【コラム・川浪せつ子】8年程前の4月でした。連れ合い、平日はお仕事に。ですが土日になると「どよーん」。「どうしちゃったんだ」。ふと思い当たることが。3月に3男が高校を卒業して家を出ました。連れ合いは、小学校の頃から10年以上スポーツクラブに入っていた息子の追っかけだったのです。ですから土日は、ウキウキ。それがなくなっちゃって、凹んでいたようでした。わたしは手が離れたので「ヤッター」でしたけどね。

あまりにもしょげているので、「これはいかん」と思い、我が家から徒歩20分程の洞峰公園まで歩くことに。そしたらお腹がすくんですよね。そこで出合ったのが、この「うまいもん処」。その後、洞峰公園で建築士会の皆さんとスケッチの後、わたしのやっている「水彩画教室」のランチ会、帰省した息子たちとの食事会などに使っています。

そんなものですから、お店の方とも仲良しに。ランチは11時からですが、お店の方は朝9時からまずお掃除だそうです。長くやっている女性のパートの方が「配膳だけだったら楽なんですが、掃除が大変なの」。そうなんですね、飲食店はキレイじゃなくちゃね。でもその女性、11月頃から時々いなくなるのです、毎年。それは働きが「扶養家族」内になるよう調整しているんですね。

育児と介護:ダブルケア

1986年に「男女雇用機会均等法」という勤労婦人福祉法の法律ができましたが、「扶養内」で働きたい女性、多いのです。その頃、わたしは息子たち3人、生まれてすぐに保育所などに預け働いていました、自営業です。仕事は建築関係。バブルの時で、仕事、育児、家事とあまりの忙しさで、「何のために仕事をしているのか」と思ったこともありました。

バブルの終わり頃、東京の実家の母が助からない病気になり、わたしは仕事を辞めました。今でいう「介護離職」なわけです。ほぼ「ワンオペ育児」状態の毎日に加え、子供たちは小学校1年生と保育所なので、「ダブルケア」(子供がまだ手がかかる年齢で親に介護が必要になること)。

今でこそ、女性の働き方や介護の問題はクローズアップされていますが、その頃から、いえもっとずっと以前からあったのですよね。その後、母は天国に。子供たちは少しずつ手が離れ、7年後に仕事を再開しました。

お話しは戻って、「どよーん」の連れ合いですが、お日様の下でお散歩。そして、美味しいランチで、すっかり元気になりました。そしてお蔭さまで、わたしは色々なランチスケッチをすることができて。色々な場所での食べ歩きも2人の趣味の一つになりました。ご飯って、「心」も救うんですね。(イラストレーター)