【コラム・浅井和幸】ひきこもり問題で悩んでいる当事者やご家族が集まり、悩みを分かち合ったり、世間話をしたりするお茶会を開催していました。何気ない話をしている中、携帯電話が鳴り、私は席を立ちました。

見たことのない番号の着信で、何かの相談だろうな、お茶会の最中だから数時間後にかけ直すと伝えようかなと思い、電話に出ました。しかし、その相談内容は緊急を要する問題で、後回しにしたのはお茶会の方でした。

私が手持ちの資料やパソコンを持ち出して、あわただしく部屋から出たり戻ったりしている様子を見て、お茶会の参加者は深刻な問題のやり取りをしているのだろうと見ていたでしょう。電話終了後、お茶会に合流しても、その内容については誰も触れてきませんでした。

その相談者Aさんの状況は、所持金が千円に満たなく、今住んでいるアパートを追い出されるかも知れない、食べ物もなく草を食べている状況とのことです。市に相談したところ、居住支援をしている一般社団法人LANSの電話を教えてもらい連絡したとのことでした。

話を聞けば聞くほど、緊急な状況です。様々な福祉支援があってしかるべきなのに、市は手を出せないのだろうか? 何か釈然としませんでした。

いろいろな支援を想定し、とりあえず社会福祉協議会に電話を入れ、貸付金制度が利用できないか相談するように伝えました。そして、その結果を連絡してくるようにと言って電話を切りました。

市役所でも何もできないと言われた

その日は金曜日。役所などが閉まるまであと数時間しかありませんでした。私は、その電話の現場から100キロ以上離れた場所にいました。夕方、社協の担当者から電話が入り、貸し付け条件に合わないので、支援出来ないとのことでした。情報交換をし、月曜日に、何とかAさんと市役所に相談に行ってくれるということになりました。

その後Aさんから電話が入り、「お金を借りることもできない、市役所でも何もできないと言われた。電話をする約束をして電話をしたけれど、今から死にます。死ぬしかない」と、泣きながら話をしてくれました。

何とか生きるように伝えつつ、社協の人が熱心な方で月曜日に市役所に一緒に行ってくれる、方法はまだあるから落ち着くようにと伝えました。Aさんの家まで車を走らせ、1時間弱ほどで着きました。

お茶会で差し入れられたパンとお菓子を渡し、いろいろなことを想定して対応できることを話しました。少し少ないけれど、パンとお菓子で何とか月曜日まで生き延びて欲しいと伝えて帰ってきました。

いくつかの最悪の要素を考えつつも、月曜日まで生きていられたら何とかなるかもと思っていました。しかし、月曜日、また、Aさんは絶望を味わうことになるとは考えていませんでした。(精神保健福祉士)

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