月曜日, 6月 1, 2026
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学校給食に金属製ナット混入 つくば市の義務教育学校

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給食に混入していた直径8ミリほどのナット(つくば市提供)

つくば市は19日、市内の義務教育学校で同日出された学校給食に異物が混入していたと発表した。教職員が職員室で給食を食べようとご飯のふたを開けたところ、直径8ミリほどの金属製のナットが混入していた。

同校の他の教職員や生徒、同日ご飯が提供された他校からもほかに異物混入の報告は無く、健康被害も報告されていないという。

市健康教育課によると、同日午後0時45分ごろ、教職員が個別の器に入ったご飯のふたを開けたところ、端の方に直径8ミリほどのナットが混入していた。

同市でのご飯の調理は、給食センターとは別に、米飯納入業者が炊飯工場でご飯を炊き、一人分をそれぞれ個別の器に入れ、ふたをして各学校の配膳室に配送している。配送された給食は、職員が配膳室から各教室や職員室などに運んでいるという。

どうして混入したかについて同課は、米飯納入業者が経緯を調査したが、19日時点で不明だとしている。

市は同日、ご飯の提供を受けた市内の各学校の保護者にお詫びの通知文を出した。

「人生という旅を楽しんで」 日本国際学園大学で卒業式

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橋本学長の前で答辞を述べる朝妻翔さん

日本国際学園大学つくばキャンパス(つくば市吾妻、橋本綱夫学長)で19日、卒業式が催された。同キャンパスで学んだ49人の卒業生を前に橋本学長は「人生百年時代の中で、皆さんはこれから80年先の未来に向けて歩むことになる。80年前のことを考えると時代が大きく変わってきたことがよくわかる。これから苦難が待ち受けているかも知れないが、人生という旅を楽しんで欲しい」とエールを送った。

告辞を述べる橋本綱夫学長

卒業生を代表して経営情報学部人文科学専攻の朝妻翔さん(22)は「大学の4年間で自分ができることは積極的に挑戦し、成長すること、そして一人で解決しようとするのでなく周囲の人の助けを借りることの大切さを学んだ。自分が気づかないことでも他の人の客観的な視点が必要なこともある。SNSやオンラインゲームで簡単に世界とつながれる時代だからこそ信頼できる関係を築くことが大事だと思う」と答辞を述べた。

式典では、同学部情報・デザイン専攻の伊藤祥一郎さんが橋本学長から学位記の授与を受けた。さらに優秀な成績や功績があった卒業生に褒賞が授与され、同学部人文科学専攻の朝妻翔さんと情報・デザイン専攻4年の伊藤祥一郎さんにそれぞれ学長賞が、佐藤緑咲さんに前身の東京家政学院創立者、大江スミの名を冠した大江賞が贈られた。

式典に臨む卒業生ら

取手市出身の卒業生、千葉謙さん(22)は「4年間は授業とアルバイトに追われて忙しかったが、無事に卒業出来てよかった。これからはバスの運転手になるので、社会人として頑張っていきたい」と語った。

同大は1990年、東京家政学院大筑波短期大学として開学。96年に4年制の筑波女子大学になり、2005年に男女共学の筑波学院大学になった。大学の運営は19年度に東京家政学院から学校法人の筑波学院大学に移り、23年からは学校法人名を日本国際学園に変更した。一昨年からは姉妹法人の東北外語学園(仙台市、橋本理事長)が運営する仙台市の東北外語観光専門学校に新たに日本国際学園大学の仙台キャンパスを設置した。

つくばキャンパスは、経営情報学部ビジネスデザイン学科に、国際教養モデル、現代ビジネスモデル、公務員モデル、AI・情報モデル、コンテンツデザインモデルの五つがあり、各モデルから選択し専門の学びを深めることができる。外国人留学生は日本文化ビジネスモデルで学ぶことができる。(榎田智司)

土浦の新小学1年生に黄色い帽子を寄付 JA水郷つくば

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JA水郷つくばの池田組合長(左)から交通安全帽子と目録を受け取る土浦市の安藤真理子市長

新年度に土浦市内の市立小学校と義務教育学校に入学する全ての新小学1年生に向けて、JA水郷つくば(土浦市小岩田西、池田正組合長)が883個の黄色い交通安全帽子を土浦市に寄付し、18日同市役所で寄贈式が催された。池田組合長から安藤真理子市長に目録などが手渡された。

交通安全帽子の寄付は同JAが地域貢献活動の一環で1977年から始め、今年で49年目となる。以前は男子がキャップ型、女子はハット型と性別で形が異なっていたが、2024年度から性別を問わず共通のハット型とした。

式典でJA水郷つくばの池田組合長は「この事業が始まった時は農協が合併する前だった。自分が入所した頃からやっていることなので感慨深い。小学1年生は、黄色い帽子をかぶっているのが知れ渡っているので、運転手も気をつけてくれる。今後も支援を続けていきたい」と話し「帽子ではなくヘルメットという声もあったが従来通り黄色い帽子となった」と付け加えた。

寄付を受けた土浦市の安藤真理子市長は「交通安全は市としても大事なことなので、長い期間寄付を続けていただき大変感謝している。子供たちには毎日元気に登下校してもらいたい」と述べた。

寄贈式では土浦市が1976年から毎年、入学祝い品として新1年生に無料で贈呈しているランドセルも用意された。ランドセルも今春から性別に関係なくジェンダーレスの薄い茶色になる(25年5月2日付)。

新1年生に贈られる交通安全帽子をかぶり、ランドセルを背負って撮影に応じるJA水郷つくば金融共済部共済課長の坂本靖子さん(中央)

新小学1年生に対するJA水郷つくばの交通安全帽子の寄付は、土浦市のほか、管轄する龍ケ崎、牛久、かすみがうら、利根、美浦、阿見の7市町村全ての公立小学校と義務教育学校に対して行われる。(榎田智司)

つくばエクスプレスの車窓から《ご近所スケッチ》22

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TXから見た筑波山とつくば市庁舎 (イラストは筆者)

【コラム・川浪せつ子】今回はつくばエクスプレス(TX)の窓から見えた筑波山とつくば市内の絵です。TXは2005年8月に開通しました。都内からつくば市に引っ越してきた私は、それまで乗用車でJR荒川沖駅まで行き、常磐線で東京に通いました。免許証を持っていなかったので、教習所に通わねばならず、いろいろ大変でした。

TXは待ち望んだ電車でした。今は都心部から帰るとき、TXに乗り、筑波山が見えると心が休まります。車窓からの風景は穏やかで、都会の喧騒(けんそう)を忘れさせてくれ、地方の良さをつくづく感じます。つくば市に来てよかったと、しみじみ思うときです。

交通の便は良くなったものの、つくば市の「景観の方はどうかしら?」と思っていました。そんなとき2月に「つくば市景観講演会」という市主催の企画があったので、参加してみました。建築業界の隅っこで仕事をしていますが、これまで景観のことはあまり考えず、受けた仕事をこなしているだけの生活でした。

市庁舎建築中のころ(イラストは筆者)

「便利」だけでなく「景観」も

「つくば市の景観100」「つくば景観ルートマップ」という冊子、ご覧になったことありますか? 少し前に発行されたものですが、時々見て、絵を描く資料にしていました。つくば市とその周辺部には、ステキな自然や景観がたくさんあります。

電車も通り、人口も増え、便利にはなったものの、それは景観の悪化につながっているのだと、今回の企画で感じました。仕事で「あれ?こんなのいいの?」と思うような看板を描いたこともありましたが、ソレです。「再生エネルギー」の太陽光発電パネルが、筑波山に造られたこともありました。コレ、禁止なんじゃないの?

大学の先生の話も面白かったです。先生+市民の協力で、街を再生・進化させた事例など。

上の絵のように、つくば市はまだ開発中ですが、「便利」だけでなく「景観」も、「住みやすい街」には大切と思いました。(イラストレーター)

学生宿舎値上げを1年延期 筑波大

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永田恭介学長

永田学長「値上げかなわなければ宿舎廃止」

筑波大学(つくば市天王台)が4月1日から実施するとしていた学生宿舎の寄宿料値上げ=3月11日付=について、永田恭介学長は18日の定例記者会見で、値上げを1年間延期すると発表した。一方で「残念ながら値上げがかなわなければ、宿舎廃止が順番に行われる」とも発言。学生らからの反発は必至で、大学側と学生側との話し合いにも影響が出そうだ。

永田学長は会見で「宿舎値上げについては、かなりご理解をいただいている」と、大半の学生から理解を得ていると強調し「一部の学生さんにはまだご理解いただけていない」との見解を述べた。その上で「さらに対話を続けるという意味合いで、もう少し値上げの時期を遅らせるということにした」と述べ、宿舎値上げを1年間延期するとした。

一方で「いろんな意見交換を行いながら最終的に値上げを行いたい」と、値上げへの強い意向を示し「残念ながら値上げがかなわなければ、宿舎廃止が順番に行われる」と強硬な姿勢をちらつかせた。

その上で永田学長は「国立大学の財産の部分であり、当然ながら安心安全が見込めない建物は使えなくなる。僕ら(筑波大学)が廃止するよりも、廃止せざるを得ない状況になると思う。改修については概算要求で認められることはほとんどなく、校舎などもほとんど自力で直している」と説明した。

一方で経済的に厳しい学生や、障害を持つ学生への配慮については「少し思慮が足りなかった部分があるので、来年(2027年入学)の学生が入るまでに順序良くチャートを作って、それぞれが適正なところに入れるよう、その準備が必要になる」との考えを示した。

平均で1.4倍から1.5倍に及ぶ賃料や共益費の値上げ幅圧縮などの選択肢の有無について永田学長は、宿舎にwi-fi環境を整備することを挙げて「値下げするのは非常に難しい」との考えを強調した。

弁護士「全く反省してない」

これに対し学生有志の代理人である指宿昭一弁護士は「(大学側は)全く反省していない。この値上げを聞いて宿舎から出て行った学生もいる。学生の声を聞かずに一方的に(値上げを)決めてしまったことを反省してほしい」と憤りを見せた。その上で「大幅値上げをしないで宿舎を維持できるよう大学側は追求すべき」と、同大に対し宿舎維持方策の検討を求めた。

宿舎値上げをめぐっては、大学公認の学生代表組織「全学学類・専門学群・総合学域群代表者会議」(全代会)が1月7日付で学生担当の千葉親文副学長に対し▽値上げについて学生と議論を通じての合意の形成▽寄宿料、共益費の値上げを2027年4月1日まで延期▽経済的に困窮している学生に対して、援助の方法を用意し周知を行うことによって保護を与えること―の計3項目からなる要請書を提出。学生有志らで作る「筑波大学学生宿舎寄宿料増額の撤回を求める会」は3月2日、賃料値上げ撤回や値上げ実施延期のほかに、学生宿舎入居者代表や全代会との協議や同意なしで値上げを行わないこと、学生が申し入れをしたことを理由に学業や生活上の不利益を一切与えないことの確約などを求める要求書と交渉申入書を提出している。(崎山勝功)

廃棄していた果肉を活用 福来みかんのドリンク開発 筑波山神社参道の土産店

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特産品の福来みかんを使った新商品のドリンク「福来みかんスカッシュ」

筑波山麓特産の福来みかんの皮を使った七味を販売する筑波山神社参道の土産店「神橋亭」(つくば市筑波、店主・渡辺由美さん)が昨年末から、これまで廃棄していた福来みかんの果実を活用しドリンクを販売している。福来みかん特有のさわやかな香りと甘酸っぱさが特徴だ。七味はみかんの皮だけを利用するため、果肉はこれまで廃棄したり、人にあげたりしていた。

同店の七味は、先代店主の渡辺美代子さん(86)手作りの「みよこの七味」で知られる。渡辺さん一家は筑波山中腹の約990平方メートルで福来みかんを100本ほど栽培している。みかんが黄色に色付く11月になると毎年、店主の由美さん(43)と義母の美代子さんが、収穫したみかんの皮をむいて、干して乾かし、焙煎して「陳皮(ちんぴ)」を作り、粉にして唐辛子やごま、青のりなどと混ぜて福来みかんの七味を手作りし販売している。

(左から)店主の渡辺由美さんと先代の美代子さん=店内

一方、みかんの果肉は毎年2トンほど出る。一部を冷凍し知人にあげたりしているが、毎年1トンほど廃棄している。

由美さんは「捨てるのはもったいない。みかんの果肉をどうすればいいか」とずっと考えていたという。昨年、美代子さんから果肉をもらった知人が、果肉のシロップ漬けを作って持ってきてくれた。甘みも苦みもあっておいしく、シロップ漬けの作り方を教わったのが始まりという。

その後、由美さんは、果肉を焼酎に漬けたり、他のアルコール類に入れたりなど試行錯誤を繰り返し、砂糖の量や煮込み時間なども調整を繰り返した。果肉を生のまま使うより冷凍した果肉を使った方が甘味が増すということも分かった。

さらに砂糖を入れて煮込む際、当初みかんの種を取り除いていたが、種を取り除かずそのまま煮込んだ方が甘味が増すほか、加工の手間が省けるなどの利点も発見。こうして果肉を丸ごと使用した福来みかんのシロップ漬けが完成した。

福来みかんの果肉が丸ごと入った自家製シロップ漬け

シロップ漬けは果実酒の瓶に詰めて店頭に並べ、寒い日は体を温める「福来みかんホット」として、暑い日は炭酸割の「福来みかんスカッシュ」として1杯(300ミリリットル)500円(税込み)で提供する。ドリンクには果肉がほぼ1個分入っており、スプーンですくって食べられるようになっている。

店主の由美さんは「炭酸で割ったりお湯で割ったりするほか、紅茶で割ったり、ソフトクリームのトッピングができないかなど考えている。福来みかんのジェラードの試作品もできたので提供していきたい」と話す。

神橋亭の外観

神橋亭は明治半ばの1894年に創業した。筑波山神社の神橋の脇にあり、登山客や観光客、神社の参拝者が立ち寄る。福来みかんの陳皮が入った七味は40年前ぐらいから販売している。

店舗は2024年9月に事業継承引継ぎ補助金を活用してリニューアルした。七味の加工工房は元々みかん畑の近くに作っていたが、福来みかんの粉の香りを来店客にかいでもらいたくて土産店に移設した。茨城県よろず支援拠点からの支援を受けている。同支援員の吉村千鶴子さんは「支援する側も、福来みかんの果肉の部分をどうするかが課題だった、今回、果肉のまま種もとらずに煮込むという画期的な方法が見つかり、とてもうれしい」とコメントする。(榎田智司)

キンカン、ヒヨドリ、アゲハチョウ 《鳥撮り三昧》11

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写真は筆者

【コラム・海老原信一】自宅玄関を出て右側、小さな庭の隅にある花壇に樹高2メートル弱のキンカンが植えてある。冬から春にかけてのこの時季、多くはないが黄色い実を付けてくれている。このキンカン、実は2代目。1代目は母親が存命中に鉢植えにしていたものを花壇へ地植えにして育てていたが、母の没後5年目ぐらいに元気がなくなり、枯れてしまった。

面倒見の悪い息子のせいかなと責任を感じて掘り起こしてみると、息子のせいばかりでないと判明。鉢植え時に絡み合った根の処理をあまりせず、そのまま植え付けたようで、複雑に絡み合ってしまい根が枯れてしまった様子。仕方がないと諦めたが、ある理由から新しく植えようと思い始めた。

ある理由とは、母親は網をかぶせて許さなかったが、ヒヨドリが実をついばみ、アゲハチョウが産卵しその幼虫が葉を食べると知ったから。母の没後、その楽しみを知った息子は彼らのなすがままにさせ楽しんでいたわけで、「新しく植えるか」との結論に。ホームセンターへ出向き、接ぎ木した部分が直径2センチ程の鉢植えを求め、1代目がいた場所へ、根の状態に気を付けながら地植えした。

それから7年ほど経つだろうか。2センチほどだった部分が10センチぐらいまで太くなり、かなりたくましい様相をしている。その割に樹高が2メートル弱なのは、小まめにせんていし、伸び過ぎないように抑えてきたから。

朝、玄関を出ると、キンカンの葉が揺れる。水道の凍結防止カバーを外しながら見ると、ヒヨドリが小さく泣きながら近くの電線へと飛び去る。キンカンの樹下には、半分ほどつつかれた実がいくつか落ちている。黒い糞(ふん)も落ちている。そのころにはナンテンの赤い実は無くなっている。

そして、キンカンが食べごろになるという寸法。よくしたものだと感心する。たまには息子も一つ二つ食べてみる。今年のキンカンはとても甘みが強い。結実の時季が暖かかったせいだろうか。

イモムシ=新幹線

この実が無くなり暑くなり始めると、次の白い小さな花が付き出す。そうなると次の客人がやって来る。アゲハチョウだ。カラタチやキンカンなどの柑橘(かんきつ)類が食草らしく、柔らかそうな葉の先に、金色の1ミリにも満たない卵を産み付ける。しばらくすると、見た目が小鳥の小さな糞のような幼虫が生まれる。結構な数が葉についている。

糞のような幼虫が葉を食べ続け、気付くと、黒っぽかった体色が緑色に代わり、太さ1センチぐらい、長さ4センチぐらいのイモムシが。我が家では「新幹線」と名付け、毎朝楽しんでいる。それらがいつの間にか見えなくなる。羽化に備え、サナギになるため目立たない場所へ移動するのだ。

どこへ? そう思いながら探すが見つからない。ある朝、羽化した個体に気付く。そこは雨戸の敷居の下陰。薄暗い場所に、羽化直後のアゲハチョウが美しく輝いている。幼虫の数からすれば、もっと成虫の姿があってもいいはずだが、厳しい自然界なのだろうか。だからこそ「きれいだな」との思いが強くなる。(写真家)

葛城地区周辺11カ所440ヘクタールを区域指定 つくば市 住宅供給に期待

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TX沿線開発地区のつくば市葛城地区からおおむね1キロ圏内の区域指定エリア(地図上の赤枠で囲まれた紫色と黄色の11カ所)=地図はつくば市提供

TX沿線開発地区周辺で初

つくば市は6日付で、つくばエクスプレス(TX)沿線開発地区の葛城地区周辺おおむね1キロの11カ所計440ヘクタールを区域指定した。同周辺地区は市街化を抑制する市街化調整区域のため、これまでは特定の要件を満たした土地所有者しか住宅を建てることができなかった。指定により、土地があればだれでも住宅などを建てることができるよう都市計画法上の位置づけを変えた。TX研究学園駅周辺の葛城地区(約484ヘクタール)に匹敵する面積となる。

同市がTX沿線開発地区周辺で区域指定を実施するのは葛城地区周辺が初めて。今後、他の沿線地区周辺でも区域指定を実施するかどうかについて、市開発指導課は、葛城地区の区域指定後の住宅の貼り付き状況などをみて検討したいとしている。

今回の区域指定によって建築できる建物の用途は住宅や店舗などで、高さは3階建てに相当する10メートルまでなど。11カ所440ヘクタールは現在すでに集落や住宅、店舗などが立地し、空き地や畑などが混在している。TX沿線は地価上昇が続いている中、今後は区域指定エリアの空き地などに住宅が建ち、より買い求めやすい住宅が供給されることが期待されている。

区域指定制度は、2000年の都市計画法改正で既存宅地制度廃止に伴って新たに設けられた制度。県内では猶予期間を経て06年に既存宅地制度が廃止され、つくば市では07年度から運用が始まった。運用開始に伴って同市は市内全域を調査し、①40戸以上の宅地が連続して建っている②市街化区域から概ね1キロの範囲内にある③人口が減少している集落内にある④宅地率が概ね40%以上である⑤道路や下水道が整備されているーなどの要件がある地区を対象に、これまで市内で計約1700ヘクタールを区域指定してきた。

一方、TX沿線開発地区についてはこれまで、区画整理事業が進んでいたことから区域指定から除外していた。葛城地区では2014年度に換地が実施され、18年度に区画整理事業が完了、現在、住宅が8割以上貼り付いていることなどから、「つくばに住みたいと思っても住めないという声を踏まえて」(市開発指導課)区域指定を実施した。

一方で、土地区画整理事業で開発された葛城地区は、道路や公園、公共施設や学校用地が確保されるなど公共投資により計画的なまちづくりが進められてきた。これに対し区域指定エリアへの新たな公共投資は予定されておらず、民間投資で開発を実施することになる。(鈴木宏子)

【訂正18日17時】第4段落、市内のこれまでの区域指定面積を1700ヘクタールに訂正しました。

コマ回し《デザインを考える》30

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写真は筆者

【コラム・三橋俊雄】昨年のことですが、小学校で行われた「昔の遊びボランティア」に参加しました。この行事は、地域の大人や保護者が小学1年生に「コマ回し」「けん玉」「メンコ」「羽子板」などの遊びを伝える活動で、私はコマ回しを担当しました。

現代の子どもたちはタブレットやゲームに触れる機会が多く、指先の操作が中心の世界で育っています。デジタルが身近になった分、身体全体を使って覚えるような体験は、以前より少なくなってきているように感じます。だからこそ、昔ながらの遊びが持つ「からだの感覚を働かせる遊び」は、子どもたちにとって新鮮で貴重なものになっています。

1年生は最初、コマがなかなか回らず、何度も失敗しながら、少しずつコツをつかんでいきます。コマ回しは、ひもを巻く力加減、投げる瞬間の手首の返し、投げるときの身体の向きなど、感覚と動きを総動員する遊びです。頭で理解するだけではできず、挑戦を重ねる中で自然と身についていきます。

そうして練習を続けていると、ふとコマが回る瞬間が訪れます。そのときの子どもたちの表情は驚きと喜びに満ちています。こうした身体を通して身につけていく学びこそ、デジタル時代に失われつつある大切な体験だといえます。

また、昔の遊びを教えることは、単なる体験的活動ではなく、世代を超えて受け継がれてきた技が次の世代へと渡されていく、文化の継承でもあります。

絶滅危惧動作

コマ回しの時間には、ゆっくりとした空気が流れ、失敗してもまたやってみようという空気が生まれます。地域の大人と子どもたちが向き合い、励まし合いながら挑戦する姿は、まさに世代間交流の原点であり、今の時代だからこそ必要なことではないでしょうか。

日常生活の中ではほとんど見られなくなり、このままでは消えてしまいそうな身体の動きを「絶滅危惧動作」と言います。

コマにひもを巻いて投げる動作も、まさにそのひとつです。かつては当たり前のように行われていたのに、いまでは日常からすっかり姿を消しつつあります。「お手玉」のリズムを刻む手つき、「あやとり」の細やかな指の動き、「けん玉」の連続した所作なども、同じように現代では触れる機会が少なくなった「絶滅危惧動作」です。

そうした昔の遊びが、子どもたちの手の中でふたたび息を吹き返す瞬間。その場に立ち会えることは、とてもうれしいものです。遊びを通して伝わる身体の感覚や、世代を超えた交流、そして文化が受け継がれていく様子を思うと、昔の遊びを伝える営みは、今の時代だからこそ大切だと感じます。(ソーシャルデザイナー)

全国の「色川さん」集う つくば・土浦でサミット開催

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土浦城址に整備された亀城公園で、土浦と色川氏の歴史を説明する木塚久仁子さんと、参加者たち=土浦市中央

全国の「色川」姓の人々が交流を深める「色川姓サミット」が14日から15日にかけて、つくば市と土浦市で開かれた。色川姓発祥の地とされる和歌山県那智勝浦町色川地区の住民や茨城県内の関係者による実行委員会が主催し、宮城から和歌山まで9都府県から52人が参加した。色川サミットは2014年に色川地区で初めて開催されたのを皮切りに、16年、19年、24年と同地区で開かれ、今回が5回目となる。サミットが和歌山県外で開かれたのは初めて。

ルーツたどる

色川姓は茨城や宮城に多い一方、発祥の地とされる和歌山県の色川地区には現在、同姓の住民はいない。伝承では、平清盛の孫、維盛(これもり)を祖とする清水姓の一族が色川に住み、のちに関東や東北に移り住んだとされる。茨城では、筑波山麓にある現在のつくば市小田を拠点に、鎌倉時代から戦国時代にかけ約400年にわたり常陸国南部一帯を支配した小田氏の家臣となり、その後、土浦に土着。江戸時代の国学者、色川三中(みなか)や明治時代の政治家で土浦の水害対策に尽力した色川三郎兵衛などの人物を輩出した。

懇親会で挨拶するサミット発起人の田古良元昭さん

サミット開催のきっかけは、ルーツを調べていた色川姓の人が、長年かけて調べた資料を基に色川地区を訪ねてきたことだった。色川地区に住む田古良元昭さん(90)がその思いに共感し、関係者らと「色川姓サミット」を企画。全国の色川姓の人々と色川地区をつないで、歴史や文化を学びながら交流を深めることを目的として始まった。2019年の第3回では、色川神社の脇に「色川発祥の地」と刻んだ石碑も建立した。全国で唯一とされる「色川」という地名の由来を後世に残すとともに、色川姓の人々のよりどころとする思いを込めた。

今回のサミットでは、14日に筑波山中腹のホテル「青木屋」で講演会と懇親会を開催。土浦市立博物館元副館長の木塚久仁子さんが「関東に下った色川家」をテーマに講演し、和歌山から関東に移住した色川氏と小田氏の歴史と、江戸後期の土浦で薬種業や醤油製造業を営み国学研究に取り組んだ、色川三中の歩みを解説。「三中は自身の祖先を知りたいと思っており、『色川』が和歌山の色川出身だということを強く意識していた」と語った。懇親会では参加者は自己紹介を行いながら親睦を深めた。

色川家をテーマに講演する木塚久仁子さん

15日は、小田城跡(つくば市小田)や土浦市立博物館、土浦城址(同市中央)、色川三中の墓がある神龍寺(同市文京町)など、色川氏ゆかりの史跡を巡った。

思わぬ再開

サミットでは思わぬ再会もあった。東京都から母親と参加した色川初恵さん(57)は十数年前、勤務先で行われたAED(自動体外式除細動器)講習で「色川さん」と呼ばれる消防士を見かけたことを覚えていた。珍しい姓のため記憶に残っていたという。今回の懇親会で隣に座った、千葉県から参加した消防士の色川晃平さん(46)が、講習に参加した「色川さん」だった。「縁というものは不思議」と初恵さん。晃平さんも「以前からサミットは知っていたが和歌山までは行けなかった。ルーツをたどりたくて参加したが、こんな奇跡が起きるとは」と笑顔を見せた。

宮城県から妻と参加した色川健一さん(77)は、和歌山で開かれた第2回からサミットに参加している。「先祖の始まりに興味があり以前に色川地区を訪れたのがきっかけ。同じ姓の人が全国から集まり歴史を共有することで絆が生まれる。貴重な経験」と話した。東京・浅草の老舗うなぎ店「雷門 うなぎ 色川」の北村紀子さんは、母親の色川幸子さんと参加。「店には東北や茨城からの『色川さん』が多く来店する。今日その理由がよく分かった」と語った。

懇親会ではそれぞれが親睦を深めた

続けていきたい

和歌山から訪れた実行委員会会長の浦勝良さん(75)は「関東や東北に色川姓の方が多く、和歌山での開催は距離的な負担もあった。より多くの人に知ってもらおうと関東開催を企画した。土浦やつくばには色川家にとって重要な歴史が残っていると実感した。今後も交流の輪を広げていきたい」と話した。サミットが始まるきっかけを作った田古良さんは「多くの方に参加してもらい、色川地区と色川姓の絆を深めることができた。今後もサミットを続けていきたい」と語った。

和歌山から参加した実行委員。左から2人目が浦勝良さん、右端が家村直宏さん

色川地区は、和歌山県那智勝浦町にある人口300人ほどの山村で、色川村と呼ばれていた。かつては銅鉱山や農林業が盛んで1950年代には3000人が暮らしていたとされる。現在も、色川茶の産地として知られている。約50年前から移住者を積極的に受け入れてきた歴史があり、現在、住民の半数余りが移住者だという。自身も移住者で集落支援員として活動する実行委員の家村直宏さん(41)は、「色川地区は自然が豊かな土地で、私も5年前に、自然と、地域に愛着を持ち暮らしている地域の方々に一目惚れして家族で移住した。ぜひ、多くの方に関心を持ってもらい、実際に色川に足を運んでいただければ」と語った。(柴田大輔)

TX土浦延伸と「常磐新線」の復活《吾妻カガミ》217

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TX延伸シンポジウムの様子

【コラム・坂本栄】1カ月前、土浦駅西口前ビルの大ホールで「TX延伸シンポジウム」が開かれました。どんな議論になるのかと興味を持ち、私ものぞいてみました。ポイントは2月19日掲載の記事にまとめましたので、そちらを読んでください。今回のコラムでは、パネリストの意見を聞きながら勝手に妄想したことを三つ記しておきます。

妄想1・2:TXをJRが吸収

討論会の目的は、現在つくば止まりのTX(つくばエクスプレス)を土浦まで伸ばしてもらうための世論喚起にありました。実現すれば、新沿線周辺がにぎやかになり、土浦つくばの行き来が楽になります。当然ですが、土浦市長と地元高校生は地域振興と利便性向上のメリットを強調しました。

茨城県の担当課長は、延伸のメリットは土浦エリアにとどまらず、JR常磐線経由で水戸エリアとつくばエリアが結ばれるメリットを指摘しました。県内の2大経済・文化・教育圏が鉄道でつながれば、人の往来が活発になり、両エリアの活性化を図れます。JRあるいはTXが不通になった場合、土浦駅経由で代替輸送ができますから、危機管理上もプラスです。

こういった発言を聞きながら、二つのことを妄想しました。水戸つくばをスムーズに運行するには、JR東日本がTX運行会社を吸収合併し、単独社の管理下で相互乗り入れを実現させる―これが一つ。その際、「つくばエクスプレス」を「常磐新線」に名称変更する―これが二つ目です。計画段階のTXの名前は「常磐新線」でしたから、元の名前に戻すということです。

妄想3:茨城空港の2滑走路化

昨秋に掲載したコラム210でも触れたように、茨城県はTXを土浦駅経由で茨城空港(小美玉市)まで延伸する構想を描いています。討論会ではこの話は出ませんでしたが、私の頭の中では空港延伸もチラついていました。

県は、茨城空港の利用者が今後増えることを展望し、昨夏、その機能を強化する計画を策定しました。ポイントは、①滑走路沿いに機体移動用の走路を設ける②利用者増に対応し空港施設の機能を強化する―です。TX空港延伸は、今は自動車だけの空港へのアクセス手段を広げ、「ローカル空港」を羽田、成田に次ぐ「首都圏第3空港」に格上げする構想を踏まえたものです。

しかし、茨城空港には滑走路が1本しかなく、事故時には使えなくなるという欠陥があります。これでは首都圏第3空港の要件を満たせません。米軍横田基地(東京都)を日本に返してもらい、茨城空港に隣接する自衛隊百里基地を横田に移し、百里の滑走路も茨城空港が使う―これが、妄想の三つ目です。米軍にはハワイかグァムまで退いてもらいましょう。

地域を大きく変える鉄道インフラ

首都圏第3空港化とセットで、茨城空港土浦つくば東京、茨城空港石岡水戸の鉄道経路が完成すると、茨城県、隣接県の使い勝手が格段によくなります。特に、欧米亜と空港経由で結びつく研究学園都市、TXとJRが交差する土浦の役割はアップするでしょう。もちろん、どう使いこなすかですが…。

先日、ある会合で同席した東京工業大(現東京科学大)卒の若手エンジニアはこんなことを言っていました。住まいは子どもの教育を考えてつくば市。重機大手の日立建機(4月からLANDCROSに社名変更)設計者ということもあり、仕事場は土浦工場、常陸那珂工場、東京本社など。同社最大の輸出市場は米国。TX土浦延伸、さらに茨城空港延伸が実現すると、彼の生活+仕事はスムーズに回ることでしょう。(経済ジャーナリスト)

「真のプロフェッショナルに」つくば国際ペット専門学校で卒業式

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卒業証書の授与を受ける卒業生

185人が巣立つ

つくば国際ペット専門学校(同市沼田、東郷治久理事長)の卒業式が14日、つくば市竹園、つくば国際会議場で催された。185人の卒業生を前に高橋仁校長は「皆さんが手にした卒業証書は、全国から注目を集める本校で実践教育を受けた証し。ペット業界の未来に貢献していく人材となった。次の目標に向かってがんばってほしい」とエールを送った。

東郷理事長は「動物に関する技能は教科書を読むだけでは決して身に付かない。優れた環境で勉強された皆さんは、真のプロフェッショナルになるための必要な愛情を身に付けたことと思う。ペット業界で必要とされるあらゆる技能を現場で集結できるはず」と卒業生に祝辞を述べた。

答辞を述べるドッグトレーナーコースの河口青波さん

卒業生代表として答辞を述べたドッグトレーナーコースの河口青波(せいな)さんは「ライセンスを取得する時に、パートナーの犬に思うように指示が伝わらず、互いの心が通わないもどかしさで自分を責めたこともあった。しかし諦めずに粘り強く向き合い続けた結果、合格をいただけた時の達成感は今も鮮明に覚えている。つくば国際ペット専門学校の卒業生であることに誇りを持ち、これからも努力を忘れずに精進していくことを約束します」と語った。

式典では、訓練士などの公認資格を授与しているジャパンケネルクラブの藤田透専務理事が、トリマーB、C級、ハンドラーC級、愛犬飼育管理士の合格者にライセンスを授与したほか、ビジネス能力検定3級、愛玩動物看護士の表彰も行われた。

式典の最後に、在学中の思い出を振り返る映像が会場の大スクリーンに流されると、卒業生に向けて、参加した保護者や在校生らからも大きな拍手が起こった。教員らのメッセージも紹介された。

式典に出席した愛玩動物看護師コースの原香織さんは「やりたかったことが学べ、無事、国家試験も合格できたのでとても良かった」などと振り返った。動物病院に就職することが決まっているという。

全員で記念写真を撮る卒業生と教職員ら

同校は1997年にトリミングスクールとしてスタートし、県内初の動物分野の専門学校として2006年に開校した。現在「ドッグトリマー」「ドッグトレーナー」「ペットケア総合」「愛玩動物看護師」「動物看護福祉」の5コースのほか、22年4月に開設された日本初の通信制コース「通信制ペット学科(3年制)」に約450人が在籍する。授業中も放課後も生徒1人が1頭の子犬と共に生活する「パートナードッグシステム」が特色であるほか、学校の隣りにはグループ企業が運営する犬のテーマパーク「つくばわんわんランド」(同市沼田)があり、日頃から実習を積むことができる環境が整っている。(榎田智司)

土浦の花火100年の紡ぎ(3)功労者たち《見上げてごらん》50

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土浦の花火オフィシャルカレンダー2026の表紙と3月の暦

【コラム・小泉裕司】今回は戦後の競技大会を牽引した功労者を取り上げたい。最初は、このコラムで何度も紹介した北島義一だが、その経歴は以下のようになる。

土浦創業の北島煙火

▽1936年 霞ケ浦湖畔の岡本埋立地で「北島煙火店」として創業
▽1945年 社名を「土浦火工株式会社」に変更
▽1946年 全国に先駆け、中断されていた土浦の花火を復活
▽戦後の競技大会化で強力なリーダシップを発揮
▽1955~73年 北海道から中部地方まで広く事業を展開
▽高度成長期の旺盛な需要に応え、各地の花火大会を受注
▽両国(現・隅田川)の花火大会で開催された日本一決定戦で優勝
▽輝かしい実績により「土浦の花火」の名声を全国的なものに

下妻の野手煙火

土浦全国花火競技大会が産声を上げたころ、土浦の花火文化を支えていた煙火業者がいたことをご存じだろうか? 1932年発行の『土浦商工會史』の業種別人名録「煙火の部」に唯一登録されているのは、田宿町(現大手町)の野手勝一氏。のちに野手煙火土浦支店を担う人物だ。

野手家は、下妻で明治中期から花火作りを学び、代々煙火業に携わってきた家系である。1933年に下妻町(現下妻市)に野手煙火工場を設立。1962年に社名を野手火工株式会社(社長・野手保)へと改めた。

歴史は古く、1926年に桜川畔で開催された第2回全国煙火共進會の打揚番組(写真)を見ると、「尺玉の部」に初代・野手喜一郎氏と二代目・勇治氏、「八寸玉の部」には勝一氏の名が刻まれている。

第2回大会プログラム(土浦市立博物館所蔵)第1回表

その後も、第54回、第55回大会で最高賞の通商産業大臣賞を連続受賞するなど、野手家はめざましい功績を残した。しかし、経営上の課題や後継者問題といった時代の荒波もあり、2013年、惜しまれつつも、その長い歴史に幕を下ろした。

土浦市は、1961年の第30回記念大会で、大会の発展に寄与した花火師として、北島氏らとともに勝一氏を表彰している。野手家は土浦の花火の草創期を支えた功労者であり、その歴史を語るうえで欠かすことのできないキーパーソンなのである。

北島の師匠、青木義作

大正末から第2次大戦にかけて、土浦や笠間をはじめ、全国各地で花火大会が大きな盛り上がりを見せた。このころは、のちに北島氏が師事する「花火の神様」青木儀作氏ら、花火史に名を残す名工たちが次々登場した時代でもあった。

しかし、1937年に日中戦争が勃発すると状況は一変する。火薬製造の取り締まりが厳しくなり、笠間、大曲、両国の大会など、大きな大会が次々と中止に追い込まれた。

こうした中、土浦市発行の「花火と土浦」の年表によれば、詳細は不明ながら、戦前の土浦では1940年まで開催されたと記録されている。これについて、筆者も当時の新聞記事などを調べたが、裏付けとなる事実は確認できていない。

戦火が激しくなると、細々と続けてきた花火も1941年には中止に追い込まれ、花火師たちも戦場へ駆り出されるなど、日本の花火史上、もっとも長く厳しい「失われた5年間」が訪れたのである。

「みんなが爆弾なんかつくらないで きれいな花火ばかりつくっていたら きっと戦争なんて起きなかったんだな」。花火を愛した放浪のちぎり絵作家・山下清画伯が残したこの名言を添え、本日はこれにて、打ち留めー。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

<参考文献>
「土浦商工会史」(土浦商工会事務所、1932年刊)
「茨城の諸職」(茨城県教育委員会、1989年刊)
「日本の花火のあゆみ」(武藤輝彦、あずさ書店、2000年刊)
「大曲の花火 100年の魅力」(秋田魁新報社、2010年刊)
「花火と土浦」(土浦市、2018年)

49年 市民が清掃活動 水戸街道の松並木守る 土浦

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街道の松並木で実施された清掃活動の様子。松並木は、夏は日差しを、冬は寒風を遮ってくれる

文化財愛護の会

土浦市東若松町にある市指定史跡「水戸街道松並木」で14日、市民団体「土浦市文化財愛護の会」による清掃活動が実施された。清掃活動は1977年の同会発足以来、49年間にわたって続いている。現在、旧水戸街道で松並木が残っているのは、この東若松町~板谷七丁目周辺だけ。

江戸時代から続く貴重な景観

水戸街道は、江戸時代初期の1604(慶長9)年、幕府により千住(東京都足立区)―水戸間の29里19町(約116km)が整備された。脇街道という位置付けで、東海道などのいわゆる5街道に次ぐ主要な街道だった。江戸時代の街道には、通行人を暑さ寒さから守るために松並木が整備されていた。

「ただし木自体はマツクイムシなどの被害により植え替えが進み、江戸時代のものはおそらく残っていない。それよりも、松並木の景観を守り伝えることこそが重要」と、愛護の会副会長の小林静さん(80)。

土手に積もった松葉をかき落とす

この日は会員約30人が参加し、プロテリアル金属(旧日立電線)入口から「板谷の一里塚」までの1キロメートルほどの範囲を手分けして清掃。午前9時から11時までで、90リットル入りのビニール袋70個分ほどの枯れ松葉を集めた。例年は100袋ほど集まるのでやや少な目だそうだ。袋は軽トラック3台に山積みにされて清掃センターへ運ばれた。

会員の一人、塙秀弥さん(23)は筑波大学の4年生で4月からは大学院に進む予定。学芸員の資格取得のため文化財について学んでおり、地域の文化財がどのように守られているか興味があって入会したという。「この並木道に来たのは初めてで、太い幹が残っているのを見て驚いた。普段は素通りしてしまうものに目を向けるきっかけにもなった。清掃活動は誰かがやらないと景観を損ねてしまう。やってよかったし、これからも参加していきたい」と感想を話した。

ビニール袋に詰め込まれた松葉の山

史跡の手入れやパトロールも

会員の一部は松並木の作業を終えた後、同市小高の高崎山古墳でも清掃作業をした。今年は一色家住宅(西真鍋町、国登録有形文化財)、鉄砲塚(都和一丁目、市史跡)、大岩田の一本松(通称・予科練の松)なども予定するほか、文化財パトロールも随時行っていく。以前は地主や地域の手で管理されていたものが、人手不足により行き届かなくなるケースが増えてきているという。

高崎山古墳。元は墳丘の中に収められていた石室が移築・復元されている

愛護の会の会員数は、各研究部会を合わせて250人ほどになるが、高齢化も進んでいることが悩み。もっと認知度を高め、会員を増やして活動を継続させていきたいと、市の産業祭や各中学校区の公民館祭りに参加し、地域の文化財を紹介するといったPR活動にも力を入れ始めている。(池田充雄)

作業を終えて記念写真

◆活動は会員外の見学・参加も歓迎。問い合わせは土浦市文化財愛護の会事務局(上高津考古資料館・古橋さん、電話029-826-7111)へ。

お上の悪には善では勝てぬ《映画探偵団》98

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】1969年、篠田正浩監督が近松門左衛門作の人形浄瑠璃「心中天網島」をモノクロで映像化し、キネマ旬報ベストワンを授賞、映画界の話題を独占した。そして1970年には、河竹黙阿弥作の歌舞伎「天衣粉上野初花」をべースにした寺山修司脚本の「無頼漢」(カラー)が公開された。

「無頼漢」は、闇に浮かぶ浮世絵師・絵金の絵を効果的なセットに使い、原色の衣装などで天保時代の江戸文化を再現し、華麗な世界を作りあげた。しかし、「心中天網島」に比べると観客の盛り上がリは今ひとつ起きなかった。

「無頼漢」公開1年後の4月23日、私は篠田監督にTVスタジオで偶然に出会い、話をすることができた。「心中天網島」よりも「無頼漢」が気に入っていると伝えると、「うれしいですね。無頼漢のよさ分かってくれるとは」と言って、胸ポケットから封筒を取り出し、英語の新聞記事を見せてくれた。

「これ、ニューヨ一クで当たっているんですよ。すごい褒め方だ」。そこで「篠田さん自身、心中と無頼漢、どちらが好きですか」と尋ねると、「無頼漢に決まってますよ」と言い切った。

虚構の世界で悪役が活躍する時代

「無頼漢」は、役者志望の遊び人・直次郎(仲代達矢)、妻と息子を亡くした暗闇の丑松、水野忠邦の体制を批判して追われる三文小僧、数寄屋坊主の河内山宗俊(丹波哲郎)、こわもて商人・森田屋清蔵、御家人くずれの金子市之丞、この6人の悪党がお上に対抗する物語である。

直次郎が主役で「芝居小屋の外で芝居をする役者になりたい」と言わせている。河内山宗俊は、上州屋の一人娘が奉公先の武家屋敷で殿様から妾になれと言われて困っていることを聞きつけ、二百両で助け舟を出す仕事を引き受ける。直次郎は侍にふんし、河内山と一緒に屋敷に向かう。つまり、芝居小屋の外で人助けの芝居をうつことになる。

だが後半は、河内山が目立ってくる。御知僧に化けた河内山の正体がばれ、武家屋敷の玄関先で侍に取り囲まれ、啖呵(たんか)を切る丹波哲郎が圧倒的によい。「ええ仰々しい、静かにしろ。悪につよきは善にもと、世のたとえにもいうとおり、親のなげきがふびんさに…」

当時、丹波哲郎の名調子を褒める評論は多かった。「お上の悪には善では勝てぬ」と、悪党・河内山の痛快さは魅力的だ。江戸でも現代でも、虚構の世界で悪役が活躍する時代とは、管理体制と秩序でがんじがらめとなり、自由を失った証しではなかろうか。

もし、つくば市でリバイバル上映するとしたら、人形浄瑠璃の「心中天網島」と歌舞伎の「無頼漢」どちらが受け入れられるだろうか? サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

<物語観光講座「つくつくつくばの七不思議」のお知らせ>
▽講演「つくば市章に隠された記号の謎」
▽映画『サイコドン』上映とおしゃべり
▽3月28日(土)13時半~15時半、カピオ小会議室2、参加費無料

「桜のまち」研究学園の未来へ《けんがくひろば》18

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研究学園公園の桜(2022年春)=筆者提供

【コラム・二木重光】つくば市研究学園駅前公園は、かつて日本自動車研究所の高速テストコースの一部に位置していた場所です。その歴史を今に伝えているのが、当時の所長さんらによって植えられた桜の木々です。春になると、やわらかな花びらが公園を包み込み、このまちの原風景ともいえる美しい景観を生み出します。新しい街でありながら、ここには確かに受け継がれてきた時間が息づいています。

しかし、その桜も長い年月を経て老木化が進んでいます。ここ数年だけでも病気や虫害の影響により、少なくとも6~7本が伐採されました。満開の華やぎの裏側で、静かに進む衰え…。

大切な風景が少しずつ失われつつある現実は、私たちに「守り、育て、つないでいく責任」を問いかけています。未来へ桜を手渡すためには、これまで以上に計画的な保全と、次の世代へと命をつなぐ取り組みが欠かせません。

そうした思いから、2026年2月17日、研究学園駅前公園の桜について、市公園施設課と意見交換の機会を持ちました。自動車研から引き継いだ桜の保存に努め、駅前公園を「桜の名所」として守り続けていくこと、さらに日本花の会・結城農場桜見本園の協力を得ながら、専門的な知見を取り入れて育成を進めていくことなど、方向性を共有することができました。

市公園施設課との打ち合わせ

4月4日に「けんがくさくらまつり」

公園に残る「関山」「普賢象」「松月」「御衣黄」といった貴重な品種の系統を受け継ぐことは、単に樹木を残すことではなく、この地の歴史と記憶を未来へつなぐ営みでもあります。

研究学園エリアには、駅前公園だけでなく、学園の杜公園や調節池周辺に広がる千本桜など、春を楽しめる場所が広がっています。それらを点ではなく線として結び、面として広げていくことで、「桜のまち」という新たな魅力がより確かなものになるでしょう。

研究学園公園の桜(2022年春)

今年も、桜の季節を彩る「けんがくさくらまつり」が4月4日に開催されます(雨天時は4月5日)。会場は研究学園駅前公園古民家周辺。主役は地域の皆さんです。ステージでは音楽が響き、会場には絵画や書道の展示が並びます。子どもたちに人気の消防車の展示や、けん玉や竹馬などの昔あそびも予定されています。世代を超えて笑顔が交わり、桜の下で思い出が重なっていく1日になることでしょう。

桜は、まちの記憶であり、人々の心に季節を届ける存在です。守る人がいて、楽しむ人がいて、未来へと願う人がいる。その積み重ねが、風景を育てます。今年の春もまた、研究学園の桜が、多くの人の心にやさしい彩りを添えてくれることを願っています。(けんがく活動団体連絡会 委員)

震災15年、原発事故を忘れない つくばで集会

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市民集会でスピーチをする東海村の大名章文さん

東日本大震災と福島第1原発事故から15年を迎えた3月11日、つくば駅前のつくばセンター広場(同市吾妻)で市民集会「さよなら原発 守ろう憲法 昼休み集会&パレード」(安倍9条改悪NO!市民アクションつくば連絡会、東海第二原発いらない首都圏ネットワークつくばなど主催)が開かれた。被災地からの避難者や市民団体の関係者らが登壇し、事故の記憶を語り継ぐことや原発政策、平和について考える必要性を訴えた。

集会の後、「原発再稼働反対」「東海第2原発の廃炉」「再生可能エネルギーへの転換」「いのちと暮らしを守る政治」などを求めるアピール文が参加団体により採択され、参加者ら70人余りがつくば駅周辺をパレードした。

「今も帰れない人たちがいる」

自身の体験を語る福島県双葉町出身の鵜沼久江さん

震災後、福島県双葉町から埼玉県加須市へ避難した鵜沼久江さんは、震災直後の混乱を語った。地震発生から2時間後に自主的に避難を始めると、その日のうちに福島第1原発事故による緊急事態宣言が発令され、原発から約3キロ圏内に避難指示が出た。12日早朝には半径10キロに拡大された。その日から15日にかけて、車中泊や避難所を転々とする生活が続き、その間に原発では3度の爆発が起きた。「何が起きているのか分からないまま避難していた」と振り返った。

避難後は埼玉県の高校などに身を寄せ、生活環境の違いから戸惑いも多かったという。双葉町に戻ったときにできることを考え、野菜づくりを学んだが、「15年経っても町に戻って昔のように生活することはできない」と語った。避難生活の中で夫を食道がんで亡くし、自身も昨年心筋梗塞を経験。「原発事故を二度と起こさないために何をすべきかを考えながら生きている」と話した。

集会の冒頭、震災の犠牲者に黙祷が捧げられた

また、東海第2原発が立地する東海村から参加した大名章文さんは、村での複雑な状況を語った。東海村は1997年の動燃火災爆発事故や1999年のJCO臨界事故を経験しており、「福島の事故を見て多くの住民が不安を抱えていた」と説明した。

一方で、昨年2月閣議決定された第7次エネルギー基本計画で政府が原発の最大限活用を掲げたことで村の雰囲気が変わったとし、「村民の多くが関連企業で働く中、反対の声を上げることが生活を脅かすかもしれないという恐れがある」と指摘。「言いたいことがあるのに言えない、不安はあるのに表に出せない沈黙の重さがある。だが沈黙は決して同意ではない」と述べ、避難計画など住民の安全確保への問題が解消されない再稼働を認めるわけにはいかないと、反対の立場を示した。

集会の後、パレードが行われた

つくば市の市民団体「憲法9条の会つくば」共同代表の石上俊雄さんは、現在も4万2000人以上が自宅に戻れない状況にあることに触れ、「命を守る社会を考える上で、憲法の問題とも向き合う必要がある」とし、防衛費の増加や、ベネズエラやイランでの軍事衝突に言及し、「武力による平和はありえない。対立をもたらし、突発的な戦争の危険を高めるもの。外交や国際協力こそが本当の抑止力だ」と述べ、憲法9条の意義を強調した。

同じく憲法9条の会つくばの阿部眞庭さんは、「福島第1原発事故により今も帰還できない人が多くいる」とし、「被災地で困難な状況にある人がまだたくさんいるのに、政府は原発の再稼働や新増設を進めようとしている。原発は弱い人たちを犠牲にした国策。震災と原発事故を忘れないこと、そして一人一人が考え、行動することが大切だ」などと呼び掛けた。(柴田大輔)

学生宿舎値上げめぐり紛糾 筑波大 大学側の強行姿勢に学生ら批判や撤回要求

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値上げの対象となる学生宿舎の一つ、筑波大学一の矢学生宿舎

平均1.4~1.5倍に

筑波大学(つくば市天王台、永田恭介学長)が今年4月1日から実施するとしている学生宿舎の寄宿料値上げをめぐって、大学側の強行姿勢に学生や卒業生らから批判が高まり、学生たちから値上げ撤回を求める動きが相次いでいる。

値上げ幅は平均で1.4倍から1.5倍近くで、最大2.1倍。金額ベースでは7210円から最大で4万8750円の値上げになる。学生宿舎の居室は全部で3517室あり、例年新入生の約4割が入居している。賃料と分離して新たに共益費8600円を徴収する。

昨年12月10日、大学側が学生たちに向け、学内情報システムの掲示板で値上げを発表した。宿舎賃料値上げは2008年にも実施されたが、値上げ公表後に学生への意見聴取会を3回行うなど約2年かけて丁寧に実施した。しかし今回は発表が値上げの約4か月前と突然だ。

12月10日の発表について、複数の筑波大生は「事前予告も何も無かった。大学から『決定事項』と伝えられた」といい、大学公認の学生代表組織「全学学類・専門学群・総合学域群代表者会議」(全代会、大学の学生会や学生自治会に相当)にも大学側から事前通告は無かったと話す。

共益費を含む。値上げ率は全代会算出による

大学側が昨年12月発表した「学生宿舎寄宿料改定のお知らせ」によると、値上げの理由は▽維持管理費および光熱水費の高騰▽宿舎施設の老朽化に伴う修繕費の増加▽生活環境の維持、向上のための設備更新(居室へのエアコン設置)など。

大学の発表を受けて全代会は12月中、急きょ全学生を対象にアンケートを実施。回答した831人のうち現在宿舎に住んでいる学生が512人と約60%を占めた。

アンケート結果は、82%が通知時期について「遅かった」と答え、宿舎に住む学生に限っては83%が「通知が遅かった」と回答した。

宿舎に住む学生への質問では、大学への要望(複数回答)として、値段の維持(65%)▽値上げ幅の縮小(50%)▽学生との合意形成(36%)▽値上げの延期(34%)▽宿舎設備の改善(29%)と、値上げの凍結や値上げ幅縮小、値上げ延期を望む意見が多く寄せられた。

アンケート結果を受けて全代会は、今年1月7日付で学生担当の千葉親文副学長に対し▽値上げについて学生と議論を通じての合意の形成▽寄宿料、共益費の値上げを2027年4月1日まで延期▽経済的に困窮している学生に対して、援助の方法を用意し周知を行うことによって保護を与えること―の計3項目からなる要請書を提出した。

全代会とは別に、学生有志の団体「筑波大問題を考える会」も永田学長宛てに、値上げに関する事項などの質問状を提出している。

録音録画やSNSでの公表禁止

こうした状況を受けて1月20日、大学構内で初の学生向け説明会が行われた。学生によると、約4時間にわたり紛糾したが、説明会に関する録画録音やSNS上での公表禁止など、内容を非公開とすることを求められた。

その後2月15日、同大学OBで人権派弁護士として知られる指宿昭一弁護士が、筑波大生有志から相談を受け、説明会のやりとりの内容を自身の弁護士事務所の公式サイトで公表した。

公表文書などによると、千葉副学長は説明会では終始高圧的な態度で「学生さんが入る会議とか、ミーティングっていうのは存在しません」などと、学生軽視ともとれる発言をしたという。また賃貸住宅・アパートなどに住む借主の権利を定めた借地借家法の適用に関し「借地借家法の適用はノーです」などと話したという。

さらに、全代会が1月7日付で出した値上げ延期などを求める要望については、対応は行わない旨の発言があったという。

内容公表に踏み切った指宿弁護士はサイト上で「学生の言論の自由に対する不当な制限であり、憲法21条1項に違反する人権侵害行為」だと、外部への公表禁止を強いた大学当局を強く批判した。その上で今回の賃料値上げを「学生の生活の基礎となる寄宿料を一方的にしかも大幅に値上げすることは許しがたいことであり、しかも、その説明会の内容について批判する言論すら封殺するという行為は真理探究の場である大学がやってはならないこと」と、反対の姿勢を示した。

その後、2月16日に2回目の学生向け説明会が実施された。出席した学生によると、2回目は前回と違って副学長の態度は丁寧だったが、説明内容は前回と同じで、値上げ時期の延期や値上げ額の見直しは無かったという。NEWSつくばは取材を申し込んだが、大学側は「学内の事なので」などの理由で説明会の取材を拒否した。

学生有志が「撤回求める会」結成

大学側に交渉申入書を提出した「筑波大学学生宿舎寄宿料増額の撤回を求める会」の学生有志たち=つくば市天王台の筑波大学入口前 

大学側の強硬姿勢に対し、学生有志らは「筑波大学学生宿舎寄宿料増額の撤回を求める会」を結成。3月2日に大学側に賃料値上げ撤回や値上げ延期を求める要求書と交渉申入書を提出した。

申入書は、賃料値上げ撤回や値上げ実施延期の他に、学生宿舎入居者代表や全代会との協議や同意なしで値上げを行わないことや、学生が申し入れをしたことを理由に学業や生活上の不利益を一切与えないことの確約などを求めている。

同会代表の男子大学院生(22)は取材に対し「決して世間知らずの学生が騒いでいるわけではなくて、今回の(賃料値上げ)問題は大学の自治のあり方、運営費交付金を巡る国の教育施策のあり方にもつながってくる問題」だと話す。

同会ではネット上で署名活動も展開しており、同会の大学院生は「関心のある方は署名してくださるとうれしい」と呼び掛けている。

同会の申し入れに対し、同大広報局は取材に「学生からの要望について、大学の対応状況は公表しておりません」と回答している。(崎山勝功)

【メモ】学生宿舎は民間アパートと違い、敷金礼金などの費用や保証人、家賃保証会社の保証が不要で、初期費用が保証金3万円と入居月分の賃料で済むことから、地方出身の学生や外国からの留学生などの需要が大きい。ただしどの宿舎に入居するかは学生本人が選べないため、設備が古い宿舎に入居する事もあるという。
▽4月1日からの値上げでエアコン未設置の居室については、エアコン設置までの間は月々の賃料から2500円を減額する。
▽値上げ幅が最大の「ショートステイハウス一の矢32・33号棟」には、身体障がいを持つ学生向けのバリアフリー対応居室があるといい、筑波大生によると「つくば市内でも(民間アパートの)エレベーター付き物件は極めて少なく、電動車いすでの入居は困難」という。

がん治療で読んでおきたい本《ハチドリ暮らし》59

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写真は筆者

【コラム・山口京子】がん治療をする上で知っておきたい情報が整理されている3冊の本を見つけました。

最初のお勧めは「国立がん研究センターの がんになったら手にとるガイド」(国立がん研究センター・がん対策研究所著、小学館クリエイティブ)です。がんと診断されてからの検査、治療、生活、仕事、お金、体験談などがまとめられており、これからどうなるのだろうという不安に対して、見通しを立たせてくれる本です。

次のお勧めは「専門医が教えるガン克服の21カ条 ガンとわかったら読む本」(佐藤典宏著、マキノ出版)です。医師からがんと告知されたあと、患者本人がどのような選択をするのかによって治療の進展が違ってくるので、標準治療、非標準治療、西洋医学、東洋医学などにこだわらず、自分がよいと信じる治療法を組み合わせることがよいと書かれています。

また、告知されたときに知っておくべきこと、手術前にしておくべきこと、手術後に心がけるべきことなど、貴重なアドバイスが載っています。

恐ろしい「多重複合汚染」

3冊目は「がん患者3万人と向きあった医師が語る正直ながんのはなし」(西尾正道著、旬報社)です。この本では、がんと医療の問題を考える一つのきっかけとして、近藤誠医師(がん放置療法の提唱者)の主張の誤りを指摘しつつ、日本の医療の問題点を述べています。

また、放射線によるがん治療の意義と今後のがん医療の在り方、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)が日本の医療や食物の安全に与える影響、福島原発事故による放射性物質が健康に与える影響、低線量被ばくがもたらす健康被害などが語られます。

さらに、化学物質と放射性物質の「多重複合汚染」が子どもの発達障害の原因ではないかとの脳神経科学者・黒田洋一郎氏の指摘を読むと、がんの増加やさまざまな病気の原因に「多重複合汚染」があるのではないかと考えてしまいます。そして、放射線の核種と線量の公開を求めるなど、福島原発事故対策のあり方を明記しています。

1945年の原爆投下以来2000回以上と言われる核実験、チェルノブイリ原発事故、福島原発事故などで、健康被害が静かに進行しているのでは!(消費生活アドバイザー)

「第二の人生」という言葉《続・平熱日記》190

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】そろそろ、燃やしても構わない1年分の紙切れをストーブにくべてしまおう。そう思って、封筒やレシートを一応広げてみる。すると、クリアファイルの中からちょっと懐かしいものが出てきた。それはスケッチブックの切れ端に生徒が描いた私の似顔絵。随分古いものもある。描いてくれと頼んだことはないけど、くれたものを捨てずに取っておいた。

大学院のころから続けてきた日雇い先生の仕事がもうすぐ終わる。最低限の生活の糧として止むに止まれず始めた仕事だったが、我ながら随分長い間続いたものだ。

聞かれれば答えるが、学校で自らプライベートな話をすることはない。しかし、最近の子は悪気もなく既婚か否かを聞いてくる(先生もプライベートな話をするらしい)。「孫がいるよ」というと、たいがいの生徒は驚く(年齢のことではなくて独身にしかみえない?)。

妻が数年前に他界したことを言うのが面倒臭いこともあって、そう答える。そうすると、やれどこで知り合っただのクリスマスはどうするだのと聞いてくるから、適当にお茶を濁す。だから、生徒は私が今も夫婦仲良く暮らしているものだと思っている。

私の似顔絵を描いてくれた生徒

人生を逆算して生きるのにはどうも抵抗があったが、両親が届け出の期限ぎりぎりまで思案した末に「馨」というイカした名前を授けられた孫娘が生まれたことで、この子の年齢に今の自分の歳を足して将来をイメージせざるを得なくなった(20歳になるころまではギリ大丈夫か?)。

1人目、2人目と孫が生まれて、すぐに絵を描いて、それは長女の家に飾ってある。さて馨のも描いてやろうと試みたが、どうもうまくいかない。女の子だからちょっとかわいらしくと思うのがいけないのか、生まれて間もない赤子というのは文字通り赤いごろんとしたもので、大人の顔を描くようにはいかない。

「第二の人生」という言葉は、私のようにずっと日雇いで暮らしてきたものには当てはまらない。途中、何度か就職することも考え、試みたこともあったが、それはかなわず家族に苦労ばかりをかけたと思う。それが良かったのか悪かったのかを考えてもしょうがない。

今思えば、どこにも属さず束縛されることなく、今も絵を描き続けられているということと引き換えだったんだろう。そのツッパリも無意味ではなかったのか、有り難いことに、ここにきて私の絵を応援してくれる人たちがいる。第一も二もない私の人生の続きは、いつものように朝牛乳パックのパレットに絵具を出すことから始まる。

日雇いとはいえ、随分たくさんの子供たちと過ごした。〇〇世代とか、今の子供たちは…とか、いつの時代も言われてきたけれど、50年前の私たちと今の子たちは何も変わらない。同じようなことを話し、同じように悩み、同じように笑って。

コロナ禍以降はマスクをしていたせいで、しばらく私の似顔絵を描く子はいなかったが、先日、1人の生徒が、描いたものをうれしそうに渡してくれた。最後の授業が終わったとき、その子に私が独り身であることを打ち明けてもいいかなとも思ったが…。(画家)