【コラム・沼尻正芳】つくばみらい市の不動院については前にも書いた。そのときに紹介した三重塔の絵は不動院に奉納し、本堂の絵は市に寄贈することになった。今、不動院の本尊である不動三尊像を描いている。これらを不動院の三部作にしたいと思う。

本尊は国指定の重要文化財で、秘仏。年に3回の開帳がある。そのとき、本堂では護摩(ごま)が焚(た)かれる。本尊は本堂外陣から拝観するが、距離があり細部がはっきりと見えない。昨年12月、住職にお願いして本尊を特別に拝観させていただいた。

住職は「須弥壇(しゅみだん)に上がって本尊を拝観した檀家は初めてです」と話した。厨子(ずし)を開くと、抜群のスタイルの不動明王と2体のあどけない顔をした童子像が現れた。約1メートルの不動明王は右手に剣、左手に綱を持っている。迷いや邪悪な心を剣で断ち切り、悪い心を綱でしばり善い心を起こさせるという。

目も牙もむき出す忿怒(ふんぬ)の形相(ぎょうそう)だが、不動明王は大日如来の化身で慈悲の心を持ち、心を鬼にして人々に働きかけ人々を護る。約60センチの両脇侍(きょうじ)は衿喝羅(こんがら)童子と制吒迦(せいたか)童子で、意思を持つ少年の容姿をしている。

ヒノキ材、寄せ木造りの像で藤原時代彫刻の傑作である。3体とも細身、穏雅で上品な面相。体躯は腰をキュッとひねり、メリハリがある。衣文(えもん)の彫りは浅く、洗練されている。もとは彩色されていたが、焼け出されて剥落(はくらく)し、地肌をあらわにしている。この像は「日本の彫刻」地方別(美術出版社)にも見開きで紹介され、「小像ながら優秀な彫像として著名である」と記されている。

不動明王の火焔をどう表現するか

本尊の絵は、20号と50号を同時に描き、20号で試作して50号はそれを生かしながら描くことにした。初めて本尊に対面したときの感動、不動三尊への思いが絵のテーマである。三尊の特徴や存在感、光背(こうはい)を持たない不動明王の火焔(かえん)をどう表現したらよいのか。三尊は前後に配置して明暗を強調して描くことにした。火焔は実際にたき火をして構想を練ったが、思うようにいかなかった。くすんだ色で彩色した三尊と鮮やかな色の火焔が主従逆転のようでしっくりしなかった。

参考になるものを探していたころ、京都東寺の「空海と仏教曼荼羅」展を上野で開催していた。ヒントを求めて、東京国立博物館に足を運んだ。真言密教の国宝仏が並ぶ傍らに五大尊の大きな掛け軸があり、不動明王の光背に火焔の渦巻きが描かれていた。その渦巻きはやや図案的に感じられたが、これを応用できると思った。

家に帰り、三尊の背景全体に十数個の火焔の渦巻きを描いてみた。配置した渦巻きが画面全体をまとめ、三尊を一体化してくれる効果があるように思った。これで三尊像を何とか絵にできるかもしれない。

制作は現在進行中である。制作はいつも試行錯誤で、感覚も思考も常に一進一退だ。絵の表現は永遠の未完成のようである。絵の表現には完成がないのだろう。パーフェクトな表現がないならば、頃合いのよいところで筆を置くしかない。絵を描きながら、筆を置くタイミングを三尊像に聞いている。(画家)

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