火曜日, 4月 22, 2025
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《続・平熱日記》32 日本の英語教育に疑問感じています

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【コラム・斉藤裕之】「冬の朝、洗濯機から出した冷たいシャツの袖に手を突っ込んで引っ張り出すことほど嫌なことはない」。これくらいのことは英語でガツンと言ってやりたい。洗濯物の袖を「ボーシット!」とひっくり返しながら、私は思うのです。

以前にも書いたことがありますが、日本の英語教育に私は疑問を感じています。第1に、この国では日常的に使うことがない英語を必死こいて学ぶ意味があるのかと。それでも英語は必要というならば、今のやり方では手ぬるい。

本気ならば、小学校入学時から週数時間は必修化するべきでしょう。また、例えばフィリピンなどの英語教育先進国からノウハウを学ぶべきです。大学入試に、民間の試験どうこう言っている暇があったら、本気でやれよって。

私自身も英語教育の犠牲者として悔しい思いもしましたし、私の子供たちの時代には間に合わず、果たしていつになったら日本人は普通に英語が使えるようになるのでしょう。今のままでは、英語の話せるエリートとそうでない者の差が生じるだけです。

英語漬け宿泊学習施設

そんなことを感じながら、未練がましく車中で英語のCDなんか聞いているところに、「教室をイギリス風にして欲しい」という突然の相談を受けまして。英語教育に力を入れているという市内のある中学校。東北地方のある施設に毎年英語の研修に訪れていて、空き教室を、その記録などを展示する部屋にしたいとのこと。

パンフレットを見ると、この施設、緑深き森の中、イギリスの大邸宅を移築してきたかのような豪華な造りで、某語学学校が経営するネイティブのスタッフによる英語漬け宿泊学習施設だとか。

こんな私でお役に立てばということで、とりあえず現場に向かってはみたものの、そこはただの日本の典型的な学校の教室。かみさんの趣味で、アガサ・クリスティーやホームズなどのドラマをテレビでイギリスの風景はよく見ているものの、限られた条件でどうしたものかと思案。

結局、ブリティッシュグリーンなどの色彩を効果的に使うことともに、読まなくなった英語で書かれた本を寄付してもらい、ディスプレイなどしてなんとかイギリス感を出すことにしました。

ちなみに、かの宿泊施設は「ブリティッシュ・ヒルズ」といい、キャッチコピーは「パスポートのいらない英国」。皮肉にも、イギリス本国はEU離脱でてんやわんやで、出入国も面倒くさくなりそうですが。

あ、洗濯物の袖や裾はちゃんと出しましょうね。はい、これを英語で!(画家)

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《邑から日本を見る》 34 涌井義郎さんらの本『有機農業をはじめよう!』

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飯野農夫也氏の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】テレビを見ていると、食べものや健康についての番組がやたらに多い。特定の食材を挙げ、何に効く、血圧が下がる、年齢が若く見えるなど。作り方まで教えてくれる。レストランや和食、ソバなどの店、魚や肉、野菜などの食材の店なども、毎日のようにどこかのチャンネルで見られる。紹介された店は満員になり、食材は売り切れになるようだ。つくづくのどかな国だと思う。

「でもねえ。もっと大事なことがあるのではないか」。わたしはそう考えてしまう。その野菜や果物、畜産物、加工品がどのように作られたのか、だ。

ちょうどそのとき、旧知の涌井義郎さんから『有機農業をはじめよう! 研修から営農開始まで』(税別1800円、コモンズ)が送られてきた。涌井さんは内原にある鯉渕学園を卒業し、同校で30年にわたり、野菜栽培と有機農業を教えてきた。2011年に早期退職し、笠間市で「あしたを拓く有機農業塾」を開設し、新規就農者の育成や有機農業の普及活動を行ってきた。この塾の卒業生は独立就農したり、地域おこし協力隊員となったりし、農業社会で活躍している。

この本は、涌井さんとその仲間3人(藤田正雄さん、吉野隆子さん、大江正章さん)が新規就農者の参考となるテキストを作ろうと考え、分担してまとめたもので、これから実際に有機農業を始めようと考えている人だけでなく、すでに有機農業に取り組んでいる人、農業指導、相談活動に関わる人に役立つ内容だ。

『有機農業をはじめよう!: 研修から営農開始まで』有機農業参入促進協議会(監修)

有機農業をめざす人のハンドブック

本書は7章で構成されている。第1章は、有機農業の現代的意義と、日本と世界の現状と有機農業の果たす役割など。第2章は、有機農業の考え方、基本となる技術とさまざまな営農スタイルを紹介している。有機農業を単に化学合成肥料と化学合成農薬を使わない農業としてではなく、なぜ、それらを使わなくても栽培が可能なのか。その仕組みを解説している。

第3章は、新たに農業に参入する場合に研修を受けることの大切さと研修先の選び方を紹介している。第4章は、就農にあたって準備すべきこと。販路の見つけ方、就農に関わる各種制度の活用方法と相談先、営農計画の立て方や農地、農家の探し方など、かゆいところに手が届く内容だ。

第5章は、先輩新規就農者たちの営農と生き方。石岡市八郷地区で就農した田中宏昌さん夫妻など12組を紹介している。田中さんは東京都出身で、IT企業で働いていた。2011年に八郷農協で研修、13年に同地区で就農し、5年目で野菜と米で800万円の売り上げになった。それぞれの有機農業に取り組む想いや地域への入り方、営農スタイルなどが手短にまとめられていて、読んでいて楽しい。新規に取り組もうとする人たちには参考になろう。

第6章は、研修受け入れ農家の心得と自治体行政の対応の紹介。受け入れ側だけでなく、新規就農希望者がどのような農家で学び、どの地域で暮らすのかを選ぶ参考になる。エピローグは「有機農業をはじめる人へ」。「有機農業の未来には希望がある。後に続く人たちの支援者・指導者になってほしい。地域コーディネーターになってほしい」という執筆者たちのエールが書かれている。

本書が有機農業をめざす人のハンドブックとして活用されれば、と願う。(元瓜連町長)

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《食う寝る宇宙》 32 ひょんなことから専業主夫になりました

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【コラム・玉置晋】諸事情により会社から自宅待機を命じられ、ひょんなことから専業主夫になりました。奥さんからは、この際、家事を勉強してはと言われ、実行に移して1週間が経ちます.結婚当初、具のないカレーを作って、料理を禁じられていましたが、それが解かれました。それは、ちょっと楽しいですが、家事能力が劣っているのは、両親の過保護のせいでございます。はっきり言います。家事なめんな! 子供にはいろいろ経験させましょう。

僕のような事態が生じることを考えますと、夫婦共に仕事を持たれていた方が経済的なリスク回避となりますし、仕事も可能であれば複数持っていた方がよいと思います。

もし、会社の就業規則に副業・兼業の禁止が盛り込まれているならば、会社に聞いてみてください。「あなた方は、私と家族を一生、養えますか?」と。僕は会社と相談し、兼業許可願を受理いただけました。初のケースだったのですが、働き方改革の流れもあり、快諾していただけました。ただし、会社業務に支障がないことが条件となります。

僕の場合、以下のように申請しました。

  • 私は「宇宙天気」と呼ばれる分野を専門としており、現在、業務時間外に大学院での研究にて自己研鑽(けんさん)を積んでおります。2017年10月に新潟市で開催された第61回宇宙科学技術連合講演会において招待講演の依頼を頂き、「日本初の衛星運用現場における宇宙天気アナリスト」の宣言を行いました。以降、メディアからのコラム執筆のお誘い等もあり、所属等を明記する必要が生じています。そこで、個人事業主として「ラボ・スペース」を起業し、本研究に関する講演、執筆に対する所属先と致します。

宇宙天気事業の箱「ラボ・スペース」

2018年度は、個人事業主として「ラボ・スペース」というものを立上げました。講演活動や執筆活動をする上で一つ箱が必要でした。自分の所属する会社の名前を出すと、会社を背負ってしまうわけですね。だから、自分の責任でやれる箱が欲しかった。個人事業主になるには、税務署に書類を提出して受理されればOK。

ラボ・スペースの事業は、以下の内容です。

  • 宇宙天気及び関連分野に関する高等の専門的応用能力を必要とする事項についての計画、研究、設計、分析、試験、評価またはこれらに関する指導の業務。

宇宙天気に特化した事業というのは、確認する限り他には見つけられません。今の収入は講演料のみで、それだけで食うことはできません。本業にするにはまだ時間がかかりますが、時が来たら法人化も視野に入れます。今は確定申告の時期なので、今日の晩御飯は何を作ろうと考えながら、領収書の山と格闘しています。初年度は大赤字。(宇宙天気防災研究者)

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《地域包括ケア》30 高齢者台帳に載っていない気になる人

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つくば市内で開かれている在宅介護者支援カフェの様子

【コラム・室生勝】前回紹介した、訪問看護ステーションが開いた「まちの保健室カフェ・タームズ」は、市民の健康や病気の自己管理、在宅医療介護の相談を受ける場である。同時に、訪問看護師が民生委員と協働するため、民生委員の悩みを聞き、相談相手になれればと願っている。今月のカフェも、新しく出席した民生委員を含めて数名から、悩みや関わっている高齢者への思いを聞いた。

民生委員は担当地区の高齢者名簿の中から、ひとり暮らし高齢者と高齢者のみの世帯を訪問し、困っていることや相談したいことがないかを伺う。さらに、生活状況や健康状態も聞いて、支援が必要と思われる人を本人の了解を得て高齢福祉課へ報告する。

各地区の報告が記入されたものが高齢者台帳である。記載された高齢者については、月1回あるいは必要に応じて月2~4回訪問する。ところが初回の訪問時に、インターホン越しに「大丈夫です」と返事されれば、高齢者台帳の対象にならない。そのような人の中に、何となく気になる人がいる。しかし、訪問する理由がない。その場合、市の高齢者サービス一覧や季節の小さな花束を持って訪問していると言う。

台帳の対象でないが、直接顔を合わして話すことができない高齢者をどうしたらいいのか。顔を見せてくれれば、宅配食事サービスを試してもらえるかもしれない。それをきっかけに玄関先で会話ができるようになれば、少なくとも安否確認になる。

旅行するときは隣近所に言って

カフェでは、大変な安否確認の話もあった。訪問看護を利用していた要支援2の80歳代の1人暮らし女性を安否確認で訪問したが、インターホンにも、窓をたたいても、携帯電話も通じないので、留守かと思った。しかし気になって、3時間後に訪問して大声をかけたら、「お風呂に入ってます。大丈夫」との返事。

その後、電話してもつながらず、さりげない見守りに来たふれあい相談員さんと一緒に声がけした。息子さんに「お母さんは家にいますが、気になるので鍵を持って来てください」と電話。息子さんが到着して解錠。浴槽内で足が踏ん張れず立ち上がれなかった本人を、抱え上げたそうだ。

健康状態が優れないように見え、医療機関にかかったことがあるかと聞くと、かかりつけ医がないと。クリニックか病院の受診を奨めても、「大丈夫です」の返事だけ。ボランティアで訪問してくれる保健師や看護師がいてくれたら助かるんですが、と。

ひとり暮らしで自立している高齢者の中には、隣近所に留守にすることを伝えないで旅行に出掛ける人がいる。いろいろな事情で近所と付き合いがない人に、是非、区会役員か民生委員に留守になることを伝えてほしい。一見自立した高齢者の中には認知症の初期の人もいる。火の不始末が心配である。注意をお願いすると、嫌な顔をされることが多い。消防署の防火安全指導をしてほしい。民生委員の悩みは尽きない。(高齢者サロン主宰)

《宍塚の里山》33 ハンノキ林のある谷津の景観

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谷津のハンノキ林

【コラム・及川ひろみ】今ごろ、宍塚大池の堤防下の谷津を歩くと、遠目にもハンノキの枝の先端が紫に色づき、花が咲いていることが分かります。この花は風媒花(めしべまで花粉を運ぶために風を利用する花)です。昆虫を呼び寄せる必要がないので、花びらはありません。花は目立ちませんが、近づいてみると、枝の先には猫の尾のように垂れ下がった、赤みを帯びた雄花が見られます。

さらによく見ると、花の根元には膨らんだ雌花が見られます。夏になると、雌花は丸いうろこ状のものに覆われた緑の固い実になり、秋にはこれらが離ればなれになり、種がこぼれ落ち、褐色の硬い実の殻(果穂)が小さな松かさのような形で残ります。

湿地に育つハンノキ、多くがまっすぐ天に向かって育ち、独特の景観をつくります。昔、田の縁に植え、刈った稲の束を干すのに、木と木の間に竿(さお)を掛け使っていました。

ハンノキは、田んぼのような湿った所でも育つ植物で、根には根粒ができ、根粒内のバクテリア(根粒菌)が窒素を固定することから、やせた土地でも育ちます。根粒といえばマメ科植物が有名ですが、ハンノキにも根に根粒が見られます(根粒菌はマメ科のものとは異なります)。

伐採木はヒラタケ用のホダ木に最適

大分前の話ですが、田の近くにあるハンノキが大きく育ち、地元の方の田が日陰になりました。耕作をされていた方の希望で2~3本伐採しました。伐採した木はヒラタケ用のホダ木に最適で、地元の方と利用しました。数年間、大量のヒラタケが収穫できました。こんな楽しみがあるのも里山の魅力です。

ハンノキには、鮮やかな金緑色に輝く美しいチョウ、ミドリシジミが育ちます。初夏、葉先に止まり、緑の金属光沢の羽を開閉させながら、ひたすら縄張りを守る姿が見られます。冬になるとハンノキ林には、さまざまな小鳥がやって来ます。特に谷津で餌をついばむカシラダカ、100羽以上がパラパラ飛び立ち、ハンノキに止まり、落ち着きなく頭を左右に振る姿が見られます。

宍塚のハンノキ、宍塚大池の水辺にも見られますが、ハンノキらしい樹林景観を形作っているのは、大池の堤防下の谷津の林だけです。この林は生態系にとっても、里山の景観としても大切な場所の一つになっています。(宍塚の自然と歴史の会代表)

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《ご飯は世界を救う》8 あっちこっちの「サザコーヒー」

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サザコーヒー筑波大学アリアンサ店

【コラム・川浪せつ子】生きていると、不思議な、驚くような出会いがあります。昨年秋、友人の展覧会が東京駅近くでありました。その帰り、前から行きたかった東京駅丸の内側の「KITTE」(旧東京中央郵便局)にできた「サザコーヒー・丸の内店」に寄りました。

「サザコーヒー」さんは、本社が茨城県ひたちなか市です。私がその会社の名前を知ったのは、わが家の近くのお店、カフェだったかなぁ…でした。「サザコーヒーをウチは使用しております」というPRのような文章がありました。

10年ぐらい前だったでしょうか。その後、いろいろなお店で、同じようなPRを見ました。しばらくして、TXつくば駅前にサザコーヒーさんの直営店ができました。実を言うと、「田舎の珈琲焙煎屋さんが進出してきたのね」という感じでした。その時はそんなに興味もなくて。

その後、LALAガーデンにもお店ができました。家から近かったので行ってみて、「ちょっとお高いけど、飲んでみましょ。ケーキも一緒に」。それが1回目のサプライズでした。「おいしい~!」。何度も通い、ケーキも頼んでたくさんスケッチしました。「はまった」わけです。

そうなったら、本店にも行かなくちゃ。つくば市の2店とはだいぶ感じが違います。ランチも多くの種類があり、雑貨を売っていたり。驚いたのは、アフリカのいろいろなお面です。高い壁一面に大きなエキゾチックなお面。コーヒーが美味しいだけではなくて、この会社さんは何だ! そんなわけで、どうしても丸の内店に行きたかったのです。

丸の内店で会長から名刺をもらった!

そこで奇跡が起きました。丸の内店は、ひたちなか店、つくば店とも違う雰囲気で、大人感。カウンターに座っていましたら、「ゲイシャコーヒーをどうぞ」と、お猪口(ちょこ)みたいな入れ物でサービスしてくれました。なんだか濃い感じです。

そこで、私はスケッチ。ふとカウンターの中を見ると、TVの「カンブリア宮殿」取材中と書いてあります。やや年配の男性がカメラを持った人に向かって、話していました。

私はお店でスケッチしたら、お店の方にその場でお見せすることも多々あります。なので、その方にお見せしましたら、「名刺差し上げます」。よく見たら、創業者で現会長さんでした。ゲイシャコーヒーを入れてくれた方も、「会長が出すのだったら僕も」と言って名刺を下さいました。副社長さんでした。

秋にできた「筑波大学店」には、翌日すぐに行き、またスケッチ。そして、今まで描いたものを、ハガキに印刷してまとめてお送りしました。

数日後、会長さん自筆のお手紙とコーヒーがわが家に届きました。頭が下がりました。こういう方なので、美味しいコーヒーとステキなお店を展開なさっているのですね。これから、まだ行っていない店舗にもおうかがいしたいと思っています。(イラストレーター)

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《くずかごの唄》32 生ゴミの楽しい使い方

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【コラム・奥井登美子】私は台所の生ゴミを、まだ捨てたことがない。全部自家処理している。東日本大震災のときに、倒れてしまった隣家の跡地に家庭菜園をつくり、そこに大きなコンポストが鎮座ましましている。

家庭菜園は私のささやかな趣味で、今は、土浦の自然を守る会の植物講師・後藤直和さんにいただいた菜種と、ふきのとうが食べたくて植えた蕗(ふき)が、元気に育っている。

庭の落ち葉は、袋に入れて大事に1年中、菜園やチョウの育成に使っている。昨年の夏、居間からよく見える中庭の、ツバキとアジサイの木の間に、雑草がいっぱい生えてしまった。あまりの暑さに、雑草を抜く気力がなくなってしまった私は、試しに、生ゴミを雑草の上にかけて、その上を落ち葉で覆ってみた。

昨年の夏の暑さときたら格別で、異常気温。1週間たってみたら、雑草はきれいになくなって、落ち葉だけが残っている。「コレはデカシタ。ゴミ君」。私はコンポスト利用を中断して、庭の雑草退治にゴミを利用することにした。

鳥たちのご飯粒争奪戦を観察

ある日、犬のミミちゃんが急に吠え出したのに気をとられて、生ゴミに落ち葉をかけるのをすっかり忘れてしまったことがあった。次の日の朝、居間から見た中庭の風景を、私は忘れることが出来ない。

スズメが7~8羽、ムクドリが3羽、仲良く生ゴミをつついている。ゴミの中にリンゴの皮とご飯粒が残っていたのを、スズメが見つけて、争奪戦になったらしい。

鳥たちの餌(えさ)の争奪戦の面白さ、どの鳥が先に見つけて、どんなネットで合図を送るのか観察するのには、もってこいの「特等席」が居間にできてしまった。鳥仲間が木の上で遊んでいるのを見て安心するのか、メジロやウグイスも、たまに遊びに来るようになった。

「今朝はカラスが来て、ヒヨドリを1匹さらっていったよ」「カラスだけは、来て欲しくないわ。どうすればいいのかしら」

私たち夫婦も、夫婦喧嘩を一時休戦して、鳥の観察に余念がない。生ゴミの楽しい使いみち、まだまだ研究する余地があると思う。(随筆家)

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《法律かけこみ寺》3 酒場の弁護士は電気金魚の夢を見るか

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土浦市神龍寺(本文とは関係ありません)

【コラム・浦本弘海】コラム3回目にしてネタに困ったわたしは、犬も歩けばで、弁護士が集うバーの扉を開いた。バー好きの弁護士は多い。自分がバーだからかもしれない(注:英語barには弁護士の意もある)。

耳を澄ますと、同業者の多い気安さからか、ざっくばらんに語り合う弁護士(らしき人物)の声が聞こえてくる。曰(いわ)く―

「こんど相談を受けた案件、隣人トラブルでね。ロシアのことわざに『家を買うな、隣人を買え』とあり、中国の故事に『百万宅を買い、千万隣を買う』とあるのはもっともさ。大岡政談(註:大岡忠相の裁判に仮託した小説・講談など。TVドラマ『大岡越前』はその現代版)にもこんな話がある」

(ふむふむ、どんな? とわたし)

「むかし、神田に呉服屋と紺屋(染物屋)があって、仲が悪かった。それでか、呉服屋は紺屋との敷地の境界線ギリギリに蔵を建て始めた。慌てたのが紺屋。染物には天日干しが必要なんだけど、蔵で日が遮られては死活問題だ」

「へー」と同僚。「いまだったら建築基準法53条の高さ規制や53条の2の日影規制で、一応、日照権は守られていますがね。それに民法234条1項で、建物は原則として境界線から50センチ以上離さないと建てられません」

隣人同士、仲がよいことが一番

「建築基準法も民法もない時代さ。で、結局、裁判になるんだけど、呉服屋は『自分の敷地に蔵を建てて何が悪い』と主張する。建築基準法も民法もないから、裁判は呉服屋の勝ち。最後に大岡は紺屋に『商売替えして金魚屋になり、池を掘ればよかろう』と妙なアドバイスをする。紺屋は天日干しができなければ、商売上がったりだ。仕方なく商売替えしようと、大岡の言う通り池を掘って水を入れると―」

「ははあ、境界線ギリギリに池を掘ったんですね。いまだったら、民法237条1項で池を掘るには、境界線から1メートル以上離さなければいけませんが、当時は―」

「民法もない時代さ。側に池を掘られちゃ蔵はグラグラ、今度は呉服屋が紺屋を訴えた。しかし、『自分の敷地に池を掘って何が悪い』と主張されてはかなわない。結局、蔵を境界線から3尺(註:約1メートル)離し、池は埋めることで和解成立。さすが大岡名裁きというわけさ。つくづく思うのは―」

「いまどきの裁判官は大岡を見倣え、それとも立法者はきちんと法整備をしろ? あるいは自分が困る法律論は主張するな、でしょうか?」

「いや、隣人同士、仲がよいに越したことはないと思ってね。われわれが商売替えしなきゃいけないとしても」

「まあそのときは…一緒に金魚屋をしましょうや」(弁護士)

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《吾妻カガミ》50 筑波山神社の宮司辞職に見る改革と旧弊

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筑波山神社

【コラム・坂本栄】3年半ほど筑波山神社の宮司を務めてきた岩佐弘史さんが、1月末に筑波山を去りました。神社のマネージメントをめぐり氏子たちと対立、辞表を書いて自ら退いた形をとりましたが、事実上追放されたと言ってよいでしょう。改革派の岩佐さんと守旧派の氏子たちの「筑波山の乱」、こういった幕引きでよかったのでしょうか。

この内紛についてメディアはあまり取り上げておりません。本サイトではその経緯を報じておりますので、ご覧ください。発端は「筑波山神社で内紛 氏子総代ら 宮司の解任要求」(昨年10月12日掲載)、展開は「岩佐宮司が1月末で辞職へ 筑波山神社 後任は未定」(1月10日掲載)という見出しの記事です。

氏子はどうして宮司(会社で言えば社長)解任運動を起こしたのでしょうか。私なりにまとめると、 ①宮司と氏子とのコミュニケーションがよくなかった(氏子たちを軽視したと氏子側は主張)②宮司が神社職員に強めに対応した(パワハラもあったと氏子側は主張)③宮司は祭事を簡素化する傾向があった(飾りを張る道筋を減らしたと氏子側は主張)―といったところでしょうか。

岩佐さんとは何度か話す機会があり、彼の考え方は知っていました。ですから、氏子たちの解任署名活動→神社本庁への解任要求の動きを知ったとき、これは神社改革を進める宮司と旧来の神社運営に慣れ親しんだ氏子たちの衝突だ、と思いました。

幻の「山上多面ガラス殿」構想

新創刊「常陽新聞」時代(2014年2月~17年4月)、私は「キーパーソン」(地域名士へのインタビュー欄)を担当。岩佐さんにも登場してもらいました。Q&Aは、神社本庁のエリート職員(神社専門紙「神社新報」記者→業務部長→本庁参事)のリアルな知見に溢(あふ)れ、有益でした。そして、岩佐さんのミッションが筑波山神社の立て直しにある、ということも分かりました。

目玉は、男体山と女体山の間(ケーブルカーの終点)に新式場を建てる構想です。「在任中やりたいことは、山上結婚式(スカイウエディング)ができる、多面ガラスの祈祷殿を造ること。昼は関東平野を望み、夜は星空を眺めながら、式が挙げられる施設です」。

今挙式ができるのは、中腹の拝殿(昼間)だけです。それを山上にも拡げ(しかも朝+昼+夜)、結婚式収入を何倍にも増やそうと考えたわけです。赴任時、神社に多額の借金があったのがショックだったようで、増収策を懸命に考えていました。

経費カットも力が入っていました。氏子の反感を買ったケチケチ作戦(祭事飾りの簡素化)のほか、氏子の祭事手伝い手当て削減、神社の各種広告停止、観光協会(つくば観光コンベンション協会)の分担金縮減―などです。氏子たちも、神社職員も、門前町の店も、観光業界も、さぞ面食らったことでしょう。

神社改革は、氏子たちの理解を得られず、岩佐さんのアグレッシブな言動も災いして、失敗に終わりました。天空のガラス殿で生ビールを飲みたかったのに、とても残念です。(経済ジャーナリスト)

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《沃野一望》2 松陰、筑波宿の一夜の謎

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つくば道

【ノベル・広田文世】

灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼 我(わが)ひめ歌の限りきかせむ(橘曙覧「春明艸」)とて。

友との盟約を優先し、長州藩邸を抜け出し脱藩してきた吉田大次郎(後に松陰と号す)は、逃避行の2日目、水戸への幹線水戸街道を避け我孫子から左折、現在の千葉県側を進み、船戸で利根川を渡り常陸国へ向かった。その日は、水海道に宿泊。

翌日は脱藩逃避行3日目、水海道の宿を出ると、前方に屹立(きつりつ)する筑波山が、いやがうえにも目に入る。大次郎、好奇心をゆさぶられる。登ってみたい。登ってみよう。歩きだした。

3日目の行程を、松陰自身が後に記した旅行記「東北遊日記」で追ってみる。

「十六日(三日目) 晴れ。駅(水海道)を出(い)でて行くこと少許(すこしばかり)、右折して田間の小路に入り、舟もて小貝川を済(わた)る。是(こ)れを四手の渡しと為す。川は源を小栗に発し、土田井に至りて刀根川(とねがわ)に入ると云(い)ふ。豊田駅に出で、又右折して松間の小路に入り、大砂・田中の諸村を経て北条駅に出づ。是れ土浦候の領する所なり。筑波の半腹に登れば駅あり、ここに宿す。筑波は山名、亦(また)以(も)って駅に名づけ郡に名づく。常陸国に属す」

筑波宿へ入るまでの描写は、地名の羅列ばかりで味気ない。それを懇切丁寧に列記開陳せずにはいられないところは松陰流。

そして大次郎は、筑波宿に泊まる。「ここに宿す」と、本人が明記した。

当時の筑波宿。有名な神社仏閣の門前町によくある精進落としの旅籠(はたご)が軒をつらねていた。つくば道(北条から筑波山神社へ登る古来の登山本道)の神社手前に現在でも、それらしい建物の面影が残っている。飯盛女が、参拝帰りの客を手招きしたであろう旅籠。

「お武家さま、お上がりくださいよ」

日記にほとばしる欣快の情

さて大次郎、飯盛女を置く店と知って上がったか、はたまた何もない一夜を漫然と過したか。こればかりは、筑波山に古代より棲(す)みつき、下界を見下ろしつづけてきた鬼や神々のみぞ知る謎である。大次郎に具体的記述は、ない。

ただ、筑波宿に泊まった翌日の日記は、前日までの地名羅列集とは一味違う欣快(きんかい)の情がほとばしる。

「十七日(四日目) 晴れ。駅(筑波宿)を出で、筑波の二嶺を極む。一を男体と曰(い)ひ、一を女体と曰ふ。是の日天気晴朗、眺望特に宜しく、関東八州の形勢、歴々として指すべし。…、筑波は自ら富刀(富士山と利根川)の偶(なかま)あり。…」

この晴れやかさは、どこからあふれてくるのか。追われる身をさておき、あるいは昨夜の宿の秘め事が思い出されたか、生涯不犯と伝えられる松陰の、筑波宿での一夜の謎。

さて筑波山は、男体山、女体山をふくめ、山域全体が筑波山神社というめずらしい山。イザナギ・イザナミの二柱を祭る男女和合の山であり神社である。故事に詳しい大次郎が、その由来を知らぬはずは、ない。(作家)

➡広田文世氏「沃野一望」の既出分はこちら

《続・気軽にSOS》31 禁止令のようなルールを作りたがる

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【コラム・浅井和幸】私が小学校のころ、ゲームウオッチという、名刺を少し大きくしたぐらいの薄いゲーム機が流行りました。休み時間もゲームをしていると、誰かが先生に見つかってしまい、ゲーム禁止令が出されます。

ほかにも、カブトムシ、お菓子、マンガを学校に持ってきてはいけないという禁止令も出されました。廊下は走ってはいけない、騒いではいけない、いろいろな「~してはいけない」という教えの中で育った人も多いかと思います。

それが当たり前になると、コミュニティや組織などで、禁止令のようなルールを作りたくなってしまうものです。それで上手く事が運べばよいのですが、上手くいかないことも出てきます。どうしてかというと、やってはいけないことは無限にあるからです。

例えば、「廊下を走ってはいけない」だけではなく、廊下を逆立ちして歩くことも禁止しなければいけないですから。

犬のしつけをするときに、部屋の中でかじってはいけないものを教えるには、何万点もの「いけない」を教える必要がありますが、それは至難の業なので、かじってよいオモチャなどを教えるという考え方があります。

先の廊下の話でいえば、走ってはいけないではなく、静かに歩くことがよいことであると教えることになります。いけない行動を禁止するよりも、よい行動を示すということです。

廊下は走らなければ、静かに歩くしかないだろうという予測は、あまりにも希望的な観測に過ぎません。その道を右に行ってはいけないと伝えれば、左に行くだろうと思っていたら、真っすぐ行ったり、引き返してくるかもしれないのです。

ルールを作った人がそれを守れない

ひきこもり問題は、無理やりにでも外に出せば解決するだろうと本気で考える人もいます。甘えさせず外に引きずり出せば、働くはずだという考えです。しかし、働くとは別の選択、自殺や犯罪、ホームレスという選択をするかもしれないのです。

また、ルールを作った自分自身が、そのルールを守れないということはよく起こることです。ルールというのは、強い人間が弱い人間を都合のよいように操りたいので作られることが多く、ルールを作る強い人間が自分を律する考えは抜けているからです。

子どもに「嘘はついちゃいけない」と言っておきながら、大人が嘘をついている。「静かにしなさい」と怒鳴るなどの例は、だれでも経験していることでしょう。自分が待たされるのが嫌で、「時間を守らなければいけません」とルールを作った人は、自分が約束の時間に遅れても待たされたことにならないので、むしろ時間にルーズであることすらあります。

自分で作ったルールを自分が守れなくても、相手より自分の方が強いので、ただちに問題になることは少ないです。「お前のように暇じゃないんだ」と暴言を吐けば、力で押さえつけて事を収めることが出来ます。

しかし、それは短期的に問題にならないだけで、長期的には大きく信用を失っていることかもしれないので注意しましょう。(精神保健福祉士)

➡浅井和幸氏の過去のコラムはこちら

《つくば法律日記》5 詰め込み教育と「社会権」

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堀越氏の事務所がある「つくばセンタービル」

【コラム・堀越智也】30歳を過ぎたころだろうか。詰め込み教育により脳の奥深くに眠っていた知識のいくつかが、化学反応を起こしたという実感を持つことがある。僕は、詰め込み教育とか偏差値教育と揶揄(やゆ)された教育の全盛のころに、中学生、高校生だった。実は、32歳の時に大学受験をしたので、最近も大して変わっていないとも思ってはいるが、それでも僕らは文章を書いたり、プレゼンをしたり、実習をしたりする機会はほとんどないままに詰め込んだ。

詰め込み教育の象徴のように言われるのが、歴史年号の暗記。しかし、年号を暗記していてよかったと思うことが、年を取れば取るほど多くなる。過去との距離感を測ることができるのだ。

今年は元号が変わる年として、歴史を感じる日本人が多いと思われる。一方、西暦で見ると2019年。100年前の1919年に何があったかというと、「みんな行く行くベルサイユ」で覚えた人も多いであろうベルサイユ条約が締結され、ドイツでは世界で初めて憲法で社会権が保障された年でもある。

暗記した年号で過去との距離感を測る

社会権は、人間が人間らしい生活を営むために国民が国家に対して保障を求める権利などと言われ、資本主義経済により生じる貧富の差が問題となったことから主張されるようになった権利である。

僕らは税金を払って国民として存在している以上、国に保障を求めることは当然であったとしても、この社会権、世界で初めて憲法で保障されてからまだ100年しか経っていない。そのちょっと前は、先進国でも王様が国を支配していて、自由すら危うかったのだ。だから、社会権が保障されているからといって、国を頼りにしたり、保障が薄い国を批難して生きていても危ういだけではないかとシンプルに思える。

年号を詰め込まないという選択肢がないかのように年号を暗記したことで、過去との距離感を測ることができ、さらには、当たり前のようにあると思っていたものの危うさにも気づけたりする。試験直前で必死に詰め込んでいる受験生に、試験の合否に関係なく、その努力は無駄にならないと教えてあげたい。(弁護士)

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《映画探偵団》 16 フラッシュバックのように

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【コラム・冠木新市】中国人の歴史学者をつくばで案内して欲しいと団員から頼まれた。『つくつくつくばの七不思議 サイコドン』(ACCS)のロケ地を巡ればよいと思い引き受けた。また中国人はつくばの何に興味を抱くのかも知りたかった。

1月25日、小野崎の山水亭で枯山水の庭を眺めての昼食。私が『桜川芸者学校』の活動に取り組んでいると団員が紹介すると、中国人は「生徒数は?」「何年制か?」「授業内容は?」と矢継ぎ早に質問。私は持っていたチラシと写真を見せ、「これは桜川流域を背景とした水のまちづくりの演劇です」と話した。

しかし、これまでの公演の観客同様に、本当に学校と思われたまま会話が進行した。あまりにも熱心なのでその理由を尋ねた。すると、中国では現在、抗日ドラマのTVや映画が盛んで、その中に日本軍人と一緒に登場する芸者のシーンがあり、「あの女性たちは何者なのか?」とミステリアスに映り、気になっているとのこと。

さらに、「着物での記念撮影が人気あり、『桜川芸者学校』を中国でやると受けるのではと私は思う」と力説された。

車で中心市街地を抜けて東大通りへ。そして桜川にかかった橋を渡り、周辺市街地のひとつである北条へ。ここで、江戸時代から続く国登録有形文化財の宮清大蔵を見学。主の宮本孝さんの説明を受け、斜向かいにある昭和初期のお屋敷・矢中の杜も案内してもらった。

再び車で北条大池を抜け、奈良・平安時代の建物を復元した平沢官衙(かんが)遺跡へ。中国人はジッと見入っていた。そのあと、つくば古道を走り、神郡の蚕影(こかげ)神社階段下へ。そこで日本養蚕発祥の地に残る、天竺(インド)から「うつろ舟」に乗って流れて来た金色姫伝説を語った。

セルジオ・レオーネ監督の『ウエスタン』

車は急斜面を抜け、筑波山中腹にある梅林公園へ。山を登ると、そこには紅梅が見事に咲き誇っていた。中国人は喜びの声を上げ、スマホで撮影。その様子と眼下の光景を見るうちに、セルジオ・レオーネ監督の『ウエスタン』(1968年)の映像が蘇ってきた。

アメリカ西部の鉄道建設をめぐるお話。鉄道王で身障者のモートン。その配下で人を殺して地上げをするフランク。娼婦から足を洗い結婚のためにやって来たジル。ロングコートに身を包んだ無法者のボス・アパッチ。そしてハーモニカを吹く凄腕のガンマン。この5人が織りなす2時間48分の大作である。この物語には、所々にハーモニカ男が見るフラッシュバックが挿入される。

平原の彼方から1人の男がゆっくり近づいて来る。スローモーションで画面はぼんやりしている。男の正体が分かるのはラストのハーモニカ男との決闘シーンだ。レオーネは「フラッシュバックというのは想像や夢のようにさまよわなければいけない」との言葉を残している。

筑波山の眼下では、<中心市街地ヴィジョン><周辺市街地まちづくり><つくばグランドデザイン><筑波山ジオパーク><泳げる霞ヶ浦>のドラマが繰り広げられている。筑波山と霞ヶ浦を結ぶ桜川流域に残る昔話はフラッシュバックのようなものかも知れない。

5時間つくばに滞在した中国人は「平沢官衙跡と梅林がよかった。でも何と言っても桜川芸者学校が一番!」と感想を残して去っていった。サイコドン ハ トコヤンセ。(脚本家)

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《好人余聞》15 明治の土浦を舞台にしたサスペンス「ふたりみなしご」

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「ふたりみなしご」口絵・梶田半古

【コラム・オダギ秀】人生という旅の途中で出会った人たち、みんな素敵な人たちでした。その方々に伺った話を、覚え書きのように綴りたいと思っています。

初夏の穏やかな日和の午後、ボクは仕事で、京都の西陣会館を訪ねていた。それはずっと前の昭和のころ、だったと思う。ボクも若かった。

ロビーで休んでいると、ひとりの守衛さんが声をかけてこられた。どちらから、と問うので、土浦からと答えると、驚いたように、でも笑顔をいっぱいに見せてくれた。

その方の話によると、その方には何百回も読んで心に生きている本がある。毎年、年末には必ず読み返す。その本の舞台が、土浦なのだと言う。

「川口(今の川口町)の川沿いには旅館がありましてね。二階の窓から何々が見えました。大津の里(今の上大津)は、どうなってますか」

守衛さんは熱心に話されたが、ボクは、適当に受け答えしていた。そんな本もあったのだろう。どんな本か、必要なら土浦で誰かに訊(き)けばいい、そんな気持ちだった。書名だけは覚えておいた。

京都から土浦に戻り、折りにふれ、その本「ふたりみなしご」のことを訊いた。だが、だれも知らない。調べに調べて、作者は明治の流行作家小杉天外とわかった。本を読むどころか、内容については、皆目判らずだった。

「今でも読み続けているんですよ」

どうにも気になって仕方なかったボクは、その後、何年も過ぎてから、再び西陣会館を訪ねた。あの時の守衛さんは、とうの昔に退職されていたが、会館の方々は熱心に探してくれ、この人池田滋彦さんではないかと、突き止めてくれた。

相国寺近くの木立を背景にしたお宅で、池田さんにお会いした。だいぶご高齢になられた池田さんは、やっと床から出て来られて、一冊の、何百回と読んでボロボロになった本「ふたりみなしご」を見せてくれた。

「今でも読み続けているんですよ。未だに、ワクワクするんですなあ」と。そして、もう弱ってしまったから行くことは出来ませんが、と言いながら、本の中で知った土浦の町の話を、懐かしそうにするのだった。

「ふたりみなしご」は、遺児となった姉弟が、遺産をめぐる人々に翻弄されながら土浦の町で生きる、いわばサスペンス小説。明治の人々は、どれほど夢中になって読んだのだろうか。

池田さんは、この本はあなたがお持ちください、とその本を差し出された。ボクは、託されたような気がして断れず、「ふたりみなしご」を持ち帰った。「ふたりみなしご」の主人公は、ボクと同じ名前だった。(写真家)

▼「ふたりみなしご」(小杉天外著、金港堂書店、1903年発行) 現在、近代書誌・近代画像データベース(school.nijl.ac.jp/kindai/YMNK/YMNK-00115#1)で読むことができます。

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《続・平熱日記》31 SDGs:持続可能な開発目標

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【コラム・斉藤裕之】にわかに耳にするようになった言葉「SDGs」。「エス・ディー・ジーズ」と読みます。「持続可能な開発目標」の頭文字で、世界の国々がいろんな分野で持続可能な発展をしましょうね、という話です。学校にも大きくその内容が掲示されています。

ここに来てというか、遅ればせながら地球規模の問題をやっとこさ共有しようではないか、ということでしょうか。しかし、最近もっともらしいスローガンが上から降りてくることがよくあって、「働き方改革」や「地方創生」みたいに。

なんだか、誰かの後始末をさせられているような、うまい具合に尻拭いをさせられているような気がしてなりません。

事実、逆説的には、今のままでは持続不可能な状況がやって来るということです。なんとなく、みんな感じてはいるはずなのですが、それぞれが意識しながら生きるのって難しい?だって、もう何10年も前に石油が枯渇するって言われていましたよね。

例えば親父の口癖が「電気消せよ」だったり、パン屋で別々にビニール袋に入れられるパンに違和感を覚えたり。

例えばキング牧師やマララさん――、歴史に名を残す勇気と運命の人たち。でも、誰かがみんながおかしいと思えれば、誰かが普通に「そういうのへんでしょ」って言えれば、彼らはもっと違う人生を歩めたかもしれませんよね。平凡ではあっても。

マイクロプラスチックの話

例えば教室に転がっている消しゴム。今の子は消しゴムごとき、探しに来ませんよ。だって、駅前で予備校が配っているくらいですから。でも前から気になっていたのですが、消しゴムって石油からできていますよね。

先日あるところで、マイクロプラスチックの話を聞く機会がありました。授業後に机の上にけしカス。学校では数100人×6時間×日本中。聞けば、このけしカスがなんとマイクロプラスチックとなって海を漂うらしいのです。そして、それが魚に溜まって最終的には我々の体内に。

持続可能な社会を目指すためには、エネルギーを消費して、勉強して、間違いを消しゴムで消して…。どこかで折り合いをつけるしかないのでしょうね。というか、この辺りで折り合いをつけた方がいいと思います。

さて、最近耳にする言葉をもういっちょ。「人生100年時代」。こちらは、ある学者さんが唱えた学説から引用されているようで、簡単に言うと「これからの時代、100歳ぐらいは生きられるらしいので、生き方や社会の仕組みを考え直しましょう」ということらしいです。

人生100年時代の持続的発展可能な目標。とりあえず、ポイントカードとかやめませんか。(画家)

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《邑から日本を見る》33 東海第2の避難計画など要らない

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飯野農夫也氏の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】県主催で、日本原子力発電東海第2発電所の安全対策に関する説明会が先月13日から開かれている。東海村を皮切りに今月17日の水戸市まで、同発電所の30キロ圏内の在住者を対象にしているが、県内に住んでいれば会場に入れる。

説明会では、日本原電が原子力規制庁に出した新規制基準への審査が昨年秋に合格したことを受けて、規制庁がその結果を説明し、会場から質問を受けた。今回は、規制委員会の審査結果だけを議題とし、避難計画や国のエネルギー政策、再稼働などに関する質問は受け付けず、県は別に県民の意見を聞く機会を設ける方針だと説明した。

説明会では、規制委の担当者が審査の技術的内容を解説したが、スライドで90枚もあり、専門用語ばかりで1時間半も続き、素人にはわかりにくい内容だった。私は東海、那珂両会場の説明会に参加したので、主な質疑と感想を報告する。

私は「今回の審査結果は、新規制基準に合格したということだけであって、東海第2原発を再稼働させ、100%事故が起きない、起こらないことを保証するものではない。これまでのチェルノブイリ、スリーマイル島、JCO、東京電力福島第1原発などの事故はすべて想定外。基準を超えた何かが起きて、誰が責任を取るのか。100%事故が起きないという保証ができるのか」と聞いた。

それに対する規制庁の答えは、「今回の基準は福島の事故を踏まえて策定された。しかし、これを満たしたからといって、絶対的な安全が保証されるものではない」。

原発は絶対に安全ではない

私の質問と同じように、「東海第2は運転から40年経ち、金属疲労、劣化が起きている初期の老朽原発だ。これまでにも何度も小さな事故を起こしている。劣化したものは後から改良してもダメだ。事故に対処するマニュアルがあっても、実際に事故が起きればその通りに対処できない。国の担当部署は再稼働方針、安全対策、避難計画などまちまちで、全体について責任を持つ体制になっていない」など、絶対的な安全性が保証されないのに再稼働を認めるのはおかしいという声が数多く上がった。

これに対して規制庁の担当者は「絶対的安全性を追い求め、歩みを止めることなく基準を見直し、事業者に対応を求めていく」と答えただけだった。

この他に、「今回の審査基準は原子力等規制法に基づいているが、これは法律の最上位である憲法のどの条文に基づくのか」という質問があったが、担当者は、質問に憲法が出てくることは想定外だとみえ、答えられなかった。原子力等規制法や原子力災害対策特別措置法にはその目的に「国民の生命、健康及び財産の保護」がうたわれている。

憲法第25条は国民の生存権、第29条は財産権を保障している。原発がひとたび事故を起こせば、この条文を脅かすことになるのではないかと私は考える。2つの法律の目的もこの条文に合致する。規制委は憲法と法の目的に合った審査をしていない。

私は今回の説明会で、原発は絶対に安全ではないという言質を取った。審査基準の技術的なことを聞いても、それは些末(さまつ)なこと。避難計画も同様だ。ものごとはマニュアル通りにいかないし、計画通りの避難など出来っこない。規制委の審査は不十分だと思うが、一番安全なのは原発を動かさないこと。それに尽きるのではないか。(元瓜連町長)

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《食う寝る宇宙》31 宇宙分野に軍事投資する米国

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【コラム・玉置晋】2月初旬、沖縄本島最南端の糸満市にある平和祈念公園に来ています。ここでは、太平洋戦争の沖縄戦で亡くなられた方のお名前が「平和の礎」と呼ばれる石柱に刻まれています。刻銘者数は2018年6月現在で24万1525人。沖縄県出身14万9502人、県外出身7万7436人(茨城県出身754人)です。僕はこの方たちの死の上に生きていると思っています。

終戦当時、僕の父は14歳で仙台から土浦に来ていたそうです。海軍飛行予科練習生として、1945(昭和20)年6月ごろまでいたと聞いています。その後どういうわけか、地元仙台に帰されたと言っていましたが、本土決戦要員としての処置だったようです。予科練生の9割の方が戦死されています。

とても残酷なことですが、沖縄戦とは米軍の本土上陸に対する「時間稼ぎ」でした。この時間稼ぎにより、父は生かしてもらえたと思っています。だから、僕は心からの感謝の気持ちと申しわけなさの気持ちで、平和祈念公園を訪れました。戦争は何があってもダメです。 

防衛白書に「宇宙空間における対応」の章 

最近、宇宙を舞台にしたニュースが流れました。トランプ米大統領は「宇宙は新たな戦闘領域だ」とミサイル防衛の見直し(MDR:Missile Defense Review)を宣言。米国は軍事的に宇宙分野に重点投資すると言っています。

現在の世界情勢からすれば、必須であると理解しています。平和を念仏のように唱えたところで、平和が維持されることなんてないことも知っています。難しいものですね。

日本の防衛白書にも「宇宙空間における対応」の章があります。宇宙からの遠隔探査や通信確保に加えて、宇宙状況監視(SSA:Space Situational Awareness)というものがあります。現在、日本ではスペースデブリ(宇宙ごみ)の監視体制が主となっていますが、海外では宇宙天気もSSAに含まれており、ウオッチしているとのことです。

さて、沖縄滞在中に突然、僕に災難が降りかかりました。詳細はここでは語れませんが、突如、宇宙のお仕事を解雇されてしまいました。別に僕がマズイことをやってしまったわけではありませんが、世の中、何が起こるかわかりませんね。はて、どうしたものか。(宇宙天気防災研究者)

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《地域包括ケア》29 民生委員と医師や看護師らの勉強会

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つくば市内で開かれている在宅介護者支援カフェの様子

【コラム・室生勝】昨年4月、経産省が発表した「将来の介護需給に対する高齢者ケアシステムに関する研究会報告書」の中に、「加齢に伴う要介護(要支援)者割合の推移」がある。この図によると、介護保険サービス未利用者の割合が、75~79歳:87%、80~84歳:71%、85~89歳:49%、90歳以上:23%、となっている。85歳以上になって、やっと半数がサービスを利用するという驚くべき数値である。

この理由としては、適切なサービスがない、他人の介護を拒否する、などが考えられる。家族に介護力があればよいが、高齢者のみの世帯、精神障害者を抱える高齢者世帯では、低料金か無料の市町村の介護保険以外の公的サービスを利用しても、地域住民の支えが必要になる。

そのような人たちの相談相手の多くは民生委員である。こういった公的サービスを利用しても、家族の介護負担が軽くならない場合や、病院などをうまく利用できない場合、相談されても困る。民生委員は個人情報を守る立場から相談できるのは市役所に限られ、それでも解決できる場合は少ない。その後も気になり、時々訪問して状況が悪くならないか確かめている。その度に無力感にさいなまれるという。

家族介護が困難になる前に、早く気づき対応する術(すべ)はないものか。私は民生委員たちと一緒に考えてみたいと常々思っていた。その機会が最近やって来た。

一昨年秋、私が長年ひいきにしていたレストラン・グルマンが店を閉め、筑波学院大で学生食堂とレストランを開くが、そこを利用して、介護問題を話し合うカフェを開いたらどうかと店主から相談があった。そこで、懇意にしている訪問看護ステーション「タームズ」に提案したところ引き受けてくれた。

カフェ「民生委員の話を聴こう」

タームズは1月下旬に開いたカフェの企画を「民生委員の話を聴こう」にした。方々の民生委員に声をかけて、参加した方々から苦労話と意見を聴くことができた。

民生委員は、介護保険サービスを利用している高齢者の場合は、担当ケアマネジャーと連携できる。介護認定を受けていない高齢者や介護保険サービスを利用していない高齢者の場合は、地域包括支援センターが民生委員の相談に対応してくれる。

しかし、センター職員は多忙なため、高齢者宅への同行訪問を週1回、1~2カ月と続けることはできない。対応に苦慮する高齢者の場合、民生委員ひとりでは経過観察は難しく、悩むことが多いという。

民生委員が担当する高齢者の圏域ケア会議・困難事例検討会で、ケアマネジャー、医師、看護師、介護士、理学療法士らと一緒に検討できるのは勉強になる。特に、医師や看護師の意見は参考になる。多職種の人たちと意見を交わしていると、日ごろの孤独感が消え、センターの人たちとも親しくなれるという。

持病の悪化や認知症の兆しに気づいても、かかりつけ医がいない高齢者に民生委員ひとりで医療機関受診を勧めても、応じてくれない場合が多い。同行訪問してくれる看護師かベテラン保健師がいてくれたらと、民生委員たちは願っていた。(高齢者サロン主宰)

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《宍塚の里山》32 農業県の脅威「アライグマ」学習会

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現在の宍塚大池

【コラム・及川ひろみ】宍塚の会では発足以来、自然の環境、里山の生き物など様々なテーマで各分野の専門家を招き、学習会を行ってきました。守山弘さん(テーマ=谷津田が守ってきた生き物たち)、鷲谷いづみさん(同=絶滅の危機にある日本の植物)、大河内勇さん(同=人里の両生類)などです。

1993~94年は、毎月のように学習会を開き、発足10年を経たころからは「日本の水田・世界の水田」「都市の緑と都市計画」「地形を見る目」などについても学びました。

2007年9月には、宍塚の里山で、アライグマが初めて確認されました。この動物は果実、農作物への被害をもたらし、生態系の頂点に立つ特定外来生物であることから、農業県茨城にとって脅威となる獣で、当時、他の都道府県ではその被害が顕著になっていました。

そこで、現状把握のために、県内のアライグマ情報を集めました。その結果、すでに県北や県西では確認され、広がりが懸念されました。そこで2008年、私たちの会は、研究者と共同で「アライグマ防除に関する請願」を県議会に提出しました。同時に、この獣について理解することが大切であると、09年2月にアライグマ学習会を開催しました。

日本のアライグマ問題の第一人者・池田透さん(北海道大学大学院教授)、宍塚で捕獲を指導してもらった山崎晃司さん(県自然博物館主席学芸員)、千葉県で捕獲・駆除に苦慮していた篠原栄里子さん(千葉県自然保護課)に講演いただき、この獣について学びました。

県・市町村の職員も参加

そして、アライグマ問題を解決するには、行政と市民が一体になって行動することが大切であることを学び、生息が疑われる県内市町村の担当者を紹介してもらいたいと、県環境政策課に依頼しました。

その結果、大勢の市民、市町村担当者が集う学習会になりました。2010年、県のアライグマ防除計画が策定され、市町村と連携して捕獲に努めています。しかし、現在も、ほぼ県全域でアライグマが確認され、捕獲数も増加しています。

また、2000年からは、土浦市や県の職員にも参加を呼びかけ、生物多様性などを学ぶ「保全学習会」を開催、25回にもなりました。1月13日には、増子勝男さん(元県自然博物館)を講師に「宍塚大池の学習会」を開き、これまでの大池生物調査・駆除活動記録を基に、今後の活動についても話し合いました。(宍塚の自然と歴史の会代表 及川ひろみ)

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《光の図書館だより》15 「顧客満足度」の高い図書館づくり

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土浦駅西口前デッキから見た市立図書館

【コラム・入沢弘子】日脚(ひあし)が伸び、図書館の中は光にあふれ、春の訪れを感じます。土浦市立図書館は、開館387日目の本日7日、70万人の来館者をお迎えします。

図書館では、いつまでも多くの方にお越しいただけるように、開館以来、毎日、利用者アンケートを実施してきました。項目は、利用者プロフィール、利用状況、来館目的の達成度、施設やサービスへの満足度、そして自由なご意見です。

これまでの回答数は950通にのぼりますが、職員全員が回覧し、改善に反映させています。すぐにできるものは翌日に、費用が伴うものは少し時間がかかりますが、必ず改善の方向に向かわせます。

回答で一番気になるのが、不満事項の記述と満足度評価です。CS(顧客満足度)の向上は一般企業では当たり前のことですが、図書館においてもCSを上げていかないと継続的な利用者確保につながりません。

利用者プロフィールの把握も重要です。利用者の年齢、職業や住まい、来館手段や滞在時間を把握することで、企画立案の参考になるからです。

生活者発想利用者発想

前職の広告会社では、「生活者発想」を企業理念に掲げていました(今では一般的に使われている「生活者」という言葉は、前職の会社が生み出したものです)。この発想は、図書館では「利用者」に置き換えられます。利用者をよく知ることは、利用者に適したよりよい図書館サービスの創造につながります。

アンケートを記入した方は改善を望んでいるために、意見が反映されると今後も利用します。損失につながるのは、不満を感じてもアンケートに記入せずに、二度と利用しなくなる方です。このため、当館ではカウンターに立つ職員が利用者から口頭で注意されたこともカードに記入し、全員で情報を共有しています。

来館者の多さや駅前立地の新しさ、まちづくりに貢献する図書館などの各報道をご覧になった方々が、全国各地から相次いで当館に視察にみえています。好意的な報道を知り、利用者の方々も当市や当館に誇りや愛着を感じて喜んでくださいます。

皆さんのよいイメージや期待に応えられるよう、これからも「CSの高い図書館づくり」を目指します。(土浦市立図書館 館長)

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