日曜日, 4月 20, 2025
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《くずかごの唄》12 野良猫の上手な利用法

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【コラム・奥井登美子】「頭の良い鼠(ネズミ)が出没します。庭に出る時、ドアはキチンと閉めてください」。我が家のサンルームのドアにポスターが張ってある。

いつの間にか、家の隣にあった倉庫が駐車場になってしまった。その時、倉庫にいたネズミがやってきたのだろうか、小さな隙間から入り込んで、台所はもとより仏壇の引き出しまでネズミにかき回されてしまった。

私はネズミ取りの道具一式買ってきて、家の方々に置いてみた。しかし、ネズミは取れない。次に、ネズミ取り紙を出没しそうなところに置いてみたが、ネズミの方がはるかに頭が良くて、どうしても根絶することが出来ない。

家の同じ敷地に、三味線を弾きながらお産を促すという名物婆さん「片柳産婆さん」が長い間住んでいた。東日本大震災の時、住居は完全に崩れ、「危険」という紙を張られてしまった。敷地は結構広い。街の中だから、駐車場にして貸すのが良いと勧められたが、いろいろ考えた末に、前からほしいと思っていた家庭菜園にしてしまった。

我が家は台所の生ゴミを捨てたことがない。庭の木の葉をビニール袋に入れて保存し、木の葉と生ゴミで堆肥を作っている。ある日、家庭菜園の堆肥場に黒い猫を見つけた。野良猫の子供らしい。「こんにちは」と丁寧に挨拶したのに、逃げて行ってしまった。この猫にクロという名をつけた。

そうだ、ネズミ取りをクロに頼んでみよう。しかし、野良猫を手なずけるのにどうしたらよいか、皆目検討がつかない。仕方がないので、煮干しを買ってきて生ゴミの上にわざとらしく置いてみた。

次の日、クロの姿はなかったが、煮干しは消えていた。一週間ほど経った時、菜園でクロと茶色の野良猫が仲良く遊んでいる。猫と私との間に友好ムードが出来つつある。うれしかった。あとは、この猫たちにどうやってネズミ取り教育をするかである。

私は中庭に思い切って残飯コーナーを作り、猫の好きそうな魚の骨などを置いて、様子を見ることにした。一週間経った。観察している時に限って猫は決して現れないが、残飯の中の魚は消えている。しめしめ、気がついてみたらネズミがいつの間にかいなくなっている。

3カ月かけて私が格闘したネズミ取りは、野良猫の知恵を借りることで解決することができた。動物の世界は、野良猫、野ネズミといえども、まだまだわからないことばかりである。(随筆家)

《土着通信部》11 花開くお江戸のボタニカルアート

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展示の説明をするつくば分館の専門員、岡本詩子さん

【コラム・相沢冬樹】モリトモやら自衛隊日報やら、公文書の扱いがクローズアップされているタイミングで、能天気にも国立公文書館つくば分館(つくば市上沢)まで花を見にいった。お目当ては「花さんぽ~古書にみる江戸の花」という春の企画展である。

なにせこういう機会でもないと、国立公文書館の存在に触れることがない。各官庁での保存期限が過ぎた公文書の移管先で、利用請求に応じ閲覧に供する機関(内閣府所管の独立行政法人)だが、一般向けの重要公文書はほぼ東京・北の丸公園の本館に置かれている。1998年開館のつくば分館はバックヤード的な位置づけの書庫になっており、なぜそこで江戸時代の園芸書が見られるのか興味を持った。

江戸幕府が紅葉山文庫や昌平坂学問所で所蔵していた古文書・古書類は、明治新政府に引き継がれた。国立公文書館が1971年に開館するまで、内閣文庫として所蔵されていたものだ。多くが漢文で書かれた文字資料だが、一部図録があり、植物、特にさまざまなスタイルで描かれた花の絵画が一群をなしていた。薬用植物を体系化した、いわゆる本草学のための植物図鑑だったり、御用絵師が市井の風俗を書き留めた資料だったりする。これらを再構成して見せるのが今回の企画展である。

まとめ役は同分館の専門員、岡本詩子さん。「江戸時代にもお花見は庶民の楽しみだった。ソメイヨシノではないけれど道灌山で花見をしている絵柄などがある」と四季折々の花の楽しみをとらえた歳時記の構成から展示を組み立てた。

江戸城本丸が焼失した天保15年(1844)の火災で失われた襖絵の下絵なども探し出してきた。狩野永悳の筆になる「柳営御白書院虎之間新御殿後休息伺下絵」、春夏秋冬に分けて描かれた絵のなかから、春の桜と秋の紅葉の部分を複写してパネル展示する。

本草学関係の資料は特に充実している。18世紀初頭までにまとめられた『庶物類纂(しょぶつるいさん)』(稲生若水・丹羽正伯編)は今でいう博物学の書誌だが、薬草について戸田祐之が描いた写生画集『庶物類纂図翼』が安永8年(1779)に刊行された。これが草花をデティールまで精密に描写したボタニカルアートそのもの。手描きで彩色しており、国の重要文化財になっている。

これらの図鑑を教養書として、江戸の園芸文化は幕末期に庶民生活のなかで花開く。なかでもアサガオは品種改良が盛んに行われ、黄色の花の図画も残っている。文化14年(1817)出版の「あさかほ叢(そう)」に見られるが、のちの再現をことごとく拒む「幻のアサガオ」となった。産学共同の研究グループが取り組み、キンギョソウ由来の遺伝子を機能させることによって、やっと黄色い花を咲かせることに成功したのは、2014年になってのことだった。(ブロガー)

▽「花さんぽ~古書にみる江戸の花」展は21日まで、入場無料。電話029(867)1910

《吾妻カガミ》29 フェイスブックの功と罪

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コラムニストとの昼食会であいさつする坂本栄理事長(中央)=筑波学院大学内カフェ・ド・グルマン

【コラム・坂本栄】米フェイスブック(FB)の社長、M・ザッカーバーグが米議会の公聴会でいじめられている。創業14年で超急成長、ITの世界的企業になり、その高収益へのねたみもあるのだろう。私も一ユーザーとして議論の行方に注目している。

FBについては、このコラム・シリーズで取り上げたことがある(昨年10月4日、初秋の桜?はしゃいで反省)。今、利用者は20億を超えているそうだが、元々ハーバード大学生仲間のネット情報交換ツールだった。「あす学食でパーティーをやる。関心あるやつは集まれ」といった具合に。

それが、日本の人口の16倍の人が使う地球規模ツールに大化けした。検索エンジンからスタートした「グーグル」、通信販売の注文をネット化した「アマゾン」と並ぶ、ネットビジネス・サクセスストーリーの御三家になった。

私がFBに関心を持ったのは、使い方にではなく、企業価値についてだった。ニューヨーク市場に株式を上場するとの記事を読み、「FBって何だ。株を買ったらもうかるかどうか、ツールを使ってみよう」と。インストール直後は利用をさぼっていたが、現在、お友だちは400人近くに拡がった。

個人情報露出の良と否

もうけ過ぎの問題は置くとして、公聴会でのFB批判は面白い。そのひとつは、FBに登録された個人データが電子的に引き抜かれ、選挙コンサルティング会社が米大統領選の票操作(トランプに有利にクリントンに不利に)に使ったという指摘。

その数8,700万人分というから、かなり深刻といえる。コンサルによる選挙操作はどの国でもなされてはいるが、大量の個人データ(趣向や経歴)を利用して候補者の印象(雇い主の候補は好印象に、対立候補は悪印象に)を操作できれば、有権者の投票行動に影響を与えられる。

FBに登録する際、必須ではないものの、複数の個人情報をアップする。その数が多いほど友だちの輪が広がる(友だちを探して来てくれる)という仕掛けだから、どうしても多めに開示したくなる。私の場合、本名、顔写真(もっとも10年以上前のものだが)、学歴、職歴、現職のほか、自己紹介まで出している。

FBのビジネスは、こういった情報の登録者に楽しんでもらい(仕事に利用してもらい)、利用者が関心を持ちそうな広告を画面に潜ませるモデル。個人データが規制されると、FBのビジネスモデルが成り立たない。ヘビーユーザーとしては困ったことになる。(経済ジャーナリスト)

《郷土史あれこれ》6 県南「土屋藩」と統治村の古文書

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亀城公園に隣接する土浦市立博物館

【コラム・栗原亮】近世の「村」の古文書はどのくらい残っているのだろうか。取手本陣を務めた染野家には3万点以上の古文書が残されているが、これは特殊な例である。土浦藩領ではほとんどが1万点以下であり、5千点を超える古文書がある村はほとんどない。

土浦市内では、烏山村酒井家3076点、白鳥村冨岡家2557点、小山崎村岩瀬家1661点、沖宿村浜田家933点などは、比較的まとまった一村史料である。水戸藩領の大山守を務めた玉造村(小美玉市)大場家には6千点以上あり、江戸中後期の民政を見るには最適の史料である。

土浦市域は、天正18年(1590)より結城秀康領、慶長6年(1601)より藤井松平領、元和4年(1618)より西尾領、慶安2年(1649)より朽木領、寛文9年(1659)より土屋領、天和2年(1682)より大河内松平領、貞享4年(1687)~明治4年(1871)は土屋領であった。土屋氏は約200年間統治し、在城期間は一番長かった。

土屋氏は土浦市域を中心に、つくば市(旧桜村、旧筑波町の一部)、かすみがうら市(旧出島村の一部)を支配していた。藩領は土浦城付領を東西南北の4つの郷組に分け、谷原領(旧藤代町、旧伊奈町、旧谷和原村の一部)、岩間領(旧岩間町の一部)もあった。

村は名主が統括し、代官の指示に従い、統治されていた。どの藩でも同じであるが、村には村の慣行があり、自治に任せ、余程の藩政転換がない限り、緩やかな統治が行われていた。

土屋氏は寛文年間(17世紀後半)に一部の村で検地をしただけで、大きな百姓一揆もなかった。譜代大名として統治が比較的よかったからだろう。これには、温暖な気候が関係しているだろう。2代藩主・政直が老中を30年以上務め、10代藩主・寅直は大坂城代を務めたが、他の藩主は若死にしたりして出世しなかった。統治がうまくいったのは藩官僚が優れていたからであろう。

土浦藩領の村の史料は、土屋氏以前の残存率が悪く、土屋氏以降が大部分を占める。5代将軍徳川綱吉の時代から紙の生産が増加し、文治統治が進み、古文書が多く残るようになったと考えられる。烏山村酒井家、白鳥村冨岡家、小山崎村岩瀬家、沖宿村浜田家などの古文書についても、同様のことが言えるだろう。

村の古文書で多く残っているのは、検地帳、年貢割付状、年貢皆済目録などである。宗門人別帳、御用留、村入用帳は残存率が低い。反故紙、再生紙などになり、余り残されなかった。現在残っている近世村の古文書は非常に貴重である。(郷土史家)

《地域包括ケア》9 在宅医療に消極的な医師会

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出典・厚労省

【コラム・室生勝】厚労省は2011年度から、在宅医療を提供する機関などを拠点に、多職種協働による在宅医療の支援体制を整える在宅医療介護連携拠点事業をスタートさせた。14年度には、地域医療介護総合確保基金を各都道府県に設置し、在宅医療に取り組む意欲がある診療所への財政支援制度を導入した。

さらに15年度から、各市町村が地域医師会と協力して、在宅医療介護連携推進事業が始まっている。しかし、地域住民にはこうした支援体制の広がりが実感できないようだ。

県南市町村の住民に尋ねたが、ケアマネジヤーと主治医との話し合いが少ないのか、在宅医療と介護が連携したサービスを得ることは難しいようだ。また、一般的な在宅医療も認知症の在宅医療も、個々の診療所間であまりにも差がありすぎるという話だ。

地区医師会は、厚労省が事業を実施している間は各診療所の在宅医療を支援してきたが、事業終了後、引き続き組織的に取り組んでいる医師会は少ない。

この4月に、6年に一度の診療報酬と介護報酬の同時改定があった。次回の同時改定は、団塊の世代(1947~1949年生まれ)が75歳以上になる2025年の1年前である。

今回の診療報酬改定は、在宅医療を主として実施する在宅療養支援診療所(設置基準が厳しいが報酬は高い)を届け出ていない一般診療所のみが算定できる診療報酬として、在宅時医学総合管理料に継続診療加算が新設された。ただし、ほかの医療機関と連携して24時間の往診・連絡体制が要件となっている。

在宅医療を実践する診療所に診療報酬というインセンティブを付与しないと、在宅医療を実践する診療所が増えないのが実情だ。

診療報酬以外の「住民からの期待」「やるべき価値がある」というインセンティブで、在宅医療を実践している医師はいる。介護保険制度創設以前に在宅医療に取り組んでいた医師たちは、「社会的使命」として複数の診療所同士が助け合いながら24時間・365日に対応していたのだ。

この診療報酬改定を契機に、在宅医療を実践する診療所が増えてくることを期待したい。さらに、地域包括ケアシステムでいう「多職種協働」によって継続的な在宅医療や介護、生活支援が提供されることが望ましい。

だが、現実には多くの医師が多職種の中に医師は含まれないと思っているため、他の医療職や介護・福祉職を「上から目線」で対応する傾向がある。この医師の意識が、連携を阻む要因になっている。

「地域包括ケアシステムの姿」は、真ん中の高齢者を、回りの医療、介護の多職種と生活支援・介護予防を担う老人クラブ・自治会・ボランティア・NPOなどが連携して支えていることを示している。(高齢者サロン主宰)

《好人余聞》6 「この街が、私に教えてくれた 」木塚久仁子さん

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土浦市立博物館学芸員、木塚久仁子さん

【コラム・オダギ秀】人生という旅の途中で出会った人たち、みんな素敵な人たちでした。その方々に伺った話を、覚え書きのようにつづりたいと思っています。

「手が、違いましたね」。大学で学んできたことと、学芸員として現場で仕事をすることに、違いはあるのですかと尋ねると、木塚さんは、いきなりこう言い放った。桜が満開になった日、亀城公園の隣りの土浦市立博物館で、開館以来30年、学芸員として仕事をしてきた木塚久仁子さんに会った。

「大学では、学芸員のための勉強を沢山してきたつもりでした。でも、卒業していきなり学芸員になってみると、何もわからなかった。大学で、教員免許や学芸員免許も取ったけど、現場で役に立つようなことは、教わっていなかった。それは苦労でした。現場で学んだ、ということですね」

大学では、知識や文献については教えてくれた。でも、資料との向き合い方は、ひとつひとつ、自分で覚えていくほかはなかったと言う。自分たちが扱っている資料というのは、物であって、言葉で教えてくれるワケではない。だから、触ったり、開いたり閉じたり、梱包したり、展示したりというのは、自分の手で覚えていくほかなかったのだそうだ。

「たとえば、掛け軸を開けましょう、畳みましょうとか。たとえば茶碗をしまいましょう、ということができなかった。それは、学芸員としては致命的なことなんです」。それでも、そんな木塚さんを救ってくれたのは、この街だったと言う。

「この街には、古いものを大切に保存してこられた方が沢山いたんです。私はそんな方々の前で、資料のちゃんとした扱いが出来なかった。そんな私をとがめるのではなく、こうしなけりゃいけないんだよと、黙って態度で教えてくれた」

「大学までは言葉で教育されてくるんだけど、学芸員になると、身体で覚えて身体で発信しなければならないんですね。そのようなことを、懐の深いこの街が私を学ばせてくれたんです。だから、私の買い物は、できるだけ、大好きなこの街になってしまいます。靴は○○、化粧品は××、と、私の生活は、昔からの、この街のお店なんですよ」

博物館2階の展示場で話を伺っていると、下の階段から、年配のみなさんが上がって来た。木塚さんと顔を合わせる。「うわぁ、久し振りぃ」。お互いに、嬉しそうな、はしゃいだ声が行き交った。市民の方々のようだ。歴史のなかの、膨大な長い時間の一瞬が、ここには生きていると思った。(写真家)

《宍塚の里山》12 食農などを学ぶ「田んぼの学校」

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【コラム・及川ひろみ】私たちの会が活動を始めた1989年、その頃はまだ宍塚の里山では田も畑も結構見られました。その後、急激に休耕地が増え、年を経るに従い、ツル草や篠竹に覆われた荒れ地が広がっていきました。

大池の堤防下の谷津も、田んぼ作りを止める農家が増え、休耕田に変わっていきました。田んぼは、里山の生態系を支える上でとても重要な環境です。会では、休耕になった田んぼを再び田んぼに戻したいと地元の方に相談。96年、休耕地を借りて耕作を始め、99年から本格的に活動を始めました。

会は、現在3種類の田んぼに関する活動を行い、池の下の谷津全体の約半分の土地で米作りをしています。今回は田んぼ活動の中の一つ、「田んぼの学校」の話です。

田んぼの学校は、稲作とそれに伴う伝統文化(食・行事など)を学ぶ食農教育、里山の自然や田んぼの環境を学ぶ環境教育で、稲作の作業と稲作に関わる行事を大人も子供も一緒に取り組む協働の楽しさを味わう活動です。

植える品種はまんげつもち(もち米)、しめ縄用稲(わらとして利用)、耕作のやり方は機械化される以前(60年代ごろまで)の方法を基本としています。苗代に種をまき、田植え、草取り、稲刈り、脱穀を手作業で行います。多様な生き物を育む環境づくりと省力化のため、不耕起、冬水田んぼの方法をとり、農薬、除草剤は使用しません。

参加費は資料代として年間1家族1000円です。教育を受ける機会・権利を均等にする考えで設定しています。

毎年25組ほどの親子を対象に、種まきから食べるまで、継続して稲に関わり、四季の里山環境に関わることで、稲作や自然環境について深く学びます。異年齢の子ども、大人、家族の学び・交流の場です。複数年参加する親子がスタッフメンバーに加わります。

親子で年間を通して活動したことから、その後、会を支える重要なメンバーになっていった事例も多々あります。最近、市民団体の高齢化が問題になっていますが、若いメンバーが増えることは会の活性化に欠かせません。田んぼの学校は「田んぼの学校」の活動を超えたものになっています。

4月8日は今年度の開校式でした。4月は開校式、現地見学、種まき。5月は草取り、あぜと溝の整備。6月は田んぼの観察会(農家が作る田んぼ、里山内の田んぼで学びます)、田植え、さなぶり(田植えが終わったことを祝う伝統行事、昼食交流会)。7月は生き物調査、草取り。8月はしめ縄用稲の刈取り、かかし作り、稲の花の観察。10月は稲刈り。11月は脱穀と唐箕(とうみ)で選別、収穫祭。12月はかかし送り、わら細工。1月はならせ餅(伝統行事正月の餅つき)、修了式―。

田んぼの学校は、他の田んぼの活動に参加する人たちの協力が欠かせません。会の活動はどれも連携して行っていますが、田んぼは特に水の管理など年間を通した連携活動が不可欠です。(宍塚の自然と歴史の会代表)

《映画探偵団》6 つくばと土浦 2つの中心市街区

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【コラム・冠木新市】つくばセンター地区のことを考えるようになってから、市報を熱心に読むようになった。「広報つくば4」(No.569)には、2018年度市政運営について、五十嵐立青市長の所信表明概要が載っている。

6つの所信の1番目は「まちづくり」で、「本年度のまちづくりの最重要課題は中心市街地の活性化です」「魅力向上・にぎわい創出などの都市再生を実現するため『中心市街地まちづくビジョン』の策定を進めています」と出ていた。

ビジョンは6月発表というから、公表まであと2カ月。団員たちと首を長くして待っている次第である。

「まちづくり」といえば、この10年間、様々なイベントを主催する中で、多くのまちづくり関係者と出会い、意見を交わした。そして、ある共通点に気付いた。自分が住んでいるまちづくりには熱意はあるが、他のまちづくりには無関心なのだ。いや、情報は知っていて的確な分析を下しているが、他人事なのである。

他者の活動は客観視できても、自分たちの活動を正確に分析することは難しい。私は、他のまちづくりの人と積極的に交流すれば、アイデアも人脈も豊かになり、自分たちの課題も解決できるのではと、何度も思ったものだ。

つくばセンター地区を考える時、土浦中心市街地区のことを常に思う。長く低迷を続けた土浦は、新市庁舎の整備をきっかけに、市立図書館とギャラリーの開館、駅ビルのサイクリング拠点化、さらに市民会館大改修へと続く。

人々の回遊はまだまだの様子だが、明るい空気が漂ってきた。ある学者が「経済は気分だ」と語っていたが、ハコモノの次はソフトに期待している次第である。

「忍びの者」の2頭領

そんな2つの中心市街地のことを考えていたら、小学生のころ見た山本薩夫監督の『忍びの者』(1962)を思い出した。百地三太夫と藤林長門守が支配する2つの砦の伊賀忍者が、織田信長を倒すためにしのぎを削る話である。

競い合うのは、百地砦の石川五右衛門(市川雷蔵)と藤林砦の木猿(西村晃)。百地は妻に冷淡で物静かな頭領。藤林は女好きで激情家の頭領。陰と陽、反対の性格である。2人の頭領は相手方に先を越されるなと、ハッパを掛ける。

そんな伊賀忍者に激怒した信長は2つの砦に奇襲をかけた。ラストで五右衛門は、藤林の死体を見て驚く。百地と藤林は同一人物だった。百地の声が画面に流れる。『同一人物が2つの砦を支配し、互いの部下を煽り立て、競い合わせて目的を遂げる。これこそが忍術の極意じゃ』と。

私が「つくばと土浦を競い合わせる人物がいたら、活性化のスピードが増すかも」と言うと、団員の1人は「2つの中心市街地を支配する頭領がいても、肝心の競い合う市民、忍者がいません」と答えが返ってきた。なるほど、頭領よりも活動する忍者が不足している。出でよ、つくばと土浦の中心市街地の忍者たち!サイコドン ハ トコヤンセ。(脚本家)

《続・平熱日記》11 おらが春

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明秀日立が快挙 県南勢どう立ち向かうか注目

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センバツ出場が濃厚になり喜びを爆発させる明秀学園日立の増田陸選手、芳賀大成選手ら=昨年の秋季関東大会準々決勝

【コラム・伊達康】第90回センバツ甲子園は大阪桐蔭が史上3校目となるセンバツ連覇を達成して閉幕した。茨城の明秀学園日立は、1回戦の瀬戸内戦で9回に劇的な逆転勝利を収めると、2回戦の高知戦では10対1と大勝。初出場ながら2勝を挙げる躍進を見せた。

3回戦では優勝した大阪桐蔭を相手に8回まで2安打に抑えられ三塁すら踏めない苦しい展開だったが9回にエース細川拓哉の左中間ホームランで1点を返し4点差とすると、二死満塁でこの日2安打と当たっている4番・芳賀大成までつないだ。結果は空振り三振で5対1と3回戦敗退となったものの、王者を相手に最後まで目が離せない粘りを見せてくれた。この大舞台での敗戦を機に夏にはさらにとてつもないチームに仕上げて来るに違いない。

「大阪出身」強調に違和感

明秀学園日立の試合がテレビで中継される際、チーム紹介や選手紹介で実況が頻繁に発したのが「大阪出身」という言葉だ。チームは監督の金沢成奉氏(大阪・桜宮―東北福祉大)をはじめ、関西圏出身の選手が多数を占める。ベンチ入りメンバー18人のうち、茨城出身選手はエース細川(北茨城市出身)と代打の切り札である佐伯尚吾(桜川市出身)の2人だけで後の16人は関西圏を筆頭に福島、宮城、東京など県外出身だ。確かに特徴のあるメンバー構成ではあるのだが、果たして「大阪出身」や「県外出身」と繰り返し紹介する必要があっただろうか。

1980年夏、江戸川学園取手が東京、千葉、愛知、静岡のリトルシニアやポニーリーグの有名選手を片っ端から100人スカウトして部員120人の大所帯を築き、そこから選び抜かれたベンチ入りメンバー17人のうち16人が県外出身者という構成で、学校創設からわずか3年目で甲子園出場を果たした。当時のいはらき新聞(現在の茨城新聞)『白球の詩』のコーナーに「”外人部隊”で構成される江戸川学園はその在り方をめぐって本県高校野球界に一石を投じている」という記述があった。当時はまだメンバーを県外出身者で固めることが珍しく、県外出身者が茨城の看板を背負って甲子園に出場することに高校野球関係者のみならずファンからも反発や疑問が噴出したようだ。

しかし、それから38年が経過した今日、私立高校で県外出身者がスタメンに名を連ねること自体は取り立てて珍しいことではない。現に県内において、昨秋の茨城準決勝で対戦した常総学院はスタメン9人中3人が県外出身者であるし、決勝で戦った霞ケ浦に至ってはスタメン9人中7人が県外出身者だ。さらに土浦日大は東京や千葉から、つくば秀英は栃木や東京から、鹿島学園に至っては神奈川や台湾から選手を集めている。関西出身であっても隣県であっても県外であることには変わりない。

金沢監督が大阪出身ということもあり、関西圏の中学年代にスカウティングネットワークがあるからこそ関西圏から選手を集めているのであって、東京や神奈川、千葉などの関東圏から選手を集めていている私学とはエリアを異にしているだけではないか。取り立てて大阪(関西)を強調する必要はない。むしろ、過去に甲子園出場の実績がない明秀学園日立に、まだ15歳の少年が「一旗上げてやろう」とはるばる大阪(関西)からやって来ているのだからその決意たるや一通りではない。親としても、練習試合や公式戦を観戦することができない地に相当な覚悟を持って我が子を送り出したはずだ。

小中学生球児に衝撃

茨城県勢として常総学院を除いた春と夏の甲子園での勝利は、2005年夏の藤代(対福岡・柳川)の勝利以来、実に13年ぶりのことであった。初出場にして初勝利、さらに2勝の快挙を成し遂げた明秀学園日立の甲子園での躍動ぶりは、今の小学生や中学生の球児に衝撃を与えたに違いない。今後はより多くの中学生から希望進路として名前を挙げられるようになるだろう。東海大相模や浦和学院や明徳義塾のように、全国的に知名度の高い強豪校となった時、「大阪出身」「県外出身」という線引きがちっぽけなものとしてあえて紹介されなくなるのかもしれない。その次元にまで明秀学園日立は躍進できるのだろうか。常総学院をはじめ県南の有力校がそのプロセスに対してどう立ち向かうのか注目だ。茨城の高校野球はますます面白い。

《邑から日本を見る》13 東海第2原発再稼働阻止へ前進

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飯野農夫也の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】3月30日の新聞各紙は、29日に東海村と周辺5市とで構成する原子力所在地域首長懇談会が、東海第2原発の再稼働を巡り、日本原子力発電(原電)と新たな協定を結び、事前同意権を5市にも認めることを伝えた。このニュースは、本県の住民だけでなく、原発が立地する周辺市町村の住民にも大きな影響を与えることになろう。

朝日新聞は早速「天声人語」と社説で取り上げ、「『茨城方式』を全国に広げたい」と訴えた。原発が多く立地する福井県の隣の京都新聞は「国も、原発の『地元』の定義を見直すべきだ」と書いている。茨城新聞も社説で「万一、重大事故が起きた場合の第一の被害者は地域の住民である。原電や自治体の対応ばかりでなく、安全協定が地元の意思を反映できる存在となるのか、住民の姿勢も鍵を握る」と、住民の動きが大事だと訴えている。

思い返せば5年半前、東京電力福島第1原発事故の影響が広範囲に及んだため、東海村の村上達也村長(当時)が周辺自治体の首長に呼び掛けて首長懇談会を作り、原発再稼働の事前同意権が東海村にしかなかったものを、水戸市、ひたちなか市、那珂市、日立市、常陸太田市にも拡大するよう原電に要求した。昨年11月になって、原電はやっと「実質的な事前了解の権限を水戸市などにも認める」と回答した。その後、新協定の文言を巡って首長懇談会と原電との間で交渉が続けられ、29日の調印にこぎつけた。

東海第2原発は今年11月に運転期限の40年を迎える。国の規定では原子力規制委員会が認めれば20年の運転延長が可能だが、東海村以外の了解を取り付けないと再稼働は困難と原電が判断したことが背景にある。

考えてみよう。原発がひとたび事故を起こせば、人為的な市町村境と関係なく周辺の住民に大きな影響を与えることは、福島の事故ではっきりした。放射能は箱根の山近くまで飛び散ったのだ。チェルノブイリ原発事故では被害は国境を越えた。今回は福島の事故の例から30㎞圏内という目安になったが、「東京の住民はどうするの」と思ってしまう。

住民の姿勢はどうなのか。常陸太田市や水戸市、那珂市では、3月議会に「東海第2原発再稼働に反対する請願書」や陳情書が出された。那珂市では十分な審査が行われず継続審査になったが、常陸太田市と水戸市では可決されている。今後ひたちなか市などでも同様の請願が出されるようだ。那珂市は、住民の意向調査で6割が反対していることを受けて、海野市長が本会議で「再稼働反対」と表明している。

折しもこの14日、水戸市で小泉純一郎元総理の講演会が開かれる。小泉さんは原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟顧問として今や反原発の旗頭となっている。当日の予約席は満席だとか。それだけ関心が高いことを示している。昨年の茨城県知事選挙でも、再稼働反対を表明した橋本・鶴田票が、態度をあいまいにした大井川票を上回った。

「たかが電気を起こすのに危険極まりない原子力は要らない」という素朴な声を県民の多くが上げ続けることが、東海第2原発を止めることにつながる。(元瓜連町長)

《食う寝る宇宙》11 中国の宇宙ステーションが落下

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【コラム・玉置晋】母の実家の墓参りのために常磐高速道を茨城から北上し、現在、仙台空港近くのパーキングエリアで休憩中。花粉症のため、ティッシュボックス片手に本コラムのネタをどうするかを考えていると、飛行機が飛び立っていく。

今回の旅行は母との2人旅。助手席でお茶を飲む母は「あれは何だ、これは何だ」と好奇心旺盛に聞いてくる。飛行機を見ながら、「飛行機って風にのって飛んでいくじゃない。でも宇宙で飛行機って飛べるのかしら。そもそも宇宙に風ってあるのかしら」と難問を突き付ける。

後期高齢者と言われるのを嘆く元高校教員、恐るべし。今回のコラムのネタいただきました。

飛行機が飛ぶ原理を説明するのは容易ではないので、それをネット環境にない車内で母に説明してみようとは思わない。流体力学のベルヌーイの法則から揚力の説明を行うのが王道なのだろう。宇宙船の飛行原理と飛行機の違いについても、質量保存の法則の説明を行う必要がある。花粉症で思考停止寸前の僕には無理なので、賢明な読者の皆様は身近な賢者か、グーグル先生に聞いてみてください。

とりあえず母には「残念ながら宇宙では飛行機は飛べない。でも風はある」と答えました。もちろん、憂鬱な花粉を私の鼻に運んでくる春の風の様な、体感できる風圧を宇宙で感じることはないでしょう。宇宙は真空と表現することもありますが、厳密には嘘です。

地球の大気は高度が上がるにつれて減ります。ゆえに、エベレスト登山家は酸素ボンベを携行しないと危険です。国際宇宙ステーションが飛行する高度400kmでも、わずかながら大気があります。10のマイナス11乗気圧!地上の1000億分の1の気圧です。

でも、わずかな大気が面倒なことを引き起こします。チリも積もれば山となる。そこに大気の分子や原子が1個でもある限り、宇宙ステーションや人工衛星などの宇宙機に衝突すれば、抵抗となります。そして宇宙機の速度が落ち、すなわち遠心力が失われ、「地球の重力の井戸」に落ちていきます。

生きている宇宙機は、落ちないように定期的に制御を行います。具体的には、推進剤やイオンを吹き出して加速し、高度を上げてやります。

本コラムを書いているのは2018年3月30日です。上記に関連したある厄介事が宇宙で進行中です。中国の宇宙ステーション「天宮1号」が制御不能になっています。その高度は徐々に低下し、高度200kmを周回していますが、間もなく大気圏に落ちます。大部分は大気摩擦で燃えますが、一部が地上に落下するといわれています。

どこに落ちるかは、直前までわかりません。本コラムが掲載されるころには落ちているはずです。「特に被害もなく、よかったね」となっていることを祈ります。(宇宙天気防災研究者)

《続・気軽にSOS》11 雷様はヘソをとるのか?

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【コラム・浅井和幸】かなり前ですが、雷に打たれて亡くなった方がいるという記事を読んだことがあります。人の頭に落ちた雷がヘソを通って別のところに移っていったためか、ヘソが焼け焦げていたそうです。本当にヘソをとられたみたいなエピソードですね。

私には雷様がいるかどうか分かるほどの認識能力、知識はないのですが、雷が大気中の放電現象だということは理解しています。バリバリという怖い音も、空気が一気に熱せられ膨脹する音らしいですね。

雷から身を守るには、建物や車の中に避難すると良いらしいですね。そのようなものがない場合は、電柱や大木に近過ぎない場所が安全らしいです。高いものが何もないところでは、その場でかがんだ方がよいですね。そういえば、かがむ行為はヘソを隠しているように見えます。

もう一つ。夏の暑い時期、または春でも暖かくなってくると、上昇気流によって雷雲が発生。夕立が強く降り、一気に気温が下がります。暖かいので腹を出して昼寝をしていると、気温が下がってお腹をこわす。そうならないためには、お腹を出さない方がよいでしょう。これもヘソを隠す行為ですね。

どうでしょうか。面倒な話をだらだらと書いてみました。飽きましたか?ここまで約500文字。これを「かみなりさまからへそをかくせ」だったら、14文字で済みます。どちらが効率的か?どちらがあなたの好みですか?

もう一つのエピソード。鏡は左右が逆であるか否か。

投稿されたメールがラジオから流れてきました。自動車免許を取ったばかりのときに、サイドミラーのことで混乱していた時期があります。鏡は左右が逆に映るはずですよね。だったら、右のミラーに映っている風景は左にあるもので、左のミラーに映っているものは右にあるもののはず。

でも、右のミラーに映っているのは右に、左のミラーに映っているものは左にあるものです。今でも、どうして左右逆じゃないのか分かりませんが、今では慣れたので問題なく運転しています。このことは、誰に聞いても、笑って「そういうものだ」という答えしか返ってきませんでした。

それを読んでいたパーソナリティーも笑いをこぼすだけで、「今は問題なく運転できてよかったですね」としか答えられませんでした。

さて、あなたは、鏡は左右が逆に映ると思っていますか?答は否です。鏡は前後が逆に映っているのです。鏡の手前で遠いものは鏡の奥の遠くに映ります。100m後ろの電信柱は鏡には100m前に映っています。

この2つのエピソードから、あなた自身が自分の生活に落とし込んで困りごとに対処してみてください。自分は悪くないのに上手くいかないとか、悪循環に陥っているなとか感じたときは、先人の教えを生かしてみたり、目の前に起こっている事実を理解し直してみたりするとよいでしょう。(精神保健福祉士)

《光の図書館だより》5 ふたつのチャレンジ

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土浦市立図書館

【コラム・入沢弘子】桜が咲き始めた3月25日、新土浦市立図書館は開館102日目に20万人目の来館者をお迎えしました。毎日多くの方にお越しいただき、本当に嬉しい限りです。当館は、本来の図書館としての機能を果たすことに加え、駅前活性化に貢献する交流拠点としての役割も担っています。このため、新しい取り組みをスタートさせているのですが、特に好評なのは2つです。

1つ目は、託児サービスです。育児中の方に、ゆっくり本と過ごしてほしいという願いから始めました。現在は週1回、毎週火曜日の午前10時から4時間、10カ月から3歳までのお子さんを専門の保育士がお預かりしています。

利用された方からは「出産以来、久しぶりに雑誌を読みました」「カフェコーナーでコーヒーを味わいリフレッシュできました」「離乳食の本を探せてよかった」などと人気があり、1週間前からの予約はすぐに埋まってしまいます。

2つ目は、飲食エリアの設置です。読書や勉強の合間にリフレッシュ&リラックスして快適に滞在してほしいとの思いで、各階にエリアを設けました。2階の「ヨムカフェラウンジ」と3階の「空中ラウンジ」は、設置してある販売機の飲み物と持ち込みの(蓋つきの)飲み物、4階のロフトは飲み物のほか食べ物もOKです。

平日の昼間は、手作り弁当持参のご高齢の方や赤ちゃん連れのお母さんたち、夕方はパンやお弁当を食べる高校生の姿が見られます。ロフトでBGMとしている貸出用CDの音楽も「リラックス効果が高い」との評価をいただいています。

また、3月29日には、隣接するJR土浦駅ビルに日本最大級の体験型サイクリング施設が完成し、図書館にもスポーツウエア姿の方が多数来館されるようになりました。変わり続ける土浦駅前に高揚感を感じています。

私事ながら、このたび半年間コースの通信制大学の単位を取得し、図書館司書になりました。これからはこの資格を活かし、よりよい図書館運営を目指していきたいと思います。(土浦市立図書館館長)

《くずかごの唄》11 焼けただれた銀座の風景

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【コラム・奥井登美子】「あなたにどうしても見せたいものがある。私と一緒に銀座に行こう」。敗戦後、半年。12歳の私はまだ疎開先の長野県にいた。急に背が伸びた私は着ていくものがない。父は、友達から預かっていた荷物の中から毛皮のコートを取り出して着せてくれた。空襲の後、連絡のつかない友達のコートを拝借したのである。

京橋に生まれ育った父は銀座の街が大好きで、父の会社は銀座西8丁目にあった。幸い焼失をまぬがれたが、銀座の町全体が無残に焼けただれ、爆風で割れた建物の窓にガラスの代わりに新聞紙が貼り付けてある。有楽町駅の近くから、交詢社(こうじゅんしゃ)ビルだけがひとつポツンと残っていて新橋駅が見えた。

「焼けた銀座、よく見ておきなさい」。有楽町駅。ホームから下に降りると、床がなぜか異様にヌルヌルしていて、何回も滑りそうになってしまった。お借りした毛皮のコートを汚してはならないと、滑らないようにするのが一苦労だった。

「駅に避難して、ぎゅうぎゅう詰めで蒸し焼きになり、亡くなった人の脂がまだ床に残っているのです」。父の説明で、床のヌルヌルが焼死した人の脂だということがわかった。戦災から1年近くたっているのに、人の脂と血液がコンクリートの隙間で異常醗酵したらしい。あたり一面、鼻をつくような何ともいえない臭いがただよっていた。

私は焼けただれた町の惨状と、駅のコンクリート床にしみこんだ人間の臭いの強烈さに圧倒され、言う言葉を失ってしまっていた。

東京で一番おしゃれな小学校の建物といわれていた泰明小学校は、当時銀座に住んでいる人たちの指定避難所になっていたので、何百人もの人が折り重なって蒸し焼きになってしまった。

12歳の少女の時に嗅いだ臭いの強烈さは、その後何年たっても私の中からとれず、東京に帰ってからも、しばらくは有楽町駅近くに行くのが怖かった。泰明小は最近、ブランドものの高価な制服で話題になった学校である。あの時の無残な建物と強烈な臭いを思いだすと、今、おしゃれな制服を着るくらいのぜいたくは許されてもいいのではないかと思う。(随筆家)

《土着通信部》10 群れなすニホンミツバチ愛好家

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蜂球をつくるミツバチの群れ(つくば養蜂研究会・高野進さん提供)

【コラム・相沢冬樹】春になれば──、女王は働き者の侍女たちと共に住み慣れた巣を飛び立つ。「分封(ぶんぽう)」という。巣には新しい女王蜂が育っており、雄蜂との婚姻飛行を待っている。働き蜂はすべてがメスで、もっぱら繁殖期に生まれてくる雄蜂は、生殺与奪の権をメスたちに握られている。

昨年秋、ニホンミツバチの特異な習性とそれを飼う愛好家の話を聞いてから、僕は春の分封(分蜂とも書く)を見たいと思った。庭木の枝などに、女王蜂を中心に数千のハチが群がって蜂球(ほうきゅう)を作り、モーター音のようなうなりをあげる。ことさらに刺激しなければ人を襲うことはないそうだ。

数十年前のかすかな記憶があるものの、以来まるで目にしない。ニホンミツバチは近年、個体数を減らしていると聞くが、趣味の養蜂のネットワークは逆に広がっている。昨年秋筑波大学会館で初開催の「ミツバチサミット2017」には、養蜂業者をしのぐ愛好家が全国から集まった。

蜂蜜でいえば、ニホンミツバチによる生産量はセイヨウミツバチの1%にも満たない。果実の受粉にも活躍する後者に比べ、前者の飼養は困難を極める。分封を狙って、一群を捕獲できても、巣箱が気にいらなければメスたちは一晩で逃亡してしまう。つれない野生の手ごわさが、愛好者心理をそそり、情報交換の機会に多くが群がるのである。

地元にはつくば養蜂研究会という愛好家グループがある。2002年に結成され、年6回ほどの例会を開いている。出入りはあるが20人前後の会員数、近県からの参加者もあり、年齢的には定年前後からのリタイア組が中心、女性の姿も見られる。

話を聞くと、ミツバチをめぐる環境は近年悪化の一途をたどっている。セイヨウミツバチがニホンミツバチを駆逐したというのは誤解だが、天敵のスズメバチがミツバチの生息環境を奪っているのはたしかだ。伝染病を引き起こすダニ類の発生などが問題になる一方、花のある蜜源の減少により、蜂場をめぐるトラブルも増加している。

このため、養蜂振興法が改正され、2013年から養蜂業者だけではなく、趣味でミツバチを飼育するものにも届け出が義務化された。茨城県南でいえば、県南農林事務所の農業振興課が窓口で、同所の家畜保健衛生所による原則年1回の検査を受けなければならなくなった。

県南14市町村を所管する同課の集計では、2017年時点で約50件、900群のミツバチが飼われていたということだが、セイヨウ・ニホンは区別されない。群数ではセイヨウミツバチを飼うつくば市の蜂蜜採集業者が大半を占めて、他は数群の届け出にとどまるから、ほとんどが趣味のニホンミツバチ愛好家とみられている。

産業化は難しく、隣近所の理解を得るのも大変そうだが、在宅シニアにはなかなかに奥深く、優雅な趣味に映る。そういえば映画のシャーロック・ホームズは晩年、養蜂家となって「最後の事件」を解決したのだった。(ブロガー)

《吾妻カガミ》28 NEWSつくば 第2ステージに

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コラムニストとの昼食会であいさつする坂本栄理事長(中央)=筑波学院大学内カフェ・ド・グルマン

【コラム・坂本栄】「NEWSつくばからのお知らせ」にも掲載されていますように、3月下旬、本サイト・コラムニストの昼食会を開きました。それぞれの分野でご活躍の方ばかりですので、そうお集まりいただけないかと心配していました。結果、15人(コラムニストは私を含め18人)に出席いただき、盛会となりました。

コラムは「NEWSつくば」が発信するコンテンツ・メニューの一つです。以前にも触れましたが、本サイトは①スタッフ・ライターが取材執筆する一般記事②筑波学院生の活動を紹介する記事やインタビュー③地域の識者が執筆するコラム―などで構成されております。

コラム欄は新聞で言えば寄稿欄に当たります。地域の識者が集う「サロン」のようなものでしょうか。硬軟いろいろなコメントやリポートが地域に何らかの刺激を与え、議論の触媒になればと思っています。

フィールド別の執筆者は、公的な仕事の現役・OBの方(先崎さん、高橋さん、入沢さん)、環境問題に取り組んでいる方(及川さん、奥井さん、霞ケ浦市民協会の皆さん)、アーティストの方(斉藤さん、オダギさん、冠木さん)、医療・福祉分野の方(浅井さん、室生さん)、専門的な仕事に携わる方(玉置さん、堀越さん、中尾さん)、郷土史・文化の研究者(相沢さん、栗原さん)、現役の経営者(塚本さん)―です。

地域通信社の役割も

筑波学院大内のレストランで開かれた懇談会では、「NEWSつくば」の現状と新たな展開(第2ステージ)についてご説明しました。以下、そのポイントです。

新聞の読者数に当たるサイト閲覧(アクセス)数は、スタート時(昨年10月)を10とすれば、3カ月後の12月に30に増え、5カ月後の2月には50に達しました。地域の方々に認知されつつあると言えるのではないでしょうか。

本サイトは大口・小口(企業・個人)の寄付によって運営されるサイトですが、アクセス増を踏まえ、今春からバナー広告の掲載にも応じることにしました。比較的シンプルだった画面の構成が少しにぎやかになると思います。編集体制強化のためと、ご理解いただければ幸いです。

編集のプロから成るNPOメディアとして、地域の他メディアとの連携も進めます。「お知らせ」コーナに告知してありますように、動画サイト「Vチャンネル茨城」、フリーペーパー「常陽小学生新聞」と、スタッフ・ライターの派遣、掲載記事の提供などについて合意しました。今後も地域メディアとの協力関係を拡げ、「地域通信社」の役割も担えればと思っています。(NEWSつくば理事長)

《続・平熱日記》10 女化分校のこと

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【コラム・斉藤裕之】20年近く前。当時作家として参加をしていた美術展の会場にと訪れたのが最初。通称、女化(おなばけ)分校。木立に囲まれた敷地には平屋のかわいらしい木造校舎。私はその佇まいに一発でやられてしまいました。それから10年ほどこの分校で毎年展示をしました。ですが放っておけば朽ち果てる運命にあるこの校舎。私は作家仲間に声をかけ、この分校をアートを手段にした交流の場とするべく「女化再校」という活動を立ち上げました。

さて手始めに地域住民、市の担当者、作家仲間で再校に向けての話し合いの場を持つことにしたのですがこれが大変。趣旨に賛同する人もいる中、「こんなものはとっとと壊して新しい施設でも作るっぺよ」こんな意見が住民から飛び出すほど。なにしろアートってヤツは怪しい。アーティストなるものはなお怪しい。おまけに我々はよそ者。完全アウェー。

この分校、ちょいと複雑な生い立ちがありまして。そもそもこの辺りは明治の頃、入植、開墾によって開かれた土地。そしてその人々自らの資金と労力でこの校舎は今から80年ほど前に建てられたそうです。今の50歳くらいまでの方はこの校舎に通ったそうですが、その後役目を終え「女化青年研修所」として使われるともなく市の施設として今日に至っていました。つまり市の施設でありながら住民はわしらの分校というダブルバインド。しかしくじけることなく続けた話し合いの結果、再校活動はスタート。その後私は美術展など度ある毎にこの活動を市民や作家に告知し、参加を呼び掛けましたが反応は冷ややか。それでも転機は訪れます。

2008年、茨城で開かれた国民文化祭。我々はこの分校を舞台に、開発等で伐られた樹木を使って巨大な薪(まき)のインスタレーション作品を作ることにしたのです。多くの来場者のために耐震工事やトイレや屋根の補修もされました。出来上がった作品は大変な好評を得てテレビや新聞の取材も受けました。間もなく「女化アートフィールド」として再出発を果たした分校。私はコーディネーターとしてそのかじ取りを任されました。その後取手のアートプロジェクトや守谷のアーカススタジオからもタッグを組みたいとの要請があり、県南アートトライアングル構想も現実のものになりつつあった矢先、突然市は方針を転換。詳細は明らかではありませんが、従来通りの無難な美術講座や季節のイベント会場としてこの分校を使いたいとのことでした。

そんなことが思い出されたのは、先日、目に飛び込んできた新聞の見出し。「牛久、女化分校 国の有形文化財へ!」活動に参加していた仲間はこの知らせを聞いてどう思っているのかな。私的には昔別れたひとが結婚したと風のうわさで聞いた感じ。女が化けて文化財かな。とにかくあの時の直観と活動が今に繋がっていることは確か。とりあえずお幸せに。(画家)

《邑から日本を見る》12 無法国家ニッポン

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飯野農夫也の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】「後期高齢者」(嫌いな言葉だが)に仲間入りしたので、梅や桜にウグイス、フキノトウをたらふく食べた、など花鳥風月のことを書きたいと思っているが、世情が騒がしく、生臭いことを書かなければならない。

子供の頃「嘘つきは泥棒の始まり」と親に言われた。学校でも先生からその言葉を聞かされて育った。「嘘ついたら針千本のます」と指切りをしたこともあった。「嘘も方便」という言葉は大人になってから覚えた。

明日27日、やっと国会で佐川宣寿前財務省理財局長の証人喚問が行われるようだが、それで真相が明らかになるとは思えない。佐川さんが国会の先生方の質問をどう切り抜けるのかが楽しみだ。大人の世界だからと言って「嘘も方便」では済まされない大きな問題だ。

今月2日の「朝日新聞」の報道に始まって、森友問題が復活、急浮上した。その経緯はここでは書かないが、廃棄したはずの文書が出てきた。書き換え(改ざん)もしていた。安倍首相に都合の悪いことはすべて削除。多くの識者、元官僚の人が話したり書いたりしているが、公務を少ししか経験したことがない私ですら、公文書を書き換えるということがよくできたなと思う。しかも昨年の国会で「棄てた。ない」と言っていた決裁文書、土地交渉の記録などがいっぱい出てきたのだ。

決裁文書などの書き換えをしたと思われる近畿財務局の担当者が自殺しているが、普通なら棄ててしまうはずの改ざん前の文書を棄てないで残していたことは驚きだ。保身など何らかの意図があったのだと思う。

この問題は現在進行形なので、今後どう展開していくのか現時点で予測はできない。いつ、誰が、何の目的で書き換えをしたのかを国民の大多数は知りたいと考えている。財務省だけでなく首相官邸がどこまで真相を明らかにするのか、しないのか。国の根幹に関わることだ。政府与党寄りと見られている産経新聞ですら「国民への重大な裏切りだ。『信なくば立たず』忘れるな」と書いている(3月13日付「主張」)。

安倍首相は「行政全体の信頼を揺るがせ、行政府の長として責任を痛感している。信頼回復に向けて全力を挙げて取り組む。真摯に説明責任を果たしていく」と言っている。それならば、昭恵夫人が国会に出てきてはっきり説明すればいいのだ。今回の問題の根っこは彼女にあるのだから。首相が無理に隠そうとしているから、裏に何かあると疑われている。

そうすれば、なぜ財務省が都合の悪い部分を大幅に削除するなどの書き換えをしなければならなかったのか、誰がそれを指示したのか、なぜこの国有地を売却したのかなどがわかってくるだろう。

隣の国では、大統領がお友達に便宜を図ったためにその職を失い、裁判にかけられている。この国でも同じようなことが行われているのに、おとがめなし。責任も取らない。これでは無法地帯ならぬ無法国家ではないか。今、戦後ニッポンで前代未聞の事態が進行している。(元瓜連町長)

《食う寝る宇宙》10 宇宙天気防災 オバマ大統領の功績

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【コラム・玉置晋】3月も終盤、年度末は毎年毎年、報告書の作成などで大忙しです。もちろん、年度当初にしっかり計画し、年間を通し管理し、実行しておれば、もっとスマートに事は運ぶのですが。残念ながら、そう上手くはいかず、「ウウ、来年こそは」と毎年反省するわけです。余計な仕事を増やしているアナタ(そして僕)、いい加減、働き方改革しましょう。

さて、年度末につき、人事異動の季節であります。僕の奥さんは助産師をしているのですが、長年お世話になっている助産師の師匠が今の職場を退職されることになり、退職祝いを兼ねた女子会に僕も参加させてもらっています。時間は22時を過ぎ、2次会のファミレスに移動し、隣で女子の皆さまはお話に盛り上がっています。恐縮ですが、僕はそろそろ本コラムの原稿を書かねばなりません。

今回のテーマは、オバマさんが米大統領であった時代の話です。2012年7月、地球からみて太陽の裏側で大きな爆発がありました。この時、磁場を伴った巨大なガスの塊が宇宙空間に放出されました。あと2週間早ければ地球方向に放出されていたはずです。

米コロラド大学の先生たちの論文「2012年7月の太陽放出現象を極端宇宙イベントと定義」[1]によると、「もしガスの塊が地球方向に放出されていたならば、19時間で地球周辺に到達し、1852年に発生した観測史上最大の宇宙天気イベント「キャリントンイベント」を上回る磁気嵐が発生した可能性があった。我々は、この様な極端宇宙天気現象が電力網の様な技術システムへ与える影響について、早急に議論すべきである」とあります。

この現象、日本ではニュースで取り上げられませんでしたので、あまり知られていません。一方、米国は着々と宇宙天気防災の準備を進めました。2015年には、米科学アカデミーが「米国宇宙天気戦略」[2]、「米国宇宙天気アクションプラン」[3]を公開し、16年にはオバマ大統領令「宇宙天気イベントに対する国家的な備え」[4]が出されました。大統領は替わりましたが、この大統領令に従い、計画は実行に移されているようです。

ここ数年、日本の研究サイドも、宇宙天気を災害としてとらえ、そのメカニズムを解明しようという動きが活発になってきています。今後は、いかに減災するか、いかに復興するかという議論が進められていくと思います。期待してウォッチし、僕もできる限り貢献できるようがんばります。

日本の国会では、あまり生産的ではない話で盛り上がっていますね。働き方改革の恩恵はまだ先なのかな。国会の先生方、国民は働き方をシビアに見ていますよ!(宇宙天気防災研究者)

参考文献

[1] D,N,Baker.; X,Li.; A,Pulkkinen.; C,M,Ngwira.; M,L,Mays.; A,B,Galvin. A major solar eruptive event in July 2012: Defining extreme space weather scenarios. SPACE WEATHER. 2013, vol.11, p.585-591. doi:10.1002/swe.20097.

[2] National Science and Technology Council. “National Space Weather Strategy”. https://obamawhitehouse.archives.gov/sites/default/files/microsites/ostp/final_nationalspaceweatherstrategy_20151028.pdf

[3] National Science and Technology Council. “Space Weather Action Plan”. https://obamawhitehouse.archives.gov/sites/default/files/microsites/ostp/final_nationalspaceweatheractionplan_20151028.pdf

[4] US White House. “Executive Order — Coordinating Efforts to Prepare the Nation for Space Weather Events”. https://obamawhitehouse.archives.gov/the-press-office/2016/10/13/executive-order-coordinating-efforts-prepare-nation-space-weather-events