火曜日, 10月 13, 2026
ホームつくば腹話術全国大会で準優勝 つくば市在住の小学校教員 渡邊隼人さん【ひと】

腹話術全国大会で準優勝 つくば市在住の小学校教員 渡邊隼人さん【ひと】

つくば市在住の小学校教員で、現在つくばみらい市立陽光台小2年生を担任する渡邊隼人さん(40)が、大阪府吹田市で4月に開かれたアマチュア腹話術師の全国大会「F-1腹話術グランプリ」で準優勝を果たした。併せて、過去4回の大会でいずれも決勝まで勝ち残った出場者に贈られるレジェンド賞を受賞した。ステージネームは「香之鳥(こうのとり)」という。

アマチュア腹話術師として全国ナンバー2の実力だ。4月の大会では「腹話術の王道を突っ走っている」「さわやかで引きつけられる」「歌を歌いながらの人形との掛け合いがすばらしい」などと評価された。

「F-1腹話術グランプリ」で準優勝し渡邊さんの相棒の「たっくん」にメダルを架ける主催者(渡邊さん提供)

つくば市立作岡小(現在は秀峰筑波義務教育学校)教員だった2015年、一つ上の先輩教員に「一緒に習い事をしよう」と誘われ、市内の商業施設「イーアスつくば」のカルチャーセンターで腹話術を習い始めたのがきっかけ。月1回通い、かすみがうら市の腹話術師、田谷京子さんから技を学んだ。めきめき上達し、4年後の2019年、田谷さんの教え子として最高位の1級を取得した。「(ステージで)お客さんとコミュニケーションをとる際、自分だけでなく、人形もお客さんと目線を合わせることができるようになるまでがなかなか難しかった」と振り返る。F-1腹話術グランプリには、大会がスタートした2022年から連続出場する。

東京都出身。大学では生物学を専攻した。卒業後、都内で幼稚園教諭や学童保育指導員などを務めた経歴がある。当時の幼稚園教諭、保育士、教員仲間と2017年に、お話会ボランティア「おはなしらぼ」を設立し、現在も仲間とつくば市や埼玉県内各地で月1回程度、未就学児や小学校低学年を対象に、腹話術とパネルシアターや絵本の読み聞かせ、歌などを組み合わせたステージを披露している。

「おはなしらぼ」のパネルシアターの様子=つくば市竹園、えほんやなずな

前任のつくばみらい市立板橋小(現在の伊奈東小)では特別支援学級の担任だった。授業に腹話術を取り入れ、子供たちが腹話術の人形と対話しながら自分と向き合う取り組みに挑戦した。授業で、「自分のせっかちな性格が好きじゃない」と話し出す子供に、渡辺さんが操る腹話術の人形が「それは、先回りして計画的にできるということでしょう」と切り返す。短所だと思っていた自分の性格を、別の視点から見せることで長所に変え、前向きな感情を引き出し、子供たちが自分自身と向き合う試みの一環だ。この試みを2023年の腹話術グランプリで発表し、「映像部門・仕事に使える腹話術部門」で優勝した。腹話術は現在も学級運営や特別な授業の際などに取り入れている。

相棒の人形は現在、オレンジ色のモンスター人形「たっくん」、おばあさんの「菊さん」、サルの「モンちゃん」、豚の「トン吉くん」、男の子の「ケンちゃん」など。6月14日、つくば市竹園の書店「えほんやなずな」で開いた「おはなしらぼ」のステージでは、モンスター人形「たっくん」と登場し、ほかのメンバ―との掛け合いで笑いをとり、子供たちを大喜びさせた。18日には陽光台小2年生全員約150人を対象に交通安全教室を開催。男の子の人形「ケンちゃん」と、横断歩道の渡り方などを笑いを交えながら教え、子供たちの目を輝かせた。

交通安全教室で、「ケンちゃん」と掛け合いをしながら、2年生150人に講話をする渡邊さん=つくばみらい市立陽光台小学校

練習は、朝夕の通勤時、車を運転しながら、一人車内で大きな声を出したり歌ったりするのが日課という。「お客さんとやり取りし、拍手をいただくことは幸せな時間」「今は人形が手になじんできて、勝手にしゃべり出す。人形に助けてもらっている」と語る。

学校では、今後も学級運営などに腹話術を生かしていくほか、「おはなしらぼ」の活動を続けたいと話す。新たに都内の小劇場の舞台に立ち、お笑いの世界に挑戦するなど芸の幅を広げることも視野に入れる。(鈴木宏子)

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