【コラム・小野村哲】教科書を開くと「うーん、うーん」と首をかしげてなかなか学習に取り組もうとしなかった子が、ある日、「(教科書を)色紙にコピーしてくれたら、勉強してもいいよ」と、言ってきた。「どうして色紙なの?」とたずねると、「だって、教科書はチカチカして見にくいんだよ」と言う。首をかしげていたのもまぶしさを避けるためだったそうだが、当時の私はその子が感じていたしんどさに寄り添うことができずにいた。

一言で「やる気がない」「根気がない」といっても、そこに思わぬ理由がひそんでいることもある。例えば、光過敏。まぶしくてすぐに目が疲れてしまう。だから根気が続かない。軽度であるからこそ、本人も周囲の大人たちも気がつかないでいるうちにストレスをため込んでいることもある。

一方で、減少傾向にあった小中学生の不登校者数は、2013年度以降増加に転じ、昨年度はついに16万人を突破した。茨城県では2700人ほどまでに減っていたものが、2018年度には3907人に達している。そのうち小学生だけを見れば、2011年の448名に対して2018年は1204人、児童数の減少を考慮すれば7年間で約3倍に増えている。不登校のような問題は統計だけで論じるべきではない。たとえ1人でもそれを見過ごすことはできないが、それにしてもこの数字は異常としか言いようがない。

私たちはこの数字をどうとらえたらよいのだろう。学校訪問をしていると、先生たちも頑張っていることがよくわかる。安易に教師を責めたところで、何の解決にもならないことは明らかだ。

傍らに寄り添い「よりよく見る」

早急に取り組むべきは、教師も含めた私たち大人が子どもたちに寄り添えるようにすることだろう。特に教師には、傍らに寄り添い「よりよく見る」ことが求められてしかるべきだ。しかし、教師にもゆとりがなければ、よりよく見ようとする姿勢は生まれない。見る力を養うには、研修機会を保障する必要もある。それには、教職員の労働環境の改善を急ぐ必要がある。変形労働時間制の導入などもっての外だ。

児童・生徒1人に1台のコンピューターを整備するのはいい。しかしそれは本当に子どもたちのことを考えてのことなのか? そこに「ついてこられないものは切り捨てても、必要とされる『人材』育成を優先させよう」という、大人の思惑を感じているのは私だけだろうか? 大切にされていない人に、他人を大切にしろというのは無理な話だ。

しかし文科省に、それを期待するのは無理なのかもしれない。野党に責められる官僚たちの姿を見ていると、彼らもまた大切にされているとは言い難い。では一体誰が、このような悪循環を生み出しているのだろう? (つくば市教育委員)

追記:さらに不登校の理由について、文科省が学校を通して行った調査では「教員との関係」をあげた小中学生が3.5%でしかないのに対して、長野県が行った調査では27.4%、同様に文科省の調査では「いじめ」が0・4%に対し、NHKが行った調査では21%という報告もある。

➡小野村哲さんの過去のコラムはこちら