【コラム・玉置晋】この原稿を書いているのは1月19日。奥さんが東京で勉強会とのことで、最寄駅まで車で送った。そこでは学ラン姿の応援団が、試験会場に向かう受験生諸君にエールを送っていた。そうか、今日は大学入試センター試験か。

僕がセンター試験を受けたのはもう20年以上も前。当時、僕は東北大で宇宙の勉強をしたかったのだけれど、現役のときは記念受験に近く、浪人してもセンター試験で8割弱しかとれず、結局落ちた。もう宇宙の勉強はできないと思っていたら、東京理科大でこの分野の勉強ができた。大学を卒業するとき、今は亡き父の介護が必要となり、地元茨城に戻った。就職すべきところを、茨城大の大学院マスターコース(修士課程)に入れてもらい、宇宙天気の勉強ができた。

2003年10月、太陽で大爆発が起こり、人工衛星が故障した。茨城大の屋上で太陽を見上げていた僕は、「人工衛星を護る宇宙天気アナリスト」になろうと考えた。当時、日本の宇宙開発はロケットの打ち上げ失敗とか、火星探査機の軌道投入失敗とかいろいろあって、停滞していたが、05年ごろに再始動し、急に人手が足りなくなった。なんと僕は、ハローワーク経由で宇宙開発の最前線に立つことになった。

奇跡的な宇宙人生である。だから、いい加減な仕事はしたくないと考えている。よい仕事をするためには常に学びが必要である。仕事を始めて10年が経ち、大学院に行こうと思った。

研究を続けてもいいでしょうか?

ここまでが、僕が社会人大学院生になるまでの流れ。僕は「宇宙天気災害」をテーマに広く研究したかったので、いきなりドクターコース(博士課程)に行くのは厳しいと認識していた。そこで、2回目のマスターコースを目指すことにした。放送大学の天文学ゼミの懐は広く、この研究テーマを認めてくれた。2年間の研究を経て、03年以降の宇宙天気と宇宙天気災害について整理することができた。

この成果は、今後、数年かけて極大期に向かう第25太陽活動期における「宇宙天気アナリスト」の役に立つはずである。1月13日、千葉市幕張にある放送大学本部で修士研究をプレゼンし、口頭試問を受けてきた。結果は後日判明する。

奥様、研究レポートの締め切りに追われて、家事が疎かになってしまい、申し訳なかったです。そして、サポート感謝しています。おかげで有意義な研究生活を送れました。ここで、ひとつご相談が。茨城大大学院のドクターコースに合格しました。研究を継続させていただいてもよろしいでしょうか?(宇宙天気防災研究者)