火曜日, 4月 22, 2025
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《邑から日本を見る》31 狂っている「ふるさと納税」

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飯野農夫也氏の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】ここしばらく、世の中が乱れている、狂っていると思われることがたくさんある。その一つに「ふるさと納税」がある。テレビやネットでの返礼品のコマーシャル。過熱した返礼品競争に国は重い腰を上げ、この3月から「調達費が寄付額の3割以下の地場産品」という返礼品の基準を守らない自治体への寄付は制度外とする、と決めた。

今、多くの人は自分の生まれ育ったところから離れて暮らしている。懐に余裕ができ、育ててくれた故郷に恩返しをしたい、寄付をしたい。そう思う人は前からいた。美談もあった。私は、10年前にスタートした「ふるさと納税」はそれを制度化したものと思い、素朴にいいことだなと見ていた。

この制度の建前は、「応援したいと思う自治体に寄付ができる制度。地域貢献につながるだけでなく、地域の特産品がお礼の品としてもらえる。税金控除も受けられる」ということだ。その額は、昨年、全国で3653億円、茨城県は89億円に達したそうだ。市町村別の最高は大阪府泉佐野市の135億円で、茨城では境町の21億6千万円だ。私の住んでいる那珂市はわずか2107万円しかない。

くせものはお礼の品だ。ネットで検索すると、ありとあらゆる分野の品々が出てくる。泉佐野市の場合、なんと1397もある。肉、羽毛布団、ビール、オロナミン、ウーロン茶、旅行券、美容など、何でもそろっている。まるで通販のカタログショッピングだ。つくば市も酒、ハム、菓子、ホテル宿泊券などの定番のほかに、宇宙食セットやフォレストアドベンチャー体験チケットなど112ある。どこかは確認していないが、アマゾンのギフト券まであるそうだ。

目的から離れた返礼品競争

ネットで検索してみると、これを食べたい、あそこへ行きたい、こういう体験もしたい。何でもありだ。さらに、ふるさと納税を宣伝するサイトがいくつもある。

この中には地震や水害の被災地応援のサイトもあるが、返礼品はないせいか、金額はわずかだ。それぞれの自治体にも、寄付金の使途、目的をはっきり指定することもできるが、自分の生まれ育ったところでなければ、大方は、返礼品に目が奪われてしまうのではないかと思いながら画面を見つめた。

この制度が発足した契機は、小泉構造改革で地方が疲弊し、その格差是正を直接図るのではなく、出身地を含む農山漁村へのふるさと意識を高め、都会に住む人々とふるさととの関係を新たに築くことだったと聞いている。しかし現状の返礼品競争は、この目的から全くといっていいほど離れてしまっている。

わずか2000円で全国各地の欲しいものを手に入れられる。しかも、購入枠(寄付額)は高所得者ほど多く、購買力が高い消費者がより大量、格安に購入できる。寄付者と寄付した地域との関係は、サイトを見ている限り、極めて薄いと思わざるを得ない。

1月9日付の「茨城新聞」は、八千代町図書館で、ふるさと納税の寄付金を活用し、利用者が借りた本の履歴を確認できるサービスを始めたことを伝えている。「本の貯金通帳」はわずか150万円でできたそうだ。北茨城市や小美玉市も、イベントの開催など目的を明示した納税を募っている。こういうケースならまあいいかと思うが、返礼品は止めたほうがいい。(元瓜連町長)

《食う寝る宇宙》29 宇宙ビジネスは「早い者勝ち」

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【コラム・玉置晋】2018年12月18日、茨城県つくば市のオークラフロンティアホテルつくばで開催された「いばらき宇宙ビジネスサミット」に有給休暇をとって参加してきました。大井川和彦知事や投資家、県内の宇宙ベンチャー起業家の方々のパネルディスカッションの中で「宇宙利用はハードからソフトに拡がっている」とのコメントがありました。

2000年代に入り、日本でも宇宙ビジネスが活発になりましたが、小型衛星やロケットの開発が主たるものでした。いわゆるハード分野です。今後ホットになるのは、衛星データの利用などのソフト分野だというのが、パネラーの皆さんの意見でした。

さてさて、どの様なアイデアが出てくるのか、僕は楽しみで仕方がありません。宇宙ビジネスの敷居は確実に下がっています。パネラーの1人の言葉を借りれば「早い者勝ち」とのことです。

宇宙から観た謎の大池 

2019年元旦の最初のアクションは、母と散歩で宍塚大池に行くことでした。宍塚大池というのは茨城県土浦市にある池です。元旦の朝は寒く、大池の大部分は凍っていましたが、直径30㍍ほどの円形領域は凍結を免れていました。凍結領域と融解領域の境界を取り囲んで、水鳥200~300羽が羽を休める非常に面白い光景です。

宍塚大池のことは、このサイトのコラム「宍塚の里山」(https://newstsukuba.jp/news/?post_type=column&category_name=oikawahiromi)に詳しく書かれていますのでご覧ください。

僕が土浦市宍塚のアパートに引っ越ししてきたのは2017年7月でした。アパートの周辺を散策しながら、裏山に向かう小道を探検。途中で舗装された道がなくなり、ヤバい、このまま進んでよいのかしら?と携帯していたタブレットでGoogle Earthの衛星画像をチェック。

どうやら、舗装が終わった先にも道が続いており、奥には謎の大池があることがわかりました。それが宍塚大池でした。以来、僕の近所のお気に入りの場所となりました。ちょっとした宇宙利用の成果でございます。

社会人大学院生としてこの2年間、修士論文の執筆に向けてがんばってきました。18年12月中ごろ論文を提出、31日に修了審査会用のプレゼン資料を完成させました。課題のない正月を迎えたのは何十年ぶりだろう。今年は「宇宙天気防災」関係で忙しくなる見込み。なんせ、早い者勝ちですから。(宇宙天気防災研究者)

《地域包括ケア》27 知り合いがいるデイサービスは安心

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【コラム・室生勝】最近、近所の高齢者夫婦世帯の男たちが集まると、自分が倒れて要介護になったとき、連れ合い1人で介護できるのか心配だという話がよく出てくる。特に、80歳代の男たちにとっては近い将来の問題である。

私が高齢者サロンで、高血圧、喫煙、糖尿病、脂質異常症などの動脈硬化の促進因子のことをよく話すので、現在それらを治療中か過去にあった人は、心筋梗塞や脳梗塞を発症しやすいことを心配している。

約20年前に脳梗塞に罹(かか)った80代後半の男性は、奧さんが4年前発症した認知症が1年前から明らかに悪化し、秋には要介護1となった。1日中、彼女の介護で疲れるとよく愚痴っている。

彼は、介護ストレスが原因なのか、血圧が高くなってきたと言う。脳梗塞の再発を思わせる自覚症状があれば、かかりつけ医を受診するが、強い症状であれば救急車を頼むと言っている。救急隊員の目に付くよう、日記帳の表紙に入院希望の病院名を大きく書き、健康保険証と一緒に玄関に置いている。

彼は携帯電話のワンタッチダイヤルの1に119番、2にかかりつけ医の番号、3に市内にいる息子の番号を入れ、入浴時もトイレの中でも手元に置いている。

彼は彼女の認知症が進んできたことを知って、自分が脳梗塞の再発や他の病気で入院する場合のことを考え、彼女がショートステイできる施設を探していた。彼女はデイサービスを一緒に利用していた近所の女性Aさんが秋に転居したからか、デイサービスに行くのを嫌がるようになった。

そこで、比較的近い特別養護老人ホーム(特養)併設のデイサービスを見つけた。幸いにも、同じマンションに住む女性Bさんがそのデイサービスに通っており、同じシニアクラブでよく会話する仲だ。そこで、Bさんと同じ利用日を要望したところ、施設は受け入れてくれた。

迎えの車、施設のゲームも一緒

認知症の人が通所サービスやショートステイを利用する場合は、知人や友人が利用しているか、いい話し相手になってくれる職員がいる施設を選んだほうが適応しやすい。

一般に、デイサービス先で同じ地区の顔見知りの人、同郷の人、同趣味の人がいると、ほっとするらしい。特に認知症の人にとっては安心できる環境であり、記憶力や理解力の低下による不安感を癒す効果もある。地域のシニアクラブや高齢者サロンでの交流は、近くの介護施設を利用する場合にも続いているのだ。

認知症の人が利用したことがない施設でショートステイすることは、大きなストレスとなり不安感をあおる。ショートステイを始める日、施設の夕食まで家族や友人が付き添い、本人が施設に少しなじんでから職員に引き継ぐという話を聞いた。

特養併設のデイサービスを利用している場合は、デイサービスで馴染みになった職員が付き添ってショートステイへ案内してくれれば、本人は安心してショートステイを受け入れてくれるだろう。

新年早々、彼女はデイサービスの迎えの車にBさんと一緒に乗り、施設でもBさんから離れず、ゲームや合唱をしたようだ。帰宅後、彼に笑顔で話したと私に電話があった。その声はいつになく明るかった。(高齢者サロン主宰)

《宍塚の里山》30 里の自然をテーマに「サミット」

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里山サミットの会場

【コラム・及川ひろみ】宍塚の会は、危機的な問題を抱える里の自然をテーマに、オニバスサミット(1992年、国民宿舎水郷大ホール)、里山サミット(93年、土浦市民会館小ホール)、サシバサミット(94年、宍塚小学校体育館)と、3回のサミットを開催しました。

当時、都市近郊の里山は未利用地とも呼ばれ、その価値への理解が希薄でした。里山サミット開催について記者クラブで説明をした際には、記者の方から「里山って何ですか」といった質問が寄せられたほどでした。

オニバスはかつて霞ケ浦でも広く見られ、邪魔者扱いされていた水草ですが、91年、国が発行したレッドデータブックに「絶滅の恐れがある野生生物」として取り上げられ、宍塚大池がその北限の生息地であることが明らかになりました。

そこで、オニバスサミットでは、身近な植物が絶滅の危機にさらされていることを学びました。環境問題に関心のある方が興味を持ち、参加意欲を抱くことを願い、最初に、環境倫理学の第一人者・加藤尚武さんに話していただきました。

里山サミットでは保全学の大家・沼田誠さんに、サシバサミットでは国立歴史民俗博物館当時副館長・佐原眞さんに話していただきました。どのサミットも多くの演者に登壇いただきましたが、どの方も、当時、その分野の先頭に立ち活躍されている方々で、まさにサミット(頂上)といえる内容でした。

1995年には3つの記録・報告書

サミット開催を知らせるために、土浦駅前や各戸ポスティングでチラシを1万枚配布、同時にその分野で活動する全国の市民団体に開催を知らせ、参加を募りました。その結果、オニバスサミットでは、新潟、長野、香川、兵庫など9県から、県内では18市町村から参加者がありました。

これらサミットを通して、都市近郊にまとまった広さを持つ里山が残されていないことが明らかになり、身近な自然を未来に伝えるためには、行政、地元、市民、研究者などが連携して活動することが重要であることが浮き彫りになりました。

95年には「宍塚大池地域自然環境調査報告書」「どんなところ 宍塚の里山」」「里山サミット報告集」を出版、記録を残す活動も行いました。(宍塚の自然と歴史の会代表)

《好人余聞》14 「和菓子屋というより気楽に地元のまんじゅう屋と呼んでほしい」 和菓子職人 伊藤潔さん

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伊藤潔さん

【コラム・オダギ秀】人生という旅の途中で出会った人たち、みんな素敵な人たちでした。その方々に伺った話を、覚え書きのようにつづりたいと思っています。

こんな菓子を作る菓子職人に、ぜひ会いたいと思った。

菓子好きの人には、珍しい菓子ではない。氷のような砂糖の皮膜で寒天の柔らかな感触を包んだ菓子と言えば、ああ知ってるよ、と言いそうだ。

だが、これは違うと、ボクは思った。

薄い氷をパリっと割ると、その下には清涼な水が、春の訪れを待っているようだった。だがそこには、まだ春が近いとは言えない、過ぎ去った季節を懐かしんでいるような控えめな甘さがある。この控えめは、横瀬夜雨の気持ちなのかも知れない。そこに、ほんのりと福来(ふくれ)みかんの香りが漂うから、つくば山麓に汗した思い出が、やさしく包んでくれるのだ。

和菓子・福来氷(ふくれごおり)

菓子の名を福来氷(ふくれごおり)と言う。つくば市の菓子処いとう、福来氷を作る和菓子職人伊藤潔さんにお会いした。

「いつから菓子を作り始めたか、という意識がないんです」

ボクが尋ねると、伊藤さんは首を傾げて笑った。

「物心ついた時から、父の傍でやってましたから、小学校に上がるころには、もう和菓子作りの基本的なことは全部出来ちゃったんです」

だからだろう、潔さんは、お父さんの和菓子店を継ぐのが夢だった。でも、商売を上手くやろうなんて気は、さらさらなかったようだ。

「ただただ美味しいものを作りたかったんです」

寒天ゼリーを砂糖の薄氷で包んだ「福来氷」

それも地元のものを生かして、という思いは強かったようだ。潔さんのお父さんは、筑波山の風情と横瀬夜雨の詩に憧れてつくば市に店を構えた、というから、地元に寄せる思いは、親譲りなのかも知れない。

「福来氷」は、爽やかな寒天ゼリーを、パリパリッと砕ける砂糖の薄氷で包んだ菓子。なかに、香り高い福来みかんの砕片が入っている。

福来(ふくれ)ミカンは、つくば山麓で栽培されている直径3㌢ほどの、爽やかな香りのミカン。日本原産、橘の一種らしい。ミカン栽培の北限と言われる土地で育った、小さな小さなミカンだ。

目立たず控えめに、隅々まできちんと仕上げている菓子は、伊藤さんの心の旅を表しているような気がする。

「目立つの苦手なんです。和菓子店と言われるよりも、気楽に、地元のまんじゅう屋って呼ばれたいんです」

伊藤さんは、福来みかんをいとおしそうに手にすると、恥ずかしげに笑った。(写真家)

▷伊藤潔さんのお店・御菓子処いとう

茨城県つくば市並木3-26-17

電話029-851-0281 FAX 029-851-3028

営業:午前9時〜午後5時30分 定休:月曜、日曜(第3日曜は営業)

《続・平熱日記》29 亥年に思う

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【コラム・斉藤裕之】昨年暮れ、中学生が「先生、おせちって美味くないっすよねえ」って、つぶやいていたのを思い出します。「少年、君の意見は正しい。世間でいかにも『映える』宣伝を広告や映像で流しておったが、君はそのプロパガンダを疑い、自分の意見を信じることができた。確かにおせちはそんなに美味いもんではないと、私も思う」。

正月早々スーパーが開店し、そうでなくても文字通りコンビニのある今日、子供にとっておせちはやたら甘辛い褐色の、年寄り臭い食べ物であることは間違いありません。いや大人にとっても、昔のように正月中食い続けなくてもいいのであれば、2日目のお昼はそろそろ、街道筋のラーメンのジャンクな味が恋しくなるのが普通でしょう。

そうはいっても、手作りのおせちのお重とおつくりと雑煮が並ぶ元旦の食卓は、幸せな1年の始まりに相応しいものです。

イノシシは冬のご馳走 臭みもなく美味

さて今年は亥年。昨年暮れに八郷に引っ越した友人宅を晦日(みそか)に訪ねました。糸を染め紡ぐイクちゃんとひょうたんの作品を作っているカブちゃん。新しい住居は2人の夢をかなえてくれる理想の広さと環境。

別の見方をすれば、ほぼ限界集落というやつですが、この地を選んだ理由の1つは家族構成。2人のほかに大小合わせて数頭の犬。実は迷い犬を保護したのがきっかけで、増えてしまった犬たち。その犬たちの住処探しの結果でもあったのです。このエキセントリックな新住民は、意外にも集落の方々に歓迎されることになります。

住まいのあちこちにある足跡。そう、イノシシが日常的にそこら中を歩き回るというワイルドな環境に、犬たちは有能な抑止力。「イノシシ除けになんだよ」って。犬を散歩させて匂いを振りまくだけでも効果があるそうです。

実はイノシシは冬のご馳走です。臭みもなく脂のさっぱりした肉は美味。うちには、昨年弟から送られた1級品のイノシシのヒレ肉の塊が冷凍されていますが、夫婦2人ではなかなか解凍に至りません。

好奇心の強いカブちゃんは、早速、イノシシ猟に興味を示しています。しかし大変なのは、捕まえたイノシシのその後です。心優しいカブちゃんに、サバくという作業ができるのでしょうか。

うちにはイノシシの頭蓋骨が2つあります。デッサンのモチーフ用にと弟が送ってくれたものです。そのひとつは、恐らく立派な名のある主であったと思われます。獲物を探すために使い込まれ擦り減った大きな牙。敬意を表し、またよき年となるよう描いてみました。(画家)

《吾妻カガミ》47 つくばファースト? 研究学園の変な議会

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つくば市役所

【コラム・坂本栄】昨年12月のつくば市議会でおかしなことが起きました。市が慎重に選んだ市施設の指定管理者(案)を、議会が「地元の業者ではない」と否決したというのです。そして、近く開く臨時議会で、次点だった地元の業者を管理者に選ぶそうです。

どうやら、市民は、余計な費用(否決された業者の委託料の方が安い)を負担、そして、より良くないサービス(市の判定は否決された業者が最高点)を受けることになりそうです。

冒頭「おかしなこと」と言ったのは、市民が納めた税金をムダ使いし、より良いサービスを敬遠するという議決を、市議会が堂々としたからです。研究学園市の議会は、目線が市民(納税者)ではなく、アサッテ(受注業者)の方を向いているようです。

こういった議会の行状は、本サイトの記事「市長提案の事業者を否決 つくば市議会 ウエルネスパークの指定管理者」(12月21日掲載)で知りました。

詳しくはクリックしていただくとして、ポイントは①市の選定委員会が1位に選んだのは東京の業者だった②その受託料は他業者より年300万円ぐらい安かった③議会は1位の業者に代えて点数も下位だった市内の業者を選ぶらしい―です。

市の仕事はどうしても地元の業者にやらせたいと、議会は考えているのでしょう。「つくばファースト」ということでしょうか。米大統領のトランプさんが流行らせたコピー「アメリカファースト」のもじりですが、なにか不健全なものを感じます。

「世界のあしたが見えるまち」はどこに

これと似た傾向は、市の新しい入札制度にも見られます。昨年秋、市がクレオ問題への市の関与策を議会で説明した際、この問題に興味があった私も傍聴しました。このとき、一緒に公表された入札制度運用方針に、私は強い違和感を覚えました。

市は、一般競争入札が原則と断りながらも、「指名競争入札や随意契約による調達が例外的な取り扱いとして認められている」として、「地域活性化の観点からは、地元企業が受注し地域経済に貢献することも求められており…」と、地域活性化を黄門様の印籠にして「つくばファースト」を掲げていたからです。

こういった排外的な施策は、長い目で見ると域内企業の競争力を弱めます。企業は競争を促すオープンな市場で鍛えられるからです。域外の企業をソフトに閉め出す議決や施策が、地域の経営力を弱めることにならないか心配しています。

つくば市長の五十嵐さんの看板「世界のあしたが見えるまち。TSUKUBA」は、つくばを世界のモデルにしたいという意気込みのコピーと聞いています。でも、トランプ流の「つくばファースト」が世界のお手本になるでしょうか? 真似してはいけないお手本(反面教師)なら分かりますが…。(経済ジャーナリスト)

《続・気軽にSOS》28 人は別々の世界を生きている

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【コラム・浅井和幸】あけましておめでとうございます。今年も、よろしくお願いします。皆さんは初詣をされたでしょうか。どのような願掛けをされたでしょうか。

私は筑波山神社に参拝してきました。多くの方が来られていて、そこには笑顔があり、とても穏やかに、すがすがしい気持ちになって帰ってきました。

客観的にとらえたら、私たちは同じ世界で、それぞれの人生を送っています。少なくとも、この文章を読まれている方は、筑波山神社にいた人たちと同じ様に、私と同じ地球上で毎日を生きてらっしゃるでしょう。

しかし、同じ世界で生きており、それぞれの感覚は似ていますが、別のものです。私がちょうどよい辛さでおいしいと感じるカレーが、辛過ぎると感じる人もいれば、甘過ぎると感じる人もいるでしょう。ある若者がくっきり見える細かな文字は、老眼が始まった私にはぼやけて見えることでしょう。

優しさを持ち続けられる強さ

私たちは、この世界を、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感でとらえています。たとえ同じ世界でも、五感が違えば、違う世界としてとらえているわけです。「私たちは、同じ世界で生きていますが、別々の世界を生きている」ということを知っていると、いろいろな行き違いの場面で役に立ちます。

同じ男だから考えも同じとか、同じ茨城に住んでいるのだから習慣も同じとか、同じ時代に生きているから価値観が同じとかの、陥りやすい争いの罠(わな)から逃れる大きな要素の一つとなります。

さらに、感じたことを、どの様にとらえるか、考えるかは、人それぞれ別物です。それを、言葉という道具を使って人に伝えるのですが、この言葉も正確に思考を伝えられるわけもなく…というのは、別の機会にでもお伝えします。

全ての人が、それぞれの明日に希望が持てるような世界でありますように。そのためには、現実、事実を出来るだけ受け止められるほうがよいでしょう。そして、優しさを持ち続けられる強さを持ちたいですよね。

これは、そうなってほしい、自分のその力を手に入れたいと、私が、数十年の間、願い続けていることです。(精神保健福祉士)

《ことばのおはなし》5 雑煮のおはなし

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【コラム・山口絹記】年賀状じまい、ということばを聞くようになった。

年賀状をやめる人が増えている、ということらしい。一つの社会における文化というものは、その外や後の世から見れば不合理で無意味に感じるものだ。それでも、一度広まった文化は外的要因なしに簡単に廃れるものではない。たとえ不合理なものにも、その背後には、その時代と空間に生きる人間の思考のモード(様式や方法)が存在しているからだ。

一つの文化を続けるか否かという議論が起こる背後には、我々の思考のモードに何かしらの変化が起きている可能性がある。その変化が、年賀状じまいということばとなって顔を出しているのではないだろうか。

などと偉そうなことを論じている私はといえば、「雑煮でも食べながら届いた年賀状に返事を書けばよいかな」などといい加減なことを考えつつ、2018年の12月25日現在、この記事を書いている。無事に新年を迎えていれば、年賀はがきは焦ってコンビニに買いに行くことになっているだろう。

私のいい加減さについてここで弁明しても仕方がないので、いい加減ついでにいい加減なものについて、ことばの観点から書いてみたいと思う。

異文化交流を包容するためのもの?

そう、「雑煮」について、である。

名は体を表すというが、この雑煮という名前、ほとんど何も説明していない。雑草という名の草はない、ということばを聞いて感心したことがあるが、雑煮という名の料理は存在してしまっている。雑を煮たもの。何かを煮た液体というくらいしか共通点が見いだせないところに、形容しがたいすご味がある。

例えば結婚した夫婦が初めて正月を迎えたとして、全く異なる2つの雑煮が相まみえたとする。何も考えずに2つの雑煮を混ぜてしまえばよいのだろうか。どちらかを選ぶのか。いずれにせよ、結果として作られたその液体もまた雑煮に違いない。

世の中に、異なる食文化に口を出すことほど危険な行為はなかなかない。もしかすると、雑煮という名は、こういった家同士の異文化交流を包容するためのものではないだろうか。考えすぎ、だろうか。

私は雑煮の専門家ではないが、元祖雑煮、本場の雑煮、雑煮の町、ということばは目にしたことがないし、出汁(だし)で出汁を洗うような大規模な雑煮争いが起こったという話も聞いたことがない。雑煮ではない雑煮を作るのも、今のところ人類の想像力では難しいと言わざるを得ないし、雑煮という文字通り雑な名の前には、振りかざせる正当性や派閥すら存在し得ないのだろう。

雑煮と雑煮でないものの境界はどこにあるのか。これは、空と宇宙の境はどこにあるか、という問いに近いものを感じる。もしかすると、雑煮は料理というよりも平和や病気といった概念に近い存在なのかもしれない。

たとえ年賀状がなくなっても、初詣やお節料理がなくなる日が来たとしても、雑煮だけはしぶとく生き残っていくのではないだろうか。是非とも生き残って欲しいな、と私は思っている。(言語研究者)

《光の図書館だより》14 図書館を通じた企業PRを

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4金融機関の協賛で実現した「本の通帳」

【コラム・入沢弘子】新年になりました。お正月休みを読書の時間に充てている方も多いのではないでしょうか。私も積んでおいた本をやっと読めました。読書の記録はPCにメモしています。

当館は昨年11月に1周年を迎え、年末までに約64万5000人の方にご来館いただきました。冬休みに入ってからは、平日も多くの家族連れにお越しいただいています。

最近の人気は「土浦図書館本の通帳」コーナーです。「本の通帳」は通帳型の冊子。借りた本の履歴を専用の機械で印字できるものです。市内在住・在学の小中学生を対象に、昨年11月下旬から配布をスタートしました。大好評で、開始後30日で約450人の子どもたちが登録。うち約2割は新規利用者でした。

この事業は子どもの読書意欲の向上に効果があると聞き、以前から検討を重ねてきましたが、費用面で難航。そんな中、事業にご賛同いただいた常陽銀行、筑波銀行、水戸証券、めぶきリースの4社が5000冊の通帳制作費と印字機導入費用をご協賛くださることになり、ようやく実現できました。

通帳の裏表紙には4社のロゴマークを掲載し、広告媒体としてご使用いただきました。幼少期から企業名に親しむことは、将来のユーザーにつながる可能性が大きいのではないでしょうか。

雑誌スポンサー HPバナー広告

当館で地元企業や団体にご協賛いただいているものは、他に「雑誌スポンサー」や「ホームページのバナー広告」などがあります。

「雑誌スポンサー」は、当館に置いている雑誌1年分の購読料をご協賛いただく代わりに、雑誌のビニールカバーの表紙に企業名、裏表紙に企業広告を掲載します。現在は『きょうの健康』を土浦市医師会が、『クロワッサン』をイセファームがスポンサーになってくださっています。雑誌コーナーは、エントランスフロアの中央と、お茶が飲めるラウンジ付近に配架してあり、常時多くの方が閲覧しています。

「ホームページのバナー広告」は、1枠月5000円で社名やロゴマークを掲載しており、今はアクアクララのご協賛をいただいています。

年間60万人の来館者達成後は、「雑誌スポンサー」や「バナー広告」についてのお問い合わせも増えてきました。駅から近く、1日平均約2000人のあらゆる年代の方が利用する、土浦市立図書館。企業PRの場所、CSR活動の一環としてご一考ください。

今年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。(土浦市立図書館館長)

《くずかごの唄》29 年賀状 猪突猛進 うんのつき

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【コラム・奥井登美子】猪突猛進でがんばります。

い 生きていることに感謝

 のら猫に 餌をやって仲良しになり

し 瞬間 瞬間を 大切に楽しく

 しっかりと 生活したいと思います   きよし

 

 医薬品の奥深いメカニズム 少なくなった

 脳みそを ぬかみそみたいに かきまわし

 試行錯誤しながら 48年続けた自然保護と

 仕事の話をエッセイ集にまとめています   とみこ

 

今年の年賀状を書く前に、いのししの身体をどう料理するか、12年前の年賀状を取り出してみた。

大動脈解離から1年

いの ちを再びよみがえらせた

し  あわせをかみしめながら

シ  リウス 星を眺めています  奥井清

亭主の大動脈解離からもう13年も経ってしまったのだ。

運の尽きの良し悪し

13年前、彼は御茶ノ水の駅前で意識を失って、救急車で東京医科歯科大病院に運ばれた。土浦の自宅にいた私に、病院の救急医から電話で「呼吸が止まる可能性があるので、15分以内に家族が来てサインしてください」と言われた時のショックは忘れられない。空を飛んでいっても15分は無理だ。偶然、運よく弟が15分以内の自宅にいて駆けつけてくれた。

うん1 救急車が運んでくれた病院に、たまたま技術に優れた医者がいてくれたこと

うん2 15分以内の自宅に家族がいたこと

うん3 37㌢動脈の解離が内膜、外膜ではなくて、中膜だったこと

うん4 脳へ行く血管の1㌢下から解離が始まり、脳血管に影響がなかったこと

改めて病気を起こした時の運の尽きの良し悪しで、人生が分かれることを思い知らされ、治療に協力してくれた人たちに感謝の年明けとなった。(随筆家)

あけましておめでとうございます

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【新年あいさつ・坂本栄】今年はどうも落ち着かない年になりそうです。特に米中の間で経済の問題と安全保障の問題がゴッチャになってきたのが気がかりです。中国は国の性格上分からないでもありませんが、トランプさんの「ごじゃっぺ」(茨城の方言でドジ、マヌケ)ぶりには閉口します。

「NEWSつくば」というNPOメディアを立ち上げてから15カ月が経ちました。つくばと土浦を中心とする地域のニュースをネットで発信しています。おかげさまで、地域の意識の高い方にとっては必読のサイトになりました。お時間がありましたら是非のぞいてみてください。

以上は、私の年賀状からの転載です。はがきの制約もあり言葉足らずでしたので、1パラグラフの経済と安保の関係について少し補足します。

ファーウェイ(華為技術)問題で顕在化しましたが、中国は情報活動のために自国社が輸出する通信インフラに特殊な仕掛けを埋め込んでいるようです。米国はこういった諜報戦などに過剰に反応して経済貿易戦を挑み、国際秩序は乱れつつあります。攻めの中国の傲慢(ごうまん)と守りの米国の傲慢の対決です。両国との関係が深い日本には賢い対応が求められます。

新しいメディア・モデルづくりにご支援を

さて、本サイトは、画面の作り(記事などコンテンツの見せ方)、運用経費の手当て(NPOとして寄付や広告の集め方)、スタッフの構成(中核ライターと随時ライターの組み合わせ)、取材手段の確保(市広報や記者会との付き合い方)、他メディアとの関係構築(地域ラジオ局やテレビ局との連携)―など、この1年3カ月、試行錯誤を続けてきました。

NPO、ネット新聞、地域限定といった本サイトの性格が珍しいのか、逆取材も随分受けました。遠隔地のテレビ関係者、大手紙のネット関係者、マスコミ専攻の学生・教授などからですが、要は、ネット社会の出現を目の当たりにし、新聞や放送といったエスタブリッシュメント・メディアもネットの可能性を模索しているということでしょう。

本サイトは今年、これまでよりも行政・選挙分野に力を入れ、発信の仕方も工夫していきたいと思います。また、他メディアが扱わない地域の問題も積極的に取り上げ、地域・県内・国内・海外のアクセス者の期待に応えていきます。われわれの新しいメディア・モデルの削り出し作業に、ご支援よろしくお願い申し上げます。(NEWSつくば理事長)

《法律かけこみ寺》1 架空請求詐欺 もっともらしいはがき

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土浦市神龍寺(本文とは関係ありません)

【コラム・浦本弘海】「駆け出し落語家」と掛けまして「慌てる母親」と解きます。その心は。

あっ、本コラムを担当いたします浦本と申します。詳しい自己紹介は下記に載っておりますので、ご興味があればご一読ください。本コラムは、生活にちょっと役立つ(かもしれない)法律マメ知識を目指しております。皆さまの日常生活の一助となれば幸いです。

ところである日、母から慌てた声で「民事訴訟管理センターってところから、総合消費料金未納分訴訟最終通知書ってはがきが来てるけど、どうしよう!」という電話がかかってきました(実話)。

「それ、詐欺だから」と息子(これでも一応弁護士です)が説明しても、「でも訴訟番号とか書いてあるのよ!」と信じてくれません。恐るべし、民事訴訟管理センター。

民事訴訟管理センターという名称の公的機関は実際にはありません。架空請求詐欺です。国民生活センターや裁判所のサイトでも注意喚起がされています。くれぐれも記載された連絡先に電話しないでください(なんか、プリペイドカードとか買わされてID番号を聞かれたりするようですよ)。ちなみに類似名称の場合もありますのでご注意を。

手口は着実に進化 落ち着きが大事

以前はメールでこの手の架空請求詐欺が横行したことがありました。裁判所と法律事務所との文書のやりとりは、いまだにファクシミリが現役(主役?)だったりします。メールで連絡が来るとは、どれだけ革新的なことか…。

この民事訴訟管理センター、はがきで最初の連絡をしてくることが多いのですが、最近は封書のパターンもあります。はがきだと家族が見て警察などに相談したりしてしまうと考えたのかもしれません。それに、まともな公的機関が訴訟関連の重要な連絡をはがきでするはずもなく、詐欺としてもリアリティーに欠けますしね。

残念ながら詐欺の手口は着実に進化しています。身に覚えのない請求が来たときは、当たり前かもしれませんが、やはり落ち着くことがとても大事です。そんな詐欺引っ掛からないよと思っていても、当事者になると慌てるもの。どうか冷静に。ご家族やご友人などの意見を聞いたりネットで調べたりするのも非常に有効ですよ。

ところで最初のなぞかけ。「駆け出し落語家」と掛けまして「慌てる母親」と解きます。その心は…「落ちつけるまでが大変です」。

お後がよろしいようで。(弁護士)

【うらもと・ひろみ】ペンネーム。会社勤務を経て弁護士に。会社在職中に一念発起して法科大学院への進学を決意。苦節〇年、司法試験をなんとか突破(暗黒時代でした…)。企業勤務経験を活かし、現在は企業や自治体への法務コンサルタントを主に行っている。両親が土浦市出身なのでご縁があり、土浦・つくばを中心に活動中。東京都出身。

《制作ノート》2 筑波山の「肖像」を描く

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初めて描いた筑波山

【コラム・沼尻正芳】いにしえの頃より筑波山と苦楽をともにしてきた人々、山に思いを寄せて育ってきた子どもたちがたくさんいたことだろう。私もそうだった。楽しいときには筑波山がはっきりと見え、悲しいときや苦しいときにはかすんで見えた。筑波山は私を励ましたり慰めたりしてくれた。

筑波山までは私の家から約30㌔ある。田畑や山林のはるか彼方に見える。筑波山に初めて登ったのは、中学校卒業後の休日だった。数人の友人と自転車で出かけることになった。ペダルをこぎながら、だんだんと近づいてくる筑波山に心を踊らせていたことを覚えている。山が目の前に現れたとき、その姿に圧倒された。「私が筑波山だ」と山が堂々と主張しているように感じた。そのとき、「山そのものを、肖像としての筑波山を描いてみたい」と思った。

退職後、繰り返し筑波山に通った。軽トラの荷台にイーゼルを立ててスケッチをした。筑波山の肖像は思いのほか難しかった。山肌をどう表現したらよいのか。木々が生い茂る霊峰。木を見て山を見ず、山を見て木を見ず、全体と部分のバランスがどうもしっくりこない。男体、女体、二峰並立の筑波山の山頂に目を描き、中腹の影を口にして四六のガマと思ったり、梅林を囲む木々の塊を霞ケ浦の白鳥と連想したり、暗中模索や妄想、悪戦苦闘を繰り返すことになった。

山の構造をつかまえなければ徒労に終わってしまう。山に陰影のつく日没前や日の出前に筑波山を観察することにした。横からの光でできる明暗が山の微妙な起伏や構造を教えてくれた。そのとき、「私を絵にしていいよ」と筑波山が心を開いてくれたように思えた。

田園と麓の家並みと筑波山と空

2012年、油絵30号2点の筑波山をなんとか仕上げた。田園と麓の家並みと筑波山と空だけの単純な構図。それをある公募展に出品したら「新人賞」をいただいた。うれしい反面、ただ精一杯の表現で、まだまだ未熟な作品だった。

その後、四季折々の筑波山を数点描いたが、最初に描いた筑波山がいつも気になっていた。それから、それを飾っては修正し、飾っては描くようになった。その様子を見ていた妻に「もう別の絵を描いたら」とたびたび言われた。「筑波山の肖像への思いを何とかものにしたい。愛着のある1点をとことん描くことも有りだろう。」と毎年描き直してきた。

すると年ごとにだんだんと絵のマチエール(肌合い)が現れ、筑波山も田園も家並みも空や雲も、表現が少しずつこなれてきているように感じた。様々なものを描くことも量を描くことも必要だと思うが、1点の絵を熟成させ、時間をかけて描くことも為(ため)になるものだと思う。

ふるさとの山であり、信仰の山でもある筑波山。春夏秋冬と表情を変える筑波山の肖像を繰り返し描き続けてきた。これからは、山が姿を変える様々な方角から筑波山の肖像を、また、筑波山が遠くに見える風景も描いてみたい。(画家)

《宍塚の里山》29 「子ども探偵団」観察と冒険を体験

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森で子ども探偵団を楽しんだ親子

【コラム・及川ひろみ】われわれの会は発足数ヶ月前から、毎月第1日曜、専門家を講師に迎えてテーマを決めた観察会を行なってきました。この会には多くの子どもが参加していますが、子どもには、里山で遊びながら生き物に触れ、関心を広げていく機会も必要と考え、2001年から、観察と遊びと冒険を体験する「子ども探偵団」を始めました。毎月第4土曜の10~12時、親子で楽しむ会です。

4~10月は、里山入り口の「ふれあい農園」付近から池までの散策路や小川で、生き物を見つけます。ときには単眼境で拡大して見て、生き物だけでなく植物の姿や形に驚きます。

冬場は、木登り、木の間に渡したロープ滑り、落ち葉のプール。また通常の観察路を離れ、斜面の滑り降り、ササで覆われたやぶの中探検、木の実や蔓(つる)での物作り。年末には、竹を切って、正月飾り作り、木の実や蔓を使ったリースや飾り物作り。

参加者の人数、年齢、興味、そのとき里山で出会えたものに応じて、活動は臨機応変。指導者たちも、子どもたちの新たな発見を楽しんでいます。親子での参加ですから、年齢制限はありません。これが里山デビューになる子どもたちも大勢います。

自然体験で得られる自己肯定感

初参加の子が「虫が好き、〇〇を知っている」と言い、「図鑑で、テレビで」とあれこれ知識を披露しますが、里山に入って、探す、捕まえる、触る、匂いをかぐ、なめてみる、耳を澄ます、よ~く見る―など、体と五感で確かめる中で、彼らは本物に接します。

虫やザリガニにさわれなかった子は、常連の子どもたちの様子を見て、勇気を奮って手を出し、おっかなびっくり捕まえる場面では、子どものドキドキが伝わってきます。初めて木登りするとき、ロープ滑りするときの真剣な表情、繰り返すうちに上手になっていくときの自信に満ちた表情を見ると、子どもたちの成長の証(あかし)に立ち会えた気分になります。

国立青少年教育振興機構は、自然体験を通して得られる自己肯定感(自らの価値や存在意義を肯定できる感情)、共生感、意欲・関心、規範意識、人間関係能力などを「体験の力」として調査していますが、幼少期から中学生期までの体験が多い高校生ほど、自己肯定、思いやり、やる気、人間関係能力などの資質・能力が高い、という結果を得ています。

里山の環境は、人が育つために大切な要素にあふれています。これからも、里山の持つ教育力を生かす活動を発展させていきたいと常々考えています。(宍塚の自然と歴史の会代表)

《ひょうたんの眼》12 教師の働き方改革は何を目指すのか

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小学1年生の教科書

【コラム・高橋恵一】医療現場の医師、学校の教師、始業時間や終業時間のけじめもなく仕事の成果が量で測れない労働者、時間外労働が際限なく課される職場、休日も休暇も取れない人々のことが課題になり、過労死や家庭の崩壊などの具体的な犠牲者が出て、国として、働き方改革に取り組むことになった。

その中で、断片的だが、文部科学省が取り組む、学校の「先生」の働き方改革は、興味深い。1年前に文科省から示された「学校における働き方改革に関する緊急対策」によれば、これまで学校・教師が担ってきた代表的な業務について、その在り方を検討し、①基本的に学校以外が担うべき業務②学校の業務だが、教師が担う必要のない業務③教師の業務だが、負担軽減が可能な業務―に分けている。

①は、登下校の見守り、放課後・夜間の見回りや児童生徒が補導された時の対応、学校徴収金の徴収・管理、地域ボランティアとの連絡調整―などが例示される。②は、調査・統計等への回答(事務職員の仕事)、児童生徒の休み時間の対応(輪番、地域ボランティアの対応)、部活動(教師以外の指導員)を例示。③は、給食時の対応、授業準備(補助的業務のスタッフ)学校行事の準備・運営(事務職員、外部委託)、進路指導(事務職員、外部人材)、支援が必要な児童生徒・家庭への対応(専門スタッフとの連携・協力)が例示されている。

なるほど、学校の先生が多忙なことはよく分かる。特に、部活動への関わりは、教師の負担の極みであろうと思う。しかし、これらの例示の全体を見ると、教師の仕事は何なのだろう。休み時間も除いた、授業時間にだけ教科を教える。児童生徒の個性や、家庭環境や、地域社会での置かれ方も重要視しない、教科書内容の一方的伝達マシーンが、最も望ましい教師の働き方ということか。

教育にかける予算が決定的に足りない

以来、子どもたちは、学校・教師との出会いで、知識を身につけるとともに、人間的に成長して来た。授業時間以外に、児童生徒自身や家庭を含む周辺環境との関わりを持つことも、教師の役割の重要な要素であろう。そのために、教師の給与は、その名目分だけ上乗せされている。

学校教育の望ましい姿は、先進国に沢山ある。結論から言えば、先生の数が足りない、学校事務員も効率化のためとして減らされている。教育にかける予算が決定的に足りない。日本の教育にかける予算の国際レベルは、目を覆うばかりである。

学校教師の働き方改革の方向は、地域や外部ボランティアに負担を移転するのではなく、教師や学校職員を増やし、学校の体制を強化して、疲弊する教師の業務量を減らすことであろう。子どもとの接し方は、むしろ強く、深くなる方向にすべきだ。教師や医者の働き方改革の必要性も、外国人労働者の導入が必要な人材不足も、人件費、つまり給料の改善が必須だ。その、安い分野は、公的支出を増やすことしかなく、その改善は、労働者全体に拡大する。

日本の1人当たり年間総労働時間、1人当たりのGDP、1人当たりの労働生産性のいずれの国際比較も、全ての指標が、日本の個人所得の低さを示しており、労働環境の悪さを示し、格差社会の拡大を示している。この論点は、別の機会に述べたいが、日本の税財政体系を変えなければ、働き方改革も政府の他のスローガンのように、実現しないし、長期的な経済成長にならない。(元オークラフロンティアホテルつくば社長)

《世界に生きる》3 日本人は礼儀正しいか

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筑波学院大学キャンパス

【コラム・大島愼子】「日本人は礼儀正しいと聞いてきたが、無礼な発言が多く驚いている」と欧米人に言われることがある。これはビジネス対応に関しての話である。一般の観光客は「日本は清潔で、親切で礼儀正しい」とコメントするし、「おもてなし」精神があるという印象を述べる。無礼と言われるのは、会議などでの議論の展開に関してだ。

アメリカの大学に留学していた時、1年、2年は「スピーチの講座」という必修受業があった。この講座を履修して初めて、アメリカの大統領たちの演説の基礎は大学教育なのかと合点がいったものである。

「暗唱」「スピーチ」「ディベート」を学んだのだが、戯曲のセリフまたは詩や著名人の演説を暗唱すること、与えられたテーマに沿ってスピーチ原稿を用意してプレゼンテーションすること、そして、あるテーマに関して賛成派・反対派に分かれて議論するのである。

ディベートは、自分の意見をただ主張するのではなく、相手の主張を理解したうえで、客観的・論理的に反論、または発表できるか否かを採点される。つまり、論点を定め、主張を明確にし、根拠が示されているかが重要である。自分を正当化して相手を攻撃するのではない。

そして、「スピーチの講座」の教科書は、心理学の書籍を使用する。相手に自分の考えを理解させる、共感させるためには、心理学の要素が必要だからである。

議論の習慣が育っていない

ところが日本では、心理学よりも「話し方」のテクニックに走る傾向にある。そして、グローバル社会で、欧米人と対峙する時は自己主張が必要と思い込み、一方的に自分の意見を主張する若者が増えている。

自分の考えを説得力のある表現で他に伝えることと自己主張は異なるが、深夜の討論番組のようなテレビ番組が、人の発言を全否定して自分の主張のみを声高に叫ぶのがディベートと思い込む若者をつくったのかも知れない。

また、日本の独特の笑いの文化、つまりテレビで関西の漫才芸人が「おまえ、アホとちゃうか」などと、人格否定発言を日常的な笑いとすることに慣れていると、「その考え方は間違っている」と発言するところを、You are stupid などと無礼な発言をしてしまうのではないか、と思うのである。

国会中継など見ていても、言葉尻をとらえて個人攻撃するような発言が横行し、これが会議の見本としてニュースに流れる。日本では議論をする習慣が育っていないが、アメリカの大学の「スピーチの講座」を導入したとしても効果があるとは思えず、幼児教育から意見を述べる習慣を育てる必要を感じている。(筑波学院大学 学長)

《続・平熱日記》28 年の瀬と柑橘系

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【コラム・斉藤裕之】今年はナリモノが良かったですねえ。カキなんかもよくできて、この季節だとユズやミカンが鈴なりになっているのをよく見かけます。というのも、お世話になっている保険屋さんのお母さまが、この辺りでいうところの「フクレミカン」、縁起を担いで福来ミカンなんて書くそうですが、その皮を使って美味しい七味を作ってらっしゃる。

ところが、昨年は裏年で、ミカンの確保に奔走されていたのを思い出すのです。ちなみにお母さまのお名前が「みよこさん」なので、「三四五の七味」という名前で売られています。この七味、ミカンの皮の風味が格別で、我が家では鍋の後の雑炊には欠かせないものとなっております。

ああ、鍋と言えば、長年使っていた土鍋にひびが入って水が漏れてしまうので、新しい土鍋をしばらく探しておりました。余談ですが、この土鍋、30年程前に廃業した東京の割烹で使われていたものでして、鍋自体に出汁がしみ込んでいるような気がしてよかったのですが…。

仕方なく、しばらくは打ち出しのアルミ鍋を使っていましたが、いざ探すとなかなか気に入ったデザイン、大きさのものが見つかりません。大きすぎず小さすぎず、土鍋然とした土鍋。あれこれ迷って、結局見つけたのはネット。なにもかもアマゾン川を網ですくう時代。

「今年はナリモノがよかった」

さて、今年も押し詰まって参りました。身の回りには直接関係なくとも、毎日のように国の内外でいろんなことがありました。とにかくあり過ぎて、今となっては「今年はナリモノがよかったねえ」なんて開き直って、のんきにコーヒーをすすっております。

牛久の人気カフェ。サイトウコーヒーのカウンターから見えるオレンジ色の実をいっぱいにつけたキンカンの樹を眺めながら、そんなことを感じました。ちなみにこのキンカンは質がよく美味い。口に広がるキンカン特有の風味に子供のころの風景がよみがえる、何ともノスタルジックな味です。オーナーに断れば、「どうぞ、どうぞ」とおすそ分けしてくれるはず。

平成も終わり、来年は菅官房長官がしたり顔で新しい元号を発表することでしょう。新しい時代が始まります。

ぼーっと生きてちゃいけませんね。そうそう時代といえば、だいだい色のだいだいの実はずっと樹になっている、代々成っているから「だいだい」というんだそうです。だから、代々栄えるようにと鏡餅のてっぺんに供えるとか。なぜかかんきつ系で平熱日記、今年はお開きにいたします。よいお年を。(画家)

《邑から日本を見る》30 県議選と東海第2原発の再稼働

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飯野農夫也氏の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】今月9日に行われた茨城県議選は、自民党県連の田山幹事長が落選したが、予想通り(?)自民党が過半数を維持し、1強政治が続くことになった。今回の選挙結果が来年の統一地方選やその後の参議院選にどう影響するのかわからないが、よくも悪くも政治は選挙で決まる。私なりにこの選挙結果を読み解きたい。

「茨城新聞」は解説記事で「保守王国・茨城の地盤は揺るがなかったが、自民に反発する大物政治家の長男2人が初当選し、東海第2原発の再稼働反対を掲げた立憲民主党が1人を当選させるなど、地殻変動の芽も生まれた」とまとめている。

自民は4人が落選し、その全員が70歳代。いつでも世代交代の波はあり、驚くことではない。むしろ、昨年の県知事選で大井川知事を推さず自民が処分した3人が勝ったことの意味は大きい。また水戸市・城里町選挙区では、元東京電力社員で、国民民主党系・茨城県民フォーラムの佐藤さんが立憲民主党の玉造さんに大差で負けたことも「地殻変動の芽」といえよう。

私も選挙の経験がある。それでわかったことは、候補者の主義主張を考えて投票する人は1割くらいしかいない。先輩に言われたことは、「票は足で稼げ」。とにかく歩いて人に会って、自分が何故選挙に出るのかを訴える。人の話をよく聞く。自分と違う人の考えを大事にする。

もう一つ言えることは、当たり前のことだが、選ばれる人と選ぶ人は同じだということだ。わが町の議員がダメだというなら、その人を選んだのは誰なのかを問わなければならない。安倍さんを首相の座に座らせているのは私たち国民なのだということだ。

再稼働可否 「どちらともいえない」が47人

本県にとって最大の政治課題は東海第2の再稼働だと私は考えてきた。もちろん、県民の暮らしにとって経済、福祉、教育などさまざまな問題、課題がある。人によって大事だと思うことは違う。しかし、どんなに立派なことを選挙のスローガンに掲げても、東海第2が再稼働し、事故を起こせば、すべて吹き飛んでしまう。

原発事故の恐ろしさは、茨城県民であれば7年前の東京電力福島第1発電所の事故で身に染みている。各種の世論調査や選挙の時の出口調査でも県民の6~7割が東海第2の再稼働に反対、と答えている。昨年の県知事選でも反対の候補の票が多かった。

では、今回の選挙ではどうだったのか。「東京新聞」の事前のアンケートによる結果では、当選した62人のうち賛成はゼロ。反対は12人で、「どちらともいえない」が47人、無回答が3人だった。安倍政権は原発推進だが、自民は全員が「どちらともいえない」と答えた。全員が「関係地域の意見が尊重され、安全安心のほか原発の今後の役割を検証し、当局が慎重に判断するのを注視する」という答え。

これでは、本人がどう考えているのか、どうしたいのかがまったくわからない。誰かがそう答えろと指示したとしか思えない。思考停止の結果が「どちらともいえない」なのだ。そういう頭の人が県政を担っていいのだろうか。公明党の3人が反対と答えているのも注目される。

18日、衆議院議員の中村喜四郎氏が立民会派入りを表明したというニュースを聞いた。もともと保守本流の立場にいた中村さんの立民会派入りに自民党県連も驚いているようだが、東海第2に対して彼が今後どう動くのかを注視したい。(元瓜連町長)

《食う寝る宇宙》28 ボイジャー2号 41年を経て太陽圏脱出

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【コラム・玉置晋】1977年8月20日、米フロリダ州ケープカナベラル空軍基地からタイタンⅢロケットで宇宙に飛び立った「ボイジャー2号」が、41年の時を経て、太陽圏「ヘリオスフィア(Heliosphere)」を脱出した模様です。太陽圏とは、太陽から吹き出す「太陽風」の影響範囲をいいます。太陽風の進行が銀河系の星間物質により止められる境界「ヘリオポーズ(Heliopause)」が太陽圏の外壁です。

ボイジャー2号に搭載されているプラズマ観測装置のデータによると、2018年11月5日を境に、太陽風粒子が急減する一方で銀河宇宙線が急増したことから、NASAはボイジャー2号がヘリオポーズに到達したと発表しました。姉妹機の「ボイジャー1号」が12年8月25日、人工物として初めてヘリオポーズに到達しています。

ボイジャー2号は、恒星間空間を飛行する2基目の人工天体となりました。18年末現在、ボイジャー2号は地球から180億㌔離れた所で機能しており、ボイジャー2号から地球に送信データが届くまでには16時間以上かかるそうです。そして、太陽に対して時速5万5千㌔で遠ざかっています。

おじさんになった僕は再び感動

ボイジャー2号は、太陽系の外惑星である木星(1979年接近)、土星(81年接近)、天王星(86年接近)、海王星(89年接近)のグランドツアーを初めて実現した探査機です。コラム第1回で述べましたが、80年代、僕は宇宙に憧れる子供でしたので、親に科学雑誌を買ってもらって、ボイジャー2号から送られてきた惑星の写真を見て心躍っておりました。

子供のころに感動を与えてくれたボイジャー2号が、おじさんと呼ばれる年齢になった僕に、再度感動を与えてくれる。天文学や宇宙開発の意義というのは、常に議論の対象となります。ボイジャー2号の太陽圏脱出のニュースだって、別に僕の給料がアップするわけではないし、日々の生活に直接役立っているわけではありません。

でも、この高揚感はどんなにお金を払っても得ることはできないだろうなあ。昔の子供としては、今の子供たちにも同じような高揚感を味あわせてやりたいと思います。そして、ささやかではありますが、40年前、ボイジャー2号を宇宙に送り出した先輩方に祝杯を挙げたく、ビール(飲めないのでノンアルコール)を買いに出かけようかな。(宇宙天気防災研究者)