月曜日, 4月 21, 2025
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《くずかごの唄》21 医学部入試の男女差別 ウソみたい

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【コラム・奥井登美子】「入学試験に男女差別、新聞に書いてある」「まさか、マンガ??」「今の日本に、ウソみたい」

私は前から、医療に携わる人、特にお医者さん、看護師さんで、出産と育児と家族の介護で苦労した体験者は、貴重な人材だと思っていた。子育てと出産体験は、どんなに優秀な男でも真似の出来ない体験で、人間として大事な精神的試練だと思っている。

平成30年9月5日の新聞に、医学部入試の男女差のデータが載っていた。一部の大学の医学部で、受験の時に女性差別が行われていたことが数字になっていた。受験の段階で女性を差別するなんて、聞いたことがなかった。疑わなかった。

理由がもっと恐ろしい。女性は出産と子育てで仕事を休む時期があるから、女性の医師は世に送り出したくないというものである。私は日本の医療は他の国より差別がないと思い込んでいただけに、ショックは大きい。

このような本質的な問題で、日本の社会のもろさ、危うさが露呈されたようで、とても情けなかった。

子育て経験を医療に生かす

女性医師たちも、声を大にして差別社会にかみついてほしい。医学部も薬学部も6年制で、卒業してからも医師国家試験、薬剤師国家試験というハードルが待っている。入学しただけで、医師になれるとは限らない。

医師が出産と子育てで10年~15年休んでも、仕事が続けられるシステムをつくってほしい。子育ての貴重な体験を医療に生かす工夫をすれば、日本の医療にとっても大いにプラスになる。

薬剤師仲間との仕事上のつきあいの中でも、育児体験のある人は物事を具体的に表現する技を心得ている。子どもたちに説明するのに、科学用語や医学用語で表現しても意味のないことをよく知っているからだ。(随筆家)

《光の図書館だより》10 まなびのまち・土浦「学祭2018」

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土浦市立図書館
学祭を告げるチラシ

【コラム・入沢弘子】新学期が始まり、アルカス土浦の市立図書館にはいつもの静けさが戻ってきました。夏休み中は、毎日2,000人以上の方が来館しましたが、目立ったのは高校生の姿。土浦には、特別支援学校の高等部や中等教育学校を含み、公立と私立合わせて10の高校があります。

館内でも、OBOGらしき方が、制服姿の高校生と笑顔で語り合う姿など見受けられます。先輩方が市内に多く住まわれていることもあり、後輩を温かく見守り育てる土壌があるのではないでしょうか。

県内でも水戸に次いで高校が多い土浦。10高校の在校生総数は、約9,000人。アルカス土浦×高校生、この2つの特徴をシティプロモーションに活かす試みを、この秋実施します。題して「学祭TSUCHIURA2018」。11月24日(土)は、土浦駅前に全高校が集合し、各学校の特徴をPRする“土浦の高校生のおまつり”を行います。

学校自慢の部活動も披露

個性豊かな制服を着用しての学校紹介、学校自慢の部活動披露、学校対抗ビブリオバトル、美術作品展示、学校紹介ブース設置、現在実施中の俳句イベントの表彰―などを計画中です。在校生の家族はもちろん、卒業生、土浦の高校受験を目指す小・中学生やご父兄も、この日に来場されたら、土浦のすべての高校の生徒の様子が御覧いただけます。

会場は、図書館が入居する複合ビル・アルカス土浦と土浦市役所横・うらら大屋根広場です。ちなみに、アルカス土浦の屋上、前の広場、1階のラウンジは貸出可能な施設です。1日を3つの時間帯に区分し、料金設定も各2,000円というリーズナブルさ。

定期的にマルシェが行われ、ビアガーデン、ミニコンサート、犬猫譲渡会なども実施されています。お問い合わせは土浦都市開発(029-826-2206)まで。ぜひご利用ください。(土浦市立図書館館長)

《ことばのおはなし》1  夢のおはなし 脳内に想起されたこと

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筆者の山口絹記さん

【コラム・山口絹記】こんな夢を見た。

むせ返るほどの緑の匂いに目を開くと、どこまでも続く野原が月明かりに照らされ、やさしい風にそよいでいる。遠くから聞こえる雷と、ピアノの旋律。

月に冷やされた大気がきらめきながら降りそそぎ、地表すれすれで音もなく消えていく。 ピアノの音が静かに消えていくのにあわせて、地平線から日がのぼった。夜空の黒。恒星の赤。草原の緑。全てがあわさる地平線は見たこともない青色に染まって、少しずつ世界を明らかにしていく。

朝日を背にした人影が、丘を静かにおりてきた。その歩みに若草が波紋を立てる。降り始めた霧雨が、やがて勢いを増しても、わたしはただ濡れるだけで、身動きひとつできずに人影を見つめていた。

あなたは、わたしの手をとって歩き出した。降り注ぐ雨など気にしていないかのように。雨を、楽しんでいるかのように。顔の部分だけが、もやがかかったようによく見えない。

足下から衝撃波のように広がった青白い光が通った後には、雪のような白い花が咲き誇る。歓声に振り返ると、どこから現れたのか、数え切れないみこしがきらきら光る装飾を揺らしながら押し寄せて、祭ばやしが鳴り響いた。嵐のように過ぎ去ったみこしの後には出店が並び、浴衣を着た人の波の中に自分がいることに気づく。

あなたはわたしの手を引いて、ためらわずに人混みをかき分けていく。突然振り返ったあなたはわたしの顔をじっと見つめた。懐かしさがこみ上げて、泣きたいような気持ちになる。地面から飛び出したニシンの大群が宙を舞い、わたしたちの周りをらせんを描きながら空の彼方に消えていった。

ひしめく鉄塔、夕暮れの神社、夜の商店街、誰もいない公園、団地の駐車場。周囲の景色が、少しずつ回転速度を上げる壊れたリール映写機の映像のように切り替わっていく。万華鏡の中を走るように世界がぐるぐると変わる。やがてその景色も極彩色の流線型となって視界の隅に散っていった。

「もっと、見たことないものが見たい」。

そう言って、きびすを返し歩き出す背中を追いかけようとして、足が一歩も動かないことに気がつき、目が覚めた。

伝えたい気持ち

脳内に想起されたものは、ことばにすることができる。しかし、それがそのまま他者に通じることは、きっとない。幾万幾億のことばを尽くし、積み重ねても、真に共有することは、恐らくできない。それでも、わたしたちがことばを尽くすのは、伝えたいという気持ちであり、願いそのものでもあるのかもしれない。

ことばとは、なんだろうか。わたしにはわからない。だから、生きている限りは考えてみようと思う。今よりも、少しはましなことばで表現できるように。脳出血により、一度ことばをなくしてしまったわたしは、折に触れてこんなことを考える。(言語研究者)

【やまぐち・まさのり】1988年神奈川県生まれ東京都育ち。つくば市在住。脳動静脈奇形(AVM)による脳出血、失語、失行を経験する。リハビリと育児と仕事の傍ら、放送大学にて言語学と心理学を中心に学ぶ日々をおくる。

《土着通信部》20 もうナデシコの花はない 秋の七草考

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上段㊧から㊨へハギ、ススキ、クズ、ナデシコ、下段はオミナエシ、フジバカマ、アサガオの花(土浦市内で)

【コラム・相沢冬樹】萩の花 尾花 葛花 瞿麦(なでしこ)の花 女郎花(おみなへし) また藤袴(ふぢばかま) 朝貌(あさがほ)の花(『万葉集』巻八) 順にハギ、ススキ、クズ、ナデシコ、オミナエシ、フジバカマ、アサガオで秋の七草。万葉歌人、山上憶良(やまのうえのおくら)の詠んだ歌を起源とし、歴史的には春の七草より成立が早い。春は食用だが、秋は花を観賞するラインアップになっている。

日々の散歩ついでに、これら七種の花をカメラに収めようとしたが、9月のスタートではもう間に合わなかった。たとえば、山上憶良の時代だと、アサガオはまだ日本に移入されておらず、植物学者の牧野富太郎は「朝貌の花」はキキョウであるとの説を採っている。一般にキキョウならば夏の花で、9月(仲秋、旧暦8月)には花期が終わっている。

ナデシコとなるとさらに早い。代表的なカワラナデシコの場合だと花の盛りは6、7月で、8月末に花の姿はない。筑波実験植物園(つくば市天久保)に問い合わせると、「園内で見られたのは8月半ばまで」という。ことし暦の上では8月7日が立秋、8月11日から旧暦7月(初秋)に入っていたとはいえ、特に猛暑の真っ最中、「秋」と呼ぶには相当無理があった。俳句でも瞿麦(撫子)は、夏のものか初秋のものか定まっていない。

逆にフジバカマがほころぶのは9月下旬だから、七草が一時期に咲きそろうことは上代でもなかったはずだ。近年は環境の変化からか、散歩道で見つけるのは難しい。オミナエシも見かけるのは花壇に植えられた園芸種ばかりになった。

そんななか、我が物顔で野山に大繁茂しているのがクズ(葛)である。夏の暑さに比例するかのようにツタ草が樹木や電柱を伝って高みに達し、これから赤紫色の花穂が見ごろを迎える。僕のつくばの知り合いは子供のころ、根っこのある場所に印をつけておき、冬場になると枯草を掘り返したものだと言っていた。

きちんと掘ると人の背丈ほどの根が採れる。この根を適当な大きさに切り、乾燥させて繊維状に砕き水に浸す。アクやカスを取り除くとデンプンが含まれる白濁液になる。その沈殿を待って、上澄み液をすくって再度水を加える。この工程を繰り返すと真っ白な沈殿物が得られる。葛粉(くずこ)である。葛粉は水に溶き加熱すると、今度は透明な状態で糊化(こか)して葛湯や葛切りになる。冬場、いかにも身体が温まりそうな食品である。

良質な本葛ともなれば高級食材のはずだが、今や誰も採集しようとしない。実際に掘ってみたという「くずかごの唄」の奥井登美子さんの話だと、「根っこは親指ほどの太さしかなく、しかも地中に散らばって張っているから手間ばかりかかった」そうだ。実益を生む資源にはなりそうもないけれど、環境教育向けにツタ草を巻き取って、丸めてつくるクリスマスリースを準備している。夏から冬まで楽しめる素材が秋の七草ということである。(ブロガー)

《吾妻カガミ》39 1㌦=360円⇒308円⇒111円

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坊大蔵大臣緊急会見 1971.8.27

【コラム・坂本栄】このコラムの掲載日、9月3日は私の誕生日に当たります。仕組んだものではありません。担当日(第1・3月曜)が偶々、今日になっただけのことです。還暦+12支1回り=72歳ですから、随分長く生きて来たものです。

世界中20億の人が使うフェイスブックには自己紹介欄がありますが、そこには「体は劣化しているが頭は20代後半」と書き込んでいます。お友だちへの手前、頭は若いと格好をつけているものの、体の劣化(あちこちに不具合が発生)は抗いようがありません。

誕生日を前に、20代後半は何をしていたのだろうと考えていたら、壁に掛けてある額の隅に挟んでおいた白黒写真が目に止まりました。世界を揺さぶったニクソンショック(ドルの金交換停止、主要通貨の対ドル切り上げ、1971年8月)を受け、坊秀男大蔵大臣が緊急招集した記者会見です。

おでこにコブがある坊蔵相の頭の上(朝日の岡田幹二記者)の上の黒眼鏡が私(20代後半手前の24歳)です。戦後ずっと1㌦=360円だった固定相場が、厳しい交渉の結果308円に切り上げられる(71年12月)プロセスの一場面ということもあり、取っておきました。

大臣邸ではオールドパー

大蔵省(現財務省)に回されたのは、入社2年目の春。1年目は編集局の雑用係でしたから、晴れて現場と張り切っていたら、米大統領の電撃発表。記者クラブの末席として、あちこち駆け回る取材がスタート。テーマがテーマだけに緊張を強いられる4ヵ月(8~12月)でした。

特に構えたのが、坊大臣邸への夜回り。切り上げ時期はいつか、その幅はどのくらいか、日本経済が受ける打撃の程度は―といったやり取り、しかも曖昧な大臣発言に全身耳にする日々。

問題は、夜回りはメモ禁止という慣例があることでした。当時は小型録音器がありませから、Q&Aは記憶するしかありません。ベテラン記者の後方に控えめに座り、やり取りを頭に押し込む作業です。終了後公衆電話に駆け込み、デスクに報告するのが仕事でした。

苦行だけでなく、楽しみもありました。夜の大臣邸ともなると、高級ウイスキー・オールドパーが出たのです。ウイスキーといえば、ニッカ・レッドかサントリー・トリスしか飲んでいませんでしたから、大臣邸は(記憶が薄れない程度に飲む)高級バーでもあったわけです。

為替は1割近い切り上げでも落ち着かず、その後変動相場制に移行、現在に至っています。8月末は111円でした。円の力が3倍以上になったおかげで、自宅でオールドパーを飲んでいる72歳です。頭を活性化させ、20代後半に担当した分野(大蔵省・自動車・造船・日銀)の今と昔を比較しながら。(経済ジャーナリスト)

《猫と暮らせば》4 猫との共生に求められること

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処分される運命だった雄猫のソラ(18歳8カ月)

【コラム・橋立多美】タイトルの「猫と暮らせば」は私の暮らしそのもの。旅行に行くときは猫の健康と面倒を見る者の確保を第一に考える。外出は用事が終われば一目散に帰り、ひたすら猫に仕える日々を喜々として送っている。

昔は猫を飼うきっかけと言えば、「捨て猫を拾ってきた」「近所の家で生まれた子猫をもらってきた」というのが定番だった。最近は猫の飼育数は犬の飼育数を上回る952万6000匹。猫ブームに便乗して、ペットショップで販売される猫の数も増えている。

猫ブログや猫専門のテレビ番組、雑誌も多い。「かわいい」「癒やされる」ともてはやし、手軽に飼えるイメージがある。その主たるものが、散歩がいらない、マンションでも飼育できる、世話はいらない、鳴き声がうるさくないというものだ。

確かに散歩は不要だが、住み家を分かち合い、生活を共にするための心配りが必要で、高い場所が好きな猫のためのキャットタワーなる商品も販売されている。また皮膚病予防のブラッシングの度にモフモフの毛が舞い上がり、特に夏毛に変わる初夏からは抜け毛が多くなる。猫飼いには掃除機は必須アイテムなのだ。

子猫のミャーミャーという鳴き声はかわいいが、我が家の18歳の雄猫は人間同様に認知症状が現れはじめ、早朝や深夜に甲高い鳴き声を響かせる。動物医療の発達と飼育環境が良くなったことで長生きをするようになったためで、これからは介護まで請け負う覚悟が求められよう。

ブームに乗り、猫を手に入れたが結局は飼いきれずに飼育を放棄したり、ノラ猫が産んだ子猫が持ち込まれる笠間の動物指導センターでは昨年375匹の猫が殺処分されている(犬は338頭)。殺処分とは虐待の最たるものだ。幼子が親に虐待されると非難の声が沸き起こる。大量の猫への虐待にはなぜ無関心なのか。

小学生の頃から猫好きだった私はこれまで6匹の猫を見送った。それぞれに個性があり、わがままで優美な肢体に見とれる時期から、視野が狭まってヨロヨロしながら歩き回る末期を含めての共存生活だった。

よく、あの世に逝くと亡くなった親や友人に会えるという。私はあの世とやらで再会できるのなら、かつて見送った猫たちが並んで待っていてくれることを望んでいる。(ライター)

《続・平熱日記》20 酷暑下の草刈り 頭に浮かんだこと

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【コラム・斉藤裕之】牛久市猪子(ししこ)にあるアトリエ・カフェその名もSiSiCo。様々な活動にも使われているコミュニティスペース。第2、第4日曜日、薪(まき)で焼くピザは絶品。そこから、恒例のビアガーデンパーティーを前に草刈りを頼まれました。

夏は生き物が輝く季節。草もどんどん伸びる。いや伸びるなんてもんじゃない。今年は特に。さて、朝のうちに膝も隠れるほど伸びた草を刈払機で刈り、そのままお天道様のお力で干からびさせます。相当な汗をかきました。

次の日。刈った草を集め、市指定のごみ袋に詰めていきます。薪割りしかりですが、割るよりも後始末の方がきついのと一緒で、刈った草の始末が意外に重労働。まず熊手で草の畝(うね)を作るように集めます。太陽に当たっていないところはまだ生の草で、ずっしりと重さを感じます。結構な広さの敷地には畝が何列にもできました。

この時点で猛暑日の予想通り、Tシャツは絞れるほどの汗。余談ですが、最近話題のサマータイム。日本の暑さは気温よりも湿気が問題です。要はタイムよりもマンス。9月開催が無理なら、オリンピックはお盆過ぎにずらす方がいいのではないかと。

草を袋に詰めている俺は?

一息入れたらごみ袋に詰めていくのですが、これがまたきつい。茎のしっかりしたヤツは要注意。ぎゅうぎゅうに詰めていく力でごみ袋を突き破ってしまいます。無言のまま続く作業。

滴り落ちる汗とともに頭の中に浮かぶこと。この時はなぜか高校同級生の顔。みんなちゃんとした会社に勤めて、いっぱしの地位についているんだろうな。それに比べて、このクソ暑い中、草を袋に詰めている俺はどうなんだ? いや、こうなるべくして今俺はこうしているのだ。いいじゃないか…。

ちょっとセンチメンタルになったりするうちに、これはもしかして、例の「命に係わる暑さ」ってやつか? 「50代男性、草刈り作業中に熱中症で搬送」という新聞の見出しがリアルに頭をよぎり、草刈り作業史上初めての途中棄権と相成ったわけです。

翌日。朝から残りを袋に詰めて、ミッション完了。並べた45㍑入りの袋は湿気でくもり、まるでエイリアンのタマゴ? その数ざっと40。

刈った草を袋に詰め、それを市が回収し焼却するというのは手間もお金もかかります。家庭の草ぐらい燃やしてもいいと思うのですが。「煙たなびく苫屋こそわがなつかしき住処なれ」は、今は昔。

暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので、彼岸を過ぎると草は伸びるのを諦めるようです。それまで、あと2回は草刈りをしないといけないでしょう。一方、甲子園では「雑草軍団」が活躍した夏。坊主頭だった彼らの髪の毛はというと、こちらはしばらく刈られないまま伸びていくのでしょうね。(画家)

《邑から日本を見る》22 東海村は福島の原発事故に学べ

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土浦市本郷の「ともいきの郷」で講演する 前福島県双葉町長・井戸川克隆氏(左奥)

【コラム・先﨑千尋】前福島県双葉町長の井戸川克隆さんは、土浦市での講演の前日、東海村のHPで村の資料を集め、内容を調べた。今回は、井戸川さんの話の中から、東海村の避難計画などについて伝える。

前双葉町長井戸川さんの話を聞く (2)

3・11のあと、井戸川さんは町民を埼玉県に避難させたが、その時の反省をこう語る。「私は、双葉町民を県内の川俣町から、さいたま市のスーパーアリーナに避難させ、最終的に同県加須市の旧騎西高校に移動させた。役場機能もそこに置いた。私は双葉町の住民が諦め、気力を失うのが怖かった」。

「福島原発からできるだけ遠くに、『とっとと逃げろ』ということだった。しかし、逃げたあとの計画、どこでどうすればいいのか、住宅、仕事、子どもの学校などの計画を持たなかった。避難させるだけで、あとのことを考えてなかった。避難で、行政は住民に負担と我慢を与えてしまった」

そして、東海村については「国はかつて、東海第1原発で事故を起こしたら、いくらかかるかを試算し、国の予算の2.3倍という数字が出た。膨大なので、事故は起きないことにしようということになり、この数字は公表されなかった」。私はこの数値について詳細を知らないが、東海原発は首都圏に近いので、そのくらいになるだろうと理解できる。

「東海村の自治の基本とまちづくりに関する原則を定めた『条例』はすばらしい(2010年制定)。この条例には、原発事故によって村が破壊され、住民が住めなくなるということは書かれていない(想定していない)」

「しかし、その後作成された避難計画には、この条例とまったく反対のことが書かれている。村は福島の事故から学んでいない。村の防災計画はずさんで、村民にあらゆる責任と役割を負わせているだけで、村民の命と暮らしを守るという意思は感じられない。原発が事故を起こした時、住民に避難する義務はない。村の計画には、国の責任と誰がどこまで責任をとるのかも書かれていない」

井戸川さんは村役場に、原発事故が起きた時、住民に避難義務があるかを問いただし、義務はないことを確認している。災害が起きた時に適用できる法律は災害対策基本法だが、これは自然災害が対象。原発の事故は電力会社の保全管理などの怠慢による人災なので、この法律は使えない。

原発事故で住民を避難させる条例や規則は村にはない。だから、村が避難計画を策定することは村長の権限外のことになる。「原発事故を想定した避難計画の作成は、原発を持つ会社がやることで、住民に避難を強制はできない。首長が法律や条例にないことを住民に押し付けるのは犯罪行為だ」。

最後に井戸川さんは、村の原子力規制行政に「放射能を生活空間に出させない装置にすること。避難しないで暮らしが継続できること。事業者は損害賠償、後片付け、放射能の掃除を全うすること」だとし、それができないのなら、原発をドームで密閉すべきだと提案した。(元瓜連町長)

《食う寝る宇宙》20 宇宙エアコン 適正室温は21~25℃

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【コラム・玉置晋】2018年の日本の夏は暑かった。ウチではワンコ2匹を部屋飼いしていますので、暑い日、人間が仕事で外出中には,エアコンをつけっぱなしにします。エアコンのON/OFF権限は、我が家の権力勾配では奥さんにあります。彼女の同僚のお家の基準では28℃で、その基準を我が家でも採用すると奥さんが決めました。

早く最高気温が28℃以下の季節になってくれないと我が家は財政の危機です。さて、関連するテーマとして宇宙に視点を移しましょう。国際宇宙ステーションのエアコンの効き具合はいかがでしょうか?JAXAさんのキッズページで調べてみました。

「国際宇宙ステーションは地球の高度400㌔を90分で1周しています。太陽の光に照らされている昼と、地球の陰に隠れて太陽の光が当たらない夜が、45分ごとにやってきます。国際宇宙ステーションの表面の温度は、太陽の光が当たっていると100℃以上にもなり、当たっていないとマイナス100℃以下になってしまいます」

「国際宇宙ステーションのかべは、宇宙空間の熱を中に伝えないように、しっかり断熱されています。そして、国際宇宙ステーションの中は、室温21~25℃、湿度40~60%に調整されていて、とっても快適で過ごしやすくなっています」

いいなあ、僕、引きこもれますわ。でも、お風呂がないので長期滞在は苦行ですけどね。

91日に水戸で講演します

告知です。9月1日に水戸の県立図書館にて、放送大学茨城学習センター教員・学生講演会が開催されます。僕も「宇宙天気防災研究」についてお話させていただきますので、是非お立ち寄りください。一般向けに本テーマでプレゼンするのは初めてなので、ドキドキしつつも楽しみです。

このコラムは、上記イベントのリハーサルのために、茨城大学水戸キャンパスの敷地内にある放送大学茨城学習センターで書いています。パソコンの動作チェックをしつつ、運営委員の方々の前でお話させていただきましたけど、時間配分とか難しいですね。

本番で上手に話せるように、練習せにゃならんなあ。質疑応答であまりイジメないでくださいね。気がかりなのは、最近、研究や仕事にかまけて家族サービスが足りんと奥さんに怒られていることです。世界平和のために皆さん御配慮をお願い申し上げます。(宇宙天気防災研究者)

▼JAXA宇宙科学研究所HP

http://www.kids.isas.jaxa.jp/faq/develop/de01/000056.html

▼放送大学茨城学習センターHP

https://www.sc.ouj.ac.jp/center/ibaraki/news/2018/07/26121918.html

《地域包括ケア》18 「地域見守りネットワーク」に本腰を

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【コラム・室生勝】健康寿命は、国民生活基礎調査で「あなたは現在健康上の問題で日常生活に何か影響がありますか」という質問の回答を資料にして算出されている。前回のコラムで「平均寿命と健康寿命の差は、要支援あるいは要介護の期間」と書いたが、介護認定の判定によるものではない。

「あなたは現在健康上の問題で日常生活に何か影響がありますか」に対する回答は、回答者の主観が入るので、「ない」と回答した人の状態を第3者がみれば、「要支援」状態の人もいるかもしれない。

民生委員から聞いた話だが、介護認定を受けるように勧めても、自分は誰の世話にならなくても生活できると、認定を拒否する後期高齢者のひとり暮らしや夫婦がいる。3カ月後に訪問してみると、「要支援」どころか、「要介護」状態になっている場合もあるそうだ。

介護認定で要支援あるいは要介護と判定された人たちには担当のケアマネジャーがいて、少なくとも月1回の訪問時に、高齢者本人の身体状況や生活ぶりを観察でき、必要な介護保険サービスを勧めることができる。場合によっては、ケアマネジャーの判断で電話やときどきの訪問で生活状況を観察できる。

民生委員の話にあるような後期高齢者を1~2週間ごとに訪問して、生活状況を把握する体制が必要である。つくば市は、6月23日のコラムで紹介した社会福祉協議会の「地域見守りネットワーク事業」に本腰を入れるべきだと思う。

民生委員 ふれあい相談員

各地区で、見守りチームの「ふれあい相談員」と民生委員はじめ地域住民との協働により、近隣の人と接触がない、ひとり暮らし後期高齢者や後期高齢者夫婦世帯を社会的孤立と閉じ込もりから開放しているのを耳にする。

民生委員は、ひとり暮らし高齢者や高齢者夫婦世帯に対する年1回の訪問調査の際、顔を合わせず会話もできなかった高齢者には、社協の宅配食事サービスを勧めている。宅配食事サービスは会話の発端となり、次回の訪問につながることが多いという。

民生委員は宅配食事の感想を聞くのをきっかけに、さりげなく困りごとを聞き出すようになる。民生委員の紹介で、ふれあい相談員の訪問を受け入れてくれる場合がある。決して、急いで介護認定を受けるように勧めてはいけない。介護認定を受けなくても利用できる公的サービスを説明しよう。

民生委員とふれあい相談員、できれば地域住民の有志は、社会的孤立や閉じ込もり、認知症を疑う高齢者との接し方を学んでほしい。この3者の協働チームを各地区で編成できるシステムを考えよう。

つくば市は社協と一体となって、このシステムつくりに取り組むべきだと思う。すでに、全国各地域で類似した試みが実績を挙げている。(高齢者サロン主宰)

《宍塚の里山》21 「ココにあります霞ケ浦のミライ」

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【コラム・及川ひろみ】10月15~20日、第17回世界湖沼会議本会議がつくば国際会議場で開催されます。その会議前プログラム「サテライトつちうら」の第2弾行事として、認定NPO法人「宍塚の自然と歴史の会」が企画運営する「流域連携市民会議 市民が考える将来の湖沼と流域―ココにあります霞ケ浦のミライ」が8月25日、霞ケ浦環境科学センターで開かれます。

当日は環境センター夏まつりが行われることから、この催しにやって来る親子に霞ケ浦とその流域の魅力を伝え、関心を持ってもらうために、クイズ大会も行うことにしました。

シンポジウムでは、レンコン栽培農家、霞ケ浦の漁業者、石岡で環境に配慮した林業を営む業者、流域の里山保全活動をしている当会が、現状・課題・将来を語り合います。この討論には、15年以上宍塚で活動する法政大学の学生も加わります。

クイズ大会では、霞ケ浦の漁業、レンコン栽培、茨城の林業、里山に関する問題を出します。ヒントパネルを見ながら答えてもらいますが、参加者の関心・理解が深まるよう、パネルにはそれぞれの問題について専門知識を持つ人に付き添ってもらいます。参加者全員が参加賞と正解賞をもらえるよういろいろ工夫しています。

問題は、湖沼会議開催が多くの親子にプラスになること、霞ケ浦とその流域が持続可能な生態系になるように考えたものです。

正解賞はカエルの石こう

夏祭りの参加者は例年4000人ぐらいと聞いています。参加賞・正解賞はそれぞれ500個準備しました。正解賞にはカエルの石こう(色・柄を塗ればより素敵な置物になります)、障害のある方々が作った素敵な木工細工、蓮根サブレ、宍塚の絵はがき10枚セットをそろえました。

クイズ参加者には抽選券を渡し、流域市民会議の休憩時に当選番号を発表します(もし特別賞品が残ったら会場でジャンケン会を行います)。

また、シンポジウムでは島根大学名誉教授の相﨑守弘さん(前霞ケ浦環境科学センター長)から、霞ケ浦の概要をうかがったのち、討論を行います。

当日は来訪者が多くなりますので、一般の方はセンターの駐車場が使用できません。その代わり、土浦協同病院近くに臨時駐車場が設けられ、そこからセンターへ無料周回バスが運行されます。また、JR土浦駅東口からはセンターへ無料シャトルバスが運行されます。

クイズ大会は10時から、シンポジウムは13時から15時30分までを予定しています。皆さん、お誘いの上、ご参加ください。(宍塚の自然と歴史の会代表)

▼流域連携市民会議の問い合わせは電話090-9840-7194(事務局・及川)またはメールsisitsuka@muf.biglobe.ne.jpまで。

《ひょうたんの眼》9 「犬公方」将軍から今の政治を読む

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平成の「お犬様」 豆柴犬サクラ

【コラム・高橋恵一】現代が、いつの時代に似ているか。今話題の人が、歴史上の人物の誰に似ているかということは、今の時代を表現する上で、説明しやすい方法であろう。

さて、「公方」というのは、江戸時代では「将軍さま」のことで、「犬公方」とは、5代将軍「徳川綱吉」のことである。天下の「悪法」生類憐みの令を発布し、人間よりも犬を大事にした「悪法」は、庶民から評判が悪く、「犬〇〇」とあだ名をつけられてしまった。

最近は、歴史の研究が盛んで、綱吉や生類憐みの令の再評価が主張されたりしているが、300年後の今でも、いやなイメージのあだ名が残っているのだから、ダメな将軍だったのだろう。

綱吉時代の前半は、徳川家康に直結する幕府創成期の気概が尊重されていたが、大老酒井忠清を罷免し、水戸の徳川光圀を遠ざけるなど、徐々に「わがまま独裁」になっていった。綱吉はしつこくて、酒井家は後日改易されている。側近に「成り上がり」の栁沢吉保を重用し、老中格といいながら老中よりも上位に置き、綱吉の気に入る政治・政策を進めた。

マザコン、忖度、福祉切り捨て

綱吉は、家光から儒学を学ばされたが、どうもオリジナリティはなく、暗愚なリーダーに多い、親しい者の耳障りよい話を優先して採用していたようだ。「忖度」の栁沢吉保、「悪貨乱発」の荻原重秀に政策を任せたが、個人的にはマザーコンプレックスで、母親の桂昌院が傾倒する僧隆光の影響も受けた。

有名な話だが、綱吉が跡継ぎの男子に恵まれないのは、前世に生き物を粗末にしたからで、特に「綱吉は戌年だから犬を大切にしろ」という隆光のお告げがあり、「生類憐みの令」ができたという。

桂昌院は、貧しい八百屋の娘でお玉さんといわれ、シンデレラストーリーで家光の側室になった人で、「玉の輿」の語源という話もある。赤穂義士伝の松の廊下事件も、桂昌院の従一位伝授の勅使接待時の刃傷事件で、綱吉の悲願だった親孝行実現の重要な日の事件なので、綱吉を忖度して、ろくな審理もせず浅野長矩を即日切腹させ、後の討ち入り事件まで発展した。

母方の祖父、元首相の悲願は憲法改正であり、母親の悲願でもある。マザコンの首相は、日ごろの言動を見ていると、憲法の内容についての論理的見識はなく、憲法の一文字だけでも変えれば、祖父の悲願を達成したことになるようだ。

政策の推進は、側近による忖度政治。将来の財政破綻を招く、異常な金融緩和策。犬を優先して庶民が困っている世の中に通じる、福祉の切り捨て。どうだろう、犬公方、将軍綱吉に重ならないか。トランプの「ポチ」などと茶化されたり、子犬の贈呈式にわざわざロシアに出かけたり、妙にこじつけてみたくなる、猛暑の夏である。(元オークラフロンティアホテルつくば社長)

《土着通信部》19 スギの葉に何も足さない「水車線香」

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水車を案内する駒村さんと「水車杉線香」(石岡市小幡)

【コラム・相沢冬樹】水車と手仕事でつくる線香は、工業製品とどこがどう違うのか、つい定量的な答えを求めたくなるが、石岡市小幡で駒村清明堂を営む駒村道廣さん(64)の口からは、ほとんど数字の話が聞けなかった。「100%」天然のスギの葉だけを使う昔ながらの製法に足すものは何もない。香りや粘りの元となる成分を問うても、厳密には分からないという。

たとえば水車は、恋瀬川の支流である山あいの清流から引き入れた水を、懸樋(かけひ)で落として回している。約10年前に更新した水車は木造で直径約4㍍ということだが、1分間にどれだけの水量が流れ、何回転ほどしているか、計ったことはない。「ゆっくり回るのがいい」という経験則の前に、データによる解析は意味をなさない。

家業の杉線香づくりは、この川のほとりで100年以上、5代に渡って続いてきた。良質のスギと水を求め、線香づくりの盛んだった新潟から栃木経由で移り住んだ。かつては川沿いに10基以上の水車があったといい、駒村さんの記憶では、うどんの小麦を挽いたり菜種油を搾る水車などが回っていた。今も石岡市柿岡には水車づくりの職人がいるが、川沿いに残るのは1基だけとなった。

駒村さんは石岡市の旧八郷町周辺の山々をめぐり、山林地主との直取引でスギの枝葉を調達してくる。若い樹にはヤニと粘りが足りないから樹齢50年以上が望ましい。概ね秋から春先にかけて山に分け入る。

70本×5把入り1,000円

集めた枝葉は自然乾燥を待って、葉の部分だけを選別し、水車にかける。葉を2㌢程度に荒く刻み、それを木の臼に入れ木の杵で搗(つ)く。杵の先端には金具がついているが、水車からの力を伝える歯車はすべてが木製だ。電動の製粉を試したことはないそうだが、一般には熱が出るため、香り成分を損なうとされる。

スギの葉を搗くこと一昼夜半、土色をした杉粉が出来あがる。篩(ふるい)にかけて細かいものだけえり分けると、ほのかなスギの香りと粘り気が感じられるようになる。この作業は1年を通し行われ、出来あがった杉粉は20㌔入りの袋に詰めて保管される。

杉粉を桶に入れ、お湯を加えて練っていくのが次の工程。その日の天候などに応じて、練り加減を変え品質を整える。粘土状になった杉粉を線香の形に押し出すプレス工程だけは機械の力を借りるが、糊やつなぎの類はいっさい入れない。これが「100%天然」のゆえん。直売している「水車杉線香」(約70本×5把入り、税別1,000円)には緑色の色素も加えていない。杉粉本来の土色をしている。

緑色をした線香も製造しており、県内ではカスミ各店で購入できる。最近はキクやバラ、ラベンダーの香りがする線香も売り出し、見学客も受け入れている。生産量や販売量も聞いたが、数字に関わる駒村さんの答えは最後まで素っ気なかった。(ブロガー)

▼駒村清明堂 : 石岡市小幡1899 電話 0299-42-2819

《吾妻カガミ》38 TX延伸 クールな姿勢とホットな議論

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【コラム・坂本栄】前回はコラム後半でTX茨城空港延伸を取り上げましたが、字数の制限もあり尻切れトンボになってしまいました。今回も「わがまま」なトーンを維持しながら、延伸問題についていろいろな視点を提供したいと思います。

前回、常磐線交差→空港延伸について「首長の間には温度差があるようです」と書きました。もう少し具体的に言うと、五十嵐立青つくば市長は同市と首都圏を結ぶ鉄道としてのTXを第一に考えていますから、つくば市以北に延ばすこと(北部延伸)についてはクールです。市民もこの点については冷めていると判断しているようです。

中川清土浦市長は、同市と学園市をつなぐ鉄道には関心を持っていますが、建設コストを考えて延伸の音頭を取ることには慎重です。言い出しっぺ(主唱者)の負担は大きくなると考えているからです。経営者市長としては当然の判断でしょう。

今泉文彦石岡市長は土浦・つくば市長に比べるとホットです。昨年の市長選挙(再選)ではTX北部延伸を公約に入れました。「延伸で常磐線と交わるのは石岡市内?」といった市民の思惑に応えたのでしょうが、延伸が政治的ブームになっていた(県知事選では勝者敗者とも公約)という事情もあったと思います。

でも主唱するには荷が重いと考えているようです。石岡の田園地区には気象庁地磁気観測所があります。この施設は電車から漏れる直流電気を嫌います。守谷以北を走るTXは交直両用になっていますから、電流の問題は解決済みです。しかし、両用車は直流車に比べ1割以上高くなるという問題があります。コスト問題からすれば観測所移転がベストですが、田園風景(観測所はその証明)を愛する石岡市長は移ってもらうことに迷っています。

いくつかの視点

ある交通評論家は、TXを常磐線とクロスさせる重要性を指摘しています。鉄道インフラというものは事故などを想定して代替ルートが必要であり、何カ所かで別の線に交わっていた方が使い勝手がよいという考え方です。強く同意します。

またある経営評論家は、いずれ羽田空港・成田空港がパンク、首都圏第3空港が必要になると予想し、茨城空港はこれにピッタリと言います。首都圏空港ともなれば、航空機利用前後の移動手段として鉄道は必須になります。本格的な空港にするには、スクランブル用の百里基地と折り合えるかが問題になりますが、第3空港の視点にも強く同意します。

さらにある経済評論家は、茨城空港周辺に航空機産業を誘致し、小美玉市を航空機ビジネスのメッカにしたらどうかと言います。三菱重工グループのMRJをリード役として、航空機は自動車に次ぐ日本の代表産業になると期待されています。防衛機器・航空機記者OBとして、この展開にも強く同意します。(経済ジャーナリスト)

《郷土史あれこれ》10 幕末政治の迷走 長州藩内の抗争

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土浦市立博物館

【コラム・栗原亮】安政5年(1858)6月、日米修好通商条約が締結され、横浜では貿易が盛んになり、外国の物が輸入されるようになった。だが、欧米諸国と日本の金銀交換比率が日本側に不利であったため、物価が高騰するという問題も生じた。日本と欧米との交換比率は1対16。これに対し欧米諸国間は1対4。このため多くの金が日本から流失した。そこで幕府は金含有量を減らした万延小判を発行。この措置によって金の流失はなくなった。

経済から政治に目を転じると、長州藩では幕府の開国政策に合わせ、執政の永井雅楽(ながい うた)が航海遠略策を唱えるようになった。貿易を増やして国力を充実、欧米と対抗しようという考えだが、同藩の尊攘派は永井の政策は幕府の政策を追認するだけと反対。永井は藩内抗争に敗れ切腹に追い込まれる。そして長州藩は開国路線から攘夷路線に転換した。

藩内抗争を制した長州藩の尊攘派は、京都では朝廷工作を活発化させ自派の勢力拡大を図った。並行して、大老井伊直弼大寄りの幕府関係者らにテロを実行。この動きに対し幕府は新撰組などを使ってテロ弾圧を強化。京都市中の治安は乱れた。

尊皇攘夷派の没落

朝廷を牛耳っていた長州藩尊攘派は、朝廷を通じて14代将軍徳川家茂を京都に呼び出し、将軍後見職一橋慶喜に攘夷を迫った。この工作が成功、朝廷は文久3年(1863)5月10日を攘夷期限とする詔勅を出し、全国の諸大名に実行を命じる。だが命令に応じたのは長州藩だけだった。同藩は欧米の商船軍艦に砲撃を加えたが、軍事力に劣る同藩は敗北し攘夷運動は頓挫した。

この流れに乗って会津藩・薩摩藩連合は同年夏、京都から長州藩を追い出した(8月18日の政変)。京追放に遭った長州藩の中では、京都への進発を唱える急進派と、藩の実力を貯えて討幕を目指す高杉晋作らが対立するが、元治元年(1864)5月、新撰組によって多くの長州藩士が殺されるに至り(池田屋事件)、京都進発派が実権を握った。

元治元年(1864)7月19日、長州藩は挙兵、京都御所に向けて発砲。長州藩は会津・薩摩の連合藩兵と激戦、蛤御門(はまぐりごもん)に迫ったものの、多くの死者を出し敗走した(蛤御門の変)。この衝突では薩摩藩の西郷隆盛が連合藩兵を指揮した。(郷土史家)

《続・気軽にSOS》19 現状ときっかけと働きかけと

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【コラム・浅井和幸】きっかけではなく日々の積み重ねが大切だと、日々、人に伝え続けているところです。どのようにしたら伝わるかも考え続けているところですが、先日、浮かんだ例え話が次のものです。

「きっかけを教えて欲しい」という質問は、山の頂上から朝日を見たいので、最後の一歩の足の出し方を教えて欲しいという質問と同じです。最後の一歩さえ分かれば頂上に登れるのだから、朝日も見られるという考え方です。

最後の一歩は、右足だろうが、左足だろうが、スキップだろうが、その人が進みたい方法を使えばよいのです。ですが、最後の一歩を最後の一歩と出来るのは、頂上一歩手前にたどり着いている必要があるのです。

一歩手前までたどり着くために、単純な練習かもしれないし、笑顔でのあいさつかもしれないし、仲良くなるための日常会話かもしれない、何かを少しずつ行動することが大切です。

けんかをしたいわけじゃないのに、しかめ面したり、どうせ上手くいかないと決めつけて行動していないでしょうか。日々の何気ない悪いことや不安なことへの気持ちが、むしろ、悪いことや不安なことへつながる言動になっていないか顧みることが大切です。

嫌なことばかり起こると感じる方は、自分自身が嫌なことが起こるように動いているかもしれません。

「~するしかない」は間違い

あるお母さんから、相談がありました。いつも子どもが暴力をふるってきます。どうすればよいでしょうか? 優しくした方がよいですか? 話を聞くしかないのでしょうか? 逃げるしかないのでしょうか?

方法は無限にあるので、「~するしかない」ということは間違いです。いつも暴力をふるってくるということですが、それは全く脈絡なくと感じるでしょうが、何かのやり取りや心の動きがあります。

上の質問は、カウンセリングを受けたりして、優しくしましょう、話を聞いて共感しましょう、対処できなければ逃げてくださいという、アドバイスを受けたのでしょう。

しかし、お子さんがどのような状況の時に、お母さんがどのように声掛けをしたら、お子さんはどのようになったかを質問しても、そのやり取りを覚えていない人が結構な確率でいます。

それは、私の作る料理がおいしくありません。塩を入れるしかないでしょうか?だしを丁寧にとるしかないのでしょうか?という質問に似ています。現状の味がしょっぱいのか、薄いのか、コクがあるのか、分からないと、どのような調味料を加えてよいか分からないのです。

どのような状況の時に、どのように働きかけたら、どのようになったかという現状、事実が分からないと、どのように対処を変化させればよいか分からないのです。

支援者の中にも、全てに通ずるよい方法があると勘違いしている人がいます。しかしそれは、塩を増やせば料理がおいしくなる、唐辛子を増やせば全ての人が素晴らしいと感じる味になると言っているのと同じぐらいの勘違いなのです。(精神保健福祉士)

《泳げる霞ケ浦へ》9 鬼怒川水系でも「探検交流」開催

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筑西市五郎助山での探検交流会

【コラム・霞ヶ浦市民協会】当協会が桜川探検隊連絡会議の事務局を引き受けてから14年になる。これまで、関係イベントは霞ケ浦に注ぐ桜川の水系で開いてきたが、今年度の第1回探検交流(8月上旬)は桜川水系でなく、鬼怒川水系の筑西市・五郎助山で開催した。

場所の選定にあたっては、当協会の性格上、桜川水系を離れることに異論はあった。しかし、今回探検交流を担当する筑西市では、桜川が流れているのは旧明野地区の一部分だけという事情もあり、五郎助山で開くことになった。

当日は、五郎助山を管理している「NPO法人里山を守る会」の全面的な協力のもと、参加者はAグループ(土浦市、つくば市)、Bグループ(桜川市)に分かれて、トンボ池での釣り体験、雑木林でのネイチャーゲームを行ったあと、A、Bのフィールドを替えて楽しい1日を過ごした。

ほとんどの子が釣り初体験

また、水質調査では、桜川上流・中流・下流と、トンボ池(江連用水=鬼怒川水系=から取水)を比較、場所によって水質が大きく変わることを理解させようと企画した。しかし場所によって数値はあまり変わらず、「桜川上流が良好」ということが分かった程度だった。

驚いたのは、参加した子どもたちのほとんどが釣りをするのが初体験だったこと。餌付け、こんがらかった糸直しなど、スタッフは大忙しだったが、魚を釣り上げた時の子どもたちの喜びの声が聞けてよかったと思っている。

ネイチャーゲームでは、雑木林の多様性や動植物の生きる工夫を、自分たちで探しながら体験することができた。ともすれば、文字中心の学習になりがちな探検交流において、「取り組みの視点を変えなくては」と痛感させられた次第。

水の大切さ、豊かさ、ひいては自然の大切さを、遊びを通して子どもたちに体験してもらう。そのための取り組みをどうするか考えさせられた1日だった。(大久保和男 霞ヶ浦市民協会常務理事)

五郎助山での体験交流会

《ご飯は世界を救う》2 「どよーん」夫、美味しい昼で元気に

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つくば市松野木の「うまいもん処」つくば店

【コラム・川浪せつ子】8年程前の4月でした。連れ合い、平日はお仕事に。ですが土日になると「どよーん」。「どうしちゃったんだ」。ふと思い当たることが。3月に3男が高校を卒業して家を出ました。連れ合いは、小学校の頃から10年以上スポーツクラブに入っていた息子の追っかけだったのです。ですから土日は、ウキウキ。それがなくなっちゃって、凹んでいたようでした。わたしは手が離れたので「ヤッター」でしたけどね。

あまりにもしょげているので、「これはいかん」と思い、我が家から徒歩20分程の洞峰公園まで歩くことに。そしたらお腹がすくんですよね。そこで出合ったのが、この「うまいもん処」。その後、洞峰公園で建築士会の皆さんとスケッチの後、わたしのやっている「水彩画教室」のランチ会、帰省した息子たちとの食事会などに使っています。

そんなものですから、お店の方とも仲良しに。ランチは11時からですが、お店の方は朝9時からまずお掃除だそうです。長くやっている女性のパートの方が「配膳だけだったら楽なんですが、掃除が大変なの」。そうなんですね、飲食店はキレイじゃなくちゃね。でもその女性、11月頃から時々いなくなるのです、毎年。それは働きが「扶養家族」内になるよう調整しているんですね。

育児と介護:ダブルケア

1986年に「男女雇用機会均等法」という勤労婦人福祉法の法律ができましたが、「扶養内」で働きたい女性、多いのです。その頃、わたしは息子たち3人、生まれてすぐに保育所などに預け働いていました、自営業です。仕事は建築関係。バブルの時で、仕事、育児、家事とあまりの忙しさで、「何のために仕事をしているのか」と思ったこともありました。

バブルの終わり頃、東京の実家の母が助からない病気になり、わたしは仕事を辞めました。今でいう「介護離職」なわけです。ほぼ「ワンオペ育児」状態の毎日に加え、子供たちは小学校1年生と保育所なので、「ダブルケア」(子供がまだ手がかかる年齢で親に介護が必要になること)。

今でこそ、女性の働き方や介護の問題はクローズアップされていますが、その頃から、いえもっとずっと以前からあったのですよね。その後、母は天国に。子供たちは少しずつ手が離れ、7年後に仕事を再開しました。

お話しは戻って、「どよーん」の連れ合いですが、お日様の下でお散歩。そして、美味しいランチで、すっかり元気になりました。そしてお蔭さまで、わたしは色々なランチスケッチをすることができて。色々な場所での食べ歩きも2人の趣味の一つになりました。ご飯って、「心」も救うんですね。(イラストレーター)

《くずかごの唄》20 カブトムシの謎 夏の夜の怪談

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【コラム・奥井登美子】毎年、子供たちを集めての「昆虫観察会」が近づいてくると、私も少しソワソワしてくる。今年は何が見られるだろうか? オオムラサキはいるだろうか? 暑さが普通ではないので昆虫たちは生きているかどうか? びくびくしながら下見に行く。

昨年は親子でハチに刺されてしまった人がいた。下見の時に、ハチがいるかどうか、ハチの巣は点検しておくのだが、木の上の方にカブトムシを見つけて、うれしくて木をゆすってしまったらしい。カブトムシより早くハチが降りてきて、刺されてしまった。

私の点検はかなりいいかげんだが、ハチの巣とマムシ君の存在だけは、押さえておくようにしている。マムシは市町村に血清が用意してあるはずなので、ヤマカガシの方が危険だという人もいるが、ヤマカガシ君は一匹一匹とても個性的なので、点検がむずかしいのだ。

今年7月28日の観察会はあいにく台風になってしまったが、台風の合間を縫っての観察も、意味があるのではないかと、主催の霞ヶ浦市民協会の人が判断して、強行してしまった。

内臓が無いのに元気

クヌギの木の下を少し掘ってみる。落ち葉のふかふかの腐葉土の布団の中に、立派なツノを持つオスのカブト虫ばかりが5~6匹出てきた。ハラにイチモツある人は多いが、不思議なことに、木の下のカブトムシはハラにイチモツもないのだ。

カラスかミミズクか鳥にお腹がきれいに食われていて、口の下あたりから白い繊維状の神経の束みたいなものが3~4㌢ぶら下がっているだけの異様ないでたちで群がって遊んでいる。目も、口も、臭覚も、元気そうなのだ。お腹の部分がまるきり無くなっても目が見えるとはケッタイな。

私は、目と臭覚の点検のために、自分の手に蜂蜜を塗って差し出してみた。カブトムシの足の爪が手の皮膚に痛い。ノコノコと、6匹とも力強く登ってきた。このカブトムシは6匹とも、体の内臓がまったく無いのに、目も、口も、臭覚も、元気そのものだということがわかった。

昆虫の不思議さ。鳥に内臓を食われたのがオスばかりというのも、カブトムシとのつきあいで、メスのたくましさにいつも頭が下がっていたので納得。

人間だったら、内臓が全部無くなったら、目、口、鼻も機能しなくなるのに、すごいと感激して、その晩、カブトムシが人間の幽霊になって出てくる夢を見てしまった。夏の夜の怪談である。(随筆家)

《続・平熱日記》19 「発売60年」 赤いカブに乗って

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【コラム・斉藤裕之】浪人時代、府中免許センターに赴くこと5回。通称「一発」、教習所に行かずに、中型バイクの免許を取りました。何度目かの大学受験は、バイクの荷台に油絵の具を積んで、青梅街道経由で上野に行き実技試験を受けました。入学後、荷台に乗っていたのは今のかみさん。

今は、郵便屋さんのようなホンダの赤いカブ(110㏄)が1台あります。使用頻度は低いのですが、ガソリンが値上がりした時や震災直後は役立ちました。

寒い時期は乗らないので、毎年ゴールデンウィークのころに、汗だくになってキックを繰り返しエンジンをかけます。若いころは故郷山口までバイクで帰ったりしていましたので、私にとってバイクはちょっとした冒険的乗り物。

ですが、この小さなバイクは専ら街乗り用。しかし、真夏の強烈な日差しを浴びると、この非力なバイクなりの冒険に出かけたくなるのです。毎年お決まりのコース。牛久を出て筑波山を右に見て真壁へ。そこから八郷に抜けてフラワーパークで弁当。直売所で野菜を買って土浦経由のコース。

暑い時は暑い所へ

今年もいざ出発。じりじりと照りつける太陽。夏空にそびえる筑波山。小さなせせらぎと木陰の山道。土浦のハスの花もきれいです。

先日、生徒に相談されました。「先生、このところだるくてやる気でない」「そういう時は短期目標を立てる。それからだるいときほど動く。そして声を出す」なんて、テキトーに答えておいたのですが、このクソ暑い日にこそ単車で出かけるというのは、私にとってもまさにそういうことなのかもしれません。

暑い時は暑い所へ。とりあえず無理しない距離を非力なカブで冒険。走行中は大声で歌いながら。

異常ともいえる今年の夏。原因はいろいろあるのでしょうが、人が汗水たらさないようになったのに比例して、地球は熱くなってきたような気がします。どこかを冷やせばどこかが熱くなる。人を冷ませば何かが温まる。エネルギー保存の法則は人にも当てはまるでしょう。

さて、偶然にもツーリングの翌日、新聞に「スーパーカブ発売60周年記念モデル発売」という記事を見つけました。50㏄と110㏄の赤いモデルだそうです。さて自分では冒険心を持って、意気揚々と走っているつもりでも、はたから見たらじいさんが冷や水浴びているように見えているのかもしれません。私も発売60年に近づいておりますので。(画家)