《続・平熱日記》43 ブルーベリーを摘みながら考えた


【コラム・斉藤裕之】「うちのブルーベリー、食べようと思ったらムクドリにやられちゃって…」。庭に実のなる樹を植えている人にとって、ムクドリは実に可愛げのない鳥。でもなぜか、わが家のブルーベリーはその難を逃れ、毎年たわわに実をつけるのですが、かといって家族にもそれほど人気もなく、結局ジャムなどにして冷蔵庫で永眠。

しかし巷(ちまた)では、老眼に効果ありと評判のブルーベリー。老眼鏡がなければメールも読めない私ですが、何となくその効能を信じていないところに、先日、テレビでお医者さんが「医学的にはブルーベリーは老眼との因果関係はない」と断言しているのを聞いて、「だよね」と思った次第です。

例えば1日に必要な野菜の量。食べられますか? 籠(かご)1杯の野菜に「無理、無理!」。

よくあるサプリメント宣伝の一幕。本末転倒。誰も食べることが不可能な量が1日に必要な量なんておかしいでしょう。そもそも、そんなにたくさんの種類の野菜があることが不自然。前にも書いたことがありますが、エスキモーやモンゴルの遊牧民に野菜を摂(と)れといっても無理なこと。

先日ある有名な料理人の方が、新聞紙上で面白いコメントをされていました。夏休みは子供の食事の世話が大変、なんてこともよく耳にしますが、例えば子供のお弁当は「毎日同じもので十分です」と。毎日違うものを食べないといけない、毎日いろんなものを食べるべきだと思い込んでいる気がして。体にいいとか栄養がとか考え過ぎ。ましてキャラ弁が食べ物としてどうなのか疑問に思います。

身の回りにあるものをそれなりに食べる

さて先日東京さ行ったときのことです。老眼になって、いやそれ以前から本を読まなくなって久しいのですが、久方ぶりに本を買って帰りの常磐線に乗りました。

明治から今の時代の日本の食について書かれた本で、私の記憶や田舎の風景と重なることが多く、電車内のよい暇つぶしとなりました。結論から言えば、適当な不便さの中で身の回りにあるものをそれなりに食べていくというのが正解ではないかと。

これも最近よく聞く「腸内フローラ」。世界中の随分ハイカラなものが節操もなく食べられる環境にはなりましたが、日本人が昔から食べてきたものは、とてもよいお花畑を腸の中に作ってくれているそうですよ。

思うに、老後2000万円足らないというのは政府のいやらしい作戦。これを聞いた爺さん婆さん、父ちゃん母ちゃんが慌(あわ)てて稼ぎ始めたら、国もヤレヤレですもんね。

さて、今年も結構な量のブルーベリーが採れました。実は知り合いのお店でスイーツの材料として使ってくれるというので、持って行くと美味しいパスタランチに化けるのです。お国には申し分けありませんが、私はそうやって生きていこうと思います。(画家)

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