【コラム・橋立多美】タイトルの「猫と暮らせば」は私の暮らしそのもの。旅行に行くときは猫の健康と面倒を見る者の確保を第一に考える。外出は用事が終われば一目散に帰り、ひたすら猫に仕える日々を喜々として送っている。

昔は猫を飼うきっかけと言えば、「捨て猫を拾ってきた」「近所の家で生まれた子猫をもらってきた」というのが定番だった。最近は猫の飼育数は犬の飼育数を上回る952万6000匹。猫ブームに便乗して、ペットショップで販売される猫の数も増えている。

猫ブログや猫専門のテレビ番組、雑誌も多い。「かわいい」「癒やされる」ともてはやし、手軽に飼えるイメージがある。その主たるものが、散歩がいらない、マンションでも飼育できる、世話はいらない、鳴き声がうるさくないというものだ。

確かに散歩は不要だが、住み家を分かち合い、生活を共にするための心配りが必要で、高い場所が好きな猫のためのキャットタワーなる商品も販売されている。また皮膚病予防のブラッシングの度にモフモフの毛が舞い上がり、特に夏毛に変わる初夏からは抜け毛が多くなる。猫飼いには掃除機は必須アイテムなのだ。

子猫のミャーミャーという鳴き声はかわいいが、我が家の18歳の雄猫は人間同様に認知症状が現れはじめ、早朝や深夜に甲高い鳴き声を響かせる。動物医療の発達と飼育環境が良くなったことで長生きをするようになったためで、これからは介護まで請け負う覚悟が求められよう。

ブームに乗り、猫を手に入れたが結局は飼いきれずに飼育を放棄したり、ノラ猫が産んだ子猫が持ち込まれる笠間の動物指導センターでは昨年375匹の猫が殺処分されている(犬は338頭)。殺処分とは虐待の最たるものだ。幼子が親に虐待されると非難の声が沸き起こる。大量の猫への虐待にはなぜ無関心なのか。

小学生の頃から猫好きだった私はこれまで6匹の猫を見送った。それぞれに個性があり、わがままで優美な肢体に見とれる時期から、視野が狭まってヨロヨロしながら歩き回る末期を含めての共存生活だった。

よく、あの世に逝くと亡くなった親や友人に会えるという。私はあの世とやらで再会できるのなら、かつて見送った猫たちが並んで待っていてくれることを望んでいる。(ライター)