日曜日, 4月 20, 2025
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3氏が考えを表明 土浦市長選公開討論会

【鈴木宏子】任期満了に伴う土浦市長選(11月3日告示、10日投開票)を前に、土浦青年会議所主催による立候補予定者の公開討論会が29日夜、同市中央、亀城プラザで開かれた。現職の中川清氏(74)、新人で県議の安藤真理子氏(58)、新人で水墨画家の相澤保男氏(81)の3氏が出席し、市の活性化、少子化や高齢化対策、安全・安心に暮らせる政策、霞ケ浦などの観光政策についてそれぞれの考えを表明した。

市の活性化について中川氏は「中心市街地は往来が増えた」と実績を強調し、立地適正化計画に基づき、めりはりのあるまちづくりをして、周辺地区に波及させたいなどと話した。安藤氏は「神立、おおつ野、新治、荒川沖とそれぞれ街ができているが、バスがとても少ない。点と点を公共交通機関で結んで回遊性があるまちにしたい」と語った。相澤氏は「モール505の空き店舗を全部、市で借り切って高校生などに無料で貸してあげたらいい。何かが生まれる」と話した。

少子化と高齢化対策について中川氏は、新婚世帯の引っ越し費用助成や産婦健診費用助成など数々の実績を挙げて「切れ目のない継続的な子育て支援を行っている」と述べた。高齢化対策については、中学校区ごとに専門スタッフを配置して支援の輪を広げる『ふれあいネットワーク』を土浦が日本で一番先につくったと強調した。安藤氏は、市立幼稚園の廃止と市立保育所の民営化について触れ「民でできることは民でやることが大切だが、市立の幼稚園と保育所を残すことも大切」と話し、高齢化対策については「元気な高齢者が街に出て、病院に行くだけでなく、遊びや趣味も楽しめるよう、公共交通網を整備する必要がある」と述べた。相澤氏は「高齢化は避けては通れないが少子化はどうにかできる」とし「1人目が生まれたら100万円、2人目200万円、3人目300万円の一時金をあげたらどうか」などと話した。

安全安心について中川氏は、自主防犯組織やLED防犯灯設置などの実績を挙げ「刑法犯認知件数が10年で半減した」と強調。防災や医療面でも実績を強調した。安藤氏は台風19号で避難勧告が出されたことを振り返り「旧市内の避難所は満杯状態だった。避難場所の見直しの必要性を強く感じた」などと話した。相澤氏は「花火大会でも事故があった。100%安全安心はない」とした。

霞ケ浦などの観光について中川氏は「来年(土浦駅ビルに)星野リゾートのホテルがオープンすればサイクリストを街なかに引き込める。つくば霞ケ浦りんりんロードがナショナルサイクルルートに選ばれたという機を逃さず首都圏のゲートウエイとして交流人口の拡大に努めたい」と話した。安藤氏は「霞ケ浦は土浦の宝。もっと多くの人が集まっていい素材」だと述べ、沿岸の市町村と連携して魅力を発信していくことが大事。SNSで情報を発信したり、足で出向いてPRしたり、国や県と連携して霞ケ浦の魅力をアップさせたい」と述べた。相澤氏は「霞ケ浦のまわりの市町村全部を合併させて人口44万人の政令市をつくり、霞ケ浦を船で行ったり来たりできる地域をつくりたい」などと語った。

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目指す!土浦花火の妄想実現

新年度が始まり、総会づくしの日々。資料説明では、新たな事業計画に期待が高まる一方で、資金面の理由から予算削減計画も目白押し。 私の花火鑑賞計画2025は、7月中下旬予定の地元八坂祇園祭礼のため、花火シーズンに遅れての参戦予定。人気花火大会の宿泊予約はすでに満杯、限られた自主財源に合わせ、身の丈に合った計画縮小を余儀なくされる状況。仕方なく、土浦100thに注力すべく、今回は4つの妄想事を書いてみた。 かすみがうらマラソン大会に花火を 本日開催のかすみがうらマラソンは、土浦全国花火競技大会と共に、市内外から多くの人が訪れる2大イベントだが、これまで、特別なコラボは実現していない。 以前、市職員に、マラソンの前夜祭に花火を上げたらと提案したら、「予算」と「警備」の理由で却下。夜がダメなら、当日のスタート前にどうだろう。パリパリと音を出しながら赤、黄、緑、青、黒など色の付いた煙が枝垂れ柳(しだれやなぎ)のように落ちる煙竜花火や夜の「菊花火」のように煙が開く昼花火もまた、いいもんだ。大曲の花火では、夜の部の前にコンテストが行われており、「花火のまち土浦」の絶好の「おもてなし」となるに違いない。スタート時の「合図花火」だけでは寂しすぎる。 煙竜花火の傑作「ブドウ煙」の復活 煙火業界で、伝説の花火といわれているのが、土浦火工の故北島義一氏の手による煙竜花火「ブドウ煙」。正式には「赤煙竜」と呼ばれ、紫の煙を大量に噴出する花火として、1953(昭和28)年頃、伊勢の花火大会で初めて披露されたという。2001年、土浦火工最後の花火師 箱守彰氏と齊木煙火本店(山梨県)の協力で再現に成功、この模様が映像として「土浦の花火~伝統花火から全国花火競技大会まで~」(土浦市立博物館制作DVD)に記録されている。DVD制作を担当した茨城ビデオパック(土浦市)の岩崎真也氏から、配合帳も博物館に保管されているので、100周年企画として再々現するという魅力的な提案が届いたが、落下傘を使う吊り物花火を安全に打ち上げる場所は限定されるため、場所は要検討。 Japan Fireworks Expo 開催中の大阪・関西万博では、花火イベント「Japan Fireworks Expo」を8日間設定。日本を代表する花火大会が全国から集結とのうたい文句だが、現時点で公表されているのは、4月26日の伊勢花火、6月28日の大曲の花火の2日のみ。今もってすべて埋まらないのは、花火シーズンと重なる日程や資金面など参加条件が折り合わないのか。ちなみに、土浦の花火の参加費用は、市予算に計上されてない模様。 とりあえず、「大曲の花火の日」の入場予約と宿泊を予約した。 9月5日を「土浦花火の日」に 土浦の花火の第1回は1925年9月5日、霞ケ浦湖岸の岡本埋立地(現川口運動公園付近)で開催した。 土浦市は、先の市議会でも答弁したように、当日に特別な企画はないようなので、私からの提案。この日を「土浦花火の日」として、日本記念日協会に登録する。登録料15万円が必要となるが、当日の「ブドウ煙」の再々現の費用とあわせ、クラウドファンディングで資金を捻出したいがどうだろう。 そろそろ、長年の妄想を実現いたしたく、春の迷走を続けている。 春馬花火を見上げながら 最後に、前回(3月16日掲載)紹介した「HEART花火」の報告。 音楽とコラボした見事なスターマイン花火が参加者を魅了した。後半、筒から直接立ち上る「マイン花火」の連続で、湖面からの風で観客側に煙が吹き寄せ、花火全体がかすみ、燃え殻も落下した。 このとき、土浦市が過去に行った花火会場移転調査結果が脳裡にちらついた。「夜は湖風(うみかぜ)が地上に向けて吹くから、観覧席の場所確保が難しく、花火会場には適さない」とされている。機会があったら、真偽のほど、知人のヨットマンに確かめてみよう。本日はこれにて、打ち止めー。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

江戸文化伝える「さくらそう展」 筑波実験植物園で始まる

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6年間で280件、誤った発信者名で通知 つくば市

福祉事務所長と市長業務の区別誤る つくば市は17日、認可外保育施設に対する指導監査事務と生活保護に関する事務について、法令や市の規則に定められた福祉事務所長が行うべき業務と、市長が行うべき業務の区別を誤り、2019年度から24年度まで6年間で計280件について、誤った発信者名で通知を出していたと発表した。 市社会福祉課によると、認可外保育施設の指導監査については、毎年1回行っている指導監査などの立ち入り調査や調査結果の通知を、23年度は63カ所に対し128件、24年度は54カ所に対し108件、計236件の通知文の発信者名を、つくば市長名で出すべきところ、市福祉事務所長名で発送していた。 児童福祉法に関わる認可外保育施設の指導監査事務については、権限が知事から市に移譲され、さらに市長から市福祉事務所長に委任された。その後22年度末に市の規則が改正されて市福祉事務所長への委任が削除されたことから、つくば市長名で通知を出すべきところ、市福祉事務所長名のままで発送していた。 一方、生活保護行政に関わる事務については、2019年度から24年度までの6年間で計44件の通知文について誤った発信者名で通知していた。具体的には①遺留金品の処分について、金融機関に対し23年度と24年度に計3件、市福祉事務所長名で通知すべきところ市長名で通知を出していた ②医療扶助や介護扶助の損害賠償請求に関しては、保険会社に対し20年度から24年度までの5年間で計5件、市長名で通知を出すべきところ福祉事務所長名で出していた ➂生活保護受給者らへの費用の徴収に関しては、受給者に対し19年度から23年度まで5年間で計36件、市長名で通知文を出すべきところ、市福祉事務所名で出していたという。 生活保護法に関わる生活保護の行政事務については、市の規則により、市長から福祉事務所長に委任されている事務と委任されていない事務があるにもかかわらず、一部の通知文で誤った発信者名で通知していた。 今年4月、社会福祉課内の職員から指摘があり、過去にさかのぼって調査したところ、誤りが分かった。市の規則について、当時の管理職を含む職員の認識不足が原因という。 今後の対応として市は、市ホームページに関係機関に対するお詫びと、通知文の内容は無効でない旨を掲載すると共に、関係機関と関係者に順次、説明と謝罪を行うとしている。 再発防止策として、根拠法令と市の規則を再度確認し、管理職を含む課内職員全員で適切な運用を徹底していくとしている。 福祉事務所は、社会福祉法に規定された福祉に関する事務所で、福祉6法に定められた事務を行う社会福祉行政機関。市役所とは別の行政機関になるが、市役所内にあり、市社会福祉課など市の関係部署の職員で構成されている。福祉事務所長は市福祉部長が務めている。 【14時15分 訂正】認可外保育施設について「指導監督」を「指導監査」に、生活保護について「扶養義務者」を「生活保護受給者ら」に訂正しました。

「砂の器」の父と子の旅《映画探偵団》87

【コラム・冠木新市】脚本家、橋本忍が橋本プロダクションをつくり、その第1回作品に選んだのが「砂の器」(1974年)だった。すでに脚本は十数年前にできていた。 当初、ハンセン病の父と子を描いた松本清張の原作は非常に入り組んでおり、橋本忍は頭を抱えたそうだ。だが原作にある「その道中どんなことがあったか、それは親子のこじきにしかわからない」との「父と子の旅」の1節に注目し、そこから脚本を構成、共同脚本の山田洋次と仕上げた。松竹で製作予定だったが、内容が暗いためか中止となってしまう。 橋本忍の父親が病の床につき故郷に戻った時、父親の床に2冊の台本が置かれていた。「お前の書いたホンの中でまァまァなのはこの二つや」と「切腹」と「砂の器」をあげ「けど、わしはこの砂のなんとかのほうが好きや」と言い、さらに興行師の経験もあった父親は「この外題(砂の器)は、やりさえすりゃ当たる」との遺言を残している。 その後、橋本忍は各映画会社に企画を持ち込むが、様々な理由を付け皆断ってきた。遂には他の仕事の依頼を受けても、「砂の器」をつくらなければ仕事はやらないとまでに。とうとう独立プロダクションを設立し「砂の器」を自主制作することにした。 すると橋本忍は、映画監督の黒澤明から電話で呼び出された。脚本を読み、冒頭の容疑者捜索シ一ンは意味がなく無駄だし、犯人の愛人が血痕の付着した服を切り刻んで電車からまく証拠隠滅シ一ンがおかしいと指摘を受けた。橋本忍もその欠点には気づいてはいたが、しかし最後まで削除改訂することはしなかった。橋本忍はクライマックスの父と子の旅にすべてをかけていた。 「砂の器」の後半がすごい。①警察庁での捜査会議の席上、今西刑事(丹波哲郎)が殺人事件の背景を語るシ一ン②犯人の作曲家、和賀英良(加藤剛)のピアノコンサートのシ一ン③お遍路姿の病人(加藤嘉)と7、8歳の男の子(春田和秀)の旅路のシ一ン。この3つのシ一ンが同時並行で描かれるからだ。 橋本忍の父親は、捜査会議(義太夫語り)とコンサート(三味線弾き)とお遍路親子(人形)が、人形浄瑠璃の仕掛けだと見抜いていた。 丹波哲郎、加藤剛、加藤嘉、春田少年の演技と全編に流れるピアノとオ一ケストラの音楽には誰もが泣かされるはずである。 父と子の旅のシ一ンは、今西刑事の想像であり、作曲家でピアニスト和賀英良の回想でもある。だから主軸は、父と子の旅の場面だ。セリフはなく、音楽のみで表現される。 私がいつも泣かされるのは、少年が山道から小学校の校庭で体育の授業風景をじっと見つめる場面だ。父親は旅をせかすが、少年は動かない。少年の授業を受けたい思いが痛いほど伝わってくる。『砂の器』の父と子の旅の場面は、戦後の貧しかった日本の社会を象徴するものといえる。 私の父は「砂の器」が公開された年に亡くなった。久し振りに「砂の器」を見直した。サイコドン  ハ  トコヤンサノセ。(脚本家)