【コラム・栗原亮】近世の「村」の古文書はどのくらい残っているのだろうか。取手本陣を務めた染野家には3万点以上の古文書が残されているが、これは特殊な例である。土浦藩領ではほとんどが1万点以下であり、5千点を超える古文書がある村はほとんどない。

土浦市内では、烏山村酒井家3076点、白鳥村冨岡家2557点、小山崎村岩瀬家1661点、沖宿村浜田家933点などは、比較的まとまった一村史料である。水戸藩領の大山守を務めた玉造村(小美玉市)大場家には6千点以上あり、江戸中後期の民政を見るには最適の史料である。

土浦市域は、天正18年(1590)より結城秀康領、慶長6年(1601)より藤井松平領、元和4年(1618)より西尾領、慶安2年(1649)より朽木領、寛文9年(1659)より土屋領、天和2年(1682)より大河内松平領、貞享4年(1687)~明治4年(1871)は土屋領であった。土屋氏は約200年間統治し、在城期間は一番長かった。

土屋氏は土浦市域を中心に、つくば市(旧桜村、旧筑波町の一部)、かすみがうら市(旧出島村の一部)を支配していた。藩領は土浦城付領を東西南北の4つの郷組に分け、谷原領(旧藤代町、旧伊奈町、旧谷和原村の一部)、岩間領(旧岩間町の一部)もあった。

村は名主が統括し、代官の指示に従い、統治されていた。どの藩でも同じであるが、村には村の慣行があり、自治に任せ、余程の藩政転換がない限り、緩やかな統治が行われていた。

土屋氏は寛文年間(17世紀後半)に一部の村で検地をしただけで、大きな百姓一揆もなかった。譜代大名として統治が比較的よかったからだろう。これには、温暖な気候が関係しているだろう。2代藩主・政直が老中を30年以上務め、10代藩主・寅直は大坂城代を務めたが、他の藩主は若死にしたりして出世しなかった。統治がうまくいったのは藩官僚が優れていたからであろう。

土浦藩領の村の史料は、土屋氏以前の残存率が悪く、土屋氏以降が大部分を占める。5代将軍徳川綱吉の時代から紙の生産が増加し、文治統治が進み、古文書が多く残るようになったと考えられる。烏山村酒井家、白鳥村冨岡家、小山崎村岩瀬家、沖宿村浜田家などの古文書についても、同様のことが言えるだろう。

村の古文書で多く残っているのは、検地帳、年貢割付状、年貢皆済目録などである。宗門人別帳、御用留、村入用帳は残存率が低い。反故紙、再生紙などになり、余り残されなかった。現在残っている近世村の古文書は非常に貴重である。(郷土史家)