木曜日, 4月 24, 2025
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《霞ケ浦 折々の眺望》12 霞ケ浦の生物多様性:鳥類

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【コラム・沼澤篤】12月に入り、霞ケ浦の湖内や周辺で越冬する鳥類の顔ぶれが出揃(そろ)った。湖面ではゴマ粒を撒(ま)いたように、カモ類が翼を休めている。日本野鳥の会茨城支部などの調査で、20種近いガン・カモ・アイサ類が霞ケ浦湖内と周辺で一冬を過ごすことが分かっている。

一見すると変化に乏しい広大な湖面で、なぜ多種のカモ類が生息しているのだろうか。生物は生態系の中でニッチ(生息場所)を求めて種分化しているが、変哲のない湖面で多種のカモ類が生息しているのはなぜか。

私は、その疑問を鳥類学者に問いかけたことがある。彼によると、カモ類はシベリアなどの繁殖地で、採餌(さいじ)、営巣(えいそう)、子育て、成長などの生活史においてそれぞれ、地形、水場、植生などの多様な生態系に適応して種分化しているのであり、日本列島の湖沼は越冬の場に過ぎないとの解説が返ってきた。なるほど。

そのように見ると、霞ケ浦で越冬中のカモ類は姿形や色彩だけでなく、食性や行動が異なっている。雑食性のマガモ、コガモ、ヒドリガモなど。魚貝類食のホシハジロやキンクロハジロなど。プランクトンや小魚食のハシビロガモなど。雑食性のカモ類は水面近くの餌を食べるので、潜水できない。魚貝類食のカモ類は深く潜水できる。ハシビロガモのくちばしは平たく、内部は櫛(くし)の歯のような構造をして、水中、水面の細かい餌をろ過して摂食する。

日常生活と霞ケ浦との関係性を考える

一見、平坦に見える霞ケ浦の湖内でも、浅場(あさば)、深場(ふかば)、波が静かな入り江や河口、植生の有無、好適な餌の有無などの条件によって、カモ類は越冬場所を変えている。ベテランのバードウオッチャーは岸辺から双眼鏡や望遠鏡で観察し、カモ類を識別するが、姿形だけでなく、生息場所をよく知り、出現する種類を予測しているのである。

霞ケ浦ではカモ類だけでなく、葦原(あしはら)、柳などの湖畔林、水田、蓮田などの湿地で、四季を通して、サギ類、クイナ類、シギ類、チドリ類、ヨシキリ類など、様々な野鳥が生息し、繁殖し、世代交代している。霞ケ浦の生態系の多様さと豊かさが生物種の多様性を保障している。それは、霞ケ浦という自然の恵みであり、人間が共存していくべきものである。

霞ケ浦の生物多様性を考える時、関心が、どんな生き物が生息しているのかに集まりがちだ。その生き物が希少であるほど注目され、保護運動の対象になる場合もある。しかし、霞ケ浦の生物はなぜ多様なのか、多様性を守ることの意味、生態系や生物の多様性の本質論まで認識が深まらない。

霞ケ浦の生物に興味がある人でも、植物、魚、鳥、それぞれの識別を対象にしている例がほとんどである。大多数の方々は霞ケ浦にも、そこでどんな生物が生息しているかも、そして水質をはじめとする環境問題にも無関心でいるのが現実である。霞ケ浦流域に暮らしていることの自覚さえない方が多い。上水道の水源や生活排水の行き先をはじめ、自分の日常生活と霞ケ浦との関係性を考えることから始めてほしいものだ。(霞ヶ浦市民協会研究顧問)

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《ご飯は世界を救う》18 「アオイオト・カフェ」で夜の食事会

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イーアスつくばの別棟にある「アオイオト・カフェ」のディナー

【コラム・川浪せつ子】今年も残すところ2週間。今回はイーアスつくばの別棟にあるオシャレなお店「アオイオト・カフェ」。ここの本業はたぶんお花屋さん。時々訪ね、買い物やウインドショッピング。県建築士会・女性部会の「手作り会&忘年会」でディナーをいただきました。

ランチは一気に描けるのですが、ディナーは難しいのです。お料理の数が多く、食べていると次が出てくるので絵の配置が…。以前、建築士会の女性は「男前女子」と紹介しました。今回はその続きです。

県建築士会・女性部会の男前女子

Aさん:大工さんをやっていたお父様が天国に。お父様を見て建築士になった彼女。落ち込んだけど、息子さんが彼女の仕事ぶりを見て「建築士になる」と。

Bさん:小さい子供3人を育てながら、設計事務所をやっています。3月ごろ子供が次々インフルエンザに。最後に彼女。ホッとしたのもつかの間、今度はノロウイルス。そんな中、仕事はどうにかこなしたそうです。

Cさん:1級建築士目指し、結婚も横に置いて頑張って来て。そして結婚・出産。建築の仕事と両立。少し余裕が出来て今年は初めて息子さんと2人旅に。

Dさん:1級建築士になって40年。建築士会女性部会の初代会長。走り続けて来て、今年はご主人と海外旅行に。まだまだ現役です。

Eさん:造園業をしている1級建築士。モーレツに忙しかったけど、建築士会の仕事もこなす彼女。そんな母を見て息子さんも建築業界に就職。

Fさん:美人で才女。とっても気さくで、久々に会ったら「私、2人の孫のおばあちゃんだよ~! 以前は図面書いて徹夜しても大丈夫だったのに、もうダメになってきた~!」。

Gさん:建築士で不動産鑑定士のやり手さん。不動産会社経営。「この間、図面書いていたら、なんだかフラフラしちゃって…。水飲んだらどうにか」。「やり過ぎだよ~、気をつけて」と、皆からのエール。

他の女性もみんな、すごいのよ!

仕事も家庭も日々楽しく輝いて

そして、今回の「手作り会」の講師は、今年私と一緒に「二人展」をやった、パステルアートのSさん。秋からは幼稚園で子供たちに幼児教室を開いています。

どの女性も仕事だけでなく、家庭やモロモロ大変なことも上手にクリアして、楽しく輝いて日々生きています。バンザイ~! 良いお年を。(イラストレーター)

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《土着通信部》36 復活のバランスシート 牛久シャトー

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牛久シャトー内の神谷傳兵衛記念館は現在も見学できる

【コラム・相澤冬樹】下戸のくせして、僕はしばしばお酒の取材に駆り出される。つくば産ワインの初蔵出しの記事を手配中、牛久市議会の全員協議会で牛久シャトー(同市中央)の「復活プロジェクト」の説明があったと聞かされて、ワインがらみの取材がハシゴになった。

牛久はNEWSつくばのカバーエリアから外れるものの、コラム「続・平熱日記」で斉藤裕之さんがシャトーについて書いていたので、直後の動きを続報の形で伝えようと思った。シラフの記者の方が適任だろうと、市役所に赴いたのだった。

牛久シャトーは、日本初の本格的ワイン醸造場とされる。国指定の重要文化財となっている建物もあり、お花見や飲食の場として市民に愛された施設だったが、レストランや物販店舗の業績悪化のため、2018年12月28日をもって閉鎖となった。直後、市には再開を願う310団体からの嘆願書、2万2800人余の署名が寄せられたそうだ。

これを受ける形で、市はシャトーを所有する持ち株会社、オエノンホールディングス(東京)と交渉を続けてきた。7月には根本洋治市長がオエノンHDの西永裕司社長と面会して基本合意が成立した。内容は、①市が旧醸造施設などや駐車場、ぶどう畑などを含むシャトー全体(約6.5ヘクタール)の賃借契約を締結②重文施設の保存・活用を先行し、市の文化財担当グループをシャトー内の事務所に置く―など。

賃借契約は今月1日に締結・発効となった。市が借り上げるのは、駐車場を含む同施設の土地と敷地内の全建物(オエノンミュージアムと倉庫を除く)。賃料は月額462万円(税込み)で、契約期間は2039年11月30日までの20年間。

新年に三セクの運営会社立ち上げ

借り上げ後の施設は第三セクター「牛久シャトー株式会社」により運営する。資本金9512万円のうち9500万円を市が出資する。設立は来年1月の予定で、社長には合同酒精元社員、川口孝太郎さん(59)の就任が決まっている。合同酒精は同HDのグループ会社、川口さんはシャトーの事業運営に関わり、昨年まで営業推進部長兼物販部長を務めていた。

すなわち、市は新会社に9500万円を出資したうえで、同HDに年間5544万円もの賃料を支払う。これらは新会社の事業展開で回収を図るわけだが、その指揮を執るのが昨年までの運営担当という図式には、左党ならずともちょっとカラミたくなる。実際、議会の同意を得るまで相当に紛糾したそうだ。

全協にはその川口さん自らが出席し、「復活プロジェクト」を説明した。「歴史的な文化財の積極的な活用はじめワイン文化による都市間交流、生活交流の機能を生かし運営していきたい」というのが骨子だった。

店舗の営業などは桜の花見客を狙い、3月下旬から4月上旬に再開させたい意向。ワイン醸造については新たに免許を取り直す必要があり、現在のブドウ栽培の規模から特区による取得となるため、新会社設立後の検討項目としている。

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《法律かけこみ寺》13 素顔の告白

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土浦市神龍寺(本文とは関係ありません)

【コラム・浦本弘海】おかげさまで法律かけこみ寺の連載も13回。大仰(おおぎょう)な見出しですが、今回と次回で過去12回の連載を振り返りつつ、まとめと解題(かいだい)をしたいと思います。

第1回 駈出し訴え

母から急に電話がかかってきたので、よく話を聞いてみると架空請求だったという。架空請求詐欺の実態や初動での対応方法について取り上げました。

ちなみに見出しの元ネタは太宰治「駈込み(かけこみ)訴え」。この回は見出しや内容と元ネタに(一応は)関係があります。

なお、サイトに掲載されている見出しと上記見出しは異なりますが、これはデスクでよりよい見出しに変更しているからです(以下も同じです)。

第2回 Bのレプリカ

最近の架空請求では実在の弁護士を騙(かた)る事案まで発生しています。そこで第2回では簡単にできる弁護士の真贋(しんがん)判定法を紹介しました。

見出しの元ネタは森博嗣『すべてがFになる』『夏のレプリカ』。ちなみに法律関係者の間では、弁護士の略記として「B」を使うことがあります。BengoshiのBなのでしょうか。そういえばレイ・ブラッドベリの短篇に「『ウ』は宇宙船の略号さ」というのがあったなあ…。

第3回 酒場の弁護士は電気金魚の夢を見るか

日照権とそれにまつわる大岡政談(註:大岡忠相=ただすけ=の裁判に仮託した小説・講談など)を取り上げました。

見出しの元ネタはフィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』で、映画『ブレードランナー』の原作です。法律的なトラブルなんてなければよいのですが…。そんな日を夢見つつ働いています。

第4回 守れよ我が権利、と著作者は言った

この回から著作権の話が続きます。この回では「著作権」とは法的にどのような権利かを説明しました。

見出しの元ネタはこれもフィリップ・K・ディックで『流れよわが涙、と警官は言った 』。

この回は元ネタと内容的つながりはないです。

第5回 長い前置き

著作権の対象である「著作物」とはなにかを取り上げました。続き物なので、前置きが長いため、そのまま見出しにしました。

元ネタはレイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(ロング・グッドバイ)。内容とは関係ありませんが、とても印象深い作品です。

第6回 フリーなブギにしてくれ

著作権に関して陥りがちな「フリー素材」の対応について取り上げました。「フリー」と銘打っていても、商用利用等は有償の場合もあるので、利用規約をきちんとチェックしましょうという話です。

元ネタは片岡義男「スローなブギにしてくれ」です。

以上、第1回から第6回までを振り返りました。ご興味のある回がございましたら、ご覧くだされば幸いです。(弁護士)

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《吾妻カガミ》70 つくば市の話 議会vs執行部

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【コラム・坂本栄】前回つくば市の総合運動公園問題を取り上げたところ、その日のうちに閲覧数ベスト5のトップになり、その状態が1週間続きました。つくばの方の関心が強かったということでしょうか。未読の方は「影が薄くなった つくばの五十嵐市政」(12月2日掲載)の青字部をクリックしていただくとして、今回もこの問題を取り上げます。

先のコラムでは、総合運動公園用地跡処理について、市執行部案(民間業者に一括売却)と市議の多数意見(スポーツ施設などに活用)に隔たりがあると、まず指摘。市議の意見を踏まえると、執行部案は葬られ、2015年夏の住民投票でNOとなった前市長時代の計画(スポーツ3施設整備)を縮小した形(スポーツ1施設整備)に落ち着くのではないか、と予想しました。

総合運動公園問題 3の選択肢

仮にこのような展開になった場合、つくば市は時間を随分ムダにしたことになります。思い起こすと、計画中止を前市長に決断させた住民投票の用紙は、運動公園計画に賛成か反対かだけを問う2択式になっており、他の選択(どちらでもない⇒計画の修正)ができない形になっていました。3択式になっていれば、現市議の多数意見(当初計画の実質縮小)がすでに形を成し、陸上競技場などが完成していたかも知れません。

前市長が議会に諮った投票用紙案は3択式でした。ところが、議会はこの執行部案を否決して2択式を採用、賛成か反対のどちらかに〇を付ける形にしてしまったのです。今になって、3択式にしておけばよかったと、議会メンバーは不明(ふめい)を恥じているのではないでしょうか。

4年半前のつくば市は、運動公園建設をめぐり、300億を超す建設費に市の財政は耐えられない、予定地はTX駅から遠過ぎる―などの反対論と、国から補助があるから市の負担はずっと少ない、施設は東京五輪の練習用にも供用できる―などの賛成論がぶつかり、熱くなっていました。

巨額予算はダメとの声が優勢のなか、第3の選択肢(計画の縮小=経費も少なめ)が用意されていれば、多くの市民がこれに〇を付けていたのではないでしょうか。あと知恵ですが、現議会の意見を聞いていると、そんな気がしてなりません。

単純な選択肢は面倒を抱え込む

当時の議会はどうして2択式を選んだのでしょうか? 総合運動公園建設の是非というよりも、市の執行部案はもちろん、その修正案も葬りたいという、政治的な思惑が議員の間にあったからでしょう。行政問題の政治化が決定のプロセスを複雑にし、結果、時間の浪費につながりました。

選択肢がシンプルな2択式は分かりやすいという利点はあります。しかし、面倒を抱え込む選択をしてしまうという欠点もあります。熱狂のなか、英国のEU(欧州連合)脱出(ブレグジット)の是非を問うた国民投票のように、です。(経済ジャーナリスト)

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《沃野一望》11 藤田小四郎の1 筑波山挙兵

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つくば道

【ノベル・広田文世】

灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼

我(わが)ひめ歌の限りきかせむ とて。

幕末、四分五裂の内紛に明け暮れる水戸藩にあって、尊王攘夷を標榜(ひょうぼう)する改革派の、なかでも激派と称される一派を藤田小四郎という若者が動かしていた。

天保十三年(1842)、水戸藩の尊王攘夷(そんのうじょうい)思想を確立したひとりの重鎮、藤田東湖(とうこ)の四男として生まれた小四郎は、父親の影響を多分に受けて幼年期を過ごし、14歳のとき、水戸藩士加倉井砂山(かくらいさざん)の日新塾に入門、洋式兵術、鉄砲射撃、数学、天文、地理学を学んだ。さらに、水戸藩弘道館へ入学、尊攘思想を深めてゆく。

安政七年(万延元年、1860)に起きた桜田門外の変(水戸浪士と薩摩藩士による大老井伊直弼暗殺事件)に激しい刺激を受け、いっそう攘夷実行の念を先鋭化させる。そうした折、藩目付山国兵部(やまぐにひょうぶ)配下として藩主慶篤(よしあつ)京都出立に随行する。この京都行きが、藤田小四郎の眼を大きく開かせることになる。

京都で、尊王攘夷思想が時代の潮流となっている現実を目の当たりにする。水戸藩だけの地方思想と狭い視野でとらえていた尊攘が、何と、京都の政治の中心を動かしている。小四郎は、大きなカルチャーショックを受けた。しかも、その尊攘思想の根源は、父藤田東湖や同じく水戸藩の会沢正志斎(あいざわせいしさい)たちの論考だった。

小四郎は、思想の浸透に自信をもち、京都で活躍する各藩の尊攘論者から「藤田東湖先生のご子息」と、一目置いて見られる処遇を誇らしく受け入れた。

筑波山大御堂に180人が集結

水戸へ戻った小四郎は、攘夷の実行こそが時代の枢要(すうよう)と、同志の糾合を計ってゆく。広く関東一円の、郷士、富農、医官、神官まで含めた層へ遊説してまわり、決起への参加を呼び掛けた。

文久四年(1864)、常陸国府中(現石岡市)の紀州屋を本陣とし、決起の最終準備に入る。そのときすでに、60人ほどの同志が集まっていた。腹心の竹内百太郎らと計り、水戸町奉行田丸稲之衛門(たまるいなのえもん)を大将に迎え、筑波山へ向かった。

3月27日、筑波山大御堂(おおみどう)に集結した同志は、180人ほどにふくれあがっていた。多くが、藤田小四郎の遊説に賛同し、ついに筑波山挙兵を聞きつけ参集した者たちであった。

一行は雄叫びを挙げると、前藩主斉昭(なりあき)の位牌をおさめた白木の神輿(みこし)をかつぎ隊列を整え、筑波山から堂々と出陣して行った。

このとき、小四郎23歳。目指すは、日光東照宮。徳川幕府の聖地から攘夷実行の大号令を発する野望だった。(作家)

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《地域包括ケア》49 高齢者のフレイル:虚弱・老衰・脆弱

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【コラム・室生勝】来年4月から後期高齢者健康診査(健診)が様変わりする。40~74歳の特定健診と保健指導は市町村などに義務付けられている。だが、75歳以上の後期高齢者健診では、保健指導は市町村が加入する「後期高齢者医療広域連合」に義務付けられていなかった。5月の国会で、高齢者の医療の確保に関する法律、国民健康保険法、介護保険法が一部改正され、各市町村で高齢者の保健事業と介護予防が一体的に実施できるようになった。

これらの法律によって定められていた「国民健康保険データーベースシステム」に入っている、75歳以上の被保険者一人ひとりの医療レセプト(診療報酬)や健診データー、介護レセプト(介護保険報酬)、介護認定(要支援1~要介護5)などの情報が介護予防に活用できるようになる。

また、後期高齢者健診の際に実施される15項目の質問結果も、介護予防に活かされる。栄養状態、咀嚼(そしゃく)および嚥下(えんげ)機能、運動機能、記憶力、生活習慣などの質問から、主にフレイル(虚弱、老衰、脆弱=ぜいじゃく=など)の有無が確認される。

その判定基準は、体重減少(6カ月で2キロ以上)、疲れやすさ、歩行速度の遅れ、握力の低下、身体活動量の減少―のうち3項目以上あればフレイルである。

その原因は、加齢に伴う活動量の低下、筋力の低下、身体機能の低下(歩行速度の低下)、活力の低下(疲れやすい)、認知機能の低下、慢性的な持病(慢性の気管支・肺疾患、心臓病、脳血管疾患、抑うつ症状、貧血など)―。

その結果、家に閉じこもり状態となり、世間から孤立する「社会的フレイル」になり、閉じこもりからうつ状態や認知機能の低下と「心理・精神的フレイル」になる。フレイルをどこかで断ち切らないと悪循環をつくりだす。

厚労省の考え方は甘い

厚労省の「市町村における高齢者の保健事業と介護予防の一体的な実施のイメージ」をみると、「フレイル予防等」で「通いの場等において、フレイル予備軍等を把握し、低栄養や筋力低下等の状態に応じた保健指導や生活機能向上に向けた支援等を行う」と、通いの場を強調しているが、市町村にできるのか疑問である。

厚労省は、介護保険のデイサービスやデイケアを利用することを想定している。介護保険事業者は将来のデイサービスやデイケア利用者確保のため、不採算を覚悟で参入するだろうか。一方、高齢者サロンで保健師、栄養士、リハ職などに活躍してもらう構想を描いている。これら専門職のボランティアあるいはパートタイマーを期待しているのだろうか。

市町村が高齢者サロンを介護予防事業として実施するのなら、専門職による健康自己管理法、個人メニューを入れた食事指導やストレッチング・体操などのプログラムで、週2~3回、3時間ほど実施を奨めてほしい。

私が4年間、高齢者サロンを週1回、2時間半開き、高齢者の病気、健康自己管理法、医療機関利用法、最期の迎え方などを学習してもらい、脳トレゲームや運動などを楽しむプログラムを続けることができるのは、よき協力者が数人いるからである。厚労省が考えているほど簡単に実施できるものではない。(高齢者サロン主宰)

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《宍塚の里山》52 里山は秋から冬へ模様替え

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【コラム・及川ひろみ】今ごろ紅葉の話。ちょっと恐縮ではありますが、実は茨城県南部の林の今年の紅葉は、12月の今が見ごろです。

宍塚の里山の紅葉、黄葉は9月末、山桜や宍塚大池の堤防に植えられたソメイヨシノから始まります。桜の葉は昆虫がよほど好きなのか、葉は穴が空き食われた跡だらけで、美しく色づくことは少ないのですが…。

それでも、いち早く秋の訪れを伝え、間もなく葉を落とし、桜は早くも冬の装いになります。そして10月末~11月になると、コマユミ、ツタウルシ、ヤマウルシの葉が、里山のあちらこちらで鮮やかな深紅に。存在を告げているかのようです。

一段と気温が下がる11月中下旬。山の斜面にあるウワミズザクラやツタが美しく紅葉し、イヌザクラ、シデの仲間、エノキが黄色に色づきますが、これがなかなか美しい。そして、さらに気温が下がる12月初旬、里山の中で最も多く見られるコナラが一斉に赤色、黄色、レンガ色に染まり、里山全体が紅葉に包まれます。

冬を迎える間際の里の輝き

宍塚の里山では、スギやヒノキなど植林された針葉樹が全体の20%ほどを占めると、森林を管理する県職員から以前聞いたことがあります。これらの針葉樹とシラカシなどの常緑樹が色づく落葉樹に混ざりあうように広がることで、紅葉の美しさを際立たせているように感じます。

とは言っても、日光や県北など紅葉の名所とは異なり、宍塚の里山の紅葉はそれほど派手なものではありません。いぶし銀のような輝きとでも申しましょうか。それはそれで、冬を迎える間際の里の輝きを見るように思います。冬が迫り来る中、身近なところで行く秋を楽しみ、愛おしむのも一考かなと感じています。

そして紅葉の季節が過ぎ木枯らしの節になると、落葉樹の葉は風に煽られ、チョウが舞うかの如くひらひらと舞い散り、谷津で羽根を付けたヨシやガマの種が北風に乗り、遠くへ遠くへと運ばれていく様子は、自然が織りなすドラマを見ているようです。

葉を落とした雑木林には林床に温い光が注ぎ、「カサカサ」と落ち葉を踏みしめて歩けるのももうすぐです。(宍塚の自然と歴史の会代表)

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《映画探偵団》26 友朋堂書店で買った『ゲーテとの対話』

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【コラム・冠木新市】桜川流域のつくば中心市街地こと、旧つくばセンター地区には、一度閉店したあと再開した友朋堂書店がある。昨年、私は友朋堂で『ゲーテとの対話 下』(岩波文庫)を購入した。『ゲーテとの対話』は若手作家エッカーマンが、1823年に73歳のゲーテと出会い、82歳でゲーテが亡くなるまでの日々を記録した、上中下の3部作である。

42年前に上と中を購入し、夢中になって数々の貴重な教訓を読んだ。その後も時々読み返したが、なぜか下を購入することはなかった。自分自身の謎である。下にも刺激的なゲーテの言葉が多々出てくる。

「『みなさんは』と彼はつづけた、『本の読みかたを学ぶに、どんなに時間と労力がかかるかご存知ない。私は、そのために八十年を費やしたよ。そして、まだ今でも目的に到達しているとはいえないな』」とあった。

巻末には詳細なゲーテ年譜があり、1826年のところに「(略)世界文学の理念を構想。二月十一日、日記に初めて『ファウスト』執筆を「本業」と記す」と出ていた。

エッカーマンがゲーテと接していた時期は、大作『ヴィルへルム・マイスターの遍歴時代』と『ファウスト』の改稿の最中だった。とすると、『ゲーテとの対話』3部作は『遍歴時代』と『ファウスト』のメイキング本ともいえるのではないか。

対話の背景に、この2作品と世界文学構想が息づいていたと考えて読み直すと、教訓の数々がまた別な趣(おもむ)きをもって響いてくる。

『スター・ウォーズ』シリーズ

『ゲーテとの対話』を読み始めたのは、1977年、ちょうど『スター・ウォーズ』第1作が公開された年だった。巻頭のタイトルには、まだエピソード番号が入っていなかった。その後、1作目『エピソード4 新たなる希望』となり、『5 帝国の逆襲』(1980)、『6 ジェダイの帰還』(1983)―これは旧3部作。

そして、『1 ファントム・メナス』(1999)、『2 クローンの攻撃』(2002)、『3 シスの復讐』(2005)―これを新3部作。さらに、『7 フォースの覚醒』(2015)、『8 最後のジェダイ』(2017)、そして今月、『9 スカイウォーカーの夜明け』が公開され完結する。これは続3部作。

映画を見るのも読書と同じくらい時間と労力がかかる。完結編を見る前に、エピソード1から8の順序で見直してみた。

一番印象深かったのは、『帝国の逆襲』で若者のルークがジェダイ・マスターのヨーダと対話するシーンだった。ヨーダが「この世界はフォースに満ちておる」と教え諭(さと)す場面だが、40年前はルークに感情移入して見ていた。しかし今では、ヨーダ側に立って見ている自分に気がついた。またヨーダとゲーテが重なって見えた。これは『ゲーテとの対話』の影響だと思う。

『スター・ウォーズ』シリーズは、全編「遠い昔 はるか銀河系のかなたで…」の文句が出てスタートする。一見SF作品のようだが、実は昔話の時代劇なのだ。

今年3月、つくばセンタービルの設計者磯崎新が建築界のノーベル賞ともいわれるプリッカー賞を受賞し、私にとってはうれしいニュースだった。中心市街地はあと5年で40年を迎え、昔話の世界となる。「つくばセンター地区には、愛が満ちておるのじゃ」と、私もヨーダのような桜川流域の語り部になって、中心市街地の出来事を語るのだろうか。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

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《続・平熱日記》51 絵描きの絵空事? 牛久シャトーパリ化計画

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【コラム・斉藤裕之】晩秋とはいえ、陽の下では半袖になって汗ばむ日もあったイルミネーションの設置作業。トランプさんも一緒に作業すれば、よもやパリ協定を離脱するなんて考えるはずがないのではと思いながら、気が付けばようやく霜の降りる朝に。駅前のイルミネーションのオブジェ制作を頼まれて数年。歳を追うごとに溜(た)まっていく疲労と筋肉痛と闘いながら、ふと思いついたこと。

パリの公園や広場にはぽつんとメリーゴーラウンドがあって、お金のない私たちにも百円そこらで子供に夢を見させてあげられる場所でした。アコーディオンの軽快な音楽。そして、キラキラとした光に包まれてグルグル回るだけのローテクな乗り物。子供たちが周回ごとに手を振り、それを見守るお母さん。どことなくもののあわれを感じさせるメリーゴーラウンド。

そうだ、駅前に飾り付けているイルミネーションを牛久シャトーのメイン会場にすれば人気のスポットになるはず。それからシャトーの中庭にはメリーゴーラウンドを常設すべし。西洋風の中庭にはとてもよく似合うし、話題になること間違いなし。

私の住む街にある牛久シャトー。突然の営業中止から、はや1年が経とうとしています。市は何とかして再開にこぎつけたいようですが、文化遺産としての価値を保ちつつ、新たに商業的な価値を生み出していくのは容易ではなさそうです。そこで採算の取れる現実的な大人な話がなされるわけですが、どうもピンとこない。

メリーゴーラウンド、人形劇場、子供馬車

絵空事とはよく言ったもので、絵描きさんは「そんな夢みたいなこと」を真面目に描いている人です。そんな私の頭の中には「シャトーにメリーゴーラウンド」に続いて、「シャトーにギニョール(人形劇場)」、ロバの引く子供馬車、養蜂場やおいしいアイスクリーム屋、もちろんワインにビール、カフェなど。アンティーク市なんかもいい。次々とイメージが思い浮かび、これはもはや「牛久シャトーパリ化計画」。

それから、既存のレストラン施設は地元の野菜や食材を使用した市民食堂に。つまり「市民給食センター」。隣に市役所もあるので、平日は職員のいわば社食ならぬ「市食」。これで平日の集客に気をもむ必要はありません。メニューは日替わりで。

ついでに、持込可のピクニック場や夏はキャンプなんかどうですかね。肝試しの名所としてワイン蔵あたりは最高。それからセルフ結婚式場ね。場所や施設を安価に提供し、手作りの式場として貸し出すプラン。言うは易(やす)しか?

さて、点灯式を待つのみとなったイルミネーション。「わー、きれい!」って歓声で苦労も報われますが、来年は本当にシャトーで作業をしているかも。その前に、来春にはシャトーでお花見がしたいものですね。もちろん正々堂々「桜を見る会」と銘打って。(画家)

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《邑から日本を見る》53 ひたちなか市に「ほしいも神社」

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黄金色の鳥居のほしいも神社(ひたちなか市)

【コラム・先﨑千尋】茨城の名産品はいろいろあるが、県北地域では何といっても水戸納豆とひたちなか地域の干しいもだ。冬の北風を受け、うま味を出す干しいもの生産が今年も始まっている。それを待つかのように、先月23日、ひたちなか市阿字ケ浦の堀出神社敷地内に「ほしいも神社」が創建された。

干しいもは、江戸時代末期に静岡県御前崎地方でつくられ始め、その製法が明治の末に茨城の地に伝えられた。関係者と生産者の努力によって生産量は1955年に静岡を追い越し、現在ではひたちなか市、東海村、那珂市で全国の生産量の9割を占めている。

干しいもは、以前は乾燥芋(かんそいも)と言っていた。サツマイモを蒸すか煮るかして、皮をはいで細く切って干す。それだけだ。何も足さない。不細工、濁っている、シワだらけ、でこぼこ。それでいてうまい。

干しいもは、戦前は軍人の携行食であり、紡績女工、漁師たちに好まれた。貧しい人たちがつくり、貧しい人たちが食べた。しかし今では無添加の高級和菓子。1本をそのまま丸干しにしたものはなかなか手に入らない。

大子町には「こんにゃく神社」

その干しいもの生産に力を尽くした明治の先人たちを祀(まつ)り、干しいもをピーアールし、農業の振興につなげようと、堀出神社の宮本正詞(まさのり)宮司とひたちなか商工会議所、ほしいも協議会、常陸農協などの関係者が建設実行委員会を組織し、創建にこぎつけた。

神社はグラフィックデザイナーの佐藤卓さんがデザインした。佐藤さんは、10年ほど前に若手のほしいも関係者がつくった「ほしいも学校」のプロジェクトリーダー。「明治のおいしい牛乳」などのパッケージで知られている。参道に並ぶ26基の鳥居は、干しいもをイメージした黄金色。大鳥居の台座には干しいも型の石が据えられている。

同神社に祀られた先人は、宮崎利七、湯浅藤七、小池吉兵衛、大和田熊太郎、白土松吉の5人。それぞれ、明治から昭和にかけて生産を始めたり、普及に貢献したりした人たちだ。

本県には、江戸時代にこんにゃく芋を粉末にする製法を考案した中島藤右衛門を祀った「こんにゃく神社」が大子町にあり、農業に貢献した人を祀った神社としては、今回の「ほしいも神社」の創建はそれに次ぐ。干しいもの神様を祀るだけでなく、御利益は「干しいも」に掛けて「欲しいモノはすべて手に入る」と宮本宮司は話す。

次の夢は「ほしいも資料館」

私は、ほしいも学校プロジェクトの中で干しいもの歴史を担当し、『ほしいも百年百話』(茨城新聞社刊)を書いた。その時、「水を飲む人は井戸を掘った人のことを考えろという言葉があるが、干しいもで暮らしを立てている人は、その先駆者たちを顕彰したらどうか」と提案した。その夢がやっと実現したのだ。

次の夢、課題は干しいも資料館の建設だ。茨城での干しいも生産はたかだか100年の歴史だが、その資料はどんどん失せている。私がこれまでに集めた史資料は、東海村立図書館と那珂市立歴史民俗資料館に収めてある。しかし本家のひたちなか市に資料館を、というのが私の願いだ。(元瓜連町長)

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《食う寝る宇宙》51 宇宙開発の最前線だって神頼み

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【コラム・玉置晋】人工衛星の運用室にはお神札(ふだ)がある。宇宙開発の最前線に、お神札とは面白いと思いませんか? これ、打ち上げの前に関係者が神社に行って、成功祈願をしてくるんですね。やるべきことはやった、あとは神頼みだ!というのは、受験勉強でも宇宙開発でも同じなんですね。

僕が研究対象とする宇宙天気は、今すぐに商売にするのは難しいけど、近い将来明らかに必要性が顕在化する分野です。僕のような普通の会社員にとって、研究は「道楽」扱いとしかみられません。学会に行くにも仕事のお休みをいただいて、仕事仲間にも迷惑をかける。

すぐに仕事にフィードバックでき、おカネになるならまだモチベーションを保てますが、そこまで至っていない分野の場合は、「面白さ」「将来への期待」が唯一の心の支えとなります。しかし、この心の支えは簡単に折れます。そんな時は神頼みです。

「願い事、遂には叶う」

12月1日、鹿島神宮(かしまじんぐう)にお参りに行きました。子供のころ、何度も連れて行ってもらったのですが、大人になってからは初めて。鹿島神宮は常陸国(茨城県の旧国名)の一宮(旧国地域で最も格式の高い神社)とのことで、建立は紀元前660年とのこと。

日本神話最強の武人「タケミカヅチ神」がまつられており、「意を決したものが行くべきパワースポット」とのこと。「困難に立ち向かい、勝負に勝つ」「迷いを断ち、強い意志で迷わず進める」「邪魔するものをはねのけ進むパワー」「人を導いて変革を成し遂げる統率力・交渉力」「魔を断つ」と、やる気が上がる御利益があるそう。

しっかり神頼みしてきました。おみくじを引いたら「吉」とまずまずでしたが、「思立てる事、意志を強くして行うべし」「願い事、遂には叶う」とのこと。ちょっとがんばってみるか。神様のお告げに乗っかろうかしら。人生そんな時があってもいいじゃない。

僕は何を目指しているのか、悩んでいました。神様と向き合って出てきた結論が、ニュースのお天気コーナーに出てくるような「宇宙天気お姉さんが活躍する近未来社会を創造する」というコンセプトです。数年後にこのコラムを見返して、あの時がスタートだったのだなと振り返りたいものです。「宇宙天気お姉さん」は鹿島神宮の神様のお告げなのです。(宇宙天気防災研究者)

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《続・気軽にSOS》50 味方からの罰 敵からの罰

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【コラム・浅和幸】情報過多という言葉がすんなりと聞き入れられるほどの昨今、安直な厳罰化を求める声があちこちから聞こえてきます。「目には目を歯には歯を」。傷つけられたら、傷つけた奴に同じ苦痛を味わわせるという考え方です。場合によっては、傷つけられた以上の害を与えることが更生の道につながるという、正義の感覚なのでしょう。

やり返したいという気持ちは、十分に理解できる人間的な感覚ではあります。かなり前に流行った「倍返しだ」が成功すれば、精神的には清々することもなくはありません。

遠い昔のように、打ち首獄門(ごくもん)、お家取りつぶしなどの重い罰を課すことで、表面的な犯罪が減る可能性はあります。それはかなり窮屈(きゅうくつ)な世界で、ある権力者の価値観に左右されやすい可能性をはらみますね。現在ではあまり現実的な方法とは考えにくいです。

現実的なところでは、厳罰化することでよりよい社会になっていくという正義感は、事実から少し外れていることでもあります。というのも、ルールを破る、罪を犯す人と、罰を与える人の間に敵対関係があると、罰を与えて更生させるということから離れてしまうものなのです。むしろ敵からの罰は反発を招き、よりルール破りの行動化を誘うものなのです。

敵からのアドバイスは反象に

考えてみてください。もしあなたが、待ち合わせの時間に遅れてしまったなどの軽いルール破りをしてしたとします。嫌いな人、ウマの合わない人からの叱責(しっせき)を受けたとして、次から時間に遅れないようにしようと素直に聞き入れられるでしょうか。むしろ反発して、お前だっていつも約束を守れるわけじゃないだろうと反論したくなるし、その人と約束をしたくないと考えてしまうのではないでしょうか。

それが、好きな人、大切な人から注意されたら、素直に自分が悪かった、次からは時間をきちんと守ろうと考えられるものですよね。

そうなのです。罰とまで行かなくとも、アドバイスも味方から受けるから聞き入れられるもので、敵からのアドバイスは拒否や反発の対象になってしまいやすいのです。相手の行動や考えを正したい、そう思ったときは、嫌な敵になるのではなく、話を聞き入れたいという仲間関係になることが大きな要素になるものです。

行き違いになっている関係。もう一度、見直してみることから始めましょう。(精神保健福祉士)

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《くずかごの唄》51 老人性うつ病にさせないための試み

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【コラム・奥井登美子】亭主を老人性うつ病にさせないために、

① 本とのつきあい

② 好きな友達とのつきあい

③ 好きな食べ物の提供

―とりあえず、この3つの試みだけは断固実行してみることにした。

亭主も、自分が最近極度に忘れっぽいのを承知しているらしい。それが怖いのか、言われたことをすぐやらないと、モーレツに怒る。

「暗黒物質とブラックホールの本、読みたい。すぐ買ってきてくれ」。若いときは専門の合成化学の本ばかり読んでいた。それが、おやおや、いつのまにか宇宙の本になってしまった。

そうだ、私は宇宙人と付き合っていると思えばいいのだ。急に言い出す無理難題も、相手が宇宙人ならば、「地球のこと知らないんだから仕方ない」と、思えばよろしい。

しかし、本探しは困る。本屋さんがみな閉店、近くに本屋がなくなってしまった。図書館へ行って、ブラックホールの本を4冊借りてきてごまかした。

保険証、お薬手帳、薬を持って

「11月の日仏薬学会には行く」

「何やるの? 加藤登紀子さんは終わったのよ」

「明治の薬学者下山順一郎の紹介をフランス人がする。お酒に強い人、弱い人の遺伝子検査も面白そうじゃあないか」

彼は日本山岳会と日仏薬学会へ行って、昔の友達に会うのが何よりの楽しみなのだ。1人で東京に行くのはチト難しくなってしまっているのに、1人で行きたい所があると行ってしまう。だから、行くと言い出したら大変で、私が彼の保険証とお薬手帳と3日分の薬を持って、ついて行くしかない。

学術的な難しい話が終わったあと、全員ワインで乾杯するのが、この学会のしきたりになっている。付き添い役の私の目的はこの乾杯なのだ。

さて、好きな食べ物、これが一番問題なのだ。(随筆家、薬剤師)

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《ことばのおはなし》16 私のおはなし⑤ 景色が流れている

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後日撮影のMRI画像

【コラム・山口絹記かすむ視界に、クリスマスのイルミネーションが、連なるテールランプがにじむ。メガネが汚れているのかもしれないが、今の私にレンズを拭くという動作は難しい。

どうにか自宅に着いた私は、今夜は家に帰れない想定で服を着替え、妻の運転する車に乗って病院に向かっていた。右腕の痺(しび)れは少しずつひどくなる。

運転席の妻に、後部座席の娘に、外は綺麗(きれい)だと伝えたいと思ったが、何も話せないことを再認識して私はじっと窓の外を見つめていた。

たとえ言葉が話せたとしても、この景色は誰とも共有などできないのだろう。それはさみしいことのような気もするし、尊いことにも思えた。

重たい眠気が波のように寄せては引いてを繰り返す。まだ夜更けでもないのに、この眠気も何かの異常だろうか。

妻に連れられ救急外来にかかる。問診票を渡されても何も書けない。文字は理解できるが音読は無理だった。名前を呼ばれ、診察室へ。

医師の苛立ちが伝わってくる

「今日はどうされました?」。さっそく困ったことになった。どうしたもこうしたも、話せないからここにいるわけだが、こんな時のために、自分の症状をまとめておいた紙を家に忘れたことに気がついた私は、医師を見つめ返す他ない。沈黙。

「私の言ってることがわかるなら右手を、わからないなら左手をあげてください」。長く早口な発話内容を理解するのが苦しい。節ごとに区切って考えてみて、なんとか理解する。しかし、残念ながら右腕は思ったように動かないし、左手をあげれば矛盾が生じるような質問をする意図の方がわからなかった。おそらく医師も不慣れな状況なのだろう。沈黙。

「自分の名前、言えますか?」。医師の苛立(いらだ)ちが伝わってくる。問診しようにも相手は無言なのだ。不憫(ふびん)である。口を開きかけるが、頭の中に漢字で浮かんだ自分の名のイメージは、つかみ取る前に煙のようにかき消えてしまう。

最早(もはや)、自分の名前もわからなかった。

「とりあえずCT(コンピュータ断層撮影)撮っておきましょう」。私が口を閉ざしたのを見て、明らかに不機嫌な医師は退出を促す。失語症状の人間が見た目は元気そうに来院することは少ないのだろう。それでもCTを撮ってもらえれば上出来だ。不調法をお許しください、と心の中で思いながら診察室を出る。

CT撮影が終わると、技師の作業室でバタバタと人が慌(あわ)てて出て行く音が聞こえた。どうやら、私の頭の中で何かが起きていることに気がついてくれたらしい。

救急外来の処置室で家族3人で待っていると、先程とは別の疲れた顔をした医師が入ってきた。さすがに今度は名前を確認されることもないだろう。

「入院して、詳しい検査をしなければ確かなことは言えませんが、脳腫瘍(しゅよう)の疑いがあります」。医師はCT画像を出しながら言った。

そんな気がしてたんですよねぇ、と口に出して言えないのが残念だった。これが腫瘍か。それにしても大きく育ったものである。高級梅干しくらいのサイズだろうか。-次回に続く-(言語研究者)

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《雑記録》6 米で香港人権法成立 米中貿易戦争新展開

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【コラム・瀧田薫】先に米議会で成立した香港人権・民主法案は、米政府に対し、中国が香港に認めた「高度な自治」が損なわれていないか毎年検証させ、もし人権侵害でもあれば、中国政府に対し制裁を課すよう義務づけるものである。当然、中国政府は猛烈に反発し、米国による中国への「内政干渉」であるとして、断固たる報復措置をとると言明した。法案の成立によって、米中貿易戦争に新たな火種が生まれたことは確かである。

さて、大方の新聞論調は米中の経済戦争が世界経済に深刻な影響を及ぼすとの見方で一致しているが、ウォールストリートジャーナル(WSJ)のコラム「ハード・オン・ザ・ストリート」11月26日付は、米中経済摩擦について少し違う角度からの見方を提示している。

国際通貨基金のデータに依拠して、2018年初めに米中の関税合戦が始まってから19年4~6月期までの約1年間について、米中両国の貿易の変化を追っているのだが、それによると、中国は貿易戦争以前から世界の輸出に占めるシェアを失いつつある。これに対して米国のシェアには変化がない。だが、その内容については両国ともに大きな変化があったという。

まず米国については、中国からの輸出の大幅減がメキシコや東南アジアからの輸出増で相殺されており、中国の場合は、米国の関税で相当な痛手を負ったが、その多くは東南アジアと台湾に対する輸出の急増で相殺されているという。つまり、米中の貿易摩擦について、周辺国がいわば緩衝材になっているのだ。

たとえ米国が中国に強力な圧力をかけても、周辺国がそれに協力しなければ、圧力は底抜けになる。この事実を踏まえて、WSJは、米中両国のような大国でも今の世界貿易を意のままに操作することは難しいと結論づけている。

新たな政治経済ブロック化競争

私が特に注目するのは、米中経済戦争において、周辺国が果たす役割の大きさをWSJが評価したことである。同時に、米中両国が経済摩擦を通して、周辺国との関係の大切さを学びつつあるとも予想している。

今回の法案の成立を熱狂的に歓迎し、星条旗を打ち振る香港民主派市民の姿を見て、米中両政府はどのような印象をもっただろうか。自国第一主義のトランプ氏の思いは複雑だろう。他方、習近平氏は苦々しい思いとともに、自らと中国の影響力を一層強化し、中国とは異質なもの全てを自己の勢力圏から一掃したいとの思いを抱いたに違いない。

今回の香港の造反は、中国政府が権威主義と強圧的な政策を見直す機会にはまったくならないだろう。逆に、中国の一帯一路政策にその兆候が見られるところだが、周辺国を自らの影響下に取り込み、そこから米国を初めとする西側の影響力を排除する政策を推進する可能性が大きい。

米中両大国とその周辺諸国において、新たなる政治・経済ブロック化競争が始まるのではないか。いや、すでに始まっているというべきだろう。(茨城キリスト教大学名誉教授)

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《吾妻カガミ》69 影が薄くなった つくばの五十嵐市政

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つくば市役所

【コラム坂本つくば市の総合運動公園予定地跡処理の方向性が揺らいでいます。執行部が提案した一括民間売却案に多くの市議が異を唱え、スポーツ施設などに活用した方がよいといった意見が出てきたからです。市長の五十嵐さんはこの問題でもイニシアチブを発揮できず、執行部の影が薄くなっています。

市が8月に発表した予定地跡(広さ46ヘクタール、取得額66億円)処理案は、商業施設+流通倉庫+老人施設に使いたいと言ってきた民間業者に一括売却するものでした。ところが議会はこの案を棚上げにし、自分たちで考えるからと、特別委員会(議長を除く市議27人で構成)を立ち上げました。

先月開かれた特別委で市議が示した活用案については、本サイトの記事「一括売却に反対多数 つくば市議会特別委」(11月7日掲載)をご覧ください。発言内容はこの記事を読んでいただくとして、総覧するには議会事務局がまとめた意見一覧が便利です。

それによると、複数意見もカウントした延べ人数は、スポーツ施設(陸上競技場、室内プール、総合体育館、グラウンドゴルフ場)9人、避難所・防災拠点8人、道の駅4人、公園・キャンプ場・多目的広場・子供の遊び場4人、市営墓地・市営斎場3人、教育施設・文化施設3人―と、予定地跡は何らかの形で市が活用すべきだとの意見が多く、一括売却案を支持した市議は5人だけでした。

運動公園用地跡はスポーツ施設に?

市議の意見分布から占うと、売却は取り止め、市有地として残し、スポーツなどの施設として活用する、といったところに落ち着くのでしょうか。議会は「スポーツ施設一つ」を落としどころとしている、との情報もあります。ちなみに、住民投票で否定された市原前市長の総合運動公園計画は「スポーツ施設三つ」(陸上競技場+サッカー場+体育館)でした。

先のコラム「つくばの政治テーマ 総合運動公園問題」(5月6日掲載)でも触れましたように、五十嵐さんは総合運動公園批判を展開して市長に当選、予定地跡の適正処理も公約していましたから、仮に上のような展開(類似コンセプトのスケールダウン)になった場合、おかしなことになります。

執行部と議会の関係では昨年も同じような事例がありました。TXつくば駅前のデパートが撤退したあと、執行部は市が出資する複合ビル構想を立案しながら、議会に否決されそうだと判断して議案を引っ込めてしまったことです。第1パラグラフで「この問題でも…」と書いたのは、このプロセスを思い出したからです。(経済ジャーナリスト)

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《猫と暮らせば》8 女は残念な存在!? 男性中心主義に怒り

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初登庁し市幹部職員約70人を前に訓示する安藤真理子土浦市長(右)=11月22日、市役所

【コラム・橋立多美】先月27日、レスリング女子63キロ級の2016年リオ五輪金メダリストで、57キロ級の東京五輪代表となった川井梨紗子さんが、出身地である石川県レスリング協会の下池新悟会長が「石川県には五輪内定者が2人いる。しかし残念ながら女だ」と発言したと告白した。

またか、である。スポーツ業界に限らず女性蔑視と男性中心主義的な言動に憤りを覚えつつ、「それは違うだろう」と忠告してくれる友人も家族もいないんだなとあわれみさえ感じる。

土浦の女性新市長、安藤さんに期待

さて、先の土浦市長選挙で16年間の実績を掲げて継続を訴えた中川清さんが、市議と県議を歴任し、変革の必要を前面に押し出した安藤真理子さんに敗れた。

女性市長の誕生は土浦市初で、現役首長としては県内唯一。男は女より秀でていて、政治家を筆頭に偉い人はみな男という認識が強い(ように思う)保守王国茨城の状況が覆された。

勝敗には、前中川市長が推し進めた公立幼稚園の廃止と公立保育所の民営化(10月31日掲載)が少なからず影響したと思う。

市選管の発表によれば、投票人数は男性約2万1000人で女性約2万2000人。女性が大挙して投票所に押し寄せたわけではないが、女性たちが安藤さんの公約「市立保育所の維持」に期待を寄せたと思える。

選挙のプロたちの予想は「中川さん当選」で安藤市長誕生を言い当てた人はいなかった。そこには「中川市政は長すぎだと思っても女性に任せようと思う有権者は少ない」との読みが働いたのではないか。

しかし、市政を女性候補に託してみようと思っていた人は男女問わずいた。そして、子どもを保育所に預けて働く女性たちの切実な思いをくみ取ることができれば、予想は違うものになっていたと思うのは私だけか。

つくば市は男女参画課を「室」に降格

女性の活躍を阻む壁は男尊女卑文化だ。1999年に「男女共同参画社会基本法」が公布・施行され、当時のつくば市の藤澤順一市長は男女共同参画課を設けた。ところが2004年に市原健一市長に代わると「課」から「室」に降格されて現在に至る。

表向きは、男性も女性も意欲に応じて、あらゆる分野で活躍できる男女共同参画社会を推進するとしながら、本音は「女性活躍なんて言う女は面倒くさい」という意識が透けて見える。こうした古い文化を温存したままでは地方創生は絵にかいた餅だ。

国会で女性議員に汚いヤジを飛ばすオジサンや、説明責任を果たさない国のリーダーの不誠実な言動を見るにつけ、安藤市長の活躍を期待する思いが強くなる。(ライター)

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《令和楽学ラボ》4 茨城県立の石岡特別支援学校が開校

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開校した県立石岡特別支援学校

【コラム・川上美智子】知的障害のある児童生徒を対象とする特別支援学校(小学部・中学部・高等部)が4月に石岡市下青柳に新設され、11月21日、開校式が挙行されました。この学校は、県内23番目の公立の特別支援学校となり、定員オーバー状態であった県立つくば支援学校の児童生徒ら111名が転入し、新入学の児童生徒と合わせ154名でスタートしました。

小美玉市、石岡市、つくば市(旧筑波町)が通学区域とされ、今までつくば市まで通学を余儀なくされていた子どもたちにとり、とても便利になりました。92名の教職員が配置され、手厚い指導が行われます。

旧八郷南中学校を増改築した校舎は、県産材をふんだんに使い、清々しい木の香りが漂い、明るく広々としています。校舎の窓からは雄大な筑波山や県フラワーパークが眺められ、恵まれた環境の中で子どもたちが伸び伸びと学んでいる姿を見ることができました。児童生徒の素敵な造形作品もたくさん飾られていて、それぞれの個性や才能が感じられました。

自立と社会参加に必要な技能や態度を育成

小学部の「基礎的な力を身に付ける」、中学部の「基本的な力を深め、広げる」を踏まえ、高等部では「卒業後へつながる力を身に付ける」を目標に、自ら考えて行動できる力と、働くことや公共のために役立つことをする心を育て、自立と社会参加に必要な技能や態度を育成していくとしています。

タブレット端末などのICT(情報通信技術)の積極的活用、園芸や木工などの作業学習、歩く会、地域との協働など、「楽しい学び」がしっかり盛り込まれています。

この学びが、児童生徒一人ひとりの自立に結びつき幸せな人生を送れるようにと願い、温かく迎えてくださった教職員や子どもたちに感謝して、晴れやかな気持ちで校舎を後にしました。健常な子どもも、障害のある子どもも、才能を伸ばし、健やかに育つ環境を一つひとつ整備していくことの大切さを再確認させられた学校訪問でした。(茨城キリスト教大学名誉教授)

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《土着通信部》35 つくばの三日月神社、朏神社、疣神社巡り

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隣接する消防団の望楼越しに眺める三日月=つくば市吉瀬(2018年撮影)

【コラム・相澤冬樹】二十三夜の月待のことを書いたら、つくば市吉瀬にある朏(みかづき)神社の縁者から「三日月信仰のことも調べてくれ」と頼まれた。古来、月の出を待ってお月見をする行事は十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜、二十六夜あたりで、三日月待はあまり聞かない。

二十六夜の月は「後の三日月」とも呼ばれ、細身の円弧を右下に光らせた月が未明に上がってくるが、朔(新月)を1日目として3日目の月は太陽を追うように昇ってくるから、月の出にはまず気づかない。三日月と分かるのは日没時で、月の入りを拝む形となる。二十三夜尊を「三夜様」と簡略化する言い回しに倣(なら)う可能性も捨てきれず、月待に三日月を含むのはためらった。

しかし、「月」が「出」ると書いて「みかづき」と読ませるのはおもしろく、つくばにあるもうひとつの三日月神社を思い出した。旧谷田部の市之台にある神社で、祭神に三日月不動明王を祀る。慶長十六年(1611)創建と伝わり、1977年に現在の社殿に改築されている。地区住民に聞くと「特に三日月にこだわった行事はない」という。正月の元旦祭と夏の祭礼が賑わう。

社にはなぜか豆腐の供え物がある。俗に、三日月に豆腐を供えて祈るとイボや魚の目、できものなどの皮膚疾患に霊験があるとされ、治癒や回復の際には供えた豆腐を引き上げて川に流すそうだ。吉瀬の朏神社にも伝わる風習だ。

ひょっとして、朏の「月」は「にくづき」であって、「出物」「腫れ物」からイボに転訛(てんか)したのではないか。そういえばつくば市上横場には「疣神社」なる額の掛かる小社があって、何と読むのか聞いて回り、やっと「いぼ神社」というのだと知ったことがある。皮膚疾患の悩みは広く、古くからあり、治癒の願を掛け、成就の際に感謝を捧げる神社が各地にできたのは想像にかたくない。

実際調べてみると、つくば市内にはこのほかさらに2つの三日月神社が見つかった。共に旧筑波の田中と小田に所在する。

田中の日枝神社は貞観二年(860)創建と伝わる郷社で、「山王さま」として近在に親しまれている。社殿前に広い流鏑馬(やぶさめ)場があることでも知られるが、鳥居をくぐると社殿に向かって左手に小さな社があり、これが三日月神社で「みがづきさま」と称される。鳥居や堀の石組みに三日月の紋がみえる。ここでもイボや魚の目の除去、あざの消去に御利益があるといわれている。

小田の町なかから小田城跡歴史ひろばに向かう路地の道端に鳥居と祠(ほこら)が建っている。脇の石碑から、ようやく「三日月尊」だと知れるが、由緒等は分からない。石碑に記された人名から氏子らしき人を訪ねると、今は地区の氏子2人で守っている社だという。祠の中には「三日月尊」と書かれた札が一枚、特に祭礼などは行われない。

29日は旧暦霜月三日、晴れていれば夕焼けの空に「消えそうな三日月」が見つけられるはずだ。今まさに「がんばっているからね」、平癒の願をかけたい人がいる。(ブロガー)

【付記】「大漢和辞典」(大修館書店)に当たると、「つきへん」の朏と「にくづき」の朏は別字とある。

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