【コラム・山口絹記】最初の失語発症から4~6日後の夜にも、15分程度の自覚できる失語があった。様々なことを試してみた。

おそらく、脳腫瘍か軽度の脳梗塞だろう。若年性アルツハイマー病になるには早すぎる。脳出血であれば1日置きに失語のみの症状が出る理由がわからない。あるいは、私のような素人が知らない病気、病症か。

翌日16時50分、私は職場の後輩と2人で休憩をとっていた。話しながら、視界のことばのフィルターが崩れていくのを感じた。後輩の名もわからない。これは、まずい。

「最近…たまに…こと、ば、が…」。言え! 最後まで言うんだ! と己の脳を叱咤(しった)したが間に合わなかった。

「あれ? なんだっけ。どうしよう」。苦笑いである。ため息を付いて、無言で肩をすくめる私を見た後輩も、どうやらのっぴきならない事態に気づいたのだろう。

「え? やめてくださいよ、山口さん、なんなんすか…」。そんなことを言われたって困るのである。不憫(ふびん)な後輩に事情を説明してあげたいのは山々だが、どうすることもできない。

私は無言で休憩室の出口を指差し、後輩を引き連れながら発話を試みる。少しずつ回復する言語機能に合わせて、たどたどしくここ数日の状況を説明する。言いながら椅子に腰掛け、隣に座っていた先輩(実は同じコラムニストの玉置氏である)にも同じことを話した。

1回病院で検査したほうがよいよと言う2人に、「ですよねぇ」と笑った瞬間、右の二の腕から薬指と小指にかけて電気が走った。じんわりと痺(しび)れる右腕にビリビリとした感覚が続く。

右手から目を上げると会話の相手が息を呑むのがわかった。最早、一言も話せない。

左手が駄目なら右手がある

すっと立ち上がり、コートを羽織って鞄を持ち、上司のもとへ向かった。数人で話し合いをしている後ろに私が立つと、皆が振り返り、怪訝(けげん)な顔でこちらを見ている。当然だ。まだ退社時刻でもないのに、部下が帰り支度をして無言で突っ立っているのである。

私は身振り手振りで帰ります、ということを伝えようとしたが、勿論伝わる様子はない。諦めて踵(きびす)を返す。止める者はいなかった。

発症から35分。最長記録である。右腕の痺れもひどい。我が左脳が危険信号を発している。

スマホを取り出し妻に電話をかけた。ほとんどことばを発せないものの、逆にそれで事情が伝わったようだった。しかし、会話がままならないために、自力で家に帰ることになってしまった。

仕方なく車に乗り込み、エンジンをかけようとして私は首をかしげた。エンジンのかけ方がわからない。否、頭ではわかるのにその指示が右手に伝わらない。これが失行というやつか。すごいな、人間の脳は。感心している場合ではないのだが。

左脳が駄目なら右脳がある。左半身はまだ正常ははずだ。私は左手でエンジンをかけた。ビンゴである。右手でライトをつけようとしたが、パッシングを繰り返しているので、右半身は捨て置き、左手左足運用に切り替える。AT車にしておいてよかったな、と思いつつ私は帰路についた。-次回に続く-(言語研究者)

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