月曜日, 4月 21, 2025
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《続・気軽にSOS》21 良い慣れ 悪い慣れ

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【コラム・浅井和幸】「多くの交通事故が自宅の近くで起こっている」という話を耳にしました。インターネットで調べてみると、内閣府や国土交通省、警察庁などの統計が出てきます。不慣れな道ではなく、ある程度知っている道での事故が多いことは、気を抜いてしまう注意不足からくるのでしょうか。この道路は、車や歩行者は通らないというような、決め付けもあるのだと思います。

自動車の運転で、初心者のころはビクビクしているからあまり大きな事故は起こさないけれど、慣れてきたころが危ないから気をつけろと言われたことがあります。そういえば、福祉でも悩み相談でも、大きな事故を起こすのは、自分は大丈夫だと思い込んだときなのかもしれません。

私は保護犬の散歩ボランティアをしていますが、犬を逃がしそうになるときや、かまれそうになるときは、自分ならば大丈夫だと過信したときや、慣れてきたときに事故が起こるのを体験しています。こう考えると、慣れというのは良いことばかりでなく、悪い慣れというのもあるのだと分かります。

パニック障害

悪い慣れといえば、パニック障害になってしまう過程も、悪い慣れということがいえます。パニック障害とは、例えば、ステージで歌うことが出来ていたのに、だんだん出来なくなっていく。手が震えたり、心臓がドキドキしたり、過呼吸になったりと、緊張の度合いが度を越えて高くなり、結果、ステージに立てなくなるものです。ステージどころか、学校に行けない、車に乗れない、知り合いとも目も合わせられないといった症状の人もいる心の病です。

人前に出ると緊張して話ができない。結婚式のスピーチや余興の歌を披露する際、緊張を少しでも和らげるために、酒を一杯ひっかけてからという話もよくあることですね。人前で緊張してしまう人に対して、慣れればよいのだからどんどん人前に出ろというアドバイスをしてしまいがちですね。

確かに、それで上手くいくケースもあるでしょう。それは、その人のペースに、たまたま上手く刺激が調整出来ていたからなのです。これを「良い慣れ」ということが出来ます。もし、良いタイミングでなければ、どんどん緊張の度合いが強くなるような練習になってしまいます。緊張と失敗の繰り返し。それがひどいときには、パニック障害などを発症してしまうということなのです。

耐えられる程度の失敗ならば問題ありませんが、受け入れきれない失敗はしないほうがよいでしょう。なので、一か八かのような挑戦は、あまりお勧めできません。できるところから徐々に世界を広げていくことは、とても大切なことです。

自分にとって良い挑戦とは何か、良い慣れは何かという観点を持ちながら、出来ることを少しずつ重ねていくことが、とても大切なのです。(精神保健福祉士)

《宍塚の里山》23 里山のアライグマ 農産物被害が拡大

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里山のアライグマ

【コラム・及川ひろみ】宍塚の里山に設置している哺乳類調査用カメラには、今年もアライグマが毎月のように撮影されています。1977年、アニメ「あらいぐまラスカル」が放映されて以来、かわいいアライグマを飼いたいと飼育ブームが起こり、大量に輸入されました。しかし愛らしいのは生後数カ月間。人に慣れることはないばかりか、凶暴になり手に負えなくなります。

そんなアライグマ、自然の中で生きるのがいいと、里山などに放たれ野生化しました。メロン、スイカ、トウモロコシなど農作物が大好物。また、水辺の生き物カエルなどの両生類や魚類を捕らえ、生態系にも影響を及ぼすアライグマは特定外来生物です。

宍塚で最初にアライグマを確認したのは2007年。この事件をきっかけに、宍塚の会は専門家と共に、アライグマ防除計画の策定を県議会に請願しました。これによって、茨城県では行政が責任を持ってアライグマを捕獲・駆除することになりました。

現在では、高知、富山、秋田を除くすべての都道府県で確認され、茨城県でも08年の80倍に捕獲頭数が激増し、生息域が全県に拡大することが懸念され、農業被害も年々増加しています。農業県茨城にとって、アライグマ増加は大問題です。

雑食性で強い繁殖力

さて、対策はどうなっているのでしょうか。アライグマを畑や庭で見つけた人は、捕獲用籠罠(わな)を市町村から借り、捕獲。それを職員が引き取り処分します。しかし、悠長(ゆうちょう)なことを言っている場合ではありません。農業被害が深刻な市では、捕獲罠50個を貸し出し、さらに20個を近く購入するそうで、職員が真剣にこの問題に取り組んでいます。

私たちはこのような事態を招くことを懸念し、09年、被害が広がっていた千葉県の職員、アライグマ研究の第一人者・池田徹先生(北海道大)を招き、生態・被害の実態を勉強する「アライグマ学習会」を開きました。また、アライグマ問題が潜在化する県内市町村、県の担当職員に参加を呼びかけ、箱罠による捕獲も行いました。

茨城県のホームページには「日本では天敵がなく、雑食性で強い繁殖力を持っていることから、このままでは急激に個体数が増加し、それに伴い生態系や農作物への被害が急速に拡大し、分布も全県に拡大することが懸念される」とあります。

外来生物の安易な持ち込みが、計り知れない問題を引き起こすことをアライグマ問題が示しています。現在、里山における捕獲は捕獲地域の対象外であるため、度々撮影されているにもかかわらず捕獲することができません。この矛盾を解決するため、県・市に掛け合っていますが、埒(らち)が明かないのが現状です。(宍塚の自然と歴史の会代表)

《続・平熱日記》22 九里(栗)より美味い 十三里(芋)

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【コラム・斉藤裕之】またまた日帰り圏内ドライブのお話です。県内、近郊はあらかた制覇。そこでかみさんいわく「今日は川越」。

川越? 上京してすぐに住んだのが西武新宿線の田無。今の西東京市。三畳足らずの賄(まかない)付き予備校生用の寮。片栗粉のたっぷり入ったマーボー豆腐やキャベツがペロンと浮いたみそ汁が懐かしい。その経験からすると川越は新宿からはるかかなた。

遠くない? スマホで検索すると、牛久から1時間ちょっとだというので、頭の中で、牛久、新宿、川越の位置関係を関東平野の地図に落とし込みつつ圏央道に。坂東を抜けると久喜白岡? そして桶川? かつて浦和に住んでいたので、東北線の路線図をイメージしてますます混乱。

すると、ありゃま。間もなく川越到着。東京を起点に作られた私の頭の中の地図を圏央道はぶち壊してくれました。

それにしてもすごい人出。休日とはいえ、前に進むのもままならないほどの観光客。お昼時ということもあり、食べ物屋には長蛇の列。例えば、どこにでもありそうな団子屋。いやもしかしたら本当に美味なのかも。いずれにせよ、そんなに並んでまで食べたいかと思っちゃう。

とにかく、見応えある街並みも、食い物屋に群がる人に完全に負け。「街並みは重厚、それにしてもすごい人口、おれは閉口…」。

インバウンド リバウンド 

それから、割合はわかりませんが、外国人の方もかなりいらっしゃる。政府は観光立国を目指しているらしいのですが、外国人目線になってみると、川越はどんな風に映るのでしょう。やたら耳にする「ニーマルニーマル」。世界中からやって来る大勢の人々を、東京はちゃんとおもてなしできるのでしょうか。川越でこうなのにキャパ足りんのかな?

「政府が旗振るインバウンドー、そんなに食ったらリバウンドー、おれのイライラおさまらんどー」

どこもこの調子なので、お店での食事はあきらめて、普段は絶対入らないコーヒーチェーン店でスカシたサンドイッチを食べました。また、その外観が洗練された日本家屋風でオシャレ。抜け目のない商売をなさいます。

ということで、旅の終わりは近所の直売所。栗を見つけて購入。そういえば、川越は江戸から十三里のところにあるから、焼き芋の売り文句が「九里(栗)より美味い十三里(芋)」というのだと聞いたことがあります。

奇しくも、ちょうど江戸から十三里ほどの牛久で、今日のところは九里ご飯。芋は茨城にもいっぱいありますから。(画家)

《邑から日本を見る》24 このごろの農村風景

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【コラム・先﨑千尋】Aさん ご無沙汰しております。あの暑かった夏を無事乗り越えられたでしょうか。親友のM君は熱中症になり、数日間点滴を打ってしのいだようで、他人事ではありません。今日、別便でわが家の新米、栗、ミョウガを送ります。ご賞味ください。

知っての通り、わが家の田んぼは5反歩。谷津田で、水は天水。「五反百姓」と自称しています。この40年余、化学肥料を一切使わないできました。収量は周りよりも落ちますが、食味は一味違うと思っています。いつもは5月の連休に植えて、彼岸前後に刈り取りなのですが、今年は夏の異常な暑さのために1週間ぐらい早くなりました。

栗は縄文時代の常食だったようですが、朝に1時間くらい拾っています。ミョウガは、冬に木の葉(落ち葉)をたっぷりかけるので、鮮やかな紅色が自慢です。

落ち葉と言えば、かつてはこの辺りでは木の葉さらいは冬仕事の一つで、堆肥にしていたのですが、140軒あるこの集落で、木の葉さらいをやっているのはわが家だけになりました。だから山は荒れ放題、イノシシのすみかになってしまっています。枯れた松が林道をふさぎ、奥の山には入れなくなりました。

イノシシは近くの田んぼに侵入し始め、しばらく前から、お盆前にネットを張り巡らしています。電気柵をやっている家もあります。ネットはイノシシが押し倒したらひとたまりもありません。気休めです。作付けしなくなった田んぼも増え、広がっています。

作付けしないといえば、畑も同じです。子どものころは、秋に麦をまき、春は陸稲やサツマイモ、葉タバコなどを作っていました。養蚕をやっていた農家もありました。それが今はカラ畑。麦や陸稲の値段があまりにも安く、イノシシがサツマイモを食い荒らすので、それも作れなくなりました。わが家では、干し芋用のサツマイモを人家に近いところに作っているので、辛うじて被害を免れています。

山野は縄文時代に逆戻り?

Aさん、農村の風景で変わったことはまだあります。

この辺りの農家はどこでも梅、柿、ユズなど家庭果樹を植えているのですが、梅の実が色づいても取らない。柿やユズの実が黄色くなってもそのまま。私は、もったいないなと思いながら通り過ぎます。梅干しを作らなくなった、子どもが柿を食べなくなった、ユズの木にはトゲがある。農村の食生活が大きく変わってしまったからでしょうか。

田んぼや畑、山林が荒れ、冬は砂塵が舞う。イノシシがワガモノ顔でのし歩く。このままでは、山野は縄文時代に逆戻りしてしまうのではないかと思ったりします。

どうしてこうなってしまったのでしょうか。原因はいろいろ考えられますが、つまるところ農業では食えない、生活できないからです。林業も漁業も同じです。

スイスを旅した時、アルプスの景観に酔いしれましたが、スイスの農業は政府の手厚い補助によって成り立っています。あのアメリカですら、農業への補助はすごいものです。農業は土地から離れられない弱い産業。国、というより国民が、命の源である食料を国内で自給していこうという機運が盛り上がらない限り、農業は滅びていく。そう思いながら日々を過ごしております。(元瓜連町長)

《食う寝る宇宙》22 太陽活動周期では寒冷化が近い?

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【コラム・玉置晋】1950年代に人類が宇宙に進出してから70年。宇宙時代において、宇宙天気が社会インフラにどのような影響を及ぼしてきたか。人工衛星を破壊したり、地上で停電を発生させたりしてきましたが、僕はその歴史を知りたい。

70年間の宇宙天気災害を俯瞰(ふかん)するために、人工衛星や地上の観測で得られたデータと災害の事例を収集し、ついにまとめました。名付けて「宇宙天気災害年表」。

ここではお見せすることはできませんが、いつか、ウェブ上で見られるように整備し、公開できるとよいですね。オリジナル版はエクセルで1000㌻を超える大作です。大学院には研究レポートとして宅配便で送りましたが、重くてごめんなさい。

問題は次のステップです。宇宙天気災害のきっかけの多くは太陽の現象にあり、その影響が地球の周辺に伝播(でんぱ)し、社会インフラに影響を及ぼす―というのが大まかな流れなのですが、「いつ?」「どの現象が?」「どの程度?」「どんな影響を?」を見ていかないといけない。これが実に骨が折れる。

70年分見ようと思っていたけど、今月末の研究発表会には間に合わなそうなので、とりあえず、直近の「太陽活動周期」の分だけ見てみようっと。というわけで、今回のコラムのテーマにある「太陽活動周期」というワードが出てきました。

人類活動活発化(温暖化)VS 太陽活動低下(寒冷化)

太陽の表面では「太陽フレア」と呼ばれる大爆発がしばしば起きていますが、起きるときはしょっちゅう起きて、起きないときは全然起きません。

今年2018年は、太陽活動は静穏な時期「極小期」です。最近のピークは2012年でした。11年ぐらいの周期で太陽活動のピークを迎えます。1755年から1766年が第1太陽活動周期と定義されており、今は、2008年から始まった第24太陽活動周期の末期です。間もなく、新たな太陽活動周期が宣言されるのではないかと思います。

第24周期を振り返ると、活動が弱かったです。最近50年の太陽活動を見ると、ピーク時の活動度が徐々に下がってきています。次の活動周期はどうか、予想は割れています。このまま太陽活動は停滞するのか、また復活するのか。

かつて、数10年にわたり太陽活動が停滞した時代がありました。活動が弱まると、太陽系外から侵入する宇宙線が増えます。この宇宙線の作用で雲ができやすくなり、全地球規模で寒冷化するという説があります。今後どうなるのか、注視が必要です。

「人類活動による地球温暖化」VS「太陽活動低下による地球寒冷化」が、事態を複雑化させています。そんなことより研究の遅延がヤバイですわ。毎日早起きしているのになあ。(宇宙天気防災研究者)

《地域包括ケア》20 多様な主体による生活支援サービス

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【コラム・室生勝】「生活支援体制整備事業」を理解しやすいように、今回はコラムの絵を厚労省の解説図「多様な主体による生活支援・介護予防サービスの重層的な提供」に変えた。前回、「生活支援・介護予防」の主役は「老人クラブ・自治会・ボランティア・NPO等」であると書いたが、この解説図の「ボランティア、NPO、民間企業、社会福祉法人、協同組合等」のことである。老人クラブも自治会(区会)もボランティアに含まれる。

つくば市では「生活支援体制整備事業」が昨年度から始まった。市全体の協議会が発足し、茎﨑、筑波、大穂・豊里の3圏域で設置準備会までできたが、協議会設置に至らず、小学校区ごとの協議会まで及んでいない。地域住民が事業について共通した理解をする段階のようだ。

介護保険サービス以外に住民が希望するサービスのアンケート調査が介護認定の「要支援者」187名に実施され、「あったらよいと思う生活支援サービス)」は、①配食②配達(食材、日常生活用品など)③ゴミ出し④買い物⑤外出支援(付き添い、介助、送迎)⑥掃除⑦洗濯⑧食事の準備・調理・後始末など⑨草取り・庭木の剪定・水やり⑩家の中の簡単な修理や電球交換⑪話し相手⑫通院・院内介助⑬見守り・安否確認―などから選ぶ方法で調査された。

その結果は、⑤外出支援⑨草取り・庭木の剪定・水やり⑫通院・院内介助③ゴミ出し④買い物―などが比較的多かった。

ボランティア 主力は退職者層

介護保険サービス以外のサービスである「生活支援サービス」は「ボランティア、NPO、民間企業、社会福祉法人、協同組合等」によって提供されると厚労省は想定している。これらのサービスを社会資源(※)ともいう。

その準備に「生活支援体制整備事業」が始まっているのだ。「生活支援サービス」は、民間企業でなくボランティア、NPO、協同組合、社会福祉法人などでかなりの部分がカバーできる。ボランティアの主力は現役を引退した60~70歳代の高齢者である。区会(自治会)も彼らが中心で運営されている。

解説図の説明にもあるが、①車を使う②配達④買い物⑤外出支援は中学校区・市町村単位で解決しなければならない課題である。だが、①配食③ゴミ出し⑥掃除⑦洗濯⑧食事の準備・調理・後始末など⑩家の中の簡単な修理や電球交換⑪話し相手⑬見守り・安否確認―などは小学校区や区会(自治会)単位で担える。(高齢者サロン主宰)

※ 社会資源:個人や集団が福祉ニーズを充足するための施設、設備、資金、法律、人材、技能などの総称。具体的には、行政機関、各種施設、団体、法人、企業、ソーシャルワーカー、ケアワーカー、保健師、看護師、家族、友人、ボランティアなど。つくば市の社会資源一覧(平成29年6月現在)は市HP・地域包括支援センターの「高齢者の地域包括ケアのためのミニ知識」で分かる。

《泳げる霞ケ浦へ》10 霞ケ浦の歴史と人物を知るツアー

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霞ケ浦と利根川の合流点を仕切る 常陸川水門(神栖市)

【コラム・霞ヶ浦市民協会】このほど霞ケ浦環境科学センターで、交流サロン講座「霞ケ浦の歴史と人物」を開催した。講師には、かすみがうら市歴史土博物館の千葉隆司先生を迎え、座学と見学会をそれぞれ2日実施した。

見学会では「干拓の歴史」をテーマに、土浦市の色川三郎兵衛銅像、稲敷市の大日苑、江戸崎干拓、横利根閘門、神栖市の堀切川、常陸川水門、潮来市の須田清太郎顕彰碑を巡り、干拓に携わった人々の苦労の一端を学んだ。

大日苑は、植竹庄兵衛が自邸として昭和14年建築した和洋折衷の建物。外見の斬新さだけでなく、和室の欄間、床の間、使用されている木組み、特注の畳など、その素晴らしさに驚かされた。そして、目の前に広がる江戸崎干拓の風景に目を奪われた。

堀切川は、霞ケ浦の河口域が陸地化していく過程で、霞ケ浦と海をつなぐ流路が狭くなり水害が起こりやすくなったため、これを解決するために掘られた。北浦と鹿島灘を結ぶ掘割は江戸時代に計画されたが着工には至らず、明治4年に完成した。

しかし、鹿島灘の荒波で海岸口が埋没し、川としての役目が果たせず、廃川となってしまった。その後、明治43年大洪水のときだけ北浦の水が鹿島灘に排水され、役割を果たすことができたという。

常陸川水門の操作室も見学

常陸川水門では、水門操作所の見学が特別に許可され、3階の操作室も見ることができた。水門は、海水の逆流による塩害防止、利根川増水による逆流防止、そして水利用の役割を担っているとの説明があり、その役割を再認識した。年間100回以上も開閉されていることについても初めて知った。

須田清太郎の顕彰碑見学では、水害常襲地帯だった地域を守るため、清太郎が議員・町長時代に治水事業を推進、横利根閘門を完成させたことを知った。

今回のツアーでは、普段見ることのなかった大日苑内部や、常陸川水門の監視所を見学でき、霞ケ浦への新たな視点を持つことができた。また、霞ケ浦が私たちの生活にどう関わってくるのか、考える1日となった。(霞ヶ浦市民協会常務理事 大久保和男)

《くずかごの唄》22 異常気象の夏 野生のイノシシも異常に

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【コラム・奥井登美子】「異常気象が治まりますように」。オゾンの神様、二酸化炭素の神様、いろいろな神様にお祈りしなければならないと思ったけれど、どうしていいか解らないので、桜川市真壁の五所駒瀧神社にお参りにいってみた。

この神社は歴史のある神社で、巨木の森に囲まれ、敷地の中の苔むした石が千年の歴史を語っている。ここへ来ると、いつも自然の懐に抱かれたような、しみじみした豊かな気持になれるのであった。

しかし、今回は違っていた。苔むした大小の石がいたるところに乱雑に散らばっていて、苔がむき出しになってしまっている。広い境内の中が何か異常なのだ。宮司の奥様、桜井まゆみさんが説明してくれた。

「今年の夏の異常気象で、山の木の実がいつもと違うのでしょう。イノシシが子供を連れて、こちらの生活にお構いなく出てきて、田んぼの稲は全滅。境内の石をひっくり返して、中のミミズを採って食べたり、柿の実をもいだり、メチャメチャです」

「こんなに、イノシシに荒らされた年は初めてで、何だかとても怖いです。野生のイノシシだけに、何か地球の異常を感じているのかしら」

とうとうクーラーに頼る

今年の夏は、1946年の気象観測以降、最も暑い夏だったそうである。私も生れて初めて体温より高い気温を体験し、今まで自宅には外壁にツタを這わせてクーラーをつけずにがんばってきたのに、生命の危険を感じて、とうとうクーラーをつけてしまった。テレビのニュースでも、熱中症の危険をしつこく報じていた。

日本人の老若男女すべての人が、生命を守るために、異常気象と防災を意識しながら生活しなければならない時代に入ってしまった。これは日本の歴史始まって以来はじめてのことである。オゾン層の破壊、海水温の変化など、地球全体を視野に入れて行動しなければならない。

もうすぐ、つくばで「世界湖沼会議」が始まる。われわれは日常生活の中で何をすればいいのか真剣に考えなければならないと思う。(随筆家)

《ご飯は世界を救う》3 筑波山の「おむすび」 お米は美味しい

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【コラム・川浪せつ子】筑波山中腹の赤い大きな鳥居の右側に、この「おむすび屋」さんがあります。筑波山の麓(ふもと)では、筑波山系からの良質のお水を使って「筑波小田米」というブランド米があります。このお米を使っての「おむすび」の販売とお食事処です。

「おむすび」って言ったら、やっぱり「ハイキング」。春と秋に開催されている「ゆけゆけ、乙女の散歩道」の日に歩いて、このお店をゴールにして頑張ることに。

まずは、つくば市北条の無料駐車場に停車。そこから「つくば道」と言われている約5キロを歩きます。案内では、所要時間が約2時間、高低差が240m。江戸時代から南参道とされていたそうです。

田井地区にある「普門寺」の前を通り、次は「ソレイユ」というカフェ。こちらは、NPO「自然生(じねんしょ)クラブ」というハンディーキャップを負った方々が共同生活をしているクラブが運営しています。歩いて直ぐお茶では、ね。帰りまでお預け。そのすぐ脇では「自然生」さんの展示会もやっていたので、見ましたよ。みんな、色が明るいですね。

少し行くと、神郡(かんごおり)地区です。古い街並みと正面に見える筑波山に、励まされて歩きます。ここを抜けると広々として気持ちがいい。でも、お山は、まだまだ先です。

筑波山は標高877mと低い山ですが、けっこう急斜面。だんだんキツクなってきました。「おむすびを食べるぞ!」と頑張ります。

海外では「おむすび」ブーム

そこでやっと「旧筑波山郵便局」到着。こちらは、「乙女の散歩道」の時だけ開いていて、郵便を出すことができるので、期間限定のステキな切手をハガキに貼り、スタンプもして自分の家宛と連れ合いの母に投函。

そしてもうひと踏ん張りして、やっと赤い鳥居に。色々な種類があるので迷います。ここでのおむすびの味は、格別でした。自転車で麓から来たお兄さんは、追加して3個も食べていました。こちらの店では、「筑波小田米」で作った色々な「おかき」も販売しています。

最近日本人は、お米離れですね。とうとうパンの消費量が、お米を抜いてしまったそうです。お米離れは、日本の食糧自給率の低下や、農業の衰退につながってしまうそうです。主食がお米だけでなくパンや麺類となり、食生活のバラエティーさが大きいのでしょうね。

そして、昨今の「糖質ダイエット」。はたまた少子化で、食べ盛りの子供が減ってしまっているのも一因とか。それにパンは、買ってきたら直ぐに食べられますが、お米は炊かないと食べられないし。それがね、不思議なことに、今海外で「おむすび」ブームが起こっているそうです。日本でもおむすびは、買ってくるものとなり、海外でもテイクアウトするものが主体だそうです。

筑波山5合目までの往復ハイキング。帰りは「ソレイユ」で、ケーキセットを食べるのを目標にテクテクお山を降りて帰りました。お米、やっぱり美味しいです、とっても。(イラストレーター)

《土着通信部》21 月はどっちに出てくる

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広く東に開けた霞ヶ浦畔はお月見、月待に格好のロケーション

【コラム・相沢冬樹】二十三夜に昇る半月を「下弦」と書いたら(7月3日付け「土着通信部」16)、添えた写真に「上弦では」と異議を唱えるものがいた。数学で、円周上の2点を結ぶ線分を「弦」と習うから、半円の直線部が上にある月を上弦という見立てをしがちである。けれど翌日の昼間、月が西に向かって沈みだすときには、直線部も半回転して下側に移ってくるはずだ。上弦、下弦の月とも見る時間によって、弦の位置は異なるのである。

辞書で「弦」を引くと、「弓を張った形の月。半円形の月」(日本国語大辞典)とある。弦は半月そのものを指している。月が天空にあるとき、光る半円が右にくるのを上弦、左にくるのを下弦と覚えた方がよさそうだ。向かって右を上、左を下というのは、舞台の上手下手(かみて・しもて)に通じる言い回しである。

夜半の散歩で月の写真を撮るようになってから、月の満ち欠けと掛かる方角が気になりだした。太陽ならば春分・秋分には真東から昇り、冬場は南にずれ、夏場は北にずれるから、日の出の位置はおおよそ見当がつく。しかし月の場合、定点観測をしてみると季節と関係のないことが分かってくる。旧暦の日付から月齢は分かるが、出てくる場所は北東から南東の間を行ったり来たりして規則性が見いだせない。

新月から満月を経て新月に戻るまで、29.52日かかる月の満ち欠けをひと月としたのが旧暦(太陰太陽暦)で、晦日(みそか)が29日と30日の月が交互にやってくる。他方、月が地球の周囲を公転する周期は27.32日で、この2日強の差がずれをつくる。地球の公転軌道面に対する月の傾斜角も計算しなくてはならないらしい。月の出の時間からして、前日と1時間以上違うことも30分しか違わないこともある。天体の運行のことだから、法則は当然あるのだろうが、数学上の説明をいくら聞いても分からない。

ところが、最近は便利になったものだ。ネットには「月齢カレンダー」や「月の出・月の入り時刻方角マップ」などのサイトがあって、面倒な計算は自動でやってくれる。この記事が掲載される9月18日は、ちょうど上弦の翌日に当たっている。月齢 8.4だから、ほぼ半月に見えるはずで、18日午後1時半ごろ南東から上がった月は深夜11時40分ごろ南西の地平に沈む。

十五夜は24日、満月は25日

さらに1週間後、24日が「仲秋の名月」の十五夜である。ここで月齢カレンダーでは翌25日が満月と記されるから、軽い当惑を覚える。24日と25日の月齢はそれぞれ14.4と15.4。このずれは、24日に昇った十五夜の月が日をまたいで満月になると考えれば理解できる。数学の問題ではなく、地理の問題というわけだ。

土浦駅あたりを基準に月の出マップをみると、24日は午後5時26分にほぼ真東、霞ケ浦越しに月が昇ってくる。十五夜を過ぎると月の出は、日ごと夜ごとに遅くなり、月見は月待となる。秋の夜長を楽しめる季節になってきた。(ブロガー)

《吾妻カガミ》40 地震と台風 教訓と余聞

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雲間から陽が漏れる 朝の霞ヶ浦

【コラム・坂本栄】先々週、北海道で震度7の地震が起きました。地滑りで山肌がむき出しになった映像も驚きでしたが、道全域のブラックアウトはショックでした。その原因は、1つの発電所に必要電力の半分を依存、ここがやられたため電力需給が崩れ、他の発電所も停止してしまったとのこと。集中の失敗といえます。

同じ週の前半、強力な台風が関西を襲い、海を埋め立てた関西空港が水浸しになりました。滑走路が冠水、使用できなくなりましたが、旧伊丹空港と神戸空港で補完、関西の空の便が全滅するのは避けられたとのこと。分散の成功です。

集中の経済性、分散の不経済はよく分かります。しかし「平時」の経済性は、「有事」には不経済に変わります。良いことが悪いことに変わるのです。

このコラム26回では、ポートフォリオとエネルギーミックスを取り上げました。その中で、金融投資でも電源構成でも、1種類の商品・電源への依存は20~25%に抑えた方がよいと書きました。1つがダメになっても、75~80%が回っていれば何とかなるからです。分散の勧めです。

倒れなかった彫像と墓石

どうも、教訓染みた話になってしまいました。本サイトには馴染まないようですので、後半は身の回りの話に切り替えます。

大地震といえば、3.11を思い出します。発生時、つくば市の関彰商事ビルで関正樹社長と面談しておりました。社長応接室に飾ってあった彫像が倒れないよう、(壊したら会長に怒られると思いながら)社長と秘書と私の3人で必死に抑え、危機を乗り切りました。あの日一番の記憶です。

翌日、親父の墓石が無事かどうかチェックに行きました。驚いたのは、墓園内30基ぐらいの墓石のほとんどが、倒れるか、30~90度ねじれていたことです。石を重ねただけの灯籠はほぼ全滅でした。でも親父の所は無傷でした。他の墓石は背の高い和式でしたが、坂本家は(石の使用量が少ない=価格が安い)洋式にしてもらったからです。見回りに来ていた石屋さんは(修理の仕事が入るぞと)嬉しそうでした。

最近、地下鉄利用を減らしています。首都圏に大地震が起き、生き埋めになるのが恐いからです。この話を中川ヒューム管工業の中川喜久治社長にしたら、建物がある地上より地下鉄内の方が安全ではないかと言われました。地下構造物の専門家の指摘ですから、私の心配は間違いかも知れません。(経済ジャーナリスト)

《郷土史あれこれ》11 天狗党の乱 水戸過激派の軌跡

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土浦市立博物館

【コラム・栗原亮】元治元年(1865)7月、長州藩尊攘派の京都御所攻撃は失敗し、長州藩は朝敵として京都から追放された。この少し前の3月、長州藩尊攘派と共同行動を約束した水戸天狗党が、尊王攘夷を掲げ筑波山に蜂起している。

藤田小四郎ら天狗党過激派は筑波山に立てこもった後、那珂湊に転戦し敗北するも、大子で戦線を立て直し、京都を目指す。しかし敦賀で敗北、斬首に処せられる。これら一連の過程を「天狗党の乱」と呼ぶ。

尊皇攘夷はもともと、封建社会の危機を打開しようとする会沢正志斎や藤田幽谷・東湖父子らの強烈な意図から生まれた。実践的な「後期水戸学」であり、徳川光圀の尊皇敬幕を基調とする「前期水戸学」から直接生まれたわけではない。

後期水戸学は、天皇制を世界に冠たるものとする国体観念を樹立し、全国の下級武士や豪農豪商に影響を与える。結果的に、ナショナリズムを喚起し、封建割拠を大きく変え、歴史上一定の役割を果たしたといえる。

思想・行動に矛盾と混乱

筑波山で蜂起してから、天狗党の一派は日光東照宮に参拝するなど、実に奇妙な行動を取っている。こうした動きを見ると、徳川幕藩体制を確立した3代将軍家光の時代に帰れという、尊皇攘夷とは矛盾する思想も一部にあった。

また天狗党別動隊として活動した田中愿蔵は、5月に土浦藩の中貫・真鍋両宿を焼くなど、民衆を敵に回す行動を取って反感を買った。

筑波山に本隊を置いた天狗党は7月、市川三左衛門ら水戸藩保守門閥の「諸生派」が水戸城に立て籠もったことを聞くと、水戸城を奪還すべく諸生派に戦いを挑むが失敗。この時点で脱藩浪士は本隊から離脱。各地に転戦し討ち死にする。

こうした情勢下、宍戸藩(水戸藩の支藩、現在の笠間市)藩主松平頼徳は水戸藩主徳川慶篤から、諸生派と天狗党の仲裁をするよう依頼される。これを受け頼徳と筑波山挙兵に参加しなかった尊攘「鎮派」は江戸を発ち水戸に向うが、逆に頼徳は天狗党に加担したと諸生派に訴えられ、幕府に処刑される。

9月、水戸城攻撃を一時止めた天狗党本隊と鎮派は那珂湊に移り、ここを拠点に水戸城奪還を図る。こういった戦況の中、投降すれば罪を免ずるという約束に乗った榊原新左衛門一派1000名余(鎮派)が幕府に降参。しかし、彼らは処刑されるか諸藩に預けられるといった処分を受ける。(郷土史家)

《続・気軽にSOS》20 他人の行動をまねる「モデリング」

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【コラム・浅井和幸】ひきこもりや障碍者、犯罪被害者などが、自分の体験を人に伝えることは、とても勇気がいることです。今の自分の苦しさを、多くの人に伝えることは、大きな苦しさを伴います。そこから立ち直って元気な状態になっても、苦しい時のことを思い出したくないので、過去のことだとしても他の人に話したくない人が多いものです。

ですが、それでも他の人のため、時には自分のためと、勇気をもって苦しい今の状況や気持ち、または、過去のそれらを多くの人に伝えることができる人がいます。心理学用語では、「モデリング」という言葉があり、それは他人の行動をまねることを指します。そうすることで、苦しみから抜け出しやすくなることもあるでしょう。

さらに、それが、自分と同じ境遇の人、同じ境遇だった人であれば、共感されやすく、まねやすいものです。もしかしたら自分にもできるかもしれないと、勇気を持ってもらえます。私は、いろいろな悩みを持つ方、持っていた方に協力を仰いで、できたら似たような方のために話をし、その人たちの希望の光になってほしいとお願いすることがあります。

その中で、少しずつでも、そのように自分の体験が話せる人が出てきていることが、とてもうれしいです。最近では、そのような事例集を作成したり、新聞や冊子を発行したり、マンガを描いたりという方も出てきました。とても良いことだと思います。

格好悪い自分を見せる

では、同じ経験をしていない人は、どの様なことができるのか。特に家族は、どのように接すればよいでしょうか。余裕がないときは、家族のアドバイスは届かないどころか、逆効果になることもしばしばです。どうしても、立派な親として、家族として接してしまうことが出てきてしまいますよね。

落ち着いて、共感的に、焦らずに、いつもニコニコして余裕をもって接し、両親がけんかをしているところなんかは決して見せない、理解のある親として接しようと努力するものです。親の威厳を保ちたい、なめられたくない、安心させたいなどという気持ちがあるかもしれません。

もちろん、それは大切なことですが、それでうまくいかないときは、少し格好悪い自分をむしろ見せてしまいましょう。愚痴を聞いてもらったり、ここ最近はひざや腰が痛いことを話したり、家事を手伝ってもらったりと、弱いところを見せるのです。気分を損ねてしまったら、謝ってもよいでしょう。

周りが立派だと、当事者はそれと比較して、さらに自分がダメな奴だと落ち込んだり、責めたりしやすくなります。それが、周りの人間も、つまらないミスをしたり、落ち込んだりすることを知ることで、むしろ楽になることもあります。

そうすることで、実は誰もがダメなところがある、同じ人間なんだという仲間意識がわき、そこからやっと、何をすればよいかというアドバイスが届く関係性になるのです。(精神保健福祉士)

《宍塚の里山》22 宍塚大池を覆った水草「ヒシ」

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大池を覆う水草ヒシ

【コラム・及川ひろみ】ヒシは湖沼の水面を覆うように広がる1年生の水草です。宍塚大池では昨年からヒシが水面を覆い、春先から駆除に力を入れました。今回は「ヒシ」の話です。

ヒシの繁茂は、水面にふたをしたように広がることから、夏、池の溶存酸素が激減します。昨年、土浦一高生物部が、篭(かご)に二枚貝を入れ、大池の水質改善、さらに真珠の養殖を試みましたが、ヒシの繁茂による酸欠で9割の貝が死亡する事件が起きました。

前年熟したヒシの実は、4月初旬ごろから池の底で発芽、根を地中に伸ばし、茎は水面に向かって長く伸び、水面で葉を広げます。ヒシの実から出た茎は1本ですが、夏近くなると茎は水中で枝分かれし、多いときには50本以上にも分かれ、急速に葉が水面を覆います。

ヒシを引き抜くと、地中に伸びる根(束)の他に、茎ごとに根の束が見られます。茎には葉が変形したと言われる緑色の水中葉が茎の上部、節ごとにもじゃもじゃ生え、ヒシは3㍍以上の長さに育ちます。5~10㌢ごとの節から根や水中葉が出ていて、ヒシが広がる水面下の水中は、結構、ヒシの副産物で混雑しています。

忍者が使う乾燥ヒシの実

ヒシの葉の付け根の葉柄(ようへい)は膨らみがあり、内部がスポンジ状、これが水面に浮く仕組みです。成長に伴い、このスポンジ状の袋が長く、丸く成長します。オニビシはこの袋が成長するとピンク色に染まり、ヒシとの識別が可能になります。

花は葉の付け根から花柄を水面に伸ばし、白い1㌢ほどの花が6月中旬ごろから咲きます。花は一日花、イチモンジセセリなどのセセリチョウがよく吸密に来ます。ヒシの花の初認の頃、すでに水中には結構大型のヒシの実が見られることから、ことによると花が咲かない閉鎖花でも実るものもあるのかも知れません。

ヒシ、実を割ると、白い大きな「実」が出てきます。わずかに甘く、栗のような味で、食用になります。ヒシはアイヌ民族には重要な食糧となっていたそうです。

ヒシの実は忍者が「撒菱(まきびし)」として使うことで有名ですが、特にオニビシの乾燥した実は、立体的に配置された丈夫な刺(とげ)があり、忍者が逃げる途中にばらまくと、追手の速度を落とさせる効果があると言われています。

ところでヒシの実、鋭くとがった2本の刺、先端を拡大して見ると、逆向の鋭い刺が並んでいます。1990年ごろ、弱ったキンクロハジロを大池で見つけました。その羽毛にはヒシの実が50数個付いていました。ヒシ、水鳥を使って分布を広げているのかもしれません。自ら動くことなく種をばらまく、植物のたくましい戦略のように思えます。(宍塚の自然と歴史の会代表)

《映画探偵団》11 クレオ再生調査 市は方向性を誘導

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【コラム・冠木新市】「広報つくば」9月号のトップ記事は「クレオの再生を検討しています」。7月29日から8月15日まで実施した「クレオに関する意見募集の結果(速報)」が出ている。回答者数は1,242件。そして「クレオのあり方」「市の関与の是非」の結果グラフの下に、小さな文字でコメントがある。

「約8割の方が商業施設を、約5割強の方が公共施設を選択」「約8割の方が『負担額にもよるが、一定の財政負担をしても市が関与すべき』と回答」とある。すでに方向性は決定したとの印象を与えかねない、見事な誘導テクニックだ。

「クレオのあり方」では、「その他」が19.2%。「市の関与の是非」では、「市場動向に任せ、市は関与すべきではない」が18.3%と、共に2割弱を占める。

「回答者の属性」の「つくば駅周辺の来訪頻度」では、年に数回が34.7%、ほとんど行かないは12.6%、行ったことがないは2%で、計49.3%がつくば駅周辺にあまり足を運んでいない。つまり、回答者の半分がセンター地区にそれほど行かない人たちなのだ。

さらに、回答者のうち、30歳代と40歳代が63.4%を占めるが、50歳代~70歳代は19.4%と少ない。国も企業も警察もデータを偽造する昨今、私は市のデータを信じてはいるが、調査期間の短さと回答者世代の偏りが気になる。

私は、クレオ再生は所有者の筑波都市整備に任せるべきだと考える。つくばセンター地区(中心市街地の名称にはまだなれない)には、調査費用をかけないで再生活性化を考える場所がいくつもあるからだ。

F・ダラボンの『マジェスティック』

他人所有のクレオよりも、つくば市管轄で35周年を迎えたセンタービル中心部の活用再生を優先すべきと思っている。再生とは何か。フランク・ダラボン監督の『マジェスティック』(2001)にそのヒントがある。

ハリウッドB級映画で脚本家デビューしたピーター(ジム・キャリー)は、赤狩り対象リストに上がり、泥酔し、車の運転ミスで川に落ち、記憶をなくす。たどり着いた町でピーターを見た人は、「戦争に行ったルークが10年ぶりに戻った」と皆驚喜する。

その町では68人の若者が戦死した。失意の親たちは、ルークの帰還に息子の姿を重ねる。ルークの父親は閉鎖した映画館マジェスティックの館主で、ルークと映画館の再生を計画。これを町中の人が応援し、活気を取り戻す。

再生した映画館でルークは、自分が書いた脚本の作品を見て、記憶を取り戻す。これが前半部分である。後半は赤狩りをめぐる話となる。

映画館マジェスティック再生は、町民の共通の思いを掘り起こす、心の再生に他ならない。

センター地区の再生に名乗りを上げるのは誰なのか。再生する場所はどこなのか。私は、50歳代から70歳代の人々であり、アイアイモールに囲まれたセンタービルの何もない空間と考えるのだが、いかがなものであろうか。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

《好人余聞》11 「風船って、みんなが笑顔になれるんです」 桂木由記さん

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バルーンアーティスト 桂木由記さん

【コラム・オダギ秀】人生という旅の途中で出会った人たち、みんな素敵な人たちでした。その方々に伺った話を、覚え書きのようにつづりたいと思っています。

「丸くってフワフワしてて、風船がある所は、いつも楽しいでしょ?」

風船、つまりバルーンで様々な形を作り、ディスプレイしたりプレゼントを作ったりすることをバルーンアートと言う。桂木由記さんは、そのプロのバルーンアーティスト。土浦市にアトリエを構える。バルーンを手にして、楽しそうな笑顔が絶えない。

桂木さんが、初めてバルーンアートを知ったのは20年ほど前、まだ学生だったと言う。

「従姉妹(いとこ)の、アメリカでのウエディングパーティーに出席した時だったんです。会場に入ると、部屋いっぱいにバルーンが浮いていて、見た瞬間、ウワーッとなりました。何て楽しいんだと、ものすごく感動しました。同時に、こんな素敵なことをするバルーンアーティストという職業があるんだって知って、私もこんな仕事をしたいと思ったんです」

バルーンが持つ魅力を知った桂木さんは、その時以来、バルーンアートの修行の場を求めた。バルーンショップの店員をしたりして、やがてCBAというバルーンアーティストの国際ライセンスも取得した。7年前には、土浦に自分のショップも持ち、活躍の場を広げている。

「日本では、バルーンは、まだまだ子どものおもちゃの風船って認識なんです。でも、バルーンがあると、ひとりでに笑顔が生まれるでしょ? バルーンギフトは、贈る人も贈られる人もワクワクできる。こんな素敵なものって、他にあるかしら?」

自分が作ったもので誰かが喜んでくれるって、すごく楽しいんですよと、桂木さんはニッコリした。

「バルーンって、いつまでも長持ちするものではないんです。時間がたてばガスが抜け、しぼんでしまう。残念と言えば残念だけど、でも、だからこそ、膨らんでいるその瞬間が綺麗なんです。私は、作品として残らなくても、そのバルーンがもたらしてくれた瞬間が、楽しかった、嬉しかった、綺麗だったと、思い出として残ってくれれば、それでいいかな、と思うんですよ」

桂木さんは、もう一度、たっぷりの笑顔を見せた。バルーンのように、軽やかでも、いい思い出に残るような笑顔だった。(写真家)

▼桂木由記・バルーンショップ Ballon de Fleur(バロン ド フルール)

土浦市桜ケ丘町13-3 TEL 029-826-1315 営業時間 10:00〜18:30

http://ballon-de.com

《続・平熱日記》21 そもそも風景画って? 発酵させて描く

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【コラム・斉藤裕之】「今日はどこいく?」 休みの日は一通り家のことをやってから、かみさんとお出掛け。足利、栃木、佐原、銚子、鹿島、御前山、成田、笠間、行方、真壁、八郷。毎週のように、この夏、かみさんとよく出掛けました。

猛暑と言われる今年の夏でしたが、出掛けた先もとにかく暑かった。おかげで、ビーサンの鼻緒の跡が白くくっきりと足の甲に残っています。余談ですが、手ぶらで、Tシャツ、半ズボン、ビーサン姿は地元の人に見えるらしく、よく道を聞かれたりします。

茨城が魅力あるとかないとか、どうでもいいランク付けはさておき、初めて訪れた街はそれぞれに面白い。鹿島神宮に至っては、御手洗池にあるお店の梅のかき氷をかみさんが気に入ってしまい、通りすがりも含めて3度も赴きました。

今でも、青い夏の空や海、街並みや神社仏閣などの風景が頭の中によみがえりますが、その風景を絵にでもしてみたら、って自分に問い掛けることがあります。

例えば、人を描くのは面白い。知っている人を描くのはなお面白い。その人らしさとか、あるいは臭さみたいなもの。では風景はというと、あまりにも堂々としていて雄大で畏れ多いのかな。

セザンヌ、モネの絵

目の前の素晴らしい風景は描くものではなく、私は眺めることしかできません。セザンヌも、サント・ヴィクトワール山を風景としては描いていない気がします。かつて私もその山の麓に立ち、描こうとしてみましたが歯が立たなかったことは前にも書きましたね。

パリの風景なんて絵になるでしょう、なんてよく聞きますが、あれは風景画じゃなくて、どちらかというと建物画。建築物は意外に面倒くさい。お寺や神社もそうです。描くには覚悟が要ります。巨匠モネは風景を描いたのではなく、風景を借りた実験的表現をしていると思います。色彩に目が留まりがちですが、デッサン力は卓抜です。

それでも、夏空に利根川と橋、広大な田んぼの上を通る高速道路、平野に続く鉄塔など、心に残った風景はいくつかあります。ちょっと発酵させてから描くとしましょう。

それから、この辺りはどこに行ってもそば屋とウナギ屋がありますね。特に名物をいただこうとしたわけではありませんが、できればその土地のものを食べたい。そこで最近便利なのが、「道の駅」。どこも頑張っていてハズレナシ。新鮮な季節のもの。

さて、目ぼしいところは行ってしまった感が。「今日はどうする?」。有難いことに、日本には四季の恵みがあります。秋にはまた同じところを訪ねるとしましょう。違う味覚、風景にも出合えるはずです。(画家)

《邑から日本を見る》23 道半ば、沖縄の翁長知事逝く

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飯野農夫也の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】沖縄県の翁長雄志知事が膵癌(すいがん)で亡くなって1カ月経った。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画に反対し、辺野古の埋め立て承認を県が撤回して工事を止め、秋の知事選で争点にし、国に対抗しようとしていた矢先の死だった。

翁長さんはもともと保守の人。自民党沖縄県連幹事長や那覇市長などを務め、沖縄保守政治家のエース的存在だった。それが保守、革新の枠を超えた「オール沖縄」に変わったのは日本政府への不信感からだった。4年前の知事選の時、「イデオロギーよりアイデンティティー(帰属意識)。誇りある豊かさを」と訴え、仲井真弘多氏を大差で下した。

安倍政権は「辺野古が唯一の、選択肢、解決策」と、頭ごなしに押し付ける強硬姿勢を取り続けている。対する翁長さんは「安倍総理は『日本を取り戻す』と言っているが、取り戻す日本の中に沖縄は入っているのか」と、文字通り自分の命を削りながら、沖縄の不条理を訴え続けてきた。

しかし、翁長さんが腹の底から絞り出した声は政府中枢に届かなかったようだ。安倍政権にとって沖縄は、東北諸県と同じく「まつろわぬ邦」。だからか、強引で無慈悲、冷笑と侮蔑の姿勢を取り続けてきたので、沖縄では「翁長知事は安倍政権に殺された」という声が上がっていると聞く。私もそう思う1人だ。

沖縄の自己決定権か 日本への迎合か

国土の0.4%の広さしかない沖縄県に、国内の米軍専用施設の70%が集中する。先の戦争では沖縄は「捨て石」にされた。にも関わらず、政府は米軍普天間飛行場の代替施設として辺野古に新基地を造ろうとしている。

日本国憲法の上に日米地位協定があり、県民の人権が軽視されてきた。普天間や嘉手納基地などは占領した米軍が作った施設だが、今計画されている辺野古は、この国の政府が作り、アメリカに提供するもので、両者は決定的に違う。沖縄のことは沖縄県民が決めるという自己決定権もない。

安倍政権がこのようなかたくなな姿勢を貫き通しているのは、安倍さんだけでなく、「本土」の人たちの多くが、翁長さんの主張(もっと言えば魂)や沖縄の歴史をまともに受け止め、考えてこなかったからだと思える。「日米同盟を維持するためには、沖縄に過重な負担を強いても構わない」と。

沖縄県は先月31日、翁長知事の遺志を受け継ぎ、辺野古沖の埋め立て承認を「計画地が軟弱地盤、サンゴ保全も不十分」などとして撤回し、国と県が全面対決する事態となった。国は今後、撤回の処分取り消しを求める行政訴訟などの法的措置を取るとしているので、裁判で争われることになるが、その前に今月30日に県知事選が行われる。

今度の知事選の争点は何か。翁長さんの弔い合戦という言葉もあるが、翁長さんが道筋を付けた沖縄の自己決定権を通すのか、それともヤマト(日本)への迎合を強めるのか、だ。思想家の内田樹さんは「真の保守は、自国の国土や国民を守ろうとするもの。しかし、現在の保守は、単なる対米追従にしか見えない」と語っている(東京新聞 8月10日)。(元瓜連町長)

《食う寝る宇宙》21 宇宙天気予報 「研究」から「実用」へ

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【コラム・玉置晋】1日、放送大学茨城学習センター教員・学生講演会が水戸の県立図書館で開催され、僭越(せんえつ)ながら僕も講演させていただきました。内容は本コラムで書かせていただいた宇宙天気災害に関する話です。執筆のおかげで、知識の整理が知らず知らずにできておりました。NEWSつくばさん、ありがとうございます。

参加者は、放送大学の学生さんのほか、自習に来ていた高校生も含めて40人ぐらいでしたかね。皆さん、熱心に聞いてくださり、ガチな質問もあり驚かされました。

折しも9月1日は防災の日、1923年9月1日に相模湾を震源とするマグニチュード7.9の巨大地震は建物の倒壊とその後の火災により10万人を超える犠牲者を出しました。2011年3月11日以前の僕の中では、関東大震災は歴史の1㌻でしかなかったのですが、激甚災害とその後の危機に遭遇し、自然災害に対する意識は大きく変わりました。

「あの時、きちんと対策しておれば」という後悔は次の世代にはさせたくないですね。講演していて気が付いたのですが、1859年に起きた大規模太陽フレア「キャリントン・イベント」の発生も9月1日でした(詳細は3回目のコラム「キャリントンの日」参照)。当時は、電気文明が開闢(かいびゃく)したばかりで、社会インフラへの影響は最先端技術テレグラフ(電報)に障害が発生したという記録があります。

大きい太陽フレアが起きたら?

現代社会は、宇宙や高高度を利用し、精密で複雑な通信・電力網が全世界に拡がっています。会場からの質問に「キャリントン級の太陽フレアが起きたらどうなるのか?」というものがありましたが、「衛星や航空機運行、地上の電力網に障害が発生するかもしれない」としか答えられない現状に危機感を感じます。具体的にどの様な被害が発生するのか、それをどう防ぐのか―といった議論は始まったばかりなのです。

日本の宇宙天気に関する個々の「研究」は世界をリードしてきました。最近の報道では今月にも、AI技術を用いた太陽フレア予測を「実用」の宇宙天気予報に実装するとありました。目を見張るのは「研究」から「実用」への転換スピードです。

宇宙天気研究の中心機関・情報通信研究機構(NICT)から「研究成果」のプレスリリースがあったのは昨年1月なので、わずか1年半です。講演前の8月30日、NICTが主催している「宇宙天気ユーザーズフォーラム」に参加。そこで、僕は「(社会インフラの)現場に宇宙天気の知見がないのが問題だ」と愚痴を言ってきました。

ちなみに、講演の冒頭で「宇宙天気を知っていますか」と問いかけたところ、「はい」は40人中2人(5%)でした。前途多難です。(宇宙天気防災研究者)

《地域包括ケア》19 老人クラブ 自治会 ボランティアの役割

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【コラム・室生勝】このコラムのタイトル画「地域包括ケアシステムの姿」の中心には高齢者が描かれ、その下部に「生活支援・介護予防」、さらにその下に「老人クラブ・自治会・ボランティア・NPO等」が配されている。

「生活支援・介護予防」は、介護保険サービスを用いず在宅生活をしているひとり暮らし高齢者および高齢者夫婦世帯に、要介護状態にならないように自立した生活を継続できる見守りや生活支援のことである。

生活支援には、「買い物」「診療所や病院への通院」「ごみだし」「食事の準備・調理・後始末」「掃除」「散歩・外出」「家の中の修理、電球交換、部屋の模様替え」など、公的サービスではカバーできないものがある。

どの市町村でも、交通に不便な地域や買い物が困難な地域があり、また障がいや高齢に伴う外出支援がなく、閉じこもりになりやすい高齢者がいる。閉じこもりが続けば、足腰は弱くなり、寝たきりへと進みやすく、人との触れ合いがないためうつ状態や認知症になりやすくなる。

公的には市町村サービスとして、高齢者日常生活支援事業(自分ひとりではできない部屋掃除、草取りなどの軽易な作業を依頼・実施する際の費用の一部を助成)、在宅高齢者布団丸洗い乾燥、高齢者タクシー利用料金助成、宅配食事サービス、緊急通報システム―などがあるが、ひとり暮らし高齢者世帯が対象で高齢者夫婦世帯は対象にならない。

後期高齢者夫婦世帯では、お互い助け合って生活できている間はいいが、片方が少しでも助けが必要になると、支える側に負担がかかり、共に支援を必要とする状態になりやすい。

生活支援体制整備事業

ご存じのように、厚労省は2025年を目途に、可能な限り住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができるよう、地域の包括的な支援・サービス提供体制(地域包括ケアシステム)の構築を進めている。

2025年は、団塊の世代が75歳以上の後期高齢者になる年である。これまで国を支えてきた団塊の世代が介護保険サービスを受ける側に回るため、医療、介護、福祉サービスへの需要が高まり、ヘルパーはじめ介護医療職が不足する状況になると言われている。介護保険料も無制限に上げられず、社会保障財政のバランスが崩れるだろう。

そういった状況にならないように、厚労省は市町村単位の事業を進めている。「生活支援体制整備事業」といい、介護保険制度では提供できない生活支援サービスや介護認定を受ける前の段階の高齢者に対する生活支援の充実を図るとともに、地域で支え合う体制づくりを推進することを目的としている。

その主役を担うのが、「地域包括ケアシステムの姿」の中の「老人クラブ・自治会・ボランティア・NPO等」である。(高齢者サロン主宰)