《ひょうたんの眼》9 「犬公方」将軍から今の政治を読む

平成の「お犬様」 豆柴犬サクラ

【コラム・高橋恵一】現代が、いつの時代に似ているか。今話題の人が、歴史上の人物の誰に似ているかということは、今の時代を表現する上で、説明しやすい方法であろう。

さて、「公方」というのは、江戸時代では「将軍さま」のことで、「犬公方」とは、5代将軍「徳川綱吉」のことである。天下の「悪法」生類憐みの令を発布し、人間よりも犬を大事にした「悪法」は、庶民から評判が悪く、「犬〇〇」とあだ名をつけられてしまった。

最近は、歴史の研究が盛んで、綱吉や生類憐みの令の再評価が主張されたりしているが、300年後の今でも、いやなイメージのあだ名が残っているのだから、ダメな将軍だったのだろう。

綱吉時代の前半は、徳川家康に直結する幕府創成期の気概が尊重されていたが、大老酒井忠清を罷免し、水戸の徳川光圀を遠ざけるなど、徐々に「わがまま独裁」になっていった。綱吉はしつこくて、酒井家は後日改易されている。側近に「成り上がり」の栁沢吉保を重用し、老中格といいながら老中よりも上位に置き、綱吉の気に入る政治・政策を進めた。

マザコン、忖度、福祉切り捨て

綱吉は、家光から儒学を学ばされたが、どうもオリジナリティはなく、暗愚なリーダーに多い、親しい者の耳障りよい話を優先して採用していたようだ。「忖度」の栁沢吉保、「悪貨乱発」の荻原重秀に政策を任せたが、個人的にはマザーコンプレックスで、母親の桂昌院が傾倒する僧隆光の影響も受けた。

有名な話だが、綱吉が跡継ぎの男子に恵まれないのは、前世に生き物を粗末にしたからで、特に「綱吉は戌年だから犬を大切にしろ」という隆光のお告げがあり、「生類憐みの令」ができたという。

桂昌院は、貧しい八百屋の娘でお玉さんといわれ、シンデレラストーリーで家光の側室になった人で、「玉の輿」の語源という話もある。赤穂義士伝の松の廊下事件も、桂昌院の従一位伝授の勅使接待時の刃傷事件で、綱吉の悲願だった親孝行実現の重要な日の事件なので、綱吉を忖度して、ろくな審理もせず浅野長矩を即日切腹させ、後の討ち入り事件まで発展した。

母方の祖父、元首相の悲願は憲法改正であり、母親の悲願でもある。マザコンの首相は、日ごろの言動を見ていると、憲法の内容についての論理的見識はなく、憲法の一文字だけでも変えれば、祖父の悲願を達成したことになるようだ。

政策の推進は、側近による忖度政治。将来の財政破綻を招く、異常な金融緩和策。犬を優先して庶民が困っている世の中に通じる、福祉の切り捨て。どうだろう、犬公方、将軍綱吉に重ならないか。トランプの「ポチ」などと茶化されたり、子犬の贈呈式にわざわざロシアに出かけたり、妙にこじつけてみたくなる、猛暑の夏である。(元オークラフロンティアホテルつくば社長)