【コラム・奥井登美子】世界湖沼会議サテライト土浦の発表前に、念のため「土浦の自然を守る会」47年の歴史を振り返ってみた。何といっても一番大きな事件は、霞ケ浦水道水の取水口のすぐ前に出来た企業の排水問題だったと思う。私は、霞ケ浦の水道水の安全が保たれたのは、佐賀純一さんのおかげで、彼は地域医療の一番の功労者だと思っている。

1980年、霞ケ浦の水道水の取水口のすぐ前に、半導体会社の排水口ができ、県はそれを許可してしまった。その排水口を見に行ったが、水道の取水口の目の前に、口径1㍍の大きな土管がドカンと居座っていた。

当時は、半導体会社がどういう企業で、何を排出するかは企業秘密で社会的にも公開されていなかった。県が許可した排水のフローシートは、酸、アルカリ、中和、霞ケ浦放流—というまったく簡単なもので、酸、アルカリの成分も、ぜんぜん決まっていない。排水口の位置からすると、どんなに微量な成分でも、水道の取水口に入る可能性が大きい。

「大勝利を納めた一瞬」

私は森永ヒ素ミルク事件を思い出していた。母の弟、叔父が当時、森永の本社に勤めていたが、何日も家に帰れずに、悲痛な顔で対策に没頭していた。一方、主人の兄の奥井誠一は、東大の衛生裁判化学の助教授で毒物に詳しく、私はこの兄からヒ素毒のもろもろの不思議な事件を聞いていた。そして、ヒ素以外にも、そういう種類の毒物が産業の進展に伴って出現するに違いないと、疑ってもいた。

佐賀さんが、環境研究所の資料の中から、半導体会社の無排水クローズドの資料を発見し、この企業は、私たちの要望を取り入れて、莫大な費用をかけて、日本では始めての半導体企業の排水のクローズドを実現したのだった。

当時のNHK記者・中川さんの手記には「夏の暑い日のことでした。美浦村に建設中の工場の仮事務所で、守る会の人が企業の会長に1通の質問書を手渡しました。これが、守る会が排水問題に挑み、大勝利を納めた一瞬とは誰が想像したでしょうか。TVニュースで取材しながら、霞ケ浦の歴史の生き証人になったことを誇りに思っています」と記されている。

霞ケ浦の自然保護にも地域医療にも、歴史があることを再確認したのだった。(随筆家)