【コラム・オダギ秀】人生という旅の途中で出会った人たち、みんな素敵な人たちでした。その方々に伺った話を、覚え書きのようにつづりたいと思っています。

「手が、違いましたね」。大学で学んできたことと、学芸員として現場で仕事をすることに、違いはあるのですかと尋ねると、木塚さんは、いきなりこう言い放った。桜が満開になった日、亀城公園の隣りの土浦市立博物館で、開館以来30年、学芸員として仕事をしてきた木塚久仁子さんに会った。

「大学では、学芸員のための勉強を沢山してきたつもりでした。でも、卒業していきなり学芸員になってみると、何もわからなかった。大学で、教員免許や学芸員免許も取ったけど、現場で役に立つようなことは、教わっていなかった。それは苦労でした。現場で学んだ、ということですね」

大学では、知識や文献については教えてくれた。でも、資料との向き合い方は、ひとつひとつ、自分で覚えていくほかはなかったと言う。自分たちが扱っている資料というのは、物であって、言葉で教えてくれるワケではない。だから、触ったり、開いたり閉じたり、梱包したり、展示したりというのは、自分の手で覚えていくほかなかったのだそうだ。

「たとえば、掛け軸を開けましょう、畳みましょうとか。たとえば茶碗をしまいましょう、ということができなかった。それは、学芸員としては致命的なことなんです」。それでも、そんな木塚さんを救ってくれたのは、この街だったと言う。

「この街には、古いものを大切に保存してこられた方が沢山いたんです。私はそんな方々の前で、資料のちゃんとした扱いが出来なかった。そんな私をとがめるのではなく、こうしなけりゃいけないんだよと、黙って態度で教えてくれた」

「大学までは言葉で教育されてくるんだけど、学芸員になると、身体で覚えて身体で発信しなければならないんですね。そのようなことを、懐の深いこの街が私を学ばせてくれたんです。だから、私の買い物は、できるだけ、大好きなこの街になってしまいます。靴は○○、化粧品は××、と、私の生活は、昔からの、この街のお店なんですよ」

博物館2階の展示場で話を伺っていると、下の階段から、年配のみなさんが上がって来た。木塚さんと顔を合わせる。「うわぁ、久し振りぃ」。お互いに、嬉しそうな、はしゃいだ声が行き交った。市民の方々のようだ。歴史のなかの、膨大な長い時間の一瞬が、ここには生きていると思った。(写真家)