【コラム・坂本栄】3年半ほど筑波山神社の宮司を務めてきた岩佐弘史さんが、1月末に筑波山を去りました。神社のマネージメントをめぐり氏子たちと対立、辞表を書いて自ら退いた形をとりましたが、事実上追放されたと言ってよいでしょう。改革派の岩佐さんと守旧派の氏子たちの「筑波山の乱」、こういった幕引きでよかったのでしょうか。

この内紛についてメディアはあまり取り上げておりません。本サイトではその経緯を報じておりますので、ご覧ください。発端は「筑波山神社で内紛 氏子総代ら 宮司の解任要求」(昨年10月12日掲載)、展開は「岩佐宮司が1月末で辞職へ 筑波山神社 後任は未定」(1月10日掲載)という見出しの記事です。

氏子はどうして宮司(会社で言えば社長)解任運動を起こしたのでしょうか。私なりにまとめると、 ①宮司と氏子とのコミュニケーションがよくなかった(氏子たちを軽視したと氏子側は主張)②宮司が神社職員に強めに対応した(パワハラもあったと氏子側は主張)③宮司は祭事を簡素化する傾向があった(飾りを張る道筋を減らしたと氏子側は主張)―といったところでしょうか。

岩佐さんとは何度か話す機会があり、彼の考え方は知っていました。ですから、氏子たちの解任署名活動→神社本庁への解任要求の動きを知ったとき、これは神社改革を進める宮司と旧来の神社運営に慣れ親しんだ氏子たちの衝突だ、と思いました。

幻の「山上多面ガラス殿」構想

新創刊「常陽新聞」時代(2014年2月~17年4月)、私は「キーパーソン」(地域名士へのインタビュー欄)を担当。岩佐さんにも登場してもらいました。Q&Aは、神社本庁のエリート職員(神社専門紙「神社新報」記者→業務部長→本庁参事)のリアルな知見に溢(あふ)れ、有益でした。そして、岩佐さんのミッションが筑波山神社の立て直しにある、ということも分かりました。

目玉は、男体山と女体山の間(ケーブルカーの終点)に新式場を建てる構想です。「在任中やりたいことは、山上結婚式(スカイウエディング)ができる、多面ガラスの祈祷殿を造ること。昼は関東平野を望み、夜は星空を眺めながら、式が挙げられる施設です」。

今挙式ができるのは、中腹の拝殿(昼間)だけです。それを山上にも拡げ(しかも朝+昼+夜)、結婚式収入を何倍にも増やそうと考えたわけです。赴任時、神社に多額の借金があったのがショックだったようで、増収策を懸命に考えていました。

経費カットも力が入っていました。氏子の反感を買ったケチケチ作戦(祭事飾りの簡素化)のほか、氏子の祭事手伝い手当て削減、神社の各種広告停止、観光協会(つくば観光コンベンション協会)の分担金縮減―などです。氏子たちも、神社職員も、門前町の店も、観光業界も、さぞ面食らったことでしょう。

神社改革は、氏子たちの理解を得られず、岩佐さんのアグレッシブな言動も災いして、失敗に終わりました。天空のガラス殿で生ビールを飲みたかったのに、とても残念です。(経済ジャーナリスト)

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