【コラム・冠木新市】1960年代の楽しみの一つは、新年に日本映画各社が発表するその年公開予定のラインアップだった。ずらりと並んだ映画のタイトルにワクワクさせられたが、年末になると製作されなかった作品が何本もあった。しかし、夢をかきたててくれたのでだまされた気はしなかった。

1970年代「スター・ウォーズ」(1977年)が公開されたが、悪のダース・ベイダーが逃亡して終わる結末に拍子抜けした。だが公開後、この作品は9本ある物語の中間部にあたるとのニュースが流れ、驚くとともに、当時はまだ見ぬ8本が気になってならなかった。

監督のジョージ・ルーカスは全作つくるつもりではなかったようだ。けれども今年末には9本目が公開される。シリーズの完結に約40年かかったわけだ。

「幻に終わった傑作映画たち」(竹書房)という本を購入した。1920年代から2000年代まで、種々の理由で完成に至らなかった50数本の記録が書かれている。オーソン・ウェルズの「ドン・キホーテ」、フェデリコ・フェリーニの「Gマストルナの旅」、セルジオ・レオーネの「レニングラードの900日」等々。

これらは各監督の伝記などで紹介され知ってはいたが、これだけ集められると壮観で圧倒される。レオーネの項に次の一節があった。「めったにお目にかかれないよ。まだ撮ってもいない映画についてあんなにべラベラと、しかも、しょっちゅう喋る監督なんて」と。

幻の映画とは夢みたいなものである。だから語りたくなるのが自然ではないのか。団員との新年会で、最近は夢を語る人が少ないとの話で一致した。大きな話をして、馬鹿にされるのが怖いのか。実現できなかったらと不安で口ごもるのか。確かに、夢を語る人の話は、他人にとってはホラ話と聞こえなくもない。

植木等の「日本一のホラ吹き男」

「日本一のホラ吹き男」(1964)という植木等主演の作品があった。主人公の初等(はじめ・ひとし)は東京オリンピック三段跳びの選手候補で、練習中に世界記録を出すがケガしてしまう。故郷に戻った等は、地中から発見された先祖の一代記を読む。そこには、ホラを吹いて日夜努力して目的を達成する教訓が書かれてあった。

先祖の教えに奮起した等はオリンピックをあきらめ、一流企業の臨時守衛を皮切りにホラを吹いて出世し重役となり、社内の美女を射止める。周囲の抵抗に少しもひるまず、猪突猛進で有言実行する姿がリズムカルに表現され、楽しい作品に仕上がっていた。

人には、黙って夢を実現する人とペラペラと夢を語って実現する人の2つのタイプがある。私は後者を支持する。夢を語る人に接すると、こちらも楽しくなるからである。

なぜ新年にこんな話を持ち出すかというと、講演会(2月16日)のチラシを手にしたからだ。チラシには「つくば市長五十嵐立青が語る つくばのグランドデザイン」と上にあり、真ん中に「世界のあしたが見えるまち。TSUKUBA」とデンと大きくあり、その下に小さく「市長は何を語るのか!」とあった。

まるで50年前の映画ラインアップの空気感が漂っている。昨年の「中心市街地ヴィジョン」は残念だったが、今年は期待が持てそうだ。

いや、私も初夢を語ろう。今年は、桜川市、つくば市、土浦市を流れる桜川流域の文化とアジアの文化を結ぶ『桜川文化圏構想』に取り組むつもりである。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)