木曜日, 4月 24, 2025
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《霞ケ浦 折々の眺望》10 霞ケ浦の生物多様性:魚類と貝類

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湖水晩景

【コラム・沼澤篤】霞ケ浦は琵琶湖のような古代湖ではなく、固有種はいない。水質悪化で、特筆すべき生物もいないと思い込んでいないか。しかし、当コラムで取り上げたように、沿岸の植物は、生物多様性の視点でみると、実に興味深い種分化をとげ、生物の進化や多様性を学ぶ上で参考になる。今回紹介する魚類や貝類も同様。

明治以降、霞ケ浦で100種を超える魚種が記録されている。海跡湖(かいせきこ)という成因から、海との関わりが深い魚種が含まれる。しかし、戦後は常陸川水門(逆水門)の建設などで遡河(そか)性魚種が減り、一方で富栄養化に適応した魚種が残り、外来種が増加し、魚類相は大きく変化した。現在、霞ケ浦水系で見られる魚種は50種程度か。

海跡湖ではハゼ類が多い。霞ケ浦では15種のハゼ類が記録されている。現在生息するハゼ類は、その半分くらい。そのうちヌマチチブはずんぐり体型で、泳ぎは得意でなく、普段は湖底に生息する。しかし瞬発力があり、餌が近くに来ると大きな口を開けて跳びつく。

一方、ウキゴリは新幹線の先頭車両のような流線形。流れがある水中を泳ぎ、餌を見つけると、泳ぎながら近づいて食べる。ヌマチチブの待ち伏せ型に対して、積極的捕食型である。

ハゼ類は腹鰭(はらびれ)を吸盤として使い、礫(れき)の表面やコンクリート壁などに貼りつく。ヨシノボリ類はこの特徴を生かし、流れが速い河川を遡(さかのぼ)り、礫に着いた藻などを食べ、他のハゼ類が生息しない溜池に辿(たど)りつき、繁殖する。このようにハゼ類は餌資源と生息場所を求め、競争を避けながら種分化している。

2つの進化論 「生存競争」:「棲み分け」

戦前、戦後にかけて、京都大学の可児藤吉(かに・とうきち)、今西錦司(いまにし・きんじ)らは渓流昆虫の種分化を研究し、ダーウィン流の「生存競争」による進化論に対し、生物は競争を避け、ニッチ(間隙:生息場所)を求め、「棲(す)み分け」によって種分化(進化)するという学説を発表して注目された。

ハゼ類にも棲み分け理論が当てはまるようだ。ただし「生存競争」と「棲み分け」を峻別することは難しい。「戦わずして勝つ」という「孫子の兵法」の好例かもしれない。

ハゼ類は水底近くで生活するが、底生(ていせい)生物である二枚貝(イシガイ、カラスガイ、マシジミなど)の移動と繁殖に関わっている。その幼生は微小なカスタネットの形で、ハゼ類の鰭に付着して運搬される。川の上流で脱落し、川底で成長する。移動能力に乏しい二枚貝が川の上流まで分布する所以(ゆえん)である。

二枚貝はタナゴ類の産卵母貝になり、懸濁態(けんだくたい)有機物を餌にして透明度を上昇させる。透明度が上がれば、植物プランクトンが増える。このように、生物同士は進化史の中で、網の目のような複雑な共生関係で生存戦略を作りあげてきた。それを学ぶ格好の場が霞ケ浦である。

学ぼうという謙虚な姿勢があれば、全てが教科書であり学習の場だ。生物多様性を考えることは、小さな生き物たちに慈愛の眼差しを向け、人間による過度の開発行為を戒めることでもある。地元でハゼ類はゴロ、大きな二枚貝はタンカイと呼ばれ食用になり、霞ケ浦の幸(さち)であった。(霞ヶ浦市民協会研究顧問)

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《くずかごの唄》48 台風19号で起きたこと 考えたこと

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【コラム・奥井登美子】地球温暖化の影響だろうか、台風15号の次に19号。テレビは台風の時間とコースを報道してくれるので、とてもありがたい。でも、どう行動すればいいのか見当のつかない我々にとっては、秋の空を見上げる心のゆとりがなくなってしまったような気がする。

亭主は、日仏薬学会のスュルグご夫妻との夕食会が中止になってしまった。私は毎年、土浦市の環境展に、土浦の自然を守る会で「どんぐり細工」を出展する。今年も12日に向けて、どんぐりをたくさん拾って干して、虫を殺して用意していたのに。環境展のその日の行事はすべて中止になってしまった。

風が吹いて来て、銀杏(いちょう)が勢いよく落ちる音。木の枝がバサッと折れて、落ちてきた。

「台風まだ上陸していないのに、命を守れと、テレビがさけんでいるよ」

「どうすればいいの」

「今度は避難しなさいといっている」

「この風と雨の中、どこへ避難するの?」

「避難のほうが危険だよ」

地域医療の地域とはなにか

家にいても、庭の木の枝が落ちてくる。外に出たら、何が飛んでくるかわからない。かえって危険と判断して、2人で風の止むのを待っていた。

私は、お隣りに住んでいるコーちゃんと、何かあったら互いに助けあって、結束して事故防止に当たろうよと、約束していた。今回は、ご近所の付き合いとその約束が、何か安心感を与えてくれたような気がする。

昔は、オセッカイなバアさんジイさんが近所に山ほどいて、うるさいけれど何かあった場合の役に立っていた。今はご近所さんとの連携を拒否する人たちが多い。

今回の台風で、避難の必要性、中学校ごとの地域、川の流域ごとの地域などについて考えた。その中で地域医療とは何か、皆で徹底的に検討する必要があると思った。(随筆家)

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《ご飯は世界を救う》16  フラワーパークのレストラン・ローズ

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【コラム・川浪せつ子】石岡市にある「花と緑の楽園」がテーマの茨城県フラワーパーク。県の花がバラということもあり、バラをはじめ四季を通してお花が美しいです。

10年ほど前、こちらに河津桜(かわづざくら)があると知り、スケッチに行きました。ちょうど2月末の花粉症真っただ中。1時間ほどしたら、目がかゆくなってきて。小山の中腹から、この「レストラン・ローズ」まで、やっとのことでたどりつきました。

寒い時期でもあり、こちらでいただいたバラのジャムが添えてある、暖かい紅茶の美味しかったこと。そのときはお茶だけでしたが、それ以降はバラのアイスクリーム、そしてランチをするようになりました。

今回は久々におうかがい。「いもブタ定食」というのがあり注文。茨城県は豚の産地でもあるのですよね。この定食の豚は、サツマイモを食べさせているそうです。「生姜焼き」みたいなお味かと思ったら、やや甘めの味付け。それが「こんなに豚って、美味しかったのね~!」。うれしいサプライズでした。

「孤独のグルメ」「深夜食堂」

お話は変わります。

NEWSつくばの連載、今回で16回目。いつも低価格のランチばっかりで、わたしのお財布と胃袋事情が暴露!? そんな風に思っていました。でもやっぱり、庶民派B級グルメ路線で行こうと思います。

そのように開き直ったきっかけは、「孤独のグルメ」(1)と「深夜食堂」(2)という人気のマンガからTV、そして映画になったものを見たからです。

どちらも、ありきたりな、てらいのないご飯がテーマなのですよね。例えば「お母さんのカレーライス」「卵焼きとだし巻き卵」「削り節かけご飯」。そんなものが日々生きていく楽しさや、生きていくエネルギーになっている。まさに「ご飯は世界を救う」というこのタイトルそのもの。

ご飯があれば、世界の人々は、きっとみんな幸せ。笑顔でいれる。心まで救える。そう信じて、これからも描いていきたいと思います。(イラストレーター)

※1 原作・久住昌之 、作画・谷口ジローによる漫画
2012年からテレビ東京系でドラマシリーズ

※2 安倍夜郎による漫画
2009年からTBS系でドラマシリーズ、映画は15年1月31日公開、映画「続・食堂」は16年11月5日公開

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《法律かけこみ寺》11 台風の又三郎 隣の木が倒れてきたら?

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土浦市神龍寺(本文とは関係ありません)

【コラム・浦本弘海】「もしもし、弘海くん、この間はありがとう。隣家の木の枝が伸びてきて困っていたんだけど、民法の条文を出して交渉したら、しぶしぶだけど切ってくれたよ」

「それはよかったです!」

以前コラム(8月20日掲載)で紹介した、相談に乗った遠縁の親戚からの結果報告、感謝してもらえるのはうれしい限りです。

「ところで、また少し聞きたいことがあるんだけど」

コラムのネタに困っている状況では天の助け、聞くほうにも力が入ります。

「ほうほう、それで聞きたいことというのは?」

「それがね――」

どうやら隣家の木(越境はしていない)が台風で倒れ、家の一部が損壊してしまったようです。

土地の工作物等の占有者及び所有者の責任

まず、民法の条文を紹介します。

(土地の工作物等の占有者及び所有者の責任)

  • 717条1項 土地の工作物の設置又は保存に瑕疵(かし)があることによって他人に損害を生じたときは、その工作物の占有者は、被害者に対してその損害を賠償する責任を負う。ただし、占有者が損害の発生を防止するのに必要な注意をしたときは、所有者がその損害を賠償しなければならない。
  • 717条2項 前項の規定は、竹木の栽植又は支持に瑕疵がある場合について準用する。
  • 717条3項 前2項の場合において、損害の原因について他にその責任を負う者があるときは、占有者又は所有者は、その者に対して求償権を行使することができる。

民法717条は、土地の工作物等の占有者や所有者の責任を定めたルールです。ちなみに「占有」というのは大まかに言えば物を所持(支配)することです。

今回のケースは隣家の木が倒れてきたため、(竹や木について定めた)717条2項が問題となります。

そして、717条2項が適用になるか否かは「栽植又は支持に瑕疵がある」かどうかにかかっています。

台風のような天災はお互い様

被害を受けた側からすれば、損害分のお金をもらうのは当然という気がします。一方で、逆の立場からすれば、台風のような天災はお互い様で、お金を払う必要はないと考えても不思議はありません。

この点、民法は「瑕疵」で調整を図っています。つまり「栽植又は支持に瑕疵」があれば法的責任を負いますが、なければ法的責任を負いません。

ここで「瑕疵」というのは、大まかに言えば物が通常有すべき安全性を欠き、他人に危害を及ぼす危険性のある状態です。

したがいまして、生育に問題がなかった木が記録的な風速により倒れたような場合は、不可抗力であって木が通常有すべき安全性を欠いていたとはいえず、「瑕疵」はないと判断されやすいです(結局、損害分のお金は隣家からもらえません)。

逆に、たとえば木が枯死していたり折れかけていたような場合は、木が通常有すべき安全性を欠いていたとして、「瑕疵」があったと認められやすいです(損害分のお金が隣家からもらえます)。

台風の多いシーズンです。みなさま安全には十分ご注意ください。(弁護士)

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《邑から日本を見る》49 「子供の未来、奪わないで!」

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飯野農夫也氏の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】「人々は困窮し、死に瀕(ひん)し、生態系は壊れる。私たちは絶滅を前にしている。なのに、あなた方はお金と、永続的経済成長という『おとぎ話』を語っている。よくもそんなことができる」。目に涙を浮かべ、怒りで小さな体を震わせる三つ編みをさげた少女の叫びを、私は民放のテレビで感激しながら聞いた。先月23日にニューヨークの国連本部で開かれた気候行動サミットでの、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさん(16)の演説だ。「よくも(How dare you)」は4回繰り返された。

彼女は昨年8月、気候変動の危機が迫っているのに誰も行動を起こさないことに我慢ができなくなり、学校を休んで、たった1人で温室効果ガスの削減を求め、国会前で座り込みを始めた。その後も「学校ストライキ」は毎週続けられ、SNSで拡散され、先月20日の抗議行動は同世代の若者の共感を集め、世界で400万人以上が参加、その週だけで130カ国、660万人に達した。

「私はここに立っているべきではない。海の反対側で学校に戻っているべきだ。あなたたちは空っぽの言葉で、私の夢と子供時代を奪った」「あなたたちには失望した。しかし若者たちはあなたたちの裏切り行為に気づき始めている。すべての未来世代の目はあなたたちに注がれている。私たちを失望させる選択をすれば、決して許さない。あなたたちを逃がさない」

1人で立ち上がったグレタさん

グレタさんの4分余のスピーチは、あいまいさを残さないで、私たちの胸にグサリと突き刺さる。しかし、批判を浴びせられた首脳の反応は冷ややかだ。アメリカのトランプ大統領は、会場に姿を見せたものの彼女の演説は聞かずに、「明るく素晴らしい未来を夢見る、とても幸せな少女のようだ。見られてよかったよ」とツイッターで皮肉っている。

ロシアのプーチン大統領も「優しいが、情報に乏しい若者」と批判している。わが国でも、「16歳の考えに世界が振り回されたらダメだ」(橋下徹元大阪市長)、「洗脳された子供」(作家の百田尚樹さん)などの発言が相次いでいる。ネットでも、「小娘」「お姉ちゃん」などの見下した表現や侮蔑した言葉が並んでいるという(「アエラ」10月7日号)。

私は、グレタさんの国連でのスピーチは、世界の要人が集まってもいつまでたっても何の進展もない現状に対する、まともな怒りをぶつけたものだと考えている。しかし、その怒りを感じ取れない、未来のことを考えない、品性のない大人たちが政治や経済の世界を仕切っており、危機に瀕している気候変動対策は遅々として進まない。

それでもだ。わずか1年前に1人で立ち上がったグレタさんが国際会議に呼ばれたことは、「行動からしか変化は生まれない。1人1人が行動すれば世界をも変えられる」ということを私たち大人世代の人たちに示しているのではないか。2014年ノーベル平和賞を受賞したパキスタンのマララ・ユスフザイさん、昨年の沖縄県全戦没者追悼式で平和を訴えた沖縄の相良倫子さん(当時中学3年)の詩の朗読を思い起こす。(元瓜連町長)

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《映画探偵団》24 桜川流域に残る「小野小町伝説」

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【コラム・冠木新市】桜川流域には「小野小町伝説」が残っている。土浦市の旧新治村小野には、故郷に帰る途中で病にかかり亡くなった小町の墓と伝わる五輪塔がある。とはいっても小町の墓は国内に幾つもあり、生没もはっきりしない。

筑波学院大学コミュニティ講座の『桜川文化圏構想』で「小野小町伝説」をとりあげたが、1回の講義では時間不足だった。テキストは明治のジャーナリスト黒岩涙香の『小野小町論』(大正2年)を用いた。涙香の論文は情熱にあふれ、それでいて冷静に小町の謎を解き明かし、上質なミステリーに感じられる。

小町は、弘仁7年(816)、出羽の国(現在の山形県と秋田県)に生まれ、名は小野比右(ひう)姫という。13歳を過ぎた頃、器量の好い娘として選ばれ、姉と一緒に朝廷に上がる。官女を一口に「町」といい、姉は「小野の町」、妹は「小野の小町」と呼ばれた。

和歌は文芸というよりも呪術だった

小町が生きた時代は天災が多かった。富士山噴火(864~866)、貞観大地震(869)、平安京地震(881)、西日本地震(887)など。そのせいか、中央貴族は自分のことのみ考え、地方に下った国司も権力を強めることに執着した。平安とは名ばかりで真逆な世相だった。

当時は藤原一族の力が強く、皇后王妃はたいてい藤原族から上がった。天子といえども、藤原族の機嫌をとらねばならなかった。藤原冬継は、娘の順子を仁明天皇(深草の少将)の皇后へと考えていた。けれども天皇は小町にひかれていた。順子と小町は仲が良かった。計画が狂うので気が気ではなかった冬継は、朝廷から小町を退けた。まるで韓国ドラマのような世界である。

承和7年(840)、小町24歳のときに、思いを寄せる天皇から「雨乞いの歌を読むべし」と勅命が降(くだ)る。『古今和歌集』の序で紀貫之は「力も入れずしてあめつちを動かし、目には見えぬ鬼神をもあはれと思わせ、男女のなかをやはらげ、猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり」と記している。

和歌は文芸というよりも呪術だった。小町は「千早振る神も見まさば立騒ぎ 天の戸川の樋口あけ給へ」と読み、雨を降らした。しかし朝廷への復帰はなかった。嘉祥三年(850)、天皇が崩御し小町は尼になる決意をするが、僧正遍昭から諭され思いとどまる。このとき35~36歳だった。「花の色は移りにけりないたづらに 我が身よにふるながめせしまに」。

オードリー・ヘップバーン主演『尼僧物語』

オードリー・ヘップバーン主演の『尼僧物語』(1959)という作品がある。主人公のガブリエルは婚約者と別れて修道院に入り、シスタールークと名前が付けられる。修行を経てアフリカのコンゴに渡り、看護師となって働き住民から信頼を寄せられる。しかし愛する外科医の父親がナチスに銃殺されたと知り、葛藤のすえ尼僧をやめレジスタンスに身を投じる覚悟を決める。

ラストシーンは、修道院の小部屋から1人外に出て行き一度も後ろを振り返らず姿を消すまでが1カットで描かれ、主人公の意志の強さが見事に表現されていた。オードリーは「わたしは前世日本人だったかもしれない」と、日本人の友人に語っていたという。

私は、権力者に抵抗した小野小町の生まれ変わりの姿を描いた作品が『尼僧物語』だと思っている。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

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《地域包括ケア》45 長寿社会の課題 80歳からの在宅医療

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在宅医療と在宅介護の説明書

【コラム・室生勝】在宅医療が必要となる主な原因は、内閣府の2016年調査によると、男性で脳血管疾患(脳卒中)が23.0%、女性で認知症が20.5%と最も多く、ついで男性では認知症15.2%、女性では転倒・骨折15.2%、関節疾患12.6%と、認知症が男女ともに多い。原因疾患を特定できない「高齢による衰弱」が男性で10.6%、女性で15.4%を占める。

後期高齢者になると認知症が増えると言われているが、厚労省の資料では年齢階級別にみた出現率が見当たらない。埼玉県立大の川越雅弘教授が某市で調査した結果では、「70~74歳」3.3%、「75~79歳」9.2%、「80~84歳」20.3%、「85~89歳」37.8%、「90~94歳」57.1%、「95歳以上」72.8%と、80歳から出現率が急上昇している。

介護が必要となる目安である、要支援・要介護認定者の割合を厚労省の2018年7月の資料から見ると、65~69歳は3.0%、70~74歳は6.0%、75~79歳は12.9%、80~84歳は28.0%と、倍々ゲームで増え、85歳以上では60.1%となる。長寿社会では80歳からの在宅医療が大きな課題である。

診療所医が長年診てきた人が歳を重ね、脳血管障害(脳卒中)、認知症、骨折、関節疾患などで通院できなくなれば、外来診療の延長線上で在宅医療を行うのが自然の流れであろう。長年の付き合いで、その人の仕事、性格、嗜好、趣味、家族関係などを知っているので、食事、歩行、運動、生きがいづくり―などへ適切な助言ができる。

認知症家族への対応 誇りを傷つける?

さらに、それらの助言は認知症の場合に大きな役割を発揮する。認知症には専門医の診断と治療の助言が欠かせないが、周辺症状といわれる行動・心理症状(BPSD)への対応は、これらの情報をいかした「かかりつけ医」の家族や介護サービス提供者のケアの指導に役立つ。

認知機能が低下して、記憶障害や年月日、時間、季節、場所、人物などの認識の混乱、理解・判断力の障がいが出ると、日常生活に不安や不都合が起き、それらが不穏、妄想、徘徊などのBPSDの原因や引きガネになることが多い。自分がそうなったときを想像してみよう。不安になり、いらだつ気持ちがよく理解できる。しかし家族介護者にとっては、肉親が認知症になったことを認めがたく、本人に注意してしまう。それが本人の誇りを傷つけ、さらに心をいらだたせる結果になる。

アルツハイマー型認知症には進行を遅らせる薬はあるが、他の認知症も含め「治す」薬はない。周辺症状に対しての薬であり、副作用が起きやすく、専門医とかかりつけ医の協働が必要だ。薬よりもかかりつけ医の、家族介護者や介護サービス提供者への助言などが何よりのクスリである。

認知機能の低下には個人差があるが、加齢が大きな要因で60歳を過ぎると、少しずつ進む。加齢以外に認知症を起こすアルツハイマー型認知症、レビー小体病、前頭側頭型認知症、脳血管障害(脳梗塞、脳出血)などがある。慢性硬膜下血腫、正常水頭症や甲状腺機能低下症などによる認知症は適切な治療で完治する場合もある。

つくば市で内科の看板を出し、外来診療している診療所は在支診以外に約30カ所ある。高血圧、狭心症、糖尿病、腰痛症、膝関節症、骨粗鬆症などの病気の診療に長年携わってきているが、できる範囲の在宅医療に関わってもらいたい。団塊の世代が75歳以上になる2025年まであと6年。そのころには在宅医療を必要とする高齢者が増えてくるからだ。(高齢者サロン主宰)

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《宍塚の里山》48 秋の日を浴び 無数に飛ぶ赤とんぼ

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アキアカネの産卵(おつながり)とアキアカネ=撮影:鶴田学

【コラム・及川ひろみ】夕焼けが美しい季節。夕空に無数に漂い飛ぶ、赤とんぼの季節を迎えました。赤とんぼ、秋になると赤さが際立ち、特にオスは美しい紅色に染まります。赤とんぼはナツアカネ、アキアカネなどアカネ族と呼ばれるものの総称で、中でもアキアカネはその数が圧倒的に多いトンボです。「夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われてみたのはいつの日か」。この懐かしい童謡も、一説ではアキアカネを指していると言われています。

ナツアカネは夏の間、平地、宍塚でも普通に見られますが、田んぼや浅い水辺で一斉に羽化したアキアカネは夏には見られません。夏は、涼しい場所に避暑、高原などで過ごします。山に登ると、たくさんのトンボが見られますが、それがアキアカネです(そのときは赤くはありませんが)。

6月、浅い水辺や田んぼでヤゴからトンボになったばかりのアキアカネは、羽が弱々しく、きらきら翅(はね)を光らせて低空飛行。すぐ何かにつかまりおぼつかなげですが、数日後には仲間たちと旅立ちます。このころになると、結構な数が一斉に山に向かいます。

山頂で成熟したトンボは、秋になると下山、平地に戻ってきます。そのとき、遠くから見ると、雲と見まごうほどに群れ、一斉に戻ってきます。雲と言っても幅は広くはありませんが、その群れの真下にいると、無数のトンボが一方向に向かって飛ぶ、息をのむような光景です。

群れは里でバラバラに散り、里山一面に飛び交うようになります。秋の日を浴び、空中を無数に漂う赤とんぼ、ぜひ皆様に見ていただきたい光景です。

アキアカネの減少は稲の農薬のせい?

しかし最近、アキアカネの数が減り、問題になっています。それは、稲の育苗に使用されているネオニコチノイド系農薬の影響と言われています。この農薬はミツバチの大量死にも関係すると言われています。

ミツバチは、蜂蜜を採るだけでなく、果物や野菜の受粉になくてはならない生き物です。ミツバチの大量死は農業全体に大きな影響を及ぼしていると考えられています。そしてまた、人にかかわる大きな問題をも引き起こしているとも言われ、EU(欧州連合)ではネオニコチノイド系農薬の使用が禁止されています。

最近、農薬を使用しないで稲作を行っている農家で、大量にアキアカネが発生していると報告されています。世界農業遺産に選定されている、宮城県大崎市の農家でのことです。農業、稲作と生き物の共存を考え、よりよい環境を未来に伝えて行きたいものです。(宍塚の自然と歴史の会代表)

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《食う寝る宇宙》47 「クルマ」が空を飛ぶ時代

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【コラム・玉置晋】「あちゃ~」。操縦していたドローンを不時着させてしまった僕は、思わず声を出してしまいました。今、ドローンの操縦を習っています。「余計な声を出す暇があったら正常な状態に戻す!」と指導してくださる方は「茨城ドローン協会」の樋口達哉先生です。

樋口先生は、長年、ヘリのパイロットを勤められた空のプロです。ドローンを飛ばしているとき、操縦者は空を飛んでいる感覚になります。先生曰く「人間が空を飛ぶことは異常事態であり、脳は3次元への不適応から思考が低下する『6割頭』の状態にある。それは脳の特性である。だから訓練が必要だ」と。このことを僕は身をもって知りました。

2018年12月20日、「空飛ぶクルマ」実現に向けたロードマップが発表されました。19年現在、ドローンを使ったモノ運搬の実証研究が行われています。20年代半ばにはモノの運搬の事業化、地方ではヒトの移動(ドローン=空飛ぶクルマ)が始まります。都市でのヒトの移動は30年代からです。

僕の「6割脳」の想像力を遥かに超える世の中がデザインされています。生活スタイルが一気に変わる予感です。詳しくは、経済産業省・国土交通省「空の移動革命に向けたロードマップ」をご覧ください。

宇宙天気がドローンに与える影響 

宇宙天気の社会インフラへの影響について研究している僕は、社会の様々な分野へのアプローチを開始しています。ドローンと宇宙天気は一見関係がないように思えますが、宇宙天気の影響を受ける可能性があるGNSS(Global Navigation Satellite System 全球測位衛星システム)に依存するドローンが、爆発的に利用される時代に突入していることから、宇宙天気リスクの検討対象にしています。

宇宙防災プロジェクト」の一員である樋口先生に、「宇宙天気がドローンに与える影響を知りたいのですが」と相談したら、「百聞は一見にしかずだよ」とお誘いいただいたのが、ドローン講習のきっかけです。

ドローンはGNSSの電波を捕捉して、自動操縦モードだと非常に安定するため、素人でもある程度の操縦ができます。しかし、その電波を切りマニュアルモードにした瞬間、あれよ、あれよと、意図しない方向に動いていきます。「6割脳」がおかしな操作をしてしまうんです。だから訓練が必要なんだな、もしもの際のためにね。(宇宙天気防災研究者)

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《続・平熱日記》47 不自由なのは文化行政を司る人々?

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【コラム・斉藤裕之】ぎりぎりにならないと始められない。これ、ほとんどの人に当てはまるみたい? というわけで、今年で9回目となるこのエッセイと同名の個展「平熱日記」展の準備を始めないと。

じたばたしてもしょうがないので、いつものように「いりこ」を描きます。冷凍庫から瀬戸内産のいりこの袋を取り出して、まずは絵のモデルを選抜。題して「ミス海バース」。しかし器量のいいのを見つけるのに一苦労です。

この場合の器量よしとは、まず左向きの美人で、いい感じのくねり具合。首のひねりやお腹辺りのよじれもポイント。ひれなんかも、ある程度ついていてくれる方がいいのですけど。

最終選考に、なんとか7匹残りました。残念ながら、選に漏れた方々はみそ汁の出汁となった後、フーちゃんの餌です。あ、運よくモデルに採用されても、描き終わると同じくフーちゃんがパクリですけど。

あの展覧会 「何が問題なのかわからない」

さて、表現について、あれこれと話題となっているようです。件(くだん)の展覧会について「何が問題なのかわからない」というのが、かみさんとの共通した意見です。例えばあの少女の像。

そもそもあれは一個人の表現ではなく、やんごとなき事情から発注されたモニュメントでしょ。ですから、美術作品として、私にはキッチュな張りぼてにしか見えません。そもそも、「表現」という以上責任が伴うもの。つぶやきやデモのシュプレヒコールとは次元が違うのですから、作者と展示企画者側にその覚悟が必要です。

実は、花鳥風月を愛で描いてきた国の人にとって、政治や宗教その他諸々のイデオロギーを背景にした表現は苦手で馴染みもなく、現代という時代において日本の美術表現の弱点でもありました。

例えば、負の経験やマイノリティーの意見がモチベーションとなりうる表現。近年多くの国際展では、このような作品展示は少なからず世界の主流でした。要するに、不自由な表現こそが世界の現代美術の潮流であった時代に、日本の作家、作品はその流れに乗りきれずにいたのです。

ですからある意味で、今回、エキセントリックなコンセプトに一番面食らったのは政治家やお役人。その対応もお粗末。かねてから、文化、芸術に対しての見識、造詣が足らなすぎる。理系もいいけど、人文系の教育に力を入れないと真の国力は目指せない。実は不自由なのは文化行政を司る人々?

私の場合ですら、いくら平熱で描いているとはいえ、人様にお見せできるものとそうでないものはあるわけで、強いて言えば、あくまでも平熱を装いきることが表現としての責任でしょうか。というわけでアナーキーな「平熱日記vol.9」、今年も始まります。(画家)

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《吾妻カガミ》65 運動公園問題で迷走するつくば市政

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つくば市役所

【コラム・坂本栄】つくば市が総合運動公園用地跡(高エネルギー加速器研究機構の南側)の処理について迷走しています。民間の企業に処理案を出してもらい、執行部がこれで行こうと同案を採用、市民の声も聴いて固めようとしていたら、議会も決定プロセスに積極的に加わることになったからです。民主的な手続きではありますが、執行部の姿がかすんできました。

議会の動きについては、本サイトの記事「【総合運動公園問題】つくば市議会が特別委を設置 売却日程いったん足踏み」(9月27日掲載)をご覧ください。見出しに「特別委」とあるのは「高エネ研南側未利用地調査特別委員会」のことです。

この問題については、執行部が「冷めている」のが気になります。民間に案を「考えてもらい」、その案に市民から異議が出てきたと思ったら、今度は議会に「どいていて、われわれがやるから」と言われました。執行部には処理案をつくる自信がないのでしょうか? 一度決めた案を自ら推し進める力もないのでしょうか?

市長という政治家の仕事と要件

五十嵐立青市長はなぜ引けているのか、私の見立ては先のコラム「懸案問題処理に見る つくば市のスタイル」(9月2日掲載)で述べました。2016年の市長選挙で五十嵐さんを当選させたエネルギー(前市長が提案した総合運動公園計画への反対運動)が、この問題の処理を誤ると、2020年の選挙で負のエネルギー(不手際への批判運動)に転じると心配、クールに構えているのではないか、という分析です。

五十嵐さんがこの問題の処理で、「(民間に)考えてもらい」「(議会に)どいていて」と言われ、これを受け入れて議会依存になったのは、自らのコミットメントを控えめにして、負のエネルギーを最小化したい、政治リスクを回避したい、と考えているからではないでしょうか。

行政のプロセスで、民主的な手続き(市民の声を聴き、議会の意見に従う)は当然です。しかし、施策の提案に必要な情報を豊富に持っているトップがリーダーシップに欠けると、ものごとは進みません。そしてトップは、提案した施策がベストであることを、市民に粘り強く説かねばなりません。

本サイトの記事「【総合運動公園問題】つくば市の売却方針に異議相次ぐ イーアス規模の商業用地に懸念 住民説明会で」(9月7日掲載)によると、五十嵐さんは市民説明会に出ず、受け答えは担当課長に任せていたそうです。これでは私の「勝手なリーダー論」の要件を満たしておりません。(経済ジャーナリスト)

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《土着通信部》33 台風一過、そば畑は一面の白い花

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そばの花が満開=土浦市藤沢

【相澤冬樹】高知県などに大雨をもたらし、日本海へ抜けた台風18号は3日、温帯低気圧に変わったというニュースをラジオで聞きながら、僕は筑波山から土浦に戻る車中にあった。国道125号の沿道には常陸秋そばの白い花が一面に咲き誇っている。1年前、このそば畑は台風禍(か)に遭っていたのだっけ。今年は大丈夫だろうか。僕は車を停め、宝篋(ほうきょう)山を背景に、満開のそば畑にカメラを向けた。

最後のコラムとなるはずだった昨年末の「土着通信部」第27回を、僕は年越しそばの話題で締めている。手打ちそば愛好家の集まりを取材すると、「そば粉が値上がりしてご近所に配るのも大変だ」と嘆いていた。たしか「相次ぐ台風に、収穫直前の常陸秋そばが直撃を受けて、収量が大幅ダウンした」という話を聞いたのだった。

改めて2018年の台風を調べてみると、日本本土への上陸数は5個(12、15、20、21、24号)、発生数と日本への接近・上陸数がいずれも平年を上回った。茨城への直撃はなかったが、9月4日徳島県に上陸した21号は記録的な暴風をもたらし、同30日和歌山県に上陸した24号は各地に停電をもたらした。

今年19年は、台風15号が記憶に新しい。9月9日未明に神奈川県三浦半島付近を通過し、その後は千葉県から茨城県を通り抜けた。千葉県南部に大規模停電の傷跡を残した。カメラに収めたそばの花はすくすく育っているように見えたが、被害はやり過ごせたのだろうか。

土浦市のそばは、もっぱら旧新治村の藤沢地区や大畑地区などで栽培されている。同市農林水産課によれば、生産者26軒で約48ヘクタールを栽培しているという統計(2019年)がある。概ね10アール(1反)あたり100キロ超の収量が見込まれるという。

旧新治村時代から「小町の館」(同市小野)でそば店を経営し、そば打ち体験などで販路を維持してきた同市農業公社と契約栽培している生産者が多い。同公社自体「そばオーナー」制度を設け、約2.5ヘクタールの圃(ほ)場で栽培している。市内外に参加者を募り、種まきから収穫、そば打ちまで体験するコースで、今季は8月17日に種まきをした。その自前の畑の生育状況しか分からないということだったが、同公社で話を聞けた。

「昨年は花の咲いた後、台風にやられたが、今年は花の咲く前に台風が来た。そばは倒伏したが花は無事に咲いて、満開の花の一部には青白い実が着き始めている。このまま順調に育てば昨年のようなことはない。ただ倒伏した枝葉はそのままなので、機械を入れての収穫作業は多少面倒になるかもしれない」

そばオーナー制度の「収穫の集い」は11月2日に予定。小町の館で新そばを販売開始するのは11月30日に開催の「収穫祭」以降ということだった。今年も年越しそばを考える季節になった。そばっ食いは気が早い。

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《続・気軽にSOS》46 「私、おばちゃんが苦手なんです」

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【コラム・浅井和幸】私は、県内各地域で、継続的にお茶会を開催しています。不登校、ひきこもり、ニート、障害、貧困など、様々な悩みに直面している方々との、おしゃべりの場です。先日、そのうちの一つで、「私、おばちゃんが苦手なんです」という、女の子(Aさん)からの発言がありました。なんとなく意外な感じがして、「おじちゃんじゃなくて?」と、聞き返しました。

「いえ、男性より女性のほうが苦手なんです」とのこと。とても大人しく、遠慮がちで、気遣いのある彼女からの発言に耳を傾けました。なんとなく陰口になってしまいそうなので気が引けるのですが、という前置きがあり、次のような経験談を話してくれました。

ある集まりで、そこの支援者(Bさん)が飲み物を出してくれたそうです。Aさんは、飲み物はいらなかったので、やんわりとお断りしたのですが、「いいから、いいから、遠慮しないで」と用意してくれました。

Bさんは「お菓子も食べて」と、Aさんに言ってきました。Aさんは、また、やんわりと断りました。何回か断った末に、Bさんは「遠慮しないで」とAさんの前にお菓子を並べて置いてくれたそうです。

Aさんは、とても嫌な時間だったと言います。Bさんは悪気がないどころか、自分(Aさん)に気を使ってくれての行動だということは分かります。なので、こんなことを思ってしまうのは悪いことだと思うのですが、自分の気持ちを無視され続けて居たたまれなかったです。

コミュニケーションが大切

いつでも、どこでも、そうではないのかもしれませんが、男性の場合は、何回も断らなくても、意見を受け入れてくれます。ですが、女性の場合は、私の言葉を受け入れてもらえずに、押し売りされるような場面がこの1カ月続いたんです。どう思いますか?と、最後にAさんに質問されました。

私は「まぁ、いろいろあるけど、やんわりじゃなく、ときには強めにはっきりと断ってもよいかもね」と冗談交じりで伝えました。明るい雰囲気の場だったので、軽い話で済んだところはあります。

しかし、支援をする人間としては、とても学びになる話だったと感じています。女性だろうが、男性だろうが、支援者というものは、善意を押し付けてしまいやすい場面に多々直面します。強めに正しいと思う意見を伝えた方がよい場面というものも、実際にはあるものなのです。だからといって、いつも支援者が考える「正しい」ことが、よりよい言動とは限らないのです。

程度の調整は、とても難しいものですが、いつも振り返り、そしてコミュニケーションが大切なのでしょうね。(精神保健福祉士)

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《ことばのおはなし》14 私のおはなし③

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【コラム・山口絹記】私たちは、世界の一部を、ことばというフィルターを通して見ているのかもしれない。

最初の失語症発症から2日後の夜、日課のオンライン英会話の直後に異変が起きた。英会話中に思い出せなかった単語を調べようとパソコンに向かい、検索窓に文字入力しようとキーボードに手を乗せたのだが、入力しようとしても指が動かない。

うろたえている時間はない。観察開始である。私は用意しておいたチェックリストを机に出す。大丈夫。チェックリストの文字は理解できる。とりあえずきっかけが重要かもしれない。適当にキーボードを叩いてみる。

「hyrmgjf」

思わず笑ってしまう。ことばと失うとは、このことである。この場合、驚いてことばを失っているのではなく、ことばを失って驚いているのだが。

ローマ字入力ができないことは予想の範疇(はんちゅう)だったので、紙のメモ帳を開いて文字を書こうとするも、やはり文字一つ書けない、というより何と書けばよいのかすらわからなくなってしまった。今度は用意しておいた日本語文字列をメモ帳に書き写してみる。これはできた。しかしそれは、文字を書いているというより絵を描いている感覚に近かった。

書き終わった文字は読めるが、文字を書いているという意識は全く無いのだ。続いて自分で書いた文字を音読してみる。これはできなかった。最後によく聴く曲のメロディーを聴きながら歌えるか試してみる。これもできない。なるほど、なかなか興味深い状態だ。

ことばを生成する能力がなくなる

発症から5分。まだ症状が収まる様子はない。デジタル時計、アナログ時計、ともに時刻を読み取ることはできているようだった。全身をくまなく触ってみる。麻痺はなさそうだ。

まだ時間がありそうなので、A4の無地の紙に書いておいた大量の線分にチェックを入れていく。もう一枚の紙に書いておいた簡単な家と花の絵を描き写す。症状が収まった後に見直せば、半側空間無視が起きているかわかるかもしれないと思ったのだ。

やることがなくなってしまった。何か考えようとしても、新たなアイデアは思い浮かばなかった。ことばを生成する能力がなくなるというのはこういうことか。複雑な思考はできなくなるらしい。しばらく文字が並んだPCモニターと散乱した紙を眺めていたが、私は椅子の背もたれによりかかり目を閉じる。

そうか、これがことばのない世界か。きっと、まだことばを知らなかったころの娘の見ていた世界だ。目を開くと、名前のわからない様々なものが目の前に広がっていた。思考することばが消えていく。静かだった。

ちょうど18分経った頃、視界に変化を感じた。明転するとか、色が変わるというのではない。“ことば”というフィルターが視界にかかったのだ。世界の認識に再起動がかかったような感覚。

間違いない。これは失語だ。私の知識ではブローカ失語に近いが、正確な分類は難しそうだ。-次回に続く-(言語研究者)

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《光の図書館だより》23 本の新たな魅力を発見しませんか?

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【コラム・入沢弘子】ひと雨ごとに秋の深まりを感じる季節になりました。静かな夜、本をお供に過ごすのは至福の時間です。来館者の皆さんも館内に滞在して読書される方が増えてきました。

当館は来月27日で駅前に移転して2年。本日3日までに107万人の方をお迎えしました。平均すると市民の方が7回は来館されたことになると思っていたところ、先日「えっ、図書館って駅前に移ったの?」「駅前にはあまり行かないけど、移転したのは市役所だけじゃないの?」という方々にお会いしました。周知活動と図書館に足を運ぶ動機づけになるものが不足していたのだと痛感。

そこで「本」の新たな魅力を発見し、図書館を身近に感じていただくことを目的に、今週末「2019図書館フェス」を開催します。まだ来館されたことのない方にも、よくお越しくださっている方にも、小さなお子さんから年配の方まで楽しんでいただけること間違いなし!の内容です。

「戯曲を読む会」「映画鑑賞会」

企画は、おなじみの「おはなし会」「リサイクルブックマーケット」から、「劇団主宰や俳優と戯曲を読む会」「ハロウィンのカード作り」「映画鑑賞会」「書店×古書店×図書館トークイベント」のほか、図書館前での「あおぞらマルシェ」「土浦ブランド認定品販売会」まで、数多くの催しを予定しています。

土浦駅ビルは「サイクリングリゾート・プレイアトレ」に変身。駅横には、図書館と市民ギャラリーも入居するアルカス土浦が完成し、高校生や若い家族連れで賑わっています。ぜひ、この機会に土浦駅前にお越しください。(土浦市立図書館長・市民ギャラリー副館長・市広報マネージャー)

「2019図書館フェス」

  • 日時:10月5日(土)、6日(日) 午前10時~午後6時
  • 場所:土浦市立図書館(土浦市大和町1-1 アルカス土浦内)
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《くずかごの唄》47 結核療養所「土筆ヶ岡養生園」

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土筆ヶ岡養生園便箋に記された平沢有一郎の手紙

【コラム・奥井登美子】紙幣に印刷される顔に、樋口一葉が登場した時、これ以上の貧乏はないような生活をした一葉が皮肉にも、日本中の紙幣に顔が貼り付けられるなんて、本人は夢にも思わなかったに違いない。野口英世も日本ではひどい貧乏暮らし。それなのにお金の顔になってしまった。

薬局で1日何回かレジをたたいて、お札をひっぱり出し、樋口一葉の顔を拝むたびに、なぜか「ごめんネ」と言いたくなってしまう。これは歴史の中の皮肉なのだろうか。

令和元年のお札の顔に、北里柴三郎が登場するらしい。明治25年(1892)、北里柴三郎は7年のドイツ留学から帰ってきて、福沢諭吉が個人的に建てた「伝染病研究所」の所長になる。明治26年、北里柴三郎は福沢諭吉の援助で、「土筆ヶ岡(つくしがおか)養生園」という名の日本で初めての結核療養所を芝の白金三光町につくる。

福沢諭吉も7歳で天然痘、22歳で腸チフスに罹(かか)り、腸チフスでは重症だったらしいが、一命を取り止めたという。そのような体験を通して、慶応義塾を創立して日本を近代化に導いた以上に、医学分野への貢献も積極的に行われ、明治時代の日本に新しい施設をつくった。

明治の薬剤師 平沢有一郎の手紙

明治25年、薬剤師は、それまでは県の認可制度だったのが国家試験になり、茨城県では初めて平沢有一郎が合格し、県で初の国家試験合格者となる。彼は北里柴三郎を尊敬し、土筆ヶ岡養生園に就職したらしい。震災時、わが家の倉が破損して整理をした時、土筆ヶ岡養生園便箋の平沢有一郎の手紙が何通か出てきた。

その手紙を読むと、当時の一般市民のコレラなど伝染病に対する考え方、病原菌とか滅菌などという言葉さえもなくて、ただ消毒、毒を消すと言って、町役場の人や巡査が石灰をばらまく。わけのわからない伝染病で、次々に人々が死んでいく。その中での混乱した市民の姿が浮かびあがってくる。

北里柴三郎先生から直接教育された当時の細菌学と、市民との反応の解離(かいり)に翻弄(ほんろう)された明治人の姿が見えてくる。(薬剤師、随筆家)

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《雑記録》4 香港は「21世紀・都市の時代」の先駆け?

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【コラム・瀧田薫】香港で、反中国デモの嵐が吹き荒れている。評論家・福嶋亮大氏によれば、「香港の大規模デモには大きな歴史的意味がある」(「香港の大規模デモ・ラピュタ化する都市」朝日新聞・2019年9月11日付)という。すなわち、香港デモの本質は「リベラリズム」と「中国流権威主義」の衝突であり、一地域の抗争の域を超えた「21世紀国際政治の縮図」であるとされる。また、自由や多元性を重んじる都市の価値観と国家の圧力(=中国化)との衝突の先駆的事例とみなし、「21世紀は都市の時代」になると予測している。

私は福嶋氏の見方に大筋では賛同する。しかし、香港の未来については、福嶋氏ほど楽観的ではない。果たして、香港は宮崎駿監督の作品「天空の城・ラピュタ」さながら鈍重な国家から離陸していくのだろうか。香港当局は、デモのきっかけとなった「逃亡犯条例改正案」を撤回したが、市民の側は要求をエスカレートさせており、騒動は長期化するとの見通しだ。

他方、中国政府が天安門事件の時のように武力鎮圧に向う可能性を指摘する向きもある。しかし、北京とは異なり、香港では「市民の基本権」が認められており、外国資本も多数存在している。たとえ軍が戒厳令を敷き、通信を遮断し、外国マスコミの取材をシャットアウトすることはできても、外国資本は海外に逃避し、市民のエネルギーも失われ、香港は実質、ゴーストタウン化するだろう。

習近平政権が天安門事件の二の舞を演じれば、中国政府が掲げる「1国2制度」の失敗、さらに台湾統一モデルとしての香港統治の失敗を天下に晒(さら)すことになり、その場合、国外からよりもむしろ国内の政敵からの政府批判の方が厳しいものとなるだろう。

1国2制度がもたらした巨大な矛盾

もともと香港は中国経済にとって欠くことの出来ない都市であったし、西側からしても香港には大きな期待が寄せられてきた。香港の「1国2制度」が中国の民主化の起爆剤になるとの希望、つまり中国の経済成長が続いて中産階級が増え、同時に民主主義が中国社会に浸透していくという希望的観測があった。

しかし、香港の現状は期待とはほど遠い。習近平が主導する中国経済の高度成長は、軍拡と並行して推進される「一帯一路」政策、すなわち中国勢力圏の拡大の方向に向い、中国国内においては巨大な貧富の格差を生み出している。

共産党の権力と結びついた特権的富裕層にとって、今の香港は中国元をドルに交換し、西側世界に投機攻勢をかける前進基地でしかない。香港が中国に返還されて20年、今の香港は「1国2制度」がもたらした巨大な矛盾の象徴といえるだろう。この間に生まれ、自由の空気を吸って育った世代、その一部は今回のデモに参加しているだろう。

この騒動が中国政府主導で沈静化したとして、その後、彼らは何処(どこ)を目標とし、何を希望として生きていくのか。そうならないことを祈りつつ、学生、青年が大挙して香港を脱出する時代が来ることを恐れている。(茨城キリスト教大学名誉教授)

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《制作ノート》11 実りの秋 筑波山とその恵み

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【コラム・沼尻正芳】今、前に描いた筑波山の絵「収穫の頃」を手直ししています。筑波山の麓には田園地帯が広がり、収穫期は黄金色(こがねいろ)一色になります。一面に頭(こうべ)を垂れて実る稲穂、空にたなびく雲が筑波山の山肌に陰影を落とします。青い空に白い雲、黄金に輝く稲穂と青々とした筑波山、その色を対比させて描きました。

この絵は2017年にF80号の大きさで仕上げ、アトリエに飾りました。毎日眺めていると、微妙なところが少しずつ気になり始めました。それが何か分からず、眺めては改善点を探っていました。

土浦で本堂清絵描き60余年回顧展を観たとき、本堂さんから「真ん中で構図が分かれることを『腹切り』と言って、避けた方がよい。黄金比を活用して構図をつくると絵が安定する」とアドバイスをいただきました。

家に帰ってこの絵を見ると、地平線が画面のほぼ中央になっています。筑波山だけでなく空の広がりや田園の広がりも表現しようとしたため、「腹切り」のような構図になったのです。絵を眺めていて微妙に満足できない原因の一つが、この構図のように思いました。筑波山も稲穂も空もあれもこれも表現したいと欲張りすぎて、説明が多い散漫な画面になったように感じました。

「収穫の頃」の絵の主役はあくまでも筑波山です。絵を枠からはがし、稲穂の下半分を切って絵の高さをPサイズに縮めて地平線を下げました。前より主役がはっきりしてきましたが、まだ説明が多いように感じました。もっと削ぎ落とし焦点を絞ってみよう。

絵の四辺をさらに切ってF50号の枠に張りかえました。画面が小さくなった分、筑波山が大きく迫ってきました。説明は極力避け、微妙な部分を加筆修正しながらバランスを整え、再びアトリエに飾りました。

推敲は無限に続くもので完成はない

その絵を眺めながら、もっともっと心を絵に込められると思うようになりました。光や色の輝き、山を取り巻く空気、風や雲の流れ、稲穂のざわめき、麓の人の営みなどの微妙なところや躍動感などをさらに表現できそうだ。

「一度仕上げてからの思考や工夫が大切、そこからが作品づくりだよ」と、私は授業の中で子どもたちに言いました。評論家の亀井勝一郎は、かつて、次のように書いています。「芸術は、いかなる場合でも、人間の心の微妙性の追求を生命とするものです。簡単には裁断のできない、人間の心の無限の深さと謎を追究するわけで、それだからこそ、たとえば文章の上でも、推敲(すいこう)というものが行われるわけです。しかも推敲は無限に続くもので、ここにも完成はありえません。推敲の無限とは、表現における微妙性の無限追求と同義であります」

絵の表現が微妙に気になって、3年がかりで手直すことになりました。「収穫の頃」(筑波山)の絵は、初めと今では全く違う絵になり、前よりも存在感が出てきたように感じます。

蛇足ですが、筑波山麓南西部で収穫する米は、特別に「北条米」と呼ばれるブランド米です。昭和初期の「皇室献上米」で、魚沼コシヒカリと並ぶ特Aの評価です。筑波山由来のミネラル豊かな湧き水が川に流れ、その水がおいしい米を育てます。今、農業者の高齢化が進み、後継者問題が深刻です。社会も自然も急激に変化しています。筑波山麓の豊かな実りがいつまでも続いていくことを願うばかりです。(画家)

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《令和楽学ラボ》3 みどりの学園義務教育学校でICT活用研修

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みどりの学園義務教育学校でのICT活用教育

【コラム・川上美智子】来年度から小学校で全面実施される新学習指導要領では、AI時代をたくましく生きる子どもたちに向けてプログラミング教育が導入され、各教科ではデジタル教科書が積極的に活用されます。つくば市ではいち早くこれを取り入れて、「21世紀スキルの育成を目指す~つくば7C教育」が既に始められています。

7Cとは、協同力(Cooperation)、言語力(Communication)、思考・判断力(Critical thinking)、プログラミング的思考(Computational thinking)、知識・理解力(Comprehension)、創造力(Creativity)、市民性・社会力(Citizenship)の7つのCを指します。

さらに、現代的課題であるSDGs(持続可能な社会)の実現を考える教育や、STEAM(Science、Technology、Engineering、Art、Mathematics)教育を積極的に導入し、日本の中では最先端の公教育を展開しようとしています。

先日、学校教員対象の研修会が、市立みどりの学園義務教育学校で開かれ、教育の現場をつぶさに見る機会に恵まれました。1~6年の小学生全員が、ロボットを活用した英語教育、国語、算数、理科、社会、音楽、図工などでのプログラミングに、生き生きと楽しそうに取り組んでいる様子を見ることができました。

指導側も、当初はプログラミング経験者2名だったところが、研修や学び合いで全担任が全教科で実践できるようになったと言います。プログラミングによる教育効果も高く、論理的思考、試行錯誤・問題解決、学び合いの力が大きく育ち、学力調査でも5科目の茨城県平均を30点近く上回る成績が得られています。

つくば市が牽引役になることを期待

ICT(Information and Communication Technology、情報通信技術)の活用は、文科省も日本の教育の最重要課題としています。というのも、OECD/PISA(経済協力開発機構・国際学力調査)の2015年のICT活用調査では、学校で「ほかの生徒と共同作業するためにコンピューターを使う」は、日本は47カ国中最下位でした。毎日、ほぼ毎日使う国の上位は、タイ、オーストラリア、チェコ、デンマーク、ブルガリア、ロシア、スウェーデンなどでした。

「中学校で生徒に課題や学級での活動にICTを活用させる」先生も、51カ国中50位で、国際社会の中での出遅れは否めません。今後、教育の場でのICT環境の整備が不可欠ですが、茨城県のコンピューター整備状況は国内平均を少し下回り、児童生徒6人に1台当たりにとどまっていて、東京を含め、関東圏はどこも低調です。

今後、つくば市が国内のモデルケースになって牽引(けんいん)役を務めていくものと期待されますが、ICT教育には多額の費用がかかるのも事実です。20019年度の日本の一般歳出に占める文部科学費は9%(対GDP比4.9%)にとどまり低水準のままですが、国、地方公共団体が、未来への投資として教育予算を劇的に拡大しなければならない時を迎えています。(茨城キリスト教大学名誉教授)

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《地域包括ケア》44 診療所医+病院専門医=主治医2人制

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在宅医療と在宅介護の説明書

【コラム・室生勝】毎週開くサロンに月2回以上参加する人たち34人のうち、30人が後期高齢者である。30人中、22人が診療所医師あるいは病院専門医の「かかりつけ医」を持っているが、在宅医療をしてくれるかかりつけ医は12人しかいない。

かかりつけ医を持っていない8人と、在宅医療をしないかかりつけ医を持っている10人が、在宅医療をしてくれるかかりつけ医探しを始めた。後期高齢者には急がなければならない課題である。

参加者らは、つくば市地域包括支援課が作成した「在宅医療介護マップ」を見たが、在支診(在宅療養支援診療所)と機能強化型在支診の項目に「往診をしない」「看取りの対応をしない」と記された医療機関がある、これは設置基準に違反しているとの指摘と、同課で点検、訂正してほしいと強い要望があった。市民を惑わすような情報提供であってはならない。

在宅医療をしない病院専門医をかかりつけ医としている人たちは、さらに在宅医療をする診療所医を見つけて、かかりつけ医をお願いするのかと質問があった。私はそうした方がよい、主治医を2人持とうと答えた。普段は診療所の「かかりつけ医」に受診して、病院専門医には年に2~3回、検査を主とした診察を受けるといい。

一般に、かかりつけの診療所医が患者に詳しい検査を必要とする場合、病気の経過および治療内容を記載した「診療情報提供書」を患者に渡して、病院に検査を依頼する。病院専門医は診察および検査した結果をかかりつけの診療所医に報告する。そして年に1~2回、病院専門医を受診し、検査を受け経過をみる。病状が悪化した場合、診療所医は病院専門医を介して病院に入院を依頼する。これが主治医2人制だ。

かかりつけ病院とかかりつけ診療所医の連携

高齢者は複数の慢性疾患を抱えているので、病院での検査は複数回診療科で受けることもあり、かかりつけ病院専門医は複数になる。しかし、カルテは一つにまとまっていて、各診療科の連携もよい。その病院をかかりつけ医と考えていい。複数の病院を受診している場合は、内科か脳外科にかかっている病院を主治医としたほうがよい。

私は開業医時代に、在宅医療を受けている高齢者や通院している後期高齢者で、持病が悪化して重症化する兆しがあれば早めに入院してもらい、7~10日間の治療で改善傾向に向かえば早めに退院させることを病院にお願いした。

重症になると長期入院となり、生活の質を低下させるだけでなく、生活環境の変化が認知症を発症あるいは悪化させるからだ。かかりつけ病院とかかりつけ診療所医の普段の連携が短期入院を可能にしてくれた。

現在、どの病院も開放型ベッドを持っている。開放型ベッドとは診療所医が依頼して入院した患者を診療所医と病院医が共同で診療するためのベッドである。かかりつけ診療所医が病院へ出向き、入院した高齢者のベッドサイドを訪れると、ほとんどの高齢者が安心する。中にはうれし泣きする高齢者もいる。入院という不安と慣れない環境による緊張が癒やされるからだ。

かかりつけ医は、病院の担当医が長年診てきた高齢者の病気の情報以外に性格や趣味、嗜好等の情報を提供できる。これらの情報は担当医にとって高齢者を和ませる道具となり、患者と担当医のコミュニケーションが深まり、必要な検査や治療が患者の協力で実施しやすくなり早期退院につながる。

かかりつけ診療所医と病院専門医の主治医2人制は、安心して在宅療養を続けることができる保証を高齢者に与え、かかりつけ医の在宅医療の負担を軽減できる。(高齢者サロン主宰)

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