土曜日, 5月 10, 2025
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《続・気軽にSOS》54 世界最弱のオセロAI

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【コラム・浅井和幸】いくら負けようとしても勝つことが出来ない「最弱のオセロAI」というものがあります。先日、そのサイトの勝率を見たら、AIの「4254勝1671337敗234引分」でした。簡単なので、ぜひ、皆さんも楽しんでみてください。そして、負けるように頑張ってみてください。

これが、なかなか負けられないのです。面白い話なのですが、このオセロゲームに負けられる人は、オセロがある程度以上強い人なのです。弱い人が負けるのではなく、「負けることが出来るのは、強い人」なのです。

強い人は、勝ち方を知っている。だから、負け方も知っているのです。これはオセロに限らず、私たちの日常にも似たような場面はたくさん転がっています。

その場の口ゲンカには勝ったけれど、何一つ得るものがなくイライラするだけということはないでしょうか? 怒鳴ったり、クラクションを鳴らしたりして相手を脅かしたところで、到着時間が早くなるどころか、余計なトラブルにつながることもあるでしょう。

何かの活動をしている人が、思い通りにならないから行政窓口に怒りをぶつけ、担当者に謝らせたとしても、目的を達成することとは程遠い時間を浪費しただけになるかもしれません。

中長期的な勝ち、目的に目を向ける

家族や友人、職場などでのケンカはこのようなことが多いと感じることはないでしょうか。その場の言い争いに勝つことを優先して、結局は何の目的も達成できないどころか、その後も話しづらくなり、居場所をなくしてしまったり、次の要求が出来なくなったりしてしまいます。これらは、「勝ち方を知っている」とは、到底言えないでしょう。

お互いが同程度だからケンカになるのだと耳にすることがあります。それはまさにその通りで、相手が、自分よりもずっと弱いとケンカになりません。

例えば、自分と同じか少し目上の人がずけずけと悪口を言ってきたら、例えば「服のセンスが悪いな」と言ってきたら腹が立って、その怒りをぶつけたくなります。感情のままに動くと、たとえ言い争いに勝ったとしても損をすることのほうが多いですよね。

これが、幼いお子さんに「服のセンスが悪いね」と言われたら、大人である私たちは、余裕を持って「そう? どこを直せばいいかなぁ?」なんて言いながら、下手に出ることが出来るのではないでしょうか。短期的な勝ち負けにこだわらず、中長期的な勝ち、価値、目的に目を向けることも考えたほうがよいですよね。

そういえば、「最弱のAIオセロ」ですが、一生懸命にこちらに負けてくれるように感じられて、健気とか、可愛いとかの好意的な感想もあるみたいですよ。(精神保健福祉士)

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《茨城の創生を考える》13 筑波大学に期待したいこと その1

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筑波大学正門

【コラム・中尾隆友】経済のグローバル化に続いてデジタル化の波が押し寄せている中で、企業は新卒一括採用を見直し、通年採用を拡大しようとしている。その流れと並行して、定年の延長が着々と進み、即戦力を求める中途採用がメジャーな採用になっていく見通しにあるのだ。

すなわち、新卒一括採用の重みが徐々になくなっていき、国公立か私立かにかかわらず、大学の役割と存在意義が問われる時代が到来するということだ。

日本の大学の最大の問題点は、学生が入学するためには必死で勉強するが、入学後はあまり勉強しなくても卒業できてしまう点だ。

そこで日本の大学を改革するために必要最低条件となるのは、卒業要件を厳格化し、勉学に励む学生しか卒業できない仕組みに改めるということだ。大学が卒業生に対して専門性に相応(ふさわ)しい知識や思考力を担保できなければ、日本の経済・社会の発展に貢献することなど、できるはずがないからだ。

縦割りで閉鎖的な組織を変えよ

その上で、縦割りで閉鎖的な組織を変えていくことも欠かせない。大学のカリキュラムは基本的に学部ごとの縦割りになっていて、一部を除き、学部をまたいだ横の連携が皆無に等しいので、高度な人材を育成するための大きな障壁になってしまっているのだ。

たとえば、日本の大学がAI人材の育成で遅れを取っているのは、理学部や工学部といった昔からの学部編成に分かれていて、数学と情報工学など複数の分野を学べる環境が未だ十分に整っていないからだ。学部や学科をまたいで相乗効果が見込める共同授業を提供するなど、有為な人材を育てるという目線に立たなければならないだろう。

私は少なくともこれらの問題点に限っては、筑波大学はおおよそクリアできていると思う。しかしそれでも、筑波大学にはもっと変わってもらいたいと期待している。いくつかの古い体質や慣習などを改めていくことが欠かせないからだ。

第1に、優秀な人材を発掘する方法を改めなければならないということだ。大学は本当にすぐれた才能を見つけ出すことができているのか、大いに疑問を感じているからだ。

当然のことながら、試験内容の変更などで試行錯誤はしているのだろうが、結局のところ教員が今まで実践してきた才能の選び方に固執し続けていることはないか、検証の必要があるだろう。それぞれの専門性に真に不可欠な能力は何かということを、世界や社会の変化に順応して常に問い直していかねばならないからだ。―次回に続く― (経営アドバイザー)

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《令和楽学ラボ》5 つくば市に保育園が続々開設

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つくば市鬼が窪に建設中の「社会福祉法人関耀会 みらいのもり保育園」

【コラム・川上美智子】県内で待機児童が一番多いつくば市は、昨年4月1日時点で131名と待機児童率の高さで全国24位であった。つくば市と並んで待機児童数が多い水戸市は、2018年度に民間保育所や小規模保育所の開設により定員を519人増加させ、待機児童数を18人までに減らした。つくば市は、同年に264名分増加させたが、待機児童の解消に至っていない。

その理由は、TX沿線への若い世代の流入と子育て世代の新規就労者の増加である。この地域では、保育所不足にとどまらず、放課後児童クラブの不足や小学校のキャパ不足も大きな問題となっている。人口増は地域の活性化にとり歓迎すべきことであるが、想定以上のことが起きており、その対応が求められている。

待機児童対策では、つくば市は今年度、研究学園駅~みどりの駅地域の民間保育所の設置を積極的に進めている。今年4月1日には、この地域に4つの民間保育園と2つの小規模保育園が開設される予定である。私が園長として勤務予定の「みらいのもり保育園」もこの中のひとつであり、放課後児童クラブを併設して地域のニーズに応える予定である。

これで待機児童は解消されるか?

これにより、つくば市の待機児童解消がほぼ達成されるのではないかと思われるが、それも瞬間的なことかも知れない。東京通勤圏という魅力ある地域にはさらに人が集まってくることも予想される。若い世代の動向をしっかり見極め、やがてその家族の年齢層や構成が変化することも想定して、TX沿線地域の姿を描く必要があろう。

また、保育園は、キャパの問題が取り沙汰されるが、問題はそればかりでない。それ以上に重要なのは質の問題である。今年4月の小学校の学習指導要領全面改訂に伴い、それに先駆けて国は一昨年度に保育所保育指針の改定を行った。

それは、国が幼児教育の重要性を認識したからに他ならず、その中で保育所を養護・保育の施設から幼児教育施設として位置づけた。ゼロ歳から3歳までの非認知能力の育ちや小学校に上がるまでの就学前の教育施設として幼少の継続性に力点を置くことになった。

この4月、つくば市内の保育施設は、公立保育所23、民間保育園41、認定こども園8、小規模保育所10に上る。施設による格差が出ないよう、それぞれの園が切磋琢磨(せっさたくま)して幼児教育の質向上に取り組まなければなるまい。(茨城キリスト教大学名誉教授)

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《電動車いすから見た景色》2 障害者との対話を通して共生社会を

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県内で障害平等研修を広めているメンバー 撮影:柴田大輔

【コラム・川端舞】皆さんは、障害とは何なのか考えたことはありますか。「身体が不自由なこと」「何かができないこと」など、様々な答えがあると思います。障害とは何なのかを、実際に障害者と対話しながら考える「障害平等研修」(DET)が近年全国で広がっています。地方自治体の職員を対象に開催されたり、一般企業や小中学校でも開催されたりしています。

今まで、「障害」という問題の原因は障害者自身にあり、障害者が努力して解決するべきだという考え方が一般的でした。しかし、2006年に国連で障害者権利条約が採択され、「障害」は障害者個人ではなく社会の側にあり、「障害」という問題を解決するためには社会の在り方を変える必要があるという考え方が広がりました。

例えば、車いすの人が階段のあるお店に入れないのは、その人が歩けないからではなく、そのお店にスロープやエレベーターがないからだとする考え方です。

障害平等研修の特徴は、障害者自身が進行役になり、障害者との対話やグループワークを通して、新しい「障害」の考え方を参加者に持ってもらい、どうすれば障害者が暮らしやすい社会になるのかを考えてもらう研修です。スロープがあるお店は、車いすの障害者が入りやすいだけではなく、高齢者やベビーカーを押した親子にとっても入りやすいお店になります。

「DET(障害平等研修)いばらき」

このように、障害者が暮らしやすい社会は、高齢者や外国人、子ども連れの人など、多様な人にとって暮らしやすい社会になるはずです。障害平等研修では、「障害」を考えることを通して、全ての人にとって暮らしやすい社会の実現を目指しています。

NPO法人「障害平等研修フォーラム」がこの研修の進行役になれる障害者を養成しており、その養成講座を修了した障害者が茨城県内で5人になったことをきっかけに、2019年に「DETいばらき」が立ち上げられました。

「DETいばらき」は、茨城県内に障害平等研修を普及させることを通して、全ての人にとって暮らしやすい茨城をつくることを目標にしている団体で、現在、私を含め、研修の進行役を務める障害者4人と、団体の趣旨に共感するサポーター2人が活動しています。

昨年は、県内市町村の障害福祉課の職員を対象にした研修を県庁でやらせていただいたり、土浦市内の中学校で1年生を対象に研修をやらせていただいたりしました。これから活動の幅を広げていきたいと思っています。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)

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《続・平熱日記》54 絵画展「富士山景クラッシック」

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【コラム・斉藤裕之】新年早々、カフェでばったりと出会ったのはユキさんと娘のリサちゃん。リサちゃんはうちのアトリエに絵を習いに来ていた才能あふれる子なのだが、地学や気象学を学ぶための大学に進んで、今や日本や世界の各地で研究をしているとか。ちょうどよかったので、新年のあいさつ代わりに、持ち合わせていたグループ展の案内ハガキを渡した。

話はおよそ25年前にさかのぼる。フランス留学から帰ってきた私を同級生が歓待してくれた。ところは、谷中の伝説の居酒屋「町人」。

「やっぱり描くってことは大事よ」と、一席ぶった私。「じゃあ富士山描こうぜ!」でもって、集まった沼津の長橋の実家。真夏に見えるはずもない富士山。長橋家が営む幼稚園のプールで行水のあと酒盛りとなり、チャンチャンのはずだった。「銀座のギャラリーでやらしてくれるってよ!」「じゃあタイトルは富士山景クラッシック、なっ!」って言っちゃった私。

こうして第1回目の富士山を描く展覧会は開かれた。本当はそれでお開きのはずだった。

それから10年。ひょんなことから、お世話になっているギャラリーが、なんと富士山景クラッシックの第2回展を企画してくださった。そして、「次はまた10年後だな」なんて言いながら3回展をやり、なんと、この度第4回展を開く運びとなった次第。

見て描くか、見ずして描くか

さて、富士山については、18の年に上京する折、新幹線から見た思い出を書いたことがある。ともに故郷を出て、「富士山を見ると不合格になる」というジンクスを信じて見なかった貞本は、現役で美大に入りその後漫画家として大成功を収める。

一方、その後長い浪人生活に突入するとも知らない私は無邪気に、生まれて初めて見る富士山に心躍らせていた。その後、帰省の度に新幹線の車窓から眺めた富士山。私の住む茨城からも富士山は見える。しかし何度か富士山を描いてみても、リアリティを感じられない。

大学1年のときに、仏像を描かされたことを思い出す。石膏(せっこう)デッサンのつもりで描くと手も足も出ない。「西洋のものの見方じゃあ描けないよね」。当時、現代美術家として学生にも絶大な人気があった榎倉先生がつぶやいた。ゆっくりと四方に流れ出てできた富士山の緩やかな稜線(りょうせん)は、お寺の屋根や仏像の袈裟(けさ)にも似た独特の曲線を帯びている。ここは奥義(おうぎ)「見ずして描くの術!」でいくことにする。

2月10~15日、銀座「ギャラリー・ソル」

さて話はカフェに戻る。試しに、会期中に予定しているささやかな宴にリサちゃんを誘ってみた。「その日は富士山の定点観測に行っています」。来年から高校の理科の先生になることが決まった彼女。大学院での研究テーマは、なんと「富士山」なのであった。

これで多分本当に終わりかな? しかし、あえて私はハガキに「第4回富士山景クラッシック・中締め」と記した。「次はフィレンツェ・オープンにしよう!」「じゃあドゥオーモの前に集合な!」なんてね。2月10日日から15日まで、銀座のギャラリー・ソルで同展は開かれる。(画家)

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《邑から日本を見る》56 東京新聞記者・望月衣塑子

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飯野農夫也氏の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】那珂市瓜連(うりずら)に定員31人のミニシアター「あまや座」がある。2年前にオープンした。上映作品は一般の映画館では上映しないような作品がずらり。ラインアップを見て、県内各地から観客が来ているようだ。

私はそこで最近、東京新聞記者の望月衣塑子(もちづき・いそこ)さんを追ったドキュメンタリー映画「i-新聞記者ドキュメント」を見た。昨年秋に、やはりここで劇映画「新聞記者」を見ている。いずれも望月記者がテーマ、主役で、普通は取材する側の新聞記者が逆の立場で登場するのが面白い。いずれも、彼女の「新聞記者」(角川新書)がベースだ。

「ドキュメント」は望月記者が沖縄・辺野古の新基地移設問題の取材をする場面から始まる。新基地建設現場の土砂についての防衛相の説明に納得がいかない彼女は、担当者を問い詰め、「どうして答えられないんですか」と追いかける。

カメラはそんな望月記者の取材の日々を丹念に追う。伊藤詩織(いとう・しおり)さん準強姦事件、森友学園問題、宮古島の自衛隊弾薬庫、首相官邸での菅官房長官との攻防など緊迫した画面が続く。圧巻はやはり官邸記者会見でのやりとりだ。質問を繰り返す望月さんに、「同じ趣旨の質問はしないように。事実に基づかない質問には答えない」などと木で鼻をくくったような答弁しかしない官房長官。

司会者か他の記者かが、質問を早く、簡潔に、などと言うのが聞こえる。望月記者の執拗(しつよう)な質問に手を焼いた首相官邸広報室は、東京新聞に対し「未確定な事実や、推測に基づく質疑応答がなされ、国民に誤解を生じさせる事態は容認できない」と文書で抗議した。はぐらかす、逃げる、答えない。さらに、政府が記者の質問に文書で抗議するなどということは、暴挙としか言いようがない。

考える素材を人々に提供する事業

この映画では、大きな荷物を持ち、方向音痴(ほうこうおんち)でうろうろする姿、無防備に大口をあけて食事をする様子、いつでも誰に対しても、思ったこと、聞きたいことを話す望月記者が映し出される。文部科学省の元事務次官・前川喜平さんは彼女を表して「空気が読めない人」と言っている。「忖度(そんたく)しない人」でもある。

映画「新聞記者」は、真実に迫ろうともがく若き新聞記者と、「闇」の存在に気づき、選択を迫られるエリート官僚、権力とメディア、組織と個人のせめぎあいを、真正面から描く。フィクションとは言いながら、見る私たちは、モリカケ疑惑など現実に起きている事象を思い浮かべることができる。そして私たちに「この国に新聞記者は必要なのか」と問いかける。

民主主義を踏みにじる官邸の横暴なふるまい、忖度に走る官僚たち、それを平然と見過ごす大半の報道メディア。そんな中で、望月記者がクローズアップされる。彼女は特別なのか。ジャーナリズム、ジャーナリストとは何か。どのような役割を担うものなのか。

わが師・むのたけじは「ジャーナリズムは、記録と主張の体系である。考える素材を人々に提供する事業である」と言っていた。批判、評論、主張があってこそジャーナリストなのではないか。映画と本を読んで、望月記者こそ本当のジャーナリスト、と考えている。(元瓜連町長)

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《食う寝る宇宙》54 求ム!宇宙天気防災カリスマリーダー

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【コラム・玉置晋】このコラムでも何度か述べていますが、地球周辺の宇宙環境の様子は「宇宙天気」と呼ばれています。この宇宙天気は美しいオーロラを出現させる一方で、人工衛星を使えなくしたり、地上で停電を発生させたりと、人類にとって厄介ごとを引き起す源でもあります。この災害を未然に防ぐ、減災することを「宇宙天気防災」と呼んでいます。 

「食う寝る宇宙」なんてコラムを書いていて、「宇宙の仕事をしたり、勉強をしたり、楽しそうですね」なんて言われることがあります。そんなときは満面の営業スマイルで、「ええ、宇宙は僕の生きがいで、毎日ワクワクしています」と答えていますが、これは本心ではありません。

どちらかというと、毎日つらい。好まざる仕事もありますし、円滑でない人間関係、理不尽極まる要求と、不満を挙げればキリがありません。

「宇宙天気防災なんて食えない、辞めてしまいたい」と思うこともザラです。目標が明確に設定されていれば、淡々とゴールを目指して進むことができますが、宇宙天気防災は発展途上なので教科書もないですし、教えてくれる先生もいない。何をやってよいかわからず本当に辛い。

2025年ごろ太陽活動極大期 

人は目標を与えてもらいたい生き物です。でも宇宙天気防災に関しては、目標を人に与えてもらうという甘い考え方は改めないといけないかもしれませんね。カリスマ的なリーダーがいらっしゃれば、その方についていけば生存率を高めることができるでしょうが、そんな救世主的なカリスマリーダーなんていません。

先日、ある若者に「まずは大きな目標を設定しましょうよ。まずは宇宙天気防災を布教しないと」と諭されました。まあ、暫定的に僕がリードしてみて、面白そうにやっていたら、僕以上に必要なカネ・モノ・ヒトを統率できる人材が食いついてくると踏んでいます。研究のこともよくわかっていて、社会のことも知っている「宇宙天気防災カリスマリーダー」を求ム! 

現在の太陽の様子をみると、第24太陽活動期が間もなく終了しそうな雰囲気です。第25太陽活動期の極大期は2025年ごろと予想されていますので、今のうちから準備しておきたいです。2020年代は、全地球測位システムや宇宙通信を一般ユーザが使いこなす、宇宙天気に脆弱(ぜいじゃく)な社会がはじめて経験する太陽活動極大期となります。(宇宙天気防災研究者)

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《地域包括ケア》52 ラジオ体操で地域づくりを展開

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朝のラジオ体操

【コラム・室生勝】厚労省のモデル事業をまとめた日本能率協会の「地域づくりによる介護予防・推進するための手引き」では、「週1回運動ができる身近な通いの場」「体操をきっかけに地域づくりへの展開」を奨めている。朝のラジオ体操から始まったTX研究学園駅前周辺の地域づくりを紹介しよう。

2009年夏、1人の男性前期高齢者が駅前公園へ携帯ラジオを持参して、朝6時半からのラジオ体操を始めた。彼が公園で体操を始めたのは、新しい土地で友人が欲しかったからである。05年にTXが開通して、研究学園2~7丁目、学園南1~3丁目、学園の森地区の人口は、新しく住み着いた人たちで増えた。

1か月も経たないうちに数人の男性高齢者が集まり、帰りの雑談のなかでシニアクラブづくりに発展した。2年間で会員が約30名に増えたのは、県内外から新しい街に移ってきた高齢者が友人を求めていたからだ。

数年の間に、ゴルフ、麻雀、絵画、手芸、グランドゴルフなどの同好会ができ、隔月の例会や歴史探索ウォーク、新年会、花見会、芋煮会、日帰り旅行などの催しや、お茶会や会食などの日常的交流が盛んになった。現在は会員も100名を超え、区会(自治会)運営や街の美化活動に関わる人たちから、新しい街づくりの取り組みが現れた。

マンションや一戸建てと居住区が違い、抱えている課題が多少異なっていても、街づくりの目的は同じである。市内で最も人口密度が高い市街地なのに、竹園、吾妻、並木のように市立保育所、市立幼稚園、交流センター(公民館)などの公共施設がないという不満があった。

区会活動も高齢者の介護予防に

昨年秋には、新たな小中学校の開校に伴う通学路の安全確保、高齢者が歩いて通える居場所の設置や区会(自治会)支部設立などを要望する任意市民団体が結成された。

その市民団体は、区会運営を多忙な壮年層の役員に負担をかけないように、実務を退職高齢者が担う方法を提案している。壮年層は役員の引き受け手が少なく、1年任期の区会が多い。これでは継続性が保てない。少なくとも2年任期にして役員の半数が交替する方法である。

シニアクラブの活動も区会活動も高齢者の介護予防になる。しかし、研究学園駅周辺では活動の場を確保するのが難しい。常設の場が欲しい。交流センターのような立派な設備がなくてもいい。50人がテーブル付きでゆったり座れる部屋、コピー機(有料も可)、洗面、トイレ、倉庫などがあればいい。

区会、見守り活動、地域の互助活動の事務局や高齢者サロンが午前から午後前半に利用し、午後後半は子ども会や児童館に、夜間は壮年層の趣味や学習の場に利用できる。休日には3世代交流の場に使える。

高齢者の介護予防は、まず地域に出て人と交流することである。職場第一の生活をしてきた退職高齢者の中には、地域に出るきっかけがない、あるいは知人がないため閉じこもりがちな人がいる。その人たちを交流の場に誘う方法として、空き地や公園を利用したラジオ体操をお奨めする。(高齢者サロン主宰)

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《県南の食生活》9 北関東の郷土食「すみつかれ」

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再現 煮ないすみつかれ

【コラム・古家晴美】今年の初午(はつうま)は2月9日です。茨城県の郷土食「すみつかれ」「しもつかれ」「しもづかり」「すみつかり」「つむちかり」などを耳にしたことがある方も多いと思います。初午の際に作り、藁苞(わらづと)に詰めて赤飯と共にお稲荷様や氏神様に供えて豊作を祈ります。

この郷土食は、栃木県を中心に、隣接した茨城県西部、群馬県、埼玉県、千葉県、福島県奥会津地方など、北関東で主に作られています。大根を鬼おろし(竹製の粗い目のおろし器具)でおろしたものと節分で残った炒り大豆、年取り魚である鮭の頭、そして人参、油揚げを、酒粕(さけかす)・醤油(しょうゆ)・砂糖・酢・塩などで煮たものが広く知られています。各家で作ると重箱に入れて互いにやり取りし、7軒分食べると中風(ちゅうふう)にならないと言われてきました。

しかし、茨城県では県西地域以外にも、県南地域(かすみがうら市・石岡市・土浦市・つくば市)や鉾田市では、上記のものと少し異なる「すみつかれ」も報告されています。炒り豆と大根を酢のもののように甘酢に浸して生食する非常にシンプルなものです。

『宇治拾遺物語』『古事談』に登場

「すみつかれ」の文献上の初出は、鎌倉時代に完成した『宇治拾遺物語』と『古事談』です。炒った大豆に塩をつけ酢をかけた「酢むつかれ」を天台宗の僧侶が食べるというエピソードとして登場します。これが現在の2つの「すみつかれ」のルーツなのではないかとの説が、現在有力です。(吉川誠次『江戸と関東食誌考』、松本忠久『ある郷土料理の1000年』)

前書(松本)では、家康の本葬を契機とし、上野寛永寺、日光東照宮に隣接した輪王寺創建など、江戸以北で勢力拡大を図ろうとした天台宗比叡山の僧侶が「酢むつかれ」をもたらしたではないかと推論しています。江戸を経由して水運や陸路で北関東に伝わり、この原型に近い形で残っているものと、醤油の庶民への普及、鬼おろしの考案などにより、酒粕・油揚げ・人参・砂糖や酢などを加え加熱したものへと進化したものに枝分かれしたのではないかと指摘されています。

関東での醤油生産は江戸後期であったということ、醤油が加熱により独特の香りと照りを出すことなどを考えに入れると、煮た「すみつかれ」が後に登場したことは納得がいきますが、京や近江で食べられていた「酢むつかれ」が、北関東の農村へ持ち込まれ、どのような経緯で分派したかについての史料的裏付けは、今後より詳細に行っていく必要があると思います。

前回は「雑煮」の地域的多様性と歴史的な変化についてご紹介しましたが、「すみつかれ」の多様性や変化も、それに勝るとも劣らずと言えるものかもしれません。(筑波学院大学教授)

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《ひょうたんの眼》24 知らしむべからず、よらしむべし

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臨沂の孔子廟

【コラム・高橋恵一】新年早々、中国の山東省臨沂(りんぎ)市を訪れた。山東省は、東シナ海につながる黄海と渤海の間に山東半島が突き出しており、日本人では、青島市が知られている。山東半島の南で黄海に面するこの町は、歴史に登場するのは新しく、日清戦争のあと、弱みに付け込んだドイツが租借地(そしゃくち)として、ドイツ帝国の東洋艦隊の母港を置いた。第一次大戦で日本が攻略し、権益を獲得しようとした地である。

ドイツからの賠償品として、特大な飛行機の格納庫を接収して茨城の阿見町に移設し、飛行船「ツエッペリン伯号」の世界一周の折、その格納庫に収納したエピソードがある。青島ビールが知られている。

訪れた臨沂市は、青島より西の内陸で人口1千万人。臨沂の北西200キロには、泰山がある。泰山は高さが1524メートルだが、中国ではシンボル的な山で、泰山の東側だから山東省、西側の黄河までが山西省という具合である。ちょっと大雑把だけど。山東省は、論語の孔子や兵法の孫子の出生・活躍の地であり、中国の思想・文化を思うに、欠かせない地域である。

古来、日本では、教養と言えば、四書五経を学ぶことであり、特に武士政権、封建時代においては、儒教が尊重された。その頂点に位置するのが、孔子の論語である。孔子の故郷である曲阜(きょくふ)市の孔子廟を訪ねたいと思ったが、臨沂市から高速道路で片道3時間以上、さらに、雪が降って来て、曲阜行きは実現しなかった。中国は広い。

批判的な検証を怠る大メディア

直接孔子廟で人間を磨くことはできなかったが、論語の教えに気になる言葉がある。「知らしむべからず、よらしむべし」「子曰(いわ)く、民は之(これ)に由(よ)らしむ可(べ)し、之を知らしむ可からず」とあり、一般的解釈は「人民大衆というものは、政府の政策に盲目的に従わせておけばよいので、彼らには何も知らせてはならない」「民は政治に頼るもの、政治を知るものではない」の意味であるという。

これは、封建時代ではなく、今の日本ではないか。為政者は、正面からの議論もせずに軍事費の拡大や、ばくち場の設置を決める。強者や身内を優遇して、国民間の格差の拡大を顧みない。国民へ丁寧に知らしめることはない。見え見えの誤魔化し言葉を持ち出し、都合のよい数字だけを切り取って、丁寧に知らしめたと強弁する。

民主主義社会において、知らしむ役割を担うのは、メディアであろう。ところが、大メディアは、よらしむことに注力し、批判的な検証を怠っている。本来、問題を深く掘り下げ分析して庶民に本質を知らしめなければならないメディアが、知らしめるどころか黙ってしまう。なぜか為政者の不都合が生じると、芸能人のスキャンダルや巷の事故が大きく報道され、不都合なテーマを隠してしまう。

論語「知らしむべからず、よらしむべし」の解説では、こういうことだから、為政者は大きな責任を負い、徳の高い君子でなければならないと説いている。(地図愛好家)

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《宍塚の里山》55 「生物多様性アワード」優秀賞を受賞

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授賞式のもようといただいた優秀賞の盾

【コラム・及川ひろみ】日本では長期にわたり人と自然の共生が維持されてきました。しかし高度成長期の土地開発や1960年代以降の燃料革命・肥料革命により、日本における人と自然の関係にも劇的な変化が生まれました。これは日本に限ったことではなく、人と自然の関係が保たれにくくなり、今日、人類の生存基盤である生物多様性の損失が大きな問題となっています。

こうしたことから、日本ではローカルな価値や知見を守ること、また日本独自の方法論の展開や実践が必要とされています。公益財団法人イオン環境財団は、2010年に生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が名古屋で開催されるのを契機に、2009年、「生物多様性日本アワード」を創設しました。生物多様性の保全と持続可能な利用の推進を目的とした国内賞てす。

当会は昨年の第6回アワードに、「生物多様性の保全と環境教育」と題し、会が発足当初から掲げる活動目標そのものを題材に応募。9月26日、国連大学で行われた授賞式で優秀賞を受賞しました。

「地域の文化や自然に根ざした生物多様性の保全活動に、1989年の団体設立時から取り組む。特に里山の自然の歴史的文化的側面についての市民調査は先駆性がある。また子どもから大人まで参加できる自然観察会や農業体験会の開催、地域の学校での環境教育の実施、里山の保全活動や農業の実践など、幅広い取り組みを行っている」と評価されました。

当会は発足以来、地元の方からの聞き書き、自然環境調査に基づき、宍塚の多様な自然環境(森、池、谷津田、湿地、小川、草原、竹林など)の保全活動を行い、里山は世代を問わず環境教育の場として活用、活動してきました。このことが評価されたものと考えています。

大切にしていくべき里山の宝

近年暮らしも農業も急変した中で、農業と暮らしに欠かせなかった里山の存在価値はいったん失われたかに見えたが、聞き書きによって、大切にしていくべき里山の宝は何なのか、これからどのような里山をめざすべきなのかが明らかになってきました。

今の暮らしにいたる努力、がんばり、たくさんの技と知恵、里山の幸、豊かな文化、人々のつながり、一人一人の誇り、この定点の記録が里山の問題だけでなく、広く一般に、これからの暮らしや農業、自然と人間、人の生き方、社会のありかたを考えるのに役立つことが明らかになり、この聞き書きが私たちの活動の根幹になりました。

地元に支えられ、企業、行政、教育機関、研究機関など、さまざまな人・機関の連携・協働が今回の受賞につながったと考えています。

最優秀賞はコクヨ工業滋賀。「琵琶湖におけるヨシ刈り、外来魚駆除活動。刈り取ったヨシがビジネスに生かされ、CSR(企業の社会的責任)モデルになる取り組み」と評価されました。最優秀の団体の評価内容は、今後、当会の活動に生かしていきたいテーマです。

26日の午後1時から30分間、BS-TBSチャンネルで受賞団体の活動が放映されます。ご覧ください。(宍塚の自然と歴史の会代表)

➡及川ひろみさんの過去のコラムはこちら

《法律かけこみ寺》14 かけこみ寺の12カ月

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土浦市神龍寺(本文とは関係ありません)

【コラム・浦本弘海】あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。さて、今回も前回に引き続き、過去の連載を振り返りながらまとめと解題をしたいと思います。

第7回 不完全な真空(あるいは実在する書籍の書評)
本コラムは生活にちょっと役立つ(かもしれない)法律マメ知識の提供を目指しているのですが、この回は趣向を変えて、木庭顕『誰のために法は生まれた』(朝日出版社、2018年)を取り上げました。ちなみに見出しの元ネタはスタニスワフ・レム『完全な真空』(実在しない書籍の書評集)。
なお、サイトに掲載されている見出しと上記見出しは異なりますが、これはデスクでよりよい見出しに変更しているからです(以下も同じです)。

第8回 法律のお医者さん――放置自動車――
非常にやっかいな放置自動車について、法的見地から対応をまとめました。見出しは佐々木倫子『動物のお医者さん』より。コラムで〈ドリトル先生〉を絡めているのは”Dolittle”先生の名の由来”do little”(為すこと少なし)を意識しているため。日々、非力さを痛感しています。

第9回 ダイヤルHを廻せ?!
隣の家の木の枝が自分の敷地まで伸びてきて困っているという隣人関係のトラブルに関し、少し民法のご紹介を。見出しは映画『ダイヤルMを廻せ!』より。ところでダイヤル式電話と言ってまだ通じるのだろうか……。

第10回 星の歌 水の道
他人の土地に囲まれていて公道に接していない土地について、他人の土地を通行する権利や排水設備を設置する権利を取り上げました。見出しは冴木忍『風の歌 星の道』より。新シリーズが出ていたとは……。

第11回 台風の又三郎
隣家の木(越境はしていない)が台風で倒れ、家の一部が損壊してしまったときの法律関係を取り上げました。見出しは宮澤賢治『風の又三郎』より。今年は穏やかな年であってほしいです。

第12回 かけこみ寺大変
弁護士に相談するとき気になる弁護士費用のお話です。ちなみに見出しは赤江瀑『獣林寺妖変』より。やはりマイナー……でしょうか。

以上、過去の連載12カ月を振り返りました。ご興味のある回がございましたら、ご覧くだされば幸いです。(弁護士)

編注:青字部をクリックすると当該コラムに飛べます。

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《吾妻カガミ》72 土浦とつくばの新年パーティー風景

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土浦市㊧、つくば市㊨の賀詞交換会から

【コラム・坂本栄】新年早々、土浦市では7日夜、つくば市では10日昼、それぞれの市内にあるホテルで賀詞交歓会が開かれました。このところ医者に酒を抑えるようアドバイスされていることもあり、今年の新春パーティーでは飲むのを控え、参加者の話に耳を傾けるよう心掛けました。

市長の話よりも衆院議員の話

土浦の賀詞交歓会は、商工会議所、観光協会、商店街連合会の主催(事務局は商工会議所)で、市長は招待されるという形になっています。市は主催側でありませんから、少し遠慮があるのは仕方がないとしても、市長2カ月の安藤真理子さんの挨拶が原稿棒読みだったのが気になります。

その内容も、市の特徴(地理、文化、産業)をおさらいして、最後に「今年は市制施行80周年に当たる。新たな未来に向け邁進(まいしん)したい」と結ぶ、シンプルなもの(3分)でした。皆さん、新市長のメッセージに期待していたのに、です。

控えめな市長に比べると、茨城6区(土浦を含む選挙区)選出の衆院議員2人の挨拶は、メッセージ性に富んでいました。国光文乃さん(自由民主)は、老朽化した霞ケ浦医療センター(土浦市内の旧国立病院)の建て替えに言及、参加者の関心を引きました。青山大人さん(国民民主、比例)の挨拶は、自分は新年宮中参賀をしたが、議員が少ないのには驚いた―と、野党議員にしては保守層を意識した内容でした。

国光さんも青山さんも、解散総選挙が近いと読んでいるようです。私の永田町情報ソースは新年メールで、①通常国会冒頭=1月下旬②予算成立後=3~4月③通常国会期末=6月④都知事選とダブル=7月⑤東京五輪後の秋=11月―と、想定される解散時期を列挙。⑤が有力と知らせてきました。

持続可能なまちづくりの現実

つくばの賀詞交歓会は、市、商工会、学園都市交流協議会、筑波大学、JA谷田部、金融団、工業団地協議会、筑波都市整備が実行委員会に名を連ね、市が事務局を担当しています。こういった運営上の力学も働いたのか、今秋1期目終了の市長、五十嵐立青さんのスピーチ(8分)は力が入っていました。

五十嵐さんはうれしいことが2つあるとして、まず、周辺市街地8地区活性化の取り組みに芽が出てきたと述べました。もうひとつ、「世界経済フォーラム」に、つくば市が「仕事をするのに素敵なまち」として取り上げられたことを紹介しました。

さらに、「持続可能なまちづくり」のために、食べ残し(フードロス)をなくそうと、立食の料理は量を少なくし、美味しいものを並べる(質を重視する)ようホテルに頼んだことを披露。このメッセージが効いたのか、懇談タイムに入ると参加者は料理に殺到。短時間でロスの心配はなくなりました。

話し込んで食事を忘れたのか、旧知の某VIPが「食べるもの、なんにもないー」と、大皿料理の敷物に使う「せんべい」をバリバリ食べているのには、思わず笑いました。どうやら、今秋の市長選についてのヒソヒソ話(候補は?得票は?)に熱中していたようです。(経済ジャーナリスト)

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《沃野一望》12 藤田小四郎の2 大子集結

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藤田小四郎像=筑波山

【ノベル・広田文世】

灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼
我(わが)ひめ歌の限りきかせむ とて

元治元年(1864)、筑波山大御堂(おおみどう)で挙兵した藤田小四郎たち水戸藩改革派激派天狗勢は、日光東照宮を目指し進軍を開始した。この地から攘夷実行の大号令を発する目論みだった。

しかし、東照宮参上はもろくも頓挫(とんざ)する。頼りにしていた宇都宮藩からの支援は得られず、参上を阻止されてしまう。日光奉行のはからいで、幹部数人だけが、ほんの申し訳程度に東照宮へ上がると、本隊はその後、追い返されてしまう。東照宮からの大号令は、幻となってしまった。

已(や)む無く小四郎たちは、下野国(今の栃木県)太平山(おおひらやま)をあらたな拠点として陣をしくが、先々の見込みは立たなかった。むしろ水戸藩攘夷勢力の壊滅を策謀する幕府側が迅速果断(じんそくかだん)な動きで、小四郎たちを封じ込めてゆく。

幕府は水戸藩に対し、攘夷勢力の一掃をもとめ、改革派鎮派の家老武田耕雲斎(たけだ・こううんさい)を罷免(ひめん)させ、また、太平山に立て籠もる小四郎たちへ解散するよう説得する使者をたてよと強要する。

幕府の意向を受け、水戸藩の実権を握った旧門閥派(諸生派とよばれる)の市川三左衛門(いちかわ・さんざえもん)らは、小四郎たち天狗勢の追討をはじめる。追討軍には、幕府が各藩から集めた連合軍までが加わる。藤田小四郎は不本意のまま、反幕府勢力の頭目と位置付けされてしまう立場におかれる。兵法としては、いかにも抜かりの多い筑波山挙兵だった。

旧門閥派諸生派勢と改革派諸派

しかし天狗勢は、水戸藩からの解散要求に応ぜず太平山を下り、本来の本拠である水戸へ再入城しようとする。ここで、城内はおろか市中への進軍さえ拒まれ、已む無く水戸の北方、那珂川の北岸に陣をしくこととなった。

そのころ、市川三左衛門たち諸生派から見れば同じ攘夷派とひとくくりにされた武田耕雲斎たち攘夷鎮派も、水戸城下を追われ那珂川北岸へ逃げのびた。図らずも北岸に、攘夷勢が揃ってしまう。

川を挟んで旧門閥派諸生派勢と改革派諸派は、激戦をかさね一進一退を繰り返すが、幕府軍の後ろ盾を得ている諸生派は、次第に攻勢を強め、数度にわたり渡河の総攻撃を敢行、ついに改革派諸派を那珂川北岸から追い落とす。

改革派諸派は、それぞれ別々に、水戸とは反対方向になる北方へ敗走した。バラバラに常陸国北部の山間地帯を進み、各地で幕府軍と激戦を展開する。ついに、月居(つきおり)峠、洞坂(どうさか)峠での銃撃戦網を突破し、大子(だいご)町内へ落ちのびた。

大子の商家に落ち着いた鎮派、激派の幹部たちは一堂に会し軍議をひらき、以後の統一行動を約す。ここにはじめて名実ともに、自らを「天狗党」と名乗り攘夷を目指す武装集団が結成される。

天狗党は軍議をかさね、西上を決意する。頼りは、禁裏御守衛総督(きんりごしゅえいそうとく)として京に在住する一橋慶喜。(作家)

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《続・気軽にSOS》53 草を食べるほどの生活困窮 その2

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【コラム・浅井和幸】何とか差し入れたお菓子とパンでAさんは食いつなぎ、月曜日になりました。収入が減ることにもなりますが、ひと月、半月先の心配をしている余裕はありません。今、手持ちのお金も食料も、底をついています。その日は仕事を何とか休み、熱心な社会福祉協議会の職員と市役所に生活保護の申請に出かけられました。

その日のうちに、Aさんから電話が私のところに入りました。着信を見た段階で私は一安心したことを覚えています。凍え死ぬこともなく、自ら命を絶つこともなかったのだなと。月曜なので市役所も動いているし、何とか命がつながったと思ったからです。ですが、それは早合点でした。

「お金を貸してくれる人はいません。どうやって住み込みの面接のところまで行けばいいのか。やっぱり死ぬしかないと思います」。泣きながらまくし立てるように、Aさんは話してきました。

一瞬、何を言っているのか、私は把握できませんでした。「いったい何があったのですか?市役所には行けなかったのですか?」。福祉課で相談は出来たけれど、困っていることへのアドバイスは下記のようなものだったそうです。

「行政の手続きが半月ぐらいかかる。Aさんは、今働いている分の給料が出るのと同じぐらいの時にしか支援が出来ない。なので、どこか住み込みの仕事を探して、そこに移り住みましょう。面接時の移動や移り住むための費用は、借りられる人を探してみたらいかがでしょうか」

ダメ押しとして、市の支援を受けていれば食糧支援を受けられるかもしれないと社会福祉協議会の職員から聞いたとのこと。つまり、食糧支援も受けられないということです。住み込みの仕事も、市役所や社会福祉協議会では斡旋(あっせん)してくれませんから、自分で探さなければいけないのです。

絶望させるやり取りが福祉相談か

ここまで聞いて、やっと、「現状は変わらないし、死ななければいけない」というAさんの覚悟の意味を理解しました。というよりも、私自身が怒りを抑えるのに必死でした。絶望させるやり取りが福祉(幸福)相談なのかと。なぜ、悪循環をつくるようなことをするのかと。

1人暮らしの女性が、何度も役所や福祉法人に相談に行くことの重さ、味方が誰もいない孤独と不安は、想像を超えるものです。私は、真面目に動いてきたので何とかなるからと、Aさんに伝えました。

それから、知人やネットで食べられるものを募り、居住支援法人の倉庫にあった炊飯器と電気ポットを車に積みました。フードバンクと確認書を交わし、議員、民生委員、ボランティアらと連携をとって対応することにしました。

その後もAさんは、電気の線を切られたり、ドアを強く叩かれたり、怒鳴られたりという嫌がらせにおびえ、耐えつつ、今までとは別の人生を生きるために頑張っています。

2回にわたってお伝えしたAさんのケース。本人には断って掲載していますが、複数部分で脚色をしています。(精神保健福祉士)

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《くずかごの唄》53 老人性うつ病にさせない試み 奥井サロン

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【コラム・奧井登美子】亭主を老人性うつ病にさせないため、①本とのつきあい②好きな友達とのつきあい③好きな食べ物の提供―。とりあえず、この3つの試みだけを断固実行してみることにした。

彼の1月の楽しみは「奥井サロン」である。年に数回、山岳会の山男たちが我家に来て、しゃべったり飲んだり食べたりしてくれる。90才を過ぎた亭主は山岳会でも最高齢だが、もうほとんど山登りは出来ない。

それなのに皆と一緒に行きたいので、いつも小屋番で、時に手を引いてもらって、歩いたり、皆さんに迷惑をかけている。

そのお礼もかねて、サロンのときは、いつも、私の手料理を5品目作ることに決めてある。1月のメニューは、①肉じゃが②ローストビーフ③鶏のから揚げ④キウイとリンゴとレンコンのサラダ⑤キノコ飯―。

山男たちの新年会 ビールは少なめに

「サロンの人数は何人なの?」

「さあ、わからないなあ、13人くらいだろう」

13人の山男が来れば、大鍋一杯の肉ジャガでも足りないかも知れない。問題は飲み物である。ワインは好みがいろいろでうるさいし、焼酎は何で割るか多様なので、やめてもらった。そこで、ノンアルコール、ウーロン茶、日本酒、ビールのみ。

「日本酒は2升あれば足りると思うけれど、この前もビールがたりなかった。今度はビールを倍くらいにしてくれよ」

「ハイ、ハイ」

私は空返事で、ビールは増やさなかった。13人の男どもがビールをしこたま飲んだあとの、トイレのお掃除のことを考えると、増やす気になれなかったのである。亭主の楽しみを続けるには、私自身の健康が大事だと痛感した。(随筆家、薬剤師)

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《ご飯は世界を救う》19 大衆演劇もある「スパ湯~ワールド」

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温泉入浴施設「スパ湯~ワールド」の盛り合わせ定食

【コラム・川浪せつ子】「つくばYOUワールド」(つくば市下原)に併設した「スパ湯~ワールド」。久々に行きました。数年前の冬、いろいろシンドイことが重なり、体が冷えひえ。そんなとき、ちょっと勇気を出して行ってみて、はまりました。

お風呂もいいのですが、タダで見ることのできる大衆演劇。歌舞伎は見たことはありますが、舞台は遠いし、お高い。こちらで見るものは、目の前で、それも役者さんに触れるくらいの距離で、観劇できるのです。仕事、育児、家事に追われていた私には、新鮮でした。

館内には、お食事処、仮眠室もあります。ランチして、お風呂に入って、少し仮眠して。観劇は2時間ぐらい。歌舞伎と同じで、男性が女性にふんし、江戸時代の人情劇。そのあとは、歌謡ショー。これまた、華やか、あでやか。日常の雑多なことを、忘れさせてくれる時間でした。

お風呂で暖まりお昼寝ちょっと

冬から春になり、私の体調も戻ってきて、その後ご無沙汰でした。昨年の秋、朝晩寒くなってきて、どうも右肩が痛い。私はかつて2回、五十肩をやっていますので、「これは危ない」と思い、体を温めてみようと、久々の訪問したのでした。2週間で2回通ったら、すっかり良くなりました。

そのとき驚いたことは、お座敷だった食堂が、すべてイスに。そして、よく注文した「レディースセット」はなくなっていました。大衆演劇会場の大きなお座敷も、半分イス席に。数年でなんでも進化するのですね。今回は観劇せず、お風呂で温まりお昼寝ちょっと。

かつて、私が「スパ湯~ワールド」にはまっていたとき、友人が「私も連れて行って」。でも、それはお流れ。1人で行って、1人でご飯食べて、お昼寝して。まったくの1人が、頭の中スッキリのぜいたく時間なのです。非日常。そして、シャバ(?)に戻る。また明日から頑張る。小さなごほうびです。(イラストレーター)

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《続・平熱日記》53 何もない年 何か始められる年

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【コラム・斉藤裕之】新聞の記事をスクラップすることがある。透明のファイルの中に昨年の東京モーターショーの記事が斜めに入っていて、ある単車が再度脚光を浴びて展示されたという見出しが見える。この単車はだいぶ前に生産中止となった通称ハンターカブと呼ばれるもので、何を隠そう、私が十数年前に街道筋のバイク屋で見つけ、カミさんにあきれられながらも買った単車と同じものなのである。

寒い時期は乗らないので、春になると大汗をかいてエンジンをかける。昨年も家の前で悪戦苦闘していたら、通りがかった男性にかけられた一言。「カッコいいっすね!」。排気量110㏄、最高時速80キロそこそこという非力な単車に、いまさらながら妙に親近感を覚える(カッコいいという部分に非ず)のであるが、この思いがけない記事にわが人生を重ね、少なからず励まされたのを覚えている。そこで、今も記憶に残る単車にまつわる思い出を二つ。

単車にまつわる二つの思い出話

浪人も様になったころの話。昼間は新宿のコーヒー屋さんでバイトしながら、夜、予備校で絵を描く日々。そこにコーヒーを飲みにいらっしゃるおじいさん。言っちゃあなんだが、白いひげの伸びたコギタナイじいさん。このじいさん、原付きバイクの後ろにリヤカーをけん引して古新聞や段ボールを集める、いわゆるバタヤ。

職業に貴賎なしとはいえ大変な仕事。実は私の親父に顔がよく似ていて、同じコーヒー屋でバイトをしていた弟とは密かに「新宿のおとうちゃん」と呼んでいた。しかし後に聞いた話で、このじいさんはこの原付きバイクとリヤカーで息子を一流大学までやり、今は稼いだ金をどこかに寄付しているとのこと。

もう一つは、オンボロ単車で郷里山口まで帰省した時の話。帰りは博多からフェリー。二等客室の数名しかいない客の中に足のないおじいさんが。聞けば、このおじいさんは原付きバイク?で日本中を旅しているのだとか。見渡す限り海しか見えない船のだだっ広い客室で35時間。

おじいさんと何を話したかはもちろん覚えていない。そしていよいよ着岸。すると例のおじいさん、手動で制御できるように改造された三輪の単車を操り、東京の雑踏にひょうひょうと消えていった。

オレンジ色のヘルメットで出発進行!

あれから数十年、正月に帰ってきた次女と立ち寄った大型リサイクルショップで見つけたオレンジ色のヘルメット。好みでもないが、何となくそのままレジへ。今年初めての買い物となったが、かみさんと次女は意外なほど無反応。これはまさに新たなエピソードの始まりか?ちなみに今年から「ですます調改め常体」にて寄稿(関係ねえか?)。

さて今年はといえば、世の中は好むと好まざるとにかかわらず、オリンピック一色のはず。一方、わが家は近年毎年のようにあれやこれやのイベント続きだったのだが、今年は今のところこれといった予定なし。なにもない年。だからなにかを始められる年。いざ、オレンジ色のヘルメットで出発進行!(画家)

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《邑から日本を見る》55 のんきな日本 これでいいのか

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飯野農夫也氏の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】年末から正月にかけて、この国に衝撃的なニュースが2つ飛び込んできた。前日産自動車会長のカルロス・ゴーン氏がレバノンに逃亡したこと、アメリカがイラクでイランのスレイマニ司令官を殺害したこと。

C・ゴーンが国外に逃亡

しかし日本政府の反応を見ると、安倍首相はゴルフ三昧、菅官房長官の記者会見もなし。ゴーン被告の逃亡は国家主権を侵害されたことであり、中東の情勢は第3次世界大戦になるかもしれないという危機なのに。

日本時間8日夜のゴーン被告のレバノンでの記者会見は、予告されたほどの内容ではなかった。日本国内で「冷酷で強欲な独裁者」と言われたゴーン被告は、日本司法の非人道性、非民主的な「人質司法」を海外のメディアにアピールし、「裁判で争えば、時間が経過するばかりで、自由に行動できる保証はないため、逃亡する以外の選択肢はなかった」と逃走の正当性を訴えた。

ミステリーもどきの逃走劇は、彼が自宅から関西国際空港を脱出するまで、リアルタイムで報道されている。日本の警察や検察はそれを知っていて、法相や検察の弁明記者会見とは裏腹に、内心は邪魔者がいなくなったと喜んでいる、という報道もある。

私は、この問題は日産内部の問題であり、ゴーンの追い出しはやはりクーデターだったと考えている。捕まえて裁判にかければ、有罪でも無罪でもゴーンの影響力は日産という会社に及ばなくなる。

問題なのは、日本の司法への挑発、法治に背いたという批判よりも、ザルのような監視体制。カネがあればやすやすと海外に逃亡できることにある。日本の国家主権を侵されたのだ。その重大性を、首相、検察、裁判所だけでなく、多くのメディアまで認識していないことこそが問題なのだ。ゴルフをやっている、記者会見も開かない、関係者が一様に口をつぐんでいるという姿勢を批判しなければなるまい。

トランプが非理性的な決断

イラン、中東情勢が今後どう展開するか、今の時点では見通せない。

元々、米国とイランの緊張を高めたのは、国際的な核合意から一方的に離脱したトランプ大統領だ。原油の禁輸などの制裁を復活させ、軍事的な圧力も強めてきた。今回の殺害も、トランプ大統領が理性的な判断を下したのではなく、とっさに決めたという。米国内では、その手続きに異論が噴出している、と伝えられている。このことでわかるのは、トランプ政権はもはや国家としての体をなしていない、ということだ。

今回の事件はイラン国内ではなく、隣国のイラクで起きている。イラクの主権を侵している。無法者としか言いようがない。

しかし、安倍首相は殺害に言及せず、「中東情勢全般に深く憂慮する」と述べるだけ。菅官房長官も「日本は当事者ではなく、コメントは差し控える」と評価を避けた。それでいて、2月からの海上自衛隊の中東派遣は予定通り進めるという。

法律も国際的な協定も守らないトランプ大統領に何も言わないのに、韓国には厳しいことを平然と言い放つ。おかしいではないか。(元瓜連町長)

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《地域包括ケア》51 高齢者の居場所づくりと介護予防

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【コラム・室生勝】前回に続いて、「高齢者の居場所づくり」と「介護予防」を取り上げる。高齢者が歩いて通える居場所で、ボランティアや住民団体が体操を主とするメニューを1回2時間以上、月2回以上実施するサロンを支援する事業を、厚労省は2016年度から補助金を付けて市町村に奨めていた。「地域介護予防活動支援事業」である。しかし、つくば市は第7期高齢福祉計画(2018~20年)の78ページ(1)で説明はしているが、実施していない。

つくば市は現在、16年度から始めた「生活支援体制整備事業」の各地区(日常生活圏域)の協議会で行っている。参加した市民たちは、ワークショップで「居場所」「見守り」について討議し、共通認識を深めている。

25年には団塊の世代が後期高齢者となり、医療、介護、福祉サービスへの需要が高まる。ヘルパーはじめ介護医療職が不足する状況に備え、介護保険で提供できない生活支援サービスや高齢者の介護予防などに地域住民の参加が期待されている。

タイトル絵「生活支援・介護予防サービスの提供イメージ」の「自治会単位の圏域」に、「交流サロン」「コミュニティ・カフェ」「家事援助」「配食+見守り」などのサービスがある。その下にそれらサービスを提供する「事業主体」に「民間企業」~「ボランティア」が示されている。ボランティアには区会・自治会が中心で組織された住民のグループも含まれる。

「居場所」は高齢者だけが介護予防に利用するものではなく、多世代が多目的に活用する場である。区会・自治会の会議室・情報交換室、子どもたちの放課後の居場所、青壮年世代の趣味や学習の場、三世代交流の場などである。運営は、区会・自治会が中心になって、子ども会、通学路見守りボランティア、各青壮年グループなどの意見を聴いて行われる。

介護予防は60歳前後の退職者から

つくば市が体操を主とした介護予防サロンを広めるには、社協のふれあいサロンの協力が欲しい。月1回を2回に増やし、体操を実践していないサロンには保健師や非常勤の運動指導士、ボランティアのシルバーリハビリ体操士などから指導を受ける。

健康増進課の指導で、週1回開いている11カ所の高齢者の自主運動教室は介護予防サロンそのものである。いきいきプラザの運動教室も発展解体し、介護予防サロンを牽引する体操指導者を育成する場にすべきである。市は今までの一般介護予防事業の見直しが必要である。

市町村の介護予防施策は、60歳前後の退職者から始めるべきである。現役中は多忙を理由に健康診査を受けていなかった人たちに、退職後に迎える高齢期に備えて自己健康管理のノウハウを伝受する方法である。動脈硬化促進因子である高血圧、高コレステロール血症、喫煙、高血糖、肥満、高尿酸血症などの改善法である。

自己健康管理法は自分の持病の管理だけでなく、前期高齢者から後期高齢者へ、さらに超高齢者(2)に至っても、居場所の健康講座で継続的に学び、体操やウオーキングを続けておれば、健康寿命は伸びるだろう。老衰期になってやっと要介護となり、認知症が出現して天寿を全うできるのも決して夢ではない。(高齢者サロン主宰)

1 地域介護予防活動支援事業 高齢者が自分の家から通える場所で介護予防の体操等が行えるように、地域の担い手となる介護予防に関するボランティア等の人材養成、介護予防活動を行っていくための支援事業

2 日本老年医学会の高齢者に関する定義(2017年1月) 65~74 歳=准高齢者、75~89 歳=高齢者、90 歳~=超高齢者 

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