日曜日, 4月 20, 2025
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《邑から日本を見る》21 「福島に行くな、福島のモノを食べるな」

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土浦市本郷の「ともいきの郷」で講演する 前福島県双葉町長・井戸川克隆氏(左奥)

【コラム・先﨑千尋】「今でも福島の放射線量は高いから、福島に行くな、福島のモノを食べるな」。私は先月21日、土浦市本郷の「ともいきの郷」で、前福島県双葉町長の井戸川克隆(かつたか)さんから、「福島に行くな、福島のモノを食べるな」という飛び上がるほど驚く話を聞いた。

井戸川さんは2005年、福島第1原発が立地する町長に就任し、7年半前に東京電力が起こした福島第1原発事故に遭遇し、住民の避難に全力で対応した。ニュースで井戸川さんのことを知っていても、話を聞くのは初めて。目からうろこが落ちた。2回に分けて彼の話を伝えたい。

前双葉町長井戸川さんの話 (1)

「私は、東電福島第1原発の事故によって、味わわなくともよい経験をした。原発事故は、1民間企業が起こした事故であり、災害ではない。東電は私たちに『事故は起きないから心配しないで』と言っていた。地震、津波が起きることを知っていた。知りながら対策をしていなかった。その事故に、国が災害救助法を適用するのはおかしい。事故の根源は、国の原子力政策の失敗、旧原子力安全保安院の怠慢、原子力関係法の不備、電力会社の安全管理、品質管理、保全管理の怠慢、電力会社の利益優先の考えなどだ」

井戸川さんは、福島の原発事故は災害ではなく、東京電力と国の怠慢により発生したと断罪し、「私は事故が起きても、東京電力は会社が大きいから大丈夫だと思っていたが、裏切られた。国や福島県、東京電力にだまされた」と怒りをあらわにする。

「東電は、原発が立地する4町の首長協議会には津波情報を隠していた。出していれば、原発を止めろと言えた。止めれば東電の赤字が増える。勝俣社長(当時)は私たちに何でも報告すると言っておきながら、結局、情報を隠していた。東電がプルサーマルを福島第1原発3号機に入れる提案をした時にも、導入に問題がないという報告を受け入れた。その後、トラブルが起き、白紙に戻した。東電にだまされた」「今必要なことは『復興』ではなく、事故の解明と責任を明確にすることだ」

「私が残念だと思うことは、原発事故の時に避難させられたことだ。その前の避難計画や避難訓練を『はてな?』と思わなかった。避難計画があること自体、異常である。福島第1原発の事故は、東電という1営利企業が犯した事故であり、1民間企業が起こす事故に対する避難計画を自治体が策定することがおかしい。これは違法で、国民の財産、生存権などを保障する憲法に違反する」

「原子力関係法のどこにも住民の責任のことは書いていない。住民の責任は存在しない。また、国民は原発事故から避難する義務もない。義務も責任もないのに、どうして避難しなければならないのか。避難計画は法律ではない。なので、国は責任をとらない」

井戸川さんは舌鋒鋭く、国と東電の対応を強く非難し、悔しさをにじませる。次回は避難計画について、東海村に即した話を伝える。(元瓜連町長)

《食う寝る宇宙》19 すばる望遠鏡 星の瞬きを相殺

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【コラム・玉置晋】ハワイに短期留学していた妻は、無事に学校を卒業しました(コラム17回参照)。僕は妻のお迎えのために、7月下旬から現地に入りました。そう、今、私は南の島のビーチでサンセットを眺めながら、優雅にコラムを書いているはずでした。

が、予定通りにはいきませんね。バタバタ仕事を片付けて(いや同僚に押し付けて)、飛行機に飛び乗りましたが、大学院のレポートがまだ書けていない。機上では、ほぼ徹夜で論文読解に費やし(エコノミーなので寝られやしないのでいいのですけど)、ホノルル空港に到着。

現地の友人にピックアップしてもらい、空港近くで朝マックして、滞在するコンドミニアムに到着。疲労の限界で、以降記憶がございません。夜中の2時に目が覚めました。外では酔っ払いが騒いでおります。ワイキキの夜はまだ長い。さて、レポートを書くぞ!

ハワイといえば、天文学の拠点の1つであります。僕が今回滞在しているのは、ハワイの中心都市ホノルルがあるオアフ島ですが、各国の大型望遠鏡が設置されているのは、ハワイ島のマウナケア山です。

星を観る上で大事な条件は、「空気が澄んでいる」「星が雲に隠れない」ことです。地球上で空気が澄み、晴れが多い場所として有名なのが、南アメリカのアンデス山脈、北アフリカ・モロッコ沖のテネリフェ島、ハワイ島のマウナケア山です。

補償光学(AO

マウナケア山には、日本のすばる望遠鏡が設置されています。口径8.2㍍の大型光学望遠鏡です。この望遠鏡はスゴイらしい。マウナケア山の空気はとても澄んでいますが、そこに空気があるかぎり、そのままでは大気のゆらぎから逃れられません。星が瞬いているのは大気のゆらぎが原因です。

瞬いている星の像を出来るだけ補正したいというのが、天文学者の欲というものらしくて、すばる望遠鏡では望遠鏡の鏡を36個のアクチュエータで意図的にたわませて、この瞬きを相殺しようという試みを実現したそうです。補償光学(AO:Adaptive Optics)と呼ばれています。

こういうことを考えつく人は、スゴイなあと思います。僕はまだ、すばる望遠鏡を見学したことがありません。いつか訪れたいなあ、と妄想しております。

追伸。このコラムの仕上げは、成田に向かう帰りの飛行機の中で書いています。え~と、レポートがまだ完成しておりません。WHY?(宇宙天気防災研究者)

《地域包括ケア》17 平均寿命-健康寿命=男9年・女12年

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【コラム・室生勝】厚労省は7月20日、2017年における日本人の平均寿命は、男性が前年度より0.11歳のびて81.09歳、女性が0.13歳のびて87.26歳と発表した。ところで、病気で寝たきりになったり介護サービスを利用したりしない「健康寿命」をご存じだろうか。厚労省が今春発表した16年の男性は72.14歳、女性は74.79歳である。

平均寿命と健康寿命の差は、介護を受ける期間ということになる。その期間は、男性が8.95歳、女性が12.47歳となる。つまり、要支援あるいは要介護の期間が、男性で約9年、女性で約12.5年あるということだ。厚労省はこの差を短縮させるために、介護予防・生活支援(互助活動)を進める方針である。

介護保険制度では、65歳以上の第1号被保険者あるいは40歳から64歳までの第2号被保険者(※)が、介護保険サービスを利用するために市町村(保険者)に介護認定を申請すると、訪問調査結果や主治医意見書を総合して認定審査会が審査し、非該当、要支援1、2から要介護1、2、3、4、5のいずれかに判定する。

要支援1は、日常生活動作はほぼ自分でできるが、予防のために支援を要する状態。要支援2は、要支援1の状態から日常生活動作がさらに低下し、何らかの支援が必要な状態である。

要介護1は食事、排せつ、着替えはなんとか自分でできるが、何らかの支援または部分的な介護が必要な状態。要介護2は食事、着替えはなんとか自分でできるが、排せつは一部手助けが必要な状態である。

要支援と要介護

4月14日のコラムに書いたように、厚労省は2015年度から特別養護老人ホーム(特養)の入所基準を要介護3以上とした。しかし、要介護1、2でやむを得ない事情(認知症、知的障がい・精神障がい、被虐待、単身、高齢者のみの世帯等の高齢者)の「特例入所」は認めている。

要介護1、2の場合、通院は介護保険タクシーでヘルパー資格を持つ運転手が乗り降りする際の介助、受診の手続きや院内の移動の介助もしてくれる。買い物は、ヘルパー(訪問介護)が日用品や食材などは行ってくれるが、近隣店舗での買い物に限られる。

要支援の中には、歩行は自立していても屋内と家の周りくらいしか歩けない人がいる。通院も買い物もひとりでは無理だが、支援があれば行ける場合、90分以内ならケアプランに入る。介護サービスは病院の往復時の介助だけで、待合室と診察室の介助は病院側に依頼する。全てが90分以内に終わるのは不可能だが、近くの診療所の予約診療なら可能である。

要支援に該当するが介護認定を受けていない、ひとり暮らし後期高齢者や後期高齢者のみの世帯がある。買い物や通院だけでなく日常生活で助けが必要なのに、民生委員や区会役員、近所の人たちの援助を拒む人たちがいる。地域住民の助け合いを進めるには、拒む人たちと触れ合う方法も考えねばならない。(高齢者サロン主宰)

※ 第2号被保険者では介護サービスの対象となるのは16の特定疾病だけ。市町村ホームページ参照。

《宍塚の里山》20 里山の驚異 竹林拡大の謎を解く

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竹林伐採活動に参加した土浦四中の生徒たち

【コラム・及川ひろみ】竹林が広がり、雑木林、杉などの植林地を飲み込むように広がる光景を見たことありませんか。成田発の飛行機から見える房総の山々、東海道新幹線の車窓から見える丘陵地などで、すさまじい勢いで広がる竹林が見られます。今や、竹林の拡大は、特に西日本では大きな問題になっています。しかし、有効な手立てが見つからないのが現状です。

宍塚の里山でも、竹林拡大は大きな問題です。この課題に真正面から取り組む中学生たちがいます。きっかけは、小学校のころから宍塚の会の活動に参加していたS君。土浦第四中学に入学すると、仲間たちも宍塚に連れて来たいとの思いが募ったようで、先生に里山活動を働き掛けました。

これに応えて、学校も総合の時間に自然活動を取り入れ、2年生200人余りが里山の竹林・池・荒れ地の開墾などを行い、成果を挙げました。一方S君は、当時休部状態であった科学部の活動にも力を入れ、その舞台に選んだのが宍塚の竹林でした。

初年度の研究テーマは「竹林の林床にはなぜ植物が生えないのか」でした。日ごろから竹がうっそうと茂る竹林は暗く、他の植物が極めて少ないことなど、雑木林との違いに気づいたようです。科学部の生徒たちは毎月宍塚にやって来て、竹林と雑木林の違いを観察。竹林の林床には枯れた竹の葉が白く積り、雑木林とは全く異なることに気が付きました。

続く土浦四中生の活動

竹林と雑木林の違いを、それぞれの植生、光量を調べると同時に、プランターを持ち込み、竹林の土壌と雑木林の土壌で、植物によって育ちに違いがあることなどを観察しました。さらに、竹と雑木の根の違いを比較するなど、中学生らしい発想で研究が続きました。研究は今年で10年目を迎えます。

現在のテーマは「里山の驚異、竹林の拡大の謎を解く」です。この研究は、初年度中学生科学研究土浦市長賞、霞ケ浦環境科学センター長賞を受賞。その後、県南金賞、昨年は県優秀賞も受賞しています。

この活動の素晴らしいことは、顧問の先生の取り組みです。生徒たちが疑問に感じたことを研究に生かすことは当然ですが、それだけでなく、保全活動・お楽しみ会などを組み合わせ、活動していることです。生徒たちが竹を伐採(場所によってはマダケ林をすっかり伐採)、20数年前の環境を取り戻したところすらあります。

孟宗竹を割り、節と節の間に生米と水を入れ、下からあぶってご飯を炊く、飯盒(はんごう)炊飯竹バージョン。竹を芯にしたバームクーヘン作り。竹のシーソー。時には、本格的な竹細工指導を受けたりして、竹をテーマに様々な活動へと発展させています。また、生徒が木登りやターザンごっこなどを始めると、顧問の先生は優しい眼差しで見つめています。(宍塚の自然と歴史の会代表)

《映画探偵団》10 つくばセンター地区 実証実験の要

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コラム・冠木新市】つくば駅を中心に東西南北の道路に囲まれた長方形の場所を「つくばセンター地区」と呼んでいる。しかし、昨年あたりから「中心市街地」との表現が多用され、現在では2つの名称が入り混じり、紛らわしい状況である。

そんな中、つくばセンター地区の中央公園で継続的な賑わいや魅力向上のための実証実験が8月からスタートした。「つくば市学園地区市街地振興室」が活動の主体のようで、内容は3つある。

1 てぶらでバーベキュー:8月4日~9月30日の土日祝日、10:00~17:00。利用料2,000円。公園脇の道路沿いの林の中で、計19回実施予定。
2 まちなかカヌー体験:8月4日~9月30日の土日祝日、10:00~16:00。利用料500円(30分)。市民ギャラリー横の人工池で行われる。
3 じゃぶじゃぶ水遊び:レストハウス北側の広場と池を子どもたちに開放する。

私は、8月4日(土)、筑波学院大学コミュニティカレッジ『芸者文化史Ⅱ/水辺の花街の構造』の講義終了後、猛暑の中央公園を歩いてみた。元気に水遊びする子どもたちがいた。カヌーは5艘のうち1艘が動いていた。バーベキューはテーブルが30席用意されていたが、3組が楽しんでいた。

翌日も団員と行ってみた。バーベキューを楽しもうと思ったからだ。手ぶらで行ったが、実は材料は持ち込みで、場所と道具を借りるシステムだった。「てぶら」は誤解を招くタイトルだ。テーブルは5席に減っていた。企画運営はナムチェバザールというアウトドアグッズの会社だった。ちなみに、カヌーは2艘動き、水遊びに子どもはいなかった。猛暑が原因だろう。

「バグダッド・カフェ」

私がこのイベントを知ったのは、「つくばセンター地区活性化協議会」の『打ち水遊びで夕涼み』のチラシである。表には「公共空間活用実証実験つくばペデカフェプロジェクト」とあり、協力はつくば市生活環境部。チラシの裏に中央公園の企画が載っていた。いろいろな組織がセンター地区活性化の実験を重ねている。

強烈な日差しを浴びて歩いていたら、映画『バグダッド・カフェ』(1988)の冒頭シーンが蘇った。アメリカのルート66の砂漠の車道をドイツの中年女性がトランクを引きずって歩く。画面は黄色っぽく、時々暗くなったり明るくなったり。カットのつなぎも予想を裏切る。

灼熱の画面が続くが、何故かさわやかな空気が流れる。それは、夫と喧嘩別れしたドイツ人女性と、自分勝手な家族に年中わめいているカフェ兼ホテル経営者の黒人女性とが、徐々に心を通じ、仲良くなるお話だからだ。

後に作られた「完成版」は説明し過ぎで、「ディレクターカット版」では原色の色彩が普通になっていて興味半減だった。だが、しかし、実験映画といえる名作だった。

私は妄想する。センター地区には13軒以上のカフェがある。それぞれが実験をしたら面白いことになる。実証実験の要は、仲良く連携することだと思う。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

《好人余聞》10 「紙なんて、丸めてゴミにされちゃうけど」酒井志保さん

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ペーパークラフト作家 酒井志保さん

【コラム・オダギ秀】人生という旅の途中で出会った人たち、みんな素敵な人たちでした。その方々に伺った話を、覚え書きのように綴りたいと思っています。

たかが紙。風に吹かれれば飛んでいってしまい、丸めるとゴミになるようなもの。そんな紙というものに、人生を乗せてしまったような人に会った。つくば市のペーパークラフト作家 酒井志保さん。紙に丸みをつけて重ね貼りする半立体作品を得意としている。作品は、繊細な作り込みと、表情豊かなキャラクターに定評があり、優しい暖かみある作風で、様々な雑誌の表紙などに使用され、たいへんな人気を呼んでいる。

「ペラペラな紙が、神様のカミでもあるのかな、なんて思うことがあるんですよ。だって、そこから、無限にイメージが膨らむんです。紙って、身近なものだけに、クシャクシャになっているとただのゴミや紙切れなんだけど、作品になると、大切にしてくださる人にとっては、ただの紙ではなく、アートになり、もっと大切なストーリーを持つようになるんですね」

飾り物やプレゼントのオーダーも多いそうだが、酒井さんは、出来る限りの聞き取りをするそうだ。たとえば、お誕生のお祝いなら子どもさんの顔の写真を見せていただいたり、どんな好きな色の着物を着せたいのかと親御さんの気持ちを伺ったり、後々までもその作品が、意味を持って大切にしていただけるように、データを集めまくる。

作品は人生そのもの

「すると、ただの紙が、どんどん意味のあるものになって行くんです。たとえば、お爺ちゃんが、お孫さんのお節句に吊るし雛をお祝いにプレゼントする。その吊るし雛には、色々な意味が込められているんですね。食べ物に困らないようにとか、どうしてこのような紙を使ったかとか、この柄は古来どんな意味があるかとか。すると、それが、プレゼントしてくれたお爺ちゃんの気持ちとして、いつまでも残っていくんです」

作品に囲まれて、彼女は楽しそうに笑った。

残っていくのは、酒井さんの作品のようでいて、むしろ彼女の人生そのものではなかろうか。丁寧にこだわり、依頼された以上のものを作ろうとする彼女の人生こそが、作品以上に残っているのだと思った。酒井さんの人生にとって、ペーパークラフトは、どんな意味があるのですかと、乱暴な質問を投げてみた。

「飽きないで付き合って行けるものだから、出会えて幸せだったと思う」。その言葉は、人生というものに出会えて幸せだ、と言ったように聞こえた。(写真家)

▼酒井志保さんの教室と作品ショップ : クラフトP-BOX  つくば市真瀬467-3 電話& FAX : 029-838-0302(土・日)  営業時間 : 毎週 土曜・日曜 13:30〜18:00 http://craft-p-box.com/

《土着通信部》18 「地学」を選びたかった君へ 18日に公開講座

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見学者が引きも切らない養老川沿い「チバニアン」地層(千葉県市原市)

【コラム・相沢冬樹】筑波山地域ジオパークが認定されたころ、地球科学を専攻する筑波大学の学生に「最近の受験では、理科で地学を選択しやすくなったのか」たずねたことがある。「いいえ難しいっす。地学で受験できる大学は限られているし、今でも教える高校は少ない。自分も履修できなくて、入試は物理と生物で受けました」。

僕は大学入試センター(共通一次)試験が始まる前の世代だが、学校教育での地学の扱いにずっと納得いかなかった。理科4科目のなかで、物理、化学、生物に比べ地学だけが冷遇されてきた。しかし、天文(宇宙)、地質、地球物理、気象の4分野にわたる地学には、興味を惹くテーマがそろっている。「理科離れ」が叫ばれて久しいが、高校で地学を選べたなら事情はだいぶ違ったろうと思えるのだ。

微積分に歯が立たず、文系に進んだ僕も、社会に出てからは折にふれ理系との接触が刺激となった。高エネルギー加速器研究機構の一般公開をのぞいたり、筑波山周辺のジオサイトをめぐるトレッキングに出かけたり…、つくばはその機会にこと欠かない。

挙句に僕は、総合科学研究機構(CROSS、横溝英明理事長)という一般財団法人に身を寄せた。文系・理系にまたがるサイエンスをカバーして、クロスは「文理融合」の意味となる。格調高く総合科学を冠するも、足場は発祥の地元に置くのがユニークだ。

つくばの産学官連携に取り組もうとCROSSと称してちょうど20年、この間ずっと本部は土浦市内にあった。2011年からは東海村の加速器施設J-PARCにある中性子ビームラインの利用促進を業務の主力にしている。

太陽系と地球誕生の謎に迫る

その財団が地域社会との交流機会に設けているのが市民公開講座で、今年の「CROSS2018」は18日(土)午後1時から開く。会場は筑波銀行つくば本部ビル(つくば市竹園1丁目)10階大会議室、開催タイトルを「太陽系と地球誕生の謎に迫る」と打ち出した。

「地球外物質から探る太陽系の誕生と天体進化」三河内岳(東京大学総合研究博物館教授)、「チバニアンと地質時代」岡田誠(茨城大学理学部教授)の2講演が予定されている。ともに地学ファンには聞き逃せないテーマである。

遅れて地学の徒となった僕は、千葉県市原市にある「チバニアン」の地層を訪ねたりした。地質時代境界の「千葉セクション」は日本最初の国際標準模式地候補となり、地質時代名称として「チバニアン」が提唱されている。その研究チームの代表が岡田氏で、講演では地質学から地球の歴史に迫り、地磁気逆転や氷期―間氷期の変化などの話をするということだ。(ブロガー)

▽CROSS2018:入場無料。問い合わせ・事前登録は電話(029-826-6251)かメール(tsukuba@cross.or.jp)でCROSS事務局まで

《吾妻カガミ》37 わがまま高速道・鉄道インフラ論

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【コラム・坂本栄】県内を縦と横に走る高速道にはお世話になっています。会合で水戸へ行くときには常磐道-北関東道を使えば1時間かかりませんし、講義で日立へ行くときには常磐道で1時間強。また、圏央道開通で孫たちが住む埼玉県へも1時間強で行けるようになりました。以前の常磐道-外環道-東北道(逆台形の3辺)ルートに比べると、1辺経由で行けますから大幅に短縮されました。

高速を走るにあたっては車載ITにお世話になっています。今はスバルのSUVに乗っていますが、「アイサイト」という半自動運転装置を使うと、高速道でアクセルとブレーキを踏む必要がありません。巡行時はハンドルに手を軽く乗せ、追い越し時だけ操作すればOKです。

以上は、高速道と車のIT化でいかに便利になったかという個人体験。皆さんも仕事や生活で、縦と横に走る高速道の便利さを実感していることでしょう。

もうひとつの交通インフラ、鉄道でもお世話になっています。私は土浦在住ですから、東京に行くときは常磐線を使います。でも行き先によっては、つくばエクスプレス(TX)も利用します。浅草寺周辺の飲み屋に行くときは、近くに浅草駅があるTXを使います。いずれにしても、首都圏への鉄道2ルートは生活と仕事に欠かせません。

TXは空港延伸で完結

孫のこと、スバルのこと、浅草のこと―個人的なことを書いてきましたが、そろそろ本題に入りたいと思います。TX北部延伸(県央斜め横断鉄道)のことです。

13年前のTX開通で、県南エリア、特に沿線の守谷市、つくばみらい市、つくば市は人気のまち(人口が増えるまち)になりました。現在のつくば終点をもっと先に延ばせば、その周辺の生活と仕事の利便性が数倍、いや数十倍になるのは間違いありません。

先の県知事選、衆院選(6区)では各候補が延伸を公約に掲げました。小美玉市、石岡市、かすみがうら市、つくば市、土浦市の議長連も延伸に向け動き出しました。首長の間には温度差があるようですが、「政治的な環境」は整ったといえます。いよいよ議論を深めなければなりません。

ポイントは2つ。ひとつは、常磐線のどことクロスさせるか(石岡駅か高浜駅か神立駅か土浦駅か)。このライン引きでは思惑が錯綜するでしょうが、エイヤで決めるしかありません。もうひとつは、茨城空港までの延伸をセットにするか切り離すかですが、TXの利用価値を高めるにはセットにすべきです。

また個人的な話に戻ります。2年前、神戸に住む甥の結婚式があり、新幹線ではなく、茨城空港発神戸便を使ってみました。大変便利で、これから京阪神に遊びに行くときは小美玉発を使うつもりです。今、茨城空港には車で行くしかありませんが、TX延伸が実現すればアクセスの選択肢が増えます(私は数年先に後期高齢者。免許返納でしょうからTXしかありません)。(経済ジャーナリスト)

《猫と暮らせば》3 「ラン活」を支えるものづくり

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写真右が小2女児、左が小6女児のランドセル。肩ベルトに付けられたのは防犯ブザー

【コラム・橋立多美】来春の新入学に向けてランドセル商戦が熱を帯びている。夏休みに帰郷する孫のために財布のひもを緩める祖父母は多い。

最近は4、5月ごろから翌年の新入学に向け、好みのランドセルを探す「ラン活」がスタートする。小学校低学年の児童を持つ保護者を対象にした調査によると、半数以上が検討のためにランドセル売場に4回程度出向き、夏までに購入を決めている。

かつては七五三商戦が終わった後の11月に売場が開設され、そこからがランドセル販売の舞台だった。市場を一変させた原因は少子化だ。少ない子や孫の一大イベントに親と祖父母が出費を惜しまず、高級素材を用いた軽くて丈夫な商品が登場した。カラフルな色で細部に工夫を凝らした「新入学モデル」が毎年生まれている。

ランドセルへの思い入れは金額に表れている。日本鞄工業会によると、2014年の平均価格は42400円。子どもに人気のファッションブランドが販売するランドセルだと8万円台の商品もざらだ。

廃業する中小企業も

しかし、好調に見える工業会に迫りくるのが超少子化と、生産を担っている中小零細業者の廃業だ。

総務省の統計を見ると、17年4月時点の子どもの数は前年より17万人少ない1571万人。1982年から36年連続の減少で過去最低。減少は今後も続いていくと予想される。

一方で、後継者不足などで年に5万件の中小企業が廃業している(経済産業省まとめ)。ランドセル業界には大手メーカーもあるが、高齢化や後継者不在に加え、個性を競う市場に対応し切れずに廃業に追い込まれる中小企業があるという。

団塊世代の私は下校時に道草を食い、置き忘れたランドセルを慌てて取りに戻ったことがある。卒業時には型くずれして傷みも相当あった。

片や、今年6年になった孫のランドセルは入学した当時の形を維持している。孫はモノを大事にする性格ではないし、玄関に放りだしておくタイプ。確かな技術に裏打ちされた日本の「ものづくり」の優秀性が見てとれる。(ライター)

《続・気軽にSOS》18 ひきこもりとコミュニケーション

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【コラム・浅井和幸】ひきこもりの相談では、ひきこもっている当人よりもご家族、主に親御さんが相談に来られることが多いものです。対応策を考えるときに、現時点でどのようなことが出来ているのかは、重要な要素です。出来ていることが多ければ対応策も多く、様々な選択肢の中から手段を選べます。

ほとんどの支援者や家族、当事者の興味関心は、出来ないことである場合が多いように私は感じます。しかし私の関心事は、仮にでもよいので、どこに向かいたいかの目的と、今できていることです。今できていることと、さらに少しだけ高度なことが、その人が目標に向かうための練習する手段になるからです。

なので、相談に来られたご家族や当人に、今何が出来ているかをしつこく、細かく聞くのが浅井流です。ひきこもり問題の場合は、当人よりもご家族が来られることが多いので、「どれぐらいコミュニケーションをとっていますか」と質問します。

長年苦しんできたご家族は、「まったくコミュニケーションが取れません」と回答することも少なくありません。まったく顔も合わせず、エアコンも使わずに雨戸を閉め切り、家族が仕事などで外に出ている間か、寝静まったときにだけ部屋を出るというケースに出くわしたこともあります。

責めないで 明るく接する

ですが、ほとんどの親子は、何かしらコミュニケーションをとっています。食事が出来たとか、風呂が沸いたとかを伝えると、無言だけれど食事や風呂に入るために動き出す。これだけでもコミュニケーションです。親御さんが食事を用意したことを伝えて、お子さんにそれが伝わり、行動に変化が生じているわけです。

コミュニケーションとは、一言声掛けをして親友になることではなく、たくさんのやり取りをして、時にはすれ違いもあって、少しずつ近づいて分かり合っていくことです。何かを変えたいときは、言葉掛けや雰囲気をちょっと変えてみることが大切です。

大した返事もしないからと、「何で返事をしないんだ」とか「どうしてこうなっちゃったんだ」と責めるような、嫌な言葉を掛け続けては、好転させないように接しているようなものです。お子さんに明るくなって欲しいならば、明るく接した方がよいでしょう。親御さんがお子さんと接していない時に、明るい時間を送ることも大切です。

どう声掛けをしたら、どのような変化があったか。良いことも悪いことも、ほんのささいなお子さんの反応をよく見て受け取ることが大切です。良くなる声掛けや、きっかけだけを追い求め、お子さんがどのよう感じているかに思いを巡らせなくなってしまうことが悪循環につながります。

また、思いを巡らせても、それは推測にしか過ぎないことを自覚し、事実としてどのような反応があったかとは明確に区別することが大切です。いろいろと推測し、行動し、顧みてください。できれば複数の人で行います。それでも悪循環から抜け出せないなら、信頼できる支援者と数人ほどつながるようにしましょう。(精神保健福祉士)

《光の図書館だより》9 座右の書に出合うかもしれない、夏

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土浦市立図書館

【コラム・入沢弘子】本日8月2日、新館開館219日目にして来館者を40万人お迎えし、年間来館者目標を達成しました。ご来館いただいた皆様、いつも土浦市立図書館を支えてくださる地域や関係団体の皆様に御礼申し上げます。

夏休みに入り、図書館には朝から多くの子ども達が来館しています。駅前に移転してからは、高校生はもとより、中学生や小学生の姿も多く見受けられるようになりました。お弁当や水筒持参の長時間滞在準備をして、資料探しや学習に来る子が多いようです。

当館では、夏休み期間中の37開館日に、20のお子さん向けイベントを実施します。どのイベントも、図書館と本に親しみを持ってもらうこと、興味あるテーマの本に出合うこと、本から好奇心や世界が広がることを目的にしています。

人気の「おはなし会」は、5団体のおはなしボランティアさんの協力のもと、週に3回程度実施、全15回予定しています。中でも、8月4日(土)の「戦争と平和のおはなし会」では、樺太から引き揚げた方の体験談、ブルガリア人の方の戦争の話(英語)を聞きます。

ネットTVのスタジオも開設

夏休みの宿題の役にも立つ「子ども講座」は、「土浦の花火」「霞ケ浦」「インターネットTV」のテーマで3回予定しています。

ネットTVの回では、館内にスタジオを設け、ラジオパーソナリティを進行役として、子ども達が市立図書館のPR番組を企画制作。番組はリアルタイムで配信されます。ほかに、「子ども映画会」が1回開催されます。

新しい企画としては、「科学道ジュニア100」を実施しています。これは、理化学研究所と編集工学研究所が選書した「科学の面白さ・深さ・広さが伝わる」子ども向け書籍100冊を6つのジャンルに分けて展示しているものです。身近な「科学」を知り、興味の分野を広げてほしいと思います。

長い自由時間を過ごす夏休み。お子さんたちも、夏季休暇を取得できる大人の皆さんも、涼しく明るい駅前図書館で、「座右の書」と出合いませんか?(土浦市立図書館館長)

▼夏休みイベントの詳細は図書館HPをご覧ください:http://www.t-lib.jp/

《くずかごの唄》19 酷暑の夏 熱中症にならない試練

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【コラム・奥井登美子】「焼けたフライパンの上を歩いている感じ」「風がない、上からいきなり、熱い光が人間レンズの的に当たる」

7月16日、海の日。私は「泳げる霞ケ浦市民フェスティバル」へ行くつもりで家を出たが、あまりの暑さに「めまい」がして、熱中症になったら皆さんに迷惑をかけるので、途中で帰って来てしまった。

40度などという気温は、日本で、今まで聞いたことがなかった。日本人が経験したことがなかった体験を、今、私たちがしているのだ。

熱中症にならないまでも、「熱中症寸前」という人はけっこう多い。耳がかゆい、目の周りが赤い、背中がかゆい、という人が増えたような気がする。

朝起きて、枕カバーの上に置いたタオルをなめてみると、飛び上がるほどしょっぱい。寝ている間に汗をかいた自覚はないのに、かなりの汗をかいた証拠だ。

耳がかゆい? よく洗いましょう

ツラの皮の厚さと連動しているのかいないのか、顔に汗をかくと気持ちが悪いので、急いで洗ったり、拭いたりするけれど、耳と目はあまり汗をかかないと思っているので、拭かない。今年は、その目と耳にまで汗をかくらしい。

「耳がかゆくて、かゆくて。お医者に行って薬もらって、塗ってみたけれど治らない。どうしたらいいの?」「どっちの耳?」「右」「寝る時、右を下にしているのネ」「そう、そういえば、右を下にして寝ている」「寝ている間、耳にかいた汗で、アセモが出来たのよ。耳は洗いにくいけれど、1日5回くらいよく洗って、お医者様の軟膏つけてみれば…」

目も、耳も、背中も、よく洗うだけでかゆみが取れたという人が多い。薬剤師としての薬の指導は後回しにして、生活の乗り切り方を提案しなければならない。特に老人はクーラーが嫌いな上に、気温の変化と、喉乾きに鈍感なので、対処が遅れてしまう。

今年の夏の健康、どうやって乗り切るか。私たちへの試練が待っている。(随筆家)

《茨城の創生を考える》5 つくばに情報科学大学を:提案1

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ダイアモンド筑波

【コラム・中尾隆友】前回のコラムでは、茨城が元気になるための政策を3つ提案したが、「NEWSつくば」という媒体でもあるので、今回から、つくば市がさらに輝くための提案を数回に分けて申し上げたい。

1つめは、情報処理能力の育成に特化した「情報科学大学」(仮称:市立の専門職大学あるいは単科大学)をつくることだ。経済のデジタル化が進むなかで、ビジネスの現場では膨大なデータの活用を考えるAI技術者が不足している。現在、横浜市立大学や滋賀大学などがAIに精通する人材育成を目的とした学部を新設し、志願者が殺到しているという。しかしこれらの大学に、地方創生という観点から学部を新設したという発想が見受けられないのは残念なことだ。

情報科学大の新設の目的は、大企業が欲するAI人材を教育し供給する条件として、つくば市に大企業の本社機能の一部または研究所を移転してもらうということだ。その過程では、大学は複数の大企業と提携関係を構築し、共同研究や人材交流などで結びつきを強めることが有効だろう。その成果として、大企業は研究に没頭できる環境と人材の採用の双方を獲得する一方で、つくば市は将来の良質な雇用確保と優秀な若者の定住を実現できるというわけだ。

当然のことながら、専門職大や単科大をつくるために、最初からそのすべてを地方の財政で賄うというのは無理がある。だから地方自治体は、淘汰により廃校になった大学・高校や不要になった施設などを改修・刷新することで再利用するという選択肢を持つべきなのだ。そのうえで、つくば市には有望な候補地が何カ所かあることも忘れてはならないだろう。

大企業誘致と大学振興

前回述べたように、IT企業を中心に本社機能の移転需要は確実にあるのだから、つくば市は東京に近いという利便性や生活・教育環境の充実といった強みを発揮し、多くのIT企業を誘致できるポテンシャルを持っている。おまけに、市には運動公園用地として購入した46㌶の遊んだ土地がある。この土地を無償で貸すなどして、移転のインセンティブを強めることもできるはずだ。

これに対して、筑波大学でAI人材を育成する学部を新設すればいいのではないかという意見が出てくるかもしれない。たしかに、筑波大が協力してくれるのであれば、理想的な流れであると思う。ただし、筑波大が市と協力して地元の活性化を目指す方針を共有できるのかという難題をクリアしなければならない。また、そうでなければあまり意味がない。

いずれにしても、私が強く願うのは、つくば市が地域の特色や強みを分析・可視化したうえで、「大企業の誘致」と「大学の振興」を組み合わせた施策を進めてもらいたいということだ。やはり、相性の良い施策を組み合わせてこそ、相応の効果を発揮することが期待できるからだ。

つくばはシリコンバレーの街並みに似ているといわれるが、AIやIT、IoT関連の企業が集積する日本版シリコンバレー「つくバレー」を目指すのもおもしろいだろう。もし行政が本気で取り組みたいのであれば、私も惜しみなく協力させていただきたいと思っている。(経営アドバイザー)

《地域包括ケア》16 高齢者のSOS 携帯は常時手元に

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【コラム・室生勝】連日続く猛暑で高齢者の熱中症による死者が出ている。茨城県でも後期高齢者の女性が自宅で意識もうろうとした状態で見つかり、病院に搬送された。高齢者本人は熱中症と気づかず、あるいは気づいてもSOSを発信する術(すべ)を持たず、不幸な転帰となることもある。

後期高齢者のひとり暮らしや高齢者だけの世帯に対する安心安全を保証する体制ができていれば、熱中症だけでなく、脳卒中、心筋梗塞、誤嚥性肺炎、転倒による骨折などの緊急時にも対応できるだろう。緊急事態は、介護サービスを利用していない自立した後期高齢者でも起こりうるから注意すべきだ。

ひとり暮らしの緊急時に対応するサービスとして、市町村の在宅高齢者福祉事業「緊急通報システム」がある。設置された緊急通報機器から離れていても通報できるペンダントがあり、常時身に着ていれば通報できるが、着けている高齢者はほとんどいない。

つくば市には、ひとり暮らし高齢者・障害者・健康に不安をかかえている人たち(難病および介護保険サービスの対象となる特定疾患患者※)の緊急時に対応する、「つくば市救急医療情報便ツクツク見守りたい」がある。だが十分に周知されていないようで、登録者は少ない。

短縮でワンタッチ通報

高齢者の集まりに講話を依頼された際、緊急時に携帯電話やスマホで主治医や救急隊に通報できるかを尋ねたことがある。外出時は持参しているので通報できるが、自宅にいるときは手元に持っていないことが多いようだ。短縮ダイヤルをワンタッチで通報できることを知らない人もいた。

現在、ほとんどの高齢者が携帯電話かスマホを持っている。トイレに入るときも入浴時にも、手の届くところに置き、すぐ使えるようにしておいてほしい。特に、後期高齢者に強くお願いしたい。

認知症初期のひとり暮らし高齢者や後期高齢者だけの世帯では、緊急時には気持ちが動転して携帯電話やスマホを操作できなくなることが想定される。市町村は現在のいろいろな緊急時サービスを見直し、新たなシステムを考えるべきだ。

後期高齢者が増えつつある現在、市町村は認知症発症リスクが高いひとり暮らし後期高齢者や後期高齢者だけの世帯が、自宅で安心安全な生活が継続できているかどうか調査すべきだ。その結果によっては、24時間の見守りがある集合住宅などを住み慣れた地区で提供することを考えねばならない。(高齢者サロン主宰)

※ がん末期、関節リウマチ、パーキンソン病、脳血管疾患など16疾患の40歳以上65歳未満の人

《ひょうたんの眼》8 祖父はニコライで死んだ

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命の代償 忠勇碑㊧と刻まれた碑文

【コラム・高橋惠一】子どものころ、祖父の墓碑の前で、母から「自分の父親は、ニコライでソ連に殺された。残虐な殺され方だったそうだ」と聞いた。幼少時から義父と仲が悪く、ずっと貧乏と縁が切れなかったのも、全て「ニコライ」から始まったように聞こえた。子ども心に「ソ連は恐ろしい悪い奴だ」というイメージが焼き付いた。

後に、それは第1次世界大戦のあとのシベリア出兵時の尼港(ニコラエフスク)事件のことだとわかったが、中高生の歴史では、日中戦争でも太平洋戦争でもなく、日清・日ロから第2次大戦の流れの中に埋没した「出来事」だった。

第1次大戦終戦の間際、ロシア革命が起こり、ソ連邦内に取り残されたチェコ軍を救出するために、当時の列強各国が派兵し、日本も出兵した。日本軍はチェコ軍脱出後もシベリア駐留を続け、黒竜江河口のニコラエフスクに置いた守備隊は約10倍の革命軍パルチザンに包囲されてしまった。

祖母が妊娠中に出征した祖父は、その守備隊にいた。一時休戦が成立したが、日本側から攻撃を仕掛けて敗れ、捕虜にされた。氷結の冬季が終り、日本の本隊が救出に来るのを知って、革命軍は、逃げる際、守備隊と在留邦人約700人、ロシア人の富裕層も虐殺した。尼港事件である。

祖父は自転車で、出産のため実家に帰っていた祖母に会いに行ったが、時間が足りず行き着かなかったそうで、妻と別れの会話も出来ず、生まれてくる子が男か女かも判らないまま出征した。貧乏農家の跡取りは、世界情勢を理解しているわけでもなく、戦闘に巻き込まれ、捕虜になった。孤立無援の捕虜たちには、一兵士の生後間もない赤ん坊の情報もなく、母が一歳の誕生日を迎えたころ、恐怖の中で虐殺された。

当時の日本政府は、先に撤収した欧米からの批判の眼にさらされながら、便乗して他国を占領し続けたうえ、日本人居留民も兵士の命も守れなかった。この事件は、その後の反ソ宣伝、国威発揚に利用された。

私の父方のいとこは、インパール作戦で死んだ。やさしい鉄道マンだったそうだ。愚かな作戦で、名誉な戦死などではなく、酷暑と飢えの過酷な環境での病没である。日米戦は、もともと無謀な戦いと言われたが、マリアナからの本土空襲が可能になったヤルタ会談後の戦争継続は愚か過ぎた。

あの時、負けを認めれば、硫黄島も、東京大空襲も、続く各都市空襲も無かった。沖縄も、広島も、長崎も、ソ連の満州侵攻も無かった。日本人死者310万人の半分以上が死なずに済んだ。誰が、責任を取ったのか。

占領軍による東京裁判を否定する意見がある。戦勝者の報復裁判だという。日本国憲法に対する批判も、その延長にある。それならば、国民の多くを無駄に死なせた政府の責任者、戦争遂行者の責任を問う裁判を行うべきだ。私の祖父は、私のいとこは、なぜ、あのような殺され方をされたのか。(元オークラフロンティアホテルつくば社長)

《宍塚の里山》19 四中生の里山活動 竹林を伐採観察

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中学生のマダケ伐採の様子

【コラム・及川ひろみ】宍塚の里山保全、特に竹林の保全活動には中学生の活躍が欠かせませんが、今回は、中学生が初めて宍塚で活動した時のことをまとめてみました。2006年7月、土浦四中の2年生、総勢216名が2回に分かれ、宍塚で体験学習を行いたいとの希望が寄せられました。活動時間は2時間です。

大勢の中学生達の活動・学びとして考えたことは、①放置されたマダケ林の竹を伐採し整備する②孟宗竹の根を掘り出し竹の根を観察する③池の生き物を観察する④荒れた土地を開墾し果樹園を造る―のメニューでした。4グループに分かれ、全員がどの活動にも参加できるスケジュールを立てました。

まず中学生全員に、昔、マダケはどんなに役立つものであったかを、1㍍ほどの蛇篭(じゃかご)のミニチュアを使って説明。マダケで編んだ蛇篭は、時に十数㍍の長さに作られ、蛇篭に河原の石を詰め川底に置き、川の流れを変えたり、堤防の決壊を防ぐために使われます。竹が暮らしに無くてはならないものであったことを話し、今は使われなくなったマダケ林が放置されており、整備が必要なことを伝えました。

その後、グループに分かれ活動、マダケ林の整備に大きな成果を挙げました。孟宗竹の根は、掘り出すとなると、その土壌は細い根によって構造が変わり(団粒構造が破壊され)硬く締まることから、大変難儀しました。216人全員がスコップで掘り起こしましたが、結局掘り出すことはできませんでした(その後、会員が掘り上げ、小川で根に絡まった土を落としました)。

体験の教育効果

池では、野生のハス、花や葉を手にし、美しい花に見入り、不思議な感触の葉に水をかけると水玉が躍るように動く様などを観察。ブラックバス・ブルーギルを解剖し、心臓・胃なども観察しました。荒れ地は、小木を掘り出し果樹園に。今では、ミカン、スモモ、ウメなどが、ところ狭しと植わっています。

やる気満々でやって来た彼ら、暑い中でしたが、生き生きと活動しました。今は大人になった、昔の中学生がヒョッコリ大池に現れ、当時の思い出を聞くことがあります。結構大変だった活動を懐かしく語る彼らを見ると、体験以上の教育があるだろうかとの思いになります。

中学生たちがこの活動を行うに当たり、地主に許可を得ることは言うまでもありません。この活動のあと、休眠状態にあった土浦四中科学部が宍塚の竹林で活動を開始、素晴らしい成果を生み出しました。このことは次回報告します。(宍塚の自然と歴史の会代表)

《続・平熱日記》18 ビーチサンダルを履いた池田先生

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【コラム・斉藤裕之】お中元にビーチサンダルをもらいました。夏はもちろん、四季を問わず、家の中でビーサンを履いている私に、友人が毎年この時期に渡してくれます。

ビーサンで思い出す先生がいます。中学の時。東京で研修をされていた偉い先生が戻って来られる。とても厳しく、水泳界では名の知れた先生。先輩達が戦々恐々として噂話をしているのを聞いて、水泳部だった私はかなりビビっていました。

そして現れたのは…。とぼけた感じもありながら、静けさの中にタダ者ならぬ気配の先生。全校集会の先生の号令に、生徒の背筋はピンと伸びました。やんちゃな先輩達の態度からもそれは明らかに感じ取られ、その夏からの練習は過酷なものとなりました。

その先生は池田先生といいます。淡い緑のキャップにTシャツ半ズボン。そしてビーサンという出で立ちで、隣街から自転車をゆっくりとこぎながら通勤して来ます。水泳部では、パイプ椅子に座って笛を吹くだけ。恐らく豊富な知識と経験があるのにもかかわらず、一度も技術的な指導を受けたことがありませんでした。

それどころか、体育の授業でも何も教えてもらった記憶がないのです。サッカー、バスケット、陸上競技、なんにも。覚えているのはグランドの隅で草を抜いている姿。しかしながら、池田先生はどんな生徒からもリスペクトされ、授業も充実していました。

また先生の指導の甲斐あって、水泳部は好成績を上げました。でも先生は褒めることもなく、次の大会に向け淡々と笛を吹くだけ。

集合時間は12:59 9:58

いよいよ卒業というころ、先生が部員を自宅に招いてくれました。きれいな畳の部屋には炭が香り、すき焼きのごちそうです。先生の威厳に、かしこまっているしかない私達。そして驚いたのが、先生には不釣り合いなきれいな奥さんと子煩悩な先生の姿。

今の子は、先生が結婚しているとか気安くうわさをしたりしますが、我々のころは先生という存在はそれ以上でも以下でもなく、プライベートを想像することなどありえませんでしたので、先生が夫であり父親である姿に戸惑った記憶があります。

余談ですが、この時、小池君が「春菊好きなんよ」と言って、美味そうに食っているのを見て、「俺も」と嘘をついて食べた私。あれ以来、春菊が好きになりました。

教育について語るのは苦手ですが、教えるということと学ぶということは直線的ではありません。今思うと、池田先生の在り様そのものに、いろんなことを学んだような気がします。日本の先生は世界一忙しいそうですが、御上の考える教育とは別に独自の哲学を持った、いい先生が増えるといいですね。

夏休みの水泳部のスケジュール。池田先生から渡されたプリントには、集合時間「12:59」「9:58」などと書かれていました。先生ならではのレトリック。半端な時刻にすることで、決して遅れる者はいませんでした。やはり優れた教育者でした。(画家)

《邑から日本を見る》20 地域の歴史に学ぶ-常陸太田の偉人たち

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飯野農夫也の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】今年は明治維新から150年。私は今75歳、その半分を生きていることになる。私が住んでいる東隣が常陸太田市。そこに郷土資料館(旧市役所)があり、22日まで「明治150年記念 明治期に活躍した常陸太田の偉人たち」という企画展が開かれた。明治期にこの地に生まれ、県内外で活躍した人たちを紹介している。私はこの企画に合わせ、「近代化を支えた常陸太田の偉人たち」という演題で講演した。

常陸太田(以下太田)といえば、水戸黄門(徳川光圀)が隠居した所。中世大名の佐竹発祥の地だ。江戸時代には、那珂湊と並ぶ商業の街で、分限者(長者)も多く出た。太田の奥地には葉タバコ、コンニャク、紙の原料である楮、ウルシなどの特産品があり、紅花も栽培されていた。太田はその集散地。地形で見れば、扇の要にあたる。

明治になって、国は殖産興業策を進め、太田の旦那衆は金融(銀行)、鉄道、電気に目を付け、投資した。電気では、のちに「茨城の電気王」といわれた前島平がいる。1905年に茨城電気を興し、翌々年に水戸市に火力発電所、次の年には里川の水を利用した水力発電所と、次々に発電所を建設。のちには県内の電力会社を吸収していった。

しかし、前島を支えた七人組の人たちは昭和大恐慌の波に呑まれてしまった。その後、銀行、鉄道、電気とも国家管理に置かれ、個人の才覚で商売することを許さなくなっていった。

函館の商業王 北海道の酪農王…

太田から出て、全国レベルで活躍した人も多い。その筆頭は佐藤進。ドイツに留学し、アジア人初の医学博士となった。東京湯島にある順天堂病院・同大学興隆の原動力になった人だ。東京の名医の筆頭に挙げられ、大隈重信や李鴻章などの手術をし、軍医の功績で男爵に列せられた。

「天賦の才をもって刻苦勉励し、一代にして巨万の富を築き、浄財を喜捨し、幾多の事業を援助した真の実業家」といわれた「函館の商業王」梅津福次郎も太田の出身だ。函館は新興の地。北洋漁業の最大の基地となり、1930年まで関東以北最大の都市だった。梅津の商圏は千島・樺太にまで伸びていった。教育・公共事業に多大の寄付をし、光圀の菩提寺である久昌寺、太田高等女学校、太田町役場、西山修養道場などは梅津の寄付による。

北海道に渡って名を成したもう一人が「北海道の酪農の父」黒澤酉蔵だ。黒澤は若い時に田中正造の教えを受け、北海道で牛飼いを始め、のちの「雪印乳業」を興し、酪農民が牛乳やバター・チーズの製造販売を行った。酪農学園大学も創始している。

このほか、「茨城の交通王」竹内権兵衛、日本海員組合の初代組合長・小泉秀吉などがいる。こうした人たちの志を今にどう活かすのか。よそから見ると、太田の街は沈滞している。若者、バカ者、ヨソ者、女性が活躍している所は活気がある。「モノを活かす、人が動く、心をつなぐ」。そんな街にしようではないか。私は太田だけではなく、どこにも共通する課題だと訴えた。(元瓜連町長)

《食う寝る宇宙》18 特異日 衛星落下と仏革命

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【コラム・玉置晋】暑過ぎてモチベーションの維持が難しくなっています。いわゆる地球温暖化問題が、いよいよ私の生活に支障をきたすようになって来たということでしょうか。化石燃料の燃焼を主体に電気を生み出している我が国の現状において、文明の利器エアコンを用いてしまうことは温暖化を助長する愚かな行為です。でも、すみません。もう我慢できません。エアコンのスイッチを押します。はあ~快適。

さて、最近、僕のまわりの若手たちのモチベーションが下がってしまい、ちょっと可哀そう。なぜ下がっているかについては、組織的な問題もあるでしょうし、身近な人間関係もあるでしょうし、そういうお年ごろということもあるでしょうね。

正直、本人たちもよくわかってないと思います。ある人は旅立ち、ある人は踏ん張り、ある人は天井を見上げ思考を停止しているようですが…。この件は「正解がない」が正解なのでしょうから、僕は愚痴を傾聴しつつ、見守ることにします。組織内のオッサンの自慢話「俺の若いころは~」を聞くより、組織外の専門家の声を聴いた方がよいと思いますよ。

さて、僕はですね、貴重な研究時間を休日出勤で奪われましたので、睡眠時間を削ってリカバー中。大人なので笑っていますが、目は笑っていません。業務を優先する条件での社会人学生ですから、文句は言いませんよ。僕は(合法的に)興奮剤を投入してでもモチベーションを上げる必要があります。

「銀河宇宙オデッセイ」のサントラ

本コラムを執筆しているのは2018年7月15日。遡ること18年前の2000年7月14日~15日は、宇宙天気防災の観点から特異日です。

7月14日に発生した大規模太陽フレアから放出されたプラズマの塊は7月15日に地球に襲い掛かり、大磁気嵐を発生させました。Bastille Day event(バスティーユイベント)と呼ばれています。1789年7月14日にフランス王国パリの民衆がバスティーユ牢獄を襲撃し、フランス革命が始まったことに由来します。

大磁気嵐は地球の高層大気を加熱し、大気が人工衛星の飛行する高度まで膨張しました。高度440kmを飛行していた日本のX線天文衛星「あすか」は、急激に増加した大気抵抗により姿勢を崩し、お天道様から電力を得られず運用を断念。結局、地球に再突入し、大気摩擦で燃え尽きました。衛星オペレータが宇宙天気のモニタを必要とする理由がここにあります。

やっぱり僕にとって、モチベーションを上げる興奮剤は「宇宙」みたいです。今日のBGMは「A GALACTIC ODYSSEY」。NHKスペシャル「銀河宇宙オデッセイ」のサウンドトラックです。(宇宙天気防災研究者)

《気軽にSOS》17 誰にどのように相談したらよいか

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【コラム・浅井和幸】あるお茶会での出来事です。ある支援者が私に質問をしてきました。「ある方の相談を受けていますが、その方はやる気のない人です。そのような人にやる気を出させる方法はありますか」と。

その前置きでの話では、私にはその相談対象の方がやる気があるように感じられた点が複数あったのですが、それも伝えつつも、質問に対し下記のような例を出しました。

今、私たちは携帯電話を当たり前に持っています。ですが、携帯の出初めは多くの人は手を出しませんでした。購買意欲は簡単に湧かないのです。そこでメーカー側は無料で配るなどの…と話し始めたところで、話を遮って「その方は携帯を持っています」と言ってきました。多分、携帯を持つことで意欲が湧くのだと私が説明し出したと考えたのでしょう。

私は、意欲が湧くため、興味が湧くための一般的な方法論を伝えてから、具体的にその方の話にあった手段を考えていたのですが、とうとう話を届けることが出来ませんでした。むしろ、周りにいた方が耳を傾け、自分や子どもの場合はどう対応すればよいかと質問が続きました。

ある支援者は1人でキョトンとしていました。この人は毎日のように半分公の場で専門家として相談を続けていると思うと、ゾッとしました。こちらの話の意図をくもうとせず、全ての支援を自分はしていて、問題ない、悪くないと主張します。この態度で、弱い立場で相談に行く方々は話を聞いてもらえるのだろうか?と。

相談の4つのコツ:

このような考えの支援者は少なくないのも事実です。うつ病で休職をしているとき、福祉サービスを探すとき、遺産相続の手続きをするとき、子育てで悩んでいるとき…。悩みを初めて経験すると、誰にどのように相談してよいか分からないことがあります。相談をしていて、上手く運ばないなと感じたときは、次のコツを思い出してみてください。

1 相談のポイントをメモしていく:いつも悩んでいることを、相談の場で忘れず、論理的に説明することは至難の業です。日常的にメモしておくとよいでしょう。

2 相手が言っていることをメモする:その場で覚えたつもりでも、あとで思い出すのは難しく、メモは役に立ちます。メモを取ることで、支援者がごまかした対応が取りづらくなります。名刺をもらうのもよいですね。

3 何回も相談に行く:相談をやめてしまうと、支援者は解決と取ってしまうことがあります。同じ相談を何回も繰り返ししましょう。支援者がそれを嫌がっていれば、支援者の資質の問題なので、担当を変えてもよいでしょう。

4 複数の相談先を持つ:1カ所で上手くいけば、それに越したことはありませんが、それでも複数の信頼できる支援者と繋がっていることが大切です。あなたが他の相談の場に行くことを嫌がる支援者は、何か裏があるかもしれませんよ。(精神保健福祉士)