《吾妻カガミ》39 1㌦=360円⇒308円⇒111円

坊大蔵大臣緊急会見 1971.8.27

【コラム・坂本栄】このコラムの掲載日、9月3日は私の誕生日に当たります。仕組んだものではありません。担当日(第1・3月曜)が偶々、今日になっただけのことです。還暦+12支1回り=72歳ですから、随分長く生きて来たものです。

世界中20億の人が使うフェイスブックには自己紹介欄がありますが、そこには「体は劣化しているが頭は20代後半」と書き込んでいます。お友だちへの手前、頭は若いと格好をつけているものの、体の劣化(あちこちに不具合が発生)は抗いようがありません。

誕生日を前に、20代後半は何をしていたのだろうと考えていたら、壁に掛けてある額の隅に挟んでおいた白黒写真が目に止まりました。世界を揺さぶったニクソンショック(ドルの金交換停止、主要通貨の対ドル切り上げ、1971年8月)を受け、坊秀男大蔵大臣が緊急招集した記者会見です。

おでこにコブがある坊蔵相の頭の上(朝日の岡田幹二記者)の上の黒眼鏡が私(20代後半手前の24歳)です。戦後ずっと1㌦=360円だった固定相場が、厳しい交渉の結果308円に切り上げられる(71年12月)プロセスの一場面ということもあり、取っておきました。

大臣邸ではオールドパー

大蔵省(現財務省)に回されたのは、入社2年目の春。1年目は編集局の雑用係でしたから、晴れて現場と張り切っていたら、米大統領の電撃発表。記者クラブの末席として、あちこち駆け回る取材がスタート。テーマがテーマだけに緊張を強いられる4ヵ月(8~12月)でした。

特に構えたのが、坊大臣邸への夜回り。切り上げ時期はいつか、その幅はどのくらいか、日本経済が受ける打撃の程度は―といったやり取り、しかも曖昧な大臣発言に全身耳にする日々。

問題は、夜回りはメモ禁止という慣例があることでした。当時は小型録音器がありませから、Q&Aは記憶するしかありません。ベテラン記者の後方に控えめに座り、やり取りを頭に押し込む作業です。終了後公衆電話に駆け込み、デスクに報告するのが仕事でした。

苦行だけでなく、楽しみもありました。夜の大臣邸ともなると、高級ウイスキー・オールドパーが出たのです。ウイスキーといえば、ニッカ・レッドかサントリー・トリスしか飲んでいませんでしたから、大臣邸は(記憶が薄れない程度に飲む)高級バーでもあったわけです。

為替は1割近い切り上げでも落ち着かず、その後変動相場制に移行、現在に至っています。8月末は111円でした。円の力が3倍以上になったおかげで、自宅でオールドパーを飲んでいる72歳です。頭を活性化させ、20代後半に担当した分野(大蔵省・自動車・造船・日銀)の今と昔を比較しながら。(経済ジャーナリスト)