土曜日, 5月 10, 2025
ホーム ブログ ページ 70

《電動車いすから見た景色》3 読書感想文を通して考える「障害」

0
「わたしが障害者じゃなくなる日」

【コラム・川端舞】2019年夏、子どもたちに障害について考えてもらおうと、「つくば自立生活センターほにゃら」が「インクルーシブ読書感想文コンクール」を開催しました。

このコンクールが開催されたきっかけは、昨年6月に「わたしが障害者じゃなくなる日」という本が出版されたことです。この本は、東京で障害者の地域生活を支援している「自立生活センター東大和」の海老原宏美さんが、自身の重度身体障害者としての経験をもとに書かれたものです。

海老原さんは、この本を通して、子どもたちに、「障害という問題の原因は障害者自身にあるのではなく、障害者が暮らしづらい社会の仕組みにある」という社会モデルの考え方を伝えるとともに、障害があってもなくても、困ったときは周りに助けを求めることの大切さを伝えたかったと言っています。

この思いに共感したつくば自立生活センターほにゃらの斎藤新吾さんを中心に、「インクルーシブ読書感想文コンクール」が企画され、市内の小学生をはじめとして、全国各地の小学生から20以上の作文が寄せられました。

「障害のある人が困っていたら助けたい」

コンクールの表彰式が2月15日、つくば市役所コミュニティ棟内で開催され、受賞した12人の子どもたが賞状を受け取り、その後、子どもたち一人一人が本を読んだ感想を発表しました。

社会モデルの考え方を理解するのは小学生には難しい面もあると思いますが、子どもたちはそれぞれ障害という問題を自分自身の生活に引き付けて考えて、「障害のある人が困っていたら助けたい」「みんなにとって生活しやすい社会になればいいと思う」など、自分なりの考えを発表していました。

表彰式には、読書感想文の課題図書の作者である海老原さんも参加し、お祝いの言葉を子どもたちに送りました。その中で、海老原さんは「みんなが生活しやすい社会にするためには、障害のある人とない人が友達になって、一緒に生活することが大切だと思います」と語っていました。

本を読み、障害という問題を自分の生活に引き付けて考える力を持っている子どもたち。しかし、読書を通して考えたことが本当に子どもたちの体にしみこんでいくためには、障害のある子とない子が友達として一緒に成長していくことが大切です。本の中だけでなく、実際の生活の中で、障害のある人とない人が当たり前に関わりあえる環境が広がっていくことを願っています。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)

➡川端舞さんの過去のコラムはこちら

《くずかごの唄》55 新型コロナウイルスとのつきあい方

0

【コラム・奥井登美子】

「オタクの薬局にマスクありますか」

「すみません。今、品切れです」

「消毒用のアルコールはありますか」

「それも品切れなのです。申しわけありません」

電話がかかってきて、どうしようもない。薬品会社を何軒探し回っても、アルコールとマスクが手にはいらないのだ。

手と指の消毒ならば、医者が手術のときなどにも使う「ベンザルコニウム系の殺菌消毒薬」が、カビ類、グラム陰性菌、陽性菌、真菌にも有効。しかし、ウイルスの滅菌には今いちらしいのであるが、細菌類だけでも駆除することが出来れば、私たちの世代ではありがたいと思って使ってしまう。

しかし、こういう応用の仕方の出来ない世代の人たちも多いのだ。テレビの報道が一番こわい。

オタオタしない度量が必要

「テレビのニュースで、消毒はアルコールでなければいけないと言っていました」

「ウイルスと一般細菌とは仕組みが違うらしいですね」

「アルコールはお酒に入っているのと同じものなのですか?」

「エチルアルコールには違いないのですが、消毒用は70パーセント。かなり濃いです」

「お酒から造ることが出来ないのですか」

「さあ、酒屋さんで聞いてみてください」

ウイルスと細菌の違いもわからないくせに、断固として主張されると、こちらもどうしていいかわからなくなって、馬鹿みたいなことをいうしかない。

人類は、何万年も前からウイルスと戦ってきたのだ。いまさら、感染経路の不明な、わけのわからないウイルスが登場しても、オタオタしない度量が人間に必要なのではないかと思う。(随筆家、薬剤師)

➡奥井登美子さんの過去のコラムはこちら

《ご飯は世界を救う》20 「目利きの銀次」デイズタウン店

0
目利きの銀次デイズタウン店「海鮮二段重」

【コラム・川浪せつ子】居酒屋さんのランチって、お勧めです。こちら「目利きの銀次」さん(つくば市竹園)は、特にお勧め倍増のことイッパイ。

昨年のお正月、離れて暮らしている家族が集まることになりました。みんなの都合がついたのは元旦だけ。どこかのお店を予約しようと探し回ったのですが、元旦ってなかなか開いていません。

やっと見つけたのが「目利きの銀次」さん。年末にランチで視察。そのとき、「ご予約はこのお部屋です。カラオケもできます」。おっと! 実は、同じデイズタウン敷地内のカラオケ屋さんも、予約していました。

元旦は、カラオケ、普通のときの倍以上。短時間でも数人だと1万円以上かかるのですが、1年に1回しかみんなで集まれないので、仕方がないと思っていたところでした。それが、なんと、タダになってしまうという!

私は「カピオ」で、月1回、水彩画教室をやっています。お隣のデイズタウンは、お買い物をしたら3時間駐車券がでます。飲食のお店によっては5時間の券。まさに「銀次」さんがそうです。

水彩画描いて、みんなでランチして、車も駐めさせていただいて―よいことづくめ。美味しい食事でオシャベリ。免疫力アップ。ここでの井戸端会議ならぬ、情報交換が私の重要な時間になっています。

キッズルームもあり ママさんの味方

いつもは、「漬け鮪(づけまぐろ)三食丼」700円+コーヒー100円(税込)を注文することが多いです。日替わりランチ(700円)があるのですが、私たちは1時過ぎに行くのでほぼ売り切れ。どうにかセーフで「肉豆腐」を食べたことがあるのですが、副菜もついて、美味しかったぁ~。

お安いものだと牛丼400円、シーフードカレー500円。鮮魚を売りにしているので、こんなに安くできるのでしょうか? 絵にしたものは「海鮮二段重」1050円です。映えるので、少々気張りましたが、700円でも十分満足 ♪

庶民の懐の味方のお店ですが、ママさんたちの味方でもあります。なんと、「キッズルーム」があるのです。ランチ時に行くと、前抱っこのママさんが数人。お部屋で子供を遊ばせて、つかの間の息抜きですね。知り合いの家族が、赤ちゃんの100日祝いのあと、利用したと言っていました。

「目利きの銀次」さんは、チェーン店のようですが、お店によって特色があるようです。デイズタウン店は、1昨年の11月から始まったそうですが、末永く続きますように。(イラストレーター)

※注 お店のメニュー価格は2020年1月現在のものです

➡川浪せつ子さんの過去のコラムはこちら

《法律かけこみ寺》15 最後から2番目の裁判

0
土浦市神龍寺(本文とは関係ありません)

【コラム・浦本弘海】

Q:たとえば100万円を請求する裁判を起こして勝訴した場合、それでも相手方がお金を払ってくれないときは、裁判所(や国家)が取り立ててくれるのですか?

A:くれません。

それはそうでしょ、と思われた方→今回のコラムはパスでよろしいかと。

えっそうなの? それじゃあ、どうしたら? という方→ぜひ下記をご覧ください。

ふつう裁判と言った場合は民事訴訟と刑事訴訟を指します。刑事訴訟は、犯罪の犯人だと疑われている人(被告人)が有罪か無罪かや、有罪の場合の刑罰を決める手続きです。法廷物のドラマなどでイメージがおありかと思います。

民事訴訟は、私人間の紛争を解決するための手続です。たとえば知り合いにお金を返したけれど返してくれないので、お金を払ってほしいときなどが挙げられます。

今回、(めでたく)被告は、原告に対し、金100万円を支払えとの(勝訴)判決を得たとしましょう。裁判には勝ったけど、相手方がお金を払ってくれなかったら? というのが今回のテーマです。

裁判に勝ってもそれで終わりではない

「被告は、原告に対し、金100万円を支払え」という判決は、ある意味、国家が「原告には被告に100万円を請求できる法的な権利があるね」と認めたということにすぎません。つまり、100万円を請求できると思っている人にとっては、当たり前のことが認められただけなのです。

とは言っても、裁判所(や国家)は本当に請求できる権利があるかわかりませんので、権利義務の有無を確定する手続きが必要になります。そのひとつが民事裁判です。

「被告は、原告に対し、金100万円を支払え」という判決は、権利義務の有無を確定しただけで、裁判所(や国家)はべつに被告から100万円を取り立てて原告に支払ってはくれません。

それじゃあ、相手方が払ってくれなかったらどうするの? せっかく裁判までしたんだし…。

そこで登場するのが強制執行。判決の内容を強制する手続きです。差し押さえや不動産の競売という言葉をご存じではないでしょうか。裁判には勝ったけど、相手が判決にしたがってくれないときは、強制執行を検討することになります。これにより銀行口座を差し押さえたり、相手方所有の不動産を売却したりします。

なお、強制執行には裁判所の費用も(弁護士に依頼すれば)弁護士費用も別途かかります。

ところで、相手方に財産がなかったら? なんとなくお気づきかもしれませんが、ないものは取れません…。一般に弁護士は裁判を起こす前に相手方からの回収見込みを検討しますし、場合によっては裁判に勝ったとしても費用倒れに終わる可能性があることを説明します。

裁判に勝てば(必ずしも)それで終わりではないという世知辛いお話でした。(弁護士)

➡浦本弘海さんの過去のコラムはこちら

《吾妻カガミ》75 土浦一高「中高一貫」 近く説明会

0
県立土浦一高旧本館と小学生向け土浦一高案内の表紙

【コラム・坂本栄】本サイトの過去記事のうちどれが読まれているのか、筑波大学生記者が2月前半のアクセス数を分析してくれました。1位は「土浦一、水戸一など10校が中高一貫に 県が県立校改革プラン」(2019年2月21日付け)で、つくば・土浦地域の方のこの問題への関心が強いこと分かりました。「中高一貫」スタートが来春に迫っていることもあると思います。

そこで、1年先の一貫制移行に向けての準備状況はどうなっているのか、少し調べました。その成果をいくつか紹介します。

小学生と保護者への説明会が3月22日に、土浦一高体育館で開かれるそうです。この時点では募集要項は確定していないはずですが、概要は分かるでしょう。そして、7月末に県教育委員会が正式に発表したあと、土浦市民会館で説明会があるそうです。大井川和彦知事の目玉の施策ということもあり、県教育委員会も力が入っています。

土浦一高内に設けられる中学2クラス(計80人)の教室はどうなるのでしょうか? 当面新校舎は建てず、現校舎の教室を中学用に割り当てるそうです。中学を教える先生はどうなるのでしょうか? 高校と中学を別々にせず、高校の先生が中学も担当するそうです。普通の中学に比べ、中高一貫は授業内容が難しくなるのでしょうか?

保護者も学校も学習塾もホットに

この問題については、先に「ビッグニュース 土浦一高も中高一貫」(2019年3月18日付け)でも取り上げ、その必要性について①TX開通により地域の優秀な中学生が東京の高校に行くようになった②県南の私立高の多くが中高一貫を採用している③だから土浦一高もこういった変化に対応しなければならない―と述べました。

地域の核となる教育システムを強化する必要があると考えたからです。つくば・土浦地域の教育の核として、大学は筑波大、高校は土浦一高があります。この2つがより強くなることは、地域の教育水準アップ⇒地域の魅力度アップにつながります。

土浦一高の中高一貫移行により、いろいろな変化が起きると思います。現在の出身中学校別生徒数ベスト10(つくば以外はカッコ内に明記)は、竹園東77、吾妻56、下根(牛久)48、土浦第四(土浦)42、手代木40、谷田部東40、土浦第一(土浦)39、土浦第二(土浦)33、並木31、春日学園29―ですが、各中学校区の小学校からダイレクトに中高一貫に進むようになると、この順位はどうなるでしょう?

最近、新聞の折り込みチラシを見ていると、中高一貫に向けた小学生教室の宣伝が目立ちます。保護者や学校だけでなく、学習塾も「商機」とホットになっています。この際、地域の魅力度アップのために、老朽化した土浦一高を建て替えたらどうかと、県教育委に提案しておきます。(経済ジャーナリスト)

➡坂本栄の過去のコラムはこちら

《沃野一望》13 藤田小四郎の3 天狗党西上

0
藤田小四郎像=筑波山

【ノベル・広田文世】

灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼
我(わが)ひめ歌の限りきかせむ  とて

元治元年(1864年)11月、水戸藩改革派諸派は、常陸国大子町で大同団結し、自らを「天狗党」と名乗りあげた。総勢は、約千人。

総大将は武田耕雲斎(たけだ・こううんさい、元水戸藩家老、改革派鎮派の首領)、大軍師に山国兵部(やまぐに・ひょうぶ、水戸藩目付、太平山に立て籠もった藤田小四郎たちの説得に向かった使者役)、本陣に田丸稲之衛門(たまる・いなのえもん、藤田小四郎筑波山挙兵の際に請われて大将、元水戸町奉行)、輔翼(ほよく)に藤田小四郎と竹内百太郎(たけうち・ひゃくたろう、現在のかすみがうら市安食の豪農出身)という、堂々たる布陣を結成した。

京に、禁裏御守衛総督(きんりごしゅえいそうとく)の一橋慶喜(とくがわ・よしのぶ)がいる。天狗党は軍議を開き、慶喜を頼り朝廷に真意を訴えるべく西上を決議した。

一橋慶喜は水戸藩九代藩主斉昭(なりあき)の七男、京にあって幕末激動の政治情勢の渦中にいる。かつて武田耕雲斎も藤田小四郎も、京へ上った慶喜を補佐した経験をもっていた。その深い紐帯(ちゅうたい)に結ばれる慶喜様が天狗党を受け入れてくれぬはずはないと、楽観的すぎる拙策(せっさく)で小四郎たちは西上を決意した。

天狗党は、ひとつの連合軍としての結成に際し、厳しい自己規制の軍律を定めた。筑波山挙兵当時からの同志であり、日光東照宮参拝頓挫後に強盗まがいの略奪行為に走った田中愿蔵(げんぞう)たちの非道を戒め、天狗党への誤解を払拭するために是が非でも守らねばならぬ軍律だった。

愿蔵たちの悪行は、どれほどか天狗党の名を貶(おとし)め、また通過地域民衆の反発を招いたかしれない。新生天狗党の西上出立にあたっては、踏み入れる土地土地での支援が絶対に必要だった。

無辜(むこ)の人民を手負わせ殺害するな、財産をかすめとるな、婦女子をみだりに近づけるな、作物を荒らすな。そして、それらを犯す不届き者は斬首(ざんしゅ)にするとの、極刑厳罰でのぞむ軍律だった。

金産出の地 大子の山

規律正しく天狗党は、粛々と大子の町を後に、西へ向けて出立していった。

振り返れば天狗党の西上は奇妙な軌跡である。もともと水戸城への進軍を計り那珂川北岸に布陣、そこで敗れ、常陸国山間地へ迂回した特段の理由は何だったのか。なぜ険しい山道の峠越えまでして「寄り道」をしたのか。

武田耕雲斎も藤田小四郎も、この間の事情については、いっさい語らない。

大子の山は、佐竹時代から金が多く産出された地である。水戸藩二代目藩主光圀(みつくに)は、佐竹の金山を再興させ水戸藩財政の支えとすべく、大子周辺を探索した節がある。家老まで勤めた武田耕雲斎や斉昭の懐刀(ふところがたな)藤田東湖(ふじた・とうこ)の四男小四郎が、水戸藩独自の金情報をつかんでいた可能性はある。あるいは、金そのものを…。

天狗党は、大子を後に整然と下野国(しもつけのくに、現在の栃木県)北部大田原から那須野が原を経て、京へ向かってゆく。(作家)

➡広田文世さんの過去のノベルはこちら

《続・気軽にSOS》55 自分をよく見せたいから…

0

【コラム・浅井和幸】人には、他人にほめてもらいたい、よい評価をしてほしいという欲求があります。それを達成するために、日々、涙ぐましい努力をしているものです。自分を向上させたり、他人に喜んでもらえるようにする努力ならば、良いことだと思います。無理のない範囲でならばですが…。

しかし、それとは逆の方法で努力することも多いものです。例えば、嘘をつくこと。出来もしないことを言ったり、持ってないのに持っているように言ったりすることです。嘘がばれないようにさらに嘘を重ねていくと、とてもつらいことになるでしょう。

また、自分の知り合いや持ち物などを自慢して、さも自分が「すごい」人であるかのように振る舞って、達成することもできます。偉い誰かと知り合いであることが自慢の人もいるでしょうね。すてきな服や素敵なアクセサリーも、よい評価につながったりするかもしれません。

周りを下げ自分を上げる

しかし、もっとやってしまいやすく、危険な方法があります。それは、周りを下げることで、自分の評価を上げる方法です。他人をバカにすることで、自分が頭のよいことをアピールする。誰かの悪口を言うことで、その人の評価を下げ、自分の評価が上がった気持ちになる。美味しいものを食べたことを話すよりも、どこで食べた物はまずかったと言う方が、味が分かっている人のようにアピールできます。

これらを繰り返すと、次のような評価が積み重なっていくことになります。「この人は、周りを悪くしか評価できない人で、いつ自分も悪口を言われるか分からない人だ」と。少なくとも悪口を言っているときは、言っている本人も聞いている相手も「悪いこと」をイメージしていますので、心身にストレスがたまりやすいものです。

福祉や教育など、何かしらの支援をしている人でも、他の支援のダメなところを挙げて、それに比べて自分がやっていることは素晴らしいといった論調が多く見られます。デメリットだけを挙げて、メリットの部分は見ない。そうすることで、デメリットを見つけられる自分は評価に値する人間であるとアピールをします。

次々と新しい言葉をつくる

また、次々と新しい言葉をつくりたがる人もいます。今までの言葉や定義を悪者にして、それに比べ、私の考えて行っている〇〇法は素晴らしいといった具合です。

どのような方法にもメリットとデメリット、作用と副作用、長所と短所があるものです。一方が完全に上で、もう一方が完全に下であるということは、ほとんどありません。しかし、知識が浅ければ浅いほど、白黒つけて、自分が上であると考えたくなるものなので、お気を付けください。

物事をバッサリ切れることは、格好よく爽快なものです。しかし、それは事実を表面だけ見て分かった気になってしまう、禁断の甘い果実のようなものかもしれません。(精神保健福祉士)

➡浅井和幸さんの過去のコラムはこちら

《宍塚の里山》56 人懐っこい鳥 ジョウビタキとルリビタキ

0
ジョウビタキ(右)とルリビタキ

【コラム・及川ひろみ】ジョウビタキは、冬近くになると庭によくやって来るなじみの渡り鳥。スズメより少し小型の愛らしい小鳥です。雄雌(おすめす)とも翼の中央に白い斑(まだら)があり、この白い模様が着物の「紋」に似ていることから、「紋付き」の愛称もあります。

「チッチッ」「ヒッヒッ」「カッカッ」と、比較的大きな響く声で鳴きます。これは縄張りを告げるサインで、冬の間は1羽で行動します。それは餌となる昆虫を独り占めするために、縄張りを宣言しているのです。

私は夏の繁殖期、中国西北部で雄を確認したことがありますが、繁殖地は極東ロシアから中国東北部とされています。カモなど水鳥は冬、雄が派手な色合いで、繁殖地では雌同様、自然に溶け込んだ色に変わりますが、ジョウビタキは夏でも羽の色を変えることはありません。

10月中ごろ日本に渡って来ますが、渡ってきた当初から、ジョウビタキは1羽で前年と同じ場所に来ると言われます。そこで雌が毎年来ているところは、しばらくして雌が到来します。

ルリビタキは、写真のように成熟した雄は美しいブルーです。しかし、若鳥や雌は、尾羽はブルーですが、全身薄い茶色の地味な色合いで、白い紋もありません。

ルリビタキも、冬季になるとジョウビタキ同様、人里近くにやって来ます。渡って来たばかりのころは数羽群れていますが、間もなく縄張りを持ち、ときにジョウビタキと縄張り争いをすることがあります。

人の行動に興味津々

この両種の鳥は、人には警戒心が少なく、人の行動に興味津々。庭仕事、里山活動をしているときなど、近くまでやって来て、こちらを観察しています。ミミズなどを見つけたら、投げてやるとついばみます。

人の行動に興味があるというより、人間活動が虫を追い出すことを知っているように見えます。これほど近寄ってくる小鳥は、ほかに知りません。冬季、虫だけでなくハゼやヌルデの実など、栄養価の高い木の実をよくついばみます。

ルリビタキは、冬季はユーラシア南部などの温かい所で越冬し、ユーラシアの亜寒帯やヒマラヤ山脈、日本では北海道の北部、本州・四国の亜高山帯が繁殖地です。

ジョウビタキは、最近なぜか夏場も日本にとどまり、繁殖する事例が増えています。特に、飛騨地方などで繁殖していることが記録されています。本来なら、4月ごろ日本を離れ繁殖地に向かうはずなのですが、理由は分かっていません。

身近な小鳥。ちょっと注意深く観察すると、新たな事実が見えてくるかもしれません。(宍塚の自然と歴史の会代表)

➡及川ひろみさんの過去のコラムはこちら

《映画探偵団》28 野口雨情が作詞した「土浦小学校校歌」

0

【コラム・冠木新市】桜川流域には、茨城県出身の詩人野口雨情が作詞した「土浦小学校校歌」が残っている。同校の卒業生以外にはほとんど知られていないと思い、宴劇(えんげき)「桜川芸者学校/創立祝賀会」(2016)で第1章の題材に取り上げた。というのは、雨情が書いた一つの言葉に私も興味を持ったからである。

昭和10年(1935)5月、校歌づくりの依頼を受けた雨情は、東京の吉祥寺から土浦へとやって来た。雨情は小学校の関係者と町を歩き景色を眺め、時々立ち止まっては質問し物思いにふける。

そして、桜川橋を渡り丘の上(旧市役所があった高台)に立ち、高瀬舟(たかせぶね)が走る霞ケ浦、紫色の筑波山、桜川の曲線の流れ、亀城を包む町の光景を見て感動して、「これ程の景色の中に住んでいる人々は、関東広しといえども他に類を見ない程幸福だな」と語った。

翌日、今度は1人で土浦を散策し、もう1泊すると東京に帰っていった。1カ月後に作詞が届き、雨情の推薦で平岡均之(ひらおか・きんし)が曲をつけた。(古森軍治談話より)

映像的で色鮮やかな詩

3番まである校歌の詞は映像的で色鮮やかである。

1番「明けゆく空に ほのぼのと 紫におう 筑波山」「紅深く うららかに 花咲く春の 桜川」では、空から山と川へと、カメラが上から下に移動する。

2番「見わたすかなた 限りなく 霞ケ浦は 波静か」「いやまし栄え すすみゆく 昔をしのぶ 亀が城」では、霞ケ浦から城へとカメラが横に移動する。

3番「われらの校章 たまきこそ あまらずかけず とこしえに」「天地のごとく つくるなき 動かぬ御代の しるしなれ」では、亀城の横に建つ小学校の校章へとカメラがズームアップするのである。

私は「たまき」の校章を初めて見たとき、驚いた。それは丸い円、何の飾りもないただ一つの円だったからだ。こんな校章は見たこともない。きっと雨情も驚いたのに違いない。だから校章をクローズアップしたのだ。

「たまき」とは輪であり、金色(もとは赤色)で日の丸をイメージしたものと言われている。私は子どもの丸い眼ではないかと思った。

「二十四の瞳」の高峰秀子

木下惠介監督の「二十四の瞳」(1954)は、黒澤明監督の「七人の侍」をおさえてキネマ旬報のベストワンになった日本映画史の名作である。物語は、瀬戸内海・小豆島の小学校教師大石先生(高峰秀子)と12人の教え子との交流を、昭和3年、8年、21年の3つの時代で構成し描いている。

全編に童謡が切れ目のないほど流れ、子どもたちの心情を表現する。実験的な音楽映画といってもよいほどである。中でも「七つの子」(1921、雨情作詞)はテーマ曲となっている。大石先生が戦後に再会する大人となった生徒は戦死で7人になっている。

この作品の時代背景と「土浦小学校校歌」がつくられた時代とがぴったり当てはまる。また「七つの子」の「丸い眼をしたいい子だよ」と、「土浦小学校校歌」の「たまき」がオーバーラップする。雨情が注目した「たまき」とは何を意味するのだろうか。

昭和7年(1932)、「五族協和、王道楽土」のスローガンのもと、日本の傀儡(かいらい)政権である満州が建国された。五族とは、日本人、満州人、漢人、朝鮮人、蒙古人を指している。雨情は、大正12年(1923)から昭和9年(1934)にかけて、7回にわたり満州、朝鮮、蒙古、台湾へと満鉄の招待で旅をしている。

他民族とも仲良くとの思いを、雨情は「たまき」の校章に見たのではないだろうか。サイコドン ハ トコヤンサノセンセ。(脚本家)

➡冠木新市さんの過去のコラムはこちら

《吾妻カガミ》74 土浦の名物図書館長が退任

0
土浦市立図書館外観と入沢さん

【コラム・坂本栄】2017年秋にJR土浦駅前にオープンした新市立図書館の初代館長、入沢弘子さんが3月いっぱいで退任するそうです。17年春から3年間の任期が切れるということですが、あと3年は居てほしいと思っていただけに残念です。次の仕事も広報関係とのこと、新フィールドでの活躍を祈念しております。

与えられた2つのミッション

入沢さんは大手広告代理店を中途退社してつくば市役所に入り、市の魅力や売りを発信するシティプロモーションと報道対応の仕事を3年半勤めました。土浦の図書館長に転じたのは、当時の市長が「新図書館をテコとした駅前の賑わいづくり」を構想していると知ったからだそうです。広報のプロとして血が騒いだのでしょう。

図書館のマネジメントは地味ですが、旧市街地の活性化を重要施策に掲げていた前市長は、新施設に図書館本来の機能だけでなく、賑わいづくりの役割も持たせたいと考え、広報のプロを採用したと聞いています。2つのミッションをこなすために、入沢さんは司書の資格も取り、肩書きは「土浦市立図書館長・市民ギャラリー副館長・市広報マネージャー」に膨れ上がりました。

洗練されたデザインの建物、使い勝手がよい内部構造といったハードに、催し物などのソフトをうまく組み合わせ、入沢さんは新図書館を土浦の名所に仕上げました。次々打ち出す企画は大変ユニークで、NEWSつくばも喜んでお手伝いしました。具体的には本サイトの「いま土浦が面白い『本のまち』が起動」(2019年7月15日掲載)をご覧ください。

平凡な施設にならないか心配

ご苦労もありました。公務員は「守旧」の傾向がありますから、シティプロモーションに職員を引っ張り出すのは大変だったようです。イベントの企画は仕事の増加につながりますから、抵抗もあったようです。広報のための館長名ネット発信には、否定的な反応もあったようです。民と官の仕事文化の違いとでも言ったらいいでしょうか。

前任のつくば市ではこんなこともありました。記者発表の不手際や市幹部の不正確な説明で記者との関係が険悪になったあと、市と記者団の関係修復を図ったのは入沢さんでした。こういったプロセスもあって、つくば市のプレス対応は大分よくなりました。

話を土浦に戻します。今春には駅ビル内にホテルがオープン、市観光の目玉「つくば霞ケ浦りんりんロード」の仕掛けがプラスされます。来春には県立土浦一高が「中高一貫校」になり、教育環境が変わります。駅前施設の2つの機能がこれまで以上に求められるわけで、仕事請負人が去ったあと、図書館が平凡な施設にならないよう、ウォッチしていきましょう。(経済ジャーナリスト)

➡坂本栄の過去のコラムはこちら

《続・平熱日記》55 「いりこ」の恩返し

0

【コラム・斉藤裕之】今年の冬は暖かく、その証拠にいつもの年より早めの緑が庭に目立つ。豆もまかなくなった節分のころ、故郷のギャラリーからの便りが届いた。「いりこの絵、2点売れました」。

18まで暮らした街にある、このギャラリーのことは実はあまりよく知らない。もともと画材店だったが、その後ギャラリーや絵画教室を開き、故郷の文化に少なからず貢献されてきたものと思われる。

以前、このギャラリーでは新春企画として、山口県出身あるいはゆかりのある作家の小品展を催していて、何度か作品を送ったことがあったのだが、その後しばらく休止となる。それが今年創業60周年ということで、小品展を再開したいという旨の知らせをもらって、年末に絵を2点送った。

小さな木のかけらや金網に漆喰(しっくい)を塗って、日々の出来事を描き始めて十数年が経つ。ある人の勧めで、それらを額に入れて「平熱日記展」として発表して今年で10年目。そろそろネタも尽きそうになると、冷凍庫の中からごそごそと引っ張り出すのが「いりこ」である。母がまだ元気だったころ、田舎から送ってもらっていたのが味噌といりこ。

限られた中での表現

生まれ育った土地は、多かれ少なかれ、その人の人格形成に何らかの影響を与えているに違いない。風土や言葉はもちろん、食文化もそのひとつだと思う。その意味では、私の体の数パーセントかは麦味噌といりこでできているといえる。

ある日、ふとそのいりこを描いたのが何かの原点となった。その後、ことあるごとに、なんかの節目には、いりこを描くこととなった。

今回は何の絵を出そうかと迷うこともなく、2点のいりこの絵を早々に送った。その心は「いりこの恩返し」。今まで絵を描き続けてこられたことへの感謝を込めたつもりである。

私の絵はマーケットに流通しているわけでもないので、売り値は子供のお年玉でも買えるような値を付けてある。だが、今回に限らず、見ず知らずの方が拙作(せっさく)をお買い求めいただいたことには素直に有難く、名もなき絵描きの絵を評価してくださったことは大きな励みとなる。

ところで、最近、芸能人が俳句を詠(よ)む番組がある。この番組で評価を下す女性の解説がいい。何がいいかというと、私が絵を描く視点や技術にとても近いところがあって、共感できる。片や17文字、片や小さな矩形(くけい)という、ともに限られた中での表現ということが共通しているであろうか。

様々な概念や表現が生まれ消えた前世紀。テクノロジーやコンピューターが新たな表現を広げる今世紀。しかしながら、根底には時代に左右されない人の営みや感情が横たわっていて、結局、表現の根幹はこのやんごとなき人間性なのかもしれない。因(ちな)みに、一昨年、俳句甲子園なるもので全国制覇したのは故郷のわが母校だったらしい。

冬と春の境目、節分。めざしの頭を魔除けに飾る風習があるが、めざしになりそこなったいりこ(?)をまた描き始めた。(画家)

➡斉藤裕之さんの過去のコラムはこちら

《邑から日本を見る》57 食品公害の原点・水俣へ行く

0
子供たちが踊る水俣ハイヤ節

【コラム・先﨑千尋】1月25日から27日まで熊本県水俣市に行ってきた。そして、日本有機農業研究会が主催した「全国有機農業の集い2020 in水俣」に参加した。水俣行きは何度目になるのだろうか。行くたびに新しい出会い、触れ合いがある。今度の集まりには全国から400人を超える人が集まった。これまでの2倍の参加者になったとか。やはり一度は水俣に行ってみたいという有機農業関係者が多いということなのなのだろう。

会場は水俣市文化会館。20年前にここで開いた環境自治体会議を思い起こす。集いの初日は、両親と祖父母が水俣病患者だった杉本肇さん、水俣病互助会会長の上村好男さんら現地の人たちのリレートーク、地元の袋小学校の子供たちの元気な「水俣ハイヤ節」、13もある分科会と、盛りだくさんのスケジュール。「水俣ハイヤ節」は、2000年に水俣病で苦しむ地域の再生を願って創作された踊りだ。分科会では「被害者が加害者になってはいけない―水俣病事件と甘夏栽培の日々」「水俣の海 私は水俣で魚屋になった」「水俣の海に農薬を流したくない―若手お茶農家が描く未来」など、水俣病に苦しみながら明日に期待する報告が目立った。

夜は楽しみの交流会と懇親会。食材は地元地域の有機野菜や無農薬茶。酒も他では飲めない、自然栽培や合鴨農法で栽培したコメなどを使った日本酒と焼酎がずらり並んだ。別の部屋では、自家採種した種苗交換会が開かれている。うまい酒を飲み、地元ならではの自慢の手料理をいただきながら、古くからの友人に会い、情報の交換をし、新しい人に出会う。至福の時だ。私は参加しなかったが、夜更けまでの夜なべ談義もある。

市・県・国の対策は間違っていた

翌日も、有機農研総会、映画会、「私たちのまち水俣-水俣という存在を希望にしたい」というトーク&ライブ、ワークショップ、写真展、現地見学会などがあったが、私は別行動で水俣のまちを歩きたいと考え、旧知の大澤忠夫さんの家に向かった。大澤さんは1973年に水俣に入り、陸に上がって甘夏ミカンづくりを始めた水俣病患者の漁師たちの活動を支え、現在も親子でミカンの販売などに奔走している人だ。40年以上の付き合いになる。

彼の案内で、チッソ水俣工場、水俣病資料館、チッソがかつて水俣病の原因となった有機水銀を排出した百間排水口、水俣病歴史考証館を回り、水俣市の山間部にある愛林館に向かった。この施設は市が作ったむら起こし施設で、今後2000年間、この地に人が住み、森と棚田を守っていける村づくりを目指すという。地域固有の風土と暮らしが醸し出すたたずまいを風格あるものにするため、生活環境の保全、再生、創造を行っている「村まるごと生活博物館」の活動が面白い。東大卒という館長の沢畑亨さんにも久しぶりに会えた。

そこからさらに山奥にある吉井正澄さんの家を訪ねる。吉井さんは元水俣市長で、水俣病患者と患者団体に「市・県・国の水俣病対策は間違っていた」と謝罪し、政治解決を果たした人だ。環境モデル都市としての「新しい水俣」を提唱、実践した。88歳だが、元気そのもの。今の市の行政、議員たちには「水俣をどうするのかというビジョンがない」と危機感を募らせる。今回も多くの収穫があった水俣行きだった。(元瓜連町長)

➡先崎千尋さんの過去のコラムはこちら

《食う寝る宇宙》55 人工衛星衝突=宇宙ゴミ飛散の危機

0

【コラム・玉置晋】2020年1月末にちょっとした騒動がありました。2基の人工衛星が衝突するかもしれない。もし、衝突したら1万2000個以上のスペースデブリ(宇宙ごみ)が飛散した可能性があったそうです。

同様の事故は、過去に発生していて、09年、通信衛星イリジウム33とロシアのコスモス2251が衝突し、大型の破片約1000個が低地球軌道に飛散しました。これらの破片はいまだに周回しており、運用中の人工衛星に接近した場合は、これを回避しなければならないことがあります。

スペースデブリは秒速数キロ(ピストルの弾丸より高速)で飛び、徐々に地球全体を膜で覆うように拡散していきます。そして、その破片が他の宇宙物体に衝突して、さらにスペースデブリを増やしていく。このようなことを繰り返していくと、最悪のシナリオでは、地球周辺をスペースデブリの膜に覆われた人類は、地球に閉じ込められることになるでしょう。

地球を回り続けるスペースデブリ

 今回の騒動で注目したいのは、対象の人工衛星が古いことです。ひとつは、1983年に米国、英国およびオランダが共同開発した赤外線天文観測衛星「IRAS(アイラス)」で、質量1トン、大きさ4メートル×3メートル×2メートルの中型トラックぐらいの物体ですね。もうひとつは、67年に米空軍が打上げたGGSE-4です。質量85キロ、幅60センチ×長さ18メートルの巨大な物干し竿のような形状です。

ともに30~50年前に打上げられた物体で既に運用終了し、地上から制御はできない状態でした。飛行高度が地上から500キロ以内であれば、低密度ながら大気によるブレーキがかかり、おおよそ30年以内に大気圏に落下して、摩擦熱で燃えて消滅します。しかし、今回対象となった衛星は高度900キロを飛行していたため、自然に落ちてくることはありません(厳密にはいつかは落ちてきます。数千年先ですが…)。

スペースデブリの回収は人類の命題といえるでしょう。19年10月現在で、地球周辺を飛び回る物体数(10センチ以上でカタログ化されているものに限る)は1万9779個です。国別では、米国6693、CIS(旧ソ連の独立国家共同体)6635、中国4089、フランス573、日本295、インド259、ESA(ヨーロッパ宇宙機関)147、その他1088です。(注1)

なお、今回の衛星衝突危機は、幸いにも「何事もなく」、通り過ぎたと発表がありました。(宇宙天気防災研究者)

注1: NASA ORBITAL DEBRIS PROGRAM OFFICE. “Orbital Debris Quarterly News”. NASA. Volume23, Issue4 November2019

➡玉置晋さんの過去のコラムはこちら

《地域包括ケア》53 「通いの場」がまちを変える

0
朝のラジオ体操

【コラム・室生勝】厚労省の地域づくりによる介護予防・モデル事業は2014年度から始まっている。毎年、都道府県や各市町村に促しているが、一向に全国的広がりをみないので、昨年4月、「これからの地域づくり戦略」という地域の状況を考慮した施策を発表した。

この中では「高齢化が進み、人手不足の時代が続く中、本人の力や住民相互の力を引き出して介護予防や日常生活支援を進めていくこと、ひいては地域づくりを進めることはとても重要」と述べられている。各市町村は、担当課に地域づくりに向く人を置き、社会福祉協議会と共同で取り組んでほしい。

「地域づくり戦略」では、体操などの「通いの場」がまちを変えるとして、①体操することで元気になる②集まることで地域がつながる③つながる地域がまちを変える―と、ラジオ体操が奨励されている。

週1回の体操なら、茨城県健康プラザ、太田仁史先生のシルバーリハビリ体操を脳トレにお奨めである。脳卒中による半身片まひがある人のために考案された体操で、腰掛けて行う。肩こりや肩の痛み予防、腰痛や膝痛の予防、股関節や転倒予防の運動などがある。毎週一つか二つを自宅でも行うことを奨める。

毎日の体操は小学生時から馴染んでいるラジオ体操である。NHKラジオで1日4回あり、いい時間を選べる。公園や空き地で、毎日続けると、身体機能を維持あるいは高めることができる。先進市町村の「ご当地体操」は高齢者には憶えにくく、毎日自宅で行うのには適さない。

ラジオ体操の素晴らしさ

つくば市の主な通いの場は、週1回以上の「高齢者地域ふれあいサロン」が数カ所、月1~2回の社協「ふれあいサロン」が94カ所ある。また、介護予防事業の一つである自主活動支援事業も、通いの場として今後推進される。主役は、いきいきプラザ運動教室で学んだ「運動普及推進員」である。

現在、普及推進員が自主活動リーダーとして、筑波2、谷田部1、桜1、茎崎3、豊里1の各地区と、いきいきプラザ4の計122カ所で運動サークルが開かれている。運動を主とした通いの場を増やすには、普及推進員を多数養成する必要がある。いきいきプラザは前期高齢者を対象に養成教室に転換すべきであろう。

後期高齢者の介護予防を提供する際には、①通いの場への車の運転を自粛してもらう②運動する前に健康チェックをする③自己健康管理法を学んでもらう④自宅でも毎日できる運動を奨める―などに注意してほしい。

ラジオ体操は、高齢者の介護予防に限らず、夏休みには子どもたちや母親世代と高齢者の3世代交流となり、地域づくりを進めてくれる。(高齢者サロン主宰)

➡室生勝さんの過去のコラムはこちら

《ことばのおはなし》18 私のおはなし ⑦

0

【コラム・山口絹記誰かに手を引かれた気がして目を開けると、先程の医師が肩越しに私の顔を見下ろしていた。立ち去ろうとしている医師の白衣の裾(すそ)を、私の右手がつかんでいたのだ。離そうと思っても手が動かない。何か言わなければ。妻と娘がどこにいるかだけでも聞きたい。口から意味をなさない音がこぼれた。

困った顔をした医師に優しく手を離される。それは意思の疎通(そつう)ができない相手をなだめるような、事を荒立てないための所作(しょさ)だった。他人にとって、今の私は意思表示のできない、何を考えているか、何をするかも全くわからない存在なのだ。

また一人になった。衣服が変わっていないことから、それ程時間が経っていないことはわかるが、なぜここには時計がないのだろうか。それともどこかに時計があるのに、私が認識できていないだけなのだろうか。

人の気配にふと足元を見やると、暗がりに人影が立っていてぎょっとした。よく見れば看護師だ。なぜ無言なのだろう。私が首を傾げると、看護師は尿瓶(しびん)を無言で指さした。私は無言でうなずく。

されるがままに排尿を試みるも、出ない。仰向けで排尿するには何かコツが必要なのか。次回までの課題にしよう。看護師たちに車椅子に移されてトイレまで連れて行かれる。

左腕には点滴がつながれ、右半身はどこか自分のものではないような感覚。なんとかトイレを済まし、ズボンを左手で上げたとき、後ろのポケットに何かが入っていることに気がついた。

ラテン語で書かれた一文

ベッドに寝かされ、再び一人になると、体勢を変えてポケットの中身を出した。いつも持ち歩いている文庫本だ。メモが書かれた紙切れがたくさん挟まった、何度も読んでいる本なのに、文章が頭に入ってこない、音読もできない。私はもう、二度とことばを話せないのだろうか。

私の娘はどの季節が好きなのだろう。そういう話をしたかった。たとえことばを交わせても、私達は真に理解し合うことなどできないだろう。それでも。

本の感想も、話したい。春の匂いについて、語り合いたかった。寝る前にはおやすみと言いたい。

病室で一人きりにされなくとも、今の私は一人なのだ。

私は頭を振って再びメモを読み上げようとした。時折(ときおり)口から転がり出る音が意味をなしていないのがなんとも不思議だ。口から出た音が耳を通して初めて、意味をなしていないことがわかるのだ。読み進めていくうちに、違和感があった。今、何か意味をもったことばが聞こえた気がする。

それはラテン語で書かれた一文だった。私はもう一度そのことばを口にした。読めた? いや確かに読めた。

なぜラテン語だけが話せるのだろう。私は今何者なのだろう。そして唐突な思いつきとともに、私は口を開いた。

「Tu was du willst, Do.. what you will.」

やはりそうだ。私が失ったのは、母語である日本語だけなのだ。-次回に続く-(言語研究者)

➡山口絹記さんの過去のコラムはこちら

《くずかごの唄》54 新型肺炎 コロナウイルス

0

【コラム・奥井登美子】ウイルスの殿様と家来がしゃべっている。

「なんだい、世界中が巻き込まれて、肺炎の、あの大騒ぎは」

「新型肺炎、コロナ君がチト暴れております」

「何で、中国にしたのじゃ」

「中国は国が広すぎて、情報が遅い。役所の通達が徹底しないから、暴れるのにちょうどいいのです」

「コロナは、ほかのウイルスよりも潜伏期間が長くしてある。たったそれだけのことじゃ」

「貿易も、交流も、観光も一部、閉鎖してしまいました」

「今の人間は、地球の保存を後回しにして、モッタイナイことばかりしおる。バチがあたったんだ」

「わけのわからないウイルス」にどう対処するか

ウイルスは、人類の歴史の中で、したたかに何億年も生きてきた。単独で生きることが出来ないウイルスは、他の生物の細胞が不可欠だ。どの生物を選ぶかは自由だが、たまたま人間の血液の細胞内で増殖すると、いろいろな病気を引き起こす。

人間の活動で地球環境が今、大きく変化している。気候変動もそのひとつだが、もしかして、ウイルスの変化も入っているのかも知れない。だとしたら、これからも、人間に取り付く、「わけのわからないウイルス」が出てくる可能性がある。

インフルエンザの予防接種ひとつとってみても、製品が出来上がるまでにたくさんの歳月と、学者の知恵と技術が必要であった。これからも発生するに違いない「わけのわからないウイルス」にどう対処するかが、人間に、私たちに問われている。(随筆家、薬剤師)

➡奥井登美子さんの過去のコラムはこちら

《茨城の創生を考える》14 筑波大学に期待したいこと その2

0
筑波大学正門

【コラム・中尾隆友】今回は前回(1月31日掲載)の続きです。

第2に、研究や人材育成において、全国の大学や企業といっそうの協力・提携を深めながら、オープンイノベーションを推進していくということだ。昨今の大学は運営資金の減少から研究資金も不足がちであり、既成の枠組みにとらわれない研究をしようとしたら、とてもひとつの大学では研究を続けるのが難しくなってきているからだ。

そうであるからこそ、高いレベルの研究ができる仲間づくりが重要な意味合いを持っているのだ。大学と大学、あるいは大学と企業の共同研究や人材交流がますます増えていけば、大学と大学、あるいは大学と企業の双方の競争力向上やイノベーションに直結する成果が出てくる可能性が高まっていくはずだ。

以上の2つの改善点を踏まえたうえで、私が筑波大学に望む新しい大学像とは、学類(誤解を恐れずに言えば、筑波では「学部」が「学類」に相当する)ごとに縦割りになっている体制をもっと緩めて、学生が学類をいっそう自由に横断できる仕組みをつくってほしいということだ。大学を卒業するまでにひとつの学士だけでなく、複数の学士を修めることができるような体制をつくってほしいのだ。

文系と理系が融合したハイブリッド人材

たとえば、経営学とシステム工学の両方に精通する学生がいたら、社会に出て何かおもしろいことをやってくれると思えるのではないか。分野が違う複数の学問を修める学生を育てるには、複数の学類の教授陣が協力してカリキュラムや授業をつくるなど、学類を越えた横断的な取り組みが欠かせないだろう。

今のところ日本では、企業が求める人材は理学部や工学部の需要が強く、文系より理系のほうが優位な状況がしばらくは続きそうだ。しかし私が予想する未来では、文系と理系が融合したハイブリッド系の人材がもっとも重宝がられるようになるのではないかと考えている。

スマートフォンや自動運転車のように、イノベーションが異分野の融合から生まれるという事実から判断すれば、ハイブリッド系の人材が増えていけば、イノベーションが生まれる可能性はいっそう高まるはずだからだ。

これからの新しい時代では、大学のなかにも文系と理系の両方の要素を併せ持った学部や学科が誕生することを期待している。文系の感性を持った思考力と理系の論理で構築した思考力が組み合わさることによって、新しいタイプの人材を社会に送り出すことは、大学の存在意義をきっと高めてくれることになるだろう。(経営アドバイザー)

➡中尾隆友さんの過去のコラムはこちら

《雑記録》8 新型肺炎(コロナウイルス)と世界経済

0

【コラム・瀧田薫】中国で新型肺炎の患者が急増していると聞いて、2002~03年にかけて中国で流行したSARS(重症急性呼吸器症候群)を思い出した。当時の中国政府は、数カ月間、感染の全容を明らかにせず、WHO(世界保健機関)の医療活動を遅らせる原因をつくったとして、世界中から厳しい批判を浴びた。

今回は、ウイルスの全遺伝情報(ゲノム)が中国政府からWHOに提供されているから、前回の経験が少しは生かされたようだ。しかし、問題がなかったわけではない。中国政府が武漢市を封鎖する前に、市の人口の約半分(500万人)が同市を脱出していた事実が明らかになった。

初動対応の遅れは明らかで、中国政府の威信が傷つくことは避けられまい。ともあれ、中国政府が国内のパニックを恐れるのであれば、国内外に対する情報公開を断行することだ。権威主義的な体質で凝り固まった中国政府にとって難しいこととは思うが、それ以外に今回の苦境を打開する策はない。

地方の観光業の痛手は深刻

ところで、コロナウイルスによる経済的損失は、現時点で見積もっても巨大なものになりそうだ。中国においては、政府が春節連休の延長を決めたこともあり、製造業の稼働中止が長引きそうな情勢である。そうなれば、中国発の世界サプライチェーンが変調を来し、外資系企業にも甚大な影響が及ぶだろう。

新型肺炎の収束がいつになるかにもよるが、工場を海外に移すなどの動きが出てくる可能性もある。もともと中国の構造問題として潜在していた製造業(外資含む)の海外移転について、これが一つのきっかけになるかもしれない。

日本国内への影響としては、訪日外国人客需要の落ち込みが懸念され、すでに化粧品や小売り、サービス業、航空その他運輸関連業界などの株が軒並み大幅値下がりしている。また、地方の観光業の受ける痛手は深刻だ。韓国客の代わりに中国客に期待していた北海道の観光業者からは悲痛な声が上がっている。

中国資産の手持ちを減らす動き

一方、マクロ的な視点からの損失予測(日経27日付)によれば、中国元の対ドル相場は27日に1ドル=6.98元まで下げ、1カ月ぶりの安値となった。市場では「中国資産」の手持ちを減らす動きが始まっており、世界景気の下押し圧力になることは確実とみられる。

SMBC日興證券は、中国人の海外団体旅行禁止が半年続いた場合、世界のGDPが約0.1パーセント下がると試算している。野村総合研究所は、日本に訪れる観光客が02~03年のSARS発生時と同じ程度で減った場合、20年の日本のGDPが7760億円減り、影響が1年間続けば2兆4750億円減って、GDPを0.45パーセント押し下げるとみている。

いずれにしろ、2020年の世界経済は大荒れとなるだろう。異常気象に加えて、新型ウイルスが出現するなど誰が予想したろう。「日本丸」の舵取りもオリンピックを控えて一段と難しくなる。政治にも大きな動きがあるかもしれない。(茨城キリスト教大学名誉教授)

➡瀧田薫さんの過去のコラムはこちら

《吾妻カガミ》73 NEWSつくばがまた全国紙の話題に

0
左は編集室がある筑波学院大の建物、右は1階入口に立て掛けてある案内版

【コラム・坂本栄】本ニュースサイトが1月27日の毎日新聞(4頁オピニオン・メディア欄)で取り上げられました。全国紙の全国欄で話題になったのは朝日新聞(2019年7月13日33頁メディアタイムズ欄)に続いて2回目になります。ネットを使って非営利のNPOが地域ニュースを発信する本サイトの運営モデルが注目されています。

地域メディアの生き残りモデル

詳しくは毎日紙を読んでいただくとして、記事は紙面の半分を占める大きな扱いでした。見出しは「地域報道を担う NPOメディア=厳しい新聞業界 日米の動き=」です。「大学と連携、オンライン」で地域ニュースを伝える茨城県つくばのNEWSつくばと、「データ分析し、調査報道」をしている加州サンディエゴの「アイニューソース」が紹介されています。

「インターネットの普及や広告収入の落ち込みなどで、新聞業界は厳しい時代を迎えている」なか、長野宏美記者は、地域紙の元記者が大学キャンパス内にNPOメディアを立ち上げたという共通性に注目、本サイトと米メディアの活動を伝えています。私と鈴木宏子デスク兼記者が取材を受けました。

半年前の朝日紙は「地域紙 生き残りへの選択」という見出しでした。「ネットで復活 権力監視」をするNEWSつくばと、「発想(を)転換 政治(記事)は排除」する上越タイムス(新潟県)の比較です。記事のポイントについては「NEWSつくばに全国紙が注目」(2019年8月5日掲載)をご覧ください。

要は、朝日は地域紙の生き残り策の違いに、毎日は共通性に、それぞれ注目しているわけです。小さな取材組織の取り組みが大手紙に取材される―面白い時代になったものです。

非営利・ネットはひとつの「解」

本サイトは常陽新聞の「残党記者」が立ち上げたメディアですが、1月25日、茨城大学生による「新聞廃刊のインパクト―常陽新聞がなくなり市民が失ったもの」という題のシンポジウムが開かれました。この研究発表・討論会には私も招かれ、地域紙の苦労とネットメディアの可能性について話しました。

研究や討論内容については、本サイトの記事「茨大生が土浦シンポで問いかけ」(1月26日掲載)にまとめられています。前半で毎日と朝日の記事を紹介したついでに、以下、全国紙と茨大生の質問への回答の要点を記しておきます。

地域紙の盛衰はその地方の盛衰に左右されます。常陽紙の主マーケットであった土浦は、モータリゼーションによって商都としての役割が低下、地域紙を支える力を失いました。代替マーケットとして新都つくばがありましたが、多くの市民の目は首都に向かい、地域への関心はあまり強くありませんでした。

こういった地域の変容と特性以上に、インターネットという新メディア(情報伝達ツール)の登場が決定的でした。印刷機に頼るペーパーと使い勝手が格段に優れたネットでは勝負になりません。つまり、商業ベースの新聞は市場の変化と技術の進歩に振り回されたということです。

でも、地域の健全な発展のために、メディアが持つ社会的機能(税金使途監視、生活情報提供)は必要です。非営利(組織の運営方法)、ネット(使用する伝達ツール)、行政監視(編集方針のひとつ)を組み合わせた本サイトは、地域メディアの「解」モデルになることを模索しています。(NEWSつくば理事長)

➡坂本栄の過去のコラムはこちら

《土着通信部》37 「逆転層」から富士を見る 筑波山梅まつり

0
筑波山梅林の最上部にあるあずまやから富士山を望む

【コラム・相澤冬樹】筑波山には、中腹の斜面の気温が麓に比べて相対的に高くなる「逆転層」のあることがよく知られている。学術的には「斜面温暖帯」といい、研究者や学生らによる冬場の観測が行われてきた。

一般に気温は上方ほど低くなり、100メートル上昇すれば温度は0.5℃から1℃下がる(気温減率)。ところが、夜間から早朝にかけてよく晴れた場合には、地表の熱が上空に向け盛んに放熱され、地表付近の気温は低下する(放射冷却)。結果として地表から高層にいくに従って気温が上昇する大気層が出現する。この大気層のことを「逆転層」と呼ぶ。

この温暖な気候を利用したのが、筑波山の西側斜面で古くから行われてきたフクレミカンの栽培。かつては日本のミカン栽培の北限に位置した。

西側斜面は正面に、関東平野越しの富士山が望めるビューポイントでもある。空気が澄んだ冬場など、富士山がよく見えるときほど、放射冷却も盛んになるから「逆転」現象も顕著になる。

今年のような暖冬気配ではどうか。つくば市沼田の知人は、「数えているわけではないが、低く雲がかかることが多く、富士山を見る日が少ない気がする」と言っていた。筑波山ケーブルカーの沿線と宮脇駅で、1月25日から2月いっぱいの会期で始まった「臘梅(ロウバイ)と福寿草」では、例年より一回り大きめの福寿草が見られたものの、気温上昇で早めに花期を終えそうだという。

そんな西側斜面、標高約250メートル付近に広がるのが筑波山梅林。涸(か)れ沢沿いの約4.5ヘクタールに筑波石とよばれる班れい岩の巨石が散在し、縫うように約1000本の白梅・紅梅が植えられている。

「今日は富士が見える」と連絡を受けた1月末の朝、梅まつりの下見を兼ねて梅林まで足を運んだ。15日から47回目を迎える筑波山梅まつりが始まる。過日の大雨のせいで、涸れ沢には豊富な水量があり、開花の早い紅梅が枝先のつぼみを膨らませていた。

最上部にある茅ふき屋根の展望あずまやまで行くと、真正面に富士を望める。梅林は関東富士見百景の1つになっていて、あずまやの手すりには「富士山まで155.6キロ」のプレートが貼ってある。「逆転層」のせいか標高の高いあずまや周辺の方が、開花のテンポが早いように感じる。

知人は「咲き始めはこんなもの。例年通り、2月下旬から3月上旬が見ごろだろう」という。

紅梅越しに遠景の富士を撮っていると、南から雲が押し寄せてきて、午前9時30分にはすっかり山容を隠してしまった。早々の店じまい。「富士を見るには朝早くに限る」ということだった。

◆第47回筑波山梅まつり 会期:2月15日(土)~3月22日(日) 会場:筑波山梅林(つくば市沼田) 主催:筑波山梅まつり実行委員会 共催:つくば市、筑波山地域ジオパーク推進協議会 問い合わせ:029-869-8333(事務局・つくば観光コンベンション協会)

➡相澤冬樹の過去のコラムはこちら