火曜日, 4月 22, 2025
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《くずかごの唄》31 今年は大坂なおみのおひな様

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【コラム・奥井登美子】おひな様の時期は、方々の町で、地域ぐるみのひな祭りをするので、どの町でも商店は「おひな祭り」の飾り付けに忙しい。奥井薬局も「土浦の雛(ひな)まつり」に参加し、何年か前から「土浦の自然を守る会」で子供たちと一緒に作ったどんぐりのおひな様を、恥ずかしげもなく並べている。

自然保護と里山観察の目的で、霞ヶ浦市民協会の有志が18年前、かすみがうら市の加茂にドングリを蒔(ま)いてつくった「どんぐり山」のどんぐり。クヌギが多い。クヌギのどんぐりは、まん丸なのでひなの顔には似合わないが、帽子の部分が大きな籠のようになっているので、その中にマッチ棒で作った小さなひなを並べて入れてみたりした。

1 土浦の町の雛まつり

2 土浦の自然を守る会「かっぱサロン」のひな作り

3 霞ケ浦環境科学センターの環境学習フェスタ参加のおひな様作り

4 ひ孫のアカリちゃんの初節句

今年、私は4カ所のひな祭りに参加しなければならない。

若くて元気で可愛い人

毎年、ひとつだけ新しいテーマで、ニュース性のあるどんぐり細工のひなを登場させている。今年は何にしようか。無い脳みそを絞りだして考える。

マテバシイのどんぐりは、大きくて、いかにも典型的な、絵に描いたような、どんぐりらしい形をしている。木の枝の形が公園にふさわしいのか、公園に行くとたくさん落ちている。つやつやしたたくましいどんぐりは、元気で可愛い。5~6粒拾って、手のひらに載せて眺めていた。

若くて元気で可愛い人。頼りにしたくなる人。そうだ「大坂なおみ」さんだ。今年の活躍にふさわしい人を、我が家はおひな様にしよう。私はつやつやした肌の、マテバシイの実に髪の毛を貼り付けて、大坂なおみをひなに仕立ててみた。このひなは扇の代わりに、大きなラケットを持っている。

そして、それを、店のひな壇の一番目立つところに飾ってみた。(薬剤師 随筆家)

➡奥井登美子氏の過去のコラムはこちら

《霞ケ浦 折々の眺望》2 霞ケ浦流域は少雨地方

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【コラム・沼澤篤】霞ケ浦流域に住む県民は少雨地方に住んでいることに無頓着だ。近年の気象統計を見ると、土浦では年間平均降雨量が約1200㍉で、日本列島の平均1800㍉よりかなり少ない。瀬戸内式気候の岡山県と同程度である。国内では、日本海側の豪雪地帯、熊野、高知、屋久島などで降水量が多い。これらの地方では3000㍉を超える年もある。

霞ケ浦地方で降雨量が多い時期は、梅雨、秋雨、雨台風の来襲であるが、年間を通してみると雨が少ない。この少雨は今に始まったわけではなく、奈良時代の常陸国風土記では、当地は暮らしやすい常世国(とこよのくに)ではないかと都から赴任した役人が記した一方、行方地方では谷津田の水源確保に苦労した伝説も伝えている。同地方では現在も約50カ所のため池がある。

なぜ当地は雨が少ないのか。一つは列島の東端に位置しているからだ。偏西風の影響で天気は西から変わるが、インド洋起源のモンスーンの湿潤大気が日本列島に達すると、西日本の山地に衝突して上昇気流となり冷却されて雨を降らす。その大気が茨城県に達するころには、湿度が低下して降雨になりにくい。

二つ目は、茨城県は平野が多く山岳が少ないために上昇気流が発生しにくい。三つ目は、冬期に日本海の湿った空気を運ぶシベリア寒気団は、列島の脊梁(せきりょう)山脈で上昇気流となり冷却されて日本海側に豪雪をもたらすが、太平洋側に達する時には、空っ風となり、雨や雪が降りにくい。

少雨は冬期に顕著で、長期間雨が降らず、流入河川の流量が減少し、霞ケ浦の水位が低下する。常陸川水門が建設される以前は海水逆流が生じやすく、塩害が発生したゆえんである。

霞ケ浦用水で県西は野菜の産地に

江戸期、少雨ゆえに、霞ケ浦に注ぐ桜川上流の青木村(大和村を経て現在は桜川市)の農地が荒廃し、村の人口が激減したことがあった。名主は村の復活をめざし、当時すでに高名な二宮尊徳を招き、指導を仰いだ。

尊徳は桜川に頑丈な取水堰(ぜき)を設置することを提案し、村人とともに率先して日の出前から日没まで普請(ふしん)に取り組み、ついに青木堰を完成させた。桜川の水が田畑に引かれ、青木村は甦(よみがえ)った。この事績は尊徳仕法と呼ばれて感謝され、後世に語り継がれ、大和村史に記録された。

この事績の通り、かつて県西地方は農業用水の確保に難渋し、長塚節が名作「土」に表現したように貧農が多かった。旧大和村の古刹(こさつ)楽法寺は雨引山という山号で呼ばれ、雨乞い祈祷(きとう)が行われた。雨乞い祈祷は石岡市龍神山、笠間市愛宕山でも行われた。

今、霞ケ浦用水(県西用水)事業により、巨大送水路で霞ケ浦の水が農業用水として供給され、稲作だけでなく、ハクサイ、レタス、キャベツなどの野菜の産地となり、農家の収入安定に貢献している。小雨地方に位置する霞ケ浦の役割の大きさと存在意義を、地政学的に再認識したい。(霞ヶ浦市民協会研究顧問)

《吾妻カガミ》49 つくば市外の会社を排除 議会に市長も同調

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つくば市役所

【コラム・坂本栄】つくば市の行政ウォッチは結構笑えます。街並み、研究機関、教育機関、そこで仕事をしている方、住んでいる方の先進性と対照的に、行政・議会が田舎丸出しだからです。

前回(1月21日掲載)と前々回(1月7日掲載)、市のスポーツ施設の指定管理者選定問題を取り上げましたが、その後、市は議会の意向を受け入れ、一度決めた管理者を選び直すプロセスで、市外の業者を事実上排除する新選定基準を採用しました。市長の五十嵐さん、「市外の者 参入禁止」の高札を立てたわけです。 

詳細は本サイトの記事「【ウェルネスパーク問題】再公募 応募資格を地元に限定 募集期間わずか10日」(1月24日掲載)をご覧ください。

ポイントは、先に東京の業者が選ばれた際の選定基準では、応募事業者の資格は「市内に拠点となる事務所を置く」であったのに、議会の意を汲(く)んだ新基準では「市内に本店を置き継続して2年以上経過している」になった、ということです。

この基準ですと、東京の業者は再エントリーできません。前回2位あるいは3位だった市内の業者に何が何でも管理者を任せようと、市外業者の排除を狙った手順と言えるでしょう。市は議会に屈し、地元企業優先・市外企業排除の入札基準を採用したことになります。

これまでのコラムでも指摘しましたように、こういった地元保護は、納税者に余計な負担を負わせ(応々にして高い買い物につながる)、地元の業者を甘やかす(過保護により競争力が育たない)ことになります。もちろん、サービスの質の問題もあります。

さらに、先進的で開放的な研究学園市のイメージを傷つけます。「整然とした街並み」「多くの研究機関」「高レベルの国立大」「意識の高い市民」と、「垢(あか)抜けない行政・議会」 のミスマッチングは悲しいものがあります。 

ウェルネスパーク問題 学園都市の田舎政治

私は高校まで土浦市に住んでいました。そのころ、今のつくばセンター地区とその周辺は山林か田畑でしたから、足を運んだ記憶はありません。林の中にポツンと建つ館野測候所(現気象庁高層気象台)見学は覚えていますが、現つくば地区への遠足といえば筑波山が定番でした。

つくば科学博のころは、米国から帰ったばかりで、東京で経済記者をしておりました。帰省の折に車で現つくばセンター地区を走り、その都市構造に「これは日本でない」と感激したものです。そのころ、取材のかたわら、県知事の竹内藤男さん、後任の橋本昌さんに頼まれ、三井不動産の江戸英雄さんらと、科学博跡地分譲(買い手企業探し)を手伝ったこともありました。

私のつくばの記憶=縦軸=には、このような田舎と都市が混在しています。でも、現切断面=横軸=に田舎と都市が混じるのは困ったものです。都市化が進むTX研究学園駅エリアの一角にデンと構える「村役場」―笑って済ませられるでしょうか?(経済ジャーナリスト)

《続・気軽にSOS》30 目的地と道筋と交渉と

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【コラム・浅井和幸】あなたは今、つくばセンターに立っています。ヒッチハイクをして、大阪まで行こうと考えています。さて、どうするでしょうか?

マーカーで「大阪」と書いた段ボールを、歩道から自動車のドライバーに向かって見せるでしょうか。それで止まってくれなかったら、「東京」と書くか、「大阪もしくは東京」と書いて見せるでしょうか。

運よく止まってくれたドライバーに話しかけ、出来るだけ大阪に近いところまで行ってもらえるように交渉するでしょう。場合によっては、常磐自動車道の谷田部インター付近まででもよいからと言うかもしれません。

目的を伝え、目的に出来るだけ近い手段を模索して、話し合うという順番になります。この順番は当たり前に感じますが、相談の場では別の順番になることで、うまくいかないことが多々あります。

私のところに相談にいらっしゃる方で、いきなり次のようなことを言われることがあります。自分の言うことを否定されるのが怖くて、避けたいので、最初から断られるような話しかけをしてしまうというパターンです。

  1. 相談をしたからといって、全ての悩みが解決するわけじゃないですよね?
  2. 私の子どもは他人の言うことならば聞くので、社会は甘くないと説教をしてください。そうすれば、すぐに問題が解決します。
  3. こちらの相談室で出来ることを全て言ってください。

仮でもよいので目的を伝える

これらの言葉を、上記のヒッチハイクで例えると次のようになるかと思います。

  1. この車で大阪には連れて行ってくれないですよね?
  2. 谷田部インターチェンジから高速道路に乗らなければ、大阪には行けないので、そこまで行ってください。
  3. (目的地は伝えずに)この車で行ける場所を全て教えてください。

せっかくヒッチハイクに協力的なドライバーでも、このような言い回しをされたら協力を避けてしまうでしょう。

このような話しかけは、支援者に協力を求める支援者でもありがちです。先日、障害者支援をしている方(Aさん)から相談がありました。訪問をして勉強を教えてくれる事業所Bに相談したけれど、ちょっと条件が合わず利用できない。似たような支援をしているところを知らないかという相談でした。

別のいくつかの支援ルートの可能性を伝え、私からいくつかの事業所に声をかけるので少し時間をいただきました。

私が別件で事業所Bと話をしていた時に、Aさんからの相談の話を持ち掛けたところ受け入れられるよとさらっと言われました。

後日談ですが、Aさんからは「事業所Bでは、〇〇法という勉強方法は使われてないですよね?」と質問されたので、「その方法は採用していません」と答えたとのことでした。しかし、目的の訪問での勉強は、その「〇〇法」を使わなくても十分に対応できるものでした。

仮でもよいので目的を伝える(聞く)こと、道筋や各々が出来ることを決めつけずに、交渉することがとても大切であることが実感できるケースでした。(精神保健福祉士)

《ことばのおはなし》6 鳥のおはなし

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鳥は飛ぶということについて考えることがあるのだろうか

【コラム・山口絹記】私は数年前、脳出血による失語と右手の失行を発症して緊急入院し、開頭手術を受けた。手術は成功し、幸い日常生活に差し障るような後遺症は残らなかったのだが、術後間もないころは言語機能にかなりの違和感があった。これは、そんなある日のおはなしだ。

退院前日の昼下がり、私はコートをはおり、帽子をかぶって病院を抜け出した。まだ自分の身体が、どこか自分のものではないような感覚が残っている。私は一歩一歩、転ばないように病院近くの公園を歩いた。

地面に靴底が沈む感覚。頬にあたる風。救急車のサイレンや子どもたちの笑い声。冬という季節独特のさめざめとした空気に、土と枯れ葉や排気ガス、近くの焼き芋屋や池の水の匂いが入り混じり、目を閉じていても、その情報量に圧倒されそうになる。

水辺に立って目を開けると、視界の隅で何かがきらりと光った。私はあの光るものを知っている。しかし、とっさに日本語が出てこない。独り言が意図せず第2言語に切り替わる。

「… structural color, Morpho … No, No, … kingfisher」そうだ、あれはkingfisher(カワセミ)だ。羽の構造色で光を反射しながら、カワセミが音もなく水に飛び込み、小魚をくわえて飛び去った。

ことばが推力を持つとしたら

「Excellent(お見事)」。私は声に出さずにつぶやいた。しかし、何ということだろう。カワセミの見事な飛翔に対し、私ときたら「カワセミ」という単語一つ思い出すのに第2言語で遠回りな思考をしている始末だ。

私がもしも鳥で、私にとっての言語能力が鳥にとっての飛行能力だったとしたら、私はきっと長くは生存できないだろう。鳥は飛ぶということについて考えることがあるのだろうか。魚は泳ぐということについて思い悩むことがあるのだろうか。

きっと鳥や魚が力学を意識せず、飛んだり泳いだりしているのと同じように、普段、私たちは意識せずにことばを使っている。そもそも、最も研究されている英語ですら、その文法は完全に解明されていない。

私はいわば、飛ぶということについて考えている鳥のようなもので、そう考えると、ずいぶんと悠長な生物である。

渡り鳥の中には、一度も地に降り立つことなく、1万㌔以上飛び続ける鳥がいるらしい。グリーンランドと南極間を往復する渡り鳥もいるというから驚きだ。もちろん、その途中で命を落とすこともある。何もそこまでしなくても、もっと楽に生きる道もあるだろうに―などと思うのは人間の考え方で、きっと鳥たちには鳥たちの都合があるのだろう。

私だって、私のことばがもしも推力を持つとしたら、きっと月まで行って帰ってくることくらい、わけない気がする。他人のこと、いや、他鳥のことはあれこれと言えない。

機会があったらぜひ、飛ぶことについて、ことばについて、鳥たちとおはなししてみたいものだ。「まぁ、お互い、いろいろとあるよね」などと言いつつ、日がな1日ひなたぼっこすることになるような気もするのだが。(言語研究者)

《法律かけこみ寺》2 弁護士からの電話 本物?偽物?

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土浦市神龍寺(本文とは関係ありません)

【コラム・浦本弘海】生活にちょっと役立つ(かもしれない)法律マメ知識の提供を目指す本コラムも第2回。本年もよろしくお願い申し上げます!

さて、前回はハガキによる架空請求詐欺の実例を紹介しました。架空請求詐欺は電話のケースもあります。しかも、実在の弁護士を騙(かた)る事案まで発生しています。そこで今回は、弁護士を名乗る人物が本物なのか、弁護士の真贋(しんがん)判定法を紹介いたします。

「縁もゆかりもない(本物の)弁護士から電話がかかってくることなんてあるの?」とお考えの方もいらっしゃるかもしれません。このご時勢ですから、疑ってかかるのはアリです。しかし、残念ながら、ある日突然(本物の)弁護士から電話がかかってくることもあります。

たとえば逮捕・勾留という身柄拘束をされると、自分で電話をかけることができません。同居の親族には警察から逮捕の一報が入る場合もありますが、別居の場合などでは連絡がないこともあります。警察から連絡がない場合、ご家族に最初の連絡をするのが弁護士ということは珍しくありません。ある日、突然(本物の)弁護士から電話がかかってくること(しかもうれしくない内容の)は実際にあるのです。

真贋判定は簡単 弁護士会HPで

そこで、弁護士の真贋判定法です。まず、相手の名前と法律事務所名を確認します。次に、「すぐかけ直します」などと言って一旦(いったん)、電話を置き、日本弁護士連合会の「弁護士情報提供サービス ひまわりサーチ」にアクセスします(「弁護士 ひまわり」で検索すれば見つかります)。

このサイトは日本弁護士連合会のサイトで、信用性はピカイチです(サイト更新のタイミングで、情報がやや古い場合もあります…)。このサイトで「弁護士検索へ」を選び、先ほどの弁護士名を入れます(ひらがなでも検索できます)。ヒットしなければ、実在の弁護士ではないと考えられます。

ヒットした名前で確認すれば、事務所の電話番号などの詳細がわかります。これらは日本弁護士連合会に登録されている情報ですので、本物の弁護士に繋がります。この番号に電話をかけ、「さきほど電話を頂いた〇〇ですが、△△弁護士をお願いします」と言えば繋いでくれます。さて、△△弁護士(本物)は電話の人物と同じでしたか? この方法は架空請求だけでなく、弁護士を名乗る人物が本当に弁護士かを確認する手段としても有効です。

ところで、浦本弘海(うらもと・ひろみ)で検索してもヒットしません。これは実は偽弁護士だから…ではなく、ペンネームだからです。「検索しても出てこないぞ! 弁護士を騙る偽者だ!」という苦情はご勘弁を。(弁護士)

《制作ノート》3 つくばみらい市の不動院を描く

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雪の板橋不動院本堂㊧と三重塔(絵:沼尻正芳)

【コラム・沼尻正芳】初詣は、近くの板橋不動院に行っている。若い頃は除夜の鐘を聞きながら、最近は朝8時過ぎに出かけている。不動院は毎年、多くの参拝者で賑わう。

つくばみらい市にある不動院の正式名称は、清安山不動院願成寺。弘法大師空海が約1200年前に創建した古刹(こさつ)である。かつては七堂伽藍(しちどうがらん)の寺だったが、戦火で消失し、現在の建物は江戸時代に建立された。関東三大不動尊の一つとも言われている。

境内に入ると、朱塗りの楼門が出迎え、正面には本堂、右側には三重塔などがある。いずれも県指定文化財である。本尊は、空海が自ら彫刻したと伝えられている秘仏の不動三尊像(国指定重要文化財)で、年3回の開帳がある。本堂の中には、葛飾北斎直筆の絵馬が2点ある。

不動院に隣接する板橋小学校の6年生は、不動院を毎年写生する。宮大工が作った建物は、いずれも豪壮で、花鳥や龍などの彫刻で飾られ緻密(ちみつ)で実に美しい。これを絵にするのは至難の業である。子どもたちが一生懸命に描いている姿を見て、私もいつか不動院を絵にしたいと思った。我が家は不動院の檀家でもある。

雪の日に生まれたと聞いた私は、雪景色にも人一倍思いがある。最近、雪の日は珍しくなったが、雪が降るといつも不動院に向かう。朱塗りの不動院と白い雪のコントラスト。手が凍える中で早めのスケッチをし、写真を何枚も撮って数年間、不動院と雪景色の構想を考えていた。

風雪に耐え凜と立つ三重塔

2017年、雪降る中で背筋を伸ばして立つ三重塔をイメージし、80号のキャンバスに描くことにした。塔の手前に雪でしなだれる百日紅(さるすべり)の枝、雪をまとった塔と風に舞う雪、背景には雪で霞む欅や杉の大木。実際よりも雪を降らせ、風雪に耐え凜(りん)と立つ三重塔にしよう。塔の繊細な作りや色をどう取捨選択し、堂々とした塔の姿とどう両立させるか。雪空と降っている雪、積もった雪の白をそれぞれにどう変化させ融合させるか。この絵を描くことで学べたことがいろいろとあった。

昨年は、雪の日の本堂を同サイズで描いた。不動院境内には桜や銀杏、杉や欅などの大木が林立していたが、年々伐採され、今は少なくなった。以前にあった大きな桜の木を本堂の前に描き、枝越しに見る本堂に参拝する人を加えた。

三重塔の絵は、昨年、不動院に奉納させていただいた。本堂の絵は市に寄贈できたら、と考えている。絵を描くことで、少しでも地域に恩返しできればと思う。(画家)

【PS】 「塔に雪降る」(不動院三重塔)は、不動院入って右側の参詣者休憩所内に飾られています。不動院参詣の際はご笑覧いただければと思います。

《邑から日本を見る》32 英原発凍結と経団連会長発言の真意

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飯野農夫也氏の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】日立製作所は17日、「英国で進めてきた原子力発電所の新設計画を凍結する」と発表した。総事業費が3兆円規模と巨額で、採算が取れるメドが立たないからだ。これにより、安倍政権が成長戦略の柱として進めてきた「原発輸出」はゼロになる。

政府の原発輸出は2000年代、地球温暖化対策として原発が注目された時に打ち出された。他の製品輸出と違い原発は兆円単位と巨額で、東京電力福島第1原発の事故後、国内での新設が見込めなくなり、輸出に活路を求めた。政府は、技術の維持のためにも輸出が必要だとしてきた。

しかし、国内の原発メーカーである日立、東芝、三菱重工業が政府の後押しを受け、リトアニア、トルコ、ベトナム、台湾、アメリカで進めてきた計画は、すべて凍結や中止に追い込まれた。東芝は、アメリカの原発計画で多額の損失を計上し、本体の経営が存亡の危機にさらされた。日立も、今回の凍結で3000億円の損失を計上するという。これ以上深入りすれば、東芝の二の舞になることを懸念したと思われる。日立の東原敏昭社長は記者会見で「これ以上の投資は民間として限界だ」と述べている。

この日立の決定について、新聞各紙は「原子力政策総崩れ」(東京)、「原発輸出固執した政権 計画総崩れ」(朝日)、「日本 原発輸出手詰まり」(毎日)などと報じている。それなのに政府は「安全運転や東京電力福島第1原発事故の収束を実現するためにも、人材、技術、産業基盤の維持、強化は必要」(菅官房長官)、「政府が原発を輸出する方針に変更はない」(世耕経産相)などと強がりを言っている。

1旬で発言が180度変わった!

それより前の今月4日、日立製作所の会長でもある中西宏明経団連会長は「東日本大震災から8年が経とうとしているが、東日本の原発は再稼働していない。国民が反対するものは作れない。全員が反対するものをエネルギー業者や日立などの設備納入業者が無理に作ることは民主国家ではない」と述べた。原発の経済合理性が失われる中、原発を推進するには国民の同意が必要だと、当たり前のことを述べた。

その中西会長が15日の記者会見で「再稼働をどんどんやるべきだ。ただ、自治体がイエスと言わない。それで動かせない。『自治体の説得は電力会社の責任』では片付かない。(公開で)討論しなければならない」と話している。年初の発言とは全く違う。1カ月も経たないのに180度違う経団連会長としての中西会長の発言を、どう理解すればいいのか。

中西会長の一連の発言は政府へのしっぺ返しだとする見方もあるが、私は「日立の英国での凍結は儲からないから中断した。政府が原発の輸出は国策だと言うからそれに乗った。原発を止める気はないが、再稼働に対して自治体や住民がうるさく言っている。大いに議論して住民を納得させて前に進めろ」というのが真意ではないかと推測する。引き続き、政府と中西会長の発言、動向に注目していきたい。(元瓜連町長)

《食う寝る宇宙》30 奇跡的な「宇宙を学ぶ」人生

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【コラム・玉置晋】この原稿を書いているのは1月19日。奥さんが東京で勉強会とのことで、最寄駅まで車で送った。そこでは学ラン姿の応援団が、試験会場に向かう受験生諸君にエールを送っていた。そうか、今日は大学入試センター試験か。

僕がセンター試験を受けたのはもう20年以上も前。当時、僕は東北大で宇宙の勉強をしたかったのだけれど、現役のときは記念受験に近く、浪人してもセンター試験で8割弱しかとれず、結局落ちた。もう宇宙の勉強はできないと思っていたら、東京理科大でこの分野の勉強ができた。大学を卒業するとき、今は亡き父の介護が必要となり、地元茨城に戻った。就職すべきところを、茨城大の大学院マスターコース(修士課程)に入れてもらい、宇宙天気の勉強ができた。

2003年10月、太陽で大爆発が起こり、人工衛星が故障した。茨城大の屋上で太陽を見上げていた僕は、「人工衛星を護る宇宙天気アナリスト」になろうと考えた。当時、日本の宇宙開発はロケットの打ち上げ失敗とか、火星探査機の軌道投入失敗とかいろいろあって、停滞していたが、05年ごろに再始動し、急に人手が足りなくなった。なんと僕は、ハローワーク経由で宇宙開発の最前線に立つことになった。

奇跡的な宇宙人生である。だから、いい加減な仕事はしたくないと考えている。よい仕事をするためには常に学びが必要である。仕事を始めて10年が経ち、大学院に行こうと思った。

研究を続けてもいいでしょうか?

ここまでが、僕が社会人大学院生になるまでの流れ。僕は「宇宙天気災害」をテーマに広く研究したかったので、いきなりドクターコース(博士課程)に行くのは厳しいと認識していた。そこで、2回目のマスターコースを目指すことにした。放送大学の天文学ゼミの懐は広く、この研究テーマを認めてくれた。2年間の研究を経て、03年以降の宇宙天気と宇宙天気災害について整理することができた。

この成果は、今後、数年かけて極大期に向かう第25太陽活動期における「宇宙天気アナリスト」の役に立つはずである。1月13日、千葉市幕張にある放送大学本部で修士研究をプレゼンし、口頭試問を受けてきた。結果は後日判明する。

奥様、研究レポートの締め切りに追われて、家事が疎かになってしまい、申し訳なかったです。そして、サポート感謝しています。おかげで有意義な研究生活を送れました。ここで、ひとつご相談が。茨城大大学院のドクターコースに合格しました。研究を継続させていただいてもよろしいでしょうか?(宇宙天気防災研究者)

《地域包括ケア》28 広がる「地域見守りネットワーク」

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つくば市内で開かれている在宅介護者支援カフェの様子

【コラム・室生勝】つくば市の6圏域ごとに、圏域ケア会議・困難事例検討会が年6回開かれる。自宅での生活が継続困難な事例は、1人暮らし高齢者や高齢者のみの世帯の場合が多い。検討会には、検討事例の担当民生委員が出席して、その高齢者の生活状況や訪問時に感じる心身の状態、近所や知人友人との交流状況などを説明している。

民生委員の役割は、主として1人暮らし高齢者や高齢者のみ世帯などへの年1回の実態調査のための訪問と、その結果、支援や相談相手を必要とする高齢者の見守りを兼ねた継続訪問、そして福祉に関する情報提供や市役所への相談の手助けである。

支援や相談相手が必要と思われる高齢者のなかで、介護保険サービスを利用していない高齢者には社会福祉協議会(社協)の食事サービスを紹介することで、少なくとも月1回は訪問している民生委員が多いと聞く。後期高齢者の健康状態の変化や生活の不自由さは見出しにくい。少なくとも毎月訪問しなくては感知できないだろう。

訪問に迷惑そうな高齢者でも食事の宅配は喜ばれ、次回訪問の際には食事の感想を聞くことをきっかけに会話が広がるようだ。

在宅高齢者助成券(日常生活支援、マッサージ、布団丸洗い乾燥、タクシー利用など)の紹介も喜ばれ、なんとか毎月の訪問につなげる努力をしている。さらに、地域の「ふれあいサロン」や他の高齢者の集まりの勧誘や同行もしている。

日本人の平均寿命が伸び、後期高齢者も増えている。つくば市の後期高齢者人口は2015年には1万8123人だったが、18年には2万426人に増え、これに伴って1人暮らし後期高齢者世帯が4052から4955に増えている。

さりげなく、ゆるやかに

17年版高齢社会白書によれば、14年度の前期高齢者と後期高齢者について、「要介護」の認定を受けた人の割合をみると、前期高齢者では3.0%であるのに対し、後期高齢者では23.5%となっており、75歳以上になると「要介護」の認定を受ける人の割合が大きく上昇している。

民生委員は、1人暮らしや高齢者のみの世帯が閉じこもりにならないように、福祉サービスの利用や近所の高齢者の集いを勧めている。訪問していた80歳代男性の孤独死に遭い、防げなかったと悔やんでいた民生委員がいた。それは民生委員の責任ではない。

民生委員は、個人情報の守秘義務に努める立場から相談相手は限られ、孤独である。集落別、地区別に先輩が後輩の相談を受ける、あるいは民生委員同士がペアになって相談し合う体制にはなっていないのだろうか。

多くの民生委員が相談するのは、地域包括支援課もしくは地域包括支援センター(筑波、茎﨑両圏域)である。保健師、主任ケアマネジャー、社会福祉士のいずれかが同行訪問するが、1回では適切な助言はできないと思う。数回の継続した訪問が民生委員に対しても支援として必要であろう。

現在、社協の地域見守りネットワーク活動が各地区に広がりつつある。区長、民生委員、地域住民、ふれあい相談員などのチームのさりげない、ゆるやかな見守りにより、地域から孤立した人たちが発するSOSを感知する事例が増えている。この活動に関わる人たちは普段の民生委員の活動に情報を提供し、協力してほしい。(高齢者サロン主宰)

《宍塚の里山》31 専門家の協力も得て自然を知る

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谷津田の耕作

【コラム・及川ひろみ】「宍塚の自然と歴史の会」が発足したのは1989年ですが、間もなく会員が100名を超えました。初めて宍塚に来られた方は、土浦学園線からわずかに入った場所に、自然豊かなところがあることに大層驚かれ、異口同音に「いいところ」と言われました。人工物がほとんど見えず、静かで、しかも奥行があり、変化に富んだ景観に感動されました。

会発足間もないある日、ある方から「確かにいいところだけれど、いいところってどういうこと」との問いがありました。宍塚の自然の特徴を知るためには、自然環境を調べることが必要だと、仲間たち(会員には専門家が多数参加)と、昆虫、植物、野鳥などの調査を開始しました。なるべく標本に残すべきとの強い意見もあり、かなり克明に調べました。

そんなある日、地元の方が、宍塚大池の周りにある泉を案内してくださいました。すでに分からなくなっているところもありましたが、3カ所の泉が確認できました。中でも、地元の何人もの方から聞いていた「サメゲの泉」は、地中から滾々(こんこん)と沸き出ており、一緒に歩いた皆が感激しました。

それから毎月、3カ所の泉の水を採取し、有志が分析を続けました。サメゲの泉は年間を通して水温が一定で、夏は冷たく、冬になると湯気が立ち昇るのが見られました。

過去の宍塚に関する調査記録を探すとともに、地形・地質・水門などの専門家に調査を依頼し、1995年には「宍塚大池地域自然環境調査報告書」(A4判、224㌻)を出版しました。

多様な生き物が生息する場

この報告書には、チョウ、トンボ、クモ、両生類、維管束植物、藻類、水生植物分布などのほか、地形・土壌・水門など21の項目について、筑波大学、農業環境研究所、建設省土木研究所などの研究者による報告も所収されています。

調査結果や過去の記録から、宍塚の里山には、チョウ、トンボについては全国の4分の1以上の種が生息し、植物については県内に記録されている種の約3分の1が生育していることが分かりました。

貴重な種も数多く記録されました。トサハエトリ(クモ)は高知県で発見され、標本はポーランドで保管されていましたが、宍塚で採集されたものが当時日本唯一の標本でした。これらのことは、宍塚の里山が「多様な生き物が生息する場」であることを物語っています(日本の絶滅危惧種の約45%が里山環境に見られます)。

また、宍塚の谷津地形の一つが、約3万年前に形作られたものであり、貴重な地形であることも記されています。報告書作成によって、宍塚の自然環境のすごさが明確になりました。(宍塚の自然と歴史の会代表)

《世界に生きる》4 日本の常識は世界の非常識?

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筑波学院大学

【コラム・大島愼子】私がドイツの航空会社に勤務して学んだ異文化対応は多々ある。当初は客室乗務員であり、香港からバンコクまで乗務した便はその先のニューデリーで墜落した。1973年12月のことで、当時は日本から欧州へは、北回り、南回り、モスクワ経由と3ルートあった。航空機の航続距離の問題や中国上空のルートが開拓されておらず、日本と欧州を結ぶ直行便は存在していない時代である。また、この時は、ニューデリー空港は設計ミスで風向きで砂塵が舞うため、滑走路が見えにくく、日本航空も前年に事故を起こしている。もちろん同空港は改善されて、今は全く問題ない。

飛行機が墜落したという噂はバンコクのホテルで入手でき、乗務員のローテーションで2日後にはニューデリーに到着した。航空会社は、事故があってもスケジュール便は運航を継続するのである。事故機の機長は病院に運ばれたが、ドイツで一緒に生活していたパートナーの客室乗務員は乗務で香港にいた。すると、本社の運航本部は彼女の乗務を解き、ドイツから代替要員を香港に送り、彼女を他社便でニューデリーに送り、病院で機長の介護に従事させたのである。

客室乗務員の仕事上は、代わりの要員が手配できれば乗客へのサービスは何も問題ない。 運航本部の判断は、事故機の機長のケアを優先することであった。日本人である私は、その対応を聞き、公私混同だと違和感を持った。また、これが日本の航空会社で、例えば羽田で事故を起こした機長の看病に、パートナーの客室乗務員が大阪から乗務をキャンセルして駆けつけたら、日本のメデイアは何と報じるか、「客をそっちのけで公私混同とか、”同棲の相手が駆けつける”などの見出しで、スキャンダラスに報道されるのではないか」と思った。

40年経った現在でも、日本の航空会社はこのような措置はとらないのではないか、と考える。ところが当時のドイツでは、従業員のケアも乗客と同じく重要という考え方に、批判は全く起きなかった。

事故の際に広報担当者の仕事は?

似たような「目から鱗(うろこ)」は、その後、広報担当者になってからも経験した。1985年の日本航空御巣鷹山事故である。当時NHKは、搭乗客名簿を延々と流し、キャスターの木村太郎氏は「報道の使命と義務として、乗客の氏名を伝える」と述べていた。その直後に、本社で70カ国からの世界規模の広報会議があり、危機管理がテーマであった。

「事故の際に広報担当者の仕事は?」と質問があったので、私はよせばいいのに「搭乗客名簿の公開」と回答した。自分はNHKから最新の情報を得たと自信があった。ところが、会場内には大ブーイングが起きた。日本以外の国は個人情報保護法があり、顧客情報は個人の了承を得ずに一方的に外部に出してはいけなかったのである。天下のNHKが、犠牲者氏名の公開が報道の使命だ、義務だ、というのは日本だけの常識であった。

グローバル時代というが、広い世界の考え方は一朝一夕には理解できない。日本人は偏屈だと言われないように、視野を広くすることである。(筑波学院大学 学長)

《続・平熱日記》30 正月という節目にお酒をやめてみた

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【コラム・斉藤裕之】さて、元旦の朝のこと。東の空から出る有り難い初日を迎えしは、私ひとり。むしろ、いつもより遅く起きてくる家族。それでも正月の料理を前に、親しき中にも礼儀あり。新年のあいさつなどを済ませて、友人にもらったロゼなどを一口。そのとき「わしは酒に向いてねえ!」と確信しました。それ以来、40年間の燃料であったお酒をやめてみました。

パイロットの飲酒問題なんかがニュースになっていますが、私は特に酒で失態をさらしたとか、検診で赤信号ということはありません。しかし、近年、酔いも早く回るなどもあり、そろそろ潮時かなということで、正月という節目にやめてみたのです。

不思議なもので、毎日欠かさず摂取しておりましたお酒を断って、これが快適なのです。また、昨年は後輩の一言をきっかけに、愛煙家も卒業することとなりました。「意思が強いですね」って言われましたけど、そんな大したことじゃありません。下の中が下の上になったほどのことです。

でも金輪際飲まないわけでは…

というわけで、高校卒業以来、酒もたばこもやらない健全な大人になって迎えた平成最後の年。しかしながら、「水清ければ魚棲まず」の例え通り。健全なことは必ずしも善ではありません。「君の絵には毒がないんだよね」。学生の絵を見て、ある先生が発したお言葉を思い出します。ゆえに、基本的に不健全かつ見た目も汚いおじさんのスタンスは今年も維持していこうかと。

しかるに、少々困ったことが。お酒をやめたせいなのでしょうか、就寝時間がずれて寝坊をするようになってしまったのです。早朝画家として、4時には犬の散歩に出かけ、その後絵を描くことが習慣だった私にとって、寝坊は痛い。とはいえ5時ぐらいなのですが、なかなか絵が描けないでいる今日このごろです。

そんなこんなで、今年も気が付けば半月が過ぎました。なんだよって言われそうですが、私、お酒を金輪際飲まないわけではありません。お誘いあらばやぶさかではないことを付け加えておきます。その辺はゆるーい感じで生きていますので、よろしくお願いいたします。(画家)

《吾妻カガミ》48 芝居「つくばファースト」上演中!

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つくば市役所

【コラム・坂本栄】前回のコラム「つくばファースト? 研究学園の変な議会」(1月7日掲載)で、つくば市の指定管理者選定問題を取り上げました。要約すると、市がきちんとした手続きで選んだ「東京の業者」を議会がひっくり返し、議会は地元の会社にやらせたい―という話です。

問題になっているのは「つくばウェルネスパーク」(スポーツ施設)の管理者ですが、市当局と市議会のズレ、「議会の勝ち」というわけにはいかず、もう一波乱ありそうです。

というのは、透明性の高い選定を否決されたことにカチンと来たのか、市長の五十嵐さんが「ゼロベースで選び直したい」と言っているからです。市の選定委員会に再度諮り、選び直した業者を議会に再提案する―こういったシナリオを考えているようです。

この辺の経緯については、本サイトの記事「公募からやり直し 議会否決のつくば市指定管理者」(1月15日掲載)をご覧ください。市案に反対した議員の名前も出ています。

市当局vs市議会、大歓迎です。税金の使い方(東京の業者の受託費の方が安い)、提供されるサービスの質(東京の業者がベスト)、地域活性化策(地元業者へ優先発注)の是非などの議論が、市民の前に晒(さら)されるからです。再選定のプロセスで、市長、各市議がどう演じるか、楽しみにしています。

喜劇「医科大男子ファースト事件」

市の再提案を前に、展開が気になっています。「ゼロベースで」と言いながら、議会との衝突を避けるため、市は選定基準を変え、議会が受け入れる業者を選び直す―こういった筋書きになるのではないかと。

選定といえば、大学受験の合否判定で事件がありました。東京医大の不正入試です。報道によると、総合点を計算する際、女子は減点され、男子が有利に扱われていたそうです。この男子ファースト採点式はマル秘にされ、女子はバカを見ることになりました。

事件には続編もありました。合否判定基準がブラックであることをいいことに、受験ブローカー(なんと元国会議員)が暗躍、「サクラ散る」レベルの受験生を大学に押し込んでいたというのです。受験者―仲介者―大学の間で、おカネが動いたのかどうか知りませんが、同大卒の質が心配です。

元へ。とにかく、指定管理者選び直しのプロセスで、選定式を地元有利(女子受験生減点を真似て市外業者減点)に書き換えるようなことはないか、気になります。世界の自治体のモデルを目指す、研究学園つくば市ですから、そんな笑える話にはならないと思いますが。(経済ジャーナリスト)

《沃野一望》1 脱藩の吉田松陰、常陸国へ

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つくば道
広田文世さん

【ノベル・広田文世

灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼

我(わが)ひめ歌の限りきかせむ  とて。

江戸時代の末期、嘉永4(1851)年朧(おぼろ)月=12月=、ひとりの若い武士が、前夜宿泊の松戸の寺を出立し北へ向かい、利根川手前へ差し掛かっていた。利根川渡しは、江戸と水戸を結ぶ水戸街道の要衝。渡れば本陣を構える取手宿。若い武士は、渡し場で待ち伏せる追っ手を警戒し、利根川を渡らずに上流へ迂回(うかい)した。

武士の名は、吉田大次郎、松陰と号するは後のこと。才気煥発(かんぱつ)の22歳。水戸藩の尊攘の師との面談を求め、江戸長州藩邸を出立し2日目のこと。

この出立、安寧(あんねい)なものではなかった。藩から東北遊行の許可を得ていたが、手続き上の齟齬(そご)があり、過所手形の発行が遅れた。友人の宮部鼎蔵(ていぞう)・安芸五蔵のふたりと水戸で落ち合うため、かねてより出立の日を12月14日、赤穂義士討ち入りの日と盟約していた。その日が、迫ってきてしまった。大次郎は、過所手形なしに藩邸を後にする。これは、脱藩行為にあたる。

江戸時代、藩士の脱藩は、藩(藩主)に対する最大の背信。本人はもとより、罪は一族へ及ぶ。時代劇で安直に扱われるような軽々しいものではない。

利根川を渡れば 筑波山が面前に

にもかかわらず松陰は、己の脱藩の正当性を信じ藩邸を後にした。後日、この旅行を記した「東北遊日記」の冒頭で、今回の脱藩の大義を陳述している。

「ここに於て遅疑(ちぎ)せば、人必ず曰(いわ)ん、長州人は優柔不断なりと。是れ国家(ここでは長州藩)を辱むるなり。亡命は国家に負(そむ)くが如しと雖(いえど)も、而(しか)も其の罪は一身に止まる。之れを国家を辱むるに比すれば、得失如何(いかん)ぞや」

長州藩(人)が、約束を破る集団だと非難される辱めに較べれば、1人の藩士の脱藩の罪は、其の藩士の身の上に止まる、藩の辱めと個人の罪と、どちらが重要なのだと、過激に主張した。理詰め松陰の脱藩論。

それでも脱藩は脱藩。出立2日目、大次郎は、藩からの追っ手を一応警戒した。脱藩逃避行2日目の行程経路は、前述の本人の日記から。

「右に手賀沼を視る。直行せば則ち安彦(あびこ)諸駅を経、土浦を過ぎて水戸に至るべし。余は水海道を過ぎんと欲す、故に左折して小路に入り花井村を経て船戸に出づ。舟もて刀根川(とねがわ)を済れば、筑波山、面前に当る」

利根川を渡り常陸国へ入った。筑波山の鋭鋒が前方に聳(そそり)立つ。大次郎、途端に登りたくなる。友との盟約を優先させた脱藩行が、好奇心を充たす旅へ転化してゆく。冬の残照に浮きでる筑波山を、眼を輝かせて仰視する。

松陰は明日を期し、常陸国1日目の宿を水海道とした。(作家)

【ひろた・ふみよ】土浦一高、山梨大学工学部卒。1984年、株式会社トータルシステムデザインを設立、社長に就任。2017年から会長。旧常陽新聞に茨城紹介紀行『いばらき・里・山・みち』を掲載。小説集『桜田門外雪解せず』で「茨城文学賞」受賞。小説『縁故節現世考』で「やまなし文学賞」受賞。小説集『天狗壊滅』で「日本自費出版文化賞」特別賞受賞。72歳、土浦市在住。

《続・気軽にSOS》29 「ゲーム依存症」が病名に

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【コラム・浅井和幸】昨年6月、世界保健機関(WTO)が国際疾病分類の第11回改訂版(ICD-11)を公表、WTOによる30年ぶりの改訂と、厚生労働省からの周知がありました。これを受け、ICD-11の日本への適用案が公表され、和訳案を今年5月開催のWHO総会に提出する手続きが進められます。そして、数年の審議を経て国内で施行されます。

簡単に言うと、これらの分類が病院の診断書に書かれる診断名の基準に使われるということですね。私は精神保健福祉士ですので、注目は精神科が扱う疾患です。これらの診断名は、治療、障害者手帳、障害者年金、障害者福祉支援などの利用に大なり小なり影響がありますので。

日本での適用は数年後にはなりますが、「精神および行動の障害」に関して注目されるものの一つに「ゲーム依存症」があります。「Gaming Disorder」は、「ゲーム障害」でしょうか「ゲーム依存症」でしょうか。ネット依存症なんて言葉もありますが、ネットで何をしているかで、ギャンブル依存なのか、買い物依存なのか、他の依存症なのか、診断が分かれるかもしれません。その辺は施行を待ちましょう。

依存は程度問題 付き合い方も大事

前置きが長くなりましたが、今回お伝えしたいのは、このような病名が一般に広まると、ゲーム自体が悪者にされ、排除され過ぎる場面の懸念です。

一昔前に、病名ではありませんが、「ゲーム脳」なんてグロテスクな概念がはやりました。脳に異変が起こるぐらいゲームをすることは危険という考え方ですが、その後、様々な識者から批判、否定されていますので、お気を付けください。

依存という病名になるほどのもとは、すべて排除した方がよいと考えるとどうなるでしょうか。ICD-10では、アルコール、幻覚薬、タバコなど、様々な依存性物質による依存症候群の分類がされています。ここまでだと、なくした方がよいという人が多いかもしれませんが、それに並んでカフェインもあるのです。コーヒー、お茶、栄養ドリンク、ココア、チョコレートも排除した方がよいと主張する人は少数になるでしょう。

ゲームもまったく同じです。すべては程度問題であることを認識して、生活に支障が出るようにならなければ、生活の潤いになることは忘れてはいけないのです。排除ではなく、うまい付き合い方、対人間や社会とのコミュニケーションも並行して考えられるとよいですね。

それでも支障が出るようになれば、医療という力も借りられる時代が近くまで来ていると捉えましょう。その先には、心理や福祉の力が続くことも考えられます。

今現在でも、独立行政法人国立病院機構久里浜医療センターでは、治療の対象とされています。身近な所では、県精神保健福祉センター地域の県保健所、県保健センターに相談するようにしてみてください。(精神保健福祉士)

《霞ケ浦 折々の眺望》1 霞ケ浦の魅力を発信しよう

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沼澤篤さん

【コラム・沼澤篤】昨年も都道府県魅力度ランクで茨城県は最下位だった。県民はこの結果に慣れ、気にしない人が多い。一方、県民の所得額や県の経済力ではベストテン入りしている。農畜産業分野では常に上位。温暖で暮らしやすい、世界有数の科学都市がある、優れたスポーツ選手を輩出している、等々の事実が県民に余裕を与えているようだ。

魅力度調査方法の客観性に課題があるのではとも思う。しかし、茨城県民の郷土愛では、他県民に比較して不足するようだ。

その県の魅力度は、県民が郷土について熱く語る志の高さに比例するのではないか。観光地、名産品、景観、郷土の偉人、県民性などを語る時の、生き生きした表情に我々は引かれ、その県を訪問したいと思う。果たして、茨城県民は郷土の魅力を積極的に語ってきただろうか。県民が茨城県の魅力を発信する力が弱い。全国で唯一、県域テレビ局がない。

例えば、日本第2の湖、霞ケ浦の魅力を誇り高く語れる人がどれほどいるか。私は霞ケ浦の環境問題に取り組む市民活動に加わって30年が過ぎた。最初のころは、霞ケ浦への県民の関心の薄さに当惑した。ここ数年は、霞ケ浦環境科学センターの「霞ケ浦学講座」の講師を務め、「霞ケ浦の全体像を体系的に把握する」という目標を提示している。

毎回出席する熱心な受講者もおられる。問題は一般県民が霞ケ浦をよく知らないことである。昨年10月には第17回世界湖沼会議が当地で開催され、会期中は茨城新聞などで連日報道された。しかし、年末の「読者が選ぶ県内10大ニュース」に入らなかった。慨嘆せざるを得ない。

りんりんロード 地域活性化の新しい動き

滋賀県民は琵琶湖を誇りにしている。「湖国」「マザーレイク」とも呼ぶ。琵琶湖を愛する心が、水質、景観、信仰などの文化を守る行動に直結している。琵琶湖を汚す排水を出す事業者は警察に摘発され、条例による罰則が適用される。

琵琶湖では、延暦寺、石山寺、浮御堂、竹生島など、湖と信仰の伝統文化が今も息づいていることが評価され、日本遺産に登録された。日本発祥の国際会議である世界湖沼会議は琵琶湖から始まり、世界各地で引き継がれている。本県は滋賀県に多くを学んできたが、湖への姿勢は今も相当の較差(かくさ)がある。

しかし、悲観したものではない。筑波山地域ジオパークに霞ケ浦も指定され、各種啓発事業が行われている。つくば霞ケ浦りんりんロードは日本一長い自転車道として注目され、地域活性化への新しい動きが出てきた。先の世界湖沼会議では5カ所のサテライト会場が盛況だった。今年の「いきいき茨城ゆめ国体」ではセーリング競技の会場になる。

従来、自然保護や環境問題に取り組む市民が活動してきたが、霞ケ浦を主題にした絵画、音楽、写真、映画、文芸、歴史、民俗などの文化的な分野にいそしむ人々が少しずつ出てきており、期待したい。霞ケ浦が県民の誇りになり、その素晴らしさを発信すれば、魅力度ランクもアップするに違いない。(霞ヶ浦市民協会研究顧問)

【ぬまざわ・あつし】山形大学理学部生物学科卒。千葉大学大学院、東京大学大学院修了、理学博士。医薬品会社研究員、自然公園職員などを経て、1989年より霞ケ浦の市民活動に参加。霞ケ浦情報センター主任研究員、茨城大学農学部非常勤講師、同教育学部特任教授、霞ケ浦環境科学センター嘱託職員などを歴任。現在、(一社)霞ヶ浦市民協会・研究顧問。67歳。山形県出身、土浦市在住。

《くずかごの唄》30 隣はノラクロおじさんの家だった

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【コラム・奥井登美子】兄が特別大事にしている写真があった。木の橋の上で小学生の兄が笑っている。「この小さな橋は何なの?」「荻窪の家の近くに小川があって、そこでよく遊んだ」「そのころの荻窪は、野原や小川なんかがあったのね」「お隣に、ノラクロのマンガを画く田河水泡が引っ越して来たんだよ」「ノラクロおじさんがお隣に…それはラッキー」

「そのころ、ノラクロの人気はすごかったよ。ノラクロキャラメル、遊園地に行けばノラクロブランコ。ノラクロブームだったんだ。僕も、お隣なのでうんと遊んでもらおうと期待していたのに、今度は僕の家が引っ越しちゃって。それからは、原っぱで野球ばかりやってたなあ」「せっかくノラクロおじさんが隣に来たのに、何で引っ越したの?」「さあ、わからない、親父に聞いてくれ」

いつだったか、父に、ノラクロおじさんのお隣から引っ越したいきさつを聞いたことがある。田園地帯だったそのころ、阿佐ケ谷、荻窪などは、関東大震災で焼け出された人たちの新しい住宅地。子育てに環境のいい家が、たくさん建てられたという。

わが家も、新富町の家が焼けて荻窪に引っ越した。子煩悩な父は、学生時代に子供たちを集めて、今でいう「子供文庫」のようなものをやっていた。子供が欲しかったけれど、母の心身の具合が良くなかったらしい。10年目に私が生まれたときは、とてもうれしかったという。

小児科医の近くに引っ越したわけ

でも、身体が弱かった。1才のときに法定伝染病のジフテリアにかかって入院し、なんとか一命を取り止めた。治ってほっとしたのもつかの間、喉が弱くて、すぐ熱を出す。

父は心配で、心配で、10年目にやっと生まれたこの子を、熱なんかで死なしてなるものかと決心して、入院時にお世話になった小児科の勤務医・飯島先生が同じ荻窪に住んでいらっしゃることを知って、とうとう先生の家の1軒置いてお隣に引っ越してしまった。

そのころの荻窪は、探せば手ごろな家が方々にあったらしい。3~4歳のころだろうか、よく夜中に熱を出す。私は父に抱かれて、飯島先生とタクシーで淀橋病院へ行ったのをおぼろげながら覚えている。わが家の引っ越しの謎は、私の熱だった。(随筆家)

《ご飯は世界を救う》7 「カフェ・バンライケン」

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カフェ バンライケン

【コラム・川浪せつ子】カフェ巡りがスキです。今回のカフェ「バンライケン」さん(土浦市中村南)は、国道6号、通称「水戸街道」と、つくば市に至る学園東大通りが交差する所にあるビルの2階にあります。すぐ近くのホームセンターには画材屋さんがあるので、よく通っていました。

「交差点に面したビルの1階のお布団屋さんの上に何かできているなぁ」。寄ってみましたら、お布団屋さんからは想像もできないようなオシャレなカフェ。すっかり気に入りました。

私が発見したころ(8年ぐらい前だったでしょうか)は、開店したばっかりだったようで、お店にはあまり人がおらず、店主さんとよくお話ししました。知りたがり屋の私、店主さんに質問攻め。(大変失礼いたしました!)

「カフェなのにどうして『バンライケン』っていう名前?」「実家が柏市で中華料理屋をやっていて、『萬来軒』って名前だったので」

「どうして、ここでカフェ?」「実は、柏から新宿まで通っていたんです。サラリーマンしていて。毎日毎日、都会の雑踏の中で。柏市はまだ緑が多くて、都心に比べてユックリしているところで育ったので、都会の毎日から、ちょっとリフレッシュしたくて『美浦のトレーニングセンター』まで、たまに馬に乗りにきていました。そんな縁もあって」

お店の人が幸せだとお客も幸せ

親しい友人が、柏在住。息子が柏の高校に通っていたこともあり、柏市の良さ知っている私。そして私は東京の新興住宅地で育ち、都心に通勤していたので、「バンライケン」さんの気持ちがとても理解できました。

少子高齢化の現代、長時間労働、給料も上がらない、年金も当てにならない…。そんな中で、「昭和のモーレツサラリーマン」みたいな毎日を過ごすのは嫌だ、という若い人たちが増えているような気がします。仕事より家族、自分の趣味を大切に…。時代の流れの中で、人々の生き方、考え方も変化していくのですね。

やっと就職しても、辞めてしまう若い人が多くいるというのは、会社や個人的なことだけでなく、世の中の変化でもあるのでしょう。かつての自分を振り返り、「あんなに毎日毎日夜中まで仕事をしていたのは、何だったのだろう」と、ふと思います。

「バンライケン」さんには、コーヒーの自家焙煎の機械があるんです。お店のドアを開けたとき、なんとも幸福ないい香り。そして、店主さんのユッタリとしたお顔と、美味しいコーヒーと食事。お店をやっている方が幸せな気持ちだと、行く方も幸せになるのです。

生き方は一つではなく人の数だけあって、自分が幸せを感じたら、周りも幸せになるのだと思います。(イラストレーター)

《映画探偵団》15 今年の初夢は「桜川文化圏構想」

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【コラム・冠木新市】1960年代の楽しみの一つは、新年に日本映画各社が発表するその年公開予定のラインアップだった。ずらりと並んだ映画のタイトルにワクワクさせられたが、年末になると製作されなかった作品が何本もあった。しかし、夢をかきたててくれたのでだまされた気はしなかった。

1970年代「スター・ウォーズ」(1977年)が公開されたが、悪のダース・ベイダーが逃亡して終わる結末に拍子抜けした。だが公開後、この作品は9本ある物語の中間部にあたるとのニュースが流れ、驚くとともに、当時はまだ見ぬ8本が気になってならなかった。

監督のジョージ・ルーカスは全作つくるつもりではなかったようだ。けれども今年末には9本目が公開される。シリーズの完結に約40年かかったわけだ。

「幻に終わった傑作映画たち」(竹書房)という本を購入した。1920年代から2000年代まで、種々の理由で完成に至らなかった50数本の記録が書かれている。オーソン・ウェルズの「ドン・キホーテ」、フェデリコ・フェリーニの「Gマストルナの旅」、セルジオ・レオーネの「レニングラードの900日」等々。

これらは各監督の伝記などで紹介され知ってはいたが、これだけ集められると壮観で圧倒される。レオーネの項に次の一節があった。「めったにお目にかかれないよ。まだ撮ってもいない映画についてあんなにべラベラと、しかも、しょっちゅう喋る監督なんて」と。

幻の映画とは夢みたいなものである。だから語りたくなるのが自然ではないのか。団員との新年会で、最近は夢を語る人が少ないとの話で一致した。大きな話をして、馬鹿にされるのが怖いのか。実現できなかったらと不安で口ごもるのか。確かに、夢を語る人の話は、他人にとってはホラ話と聞こえなくもない。

植木等の「日本一のホラ吹き男」

「日本一のホラ吹き男」(1964)という植木等主演の作品があった。主人公の初等(はじめ・ひとし)は東京オリンピック三段跳びの選手候補で、練習中に世界記録を出すがケガしてしまう。故郷に戻った等は、地中から発見された先祖の一代記を読む。そこには、ホラを吹いて日夜努力して目的を達成する教訓が書かれてあった。

先祖の教えに奮起した等はオリンピックをあきらめ、一流企業の臨時守衛を皮切りにホラを吹いて出世し重役となり、社内の美女を射止める。周囲の抵抗に少しもひるまず、猪突猛進で有言実行する姿がリズムカルに表現され、楽しい作品に仕上がっていた。

人には、黙って夢を実現する人とペラペラと夢を語って実現する人の2つのタイプがある。私は後者を支持する。夢を語る人に接すると、こちらも楽しくなるからである。

なぜ新年にこんな話を持ち出すかというと、講演会(2月16日)のチラシを手にしたからだ。チラシには「つくば市長五十嵐立青が語る つくばのグランドデザイン」と上にあり、真ん中に「世界のあしたが見えるまち。TSUKUBA」とデンと大きくあり、その下に小さく「市長は何を語るのか!」とあった。

まるで50年前の映画ラインアップの空気感が漂っている。昨年の「中心市街地ヴィジョン」は残念だったが、今年は期待が持てそうだ。

いや、私も初夢を語ろう。今年は、桜川市、つくば市、土浦市を流れる桜川流域の文化とアジアの文化を結ぶ『桜川文化圏構想』に取り組むつもりである。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)