日曜日, 4月 20, 2025
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《茨城の創生を考える》4 茨城を元気にする3つの政策

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ダイアモンド筑波

【中尾隆友】今回のコラムでは、茨城県が元気になるために3つの政策を提案したい。

まず1つめの政策は、大企業の本社機能の一部を誘致するということだ。第2回と第3回のコラムで述べているように、大企業の本社機能の誘致はそれがたとえ一部であっても、若者の東京圏への流出を減らすと同時に、良質な雇用の確保や少子化対策という面で大いに効果を発揮する可能性を秘めている。

さらには、大企業の経営者に魅力的な誘致案を提案できれば、茨城県は東京圏への近さという地の利を生かして、意外に多くの大企業を招き入れることができるのではないかと考えている。大志を持った大手IT企業の経営者を中心に、東京から地方へ本社機能を移したいと思っている人は着実に増えてきているからだ。

実際に、先週、ある大手IT企業の会長と話す機会があった。その会長が「僕は利益を増やすだけでなく、社員が幸せになる会社をつくりたい」と目標を述べたのに対して、私は「本社を都心から郊外へ移転すれば、経営コストは圧倒的に安くなるし、従業員の仕事や生活における満足度も格段に上がると思う」と申し上げた。

するとその会長は「おっしゃるとおりだ。紀尾井町に6000人の従業員を抱えるのは、ものすごいコストがかかる。全部を郊外へ持っていくのは無理だとしても、郊外への分散はしていきたいと思っている」と答えてくれたのだ。本社機能の移転需要は、確実に存在するというわけだ。

茨城空港を第2成田に

2つめは、茨城空港に第2成田空港としての機能を持たせるということだ。成田空港の現状は、時間帯によっては欧州便とアジア便の離発着が過密でパンク寸前だ。そこで茨城空港に、北海道・東北・北関東方面への旅行を計画する海外観光客を成田から分散させる役割を担わせるのだ。

現在、東関東自動車道と北関東自動車道を結ぶ工事が進んでいるが、茨城空港前にもICができる予定だ。アクセス上の利便性はこれまでよりも高まり、成田空港を補完する環境が整うというわけだ。その結果、海外観光客が茨城で消費をする必然性が増し、空港の周辺に小売店やホテルなどのサービス産業が集積し、ひとつの街が誕生することも期待できるだろう。

3つめは、つくば市を上手く使うということだ。一昨年のG7では科学技術大臣会合が、来年のG20では貿易・デジタル経済大臣会合が開かれるように、つくば市は科学技術では全国1あるいはアジア1のポテンシャルを持っている。

茨城県は5年連続で魅力度ランキングが最下位だったと発表したブランド総合研究所の田中代表も、「つくば市は全国の市町村のなかで科学技術のブランドでは日本一である。その強いブランドがあるのだから、茨城県のブランドを上げるためにはそれを活用しない手はない」と指摘している。私もつくば市と他の市町村が上手く連携できるようになれば、県全体のイメージは大いに上がるだろうと考えている。

以上の3つの政策は、お互いに好循環をもたらす可能性が高いので、ぜひ実践してもらいたいところだ。(経営アドバイザー)

《続・平熱日記》16  映画の中の絵画 官邸の立派な絵

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【コラム・斉藤裕之】かれこれ30年、映画館に行ったことがありません。映画は好きなのですが、多分貧乏がきっかけで行かなくなったのだと思います。では、映画を見ていないかというと、レンタルや有線テレビで結構見ている方だと思います。暇のある貧乏なので。

ところで、アメリカの映画やドラマを見ていると、背景に絵画が映っていることがよくあります。オフィスや銀行の壁。なぜか20世紀の抽象絵画が多いように感じます。有名な絵画やそうでないもの。「キックアス」のアンディ・ウォーホルの様に象徴的に使われている場合もありますが。

背景として使いやすいのか、実際にアメリカではそうなのかわかりませんが、絵画の中心がヨーロッパからアメリカに移った時代の、当時の国力を示す様な作品が多いのは、なんらかのプロパガンダなのかも知れないと感じています。

先日、千葉県佐倉市にある川村記念美術館をかみさんと訪ねる機会がありました。映画館と同じくらい行かない美術館。実は20年以上前、大学の助手をしていたころ、学生たちとバスで訪れたことがあります。緑豊かな広い敷地に佇む美術館。ここに展示してあるのは主に20世紀の現代絵画。

そうなんです。映画の背景によく出てくる絵画たち。学生時代に洗礼を受けたコンセプチャルやミニマルと呼ばれるアートです。久しぶりに、広く無機質な展示空間でマークロスコやフランクステラたちに再会し、感慨深く当時のことを思い出しました。

しかし、各部屋の隅に無言で座ってらっしゃる職員の女性の姿が、一番現代美術を象徴していました。「ご苦労様。こんなところで何時間も大変ですね」。この仕事はそろそろAIに任せていいんじゃないでしょうかね。よかったのはレンブラントの自画像。ほっとしました。

ついでといってはなんですが、たまたま有線放送で見た「美しき諍い女」というフランス映画。老画家が若い女性をモデルに絵を描くという内容ですが、好き嫌いはさておき、その画家が繰り返すデッサンのプロセスが素人のそれではない、つまり木炭の線や一筆が例えば私がデッサンする時のイメージ通りに進んでいくのです。

これは!と思い調べてみたら、この役をベルナーン・デュフールという本物の画家が演じていたことがわかり納得しました。当時担当していた社会人対象の人物デッサンの講座で、この映画のことを生徒さんに勧めたのですが、残念ながら題名を覚えていませんでしたので、伝わったかどうか。

実は日本でも、ソーリの会見などの背景には立派な絵が架かっています。国が文化芸術を支えることは大切なことですが、芸術は公にこびるものではありません。先日カンヌでパルムドールに輝いた監督が文科大臣のお誘いを断りました。賛成です。少なからず表現の根源は負の体験、感覚から生まれます。なにせ「万引家族」ですから。大臣お判りでしょうかね。(画家)

《邑から日本を見る》18 常陸太田の市民劇団が幕

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【コラム・先﨑千尋】21年続いた常陸太田市の市民劇団「劇工房橋の会」が、惜しまれながら今月15~17日の4回の公演で幕を下ろした。最後の公演は、原爆被害の後遺症をテーマにした「泰山木の木の下で」(小山祐士作)。同市中城町の市生涯学習センターで開かれた。

「橋の会」は、東京芸術座などの女優として長年活躍してきた木村夫伎子さん(84)を中心に、地元の主婦や商店主たちによって1997年に結成され、東日本大震災の年を除いて毎年公演を続けてきた。木村さんは60歳の時に父の介護のために同市へ帰郷した。

劇団の「橋の会」という名前は、社会性のあるテーマの演劇を通して心を揺さぶるメッセージを市民に届け、人のために、社会のために生きてほしいという願いと、人と人の架け橋になれればという想いで付けられた。

木村さんは「公演を始めた頃は、見に来てくれる人がどれだけいるか不安だったが、客席はいつも満席に近い状態。お客の温かい声援に押されて20年を超えてしまった。ありがたいこと」と感謝の言葉を述べている。そして「自分では物忘れをしたり、転んでけがをしたりし、年を感じるようになってきた。また出演者も40歳代の人が60歳代になり、親の介護などで稽古に出られなくなった人も出てきた」と解散を決めた。今回の出演者は男女14人。市内に住む主婦や商店主、市役所職員などで、顔見知りも多い。木村さんが演出と主役を務めた。

これまでの公演では、戦争や冤罪(えんざい)、裁判員裁判制度、水俣病、沖縄など多くのテーマを扱い、「荷車の歌」「からゆきさん」「土」などの名作も。その中でも原爆をテーマにした作品が6回と最も多く、初演は「この子たちの夏」で、チェルノブイリを扱った作品もあった。社会性のあるテーマの舞台を演じる劇団として注目され、ニューヨーク・タイムズなど海外のメディアに取り上げられたこともあったという。

今回の劇の主人公は、瀬戸内海の小島の大きな泰山木のある家に1人で住む神戸(かんべ)ハナ。ハナ婆さんの家族は戦争と原爆でみな死んでしまい、自らも被ばくしている。戦後ハナは、被ばく者の後遺症を恐れて子供を産むことをためらう娘たちのために、違法と知りつつ人助けと考え堕胎を行っていたが、ある日逮捕されてしまう。

瀬戸内海の美しい叙情と、時代の波にもまれながらも必死に生きる人々の生活と生きざまを通じ、やわらかな美しい味わいを保ちながら、戦争、原爆、公害がいかに人の心に大きな、また長い傷を負わせたのかを、静かに、しかし説得力を持って語りかけてくる。作品を書いた小山は、執筆時に「人間を書きたい、奥の奥まで。そして人間の意味を考えたい。それでこそ心の価値がわかる。生命や平和、原爆や戦争の本質がわかる」と語っていた。この作品は、脚本の完成前から劇団民藝が着眼。63年に宇野重吉演出、北林谷栄主演で初演された。

舞台に戻る。ハナは裁判で実刑判決を受ける。その後、病に伏し、ハナを逮捕した刑事らに病室で見守られながら息を引き取る。この場面を見て、木村さんは最後にこの役をやりたかったのだと考えた。

私は「始めたことには必ず終わりが来る」と考えてきた。潮時という言葉があるが、木村さんは今回の公演を最後にしたいと考え、稽古に励んできたのだと悟った。木村さんに長いことご苦労様、そして楽しませていただき、ありがとう、と申し上げる。(元瓜連町長)

《食う寝る宇宙》16 宇宙から見た日食 見方を教えます

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【コラム・玉置晋】我が家で掃除をしていたら、日食眼鏡が出てきました。2012年に日本で金環日食が見られたとき、ウチの奥さんがコンビニから300円ぐらいで買ってきたものです。出勤前に近所の皆さんと一緒に太陽を眺めたことを思い出しました。

日食とは、お天道様、すなわち太陽の前を他の天体(惑星だったりお月様だったり)が通り過ぎて影をつくる現象です。どういう偶然か、地上から見たお月様の大きさと太陽の大きさは大体一緒。親指の幅1個分と学校で習いました。だから、太陽がほぼ隠れちゃうので「月による日食」の時は昼間なのに暗くなります。

もちろん、本当は太陽の方が圧倒的に大きい。太陽の直径140万kmに対してお月さまの直径は約3500kmで、太陽が400倍大きい! だけど、地球から月までの距離は38万kmに対して、太陽までの距離は1億5千万kmですから、太陽は約400倍遠い!

太陽は月に対して400倍大きいけど、距離が1/400ということで、見た目の大きさは大体同じということ。でも、その時々でほんのちょっぴり、その関係性が違う。2012年5月の金環日食のときは、太陽が月よりちょっぴり大きかったので、金の環ができました。

さて、この月による日食ですが、宇宙から見たらどんな風に見えるでしょう。ナント、今時は見られるんです。気象庁さんのホームページ(※)に気象衛星「ひまわり」から見た日食の影が紹介されています。ぜひ御覧になってみてください。日本列島サイズの丸い影が動いて行くのがわかります。

この影の下で、何百万人のニンゲンが日食眼鏡をかけ、空を見上げて「お~」と歓声を上げていると想像すると、ちょっと面白いです。

今年から来年にかけて、月による日食の発生日は①2018年7月13日(部分日食)②8月11日(部分日食)③2019年1月6日(部分日食)④2019年7月3日(皆既日食)⑤2019年12月26日(金環日食)です。

このうち日本で見られのは③です。月による日食は、地球のどこかでは年に2~3回遭遇します。日本でとなると、レアなイベントとなってしまいます。次に日本で金環日食がみられるのは2030年、皆既日食は2035年です。

人工衛星の運用においては、月による日食がある時はちょっと手間がかかります。人工衛星は太陽電池で発電していますので、月による日食の影の部分を通り過ぎる際に、得られる電力量が減ります。影の移動と人工衛星の移動がいかに交差するか? 太陽がどれだけ隠れて、得られる電力量はどれくらいか?

このコラムが掲載されるころ、僕は①②に向けて泣きながら計算していることでしょう。(宇宙天気防災研究者)

※ http://www.jma-net.go.jp/sat/data/web/suneclipse_observation.html

《地域包括ケア》14 ひとり暮らし高齢者への対応が急務

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出典・厚労省

【コラム・室生勝】2017年版の高齢社会白書によると、まだ前期高齢者が後期高齢者よりもやや多いが、2020年以降は前期者より後期者が増加し、2035年に後期者がピークになるという。また、後期者は最期を迎えたい場所として自宅を望む者が56%、病院や福祉施設を希望する者が30%という。

これからは、社会保障費の抑制政策から、病院や福祉施設の増設は期待できない。しかし、自宅以外の「終(つい)の住みか」を望む者が増えるのは必至である。

後期高齢者が増加すると、必然的にひとり暮らしが増える。ひとり暮らしには昼間独居もあることを忘れてはならない。単身の息子や娘との世帯では、彼らが仕事に出かけている間、高齢者は午前8時ごろから夕方6時ごろまで1人きりになるからだ。

厚労省の「年代別人口に占める要支援・要介護認定者の割合」(2017年6月)を見ると、要介護者の発生率は、40~64歳で0.4%、65~69歳で2.9%だが、80~84歳では28.2%、85歳以上では60.0%となっている。

75歳を過ぎると、健康や事故のリスクが大きくなる。その主な原因は、脳卒中、認知症の発症、持病の悪化、転倒による骨折などである。急な体調変化や事故に早く気付き、すぐ手当すれば、入院期間は短く、医療費も高額とならず、退院後の介護費用も増えない。

ところが、ひとり暮らしや夫婦世帯の上記のような健康や事故のリスクを想定した支援体制は不十分である。

在宅医療介護の多職種が連携した個々のケアチームを、できるだけ圏域内でケアマネジャーが中心になって編成する。ケアチームには当然、かかりつけ医も加わることになるが、かかりつけ医が近くの診療所医師でなく、往診しない病院の臓器別専門医であることがある。主治医を近くの診療所医師と病院専門医の2人制にしてもいいのではないか。

住民への在宅医療・在宅ケアの啓蒙講座を、各圏域で診療所医師と地域包括支援センターで実施することが急務である。つくば市では、2013年度から社会福祉協議会が「地域見守りネットワーク事業」を全域で実施している。

同市の見守り希望登録者は2018年2月現在387名。内訳は、ひとり暮らし高齢者235名(60%)、昼間独居高齢者73名(19%)、高齢者世帯66名(18%)、その他13名(3%)である。地域から選ばれた「ふれあい相談員」が中心となって、近隣住民と「見守りチーム」を編成し、定期的な訪問や安否確認を行っている。

かかりつけ医が加わったケアチームに訪問看護師が参加、さらに「見守りチーム」と協働して、ひとり暮らし高齢者と高齢者夫婦世帯に安心安全な生活を提供してほしい。(高齢者サロン主宰)

《宍塚の里》17 専門家に教わり 自然農田んぼ塾

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古代米「神丹穂」

【コラム・及川ひろみ】今回もザクザク米を収穫する工夫についてです。私たちの「自然農田んぼ塾」では、まず田植え時に、苗を1本ずつ植えるか3本まとめて植えるか、稲の生育状況や収穫量を比較検討しました。その結果、1本植えは、収量が3本植えよりわずかに少ないものの、株によく日が当たるために分結数が多いことから、丈夫そうな株を選んで1本植えすることに決めました。3本植えは3倍の種もみが必要で、苗代の面積も3倍必要です。

田んぼ塾では、稲の品種・栽培方法ごとの分結数・収穫量について、経過や結果を数値化して検証しています。一昨年から、SRI(System of Rice Intensification)農法を田んぼの一部に取り入れたところ、収穫量が上がりました。SRI農法は7~10㎝の小さな苗の時期に田植えを行い、溝の水を定期的に減らしたり満水にしたりする栽培方法です。

世界の食糧事情悪化が予想される中、この農法はマダガスカルで開発され、アジア、アフリカ、中南米を中心に、50以上の国で導入されています。田んぼ塾では非SRIとSRIを比較しながら違いを確認していますが、SRIの分結数は非SRIの約2倍になります。また、分結しても結実しない「無効分結」が少ないことから、多収になると考えられ、1反当たり9俵収穫できたこともありました。

SRIは、雨量が少ない地域でも多収が望める農法と注目されています。田んぼ塾では、科学的な検証のために測定用機器を設置、東大の研究者が中心になって検証しています。昨年から、SRI農法田の面積を倍に広げました。

最近、安心安全な食べ物の自給自足を目指す人が増えています。野菜づくりはともかく、米づくりには灌漑が必要ですから、個人が米づくりを目指し、実現するのは難しいものがあります。

谷津田は比較的水が得やすい環境でありながら、耕作放棄地が広がっています。米づくりを目指す人にとって、谷津田での耕作方法が確立すれば、自給自足も夢でなくなります。もちろん地権者の了解が不可欠です。話し合いによって耕作の実現を目指してほしいものです。

田んぼ塾では米づくり手引書を作成しました。宍塚で行っているこの試みは、つくば市にある農研機構の上級研究員、嶺田卓也さんの指導を仰いでいます。土浦学園線・宍塚バス停から里山側に入ってすぐの谷津田、約2.5反が自然農法田んぼ塾の舞台です。どうぞ見学にお越しください。(宍塚の自然と歴史の会代表)

《つくば道》8 つくばエクスプレス延伸論に想う

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つくばエクスプレス=研究学園駅

【コラム・塚本一也】つくばエクスプレス(TX)の延伸論がいろいろな場面で語られるようになりました。私はTX延伸を考えるときに、都心への延伸とつくば以北への延伸では視点を分けて考えるようにしています。

都心延伸については、東京駅乗り入れを最優先に考えがちですが、それは相手を知らずに嫁ぎ先を決めるようなものです。重要視すべきは、どの路線と相互乗り入れするかということです。交通政策審議会の答申では、臨海地下鉄線と相互乗り入れして、銀座経由で羽田までという夢のようなプランが検討されているようです。基幹交通の起点・終点は交通ターミナルに接続すべきであり、羽田空港乗り入れは歓迎すべきプランです。

また、TXの東京駅方面延伸を論ずるとき、常磐線との旅客獲得競争が話題になりがちですが、都心へ通う沿線住民の選択肢の幅を広げるという視点が重要だと思います。経営会社が異なるため、それぞれの営業戦略を優先しなければならないという事情はあります。しかし、沿線自治体や出資している行政府が調整役を担い、沿線住民に最大限のメリットをもたらすような路線計画にすることも公共交通の責任です。

それには、北千住駅のハブ機能を活かすことにもっと着目すべきだと思います。北千住駅は東武線、常磐線、TXが同一階のコンコースで乗り換えが可能であり、千代田線も地下鉄として乗り入れているため、近年は都心北部の交通拠点として乗降客が急増しています。その利便性を最大限に活かすことを考慮し、東京各方面へのアクセスを確保することが常磐線、TX沿線の将来に大きな影響を及ぼすと思います。

一方、北部方面延伸については「我田引鉄」の発想ではなく、茨城の将来を思い描き、水戸とつくばのアクセスをいかに改善するかという問題意識を持つことが大事です。さらには、茨城空港を首都圏第3空港として認識し、インバウンド観光需要の首都圏北部の玄関口であり、首都災害の場合のバックアップ機関という地位を確保することが重要と思います。この2つの方程式を解こうとすると、答えはTXの茨城空港延伸に導かれるものと思われます。

私は自分の経験と知識を活かし、様々な場面で「TX延伸」について訴えてまいりました。私事により今回コラムが最後となりますが、これからもどのような立場であろうとも、つくば経済圏、茨城県、日本の将来のために、この国家プロジェクト実現の運動を継続していきたいと思います。短い間でしたが、拙文をご購読いただきありがとうございました。「NEWSつくば」の益々のご発展を御祈願申し上げます。(大曽根タクシー社長)

《くずかごの唄》16 オヤジの遺言 独立自尊を貫け

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【コラム・奥井登美子】私が結婚し、長女を産んだとき。父の加藤清から長女宛てに、お祝いでなく、遺言状なるものが送られてきてびっくりした。

《20年後のY子ちゃんへ

今、あなたは生れたばかり、しかし、20年後のあなたに宛てて私は遺書を書きます。私は慶応義塾に学び、福沢諭吉先生の人間平等と独立自尊は私の守り本尊となった。関東大震災のとき、私は加藤翠松堂製薬の東京支店長だったが無一物となった。この時ほど独立自尊の有り難味を味わったことはない。

Y子ちゃんの時代は日本だけでなく世界を中心とし、宇宙を懐にした独立自尊でなければならぬ。自覚した自我の、時勢に適応した大我でなければならぬ。人間平等は文化が進むほど拡大する。独立自尊は個の確立のみならず、他尊心も培はねばならない。時代と共に動くには「教養」「訓練」「健康」が基礎です。私はあなたに期待している。……》

文章を読んで、もしかしたら、私に対する遺言なのかも知れないと思った。私は高校生のとき、文学部長で、俳優座の戯曲研究会に通って戯曲を勉強し、将来は戯曲作家になりたかった。

父に「女の人の独立自尊を貫くには経済的な独立が大事で、そのためには医療の国家資格をもつべきで、薬科大学を受験して薬剤師になりなさい」と強く主張され、薬科大学に入学したものの、父の発言にチト無理があるのを見逃さなかった。

加藤の家は代々、二条城の御製薬所として江戸時代には栄えていたらしい。しかし、祖父は自由民権運動に参加して家を離れてしまった。

60年安保で樺美智子さんが亡くなったとき、母が泣きながら学生運動で弟が怪我をしたりしないか心配していたのに、父はけろっとして「あの子はジイさんに似たのだから仕方がないよ」と言っていた。

祖父の墓は浅草の寺にあるが戒名がない。浅草のヤクザ達から戒名のない墓は許さないと抗議されたが、父は何とかヤクザ達を納得させてしまったそうだ。弟の加藤尚武が東大に入学したとき、「東大は官僚の巣です。官僚はときには泥棒よりも悪いことをする。あなたは官僚の巣で何を学びたいのですか」と言っていた。

この間起こった「もり、かけ事件」。私は「官僚は泥棒より悪い」と言っていたオヤジの言葉を思い出して、ついつい笑ってしまった。私も父のいう宇宙を懐にした独立自尊に邁進しなければならない時代になってしまった。(随筆家)

《土着通信部》15 蘆荻と真菰の水辺、夏越の祓へ

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夏越の祓で茅の輪潜りが行われる蛟蝄神社・奥の宮の参道(利根町立木)

【コラム・相沢冬樹】「蘆荻(ろてき)と真菰(まこも)の間を、汽船が波をたぷたぷと岸に漲(みなぎ)らせて航行していく」(田山花袋『水郷めぐり』1920年)

調べ物で、田山花袋(かたい)の紀行文を読んでいたら、「蘆荻と真菰」という表現が繰り返されるのが気になった。水辺の風景描写でひんぱんに出てくる。蘆と荻はそれぞれアシとオギということだが、花袋は植物としてこれらを別個に識別できていたのだろうか。

俳句をたしなむものには季語の扱いとからんで使い分けが大事になるだろうが、僕にはアシとヨシの違いもよく分からない。漢字では共に葦・蘆・葭を当て、基本的には同じ植物という。

しかし20年ほど前、滋賀県の琵琶湖流域にある西の湖(近江八幡市)のヨシ原を訪ねたとき、ヨシ刈りの業者から聞いた説明は違っていた。枯れた茎を折って見せ、中が空洞のものをヨシといい、綿状の芯が詰まっているのをアシというのである。中空のものは葦簀(よしず)や簾(すだれ)などに使えるが、中が詰まっているものは雨露で腐食する。商品価値がないために、悪し(アシ)と呼んだ。

今にして思えば、このアシがオギではなかったか。アシは茎から横方向に葉をつけるが、オギは茎を包む鞘(さや)状の基部から上に向け細長い葉を伸ばす。秋になると絹毛のある花穂をつけて、今度はススキ(薄・芒)と間違われる。アシ・ヨシもオギもススキも、イネ科の多年草に分類される。さらに盆舟をつくるマコモも茅葺きに使うチガヤ(白茅)も水際のイネ科植物だ。

茅(かや)はアシ、オギ、ススキの総称でもある。6月の晦日(みそか)に、各地の神社で行われる「夏越の祓(なごしのはらえ)」の神事、茅の輪潜り(ちがやのわくぐり)にも用いられる。茅を注連縄(しめなわ)に編み、6尺4寸、2m弱の輪にして参道に置き、氏子らが左右から八の字を描くようくぐっていく。水神様をお迎えするため、汚れを祓い清めるという行事だ。

今年の6月30日は土曜日だから、道草ついでに利根町の蛟蝄(こうもう)神社に行ってみようと思った。蛟蝄は「みずち」、関東最古の水神様を祀るのが同神社というから夏越には由緒正しい。聞けば、斎行は30日午後3時からということだった。形代(かたしろ)に罪・汚れを移し、大祓詞(おおはらえのことば)を奏上し、厳しい夏を乗り越えるという。

利根町から河内町、稲敷市にかけての水郷―利根川北岸域は名にし負う穀倉地帯、一面に田が広がり、今の季節一斉に草丈を伸ばしている。路傍(ろぼう)はクズの群生と帰化植物が占める景色だが、水辺に出れば道草は漂流へと変わる。花袋流に、まとめて「蘆荻と真菰」と描写してしまえば、無教養をさらさずに済むだろう。鬱蒼(うっそう)の夏がやってくる。(ブロガー)

《吾妻カガミ》34 土浦vsつくば 駅前図書館戦争?

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つくば市立中央図書館

【コラム・坂本栄】前回は土浦市街を貫く高架道のこと、前々回はつくばセンター地区の駐車場のことを取り上げました。両方とも地域活性化のマイナス要因になっていると思ったからです。今回はプラス要因になる駅前図書館をテーマにします。

図書館というと、これまでは地域において地味な存在でした。ところが、この文化教育施設を「売り」にして市街地を活性化しようと、土浦市は昨秋、JR土浦駅前に図書館をオープンさせました。これに刺激されたのか、本ニュースサイトの記事(6月12日)によると、つくば市もTXつくば駅前に位置する旧西武百貨店の2フロアを借りて、そこに図書館を移そうと考えているそうです。

想像するに、県立美術館とセットになった現市立図書館(つくば駅近く)が旧くなったので、駅前の中層建物内に移転、設備機能を一新するとともに、百貨店跡の活用を図るということでしょうか。一石二鳥、グッドアイデアです。多分もう一つ、学園都市つくばが公立図書館で隣接市に劣るのは面白くない、との矜持(きょうじ)もあるとも思います。

土浦とつくばの図書館戦争、大歓迎です。新土浦市立図書館の入沢弘子館長は日ごろ、つくばの学生はもちろん市民もどんどん新図書館を利用して欲しいと言っています。「集客」に熱心な館長ですから、つくば市も負けないように頑張ってください(煽り過ぎか)。

西武百貨店跡 ホテル?

でも、つくば市のプランは案に過ぎません。百貨店とスーパーが入っていた建物と土地がどう処分されるか、決まっていないからです。家主の筑波都市整備は売却する方針ですから、 買い手の民間会社がどう利用するか分からないと、この話は進みません。

買い手が建物を壊し、複合ビルとかホテルを新築することになれば、図書館が入る余地はないでしょう(図書館付き複合ビル・ホテルというのも面白いと思いますが)。壊さず複合ビルにリフォームするとしても、買い手が図書館は不要と思えば、市のプランは終わります。

「複合ビルとかホテル…」と書きましたが、大手デベロッパーや中堅ホテル会社が手を挙げていると聞いているからです。不動産専門家は、高層マンション建設もOKであれば簡単に売れると分析しています。でも、市が「マンションはNO」と言っていますから、できるだけ高く売りたい都市整備は買い手選びに苦労しているようです。

そういったわけで、「土浦vsつくば 図書館戦争」が起きるかどうか分かりません。文化教育分野でのバトルは地域のクオリティを上げると期待しているですが、この分野での学園都市の劣位は続くかも知れません。土浦の勝ち?(経済ジャーナリスト)

《郷土史あれこれ》8 幕末の政争 安政5年~文久3年

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土浦市立博物館

【コラム・栗原亮】前回、慶応3年(1876)の王政復古大号令がクーデタであると指摘したが、今回はこの政変に至る経緯について述べたい。

米国公使ハリスは、幕府に修好通商条約調印を迫り、アロー号事件(中国の第2次アヘン戦争)が終結すると、欧州列強が武力で条約締結を迫るだろうと脅した。幕府は米の圧力に屈し、安政5年(1858)、対米通商条約を結ぶに至る。

この動きを警戒していた德川斉昭(前水戸藩主)らは、締結に際しては朝廷の勅許を得るよう幕府に求めたが、井伊直弼(大老)は勅許なしで条約を結ぶ。このため、斉昭、徳川慶篤(水戸藩主)、德川慶勝(慶恕、尾張藩主)が不時登城(登城日でない日に登城)、直弼を糾弾した。

また、13代将軍徳川家定に継嗣がなかったため、だれを将軍にするか問題になっていた。島津斉彬(薩摩藩主)を中心とする派は、英明との評価が高い一橋慶喜(御三卿一橋德川家第9代当主)を後継にと考えたが、血筋を重んじる直弼らは徳川慶福(よしとみ、紀伊藩主)を擁立、斉彬派vs直弼派の政争に発展。

結局、直弼は慶福を将軍後継者とし、斉昭を謹慎、慶篤と松平慶永(福井藩主)を隠居・謹慎させ、慶喜を登城停止に処す。

一方、水戸藩や薩摩藩は、許可なしの条約締結は問題だと、幕府の違勅と一橋派処罰を責める勅諚(ちょくじょう)を発布するよう朝廷に働きかける。これを受け孝明天皇は水戸藩に密勅を下す。この動きに直弼は、密勅に関係した水戸藩士や幕府に批判的な藩士や浪士を逮捕処罰。橋本左内(福井藩)、吉田松陰(長州藩)らが処刑される。

幕府は、水戸藩から諸藩に密勅が伝達されることを恐れ、水戸藩に密勅の返納を迫る。水戸藩では返納をめぐり、返納反対派と返納を認める保守派が対立。直弼の独断を怒る過激派の水戸脱藩浪士は安政7年(1860)、桜田門外で直弼を暗殺。

このテロのあと、安藤信正(平藩主)が老中になるが、幕府の権威は衰退。これを挽回するため、幕府は朝廷との融和を図り、14代将軍家茂に孝明天皇の妹和宮を降嫁させる。ところが信正は、反幕府派に好機を与えたと坂下門外で襲撃される。

文久2年(1862)、長州藩では藩論が開国から攘夷に転換。保守派が凋落、攘夷派が権力を握る。同藩は朝廷に、同3年(1863)5月10日をもって攘夷を決行するという詔勅を出させ、下関海峡で米国などの艦船を砲撃、攘夷を実行するが、完敗する。(郷土史家)

《続・気軽にSOS》15 怒られやすい人 バカにされやすい人

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【コラム・浅井和幸】人から怒られたり、バカにされたりしやすい人は確実にいます。それで、苦しくなって相談を持ち掛けて来る人も少なくありません。「なめられないようになるための方法を知りたい」ということです。

私自身は「なめられている」と表現はしませんが、「なめられている」状態から抜けるための方法として、単純に思い浮かぶのは次の3点です。

1. その空間での能力をつける。コミュニケーション、仕事、腕力、組織(強い人と組む)などの力を使う、つける。
2. 人をなめるような人とは付き合わずに、尊敬できるような素敵な人とだけ付き合う。
3. 挑戦をせずに出来ることだけを行う。能力を伸ばす努力や工夫はせず、自分より弱い立場の人とだけ付き合う。

なめられない人間になると、周りの人間が着飾って近寄ってくるので、その人の本質が見えにくく、後々、手痛いしっぺ返しを受けることもあります。ちやほやされ、うぬぼれてしまうこともあります。結果、自分自身の成長にマイナスになることもあるので、よいことばかりではありません。

これらの逆が、「なめられる状態の利点」となりますが、一つの例を紹介します。障害者に関する、ある集まりがありました。そこは、障害者も、家族も、支援者も、ざっくばらんにワイワイ話が出来る場所でした。

そこに初めて参加するAさん。「自分には何ができるか分かりませんが、何かできることがあったら言ってください。何でもやります。支援者というわけでもありませんし、むしろ私が、皆さんから教えていただければと思います」と、自己紹介しました。

特に経験はないけれど、何かしら助けになればと、謙虚で感じのよい方でした。勉強熱心なAさんは、関わりを続ける中で、あるNPO法人が認定している資格を取りました。とても頑張っているなと思っていたのですが、参加者のBさんから相談がありました。

「すみません。Aさんのことなのですが、何かの資格を取ったころから、何でも相談に乗ってやるからという態度をしてきます。偉そうで押し付けがましい態度で、腹が立ちます」

私がいる場所では、謙虚で勉強熱心だったAさんは、私がいない所では少し態度が変わっていたようです。それぞれの言い分を別々に聞き、事態は収束しました。そこで得たもう一つの事実は、Aさんは別の場所で、周りの人からなめられていて辛かったとのことでした。

人間関係を、なめる、なめられる、という捉え方ではなく、どの様に自分や周りの力を発揮するか、どの様に楽しむかという視点で考えて欲しいな、というエピソードでした。

今回は、このように行動した方がよいというものではなく、なめられやすい、怒られやすいことの利点を2つ書いて終わりにします。
▽相手の本質をつかみやすい。それを利用して場を動かしやすい。
▽自分の短所を見つけやすい。それを利用して成長速度を早くしやすい。(精神保健福祉士)

《泳げる霞ケ浦へ》 7  湖沼会議と「サテライトつちうら」

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2017年の第22回市民フェスティバル クイズラリー

【コラム・霞ヶ浦市民協会】今年10月つくば市で開催される第17回世界湖沼会議(いばらき霞ケ浦2018)に向けて、霞ケ浦や環境問題に取り組んでいる市民団体、行政機関、研究者、企業などが集まり、土浦市内で「サテライトつちうら」が開催されます。

28以上の団体(4月末現在)が参加し、実行委員会を組織しています。湖沼会議招致の言い出しっぺである霞ヶ浦市民協会の代表として、私がその委員長を仰せつかり、共通の「霞ケ浦の将来像」を見出すことを目標に、鋭意準備を進めております。

今回のコラムでは、現在検討されている企画内容を紹介させていただきます。

【第1弾】第23回泳げる霞ケ浦市民フェスティバルwithハイスクール会議:毎年開いている市民フェスティバルで、県内の高校生による会議を開催し、日頃の研究を通して、将来の湖沼と流域についてディスカッション。
・日時 7月16日(月・祝日)
・場所 霞ケ浦総合公園・国民宿舎水郷跡地

【第2弾】県霞ケ浦環境科学センター夏まつり:センターの夏まつりプログラムとして、ハイスクール会議の報告、流域で活動する市民団体の活動報告と将来像についてのパネルディカッション。
・日時 8月25日(土)
・場所 県霞ケ浦環境科学センター

【第3弾】サテライトつちうらメイン会場:市民団体などのさまざまな取り組みや活動パネル展示、口頭発表、意見交換。
・日時 10月13日(土)
・場所 L’AUBE、土浦港、アルカス土浦など

【その他イベント】みんなの湖沼写真コンテスト(10月9日~13日)、防潮堤壁画アート、防塵挺身隊によるゴミ拾い、カヌー・ヨット体験、観光船による遊覧、つちうらが好き!ライブ、第13回土浦環境展など。

世界湖沼会議について、多くのに市民に関心を持っていただけるよう、「サテライトつちうら」を盛り上げていきましょう。(阿部彰 霞ヶ浦市民協会副理事長)

《映画探偵団 》8 市街地ヴィジョン(案)の裏を読む

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【コラム・冠木新市】5月20日(日)、つくばイノベーションプラザで『つくばまちづくりシンポジウム―中心市街地のヴィジョンを考えよう―』(つくば市主催)が開催された。若い女性は少なかったが、場内は100人で満席だった。知人は、市職員が多いと言っていたが、市民活動家や市議の姿も目立った。

配布資料は「つくば中心市街地まちづくりヴィジョン(案)世界のあしたが見えるまち」というA3用紙1枚。そこには「リラックス×遊び心」「科学技術の恩恵×新たな価値の創造」「ローカル×持続可能性」の3項目の下に、<イメージ>として、それぞれ5つの願望と小イラスト5点、計15のカットがあった。選挙公約風の印象で具体的な内容はなかった。

五十嵐立青市長は「このヴィジョンは第1段階です。第2段階は目標設定と戦略、第3段階はマスタープラン発表となり、実行は秋ごろから」と語っていた。2017年7月にまちづくりアドバイザーが就任して、ほぼ1年が経過した。本当にこれだけなのか。何か裏があると思えてならなかった。

今年、開業35周年記念を迎えたオークラホテルのパンフチラシ『オークラつくば』(vol.27)には、『お祭り騒ぎスケジュール』として、来年3月までのレストランとイベントの企画が目白押しで載っている。

さらに「2019年もつづきます!」とのコピー。また、地元団体とタイアップして新たな行動計画策定中とあり、筑波大学応援イベント企画、社会貢献活動が具体的に示され、意気込みが伝わってくる。6月中にアイアイモールの最後の飲食店「一成」も閉店予定の中、応援したくなるヴィジョンとなっている。

スピルバーグ監督「未知との遭遇」

ヴィジョンで思い出すのは、スティーブン・スピルバーグ監督の作品『未知との遭遇』(1977年公開)である。UFOを目撃した市民が一様にあるイメージを受け取る。1人の女性は、そのイメージを何枚もの絵に描いていく。それは巨岩のような山のような奇妙な形である。後で、デビルズタワーという実在する岩山だと分かる。そのイメージに突き動かされて市民が岩山めざして集まってくる。ヴィジョンとは人々の行動を刺激するものである。

自分だったらヴィジョン(案)をどう表現するか考えた。人は謎を好み得体の知れないものに興味を抱く。松見公園の展望塔、エキスポセンター、ノバホール、筑波銀行前の時計台、さくら大橋、大清水公園、国際会議場などに隠されたピラミッド群をイラスト化し、説明を省略してヴィジョン(案)とするだろう。

後日、団員たちに市の配付資料を見せて感想を求めたところ、口の悪い団員が「餡(あん)のないアンパンですな」と返ってきた。

私はハッとした。今回のヴィジョン(案)は内容の無さをさり気なく隠し、発表と実行を先延ばしすることで市民の心を刺激、まちづくりへの参加へと誘導しようとしたのではなかろうか。そうだとしたら、遊び心に満ちた凄いヴィジョンと言えるかも知れない。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

《好人余聞》8 「鳥も虫も、人間と同じですよ」大田黒摩利 さん

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【コラム・オダギ秀】人生という旅の途中で出会った人たち、みんな素敵な人たちでした。その方々に伺った話を、覚え書きのようにつづりたいと思っています。

人は昔々、鳥だったのかも知れないね、と言う曲があるが、この人は本当に、むかし鳥だったのだろうと思えるような人と、時を過ごした。

「そこのユズの木に、モズの夫婦が住んでたの」

その人は、近所の家のうわさ話をするように、のぞき見たモズ夫婦の生活を話し始めた。大田黒摩利さん、つくば市に住むイラストレーターだ。自然の中に生きる鳥などの生態や姿を、細密に描いて紹介する絵本をたくさん作っている。田んぼを見渡す高台の仕事場は、初夏の風が心地好かった。

「色々なドラマがあるんです。巣立ち前のヒナを失ったらメスが出て行ってしまって、オスだけが残されボウッとしてたり。別れた2羽が時々電線で会って、うまくやってるかあ、みたいな態度してるから、人間と同じだなあと思います。そんな姿を見ていると、本質的には生き物って、みんな違いがないんじゃないかと思うんですよ」

この人は、近所の奥さんが近所の様子に好奇心を持つように、近所の鳥の家族の生活が面白くてたまらない、という表情を見せた。とても素敵な、優しさに満ちた好奇心の塊なのだろう。

「珍しい鳥ではなくて、ごく普通の、その辺にいる鳥の暮らしぶりを見るのが好きなんです。そしてそれを子どもたちに教えてあげたい。キジがプロポーズする時に踊るとか、縄張りを宣言する時にバタバタとやるとか、子どもたちは知らないと思うんです。それを教えてあげたいんです」

その気持ちが「鳥のくらし図鑑」(偕成社刊)という絵本図鑑になった。身近な野鳥が、春夏秋冬、どのように暮らしているか、生き生きと表現されている。緻密な観察に、誰もが驚く。

「この羽 だれの羽?」(偕成社刊)では、公園で拾った鳥の羽の実物大イラストで、その羽の持ち主がわかるように描いた。彼女がすごいのは、鳥の翼とか尾とか、各部位の羽の働きや違いまで、丁寧に描き分けていることだ。自分が住んでいる世界のことのように、誠実に向き合って描ききろうとしている。

だから、「大田黒さんは、むかし、鳥だったんじゃないですか?」と聞いてみた。

すると、「空飛んでいた記憶はないなあ」と言いながら、すぐ「そうだったらカッコいい。生き物たちと、同じ気持ちになることがあるんですよ」と、うれしそうに付け加えた。やはりこの人は、むかし鳥だったのかも知れない。(写真家)

「こんにちは」声をかけたのは、虫かな花かな?大田黒さんの絵本から。

《続・平熱日記》15  車のお出掛けは「感ナビ」で

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【コラム・斉藤裕之】かみさんと娘はどこやらに出掛けて行き、私は別行動というのが、しばらくの間の週末の風景でした。しかし娘が2人とも家を出てからは、こりゃしょうがない。好むと好まざるとにかかわらず、かみさんは私とお出かけするしかないのでした。

しかしながら、この辺りの目ぼしいところは大方行ったことがあるし、2人とも買い物には興味がないときては、お出掛けする所を決めるのも一苦労。でも、かみさんの仕事柄、近隣市町村の文化財や史跡に興味がある様子。誘われたら、決して「つまらん」と言わないこと。

ところで、親父と母は晩年、休みの度に島根県の津和野詣でをしておりました。家があった瀬戸内海側の町から車で小1時間。日本海に近い西の小京都。森鴎外や鯉の泳ぐ水路で有名ですが、2人の目的は参道の千本鳥居が美しい太鼓谷稲荷神社。

休日ごとに詣で、なぜか野球の玉くらいの鈴を買ってくる。何かご利益があったのか、何かに取りつかれたのか。家の神棚には、まさに鈴なりに鈴が架かっておりました。

当然、車で移動するわけですが、親父は免許を持っていません。つまり母ちゃんが運転。実はその運転がすごい。山道のつづら折りを猛スピードで走る。ブレーキのタイミングなんか無視。当然、当時はマニュアル車。

不思議なのは、免許を持っていない親父が「セカンド入れろ」とか「もっとフカしてギアチェンジじゃ」とか指示すること。1日200㎞ぐらいは平気で走ってくる。日によっては「岡山行ってきた」なんて。推定500㎞以上は走っているはず。よく事故もなかったと、いまさらながらその無謀ぶりにあきれます。

その後、弟とこの話題になり、「あいつらパリダカールラリーに出たら優勝するんじゃないか」って。スポンサーのロゴがいっぱい入ったつなぎとヘルメット姿の2人を想像して爆笑した記憶があります。

さて、先日はかみさんご推薦のとある旧家を訪ねました。新緑が心地よく、ロケ地にも頻繁に使われるという趣のある敷地内を散策。驚いたのは、その近くにあったローズガーデン。一見、ごく普通のお宅にしか見えません。「入るの?入場料500円とはたけーんじゃねえか」。

しかし、入ってたまげました。駆け上がりの様になっているバラ園には、小さな小径があって、足元からこずえまで、驚くべき数の花々が咲いているではありませんか。その迫力に思わず笑ってしまいました。人間、想像を超えるものに出合うと、笑うんですよ。

聞けば、ご婦人が全て植えて管理されているとか。入場料高いなんて言ってすいません。どうぞ、どうぞ、肥料代にしてください。

そうそう、親父と母は地図も見ずに、いわゆる「感」で走り回っていました。「感ナビ」とでも言いましょうか。予想外の風景や面白いお店を見つけるのは、やはり臭覚にも似た「感」を身に付けることですかね。スマホ任せでは面白くありません。(画家)

《邑から日本を見る》17 東海第2原発で首都圏連絡会

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「とめよう!東海第二原発首都圏連絡会」結成集会=東京永田町の参議院議員会館

【コラム・先﨑千尋】東海村にある日本原電東海第2発電所の再稼働と運転延長を阻止しようと、県内や東京都など首都圏1都7県の市民団体などが5月21日、東京・永田町の参議院議員会館で「とめよう!東海第二原発首都圏連絡会」結成集会を開いた。この会は首都圏の脱原発市民団体が呼び掛け、集会の前に東海村前村長の村上達也さん、ルポライターの鎌田慧さんらが記者会見を開いた。集会には100人以上が参加。本県からも東海村、つくば市、土浦市、水戸市、那珂市などから20人以上集まった。

会見では村上さんが、原電が今年3月に立地自治体の東海村に加え、周辺の5市に実質的な事前了解権を与える新たな安全協定を結んだことを紹介し、「原発の30㎞圏内に約96万人が住んでいる。国内で最も動かしてはいけない原発だ。住民らが首長や議会に働き掛け、再稼働を阻止しよう」と訴えた。

集会では、結成を呼び掛けた再稼働阻止全国ネットワークの柳田真・共同代表が「再稼働審査期限の11月までの7カ月が勝負だ。首都圏に最も近い東海第2原発を住民の力でなんとしても止めよう」と訴え、原電に再稼働の撤回と廃炉を求める決議を採択した。

水戸市の玉造順一さんは、東海第2原発から30㎞圏内の市町村で策定作業が進められている避難計画のずさんさや差し止め訴訟の状況、茨城での取り組みなどを報告し、「東海第2原発は東日本大震災で被災し、古い設計の老朽原発で危険だ。東海第2原発が事故を起こせば首都圏を直撃する。日本で最初に原子力の火がともった東海村からその火を消していこう」と訴えた。

参加者からは、「福島や東海原発の状況、危険性を多くの住民は知らないので、宣伝・広報に力を入れるべき。国会周辺でデモや集会をやるよりも銀座、新宿、渋谷などの繁華街で訴え、多くの人にアピールすれば効果が上がる。避難先に想定されている自治体から、受け入れは無理という声を上げてもらえば」などの意見が出された。

同連絡会は、今後、原電や同社に資金援助を決めた東京電力、経済産業省、原子力規制委員会への抗議行動を続け、署名集めなどにも取り組み、新安全協定を結んだ東海村など5市1村の首長や議会に働き掛けていく方針で、各地域の世話人を中心に運営していく。

東海第2原発の再稼働をめぐっては、これまでさまざまな組織や個人が勝手連的な活動を展開、県内でも50もの団体があるが、これらを結び付ける横断的な組織がなかった。今回の首都圏連絡会の発足によって阻止運動が加速されることになろう。

5月30日には、常陸太田市の常陸農協本店で村上達也さんを招いた講演会「日本の原発発祥の地、前村長がなぜ脱原発に転じたか」が開かれた。講演会は、同市の保守系元市議などが作る「脱原発・東海第二原発再稼働を考える会」が主催し、180人が詰めかけた。村上さんは「避難計画は荒唐無稽。東海第2原発は、旧動燃の危険な再処理工場と同居している。安全協定の見直しは住民の責任、出番になる。再生可能エネルギーの資源となる土地、水、風、太陽、森林は地方にあり、その活用が大事」と述べた。(元瓜連町長)

《食う寝る宇宙》15 見えない太陽フレア でも用心用心

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【コラム・玉置晋】僕は人工衛星を見守る仕事をしている関係上、太陽の爆発、太陽フレアを注意深く観察する必要があります。もっとも僕の場合は趣味的な要素が強くて、社会人学生として「宇宙天気防災」研究を行っているわけですけどね。

そうそう、NEWSつくばの人たちは意地悪で、原稿の段階では「宇宙天気防災研究者 見習い」と書いているのに、掲載の段階で「見習い」を外してハードルを上げてくださいます。困ったメディアです。

僕達は、高度3万6000㎞に配置されている人工衛星から配信されるX線強度トレンドの上昇から、太陽フレアの発生を判断しています。しかし、困ったことにX線強度が上がらない、いわば「見えない太陽フレア」があります。

僕は大学院の研究の一環で「宇宙天気災害年表」を作っています。過去の宇宙天気データを評価しつつ、宇宙天気が社会インフラに何らかの影響を与えた事象を文献などから抽出して、年表形式にまとめる地味な作業をやっておるわけです。

現在から過去に向かおうか、過去から現在に向かおうか悩みましたが、過去からみると必要なデータが無いという危険な香りがしましたので、前者を選択しています。

2017年12月を始点に、本コラム執筆時点で2014年1月までタイムスリップしております。ちなみに、14年の流行語大賞は日本エレキテル連合の「ダメよ〜、ダメダメ」でした。なんだか、随分と昔な感じがします。

14年1月8日、米バージニア州のアメリカ航空宇宙局(NASA)のワロップス射場では、「シグナス無人補給船」がアンタレスロケットに搭載され、発射準備が進められていました。行き先は国際宇宙ステーションです。民間会社による「商用サービス」として初めての補給ミッションでした。

この辺りはアメリカのすごみを感じます。しかし、この日、ロケットは打ち上げられることはなく、翌日に延期されました。その理由は、宇宙の放射線が通常の1000倍程度に増えたからです。ロケットの電子機器を故障させる恐れがあったので、予防措置をとったわけです。

放射線増加の原因は、1月6日に太陽の裏側で発生した太陽フレアでした。太陽は地球からみて27日ぐらいで自転しています。数日前に裏に回ったばかりの黒点で発生した爆発時のX線強度のトレンドは、ほんのちょっぴり上昇しましたが、このレベルではすぐに気づくのは至難の業です。

このとき、放射線は20分弱で地球周辺に到達しました。初弾は光速の40%に相当する速度でやってきたと推定されます。その後、数日間、地球周辺の宇宙空間は普段より多めの放射線に満たされましたが、幸い、ロケットは問題なく打ち上げられ、国際宇宙ステーションに物資が届けられました。(宇宙天気防災研究者)

《地域包括ケア》13 高齢者への緊急時支援と生活支援

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出典・厚労省

【コラム・室生勝】どこの市町村でも地域包括支援センター主催の圏域別ケア会議が開かれる。ケアマネジャーが担当している在宅高齢者が抱えている問題について、その地域の医療福祉介護関係者が集まって検討する会議である。つくば市では年間、各圏域で6回、計36回開催される。

この会議で検討される事例の課題で多いのは、ひとり暮らし高齢者、高齢者のみ世帯、認知症、介護保険のサービスでは受けられない生活支援などである。

大半の高齢者が現在の住居に住み続けたいと願っているが、支援がないと生活できない事例が多い。ゴミ出し、買い物支援など、介護保険サービスでは利用できない生活支援サービスを、地域の人たちがボランティアで提供している地域もある。つくば市では生活支援体制整備事業がモデル地区で始まっているが、体制づくりを早く終え、市内どこでも同じようにサービスが利用できるようになってほしい。

調理、掃除、洗濯などの生活支援のほかに、急病、転倒、怪我などの緊急時の支援も必要だ。ひとり暮らし高齢者の場合、緊急通報できる電話を設置し、複数の協力員が安否確認に駆けつけ、かつ救急車が出動してくれる「緊急通報システム事業」を利用できるが、高齢者夫婦世帯は利用できない。通報は、電話器から離れていても、発信装置を身につけることで可能だが、絶えず持っている利用者はほとんどいないという。

高齢者夫婦世帯や昼間ひとり高齢者の緊急時支援には、「ツクツク見守りたい」というサービスがあるが、119番に電話をかけることができない場合もある。夫婦のどちらかが倒れたとき、片方は冷静に電話通報できるだろうか。

高齢者だけの世帯では整理や掃除が行われず、ゴミ屋敷状態になっている家もある。台所には食べ残しや使用した食器が放置され、廊下や居間にはレジ袋、食品トレー、食べ残し、古新聞などが散らばっている。和室には万年床が敷かれ、周囲に靴下、下着、シャツ、ズボンなどが散乱、足の踏み場もない。これでは、夜間トイレに起きたとき、つまずいて転倒する危険性もある。

まれではあるが、近隣に迷惑をかけるどころか、高齢者自身が危険にさらされる失火もある。ガスコンロや種火の消し忘れ、寝タバコなどがその原因である。認知症の人でなくても、後期高齢者のうっかり忘れもある。

ひとり暮らしや高齢者夫婦が住み慣れた家で最期を迎えるには、現在用意できるサービスを全て提供しても安心安全な生活を保証できない。高齢者に安心安全な生活を提供する方法として、住み慣れた地域の集合住宅も考えてもよい時機に来ているのではないか。(高齢者サロン主宰)

《宍塚の里山》16 お米ザクザク、おいしい米づくり

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「田んぼのお絵かき」に取り組んでいたころ

【コラム・及川ひろみ】1947年の航空写真を見ると、宍塚の谷津は田や畑が広がっています。しかし、平場の田んぼとは違い、林に遮られて日照時間が短く、水は冷たい清水頼みの稲作。しかも、居住地まで山坂を上り下りし、収穫した稲を運び出すのも苦労の連続であったことが、聞き書きで明らかになりました。

一方、土浦市は商業都市として栄え、歩いても行ける近さ。早々と谷津田での耕作を止め、街に働きに出た方も多く、70年の生産調整開始前から、大池の西・南の谷津田では耕作放棄地が広がっていきました。

しかし、北側の谷津は、宍塚大池の水が灌漑用として利用できることもあり、私たちの会が発足した1989年ごろまで、かなり広く耕作が続けられていました。それも、次第に耕作放棄が広がり、里山内における農業、特に水田の減少が目立ちました。水田の存続は里山にとっての生命線であり、生物の多様性を維持する上で、水田耕作は欠かせない大切なことでした。

そこで、会は94年から、狭いながらも堤防下の谷津田の一部を使い、地元農家の協力を得て、古代米づくりを始めました。99年に「田んぼ塾」が発足し、約2反の田んぼで米作りを始めました。稲穂が赤、紅色、紫、黒などに実るものや、香りのある米香り米、ミルキープリンセス、マンゲツモチといった多品種のコメを作りました。

当時、休耕田では米を作ることはできませんでしたが、海外への援助米にすることで耕作可能な方法があることを知り、2年間、収穫した米と同量のコメを地元から買い取り、援助米を扱う団体に送りました。会の人たちが苦労して収穫した無農薬の米を、援助米にはしたくありませんでしたから。

田んぼアート。今でこそ方々で行われていますが、会では99年から8年間、カラフルに実る古代米を生かし、稲文字や稲によるお絵かきを楽しみました。

2011年からは、不耕起・無農薬・無肥料による米づくりに切り替え、14年には名称を「自然農田んぼ塾」にしました。自然と敵対せず、自然との調和を目指し、草や虫、微生物を敵とするのではなく、これらの生きものの力を活かした農法です。

合言葉は「生き物いっぱい、お米ザクザク、おいしい米づくり」です。様々な工夫、研究を重ね続けていますが、ある方法では反当たり、7俵から8俵のコメが収穫できるまでになりました。自然農田んぼ塾のコメ作りについては、次回報告することにします。(宍塚の自然と歴史の会代表)