《続・平熱日記》54 絵画展「富士山景クラッシック」


【コラム・斉藤裕之】新年早々、カフェでばったりと出会ったのはユキさんと娘のリサちゃん。リサちゃんはうちのアトリエに絵を習いに来ていた才能あふれる子なのだが、地学や気象学を学ぶための大学に進んで、今や日本や世界の各地で研究をしているとか。ちょうどよかったので、新年のあいさつ代わりに、持ち合わせていたグループ展の案内ハガキを渡した。

話はおよそ25年前にさかのぼる。フランス留学から帰ってきた私を同級生が歓待してくれた。ところは、谷中の伝説の居酒屋「町人」。

「やっぱり描くってことは大事よ」と、一席ぶった私。「じゃあ富士山描こうぜ!」でもって、集まった沼津の長橋の実家。真夏に見えるはずもない富士山。長橋家が営む幼稚園のプールで行水のあと酒盛りとなり、チャンチャンのはずだった。「銀座のギャラリーでやらしてくれるってよ!」「じゃあタイトルは富士山景クラッシック、なっ!」って言っちゃった私。

こうして第1回目の富士山を描く展覧会は開かれた。本当はそれでお開きのはずだった。

それから10年。ひょんなことから、お世話になっているギャラリーが、なんと富士山景クラッシックの第2回展を企画してくださった。そして、「次はまた10年後だな」なんて言いながら3回展をやり、なんと、この度第4回展を開く運びとなった次第。

見て描くか、見ずして描くか

さて、富士山については、18の年に上京する折、新幹線から見た思い出を書いたことがある。ともに故郷を出て、「富士山を見ると不合格になる」というジンクスを信じて見なかった貞本は、現役で美大に入りその後漫画家として大成功を収める。

一方、その後長い浪人生活に突入するとも知らない私は無邪気に、生まれて初めて見る富士山に心躍らせていた。その後、帰省の度に新幹線の車窓から眺めた富士山。私の住む茨城からも富士山は見える。しかし何度か富士山を描いてみても、リアリティを感じられない。

大学1年のときに、仏像を描かされたことを思い出す。石膏(せっこう)デッサンのつもりで描くと手も足も出ない。「西洋のものの見方じゃあ描けないよね」。当時、現代美術家として学生にも絶大な人気があった榎倉先生がつぶやいた。ゆっくりと四方に流れ出てできた富士山の緩やかな稜線(りょうせん)は、お寺の屋根や仏像の袈裟(けさ)にも似た独特の曲線を帯びている。ここは奥義(おうぎ)「見ずして描くの術!」でいくことにする。

2月10~15日、銀座「ギャラリー・ソル」

さて話はカフェに戻る。試しに、会期中に予定しているささやかな宴にリサちゃんを誘ってみた。「その日は富士山の定点観測に行っています」。来年から高校の理科の先生になることが決まった彼女。大学院での研究テーマは、なんと「富士山」なのであった。

これで多分本当に終わりかな? しかし、あえて私はハガキに「第4回富士山景クラッシック・中締め」と記した。「次はフィレンツェ・オープンにしよう!」「じゃあドゥオーモの前に集合な!」なんてね。2月10日日から15日まで、銀座のギャラリー・ソルで同展は開かれる。(画家)

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