木曜日, 4月 24, 2025
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《くずかごの唄》49 老人性うつ病からの脱却

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【コラム・奥井登美子】「私がオジイサンの始末を、キチンとして送り出すから大丈夫よ。でも、親戚やご近所さんにはオジイサンがボケたこと言わないでネ」

姑(しゅうとめ)の奧井静は、外国人と英語で話せる薬剤師。個性的で面白い人だった。庭の中に隠居(いんきょ)所を建てて老夫婦で暮らしていたが、舅(しゅうと)の認知症に苦労していたらしい。その姑が心筋梗塞(しんきんこうそく)を起こし、一足先にあの世にバイバイしてしまった。

舅には、姑が死んだとわかっている日と、生きていると思い込んでいる日がある。高校生、中学生、小学生、3人の娘たちに協力してもらって、「生きている日」には皆で「オバアチャン生きているゴッコ」をしてごまかす。お手伝いさんのほかに、奥さんを亡くしたお隣の久助さんに、話し相手をしてもらったり、小学生の子は帰りがけに友だちを呼んできて、オジイチャンの枕元でゲームをしたりした。

長男の奧井誠一(東北大学薬学部教授)を45歳で亡くしてから、チト、うつ病気味だった舅は、今度は次男の勝二を呼べと言って騒ぎ出す。彼は千葉大学の外科医。徹夜で手術をするような忙しさだった。3男の私の亭主は中外製薬の研究所勤務。実験が始まると帰宅できない日もある。毎朝3時に起き、舅の布オムツを竿(さお)に5本分を洗濯し、6時の電車で東京に通勤した。

楽しい老後をどう実現するか

皆が皆それぞれ、自分のやれることを一生懸命やって介護していたが、人々が寝静まってくると、淋(さび)しくなるらしい。「死にたい」と言い出して、何でも紐(ひも)を首に巻いてしまう。ネクタイ、寝間着の紐など、紐状のものはすべて隠してしまったが、今度はカーテンを割(さ)いて首に巻き付ける始末。事故すれすれの毎日だった。

義兄は外科医なので精神科のことはわからない。友だちの病院に入院させ、「老人性うつ病」に詳しい医者に診断してもらった。「立派な老人性うつ病です。入院中の安全のために、両手を縛らせていただきました」。

苦闘の日々から40年。今度は自分たちが老人性うつ病を心配する年齢になってしまった。楽しい老後はどうやって実現すればいいのだろうか。(随筆家、薬剤師)

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《宍塚の里山》50 科学部中学生たちの柿もぎ体験

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【コラム・及川ひろみ】つくば市にはかつてたくさんの公務員宿舎がありました。1990年代後半から始まった行政改革の一環で、国立の研究所や大学の法人化が進み、それまで官舎に住んでいた人たちは立ち退きました。そこで、長年住んだ官舎に記念樹として植えた柿の木を里山に移し残したい、との希望が寄せられました。

植木を移植するためには、まず地権者の了解を得なければなりません。幸い、日ごろ活動する農園の近くに移植が許されました。5メートルほどもある柿の木、移植は造園の知識がある会員が行いました。移植1年前に四方に広がる細い根を切り、残った根を直径約1.5メートルにまとめ、コモで包んで養生。翌年秋、根をコモに包んだ柿木を軽トラックで移植場所に運び、小型ユンボで移植しました。

そして、この活動から10年が過ぎました。これまでほとんど実を付けなかった柿の木、今年は見事に大量の実をつけました。

採る時には実1つ木に残す

10月27日、毎月のように活動に来る土浦第四中学校科学部の生徒10名で柿の実を収穫しました。まず、採る時には必ず実1つは木に残すことを伝え、その理由を考えさせました。

最初はきょとんとしていた生徒たち、①子孫を残すため、②柿の木にお礼をするため、③全部採ったら寂しくなるから―など、なかなかいい答えが返ってきました。小鳥のためとか、来年の収穫を願って―などと話をした後、どうしたら実が採れるかを考えさせました。長い棒でぶち落とす、木に登って取る―など、今度は結構乱暴な答えが返ってきました。

そこで、まず木の高さを知り、柿採り道具を作りました。高さは、木の下に立った生徒の背丈のおよそ4倍、約6.5メートルと分かりました。近くの竹林(真竹)で竹を伐り、先端の細い部分や枝を切り落としました。科学部の生徒は日ごろから竹の調査や活動を行っているので、このような作業は実に手際がいい。切り落とした竹の先端を鉈(なた)で割り、割った竹の間に木の枝を差し込み、昔ながらの柿採り道具が完成。

まず、柿農家である科学部顧問の先生が柿をもぎ取ると、子どもたちは「先生が全部採ちゃう」と、すごい勢いで柿もぎを開始。活動終了後、先生から、学校では無気力気味の生徒も輝いて、生き生きとし、友達と協力して取り組んだことに感動した―とのメールが来ました。

長い竹を天に向け柿の小枝を捕らえる活動、子どもたちには結構重労働。見上げれば大量の柿、そんな中採り続け、コンテナ2杯の柿を収穫しました。しかし子どもたちに柿は好きかと問えば、好きと答えたのは10人中2人。活動後、柿好きじゃないと言っていた子も、お祖母ちゃんのお土産にするとうれしそう。全員たくさんの柿をザックに詰め、持ち帰りました。(宍塚の自然と歴史の会代表)

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《光の図書館だより》24 あなたは何しに図書館へ?

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【コラム・入沢弘子】どうしてあなたは図書館に行くのでしょう? 本や雑誌を読んで借りる、CDやDVDを視聴する、調べものや自習をする、おはなし会に参加する…。ほかにはどのような過ごし方をしますか?

当館では、来館目的と、滞在中の過ごし方についてお聞きする「利用者動向調査・あなたは何しに図書館へ?」を1日から15日まで実施しています。出口に設置した表の該当箇所にシールを貼るだけ。ぜひご協力ください。

当館は、来館された方が快適に滞在できるように、「こんなことがあれば長く居たくなるかもしれない」と思うことは取り入れてきました。

例えば、椅子がさまざまな場所にあり必ず座れ、飲食できる場所があり、子どもが大きな声を出しても叱られず過ごせ、大人も多少のおしゃべりOKの席があり、雑誌を読みながらコーヒーが飲め、持ち込んだパソコンで仕事ができ、テラスでぼんやり過ごすこともできる―などです。

おかげさまで、最近は長時間滞在される方が増え、図書館周辺でも大勢の高校生たちが寛(くつろ)ぐ姿が見られて嬉(うれ)しいかぎり。

「居心地が良い」「第三の居場所」

なぜなら、当館が移転した目的の一つには、市民の皆さんの憩いの場所になり、駅前の賑わいをつくるということがあったからです。

図書館長の応募動機も、本を通じて土浦のコミュニティやまちづくりに貢献し、活気を生みたいということでした。目的達成のためには、まず図書館自体が親しみや居心地の良さを感じられる場所であることが大切ではないかと考えました。

そして、図書館を職場・学校や家庭とも違う、「第三の居場所」として認識し、滞在してほしいという願いで運営を続けてきました。

利用者動向調査の「何をしに図書館へ来ましたか?」の回答欄の「何となく(暇だから)」には、毎日多くのシールが貼られています。この傾向は大歓迎です。まさに第三の居場所。「居心地が良い」と感じていただいているからでしょう。

目的がなくても思わず足が向いてしまう場所。11月下旬の開館2年目を前に実現できそうです。(土浦市立図書館長・市民ギャラリー副館長・市広報マネージャー)

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《雑記録》5 「国破山河在‥‥山河破国在」

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【コラム・瀧田薫】天の底が抜けたのか、この秋、雨が降り続け、堤防の決壊や土砂崩れなど、温暖化による環境破壊のスピードはわれわれの予測をはるかに超えている。

古来、政治の要諦(ようたい)は「治山・治水」にあった。いつの時代も、国家であれ企業であれ、組織体というものは、環境変化に負けない「持続可能性」の獲得を第一義とし、それぞれの時代の制約に縛られながら、効率的な資本や資源の配分を追求し続けてきたのである。現代の国家・政府が、圧倒的な科学・技術力を擁しながら、山川の管理に失敗しているのであれば、その原因・理由が厳しく問われなければなるまい。

政府は東日本大震災を契機に、2013年、「国土強靱(きょうじん)化基本法」を制定した。この基本法では、「大規模自然災害等から国民の生命、身体及び財産を保護し、国民生活および国民経済を守る」ことを国の基本的な責務としている。

しかし、国は法律上の主体ではあるが、大規模災害などに対する脆弱(ぜいじゃく)性を評価し、優先順位を定め、事前に的確な施策を実施するなど、実際上の役割を担うのはむしろ自治体である。国はこの法のための財源を確保する一方、各自治体に対して、それぞれに「国土強靱化地域計画」を策定するよう指示し、その実施を義務づけている。ただし、言うまでもないが、この「地域計画」の中身を審査し具体的な予算をつける権限については、国がしっかりと握っている。

米国のFEMAのような組織が必要

以上を踏まえた上で、この法律が有効に機能しているかどうか確認しておこう。内閣官房の資料によれば、「地域計画」を実際に策定した自治体は、全国でわずかに162自治体(2019年現在)にとどまる。ちなみに、茨城県内自治体の策定状況を見ると、県当局は策定しているが、市町村で策定しているのは古河市だけである。

ただ、自治体の怠慢を責めるのは酷かも知れない。同じく官房の資料を読めば、自治体の消極的姿勢、その理由が分かる。「国土強靱化地域計画」に対する2019年度予算(交付金・補助金)の総額は1兆6,876億円であるが、これが9府省庁それぞれの所管による合計34種の交付金・補助金に細かく分けられており、国が自治体向けに開設した相談窓口(事実上の審査窓口)もこれと同じ数だけある。

つまり、これは自治体に膨大な事務作業を強いる非効率極まるシステムなのである。繰り返すが、組織が環境変化に対応して「持続可能性」を獲得するには、効率的な資本や資源の配分が何よりも優先されねばならない。この国において、米国のFEMA(Federal Emergency Management Agency 連邦緊急事態管理庁)のような、大規模災害時の支援活動を統轄する効率的な組織をなぜ作れないのか。

国が守るべきは、所轄官庁の権益ではなく、国民であり国土である。ともあれ、国に比べれば、自治体の防災行政の方に改善の可能性がありそうだ。ふるさと納税にワンストップ特例制度(確定申告なしで寄附金控除が受けられる便利な仕組み)を導入した自治体である。行政改革の能力はすでに実証されている。(茨城キリスト教大学名誉教授)

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《吾妻カガミ》67 つくばと土浦の話題をヤフーに提供

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JR土浦駅ビル「プレイアトレ」とTXつくば駅前ビル「キュート」の壁面看板

【コラム・坂本栄】「NEWSつくば」は11月6日から「Yahoo!ニュース」経由でのニュース発信を始めます。これまでは本サイトのほか、フェイスブックやツイッターで発信してきましたが、新たにヤフーが加わります。当面は日々のニュースから地域性の強いものを毎日1本選び、同サイトの地域欄に提供します。NEWSつくば発足から2年1カ月。本サイトは新しいフェーズ(段階)に入りました。

他メディアとの連携、今後の編集方針については、本コラムの「残暑御見舞 今秋からヤフーでも発信!」(8月19日掲載)をご覧ください。提供する記事は、「比較的若いまち 研究学園都市つくば市の諸相」「商業都市から観光都市に脱皮しつつある 歴史あるまち土浦市の諸相」になります。科学のまちと歴史のまち、それぞれの移(うつ)ろいと足掻(あが)きを伝えられればと思います。

打ち合わせの際にヤフーの担当者から面白いことを聞きました。ローカル記事でアクセスが多いのはどんなものかを尋ねたところ、動物絡みということでした。多くの方が興味を持つような、イノシシが暴れたとか、サルが噛みついたとかのネタは、ヤフーも歓迎しているそうです。当サイトはこういったニュースはもちろん、多くの方が関心を持つようなローカルの話題を発信していきます。

新聞の限界とネットの可能性

ネットはメディアのこれまでの常識を変えつつあります。全国紙は東京の話題を全国に伝えるのが仕事でした(ローカルの話題にも紙面を割いてはいますが…)。配送の制約から遠隔地の地方紙を読むことはできませんでした。ところがネットはこういった特性・制約を乗り越え、地域と中央をフラットにし(どこでも全国のニュースが閲覧可)、地方と中央をひとまとめにしたからです(ヤフーのようなサイトで一覧可)。

新聞の限界とネットの可能性については、「新聞部数 10年で2割減 10年後は?」(2018年2月19日掲載)をご一読ください。私はこの中で、コンテンツ(記事や写真など)を載せるメディア(コンテンツの運搬手段)という切り口から、ネットの優位、新聞の劣位を指摘しました。それから約1年半。新聞各社のネット化の動きを見ていると(私は朝日、日経、WSJの電子版を契約)、伝統メディア新聞の衰えを強く感じます。

ネットメディアの利点は、載せられるコンテンツが記事や写真だけでなく、動画や音声も載せられることです。紙面の制約がありませんから、たっぷりした記事を掲載できます。印刷の必要もありませんから、早めに画面に掲載できます。どこでも見られるスマホに展開できるのも優れた点です。実に使い勝手がよいメディアです。(NEWSつくば理事長)

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《ON THE ROAD》5 外国人と一緒が普通になった日本

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【コラム・石井康之】今回は、海外から日本に来て働いたり学んだり、観光で訪れる人々について書きたいと思います。最近、自分の身近でも普通に目にするようになった外国人。私が住んでいる東京のマンションにも、いろいろな国の人たちが、ここ数年で暮らすようになった。

コンビニに行ってもジムに行っても、珍しい光景ではなくなった。中には、八百屋をやりだして、1年で店を大きくした人もいる。スーパーでは、日本人と外国人の夫婦が子供を連れているのも珍しくなくなった。知人が勤めているホテルも、ベッドメークはほとんど外国人だという。

私の会社でも、仕事柄、海外の工場に商品をつくってもらうことも多い。最初のころ、レザージャケットづくりでいろいろな問題が起きた。サンプル用の材料を送っても、なかなか届かなかったり、説明文を付けても、上がってくるものが違っていたり―と、大変な思いをした。

そんなとき、洋服にはまるで関係のない、車を輸出している同じ国の人と出会い、サポートしてもらったことがある。相手の会社に電話をしてもらい、こちらが伝えたいことを話してもらい、大変助かったことを思い出す。自分のブランドを立ち上げたとき、自動車の整備工場でコレクションをしたが、会場や映像づくりは、ほとんど日本に住む外国人だった。

ラグビーチームにも多くの外国人

荒川沖周辺から土浦駅にかけても、外国人がやっているお店や、歩いている外国人を見かける。先日、タイの食材屋さんを見つけ入ってみると、スーパーでは見かけない食材がいろいろあった。中にいたタイの方に話しかけてみた。自分が先日、タイに行って食べたものがとてもおいしかったことや、店にあった食材の調理の仕方などいろいろと。とても楽しい時間を過ごせた。

いま、日本では人口がどんどん減少している中、外国人の労働力はとても重要である。そして、今までは目にしないようなところでも、海外の人を見かけるようになる気がする。たとえば、中国人が集まる海外のチャイナタウンのような街にしても、住みやすい環境ということが口コミで広がり、住むようになるケースも多いという。

最近だと、ラグビーの日本のチームでも外国人が普通にいる。国技の相撲でも同様である。私の妄想にすぎないかもしれないが、いままで日本人だけで成り立っていた職業もどんどんグローバル化していき、日本の会社なのに外国人が多い会社が普通になる時代も来るような気がしてならない。(ファッションデザイナー)

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《続・気軽にSOS》48 共感することが人間関係では大切

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【コラム・浅井和幸】相手の意見を受け入れずにさえぎり、自分の意見を押し付けあうときに、争いは起こります。お互いが相手をいたわる気持ち、共感、尊重することが、人間関係では大切なことは、ほとんどの人が感じていることでしょう。

人は、自分の体験や気持ちに共感してくれる人に共感しやすいものです。しかし、自分と違う考え方、境遇、属性には共感しにくいものですよね。

「なんでこんな簡単な問題が分からないの?」「痩せたければ、食べなければいいのに」「嫌なら辞めちゃえばいいのに」「あんなろくでなしとは別れちゃえばいいのに」などと、相手にとっては大きな問題も、立場が違うと軽く思えてしまうものですよね。

福祉系や心理系では、よく使われる「共感」という概念。今回は、そんな難しい話はさておき、共感しにくいときに、それでも共感した方がよいと考えるのであれば、使ってみて欲しい方法をお伝えします。

優等生的に考えると、「相手の立場になってみる」のが共感です。しかし、相手に共感しにくいときは、「相手と同じような気持ちになるときには、自分だったらどのようなシチュエーションか?」を想像してみるのです。

オーバーな共感力で自分を抑える

例えば、女性が電車で痴漢にあったときに、どうして声を上げなかったのか?と思う人は、この女性の立場になって考えてみても、「自分だったら声を出す」どころか、「痴漢の手を強く握って脅してやる」ぐらいに考えるかもしれません。

それは、力や気の強い男が、ひ弱な男に痴漢に合う場面を想定しているからです。しかし、いくら力や気の強い男でも、自分より20センチも背の高い筋骨隆々の男に痴漢行為を受けたら、やっぱり怖くて声が出ないのかもと、想像しやすいのではないでしょうか。

ほかにも、引きこもっている人の気持ちが分からないという人は、次のように考えているかもしれません。何もしていないのに、外に出ることぐらいで、なぜ、そんなにビクビクしているのか?と。過去のことに拘っていないで、ちょっとした失敗に脅えることが理解できず、自分だったら仕事をしなくてもよいのであれば、自由に楽しんじゃうのに、と考えるかもしれません。

そんなときは、このようなシチュエーションを考えると共感しやすいと思います。例えば、大きな失敗をして謝罪に回るだけの仕事を、これからずっと続けなければいけないケース。期限を過ぎた仕事で、どんなに頑張っても「遅い」と怒られるだけの仕事を抱えたケース。

話は変わりますが、私は、こう見えても短気なほうです。荒っぽい車の運転をする奴に腹を立てることも多々あります。そんなときは、行き過ぎた共感力を発揮して、自分を抑えます。あんなに急いでいるのはトイレに行きたくて大変なんじゃないか、と。あまりにもひどい運転を見ると「もう漏らしちゃってるんだな、かわいそうに」と、心の中でつぶやくのです。(精神保健福祉士)

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《ことばのおはなし》15 私のおはなし④

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【コラム・山口絹記】最初の失語発症から4~6日後の夜にも、15分程度の自覚できる失語があった。様々なことを試してみた。

おそらく、脳腫瘍か軽度の脳梗塞だろう。若年性アルツハイマー病になるには早すぎる。脳出血であれば1日置きに失語のみの症状が出る理由がわからない。あるいは、私のような素人が知らない病気、病症か。

翌日16時50分、私は職場の後輩と2人で休憩をとっていた。話しながら、視界のことばのフィルターが崩れていくのを感じた。後輩の名もわからない。これは、まずい。

「最近…たまに…こと、ば、が…」。言え! 最後まで言うんだ! と己の脳を叱咤(しった)したが間に合わなかった。

「あれ? なんだっけ。どうしよう」。苦笑いである。ため息を付いて、無言で肩をすくめる私を見た後輩も、どうやらのっぴきならない事態に気づいたのだろう。

「え? やめてくださいよ、山口さん、なんなんすか…」。そんなことを言われたって困るのである。不憫(ふびん)な後輩に事情を説明してあげたいのは山々だが、どうすることもできない。

私は無言で休憩室の出口を指差し、後輩を引き連れながら発話を試みる。少しずつ回復する言語機能に合わせて、たどたどしくここ数日の状況を説明する。言いながら椅子に腰掛け、隣に座っていた先輩(実は同じコラムニストの玉置氏である)にも同じことを話した。

1回病院で検査したほうがよいよと言う2人に、「ですよねぇ」と笑った瞬間、右の二の腕から薬指と小指にかけて電気が走った。じんわりと痺(しび)れる右腕にビリビリとした感覚が続く。

右手から目を上げると会話の相手が息を呑むのがわかった。最早、一言も話せない。

左手が駄目なら右手がある

すっと立ち上がり、コートを羽織って鞄を持ち、上司のもとへ向かった。数人で話し合いをしている後ろに私が立つと、皆が振り返り、怪訝(けげん)な顔でこちらを見ている。当然だ。まだ退社時刻でもないのに、部下が帰り支度をして無言で突っ立っているのである。

私は身振り手振りで帰ります、ということを伝えようとしたが、勿論伝わる様子はない。諦めて踵(きびす)を返す。止める者はいなかった。

発症から35分。最長記録である。右腕の痺れもひどい。我が左脳が危険信号を発している。

スマホを取り出し妻に電話をかけた。ほとんどことばを発せないものの、逆にそれで事情が伝わったようだった。しかし、会話がままならないために、自力で家に帰ることになってしまった。

仕方なく車に乗り込み、エンジンをかけようとして私は首をかしげた。エンジンのかけ方がわからない。否、頭ではわかるのにその指示が右手に伝わらない。これが失行というやつか。すごいな、人間の脳は。感心している場合ではないのだが。

左脳が駄目なら右脳がある。左半身はまだ正常ははずだ。私は左手でエンジンをかけた。ビンゴである。右手でライトをつけようとしたが、パッシングを繰り返しているので、右半身は捨て置き、左手左足運用に切り替える。AT車にしておいてよかったな、と思いつつ私は帰路についた。-次回に続く-(言語研究者)

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《制作ノート》12 90歳の先輩との「二人展」

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「二人展」の会場風景㊧と先輩(毛利先生)の作品

【コラム・沼尻正芳】先輩との「二人展」は、今年で5回目になります。先輩は今年90歳になりました。今年は先輩の卒寿記念二人展です。

私たちは、赴任した松戸の中学校で出会いました。その頃の先輩はベテランの学年主任で、生意気な新米教師だった私はずいぶんとお世話になりました。

数学担当の先輩は、退職してから子ども向けに数学の本を書きました。美術担当の私は、先輩の依頼で本の表紙と挿絵を描きました。

やがて、先輩は油絵を描くようになりました。西洋画家などの技法を研究し、緻密で質感のある静物や彩り豊かな風景を描き、個展で発表しました。退職後は、私も先輩のように油絵を描こうと思いました。「いつか2人で展覧会をしたいですね」。先輩の個展会場で私たちはたびたびそんな話をしました。

5年前に、念願の「二人展」が実現しました。展覧会は、つくば市の洞峰公園の展示ホールで行うことになりました。松戸時代の同僚や教え子たちが遠くから会場にやってきて、久しぶりの再会で話がはずみました。

洞峰公園の理想的な展覧会場

秋の洞峰公園は紅葉が色づき池には野鳥が遊び、展示会場はレストランも併設していて、ゆったりとした気持ちで絵を鑑賞することができます。公園を散策している人もたくさん訪れ、1週間で1000名を超える来場者がありました。予想をはるかに超えた来場者数で大変驚きました。公園に訪れる人たちは絵画に関心がある人が多いように感じました。それから毎年、この会場を借りて「二人展」を開催しています。

先輩は毎日、柏からやってきて会場で応対し、合間には公園でスケッチをします。展覧会が終わると、スケッチ旅行にすぐに出かけて作品の制作を始めます。その気力や行動力に頭が下がります。

近年、退職後に趣味で文化活動を始め、それを生きがいにしている高齢者が増えてきたように思います。サークルで活動している人たちもたくさんいます。

つくば市には、洞峰公園新都市記念館のほか、つくば美術館や市民ギャラリー、銀行や民間のギャラリーなど、それぞれに特色ある展覧会場があります。

私の住むつくばみらい市には、市民が展覧会をしたり鑑賞したりする専用の施設はまだありません。普段の生活の中でゆったりと地域の文化とふれあえる場所がほしいと思います。洞峰公園のような会場はゆっくりと作品を鑑賞でき、様々な人たちが訪れ、とても理想的な展覧会場だと思います。(画家)

◆第5回絵画二人展  11月21日(木)~27日(水) 筑波新都市記念館展示ホール(つくば市二の宮・洞峰公園内)

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《ライズ学園日記》2 批判的思考(Critical thinking)が必要

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つくば7Cスタディが定義する7つのC

【コラム・小野村哲】温暖化対策の実行を訴え、毎週金曜日、学校をストライキし始めた1人の少女の活動が、世界へと広がりを見せている。その活動は、「学校の勉強より大切だ」という彼女らは、「子どもの未来を奪うな」と訴える。世界のリーダーたちは、そんな彼女を「とても幸せな少女」だと揶揄(やゆ)し、また「世界は複雑かつ多彩」であることを知らないという。

なるほど彼らは、世界を複雑かつ多彩、もしくは多難なものにしていると私は思う。しかしそれは私の意見であって、グレタ・トゥンベリさんに対する見方も賛否あって然るべきだろう。しかしそうであったとしても、彼女らの声には真摯(しんし)に耳を傾けるべきではないのか。

つくば市総合教育研究所のWebサイトでは、「つくば7Cスタディ」としてCooperation協働力、Communication言語活用力、Critical thinking思考・判断力…などが挙げられている。しかし、なぜかCritical thinkingについては、そのCをイニシャルとするcritical:批判的の部分が訳されていない。

教育現場では、最近、アサーション・トレーニングなどいう言葉も流行りだした。assertion とは本来、「自分の意見や要求をきっぱりと表明すること」を意味するが、日本社会では、「適切に表明」「お互いを尊重しながら…」などといった側面が強調され、本来の意味からはかけ離れがちでもある。

そこでは「伝えるためのスキル」と同様に、多少耳に痛いことでも「真摯に聴く姿勢」も重視されるべきだが、後者はないがしろにされている様子も伺える。

グレタさんに「黙っていろ」とは言えない

不登校といわれる子の中には、今の学校の在り方に疑問を感じて、「何のために学校に行かなきゃいけないのか?」という声がある。私自身もかつては、「とにかく校則は校則」だと生徒に押し付けていたが、いわゆるブラック校則に関してアンケートを行い、自らの意見を添えて提出した生徒に、「生意気なことを言っている暇があったら勉強していろ」などと言い放つ教師は、今でも変わらずいるようだ。

「7Cスタディ」などと謳(うた)うまでもなく、私たちがなすべきは、「従順で、言われたことを忠実にこなす人材の育成」ではなく、「多様な人と対話をしながら、お互いを尊重し、今、何が必要かを自分なりに考え、行動する姿勢が培われる」ように見守ることではないだろうか。

相次いで日本を襲う巨大台風に、なぜ、このようなことになってしまったのか…と気分が沈みがちになる。次代を生きる人々は、最大瞬間風速70メートルの暴風や、48時間に1000ミリを超えるような豪雨に立ち向かわなければならなくなるのか? だとしたら、彼女、彼らに黙っていろとは言えないのではないか。(つくば市教育委員)

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《邑から日本を見る》50 市民運動の同志・須田春海さん逝く

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飯野農夫也氏の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】わが国の市民運動をけん引してきた須田春海(すだ・はるみ)さんがこの7月に亡くなった。彼は早生まれなので、学年は私より1年上だが、同い年だった。須田さんは私にとって兄貴分であり、同志だった。2009年にALS(筋萎縮性側索硬化症)の診断を受け、自宅で療養を続けてきた。

10月9日に東京で「須田春海さんを偲び遺志を受け継ぐ会」が開かれた。200人近い人が集まり、各方面から彼の活動ぶりなどのスピーチがあり、交流の広さを知ることができた。

須田さんは、市民運動全国センターや市民立法機構などで、抵抗型の市民運動ではなく参加型の運動を提唱し、政治を一部の人に任せるのではなく、政策づくりの根幹から市民が参加していくことを訴え続けてきた。

私と須田さんの関わりは、環境自治体会議の運営と日韓市民社会フォーラムの2つだけだったが、彼の強烈な個性、それでいて人を磁石で吸い上げるようなスカウト力、人を見抜く力などに魅了された一人だ。

環境自治体会議は、ブラジルのリオデジャネイロで地球サミットが開かれた1992年、北海道池田町、沖縄県読谷村とわが瓜連町が全国の自治体などに呼び掛けて始められた。須田さんは病で倒れるまでその事務局長として自治体会議を主導し、環境を自治体運営の根幹に据えるべきだと提唱し続けた。

国と地方自治体は対等・平等?

わが国の行政の運営は、明治以降、国が中心にあり、都道府県、市町村はその下に置かれてきた。支配・従属の関係だった。1999年に地方分権一括法が制定され、国と地方自治体は対等・平等となったはずだが、現実の姿はもとのままにしか見えない。

私は環境自治体会議の運営にずっと関わってきたが、この会議では、首長、議員、職員、市民運動家、学生などすべての参加者が同じ目線で議論し、学ぶ。国と市町村が縦の関係だと、隣の町で何をしているのか知らなくともよかった。どんなすばらしいことを隣でやっていても、わが町はカンケイなかった。

しかし、この会議に出て、環境問題への取り組み、まちづくりですばらしい取り組みをしているところが実に多いことに気づき、いいところを真似しよう、という気になった。須田さんの狙いはそこにあったのだと考えている。

須田さんの父親は須田禎一。朝日新聞から北海道新聞に移り、流れに抗する精神を持ち続けていた。60年安保闘争のとき、樺美智子さんが警官に殺された翌日(6月16日)、全国紙は「そのよってきたるゆえんは別として、事態収拾のため国会正常化に協力しよう」という「七社宣言」を発表した。須田さんの北海道新聞はこれに加わらなかった。

私は学生時代、禎一の書く「エコノミスト」のコラム「氷焔(ひむろ)」などを愛読していた。その切れ味、小気味よさにしばし酔いしれたものだ。茨城に関しては、評伝『風見章とその時代』(みすず書房)を書いている。環境自治体会議の運営に参加する中で禎一が春海さんの父だったことを聞かされ、禎一を身近に感じることができるようになった。禎一の父は誠太郎。行方郡牛堀で「治水の父」と呼ばれた人だ。

春海さんとの想い出が、私の頭の中を走馬灯のようにぐるぐる回っている。(元瓜連町長)

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《宍塚の里山》49 美しい花を咲かせる「クサギ」は臭いか

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クサギの花と実

【コラム・及川ひろみ】8月半ばごろ美しい花を咲かせる「クサギ」、名前の通り葉には独特の香りがあります。若いころは大変臭いと感じたものですが、最近の子どもや若者は、ゴマのような香りと、さほど臭いとは感じないようです。里山の日が当たる所なら普通に見られるこの植物、子どもたちや若者たちに、この葉をなんどもかがせましたが、臭いと表現する人はあまりいません。

「ヘクソカズラ」―屁と糞、臭いものの代表を2つも冠したこの植物の匂いも、最近はそれほど強烈な臭いがしません。かつては鼻が曲がるほど臭いと感じたものです。私の鼻が若い頃より劣ったこともありますが、クサギの例のようにヘクソカズラも最近の子どもたちには強烈に臭いとは感じないようです。

1994年6月、明治薬科大学の平賀敬夫先生を講師に「身近な薬草を見る」と題した観察会を行いました。そのときすでに、ヘクソカズラの匂いが昔ほど臭くないことが話題になりました。先生から、「九州でも同じような話を聞いた。広範囲で起こっている環境の変化、例えば酸性雨などの影響かもしれない」との話でした。

ブルーの実は草木染に使えます

さて、クサギの花。日中は特にアゲハチョウの仲間がよく吸蜜(きゅうみつ)にやって来ます。夜になるとスズメガなどやって来て受粉します。ともに長い口吻(こうふん)を持つ昆虫です。

そして秋、ラピスラズリのような光沢のある美しいブルーの実を付けます。実の周りにはブルーを引き立てるような真っ赤な、しかもピカピカ光った「がく」のある、とてもおしゃれな実です。

このブルーの実は草木染に使えます。草木染めと言えば繊維に染料を定着させる媒染剤(ばいせんざい)を使い染めることが多いのですが、クサギの実は媒染剤を使う必要がなく、実を煮て、煮汁に布をつける、それだけで染まります。

1992年、会がオニバスサミットを開催したとき、資金の足しにと大勢で様々なグッズを作りました。その中で、白い木綿のハンカチをクサギの実で染める草木染めにも挑戦、鮮やかな美しいブルーに仕上がりました。ただ媒染剤を使わないことから、何度も洗濯すると色落ちするので、丁寧に洗い、長期間使い続けました。

クサギは身近な植物、実を集めればだれにでもできます。花と実、2度も3度楽しめる植物です。そのクサギ、少し前まではクマツヅラ科に分類されていましたが、DNA配列を基にした新しい分類体系によって、現在ではシソ科に移りました。(宍塚の自然と歴史の会代表)

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《地域包括ケア》46 在宅療養支援診療所(在支診)の活用

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在宅医療と在宅介護の説明書

【コラム・室生勝】かかりつけ診療所医は、病院専門医のいる病院が緊急時に入院を引き受けてくれれば、安心して在宅医療ができる。在宅療養支援診療所(在支診)の施設基準にも、24時間対応、訪問看護師との連携、看取りなどとともに、緊急時の病院との連携がある。

1人医師の在支診は24時間365日、心身ともに拘束される。私の経験では、在宅医療を行えるのは月間20人までである。月2回の訪問診療を水曜か木曜に、外来診療を休診にして1日7時間行い、時間が足りないときは土曜午後を利用した。

3カ所の在支診が連携すれば、3人以上の常勤がいる診療所と同じく、機能強化型在支診と認められる。そして、機能強化型は過去1年間の緊急往診の実績10件以上、看取り実績4件以上、月1回の合同検討会開催の条件がある。

在宅医療を受けている患者の固定電話番号が医師の携帯に記録されていれば、患家は安心して、むやみに電話をかけてこない。重篤になる可能性がある患者には、毎朝夕電話して病状を聞いて早めに対応し、さらに訪問看護ステーションを利用すれば、医師1人に負担がかからず、24時間365日の拘束感はかなり薄れる。

長期休暇は連携医と交替にとれば、学会参加も海外旅行も可能である。長年通院していた患者と信頼関係ができているので、連携医の一時的な代診も了解してくれる。

「かかりつけ医に最期まで診てほしい」

つくば市には、外来診療を行わず在宅医療専門診療所(在医専診)が5カ所ある。1カ所は常勤医3名で、2カ所は複数の在支診と連携して機能強化型にしているが、2カ所は機能強化型ではない。つくば市の在支診は31と県内で最も多いが、全てが在宅医療を行ってはいない。一部の患者しか在宅医療をしないのは、医師自身の負担を減らす場合もあるが、患者の経済的負担を減らす場合もある。

訪問診療の診療報酬は、在支診も一般診療所も同じである。在支診には月1回、在宅時医学総合管理料あるいは在宅末期医学総合診療料が加算されるが、一般診療所ではその加算がなく費用は在支診より安くなる。安定している患者は月1回の訪問診療でもよく、総合管理料も月2回の費用より低くいので、患者の負担は軽減される。医師の診察が月1回で不安であれば、訪問看護ステーションを2週に1回利用すればよい。

厚労省は、地域包括ケアシステム上、在宅医療・介護サービスを30分以内に提供できることが望ましいとしている。患家から連絡があり、準備をして車に乗り、法定速度で走行し、患家に到着して患者のベッドサイドまでの時間である。診療所から患家までの距離にすると約10キロと思う。

高血圧、糖尿病、腰痛症などの慢性疾患で長年通院していた患者が通えなくなり、在宅医療を希望したときには、在支診でなくてもかかりつけ医として訪問診療してほしい。患者は長年診てくれたかかりつけ医に、最期まで診てほしいと願っているだろう。(高齢者サロン主宰)

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《食う寝る宇宙》48 そんなに衛星打上げてどうするの?

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【コラム・玉置晋】2019年5月24日、米国のスペースX社が、巨大通信衛星網「スターリンク」用の最初の衛星60機を「ファルコン9ロケット」で打ち上げました。その直後、一列に並ぶ衛星が太陽光を反射する姿が撮影され、銀河鉄道のようだと話題になりました。

スターリンク開発は2015年に開始され、プロトタイプ2基が18年2月に打ち上げられました。スペースX社は約1万2000基の通信衛星を打上げ、20年代中ごろまでに全世界をカバーする衛星インターネット通信網の構築を計画しています。具体的には、高度550キロに約1600基、1150キロに約2800基、340キロに約7518基が投入されます。これに衛星間光通信機能が加わり、電波による衛星インターネット通信網および宇宙空間に光通信網が完成します。

「ニュースペース」と呼ばれる人たちが、ものすごいことをやろうとしているようだと、話題性に事欠かないこの計画です。しかし、すでに高速インターネットに接続し、生活している人(日本の茨城県に在住している僕も含め)にとって、どんなメリットがあるの? 解を求めて検索してみましたが、よくわかりません。ただ、世の中が大きく変わるかもと、ザワついています。

衛星群は天体観測のジャマ 

光を当てると影ができるように、これまでと違うことを行うと、皆が幸せになるとは限りません。この衛星群プロジェクトに対しては懸念が出ています。まず、困っていると声を上げたのは天文学者の方々です。スターリンクが銀河鉄道のようだと書きましたが、今後これらが全天で営業開始してくると、観測のジャマこの上ないのです。

また人工衛星事業者は、自分の衛星とこれらとの衝突を懸念しています。実際に2019年9月2日には、ヨーロッパの地球観測衛星「アイオロス」とスターリンクのうちの1基「スターリンク44」がニアミスを起こしました。このときはアイオロス側が回避制御を行い、衝突事故を防ぎました。明らかに宇宙の交通問題を悪化させます。

僕が高校生のころ(1990年代半ば)、まだインターネットは普及していなくて、調べものはもっぱら書物でした。大学に入ったころネットが普及し始めて、ダイヤルアップ方式(電話回線をパソコンに接続させ、ピーヒョロロという音が出て、プロバイダーにアクセスする古典的な接続方式)でした。動画のダウンロードなんて夢の夢でした。それから20年。10~20年後を想像してみるのも一興です。(宇宙天気防災研究者)

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《ひょうたんの眼》21 浪分神社は「ハザードマップ」

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ハザードマップ

【コラム・高橋恵一】群馬県吾妻郡嬬恋村に、鎌原観音堂(かんばらかんのんどう)がある。八ツ場(やんば)ダムの吾妻川上流、浅間山火口から12キロ離れた元の鎌原村は、江戸時代の天明3年(1783)に、浅間山の大爆発による「土石なだれ」に襲われ、村全体が埋まってしまった。当時の村人570人のうち、高台の観音堂にたどり着いた93人だけが生き残って、50段の石段は上から15段を残して埋まり、生死を分けた。 

仙台市若林区霞目に浪分(なみわけ)神社がある。海岸から5キロほど離れた位置にあり、昔の津波が、この神社の手前で二手に分かれ、ここまでで引いていったと伝わる場所である。神社の裏100メートルのところに、初代横綱谷風(たにかぜ)の墓があり、その後ろに自衛隊の駐屯地がある。自衛隊基地が、神社や谷風に護られている位置にある。 

最近、地震による地面の液状化、がけ崩れの危険個所、大雨による浸水区域などを警告する「ハザードマップ」が注目されているが、鎌原観音堂や浪分神社は、当時の「ハザード・ランドマーク」みたいなもので、緊急避難の目標地点や住居建設には向かない地域を示していたのだ。 

平野部は標高5メートルまで水没? 

近年、日本で目立つのは、台風による大雨洪水や暴風の被害だが、地球温暖化由来の災害で、異常な夏の暑さも、日本近海での漁業環境の変化も同根であろう。 

しかも、温暖化の影響は地球全体で受けており、北極や南極の氷が解けることにより海面が5メートル上昇し、海に沈んでしまう南洋の島国がある。海岸沿いや海に連動している内水面は、一時的な洪水ではなく、標高5メートルまでの土地が水没するのだ。 

さらに、標高差による気温差は、100メートルにつき0.6℃といわれているので、温暖化により1℃気温が上昇すると、標高160メートル下がることと同じになり、農作物を含む生物の生育条件も変化することになる。日本は、全体的に傾斜が急な構造になっているので、平野部の平坦地は、標高5メートルまで水没し、居住地域は、標高160メートルの傾斜地に移ることになるかもしれない。 

イタリアの観光地トリエステのような街になるのだろうか。行ってみたいけど、住みたくはない。(地図愛好家)

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《県南の食生活》6 レンコンは茨城 全国の48%を生産

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【コラム・古家晴美】県南で最も有名な農産物と言えば、やはりレンコンでしょう。茨城県は熱帯アジア原産であるレンコン生産地の北限にもかかわらず、2018年度の収穫量が全国1位で、全収穫量の48.1パーセントを占めています(農林水産省作物統計・作況調査第1報)。これから来春にかけて霞ケ浦の蓮(はす)田は本格的な収穫期に入ります。

レンコンについての最初の記録は「常陸国風土記」で、蓮根(れんこん)が食用にされていることと共に、その薬効も紹介されています。霞ケ浦の土浦入り(高浜入りに対し土浦側の入り江)では、天保年間(1830~44)に土浦藩主土屋寅直(つちや・ともなお)が栽培を奨励し、積極的に取り組み始めます。

しかし、当時栽培されていた在来種(白花以外に赤花やピンク色の花もあります)は深根(ふかね)性で、常時冠水(かんすい)田や排水不良の池で栽培され、粘質で美味であるものの、生産性が高くありませんでした。明治26(1893)年に常磐線が開通すると、大都市へ出荷され、レンコンの需要も高まります。土浦では、大きな蓮問屋が元締めとして広大な蓮田を所有し、掘り子を雇って生産・販売していました。

当時、レンコンは高価だったので、庶民の口に入るのは特別な日に限られていました。正月や盆、祭り、祝儀、不祝儀などの「ハレの日」にしか口にできなかったと言います。

芽に近い先端の第1節は、最も若く肉質が軟らかいので軽くゆでて酢バスなどにします。第2節、第3節に向かうに従い肉質が硬くなっていくので、これを牛蒡(ごぼう)、人参(にんじん)などと共に、砂糖・醤油で味付けした煮もの、きんぴら、天ぷらにすることもありました。

食物繊維が豊富な食材

現在は、これらレンコン料理のほかに、れんこんハンバーグ、れんこんサラダ、れんこんチップス、レンコンカレーなどの様々なレシピが開発され、食物繊維が豊富な食材として日常的に食卓にのぼりますが、コメ以上に収益性の高い作物であったため、庶民の口には入りづらい時代もあったのです。

茨城県におけるレンコン栽培が本格的に展開されたのは高度経済成長期以降です。東京市場のレンコン取扱高は、1955年は東京が51.4%、茨城が25.8%であったのが、1965年に大逆転し、茨城が56.8%、東京が17.1%になりました。

その要因として、レンコン栽培に適した気候風土や流通網の発達が茨城で満たされていたことが挙げられます。しかし、それと同時に、かつてレンコンの大生産地であった東京東部低湿地帯が、宅地化によって生産を止め、都市近郊に生産地を求めたことも追い風となりました。

霞ケ浦のレンコンの来し方を振り返りながら今年の冬もレンコンを楽しんでみませんか。(筑波学院大学教授)

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《続・平熱日記》48 ローマの休日 のち豚汁で昼食を

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【コラム・斉藤裕之】さて下の娘。こちらは東京で美容師として働いております。とはいえ低賃金の福利厚生もなく、また旗日や有休とも無縁の修行の身。それでも自分の志した道。せめて年に1度の小旅行をと、かみさんが連れ出すのが精いっぱい。

そんな彼女が働き始めて念願の連休を取得。そして初めての海外旅行。それも1人旅。それもイタリア。親としてはとりあえず旅の無事を祈るだけ。パスポートは首から下げろとか、余計な現金は持つなとか、タクシーのウンちゃんには気をつけろとか。

特にイタリアでなくともよかったらしいのですが、強いて言えば靴を買いに? 次女はちょっと変わった足の指と気質の持ち主であることは確か。ま、すべての道はローマに通ずってことで。

とりあえず成田の出発ゲートに消えていった彼女。その日の午後、たまたま有線テレビで「ローマの休日」をやっているのを見つけ、さすがにオードリーヘップバーンとは重ならないものの、よもやグレゴリーペック風の男性に出会うなんてことも…。

薩摩芋入り豚汁は母のもの

と思ったら、あっという間に数日が経ち再び成田。どうやら無事にご帰国の由。慣れない長旅に疲れている様子ですが、イタリアでの新鮮な感想を車中で語る次女。相変わらず英語が通じないこと、不愛想な駅員、時刻通りではない電車。その反対に、教会や美術館で感じた歴史や思想への畏怖、そしてやはり食べ物の話。

実は、「帰ってきたら豚汁が食べたいから。薩摩芋の入ったやつね」とリクエストして旅立った彼女。薩摩芋入りの豚汁は私の母のもの。習ったわけではありませんが、子供にとってもこの味が我が家の味となっていたのはうれしく、朝からつくっておきました。

イタリアに限らず海外に行くと感じるのは、日本がいかに快適で豊かであるかということ。成田からの帰り道に買った、初物の栗をご飯と炊いてサンマにカボスと大根おろし。秋の味覚満載の昼食となり、「マンマミーア、サンマミーア!」。日本のメシは世界最高!

ついでに思い出して引っ張り出したのは、30年前のアルバム。フィレンツェのドゥーモを登る高所恐怖症のかみさん。てっぺんで座り込んでしまったことを思い出したりして。30年前トーマスクックの時刻表を手に、冒険のように旅をしたイタリア。そして気が付けば、日本に来る外国人の多さに少々うんざりしている今の自分。

たまには海の外にでも出て、血の巡りをよくしないとだめだな。そう旅はかけがえのない学びの場でもある。お遍路さんやお伊勢参りも、恐らくそういう意味合いは少なからずあったはず。「次は冬の北欧に行きたいな」と次女。いつでもお供しますよ、マイヘアレディー(美容師だけに)。(画家)

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《吾妻カガミ》66 自転車のまち土浦 星野リゾートの次は?

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土浦駅ビル「プレイアトレ」に掲げられた「星野リゾート」の表示

【コラム・坂本栄】「自転車のまち土浦」の追い風になるニュースが飛び込んで来ました。ひとつは「ナショナルサイクルルートに選定 つくば霞ケ浦りんりんロード」(本サイト9月18日掲載)、もうひとつは「土浦駅ビルに星野リゾート 来年3月、ホテル開業」(同9月30日掲載)です。詳細はクリックしていただくとして、この2つは土浦をブレークさせる強力なテコになるでしょう。

ナショナルサイクルルートというのは国指定のサイクリング路のことですが、琵琶湖ルート(全長190キロ)、しまなみ海道ルート(同70キロ)と並んで、つくば霞ケ浦ルート(同180キロ)も国交省のお墨付きをもらいました。旧筑波鉄道跡と湖一周路は東日本唯一の指定ルートでもあり、愛好者の人気コースになると思います。

駅ビルにホテルが入るという話は聞いていました。ビジネスの類だろうと思っていたのですが、星野リゾートが運営する、若手サイクリストを意識したカジュアルホテルと聞き、驚きました。星野ブランドを考えると、予約に苦労する宿になるのではないでしょうか。

駅ビルには、サイクリング関係の店舗・施設、開放的なレストラン・カフェ、ユニークな書店などがすでに入っており、駅から徒歩10分の湖畔にはサイクリスト用の市営駐車施設も設けられています。これらにサイクリングルート国指定と著名ホテル進出がプラスされ、「自転車のまち土浦」が全国に発信される仕掛けが整いました。

民による霞ケ浦湖畔リゾート開発

土浦の魅力発信がこれで終わりかというと、そうではありません。湖畔の市有地に、市がリゾート施設を誘致しようとしているからです。ここにはかってホテルが建っていました。ところが経営不振で廃業。跡地にマンションを建設する計画もありましたが、リーマンショックで中止。仕方なく市が取得したものの、有効利用されていない区画(一部は先のサイクリスト駐車場に)です。

市はここにリゾート施設を呼び込もうとしています。今は市の関連会社が運営しているヨット・ボート係留施設と観光船運行事業を、進出する企業に任せるのも面白いと思います。民間の知恵(ビジネスセンス)による水上(ヨット+ボート)と湖畔(サイクリング+リゾート施設)をセットにしたリゾート開発です。

湖の魅力度アップに必要な湖水の浄化は国県市の仕事です。私はその策として霞ケ浦を汽水湖(きすいこ)に戻したらと提案したことがあります。「霞ケ浦を一大リゾート地域に」という見出しのコラム(2017年12月19日掲載)です。これまでの産業政策よりも自然環境を重視する霞ケ浦浄化構想ですが、水質改善の根治(こんじ)策になると思っています。(経済ジャーナリスト)

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《沃野一望》9 間宮林蔵の4 シーボルト

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つくば道

【ノベル・広田文世】

灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼

我(わが)ひめ歌の限りきかせむ  とて。

文政6年(1823)、長崎出島のオランダ商館に、ドイツ人医師シーボルトが入館した。

シーボルトは表向き医官であったが、正体は、日本という国をあらゆる面から総合的に探索する調査官であった。ドイツ国籍では、鎖国政策をとる日本へ上陸できないため、オランダ人と偽り、オランダ政府からの日本国調査要請を胸に秘め長崎出島に入った。

出島のオランダ商館でシーボルトは、まずは医官としての技量の優秀さを長崎在住の日本人医家に誇示した。医家たちはシーボルトの先進医療技術に驚嘆し、シーボルトの行動を積極的に支援するまでになった。

こうして得られた人脈を糧(かて)にシーボルトは、さらに活動の幅を広げ、長崎鳴滝(なるたき)に総合塾「鳴滝塾」を開き、多方面の学者たちと交流していった。

次第にシーボルトは、本来の来日目的の調査探索活動に取り組んでゆく。オランダ商館長の随員として将軍拝謁(はいえつ)の一行に加わり、江戸へ出立する。シーボルトにとって願ってもない好機の到来だった。

シーボルトは江戸で、さまざまな人物と接触する。シーボルトに教えを請う学者たちは、日本という国のあらゆる分野の詳細な情報を、与えられた課題に対する解答として提供し、シーボルトを満足させた。

日本全体の精密地図を入手

シーボルトは何よりも、日本全体の精密な地図を求めていた。蝦夷(えぞ)北方域に踏み込んだ最上徳内(もがみ・とくない)と面会し、さらにその伝で幕府天文方高橋景保(たかはし・かげやす)に接近、クルーゼンシュテルンの『世界周航記』の貸与を条件に伊能忠敬の『大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)』や間宮林蔵のカラフト図の模写を入手する。

人脈交流のなかでシーボルトは、間宮林蔵本人との面談を切望するが、林蔵は危険な毒手(どくしゅ)を鋭敏に嗅ぎとり、シーボルトとの接触を拒絶する。

シーボルトが日本の地図を入手した事実は、予想外の地で発覚する。シーボルトが乗船予定のオランダ帰国船が、長崎港内で台風のため座礁、積荷に、国外持ち出し厳禁の日本地図が発見された。

事態の深刻さに驚愕(きょうがく)した幕府は、地図に関与する人物を洗うが、間宮林蔵は、高橋景保がシーボルトと接触している事実を、勘定奉行村垣淡路守(むらがき・あわじのかみ)へ訴え出る。

高橋は捕らえられ、苛酷な獄中生活ののち、冷たい牢で獄死する。

世間の林蔵へ向ける眼は冷たかった。高橋様を密告した卑怯者として、学者はもとより町人までもが、林蔵を疎んじ接触を避けた。

林蔵は、世間の冷酷な視線に耐えて生きてゆく。筑波山の鬼神の警告はこの辛酸だったのかと、己の手の平の火傷痕(やけどあと)を睨(にら)みながら。(作家)

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《続・気軽にSOS》47 苦痛があるから上達するのか?

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【コラム・浅井和幸】とても心配性なAさんは、いつも何かに苦しんでしました。もっと真面目に生きなければいけない、もっと良い人間にならなければいけない、という思いに支配されているようです。

カウンセリングを続けるうちに、Aさんは気付きました。「幸せになるためには苦労することがあるかもしれないが、間違った苦労をしたところで幸せにはならない」ということに。

Aさんは、小さいころから親の言いつけ「幸せになりたければ苦労しなさい」を守り、いつも苦しんでいなければいけないという感覚の持ち主でした。楽しんだり、楽をしたりすることに対し、異常に嫌悪感を持ち、人と話を合わせるときの作り笑い以外は、笑ってさえいけないという感覚で生きてきたのです。

「何事も苦しむことで上手くなるものだ」。よく言われることですね。野球が上手くなるのも、楽器が弾けるようになるのも、勉強して成績が上がるのも、人とのコミュニケーション能力が上がるのも、お金を稼ぐのも、苦しみが多い方が目的を達成しやすい気がします。

しかし、それは大きな間違いです。苦しむ量が、目標を達成する量と比例するわけではありません。野球が上手くなりたいのであれば、いかに上手くなる練習が出来るかが大切で、苦労して間違った練習をしても上手くはなりません。間違った筋力トレーニングをしても、ケガをするだけです。

表面的な苦労の物まねをしているだけ

私が子どものときには、練習中に水を飲んではいけませんでしたし、うさぎ跳びや足を伸ばしたままの腹筋運動などが当たり前にありました。実際にケガをした部員もいます。全国で真夏のグラウンドで倒れ、中には死亡事故になったというニュースをよく目にした時期があります。30年ほど前でしょうか。

今でも、根性がつくと信じられているのか、コーチや監督が子どもたちを怒鳴り散らしていることもあるようです。

スポーツでも、学業でも、事業でも、より上のレベルになれば、より苦悩や苦痛が伴うことも事実です。ですが、不要な苦悩や苦痛を味わうところだけを取り出して、苦労すればよりよくなれると考えるのは、表面的な苦労の物まねをしているにすぎません。

「人の嫌がることを率先してやりなさい。人の嫌がることが出来ると、お金を稼ぐことが出来るから」という考え方も似ています。確かに表面的にみると、苦しい仕事の方がお金を稼げるという部分はあります。より稼ぐには、苦しい競争に勝たなければいけないこともあるでしょう。

しかし、苦しく仕事をしたらどこかからお金が降ってくるのではなく、買いたいと思わせるサービスやものを作り出すときに、苦しい作業があるからという順番です。こんなに苦労しているのに目標に近づけないと感じたとき、もう一度、今の自分のしている方法を考え直してみるのもよいと思います。(精神保健福祉士)

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