【コラム・浅井和幸】相手の意見を受け入れずにさえぎり、自分の意見を押し付けあうときに、争いは起こります。お互いが相手をいたわる気持ち、共感、尊重することが、人間関係では大切なことは、ほとんどの人が感じていることでしょう。

人は、自分の体験や気持ちに共感してくれる人に共感しやすいものです。しかし、自分と違う考え方、境遇、属性には共感しにくいものですよね。

「なんでこんな簡単な問題が分からないの?」「痩せたければ、食べなければいいのに」「嫌なら辞めちゃえばいいのに」「あんなろくでなしとは別れちゃえばいいのに」などと、相手にとっては大きな問題も、立場が違うと軽く思えてしまうものですよね。

福祉系や心理系では、よく使われる「共感」という概念。今回は、そんな難しい話はさておき、共感しにくいときに、それでも共感した方がよいと考えるのであれば、使ってみて欲しい方法をお伝えします。

優等生的に考えると、「相手の立場になってみる」のが共感です。しかし、相手に共感しにくいときは、「相手と同じような気持ちになるときには、自分だったらどのようなシチュエーションか?」を想像してみるのです。

オーバーな共感力で自分を抑える

例えば、女性が電車で痴漢にあったときに、どうして声を上げなかったのか?と思う人は、この女性の立場になって考えてみても、「自分だったら声を出す」どころか、「痴漢の手を強く握って脅してやる」ぐらいに考えるかもしれません。

それは、力や気の強い男が、ひ弱な男に痴漢に合う場面を想定しているからです。しかし、いくら力や気の強い男でも、自分より20センチも背の高い筋骨隆々の男に痴漢行為を受けたら、やっぱり怖くて声が出ないのかもと、想像しやすいのではないでしょうか。

ほかにも、引きこもっている人の気持ちが分からないという人は、次のように考えているかもしれません。何もしていないのに、外に出ることぐらいで、なぜ、そんなにビクビクしているのか?と。過去のことに拘っていないで、ちょっとした失敗に脅えることが理解できず、自分だったら仕事をしなくてもよいのであれば、自由に楽しんじゃうのに、と考えるかもしれません。

そんなときは、このようなシチュエーションを考えると共感しやすいと思います。例えば、大きな失敗をして謝罪に回るだけの仕事を、これからずっと続けなければいけないケース。期限を過ぎた仕事で、どんなに頑張っても「遅い」と怒られるだけの仕事を抱えたケース。

話は変わりますが、私は、こう見えても短気なほうです。荒っぽい車の運転をする奴に腹を立てることも多々あります。そんなときは、行き過ぎた共感力を発揮して、自分を抑えます。あんなに急いでいるのはトイレに行きたくて大変なんじゃないか、と。あまりにもひどい運転を見ると「もう漏らしちゃってるんだな、かわいそうに」と、心の中でつぶやくのです。(精神保健福祉士)

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