月曜日, 4月 21, 2025
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《地域包括ケア》26 介護認定を受け介護サービスの利用を

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【コラム・室生勝】元役場の職員X氏(70歳代半ば)に約30年ぶりに街角で会った。彼は50歳過ぎに軽い脳梗塞を起こし、その後、2回再発があり50歳半ばで退職した。後遺症は無いが、血圧は高めであると言う。

同年齢の奧さんと2人世帯。彼女が最近、和室に敷いた寝具に足先を引っかけ転倒し尻もちをついた。激しい腰痛で某病院整形外科を受診したところ、腰椎の圧迫骨折と診断され、週1回の注射にもう5週通っていると言う。圧迫骨折の原因は骨粗しょう症で、数年前から薬で治療を続けていたが、小柄なやせた彼女(身長145㌢、体重35㌔)は小食のうえ乳製品が嫌いで、カルシウムの摂り方が少なかった。

腰痛は幾分改善してきたが、屋内はシルバーカーでどうにか歩け、排せつ、入浴は彼の介助が必要で、買い物や調理、洗濯、掃除などの家事は彼が行っている。彼女の通院時の車の乗り降りが一苦労だと疲れた表情で嘆いていた。

ところが、介護認定を受けていなくて介護サービスを利用していない。相変わらず和室に寝具を敷いている。布団からの起き上がりも起立も、彼が抱きかかえるように支えて行っている。彼女を支える彼の足は布団の上で不安定で、また転倒するかもしれない。彼女がベッドで寝ていれば、彼の介助負担はグッと少なくなるのに。

介護保険で介護用ベッド(特殊寝台)をレンタルできるのは要介護2以上である。彼女が介護認定を受ければ、おそらく要介護1と判定されるだろう。要介護1でも、起き上がりが自力でできないときや病状により、介護用ベッドの利用が望ましいと医学的に判断される場合には、主治医の意見書を付けるとレンタルできる。

「背上げ」「高さ調節」ができる介護ベッド

彼女の場合は、要介護1でも敷き布団から自力で起き上がれず夫の介助が必要で、彼女がやせて筋力が無いうえに、腰椎圧迫骨折で腰に力を入れると強い痛みがある。

介護用ベッドには、「背上げ」や「高さ調節」の機能があり、夫は「背上げ」の機能を使えば彼女を起こしやすくなり、ベッドの高さを彼女がベッドから足を降ろして床に起立しやすいように調節すると彼女を介助するのに楽になる。ベッドの脇に起立時に支えになる介助バーを取り付けると、彼女はそれを握って安全に床に起立することができ、彼の介護負担も減る。

彼は20年前、軽症であるが脳梗塞に3回かかっている。高血圧があるので再発する危険性は高い。彼の血圧は彼女の病気と介護というストレスとこの寒さで上がっているだろう。彼が倒れたら共倒れになる。

彼女が介護認定を受けて、介護用ベッドのレンタルやデイサービスを週2回(入浴サービスもある)利用すれば、彼の介護負担は減り、脳梗塞の再発も避けられると思う。電話で再三介護認定を勧めているが、まだまだ介護保険のお世話にならなくても自分たちで生活できると言っている。

いま、介護保険を利用せず自力で頑張っている後期高齢者は少なくない。それに気づいた近所の人たちや知人・友人にお願いしたい。在宅介護支援センターや地域包括支援センターに相談するよう勧めてほしい。(高齢者サロン主宰)

《泳げる霞ケ浦へ》13 グローバルな視点と柔軟な発想

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霞ケ浦 ヨットと釣り人

【コラム・霞ヶ浦市民協会】私は日本の製品、特に工業製品は世界でも優秀と考えていました。しかし、例えば海外の鉄道を利用した時にはいつも、日本の特化した優位性を感じることがありません。

白物家電など使用目的を絞った家電製品には、耐久性を含めまだ安心感があります。しかし、PC-98時代の特定ソフトを利用した専用PCから、グローバルなソフトを使えるWin95に変わった時の対応や携帯電話がスマホに変わり、電話だけでなくソフトを利用しての多用途製品になると、グローバルスタンダードの発想に遅れを感じます。

鉄道の話に戻ると、スピードや乗り心地は変わりませんが、料金やチケットの購入は海外の方が簡単かもしれません。しかし、定時運行の正確さは日本が世界で一番だと思います。

今後は、日本人の正確さと真面目な考え方を生かし、ひとつの技術に特化しながらも、用途を始めから限定せず、使用者が用途を広げられるような柔軟な発想の製品開発が必要と考えます。そして、日本がグローバルスタンダードになれる製品の開発ができる技術者の養成が必要と思います。

環境活動においても、同じようなことを競って行うのではなく、市民、企業、行政、研究者がそれぞれの専門性をもっと生かし、それぞれの得意分野で協力し合うことが必要と思います。

目的や目標を明確にし、いろいろな価値観や考え方を認め合い、活動をもっとゆったりと進めることで、世代を超えた新しい発想ができるようになると思います。それぞれの特性の組み合わせを生かし広げていくことに、無限の可能性を感じます。(霞ヶ浦市民協会専務理事 粟野哲雄)

《ご飯は世界を救う》6 「手作りカフェ・シューエ」

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【コラム・川浪せつ子】今、手作りの作品を販売するのがブームだそうです。この「シューエ」さん(つくば市高野台)は、手作り品を販売しているカフェです。普通のお店や飲食店に手作り品が置いてあるというのは昔からよくありますが、こちらは専門に作品を置くボックスを作者さんに貸し出しているというお店です。

私は手作りの品が好きです。特にアクセサリー。作り手のぬくもりが感じられて、付けていると心がホンワカします。インテリア小物やバッグなども、よい感じですね。本格的な商売っていう感じではないので、お値段がとっても手ごろです。

つくば市のカピオで開催される手作りフェアーは、初日はいつも満員電車のように混んでいます。そのような大規模なものでなくても、色々な場所で始終、青空マーケット、バザー、マルシェという感じでやっていますので、のぞきに行くのは楽しいです。

そうすると、常連さんで出店している方目当てに行くようになります。私のお気に入りは「クウハナ」というハンドルネームでフエルト小物を作っていらっしゃる方。そして松代地区の普通の住宅で、バラが咲き誇る季節に2日間だけ「オープンガーデン」を、20数年開催している主催者の一人でビーズ作家さんの作品です。

こちらの会場も、初日はイッパイイッパイ状態です。アクセサリー、バッグ、手作りお菓子や、インテリア小物が、どんどん売れていきます。女性の購買力って、すごいですねぇ。ネット上でも盛んで、月に何十万円も稼いでいる方もいらっしゃるとか。作り手も買い手も、ウィンウィン(取引する双方にメリットがあること)なんですね。

つくばと土浦のカルチャーセンターが閉鎖

「手作り」で思い浮かぶのは、「手作りの教室に通う」です。もちろん、独学で素晴らしい作品を作る方はたくさんいらっしゃいますが、新しいことにチャレンジする、習い事をしたい! そんな時は「カルチャーセンター」です。

それがね、最近異変が起きているのです。つくば市で開店10年の大型ショッピングセンター。その中にカルチャーセンターがありまして、私も数年水彩画の講師ということでお世話になっていました。ところが、10年目にして閉鎖。運動系の方は多かったようですが、文系的なものはどうも人が集まらなかったようです。

そんな話をしていたら、「土浦のショッピングセンターのカルチャーもなくなるそうですよ! (男女雇用機会)均等法ができて女性が日中働くようになって、カルチャーどころでなくなったとか。おまけに年金の受給も遅くなり、年配の方も働いて暇がなくなってきたからのようですね」。社会全体がどうも余裕がなくなっているのかもしれませんねぇ。

でも絵を描きたいという方は、案外多いのです。「月に1回だったら…」「夜にやってもらえませんか」。そして教室に通われると、皆さん充実したよいお顔。お絵かきというお土産を持って帰って、また1カ月頑張ってお仕事して下さいね、という感じです。

生きていくのは、楽しいことばかりだとよいのですが、なかなか。そんな時、絵を描く、見る、飾るということで、少しでも毎日の暮らしに潤いが生まれたらいいなと思い、描いています。(イラストレーター)

《くずかごの唄》28 お隣の料理上手なおじさんは荷風!

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【コラム・奥井登美子】この間、久しぶりに中学時代からの同級生にお会いして、市川の菅野の家に遊びに行った時のことを想い出してしまった。当時、市川は松並木もたくさん残っていて、空襲で焼けただれた東京から近いのに、緑豊かな、ゆったりとした町であった。その友達の家も、生け垣ごしに、隣の家が丸見えだった。

「お隣のおじさんが、庭でまな板と人参を出して、何かやっているわよ」「そうよ、必ずこの時間、おじさんはご飯に人参をいれて炊くの」「おじさんの手つき、器用で、まるでまかないの職人さんのよう」「職人さんじゃないわよ、あの人はカフウとかいう作家さん」「えっ、荷風ですって、ホント」「そうよ、そう」「本物の、永井荷風なの?」「ご飯を食べると、着替えて、出掛けるわよ」

私は生け垣にしがみついたまま、動けなくなってしまっていた。そういえば、人参を刻む動作、おコメを研ぐ手つきも、一挙手一投足に無駄がなくて、何となく風格がにじみ出ている。私は、お洒落(しゃれ)をした永井荷風の外出姿を見届けたい一心で、夕方まで、友達の家でお隣のおじさんを見張っていた。

お洒落して背を伸ばしお出掛け

敗戦の1年前、私たちの家族は東京から信州伊那の山奥に疎開した。大学生の兄貴は本が好きで、大事な本を全部、疎開先に送ってきた。小学1年生の弟の加藤尚武は、枕元に積んであった兄貴の本を片端から読んで、なにやら暗記してしまった。子どもだから内容は皆目わからないが、日本語のリズムが好きで、永井荷風の作品が気に入ってしまったようだ。

母は、弟の担任の先生から「戦争中なのに、子供に永井荷風を読ませる母親がどこにいるか」と、こっぴどく叱られてしまったという。それでなくても、農作業も山仕事も何ひとつ出来ない、東京からやってきた疎開者はイジメの対象にされる。母はそのことがきっかけで、ノイローゼのようになってしまった。

私は、荷風の文学はよく分からないながらも、弟が先生に叱られて読むことを禁じられたという作家さんはどんな人か、興味があったのである。その日も、荷風はお洒落をして、背をピンと伸ばし、どこかへ出掛けて行った。(随筆家)

《土着通信部》27 「き」と「なま」で違ってくる 生そばの正体

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そばの手打ちにそばで見入る=土浦・小町の館で

【コラム・相沢冬樹】生を「き」と読むか「なま」と読むかで、生醤油(しょうゆ)の正体は違ってくると解説するテレビ番組があったそうだ。塩以外の調味料を添加しないものを生(き)醤油といい、火入れ(加熱処理)をしないのを生(なま)醤油というらしい。製法の進化で最近の醤油は鮮度を保って出荷できるようになった。

そんな話題が出たのは、そば店に張り出された掲示を見たからだ。「お持ち帰り用 生そば(二八・田舎)あります!」。読みがなは振ってない。この場合、「き」と読むか「なま」と読むか。相伴のそばっ食いは「生(き)そばは本来混じりけのないそばをいうから、二八は含まれないはずだ」とうんちくを語る。相棒は「二八どころか小麦粉ばかりの立ち食いそば店だって生そばのノレンをかけている」と反論する。

手打ちそばの1日体験教室が16日、小町の館(土浦市小野)で開かれていたのでのぞいてみた。年越しそばの時節柄、地元の熟練者で組織する鵜合之衆(うごうのしゅう、小野マサル代表)が手ほどきをする絶好の機会で、教室参加歴20回以上の中級者から全くの初心者までが集まってきた。そば打ち経験10年以上のベテランの師匠たちがほぼマンツーマンで指導する。材料は地元産常陸秋そばがベース。そば玉をこね、麺(めん)棒で延ばし、大ぶりの麺切包丁で、細身のそばを仕上げていく。江戸流というらしい。

独特の道具立てに目を奪われながら、手元を追う僕は初歩の質問ばかりを繰り出して師匠たちを困らせた。回答は「二八ならば、なまでよろしかろう」。生(なま)そばというのは乾麺との区別で、ゆですぎないようにという意味を含んでいる。

教室で取り組んだ二八の場合、そば粉400㌘に小麦粉100㌘で水は最大250㍉㍑が標準。水を加えて700㌘強になったソフトボール大の玉を手でこねて、のし棒に何度も巻き付けて円形に延ばしてから角型に広げていく。「四ツ出し」という作業。厚さというより、薄さ1.5㍉程度に延ばした後、折り畳んでそば包丁で1.5㍉幅に切っていく。断面は1.5㍉角の正方形になる。これで、細くともコシをきっちり感じるのど越しのそばに仕上がるのである。

1人前の分量にもよるが1回の手打ちで約8食分ができる。師匠の1人は、この先大みそかまでに30㌔ほどのそばを打ってご近所などに配るというから、生半可では務まらない。今年は収穫時期に台風被害を受けたことで、そば粉がキロ1500円以上にも急騰してこたえているそうだが、10年以上続く習慣を止められない。生真面目なのだ。

「き」と「なま」が出そろったところで、打ち立てをユズたっぷりのけんちんそばにしていただいた。これにて頓首(とんしゅ)謹言(きんげん)、「土着通信部」はひとまずお休みをいただく。(ブロガー)

《吾妻カガミ》46 県議選 ホットなつくば>クールな土浦

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県議選つくば市区の開票作業=9日、つくば市流星台、桜総合体育館

【コラム・坂本栄】今回の県議会議員選挙(12月9日投票)では、土浦市とつくば市の2放送メディアに呼ばれ、いろいろしゃべらされました。土浦の方はネットTV局「Vチャンネルいばらき」(7日午後)、つくばの方はコミュニティFM放送局「ラヂオつくば」(7日夕と9日夜)。7日は土浦市区とつくば市区の特徴を話し、9日夜は両区の開票速報と解説を担当しました。

無投票を阻むドンキホーテ 柏村氏

Vチャンで土浦の視聴者に呼び掛けたのは、選挙に行こうということでした。というのは、現職3人(伊沢さん=自民、安藤さん=同、八島さん=公明)の当選が堅いことから、投票率が低くなると思ったからです。

衆院選と同時だった前回は52%でしたが、その前は42%。中川さんが4選に臨んだ3年前の土浦市長選は、現職確実との見立てから投票率は28%でした。投票日直前に3県議の1人から投票率予想を聞かれ(多分自分の得票数が心配だったのでしょう)、私は「前よりも低くなる。28%と42%の中間ぐらい」と返事しました。結果はドンピシャリの35%でした。

土浦市区には、霞ケ浦の水質浄化に熱心な柏村さん(元市議)も立ちました。3年前の市長選にも立候補した方です。出馬会見の際に「また出るんですかー」と聞いたら苦笑いしていましたが、両選挙とも彼がいなければ無投票になったわけですから、私は柏村さんのドンキホーテ的な役割(選挙の活性化)を評価しています。

僅差で勝ったTX延伸論者 塚本氏

つくば市区の方は、冷めた土浦市区と違い、5人枠(前回まで4人枠)に9人も立つという熱い選挙になりました。現職の鈴木さん(自民)、星田さん(同)、田村さん(公明)、山中さん(共産)の4人(いずれも当選)に、野口さん(立憲)、飯岡さん(元自民)、塚本さん(無所属)、後藤さん(同)、八代さん(同)が挑む構図です。

7日のラヂオでは、1人増枠を、保守系の飯岡さんと塚本さん、革新系の野口さんの3人が奪い合う形になると予想しましたが、開票(投票率は42%)では塚本さんと野口さんが最後まで競り合いました。結果、塚本さん7730票、野口さん7659票、その差71票でした。(詳細はNEWSつくば県議選開票記事をご覧ください)

「初当選おめでとうございます」と塚本さんに電話を入れたら、「僅差でも勝ちは勝ち。疲れたけれど心地よい疲労」ということでした。元JRマン・塚本さんの「売り」はTX(つくばエクスプレス)の北部延伸です。国と関係市の間を駆け回り、TXを茨城空港まで延ばす大構想の旗振り役になってください。

政治家は選挙で鍛えられます。政策も選挙で鍛えられます。ですから選挙は熱くなければいけません。その意味で、今回県議選の2市区比較は、ホットだったつくば市区の勝ち、クールだった土浦市区の負け、といえます。新しいまちと古いまちの活気差が出たようです。(NEWSつくば理事長)

《郷土史あれこれ》14 天狗党の乱 その世界史的意味

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土浦市立博物館

【コラム・栗原亮】J・ヴィクター・コシュマンの「水戸イデオロギー」(ぺりかん社、1998年)によれば、天狗党の日光や京都への長征を「一種の巡礼」と呼び、この行動を始源への回帰であるとしている。この行動が復古の現状批判的な可能性を呼び起こし、その時代に大きな影響を与えていったという見方は注目してよい。

とりわけ、京都への巡礼を元の場所に連れ戻していく運動として、つまり永遠に変わることのない永続性を持つ天皇の存在(シンボル)を浮かび上がらせていった事実を天狗党の長征から読み取ろうとする見解は、「世界宗教史 全8巻」(ちくま文庫、2000年)の著者、ミルチア・エリアーデの宗教論を踏まえた興味ある議論である。

水戸学的偏狭性は決して幕末で終わったわけではなく、幕末の京都での佐久間象山の暗殺、さらに維新後も信仰的攘夷は長州や西国の諸藩でもくすぶり続けた。長州藩士による大村益次郎の暗殺、久留米藩尊攘派の騒動などで猛威を振るった。

そうしたものを克服するには、明治政府も大きな代償を支払っている。堺事件や神戸事件などの外国人殺傷事件は、そうした過渡期に起きた信仰的攘夷の表現と考えられる。明治維新後の日本近代史の中で攘夷の問題がなくなったわけではない。

息を吹き返す? 排外主義と国家主義

攘夷という言葉は使われなくなるが、維新後に開国はアジアに自己の力を拡大する「膨張主義」に転化していったし、アジア主義も日本がアジア大陸に進出する足掛かりとして自己に都合のいいように解釈され、太平洋戦争前夜にはアジアを解放するという「大東亜共栄圏」の名の下に侵略が容認されていったのである。

太平洋戦争総力戦体制下では欧米の科学技術思想が否定され、「鬼畜米英」の名の下に極端な精神主義が生まれ、くすぶっていた対外的な攘夷の思想が復活し、1941年12月8日の真珠湾攻撃の日にはその攘夷思想が爆発し、頂点に達したのである。

戦後は打って変わって欧米思想や風俗を受け入れたが、自国中心主義や民族主義から本当に自由になったのか。排外主義と国家主義はこれからも無縁ではなく、何かの機会には息を吹き返す可能性はある。その意味で、水戸学的偏狭性の問題が終わったわけではなく、法と権利に基づく自由を取り戻す課題は我々の運動にかかっている。(郷土史家)

《続・気軽にSOS》27 そんなの「気の持ちよう」

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【コラム・浅井和幸】甲殻アレルギーを持つ孫娘に対して、「そんなの気の持ちようだから」と、内緒でエビか、カニかを分からないように料理に混ぜて食べさせた。結果、その女の子は発作が出て、病院に緊急搬送をされたという事故がありました。

この事故は、明らかにアレルギーに対する勘違いではありますが、私たちの生活の中には「そんなの気の持ちようだから気にすんな」というように、「気の持ちよう」は軽い物事の問題として使われる言葉です。

それで、「そうだよねぇ」と、気を取り直して別の行動が簡単に取れるのならばよいですが、そうとばかり事は進みません。根底には、自分自身は問題ないし、自分の知っている人も問題になっていないことを問題にすること自体が理解できないこと、自分と同じことは誰でもできるという感覚があります。

上記の事故ではなくとも、人前で話をすること、自動車の運転、人と集まり会食をすること、汚いと感じるものを触ること、仕事をすること…。多くの人が出来ていることが出来ないのは、気の持ちようだと捉えている人は多いでしょう。

心頭滅却すれば火もまた涼し?

しかも、気の持ちようは、簡単に変化させられるものだと考えている人の方が多数を占めるのではないでしょうか。しかし、多くの「気の持ちよう」は、変化させることがかなり難しい、固定観念であるというのも事実です。

言葉遊びをすれば、「気の持ちようは、簡単に変化させられるものだと考えている」のも気の持ちようだとすると、このような固定した考えはなかなか変えられないものと考えられます。

例えば、気の持ちようを変えて、簡単に多くの人の前で歌を歌うことが出来るようになるでしょうか? 簡単に気の持ちようを変え、芋虫や昆虫などゲテモノを食べられるようになるでしょうか?

感じ方や、物のとらえ方、習慣などは変えるのはとても難しいことが多く、適応的なものにしていくには、多くの練習を必要とします。その練習をする一つに、認知行動療法(行動療法とか認知療法とか)などの心理療法があります。その説明はまた後ほど。

「心頭滅却すれば火もまた涼し」といいます。気持ちの持ち方さえ変えれば、何事も変わるということだと思います。気持ちの持ちようは大切だから、心を鍛えて、動じないように、毎日を過ごそうと締めるのが格好よい、との文章だとは思います。

しかし、涼しく感じたとしても体が焼けてしまう現実を真っすぐ見て、そこから逃げたほうがよいんじゃないかなぁ~~が、浅井流の締め方です。(精神保健福祉士)

《ことばのおはなし》4 みかんのおはなし

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【コラム・山口絹記】図書館で調べ物をしていると、覚えのある詩の一節が目に入った。

君知るや南の国

レモンの木は花咲き くらき林の中に

こがね色したる柑子(こうじ)は枝もたわわに実り

青き晴れたる空より しづやかに風吹き

ミルテの木はしづかに ラウレルの木は高く

雲にそびえて立てる国や 彼方へ

君とともに ゆかまし

ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』である。

南の国とは、当時の多くのヨーロッパの人々にとっての憧れの地、イタリアのことだ。レモンは、憧れの象徴だったのかもしれない。

レモンと言えば、私の母の実家にはみかんの樹が植えられていて、この時期になると実がなるのだが、これが驚くほど酸っぱい。見た目はグレープフルーツのようだが、味は苦味のあるレモンに近い。

10年ほど前のことになるが、私は母の実家で祖母と2人(と黒猫1匹)で暮らしていた時期がある。ある日、このみかんの実を両手いっぱいに収穫して帰ったことがあった。

何も知らずに実を頬張った私が、あまりの酸味に悶絶(もんぜつ)していると、祖母が部屋に入ってきた。机の上に山積みになったみかんを見ると、「ジャムにしましょう」と言うのだ。きっと祖母も食べてみたことがあったのだろう。先人の知恵である。

大量のジャムが出来上がると祖母は、「チーズケーキに添えて食べたい」と言い出した。夕方からケーキを焼き始め、結局一日がかりの作業になってしまったのだが、私は祖母と気まぐれに過ごすあの時間が好きだったのだと思う。

しかし、あのみかんは何という品種なのだろう。あの酸味、まさか市場に流通していたものではあるまい。

ピジンとクレオール

寄り道が好きな私は、ゲーテを横に置いて、みかんについて調べ始めた。

ミカン属というのは、もともとはマンダリン、ブンタン、シトロンという3種だけの小さな属だった。ミカン属は異なる種間でもおおむね他家受粉が可能で、発芽する種子ができる。例えばオレンジはマンダリンとブンタン、グレープフルーツはブンタンとオレンジ、レモンはシトロンとブンタンの交配種、というように。数百年にわたる交配と突然変異により、今ではオレンジだけで4千種は存在するらしい。

なんとも雑、いや、寛容な植物ではないか。そして、あのみかんの出生を本気で調べるのは、やめておいたほうがよさそうである。きっとどこかで交雑してしまった野良みかんなのだろう。

言語学には、ピジンとクレオールという用語がある。異なる言語が交わる過程と、それが定着したものを表す用語だ。

いくつもの言語が混ざり合い、もととなった言語は吸収されたり、または消えてしまったりして、そういったものたちの上に残ったものを、私たちは話しているのかもしれないのだ。そして、これからもみかんの味わいのように変わっていくのだろう。

変わっていくことが必ずしも幸せなことなのかは、私にはわからない。しかし、交わり変わることができるという、ことばの寛容性が、私の研究における憧れの地なのだ。(言語研究者)

《映画探偵団》14 どんどん広がる中心市街地エリア

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【コラム・冠木新市】私は間違っていたのかと思った。偶然、つくば都市交通センター発行の『TUTC Library 46』(2017年3月)を手にし、「つくば中心市街地」の地図を目にした時だ。私は、東西南北の大通りに囲まれた長方形のエリアをつくばセンター地区(中心市街地)と認識していたが、この地図には松見公園が加えてあった。さらに、中心市街地は「つくば都心地区」と「つくばセンター地区」に分けられていた。出典はつくば市ホームページなので、正式なものだろう。

長年、センター地区で市民活動に従事する人やNEWSつくばの記者に尋ねたところ、「つくば都心地区」の名称を誰一人知らなかった。私は、松見公園がセンター地区から外れているのが前から気になっていたので納得したが、しかし待てよと思い、今年7月に発行された『つくば中心市街地まちづくりヴィジョン』を取り出し、裏面の「つくば中心市街地エリア」の地図を見た。そこには、北側の筑波大学附属病院、南側の物質・材料研究機構が組み込まれていた。つまり、中心市街地エリアはどんどん広がり変化してきているのだ。

この変化は、周辺市街地に暮らす人々にはどう映るのだろうか。多分、自分の住む所が中心地であり、我関せずと冷めて見ているのに違いない。いや、ほとんどこの事実を知る人はいないのではなかろうか。

雷蔵の『眠狂四郎』 勝新の『座頭市』

中心と周辺のことを考えると思い出すことがある。日本映画界が斜陽産業と呼ばれた1960年代に人気のあった、大映スター市川雷蔵と勝新太郎だ。雷蔵は『忍びの者』『陸軍中野学校』『若親分』、勝新は『悪名』『兵隊やくざ』『ど根性物語』と、多くのシリーズ物で主演を務めた。(※今ではカツライス劇場と言われるが、当時はそんな表現は聞かれなかった)

中でも、雷蔵の茶髪浪人『眠狂四郎』と勝新の盲目やくざ『座頭市』シリーズは、大映美術のセット、衣装、小道具と撮影部の陰影のある照明に支えられ、現在では再現不可能な芸術的な映像に仕上がっていた。

この2大シリーズには、制作会社によりある工夫が施されていた。武家社会の理不尽さを暴く眠狂四郎は、主に江戸を中心に活躍する。悪徳やくざを懲らしめる座頭市は、江戸周辺を旅する。(※座頭市は笠間出身で筑波の北条育ちの設定) このことで、2つのシリーズの背景に絶妙な変化が生まれた。

だが、その工夫を知ったのは何十年も過ぎてからである。気付くはずがない。2人の個性を象徴するような、眠狂四郎の円月殺法と座頭市の逆手居合い切りの殺陣が、あまりにも魅惑的なため、異なる舞台背景まで思い至らなかったからだ。

そう、私は間違っていたのだ。中心市街地、周辺市街地などと語っていては、肝心なことを忘れがちとなる。魅惑的なキャラクターや物語が生まれてくれば、中心と周辺の違いなど気にならなくなる。

だから、この連載も、つくばセンター地区、いや、中心市街地にこだわるのは止めにしようと思う。団員たちもきっと理解してくれるだろう。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

《好人余聞》13 「わたしが幸せやパワーをいただいています」マタニティーペイントアーティスト みそけいえっこ さん

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みそけいえっこさん

【コラム・オダギ秀】人生という旅の途中で出会った人たち、みんな素敵な人たちでした。その方々に伺った話を、覚え書きのように綴りたいと思っています。

お腹に絵を描くというと、滑稽な宴会芸のようなイメージを抱く人がいるかも知れない。だが、赤ちゃんを宿している妊婦さんのお腹に素敵な絵を描き、たくさんの幸せを作っているイラストレーターがいる。マタニティーペイントアーティスト みそけいえっこさん、つくば市の意欲的なクリエイターだ。

「妊婦さんのお腹に、安産祈願や幸せを祈ったり、家族の思い出としてイラストを描くんです。縁起のいい絵とか家族の笑顔とか。日本では、まだそれほど知られていませんけど、欧米では人気なんですよ」

みそけいさんはこの仕事を始めて7年ほどになり、認定資格も持つベテランだが、始めのうちは戸惑いもあったと言う。マタニティーペイントならではの難しさもあるらしい。

「妊婦さんのお腹って、意外に丸いんです。通常は平面に描いているから、そこにどう絵を描くか苦労します。構想していても、お腹に向かってみたらおヘソの位置が違っていたり、立ち上がったら赤ちゃんの重みでお腹が下がり長い絵になってしまったり。描いていると、思った以上に赤ちゃんは、お腹の中で動いたりするんですよ。もちろん絵の具も安全なものを使わねばなりませんし、妊婦さんの身体に負担を掛けないように、短時間で完成することも大切です」

掛け替えのないいい仕事

お腹に絵を描かれるというのは、気持ちが好いらしい。

「眠られてしまうこともよくあります。赤ちゃんは元気で、グニュグニュしたりしてるのに、お母さんは寝てしまうんですよ」

やがて、その赤ちゃんがお誕生を迎え、2人目の赤ちゃんのペイントを依頼された時に一緒に来られて、周りで飛び跳ねていたりすると、マタニティーペイントという仕事をする幸せを、最高に感じるそうだ。

急に、みそけいさんは背筋をすっと伸ばすと、ひときわ真顔で言った。

「マタニティーペイントする方というのは、幸せな人なんです。新しい命を宿している人だから、エネルギーやパワーをたくさん持ってらっしゃる。その元気や幸せを貰っています。それをまた、たくさんの方にお返ししたい。私自身が、幸せな、掛け替えのないいい仕事に携われたと思っていますから」(写真家)

▽みそけい えっこ:電話:080-6754-1867  メール:ecco.bellypaint@gmail.com HPはこちら

《続・平熱日記》27 「ミトチャ」(美味しい)は幸せ

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【コラム・斉藤裕之】ある日のランチタイム。牛久のネパールカレーの名店DIPIKAでいつものキーマカレーを注文。「うむ?」いつもと違う味がする。さてはスパイスの配合でも間違えたかな。1週間後、またランチに訪れた。いつものキーマカレーをクールに注文。「いつもの味と違う!」。

これではっきりとしました。DIPIKAのコックに非はありません。私の味覚がぶっ壊れていたのです。何となくおかしいとは思っていました。みそ汁の味やそばのつゆがちっとも美味しくない。特に舌の先端や両サイドに妙な違和感があって、何を食べても思い描く味と違うのです。

なになに… 味覚障害は亜鉛不足が原因? 急に食生活が変わったとか思い当たる節もないのですが、とりあえずドラッグストアでサプリを買って飲んでみました。結果、効き目ナシ。このような状態で1か月が経ちました。胃の手術を経験した私にとって食事はとても大切な営みです。このまま不幸な食事を続けるわけにはいきません。

キーマカレーの味が回復

しょうがない。病院へ行こう。「こりゃ多分鼻が原因ですね」。かなり深刻な面持ちの私に、間髪入れず言い渡された意外な診断。「は・な?」。確かに人間の体は複雑につながっていて、例えば肩こりの原因が歯並びなんてことはあるようですし、嗅覚と味覚は密接な関係があることは事実。

しかし私が、確実に舌がヘンだと主張するのを意に介さず、原因は鼻だと断言するお医者さん。「はーそうですか」。従うしかない私は、鼻に蛇腹のパイプのようなものを装着し気体を吸入。処方された薬は特に変わったものでもなさそうですが、騙されたと思って飲むしかありません。

以前、嗅覚の障害は障害としては重いものだと聞いたことがあります。例えば、腐ったものを食べたり、ガス漏れに気が付かなかったりと、生命に関わることがあるからだとか。電車の優先席には、見た目に明らかなハンディキャップの絵がデザインされていますが、見えざる障害というのも案外多いのでは。

さて1週間が経ちました。途中2錠服用の薬を1錠しか飲んでいないのに気づき、効果が危ぶまれましたが…。完全復調ではないものの味覚は戻りつつあります。それを確かめるには、いざDIPIKAへ。いつものキーマカレーを口に運びます。「ネパール語で美味しいはなんていうの?」「ミトチャ」です。「ミトチャ イズ ハッピーね!」。(画家)

《邑から日本を見る》29 「日本が売られる」を読む

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【コラム・先﨑千尋】今月1日、山口県周防大島町の水道が40日ぶりで復旧し、住民に安心が戻った。この映像をテレビで見て、私たちの心もなごむ。水は私たちの暮らしに不可欠なもの。水がなければ生きていけない。私たちの先祖は井戸を掘り、湧き水や雨水を利用し、生きてきた。しかし今はほとんどが公営の水道に頼っている。水はタダではなく、しかも自分の力では得られなくなってしまっている。

その水道が民間企業に売られようとしている。先週の国会で水道法改正案が可決し、水道事業の民営化が可能になる。この改正案は、経営悪化が懸念される水道事業の基盤強化が目的。国会では野党から、民営化は誰のために行うのかと厳しい意見が出されたが、与党は数の力で押し切った。企業は金もうけだけ。民営化されれば、外国の事例でわかるが、水道料金は確実に上がる。

今国会では漁業法も改正され、多くの零細漁民が持っている漁業権が民間企業に売り渡されようとしている。ゴーンさんの逮捕劇や、相変わらずのトランプ大統領の派手な動きなどに気を取られ、国民の多くが気付かないうちに、こっそりと大切なものが奪われている。

水道、農地、種子、教育、福祉、医療……

こうした折、堤未果作『日本が売られる』(幻冬舎新書)を手にした。まえがきに「次々に売られてゆく大切なものは、絶え間なく届けられる派手なニュースにかき消され、流れてゆく日常に埋もれ、見えなくなってしまっている」とある。まさにその通りだ。

本書によれば、「売国」とは「自国民の生活の基礎を解体し、外国に売り払うこと」。国民の命や安全、暮らしに関わる水道、農地、種子、警察、消防、物流、教育、福祉、医療、土地などのモノやサービスを、安定供給する責任を放棄して、市場を開放し、外国人にビジネスとして差し出すことだ。

経済学者の宇沢弘文氏が「社会的共通資本」と呼んでいた土地、水道、空港に鉄道、森林や学校、病院、福祉施設などが投機、金もうけの対象となり、次々にハゲタカ企業の手に入っていく。

本書は「日本人の資産が売られる」「日本人の未来が売られる」「売られたものは取り返せ」の3章から成る。資産として売られるものとして著者があげているものは、冒頭で触れた水、土、タネ、ミツバチの命、食の選択肢、牛乳、農地、森、海、築地。日本人の未来としては、労働者、日本人の仕事、ブラック企業対策、ギャンブル、学校医療、老後、個人情報がある。

言われてみれば、入管法改正案の拙速な審議、カジノ法の成立と大阪万博の誘致など、思い当たることが目白押しだ。

しかし、あきらめるのは早い。「売られたものを取り返せ」「今が未来へギアチェンジする時だ」と、著者はイタリア、マレーシア、ロシア、フランス、スイス、アメリカの草の根政治改革、消費税廃止、水道公営化、消費者と協同組合のタッグ、子どもを農薬から守る母親の運動などを紹介している。

最後に、「売らせない日本」のために、私たちの一瞬一瞬の選択が未来へのギアを入れ直すことになる、と訴えている。(元瓜連町長)

《食う寝る宇宙》27 宇宙天気の故郷 茨城県平磯

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【コラム・玉置晋】平成7年夏、高校2年の僕は勝田駅のホームで茨城交通湊線(現ひたちなか海浜鉄道)への乗り換え待ちをしていました。宇宙好きは今も昔も変わらないけど、当時の僕は悩んでいました。将来は宇宙物理の研究者にでもなろうかと気軽に考えて、進学校に入ったはいいが、成績は低空飛行。特に物理はひどいもので、中間試験で脅威の7点/100点満点をたたき出し、こりゃ、宇宙物理学者になるには少々頭が足りないのかもしれないと悲観しておりました。

平磯宇宙環境センター」

いや、今振り返ると、高校の勉強などは限定的な要領の問題であって、研究の能力とは全く異なることを教えてやりたいですが、高校生の視野などそんな程度です。そんな僕は、自分を慰めたかったのか、宇宙の研究者とお話をして自分の窮状を訴えるために、平磯へと向かいます。

平磯には、通信総合研究所(現情報通信研究機構)平磯宇宙環境センターがありました。1915年に逓信省電気試験場として発足、戦後は郵政省電波研究所の平磯電波観測所となり、89年に平磯宇宙環境センターとなりました。太陽フレアが発生すると地球の電離層が乱され、短波通信が途絶することがあり、これを監視する拠点が平磯センターでした。茨城は宇宙天気の故郷なのです。

その日は平磯宇宙環境センターの年に1度の一般公開。湊線はサツマイモ畑の中を走り、最寄りの磯崎駅に降り立つ。ぎらつく夏の太陽を背に海沿いを30分ほど歩く。幼いころに父と何度も来た平磯海岸。ここは白亜紀の地層が露出した珍しい地域で、なぜだか分かりませんが、僕はこの白亜紀層はひっかかるところがあり、父に連れていくようせがんだものです。

きっと、太古の記憶がそうさせているのでしょう。そんな思い出深い地に平磯宇宙環境センターはありました。研究者の方に進路相談をした後、一般公開の来場者のために置かれたノートに「いつか、ここで働きたいので、それまで継続してください」と書いたのは僕です。

間に合わなかった

その後、僕は大学、大学院で宇宙を学びましたが、平磯の地に立つことはありませんでした。頭の片隅で平磯の宇宙天気のお仕事に関われたらと思っていましたが、平磯宇宙環境センターは老築化と研究拠点の集約のために2009年に無人化、15年に開設100年目の節目で役目を終えました。間に合わなかった。

2019年より、僕は宇宙天気防災の勉強を本格的に始めるつもり。いつか平磯の地に立ち、宇宙天気防災に関わる活動ができないかと夢を描いています。(宇宙天気防災研究者)

《地域包括ケア》25 健診による生活習慣病予防が大切

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【コラム・室生勝】私たち高齢者の公園での朝のラジオ体操は、寒さによる血圧上昇に配慮して、12月から3月末まで休みに入る。私は63歳で高血圧に気づき、それ以来、高血圧の薬を服用しているが、寒い季節になってくると、毎朝測る血圧は高くなり、薬は暑い季節の3倍の量になる。82歳ともなれば動脈硬化が進んでいるので、寒さによる血圧の上がり方が大きい。血圧は加齢とともに上がってくる。

若いころ血圧は正常だったという人が、65歳の退職後に健診(健康診査)を受けたところ、高血圧を指摘されたが、他の検査は異常がなかったので、気にせずゴルフを楽しんでいた。健診を受けて6カ月後の冬の寒い朝、ゴルフ場でめまいが起きて倒れ、緊急入院した。

診断は脳梗塞で、右半身の麻痺があった。歩行はできず、ADL(日常生活動作)は排尿・排便、着替え、入浴などで一部介助が必要であった。入院3日目からリハビリが始まり、3週間後には歩行器を使って歩けるようになった。回復期リハビリテーション病院に転院し、3カ月間でADLは自立、右手つえ歩行が可能となり退院した。

彼は現役中、欠勤したことはなかった。会社の毎年の健診を数年間受けていなかった。たまに風邪で近所のクリニックにかかっても血圧は正常だった。退社前の空腹時によく栄養ドリンクを飲んだが、喫煙習慣は無かった。帰宅はいつも9時近くで、入浴後に晩酌を楽しみながら夕食を取った。就寝は10時半ごろ、朝5時までぐっすり眠った。身長165㌢、体重67㌔は40歳ごろから徐々に太り、20年間で18㌔増え、退職時には85㌔であった。

2の人生の明暗を分ける鍵

退院時の介護認定で要介護1と判定された。デイケア(通所リハビリ)を週2回利用したが、老人ばかりでリハビリに熱心に取り組む人はおらず、ひとり頑張って励んだ。1カ月間、デイケアに通ったが、リハビリ以外のレクリエーションが幼稚でばからしく通所を止め、訪問リハビリを週1回に切り替えた。4カ月間の入院で体重は8㌔減り、右上下肢筋力は幾分回復し、右手につえを持って右足先をやや引きずるように歩けるようになった。

彼は脳梗塞について担当医から説明を受けた。仕事のストレスによる高血圧、脂質異常症(LDLコレステロールは高くなかったが中性脂肪が高値)、高血糖(前糖尿病状態)、肥満などの動脈硬化促進因子が原因で、喫煙していなかったことから軽症脳梗塞で済んだと慰められた。

動脈硬化促進因子が重なって発病する心血管疾患(心筋梗塞や脳梗塞)は、食生活の欧米化や運動不足による肥満症の増加に比例して30歳代から発症している。現役世代からの健診による生活習慣病(高血圧、脂質異常症、糖尿病、高尿酸血症など)予防や治療が大切である。それが第2の人生の明暗を分ける鍵となる。(高齢者サロン主宰)

《宍塚の里山》28 田んぼの学校 12月は「かかし送り」

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田んぼに立つかかし

【コラム・及川ひろみ】田んぼの学校は、稲作とそれに伴う伝統文化、食農教育、里山の自然、田んぼの環境などを学ぶ場です。同時に、稲作や行事に大人も子供も一緒に取り組む、協働の楽しさを味わう場でもあります。4月の開校式に始まり、1月の伝統行事「ならせ餅」で終了します。

春の種もみ蒔きに始まり、田植え、草取り(除草剤を使いませんから様々な草が生えます)、生き物調査、鎌を使った稲刈り、脱穀、餅つき—。その間、「さなぶり」(田植えが終わったときに、豊作を願い、手伝ってくれた人をもねぎらう行事)、「かかし作り」「かかし送り」など、年10回ほど、コメにまつわる食が楽しめる行事を行っています。

里山を訪れる方を迎えているのが、田んぼに立つ色とりどりのかかしたちです。夕暮れ時、人々が帰宅し、人気(ひとけ)がなくなった里山にたたずむ1本足のかかし。この季節になると、里山のにぎわいの余韻を残すかのようです。

このかかし、8月初め、田んぼの学校に参加する親子が、竹を十字に組んで縄で結び、稲わらで顔を作り、白い布をかぶせ、思い思いの顔を描きます。バザーで売れ残った明るい派手な服をまとい、帽子や手袋、小道具まで持たせたハイカラなかかしたち。それぞれに名前をつけて立てました。

篠竹餅をクルミ味噌で食べます

1カ月ほど前、刈り取った稲をオダに干し乾燥させました。その稲束を、子どもたちが足踏み脱穀機で、ガーコンガーコン脱穀しました。足で回転させながら稲束を入れますが、去年も参加した子どもは体が覚えているようで、実に巧み。もちろん、事故が起こらないよう、大人たちが見守る中で行います。

稲束を干したオダも片付けられ、田んぼは冬の装いになりました。稲を見守り続けたかかしたちとも別れのとき。今年の「かかし送り」(かかしを天に送る行事)は12月8日になります。

雨の日も風の日も、田んぼを見守ってくれたかかしへの感謝のことばを、子どもが大声で述べてから、かかしの焚き上げが始まります。火を囲み、皆で歌い踊り、大根、カブ、ミカン、サツマイモを焼きます。また、収穫したもち米とうるちの米の粉を蒸し、餅のようにしたものを篠竹(しのだけ)に巻いた「篠竹餅」も焼き、クルミ味噌やゆず味噌でいただきます。

合間を縫って、子どもたちは木登りやロープゲームなども楽しみ、体がすっかり温まり、日が傾いたころ、祭りは終わります。毎年、70~80人が楽しんでいます。(宍塚の自然と歴史の会代表)

《光の図書館だより》13 おかげさまで1周年 高校生の利用が激増

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夜の土浦市立図書館=JR土浦駅西口横

【コラム・入沢弘子】土浦市立図書館は、去る11月27日に移転開館1周年を迎えました。これまで来館された約60万人の皆様に心より感謝申し上げます。また、日ごろボランティアとして運営にご協力いただいている市民の皆様、図書館を支えてくださる事業者や関係機関の皆様に御礼を申し上げます。

この1年間の利用者動向と利用者アンケートを分析したところ、新たな傾向を把握することができました。旧図書館と比べた大きな変化は3つあります。青少年の利用激増、貸出冊数の増加、10代学生の利用増加—です。

1つ目の青少年の利用ですが、年齢別新規登録者数を見ると、16~18歳が旧図書館と比べて82倍、13~15歳が同45倍、10~12歳が同16倍と、小学高学年~高校生年代の登録が大きく増えました。

この理由としては、学習室利用の予約制導入が大きいと考えられます。彼らは自習利用だけでなく、本も読むようになりました。年齢別貸出冊数で一番伸びたのは16~18歳で、約6倍に増えました。

2つ目の貸出冊数の増加では、年間約59万5000冊の貸し出しがあり、市民1人当たり4.26冊と、旧図書館の1.94冊と比べ2.2倍になりました。来館しやすい場所、開放的な書架の設置—などが要因と考えられます。

3つ目の10代学生の増加については、毎日実施しているアンケート調査792通の分析結果から明らかになりました。回答者の4割が10代、8割が徒歩や自転車で来館する市内在住学生というプロフィール。彼らは週に2回程度来館し、1回の滞在時間は30分~2時間が6割でした。

来館目的は本や雑誌の閲覧や借用で、図書館内の環境、スタッフの対応に高い満足度を示しています。自由回答欄に寄せられたご要望を、可能な限りすぐに改善してきたことが報われました。若い年代が図書館に関心を示し、調査に積極的に回答することはうれしい限りです。

駅前周辺の歩行者も大幅増

図書館の周辺もにぎわいが感じられるようになってきました。速報値ではありますが、市が毎年11月に実施している交通量調査でも、アルカス土浦をはじめとする駅前周辺の歩行者の増加が見られます。

市役所が駅前に移転した4年前と比較すると、休日が約150%増(8200人増)、平日が111%増(3250人増)となりました。アルカス土浦の完成により、図書館や市民ギャラリーへの休日の来訪者が増えたと考えられます。

開館前は、「駅前再生最後の切り札」「にぎわい再生起爆剤なるか」などの報道に不安を感じた日々でしたが、1年経過した現時点ではひとまず安堵(あんど)しているところです。

今月から2年目。“ご祝儀”の時期は終わり、これからは真価が問われます。土浦の図書館として何をするべきかを考えながら、地元の皆様に末永く愛される図書館づくりを目指してまいります。年末は28日まで、年始は1月5日から開館しております。来年も土浦市立図書館をよろしくお願い申し上げます。(土浦市立図書館館長)

《くずかごの唄》27 地域医療と自然保護 佐賀さんの活躍

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【コラム・奥井登美子】世界湖沼会議サテライト土浦の発表前に、念のため「土浦の自然を守る会」47年の歴史を振り返ってみた。何といっても一番大きな事件は、霞ケ浦水道水の取水口のすぐ前に出来た企業の排水問題だったと思う。私は、霞ケ浦の水道水の安全が保たれたのは、佐賀純一さんのおかげで、彼は地域医療の一番の功労者だと思っている。

1980年、霞ケ浦の水道水の取水口のすぐ前に、半導体会社の排水口ができ、県はそれを許可してしまった。その排水口を見に行ったが、水道の取水口の目の前に、口径1㍍の大きな土管がドカンと居座っていた。

当時は、半導体会社がどういう企業で、何を排出するかは企業秘密で社会的にも公開されていなかった。県が許可した排水のフローシートは、酸、アルカリ、中和、霞ケ浦放流—というまったく簡単なもので、酸、アルカリの成分も、ぜんぜん決まっていない。排水口の位置からすると、どんなに微量な成分でも、水道の取水口に入る可能性が大きい。

「大勝利を納めた一瞬」

私は森永ヒ素ミルク事件を思い出していた。母の弟、叔父が当時、森永の本社に勤めていたが、何日も家に帰れずに、悲痛な顔で対策に没頭していた。一方、主人の兄の奥井誠一は、東大の衛生裁判化学の助教授で毒物に詳しく、私はこの兄からヒ素毒のもろもろの不思議な事件を聞いていた。そして、ヒ素以外にも、そういう種類の毒物が産業の進展に伴って出現するに違いないと、疑ってもいた。

佐賀さんが、環境研究所の資料の中から、半導体会社の無排水クローズドの資料を発見し、この企業は、私たちの要望を取り入れて、莫大な費用をかけて、日本では始めての半導体企業の排水のクローズドを実現したのだった。

当時のNHK記者・中川さんの手記には「夏の暑い日のことでした。美浦村に建設中の工場の仮事務所で、守る会の人が企業の会長に1通の質問書を手渡しました。これが、守る会が排水問題に挑み、大勝利を納めた一瞬とは誰が想像したでしょうか。TVニュースで取材しながら、霞ケ浦の歴史の生き証人になったことを誇りに思っています」と記されている。

霞ケ浦の自然保護にも地域医療にも、歴史があることを再確認したのだった。(随筆家)

《土着通信部》26 つくば発「民家再生のはじめかた」の記録

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ガラクタ掃除中の「月出庵」(2005年撮影、不破正仁さん提供)と著作

【コラム・相沢冬樹】2005年の夏、つくば市東部の農村集落、吉瀬(きせ)に、古民家再生に取り組むグループが立ち上がった。Co-民家再生団という。吉瀬在住の根本健一さんの呼び掛けに集まったのは、集落に拠点を置く地域コンサルタントの経営者と研究員、若手日本画家、古布収集家、そして2人の筑波大学院生、合わせて7人の陣容。挑むのは無人のまま長年放置された廃屋同然の古民家、「月出(みかづき)庵」と名づけ、掃除と草むしりに明け暮れる再生プログラムに乗り出したのだった。

この取り組みから10年余り、2人の大学院生は今、仙台と鹿児島の大学で仕事に就いている。東北工業大学工学部建築学科講師、不破正仁さん(42)と鹿児島大学工学部建築学科准教授、小山雄資さん(37)。2人は、当時の鮮烈な体験が忘れがたく、今回共著で1冊の本をまとめあげた。『民家再生のはじめかた~そうじから紡がれるものがたり』(人と住まい文庫、2018年)である。

「そして、掃除がはじまった。まずは、建物に入れるかどうかだ。たくましげなオヤジたちがその建物の雨戸と思しき小さな戸をガシガシと開ける。押しても引いても動かない雨戸は、まず下のほうを蹴り上げながら上部をものすごい勢いでたたいていく。それでも動かない場合は鴨居をジャッキアップする。そうして戸がはずれ、部屋に光が差し込み始めるのである」(本書)

着手は酷暑の7月、ごみやガラクタ、建物内に生えた樹木やカビを除去する作業は悪戦苦闘の連続となった。さらに炎天下での草むしり、木枯らしの中での落ち葉掃きが続けられた。こうしたハードウェアとしての建物の再生を通じて、グループ内の考え方や地域との人間関係などのソフトウェアが整理される。居住まいを正した農村住宅は、イベント会場や農村カフェなどの企画が催されるコミュニケーション空間になっていく。

「そうじ」は継続の処方

本書は記録と記憶のドキュメンタリーである。建物の隅々に刻まれたモノとコトを一つひとつ取り出しては、体験的に思い入れを語っていく。月出庵での取り組みは3年間だったが、Co-民家再生団の活動は土浦市虫掛など周辺の農村集落にも及んだ。必ずしも文化財的な価値が見出される建物ばかりではなかったが、どんな場所でも徹底して「そうじ」にこだわることで見えてくる景色があった。

「そうじは、遺産を発見する機会であるにとどまらず、継続的な営みとして建物の価値を発見・創出していくプロセスに位置づけられるのである」(本書)

一連の取り組みはやがて大学研究室の後輩たちに引き継がれ、各地に実践例を残していくことになる。「月出庵」自体も、再び民家再生の拠点として、新しい担い手にバトンタッチされようとしている。それはまた、別の「ものがたり」のはじまりである。(ブロガー)

▽「民家再生のはじめかた~そうじから紡がれるものがたり」(A5判48㌻、税込み1,080円、西山夘三記念すまい・まちづくり文庫刊)問い合わせ:電話0774-73-5701  http://www.n-bunko.org/

《吾妻カガミ》45 カルロス・ゴーン 哀れなヒーロー

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霞ケ浦総合公園の釣りをする少年像

【コラム・坂本栄】メディアでは連日、カルロス・ゴーンの強欲振りが話題になっています。ゴーンといえば、彼が日産に乗り込んでからしばらくして、インタビューしたことがあります。私は当時、通信社の企画記事の責任者でした。何か元気が出る新年用のメニューはないかと考えていて浮かんだのが、ゴーン社長とのQ&Aでした。表情豊かな顔写真を4~5枚添えた長文の記事は大ヒット、多くの地方紙に使ってもらいました。

成功が生んだ傲慢

このインタビューの後、彼は雑誌にも顔を出すようになり、コスト・カッターとして日産再生のヒーローになりました。ただ私は、彼を英雄視するのはいかがなものかと思っていました。経費カットで利益を出すのはそう難しくないからです。日産のような会社では特にそうでした。

ゴーン登場のずっと前、20代のときに自動車を担当しましたが、当時の日産トップは大手銀行出身で、組合が幹部人事に口を出すという会社でした。そんな組織でしたから、あちこちぜい肉が付いていたと思います。内部の人にとってコスト切りは容易でありませんが、外国人の再建屋にとっては正義です。難しい仕事ではなかったでしょう。

バブル崩壊後の当時、いろいろな過剰を減らすことが企業経営に求められていました。ゴーンはそうした状況を追い風に、日産のV字回復を演出したわけです。でも、その大成功が傲慢(ごうまん)を生むことになりました(インタビューのころはまだ謙虚でしたが…)。

ただ、彼が年俸と同額をリタイア後にもらえるよう差配していたことには、同情しています。ルノー・日産・三菱グループ級のトップ報酬としては国際標準だからです。グローバルビジネス界の常識の半額では、プライドが許さなかったのでしょう。結果、カネ、カネ、カネの人になってしまい、哀れを感じます。

日仏自動車バトル

ルノー・日産・三菱グループにとっては、ゴーン後が問題です。日産はルノーに救済され、三菱は日産に救済され、3社はアライアンス(連合)を形成していますが、日産は「俺が1番だ(経営内容は1番よい)」と言い、ルノーは「俺が親だ(日産株の4割を抑えている)」と言っているからです。

これまでは、良くも悪くもゴーンという権力者が連合を仕切ってきました。大手銀行に捨てられた日産をルノーが拾い、大手企業グループに見捨てられた三菱を日産が救ったのですから、当然です。でも日産が力を付け、親のルノーを軽視するようになり、厄介なことになりました。

ゴーンは、連合形態では投資に無駄が多いと、ルノーが支配する1社化(合併)を考えていたそうです。競争激烈な業界ですから、生き残り策としては当然です。そうはさせないと、日産はゴーンの強欲スキャンダルを暴露しました。ルノーVS日産。これに日仏の政府が絡み、複雑なバトルになりそうです。(経済ジャーナリスト)