【コラム・山口絹記】図書館で調べ物をしていると、覚えのある詩の一節が目に入った。

君知るや南の国

レモンの木は花咲き くらき林の中に

こがね色したる柑子(こうじ)は枝もたわわに実り

青き晴れたる空より しづやかに風吹き

ミルテの木はしづかに ラウレルの木は高く

雲にそびえて立てる国や 彼方へ

君とともに ゆかまし

ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』である。

南の国とは、当時の多くのヨーロッパの人々にとっての憧れの地、イタリアのことだ。レモンは、憧れの象徴だったのかもしれない。

レモンと言えば、私の母の実家にはみかんの樹が植えられていて、この時期になると実がなるのだが、これが驚くほど酸っぱい。見た目はグレープフルーツのようだが、味は苦味のあるレモンに近い。

10年ほど前のことになるが、私は母の実家で祖母と2人(と黒猫1匹)で暮らしていた時期がある。ある日、このみかんの実を両手いっぱいに収穫して帰ったことがあった。

何も知らずに実を頬張った私が、あまりの酸味に悶絶(もんぜつ)していると、祖母が部屋に入ってきた。机の上に山積みになったみかんを見ると、「ジャムにしましょう」と言うのだ。きっと祖母も食べてみたことがあったのだろう。先人の知恵である。

大量のジャムが出来上がると祖母は、「チーズケーキに添えて食べたい」と言い出した。夕方からケーキを焼き始め、結局一日がかりの作業になってしまったのだが、私は祖母と気まぐれに過ごすあの時間が好きだったのだと思う。

しかし、あのみかんは何という品種なのだろう。あの酸味、まさか市場に流通していたものではあるまい。

ピジンとクレオール

寄り道が好きな私は、ゲーテを横に置いて、みかんについて調べ始めた。

ミカン属というのは、もともとはマンダリン、ブンタン、シトロンという3種だけの小さな属だった。ミカン属は異なる種間でもおおむね他家受粉が可能で、発芽する種子ができる。例えばオレンジはマンダリンとブンタン、グレープフルーツはブンタンとオレンジ、レモンはシトロンとブンタンの交配種、というように。数百年にわたる交配と突然変異により、今ではオレンジだけで4千種は存在するらしい。

なんとも雑、いや、寛容な植物ではないか。そして、あのみかんの出生を本気で調べるのは、やめておいたほうがよさそうである。きっとどこかで交雑してしまった野良みかんなのだろう。

言語学には、ピジンとクレオールという用語がある。異なる言語が交わる過程と、それが定着したものを表す用語だ。

いくつもの言語が混ざり合い、もととなった言語は吸収されたり、または消えてしまったりして、そういったものたちの上に残ったものを、私たちは話しているのかもしれないのだ。そして、これからもみかんの味わいのように変わっていくのだろう。

変わっていくことが必ずしも幸せなことなのかは、私にはわからない。しかし、交わり変わることができるという、ことばの寛容性が、私の研究における憧れの地なのだ。(言語研究者)