとえ1人でもそれを見過ごすことはできないが、それにしてもこの数字は異常としか言いようがない。

私たちはこの数字をどうとらえたらよいのだろう。学校訪問をしていると、先生たちも頑張っていることがよくわかる。安易に教師を責めたところで、何の解決にもならないことは明らかだ。

傍らに寄り添い「よりよく見る」

早急に取り組むべきは、教師も含めた私たち大人が子どもたちに寄り添えるようにすることだろう。特に教師には、傍らに寄り添い「よりよく見る」ことが求められてしかるべきだ。しかし、教師にもゆとりがなければ、よりよく見ようとする姿勢は生まれない。見る力を養うには、研修機会を保障する必要もある。それには、教職員の労働環境の改善を急ぐ必要がある。変形労働時間制の導入などもっての外だ。

児童・生徒1人に1台のコンピューターを整備するのはいい。しかしそれは本当に子どもたちのことを考えてのことなのか? そこに「ついてこられないものは切り捨てても、必要とされる『人材』育成を優先させよう」という、大人の思惑を感じているのは私だけだろうか? 大切にされていない人に、他人を大切にしろというのは無理な話だ。

しかし文科省に、それを期待するのは無理なのかもしれない。野党に責められる官僚たちの姿を見ていると、彼らもまた大切にされているとは言い難い。では一体誰が、このような悪循環を生み出しているのだろう? (つくば市教育委員)

追記:さらに不登校の理由について、文科省が学校を通して行った調査では「教員との関係」をあげた小中学生が3.5%でしかないのに対して、長野県が行った調査では27.4%、同様に文科省の調査では「いじめ」が0・4%に対し、NHKが行った調査では21%という報告もある。

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《電動車いすから見た景色》1 子どもたちと一緒につくる運動会

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ひもを引けばボールが投げられる手作り装置
川端舞さん

【コラム・川端舞】10月20日、筑波大学の体育館で「障害のある人もない人もみんなが楽しめる運動会」が開催されました。この運動会は、私も関わっている「つくば自立生活センターほにゃら」という団体が毎年企画しているイベントです。「ほにゃら」は、どんなに重い障害があっても、他の人と同じように地域で暮らしていける社会を目指して活動している障害者団体です。

この運動会の一番のポイントは、運動会当日だけでなく、種目を考える準備段階から参加者に関わってもらい、どうしたら障害のある人とない人が一緒に楽しめるかを、みんなで考えること。今年は、15人の小学生や大学生が運動会実行委員として準備段階から手伝ってくれました。

実際に子どもたちも車いすに乗ったりしながら、どんな種目なら障害のある人もない人も参加できるかを、「ほにゃら」のメンバーである障害者と一緒に考えました。運動会当日は「ほにゃら」のスタッフも含めた、総勢60人以上が参加し、チームで協力しながら、6種目で競い合いました。

少しルールを変えるだけで楽しめる

どうしたら障害のある人とない人が一緒に協力しながら一つのことを楽しめるかを、子どもたちが自分自身で考える機会は現在の社会では少ない気がします。しかし、たとえば小学校で低学年と高学年の子どもたちが一緒にドッジボールで遊ぶとき、自然と「低学年の子がボールを投げるときは、少し前から投げていい」というような新しいルールができることがあると思います。

それと同じように、「自分でボールを投げられない人でも使えるボール発射台を作ってみる」「車いすの人と競争するために、歩ける人も車いすに乗って競争してみる」など少しルールを変えるだけで、障害のある人とない人が一緒に楽しめる場が増えます。

どうすれば障害のある人とない人が一緒に楽しめるのか考える力を養いながら、子どもたちが成長していけば、障害のある人とない人が当たり前に一緒に生きていける社会に近づくはず。そのような思いで、この運動会は開催されています。来年も10月に運動会を開催する予定なので、興味のある方はぜひご参加ください。

全人口の15%、7人に1人は障害者

このコラムを読んでくださっている方の中にも、「障害者」というのはどこか自分とは遠い存在だと感じている方もいるでしょう。しかし、世界保健機関(WHO)によると、全人口の15%、7人に1人は障害者だそうです。

誰もが将来、自分自身が事故や病気で障害者になったり、障害のある子を授かったりする可能性があります。そのような立場になってはじめて慌てるような社会よりも、障害があっても他の人と同じように、学校に通ったり、働いたり、友達と遊びに行ったり、当たり前の生活を送れる社会になったら、障害者だけでなく、多くの人にとって生きやすい社会になるのではないか。

そう信じながら、このコラムでは、障害者である私の視線から見える社会の景色をご紹介したいと思います。(つくば自立生活センター「ほにゃら」メンバー)

【かわばた・まい】群馬県出身。生まれつき脳性まひという障害があり、電動車いすで生活している。2010年に筑波大学障害科学類への入学を機に、つくば市に引っ越し、介助者にサポートしてもらいながら、1人暮らしをしている。障害者団体「つくば自立生活センターほにゃら」で活動中。

《地域包括ケア》50 歩いて通える場所に高齢者サロン

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「広報つくば」で高齢者支援の記事に目を留める

【コラム・室生勝】4年間、健康自己管理を主目的とした高齢者の交流サロンを主宰してきて、後期高齢者の介護予防は少なくとも週1回実施して効果があることを実感している。青壮年層の年・月単位の健康チェックとは違い、週単位のチェックが必要であり、週1回だと生活のリズムにも合う。

後期高齢者の介護予防を実施する場所として、厚労省は地域の通所サービス施設(デイサービス施設やデイケア施設)、地域の高齢者サロンを想定している。通所施設は車で送迎しているが、サロンには送迎車はないので、歩いて通わねばならず、徒歩範囲内にサロンが必要である。

つくば市は本年度から「高齢者地域ふれあいサロン運営補助事業」を実施し、週1回、2回、3回の開催数に応じて補助金を交付している。11月末現在、週1型2カ所、週2型1カ所、週3型2カ所である。介護予防メニューは各サロンで異なり、健康講話、健康体操、スクエアステップ、カラオケ体操、スローエアロビ、脳トレなどを行っているようだ。

介護予防メニューを月1回以上実施することが、補助の条件の一つである。大半のサロンの健康講話とカラオケ体操は、健康増進課の出前教室を利用しているようだ。補助事業のサロンが増えれば、出前講座のスタッフが不足してくるだろう。社会福祉協議会が推進する各地の「ふれあいサロン」も、出前教室を利用している。

高齢者の居場所づくり

「ふれあいサロン」は月1回が多いが、週1回にしてもらえば介護予防サロンに転換できる。要介護と認定された人たちを除く65歳以上人口(要支援と認定された者を含む)がサロン参加対象者で、4万4647人(2018年10月)である。仮に1カ所の対象者数を80人とすると、558カ所必要となる。80人としたのは前期高齢者が約半分占めるからだ。

558カ所から、ふれあいサロン数94カ所(11月現在)を差し引くと、464カ所となる。歩いて通える場所を確保するのは可能だろうか。地区集会場、空き店舗、空き家、薬局やスーパーの空きスペースに期待するしかない。

通いの場の設置は全国の市町村ではどのように進行しているのか調べてみたら、2014年度より「地域づくりによる介護予防推進支援事業」が始まっている。市町村が効果的・効率的な介護予防の取組を推進できるよう技術的支援を行う事業らしい。だが、つくば市では実施されていない。

しかし、生活支援体制整備事業「高齢者の地域における自立した日常生活の支援及び要介護状態となることの予防又は要介護状態等の軽減若しくは悪化の防止に係る体制の整備、その他のこれらを促進する事業」が16年7月から始まり、生活支援の拠点となる居場所の設置が圏域ごとに討議されている。

つくば市長は、高齢者への支援として介護予防や孤立防止のための「地域憩いの場」提供への助成(広報つくば19年1月)、「高齢者の居場所づくり」(同19年4月)を約束している。団塊世代が後期高齢者になる25年までには400カ所ぐらい設置されるだろう。期待したい。(高齢者サロン主宰)

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《県南の食生活》8 お雑煮 地域で異なるレシピ

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お正月と言えばお雑煮

【コラム・古家晴美】年の瀬も迫り、あわただしくなってきました。新年でも開いているお店がある現在とは異なり、1960年代までの元旦の朝は、日常とは異なるピリッとした空気が張り詰めていたのを覚えています。今回はお雑煮について取り上げたいと思います。

全国的に見た場合、東京の焼いた角餅・大根・人参・小松菜などを入れた醤油仕立てのお雑煮に対し、京都の茹(ゆ)でた丸餅・里芋・大根・人参などを入れた白みそ仕立てのお雑煮がしばしば紹介されます。

これ以外にも、イクラを載せ鮭の切り身が入った北海道や岩手県のお雑煮、餅と青菜が入った愛知県のお雑煮、甘い小豆あん入りの餅が入った和歌山県のお雑煮、フグを入れる広島県のお雑煮、焼きアユを入れた愛媛県のお雑煮、鳥取県の小豆雑煮、焼きあごでだしを取りかつお菜を入れる福岡県のお雑煮―など様々です。

さらに、市町村、集落、家ごとに異なります。また、正月三が日に雑煮や餅を食べない「餅なし正月」も全国的に存在します。

県南地域に絞ってみると、現在は鶏肉などを入れる家庭も多いですが、以前は焼いた角餅とネギ・油揚げ・大根などを入れた醤油仕立てのお雑煮が多かったようです。

「青物(葉物)は入れない」(稲敷市浮島、麻生町、つくば市妻木、かすみがうら市田伏・坂など)、里芋・人参・ごぼう・豆腐を入れる、餅を焼かない(麻生町、かすみがうら市宍倉、つくば市平塚、龍ケ崎市上町・馴柴)、焼いた角餅以外は何も入れない、醤油味の大根雑煮(かすみがうら市坂、牛久市小坂)などバリエーションに富んでいます。

また、稲敷市古渡へ1700年前後に関西から移住して来た記録が残っているある家では、現在でも関西風の白みその雑煮を作っています。(坂本要編『東国の祇園祭礼』)

家庭のルーツを残しながら進化

前述したのは地域に根付いた特産物を使ったお雑煮ですが、進学・就職・転勤・結婚などに伴う地域的な移動が多い現代社会において、出身地のお雑煮を移住先で食べることにより、自らのルーツを確認するということはしばしば見受けられます。

江戸時代でも同様で、最後に挙げた関西風の雑煮を食べ続けている例が、まさにそれにあたります。異なる地域の人が結婚した場合、元旦は夫の家の雑煮、2日は妻の家の雑煮というように、両者が融合することもあります。

年明けに食べるおせち料理は、スーパーやデパート、料亭、通販などの「中食」(調理済みのものを購入し家庭で食べる)に移行しつつありますが、それに比べ、お雑煮は調理が比較的シンプルなこともあり、家庭で作ることが多いようです。家庭のルーツを残しながら進化していくお雑煮は、生きもののようで非常に興味深いものです。

お雑煮とは別に、大晦日に食べる「お年取りの膳」もありますが、それは機会がありましたら、ご紹介させていただきます。では、よいお年お迎え下さい。(筑波学院大学教授)

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《ひょうたんの眼》23 茨城の魅力度最下位 どうしてなの?

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茨城県フラワーパークのイルミネーション=石岡市下青柳

【コラム・高橋恵一】我が茨城県は都道府県別の魅力度ランキングで最下位の47位。それも7年連続。8年前に46位になる前も3年連続で最下位。ランキングは11回目だから…。

世界に誇る筑波研究学園都市があり、ノーベル賞受賞者を輩出した筑波大学がある。公立で東大合格者数のトップを競っている県立土浦一高もある。今年はひどい目にあったが、もともと自然災害が少ない。

人口や県民所得は10位前後に定着し、世界規模の茨城港、鹿島港があり、首都圏の第3空港、茨城空港もある。日本一の「筑波北条米」、メロン、レンコン、納豆も。

ネモフィラとコキアとロックフェスティバルの、ひたち海浜公園の観光客は増え続けている。日本三名園の偕楽園、日本三神宮の鹿島神宮、日本三大瀑布の袋田の滝。

スポーツだって、サッカーJ1最多タイトルを誇る鹿島アントラーズ、引退しちゃたけれど感動を与えてくれた日本人横綱の稀勢の里。知られていないけれど、温泉の数もトップクラスなのだ。

魅力度1位は11年連続で北海道なのだが、広々と耕作地が広がる北海道に次いで、農業生産額は茨城県が2位。気候が豊かだから、北国のリンゴも南国のミカンもできる。

イチゴも柿も栗も美味しいし、冬の干し芋は絶品だ。あんこう鍋も。1戸当たりの住宅の敷地面積は茨城がトップで、北海道より広い屋敷に住んでいる。タワーマンションを建てる必要がないのだ。

茨城の人は自県が好きなのだろうか?

茨城県の古代を描いた「常陸国風土記」では、土地も気候も豊かで、人々は生き生きと暮らしている、この世の理想郷「常世の国」とは、この地ではないかと称えられている。筑波山と霞ケ浦に抱かれた、茨城の豊かな姿が思い浮かぶではないか。

それなのに、なぜ、イメージが最下位なのだ。宣伝が下手とか、茨城人は控えめだから、とか言われるが、茨城の人は、茨城県が好きなのだろうか? 茨城の人は、地元の観光地やイベントに足を運び、楽しんでいるのだろうか?

県外の友人を案内して、水戸でタクシーに乗り、市内観光を頼んだら、「偕楽園はつまらないし、水戸には何もないですよ」。食事処を訪ねる気力もなくなった。紅葉の季節に遅れてしまっても、京都のタクシーは、著名ではないけど紅葉の残っている寺院を案内してくれた。

住んでいるところの魅力は、地元の人が愛し、自ら出かけ、自ら食し、自ら感動して、自ら語らなければ、アップしない。時代劇の水戸黄門も、茨城を舞台にした漫遊が必要かも知れない。都道府県地図の魅力度色分けが、灰色からせめてピンクになると、心が落ち着くかも知れない。(元茨城県生活環境部長、地図愛好家)

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《宍塚の里山》53 ノウサギ 里山に生息の痕跡

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ノウサギとビワの木の食跡

【コラム・及川ひろみ】「ウサギ追いしかの山」。懐かしい故郷を唄ったこの童謡、口ずさめる方も多いと思います。さてノウサギ。最近、大変減っていることが環境省の全国調査で明らかになりました。しかし、そんなニュースが信じられないほど、宍塚の里山では生息の痕跡(こんせき)が見られます。以前、地元の方が里山の畑にブルーベリーを植えたら、何者かが片っ端から枝先を切ってしまうと聞き、見に行きました。

高さ50センチほどのブルーベリーの枝先には、切れ味のよい小刀で斜めに切った跡が見られました。このような切跡を残す犯人はノウサギです。周りには何か所も、ノウサギの落とし物「コロコロな糞」がありました。

私たちの会では、里山で果物を楽しみたいと果樹園をつくり、スモモ、ミカン、梅、小梅、クルミなどを植えました。冬、そこに若者2人が庭に育った2~3メートルもある4本のビワの苗をえっさえっさと運び、植えました。

すると間もなく、ビワの根際(ねぎわ)近くの幹の表皮が70センチほどの高さまでかじられ、どのビワの樹もオレンジ色の内側の皮がむき出しになり、皮にはノウサギの前歯の跡がくっきりと残されていました。かじられたビワの樹、1本だけかろうじて残りましたが、3本は枯れてしまいました。

ほとんどの植物では、葉でつくられた栄養分を運ぶ師管(しかん)が木部の外側にあることから、ノウサギに師管をかじられ、栄養が根に行かなくなり枯れたのです。ノウサギは枝をかじるだけでなく、さらなる被害を生んでいる可能性があります。残されたビワの樹の根元には、ノウサギ除けのネットを張り、今年も花を咲かせています。

乾いてコロコロした糞

さて、食べものの豊富な春から秋は特に目立ちませんが、冬期になるとノウサギの食べ跡が林や散策路で見られます。ブルーの実が美しいリュウノヒゲや、人気の野草春蘭(しゅんらん)の葉、そしてヤマツツジの枝も好物で、枝は鋭い鋭利な刃物で切られた跡が見られ、春蘭は根際まで葉を食べます。

また、草原に人が座ったような丸いくぼみが見られることもあります。ノウサギの毛が倒された草に付いていれば、そこはノウサギの休憩場所だったと言えそうです。

ノウサギの糞は、乾いてコロコロした干し草色のものが普通ですが、黒あるいは濃い緑色のベトベトした柔らかい軟便をすることもあります。出したあと、間もなく食べてしまうので見ることが少ないのです。

牛は反芻(はんすう)によって食べた栄養分を効率よく吸収しますが、ウサギは反芻ではなく、いったん糞として出しそれを食べるのです。人が藪(やぶ)に分け入ったときなど、慌てて逃げ、食べ損ねたものを見るのです。ノウサギにとってははなはだ迷惑なことです。固いコロコロの糞もよく食べると言う説もあります。

最近、定年退職された地元の方が里山の入口にブルーベリー畑をつくりました。周囲には、ノウサギ除けのネットがしっかり張り巡らされています。(宍塚の自然と歴史の会代表)

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《続・平熱日記》52 前略、携帯各社様 世は5G時代?

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【コラム・斉藤裕之】「あなたのお使いになっている携帯電話はそろそろ使えなくなりますので…」なんて、脅迫めいた手紙が送られてきました。要するに世は「5G(ファイブジイ)」時代ってこと。

ずいぶん前に壊れた携帯。それから友人の中古をもらって使っているのが今の携帯。ガラパゴスどころか、日本にいるトキより使っている人の数は少ないと思われる機種ですが、私にとっては至極(しごく)使いやすく、ストレスフリー携帯。もちろんネットなんか使わないし、いわゆる電話機というか受話器に近い存在。

いろんなアプリが便利だということはわかりますが、高機能の電子レンジで結局「チン」しか使わないのと同じ。なので、例えば3日休みがあって3日ぶりに覗(のぞ)いても、着信なしメールゼロ件。もっともメールも着信もないというのは、私にとってはとても幸せなのですが。ですから家に忘れて外出しても全く困りません。

ところで「かけ放題、〇〇ギガで〇〇円!安いでしょ!」って、いわゆる定額安心プラン。私には決して安くない。仕方なく大方は5Gの波に乗っていくことを余儀なくされるのでしょうが、ここは敢えて携帯を卒業するという選択肢もありかと。

てなことをカミさんに相談すると、「もしものことがあったらどうするの? 〇〇ペイとかの時代だし」。残念ながら〇〇ペイもなにも、口座にソモソモのお金がありませんし、もしもの時って…。山の中で熊と出会った時、携帯は役に立ちませんけど。

5G時代に「いちジイとして」ツッパる

そんなある日のことです。アトリエにやってくる小さな女の子。熱心に絵を描く彼女の首からぶら下がっているのはキッズ携帯。「これだ!」。ちなみに今を去ること10数年前、ある事情で私、キッズ携帯を首から下げていた経験があります。水色のかわいいヤツで、特に不便も感じませんでしたし、これは名案と思いカミさんに相談すると、「?」。はい、消えた!

ところ変わって故郷の山口。大工のかたわら古い漁船をもらい受けて漁に出ている弟から、携帯が瀬戸内海に沈んでいったという報告を先日受けました。海底で着信中の携帯なんてロマンチック?といいますか、そんな決定的なことがあれば、あきらめて携帯ショップに行くと思うのですが、いつも混んでいるのを見ると「まあいいか」って。

というわけで、前略、携帯各社様。電話とメールだけできる、名付けて「男は黙って黒電話シリーズ」格安プランでどうでしょう。追伸、今月また歯が1本抜けました。とりあえず来年の抱負としては、来る5G時代に「いちジイとして」でツッパっていく所存であります。(画家)

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《邑から日本を見る》54 原発否定なら「自宅から出るな」

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飯野農夫也氏の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】今年最後の本欄はやはり東海村の話題だ。同村の山田修村長が雑誌の対談で東海第2原発の再稼働を容認すると受け取れる発言をしていたことが、地元で波紋を広げている。

村長の発言は原子力の業界誌『ENERGY for the FUTURE』(ナショナルピーアール社、東京)の10月5日号に掲載された。まず、発言の主な内容を示す。

▽社会インフラとしての安定的な電力の供給は絶対に欠かせない。BWR(沸騰水型原子炉)についても、しっかりと再稼働していく必要がある。

▽(福島第1原発の)事故があったから新規制基準ができた。論理的に考えれば、同じような事故は起こらないと思うはずだ。

▽東海第2の94万人が全員避難するという事態は、よほど事象が進展しない限り、起こりえない。(実際の事故時には)時間的に余裕があるから、冷静に動けば(避難は)できる。

▽原発は必要ないという人は、全ての外部電源を遮断して、自家発電だけで生活してもらわなくてはいけない。電車に乗ろうとしたら、それは電気を使うことになるので、自宅から一歩も出てはいけない。そんな生活をするのは無理だ。

東海村の山田村長発言が波紋

この山田村長の発言が明らかになると、村内の議員や反原発団体などが反応を示した。11月15日に阿部功志氏ら4人の議員が村長と面談し、真意を問い質した。次いで21日には「原発いらない茨城アクション実行委員会」のメンバー約40人が村役場で村長と懇談した。さらに25日の定例記者会見で釈明、28日には村議会全員協議会で村長とのやりとりがあった。

同村長はこれまで再稼働に中立と表明しており、整合性が問われたが、「対談ではBWR一般の話をしたので、東海第2のことではない」と逃げた。また、新基準で、従来よりも安全対策が強化された、と述べた。

一斉避難については、94万人が一斉に避難するという前提では、実効性のある避難計画は作れないと説明した。また、原発に否定的な人たちを「自宅から一歩も出てはいけない」と批判したことについては、「配慮が足りず、行き過ぎた発言だった」と陳謝した。

問題になっているこの対談の相手は新潟県刈羽村の品田宏夫村長。原発推進派として知られている。山田村長は、対談は相手のペースで進められ、自分の発言の意図とは異なる部分もあったが、修正すると対談にならなくなり、相手に失礼になるので、修正は求めなかった、だが問題になるとは感じていた、とも話している。

この山田発言について前村長の村上達也さんは「村民の意見がまとまっていない中で、村長として軽薄な行為だ。原発を認めない人を馬鹿にする発言も問題だ」と述べている。また前村議の相沢一正さんは「雑誌で言っていることが本音だと思う。ただ、再稼働についてはまだ判断していないというので、今後も話し合いを続けていく」と話す。

同村では来月に村議選が、2月には隣接の那珂市議選がある。東海第2原発の再稼働は同村だけでなく、周辺の5市の同意も必要なので、すんなり再稼働にはならないと考えられるが、選挙での大きな争点になることを期待したい。(元瓜連町長)

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《食う寝る宇宙》52 宇宙で腰痛は治るのか その2

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【コラム・玉置晋】その日は仕事仲間との宴席があり、帰宅したのは23時過ぎでした。玄関で「ただいま~」と言っても妻の返事なし。トイプードルの「べんぞうさん」は、いつもなら「お帰り~」と飛んでくるのに、今日はひょっこり顔を出すも、すぐに戻っていきました。「何かがおかしい」。

リビングに行くと妻が倒れている。そして第一声、「動けない」と。何事か? とビックリしましたが、どうやらギックリ腰で身動きがとれなくなったようです。ギックリ腰は辛いですね。僕も数か月前にやりました。

コラム34(3月24日掲載)でも書きましたが、宇宙では椎間板(ついかんばん)が膨らみ座高が伸びるため脊椎(せきつい)や馬尾(ばぎ)が伸展(しんてん)され腰痛が発生するそうで、残念ながら無重力にしても腰痛から逃れることはできないそうです。地上でしっかり安静するのが一番なのかな。

でも介護する身からすると、重力は6分の1くらいがいいかな。将来、月面リハビリなんて言葉が出てくるかも。

261416時に部分日食

月による日食とは、太陽と地球の間に月が入ることで、地上に影ができることです。影の中にいる僕たちから太陽を見ると、輝く太陽が真っ黒な月の影に食べられていくようにみえます。12月26日には部分日食が日本で観測できるはず(この原稿は12月17日に書いています)。

今回は、日本では14~16時にお日様が2~3割、南にお住まいの方ほど多めに欠けます。注意ですが、お日様は絶対に裸眼(らがん)で直視してはダメですよ。最悪失明します。必ず、日食眼鏡などで見てくださいね。

月の影を宇宙から見ると面白くて、日本列島より大きめの丸い影が移動していくのです。今回も気象衛星ひまわりの画像に映り込むと思うので、ご覧になると、「ああ、そういうことか」と納得されると思います。

僕がお薦めのサイトは、情報通信研究機構の「ひまわりリアルタイムWeb」(➡リンク)です。日本の南の高度3万6千キロの赤道上空から見える地球の全体像をリアルタイムで配信しています。過去データもバックデートしてみることができます。

2019年12月26日14~16時に、日本列島の近くを大きな影が動いていくのが見えるはずなので、是非お試しを。(宇宙天気防災研究者)

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《続・気軽にSOS》51 暴力から逃げてきた親子

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【コラム・浅井和幸】私が代表理事をしている一般社団法人LANSという、居住支援法人があります。住宅確保要配慮者という、簡単に言うとアパートなどを借りにくい方の相談を受ける法人です。

ある地方公共団体の福祉部署より電話が入りました。家族の暴力から着の身着のまま逃げてきたが、今日の寝る場所が確保できない親子がいる、何かアイデアはないか、という相談でした。福祉課やボランティアなどと連携し、寝られる場所と食料の確保をして、急場をしのぎました。その後、家具などの寄付を募りつつ、職を見つけ、お子さんの学校も決まり、徐々に生活が回り始めました。

ギリギリの生活の中、その母親には、私になかなか言えない悩みごとがありました。自分でいろいろ方法を探しましたものの、見つからず「こんなことを相談してもよいものか悩んだのですが、話を聞いていただけますか?」と切り出してきました。

以前住んでいた家に家財道具などを取りに行きたい。しかし、持ち金もあまりないので、引っ越し屋さんにも頼めない。軽トラック1台あれば十分なぐらいの荷物だけれど、動くに動けないとのことでした。他のNPOと連携して、車とボランティアを探し、対応できる段取りが取れました。

一つ一つの引っ掛かりを解きほぐす

もちろん、そう簡単にできたわけではないですが、実は、この荷物を運ぶということを、この母親が決断できるまでは大きな葛藤があったのです。荷物を運ぶということは、思い出したくない暴力の現場に戻らなければいけないからです。ほんの少し前までは、その場のことを考えるだけで手が震え、吐き気がするほどだったのです。

実際に荷物運びをした時も、冗談交じりに笑顔も出ていましたが、かなり緊張していました。特に問題なく済んだものの、相当疲れていた様子でした。

そこまでして、荷物を持ってくると決断したことには、大きな理由があります。それは、荷物を持ってくることによって、やっと暴力の場から縁が切れると考えたことでした。実際に荷物運びが終了して、本当の再スタートが切れた気持ちだということでした。

それぞれの生活や感じ方、考え方に寄り添い、一つ一つの引っ掛かりを解きほぐすことによって、ただ生きるのではなく、明日に希望の持てる生活になっていくのだと感じるエピソードでした。(精神保健福祉士)

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