《映画探偵団》22 筑波小唄と筑波節は2つで1つ


【コラム・冠木新市】桜川流域には茨城県出身の詩人野口雨情が作詞した『筑波小唄』と『筑波節』の民謡が残っている。10年前にその事実を知ったころは、特に雨情や民謡に興味があったわけではなかった。つくば市の年配者に尋ねると、「そんな歌、知らないな」と言われた。

とりあえず、どんな民謡なのか聴いてみようと、つくば市や茨城県の図書館、北茨城市の野口雨情記念館などに当たってみたが、どこにも音源は残されていなかった。こうなると私の悪い癖で、ぜひ探してみたくなった。

昭和5年(1930)、世界大恐慌の影響が日本に出始めた年、雨情は旧筑波町から歌作りの依頼を受ける。10月1日から2日、筑波山中を散策し、翌3日、5番まで詩がある『筑波小唄』を作り、作曲家藤井清美が直ちに曲をつけた。同日、関係者を江戸屋別館に招き、筑波芸妓(げいこ)によって披露の運びとなった。

ところが、この歌は、45日後の11月18 日に1・2番と3・4・5番に分けられ、詞が追加されて『筑波小唄』と『筑波節』になるのである。なぜ1つの歌が2つに分けられたのか、詞を分析してみた。

『筑波小唄』の「うすい情」「笹で啼(な)く」、『筑波節』の「うす明り」「ほろり泣いたも」と、対をなす表現が出てくる。また最後のフレーズは「北条を通れば うしろに筑波 ままよ逢わずに 帰らりよか」(『筑波小唄』)、「真壁出て見りゃ 南に筑波 逢いにゆきます 山越えて」(『筑波節』)とあって、男と女が筑波で逢う構成になっている。

つまり『筑波小唄』は男心を、『筑波節』は女心を描く2曲で1組の歌なのである。『筑波小唄』はうぐいす芸者藤本二三吉が、『筑波節』は北条芸妓連がSPレコードに吹き込み、昭和7年(1932)にはNHKラジオで披露している。

その後、ひょんなことからリメイク版レコードが見つかり、歌誕生80周年記念として、2010年10月10日、筑波銀行つくば本部ビル10階で、「雨情からのメッセージ」と題し講演・朗読劇・歌・踊りのイベントを開催した。

東映『仁義なき戦い』5部作

私は東映『仁義なき戦い』(1973-74)5部作を思い出した。この作品は5部作中4本が、キネマ旬報ベストテンに入る日本映画史の名作だ。中でも、第3部『代理戦争』は広島ヤクザが西日本2大組織のどちらにつくかで右往左往するズッコケ喜劇で、第2次大戦後の米ソ大国と小国の政治状況を象徴しており、ヤクザ映画の範疇(はんちゅう)を超える仕上がりになっていた。

だが第4部『頂上作戦』は、盃(さかずき)外交に組員の内部分裂、世代間の争いが加わり、複雑混乱した印象で不満だった。しかし第5部『完結篇』ができ、全作オールナイト上映を見て驚いた。続けてみると3部と4部が密接につながり、一本筋が通り面白さ倍増なのだ。

あとから、脚本家笠原和夫の『昭和の劇』(太田出版)で知るのだが、3部と4部は元々一本のお話で、映画が大ヒットしているため、東映から「2本に分けて作れ」と命じられたそうだ。

いつの間にか雨情と民謡に魅せられた私は、2012年にSPレコードを発見しCDに復刻、DVDを作って踊りも復活させた。来年秋には歌誕生90周年を迎える。『筑波小唄』のお囃子(はやし)は、サイコドン ハ トコヤンサノセ である。(脚本家)

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