《邑から日本を見る》56 東京新聞記者・望月衣塑子

飯野農夫也氏の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】那珂市瓜連(うりずら)に定員31人のミニシアター「あまや座」がある。2年前にオープンした。上映作品は一般の映画館では上映しないような作品がずらり。ラインアップを見て、県内各地から観客が来ているようだ。

私はそこで最近、東京新聞記者の望月衣塑子(もちづき・いそこ)さんを追ったドキュメンタリー映画「i-新聞記者ドキュメント」を見た。昨年秋に、やはりここで劇映画「新聞記者」を見ている。いずれも望月記者がテーマ、主役で、普通は取材する側の新聞記者が逆の立場で登場するのが面白い。いずれも、彼女の「新聞記者」(角川新書)がベースだ。

「ドキュメント」は望月記者が沖縄・辺野古の新基地移設問題の取材をする場面から始まる。新基地建設現場の土砂についての防衛相の説明に納得がいかない彼女は、担当者を問い詰め、「どうして答えられないんですか」と追いかける。

カメラはそんな望月記者の取材の日々を丹念に追う。伊藤詩織(いとう・しおり)さん準強姦事件、森友学園問題、宮古島の自衛隊弾薬庫、首相官邸での菅官房長官との攻防など緊迫した画面が続く。圧巻はやはり官邸記者会見でのやりとりだ。質問を繰り返す望月さんに、「同じ趣旨の質問はしないように。事実に基づかない質問には答えない」などと木で鼻をくくったような答弁しかしない官房長官。

司会者か他の記者かが、質問を早く、簡潔に、などと言うのが聞こえる。望月記者の執拗(しつよう)な質問に手を焼いた首相官邸広報室は、東京新聞に対し「未確定な事実や、推測に基づく質疑応答がなされ、国民に誤解を生じさせる事態は容認できない」と文書で抗議した。はぐらかす、逃げる、答えない。さらに、政府が記者の質問に文書で抗議するなどということは、暴挙としか言いようがない。

考える素材を人々に提供する事業

この映画では、大きな荷物を持ち、方向音痴(ほうこうおんち)でうろうろする姿、無防備に大口をあけて食事をする様子、いつでも誰に対しても、思ったこと、聞きたいことを話す望月記者が映し出される。文部科学省の元事務次官・前川喜平さんは彼女を表して「空気が読めない人」と言っている。「忖度(そんたく)しない人」でもある。

映画「新聞記者」は、真実に迫ろうともがく若き新聞記者と、「闇」の存在に気づき、選択を迫られるエリート官僚、権力とメディア、組織と個人のせめぎあいを、真正面から描く。フィクションとは言いながら、見る私たちは、モリカケ疑惑など現実に起きている事象を思い浮かべることができる。そして私たちに「この国に新聞記者は必要なのか」と問いかける。

民主主義を踏みにじる官邸の横暴なふるまい、忖度に走る官僚たち、それを平然と見過ごす大半の報道メディア。そんな中で、望月記者がクローズアップされる。彼女は特別なのか。ジャーナリズム、ジャーナリストとは何か。どのような役割を担うものなのか。

わが師・むのたけじは「ジャーナリズムは、記録と主張の体系である。考える素材を人々に提供する事業である」と言っていた。批判、評論、主張があってこそジャーナリストなのではないか。映画と本を読んで、望月記者こそ本当のジャーナリスト、と考えている。(元瓜連町長)

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