木曜日, 5月 2, 2024
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「最年少」から4年 毛塚副市長3月末で退任 つくば市

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退任のあいさつをする毛塚副市長=10日つくば市役所

【鈴木宏子】つくば市の毛塚幹人副市長(30)が、任期満了に伴って3月末で退任する。2017年4月、最年少の副市長として26歳で就任した。

10日開かれた市長定例会見で退任のあいさつをした。毛塚副市長は「当初から1期4年間と決めていた」とし「つくば市との縁は終わりではない。今後、つくば市に貢献できるやり方を考えていきたい」と話した。退任後については「検討中」だとし「言及は避けたい」と述べた。

毛塚氏は栃木県出身、東大法学部卒。財務省を退職し副市長になった。2019年には米国の経済雑誌「フォーブス」日本版が選ぶ「世界を変える30歳未満の30人」に選ばれ、「地方自治体の行政改革の担い手として圧倒的な実行力で変革を起こしている」などと評価された。

副市長としての実績については、スタートアップ戦略の策定や、起業を支援する「つくばスタートアップパーク」の立ち上げ、行政の事務の仕事を自動化するRPA実証実験、高い改ざん防止技術を備えたブロックチェーンという技術を用いたインターネット投票の実証実験などを挙げ、「つくば市にとどまらず全国的にも意味があった」などと振り返った。

市の今後の課題については、市が掲げる「世界のあしたがみえるまち」について、「市役所だけで話をしていてもしょうがないので、多様な市民、様々な主体、市外の様々な主体とも連携し、取り組みの輪を広げていくことが必要」などと話した。

後任の副市長は、3月議会最終日の19日、提案される。五十嵐立青市長は「その時その時で市の状況は違うので、状況に合わせて適材に活躍してもらうことが必要。人事案件なので議会に示してから考えをお伝えしたい」などと話した。

コロナ禍を異国の地で乗り越える つくば国際語学院で卒業式

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東郷理事長(右)から卒業証書を受け取るモウレイキさん=つくば市小野崎

【伊藤悦子】つくば文化学園(東郷治久理事長)が運営する日本つくば国際語学院の卒業式が9日開かれた。2年間の課程を終了した留学生9人と、一般の在日外国人向け日本語レッスンの修了生3人が新たな一歩を踏み出した。

式は、理事長が代表を務めるサンスイグループのつくば山水亭(つくば市小野崎)で行われ、学校関係者や在校生らが列席。新型コロナ感染対策のために、全員マスク着用、検温をしたあとアルコールで手を消毒して入場し、席は約1メートル離して着席した。

青色のガウンをまとい、四角い帽子をかぶった卒業生らに向けて、東郷理事長は「皆さんはコロナのまん延や慣れない異国の地での生活などさまざまな困難を乗り越え、よくここまで頑張ってくれた。卒業はさらなる夢を叶える通過点。この先も、学校で学んだことを思い出してほしい」とエールを送った。

卒業証書を理事長から授与された卒業生は、一人ひとり壇上に上がり、流ちょうな日本語で学院での思い出や感謝の気持ちを語った。ベトナム出身の女子学生グエン・ティ・フェンさんが感極まって声を詰まらせると、卒業生や在校生、教員らが拍手で励ましていた。

壇上に立ち思いを述べる卒業生=同

在校生を代表して、韓国出身の男子学生チョ・ヨンヒョンさんは「後悔しながら生きるのではなく、挑戦する人生を送ってください」と力強く送辞を述べると、卒業生に立ち上がるように促し、「いつも私たちを信じてくれた先生たちに礼をしましょう」と呼び掛けた。

卒業生代表、中国出身のコカさんは「2020年は僕にとってコロナで思うような活動ができず大変な1年だったけれど、みんなで助け合ってここまでたどりつけました。すべてが宝物です」と答辞を述べた。

式の後半では卒業生らが制作した動画を鑑賞する時間が設けられ、会場は拍手や笑い声に包まれて一気に和やかな雰囲気になった。閉会後、卒業生らは、教員や友人たちと記念撮影をしながら別れを惜しんでいた。

作家の夢が膨らんだ土浦時代 新川帆立さんインタビュー

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新川帆立さん(写真提供/宝島社)

【池田充雄】宝島社主催の昨年の第19回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞した新川帆立さんの『元彼の遺言状』は1月に刊行されるや、1カ月半で18万部を突破し、今も部数を伸ばし続けている。東京大学法学部卒業、弁護士、そしてプロ雀士としての活動経験もあるという異色の作家だが、高校時代の3年間を土浦で過ごした経歴から、地元にもファンを増やしている。土浦で作家の夢が膨らんだという新川さんに、当時の思い出や自作について語ってもらった。

にぎやかだった駅前の商店街

―幼少期を宮崎市で過ごし、父の転勤に伴う形で県立土浦一高へ入学。
住居は霞ケ浦の近くで、桜川の土手などもよく散歩した。春は桜が一斉に咲いてすごくきれい。湖上にはヨット部の人たちが帆を浮かべていて優雅な感じ。当時は駅前の商店街もにぎやかで、イトーヨーカドーのミスドで友達と一緒に勉強したり、モール505の「かつら」でもんじゃ焼きを食べたり。あと一高前の「特米弁当」が麻薬的なおいしさで、よくお昼に食べていた。

新川さんもロマンを感じた、土浦一高の旧土浦中学校本館

―2006年から09年にかけての高校生活になる。当時の思い出は。
すごく楽しくて本当にいい思い出しかない。小中学生のころは周りから宇宙人みたいに見られていたが、一高に来たら私より変な人がいっぱいいて、それで楽になれた部分もある。大人な人が多く、多様性を認める環境だったのかなと思う。私は好奇心が強い方で、興味を持ったことは何でもやってみようと、囲碁部に入って囲碁や麻雀を覚えたり、趣味とか楽しみが少しずつ広がった時期だった。
高校の友達とは今でも一番仲がいい。一高祭でお化け屋敷をやったり、一緒に花火大会に行ったり、青春ぽいことをいろいろ経験した。旧本館へは弦楽部の友人の練習を訪ねて行ったり。明治維新や大正ロマンの香りあるハイカラな校舎で、旧制中学の流れをくむ学校の伝統が感じられた。

漱石好き、『吾輩は猫である』にはまる

―読書歴は。
最初にはまったのがハリー・ポッターで、小中学生のときは海外のファンタジーやミステリー、冒険小説などハラハラドキドキするものばかり。純文学は高校に入ってから読んでおいた方がいいかなと義務感にかられ、明治の文豪など有名どころを順番に読んだ。
一番好きだったのが夏目漱石。特に『吾輩は猫である』を読んだとき、これはすごいと思い、私も書く側に回りたいと思った。漱石の小説はテーマや作家自身の悩みに重たいものを感じるが、それを重たいまま書かず、ユーモアに転化して表現しており、読者もそれを読むことで悩みが軽くなる。

―ミステリーを書き始めたのはなぜ?
物事を分析したりロジカルに考えるのがもともと好きで、だから囲碁や麻雀も好きなんだと思う。でもミステリーに適性があると気付いたのは今回が初めて。それまではファンタジーを書こうとして全然向いていなかった。ミステリーが書けるのは一つの強みなので、今後も大事にしていきたい。

欠点がありつつ魅力的な人間を描きたい

宝島社発行『元彼の遺言状』

―『元彼の遺言状』はキャラクターが特徴的。主人公の剣持麗子は波風立てつつわが道を突き進む、漱石で言うと『坊っちゃん』の破天荒さがある。
坊っちゃんは男性には一つのあこがれのようだが、女性目線だと「この人何?」って引いてしまうところがある。でもその欠点が結果として愛らしい。だから私もキャラクターにはなるべく欠点を持たせようと、本当に変な人とか問題を抱えた人ばかりを出した。だめなところも含めて魅力的な、多面的な人間を書きたい。

―人を決め付けるような麗子の口調も坊っちゃん的。
今作の主人公は激しい性格の人なので、彼女なりのものの見方や考え方で書くよう心掛けた。私自身は、この子なら世界をどう見るかなという視点で、欠点も含めて人のあり方って面白いなと思いながら書いていた。

―彼女のモデルは新川さんではという声も多い。
女性弁護士は世の中に大勢いるし、本当にいろんな人がいるのに、私自身が主人公に結び付けられることに驚いた。男性弁護士が弁護士ものを書いてもこうは言われない。女性ならではの難しさを感じた。女性が働く中でぶつかる問題とか生きづらさに対し、背中を押せる作品を書きたいと思っているが、その一つのモチベーションにもなった。

元気が出るミステリーに

―主人公の成長も描かれている。
即物的な世界に住んでいる女性が、価値観の逆転した世界に足を踏み入れていき、それまでの自分とは違う世界が存在することを知るのが基本のストーリーライン。日本もバブル以降の消費を楽しむスタイルから、もうそれでは世の中は回せないことに若者は気付いてきた。そういう現代的感覚も潜ませている。作者が解説するとすごい寒いんですが。

―今作は特に、同世代の女性に楽しんでもらいたいと。
現在コロナ禍で、社会全体がもやもやとして暗く、気持ちが落ちてしまう状況がある。そういう停滞した空気感を吹き飛ばす、元気が出るミステリーにしたかった。読者の方々にも、生活や仕事で忙しくしている合間の、ほっと一息つける時間にしていただけたら。

―次作の予定は?
今作の続編を書いていて、なんとか形になりそう。やはり法律知識を生かしたミステリーで、剣持麗子も出てくる予定。もう少し時間をかけて、最高の形でお届けしたい。

ジオパークで学ぶユニバーサルデザイン(上) 誰でも楽しめる筑波山へ

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ジオパークのユニバーサルデザインに取り組む(左から)認定ジオガイドの矢野徳也さん、地質標本館元副館長の酒井彰さん、つくばバリアフリー学習会の北村まさみさん

日本ジオパーク委員会が、筑波山地域ジオパークの「再認定」を決めた(2月6日付)。「再認定」の理由の1つに、「特にユニバーサルデザイン(UD)の取り組みは注目に値する」との評価がある。障害の有無に関係なく、誰でも楽しめるジオパークを目指した取り組みが評価された。

触って楽しく学ぶ

産業技術総合研究所・地質標本館(つくば市東)では、5年前からユニバーサルデザインにも配慮した館内ツアーが月に2回行われている。元副館長の酒井彰さんをはじめ、標本館の職員たちが、市民と研究機関をつなぐネットワーク「ジオネットワークつくば」のメンバーとして始めた。仕事が休みとなる土日を使っての活動だ。

ツアーでは、視覚障害者でも理解しやすいよう、筑波山の3D立体模型を触って、地形や地質の特徴に触れる。筑波山に分布する斑れい岩や花こう岩、風化標本を実際に触り、岩石の成り立ちによって、手触りや水のしみこみ方が異なることを学ぶ。筑波山にある岩石の特徴を触って確かめることで、もとは硬い石でも、風化などにより脆(もろ)い石に変化すること、それが原因となり、筑波山で土石流が起きやすいことも理解でき、防災の知識にもなる。

筑波山に興味を持ってもらい、実際に筑波山まで足を運んでもらうきっかけになればという思いから、地質標本館では、新型コロナ流行前までで96回ツアーを行った。

障害者と巡る筑波山

筑波山地域ジオパーク推進協議会は2016年、市民団体「つくばバリアフリー学習会」(北村まさみ代表)、研究団体「ユニバーサル・ミュージアム研究会」(大阪府吹田市)とともに、「感じる筑波山ジオツアー」を主催した。一般の参加者と一緒に視覚障害者も山頂や梅林を訪れ、筑波山を体験するツアーだ。

中腹や山頂にある岩を触り、風化による大きさや感触の違いを確認しながら、山の成り立ちを説明した。また、麓まで流れている沢の水に触った後に、地下水で作られた酒を味わった。視覚障害者と一緒に筑波山を巡る中で、ツアーの問題点や今後の可能性を模索した。

ツアーの案内役を務めた、認定ジオガイドの矢野徳也さんは「障害など個人の特性によって楽しめないのは、みんなにとっても楽しくない」と話す。

車いす利用者に実際に筑波山周辺を移動してもらい、移動面でどのような問題があるか確認するツアーも実施した。学習会の北村さんは「これからもバリアフリーを進めていくと同時に、障害があっても行きやすいルートを情報発信していけたら」と話す。

誰もが興味を持てる教材開発

矢野さんは、石や岩は種類によって重さや手触りが違うことを、実際に触って理解できるような教材や、粒の大きさにより堆積する順番が変わることを、見えなくても触って理解できるような実験教材を開発し、ジオパークのイベント時に活用している。

他県では、どのような立体模型なら理解しやすいか、視覚障害者に監修してもらい試験的に作成した「見ても触ってもわかる」地質図なども存在する。矢野さんは「今後、茨城県内でも同様のことができる可能性はあるだろう」と期待する。

「視覚障害者だけでなく、障害のない子どもや大人でも、触った方が興味を持ってもらえる」と酒井さんや矢野さんは話す。筑波山地域ジオパークでは、障害の有無にかかわらず、理解しやすい教材の開発を続けている。(下につづく)

コロナ禍に「東京脱出組」動く つくばの分譲マンションなど 野村不動産

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建設中の分譲マンション=つくば市東新井

【山崎実】野村不動産(東京都新宿区、宮嶋誠一社長)が、北関東周辺の主要駅で分譲している全4件の新築マンションにかかる累計資料請求数を調べたところ、契約者の約2割が首都圏からの住み替えであることがわかった。いわゆる「東京脱出組」だ。

この結果は、直近の2021年2月上旬に第2期販売を行ったマンション「プラウド高崎あら町」(群馬県高崎市)の例。その他の分譲マンションも同様で、つくばエクスプレス(TX)の始発駅、つくば駅から徒歩7分に位置する「プラウドつくば」(つくば市東新井)では、現在の資料請求数のうち4割程度、また購入者の約2割を首都圏からの顧客が占めるという。

ほかに「プラウド水戸三の丸」(水戸市三の丸」、「プラウド郡山」(福島県郡山市大町)でも、問い合わせの2割前後を首都圏からが占めている。

コロナ禍の影響を受けて、「リモートワークが増加し住み替えを決めた」という声が一定数あるといい、いわゆる働き方改革(働き方の変化)が、住まい選びにも反映してきていると同社はみている。

《続・平熱日記》81 出会い 「びょう」と鳴く犬

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【コラム・斉藤裕之】「八郷の山中でアケビのつるを取っていた人が見つけました。里親募集…」。その日SNSで見かけた友人の投稿。生後間もない、まるまるとした子犬の画像。それも6匹。カミさんに見せようかどうか迷った。

コロナ禍ではあるし、この歳になると特に欲しいものもない。「あえて言えば犬がいいなあ…」とつぶやくカミさん。ちょっと待った。昨年飼い終えたフーちゃんで、犬人生はお開きになったはず。しかし出かけた先のホームセンターでは、ペットコーナーに必ず立ち寄る。

「こういう犬はあまり好きじゃないけど…」と言いながら、おもちゃのような子犬を眺めている。驚くような値段に「軽トラ買えるな」と私。思い切って友人の画像を見せた。「かわいいけど、この子たちは多分大きくなりそうね…」。興味津々ながらそこは冷静。

その日は2月には珍しいぐらいに暖かく良い天気。茨城空港の空の駅「そらら」でヨーグルトとプリンを買って涸沼(ひぬま)、鉾田を巡るコースにお出かけ。しかし、お昼を当てにしたお店がお休みで急きょ、那珂湊のおさかな市場に行き先を変更。さてと、魚も買ったし、帰ろうかと思ったときに、ふとひらめいたのが水戸のはずれにある骨董(こっとう)店。

隠れ家のような敷地の青いペンキで塗られた扉を開けると、薄暗い店内には骨董ともアンティークも違う、ご主人曰(いわ)く「ジャンク」なお宝が所狭しと置かれている。「いらっしゃいませ」の声もないが、奥にカウンターのようなところがあり、そこをのぞき込むカミさん。

また朝晩の散歩が始まる

実は半年ほど前に訪れたときに、カミさんはその犬に出会っていた。そのときは確か2匹の犬がいて、お目当ての犬はこのカウンター内の三和土(たたき)に気持ちよさそうに寝ていた。手足の長い白い犬。「里親募集」と張り紙がしてあった。カミさんはどうやらその犬が気になっていたらしい。そのことを思い出して再度訪れてみたのだ。

「すいませ~ん、犬についてちょっと…」。奥から現れた優しそうなご主人と3匹の犬。どれもペットショップにはいないタイプのなんとも可愛げのある犬たち。その中にあの白い犬もいた。聞けば、保護犬を預かって里親に出すお手伝いをされているそうで、この白い犬は殺処分を免れた1歳ちょっとの女の子。少しおどおどしているが、優しい性格だという。リードをつけて敷地内を少し散歩させてもらった。

間もなくして、飼育環境を確認するためにご主人がやって来た。そのとき書類を見て、実はお店を訪れた日からちょうど1年前の同じ日に保護されたことがわかった。「ママが好きなのは『びょう』と鳴く犬だね!」「なにそれ?」「ペットショップでキャンキャン鳴いているんじゃなくてさ…」。

八郷の子犬はすべて引き取り手が見つかったそうだ。やれやれ、また朝晩の散歩が始まるのか。(画家)

アームのお点前「ロボットカフェ」 つくば駅改札口にお目見え

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ロボットカフェの実証実験をするクロ―サーの樋口翔太代表(右)と杉江ニック副代表=つくば駅改札口前

【渡邉由貴】ロボットアームがコーヒーをいれる「ロボットカフェ」が8日、つくば駅改札口前にお目見えした。大学院生の樋口翔太さん(23)が代表を務める筑波大発ベンチャー、Closer(クローサー)による実証実験で、12日まで無料でコーヒーを提供する。

コーヒーを注文すると、アームが動き、紙コップにコーヒーをいれて、差し出す。ロボットアームは重さ約7キロ、アームの長さ約50センチ。

革新的な技術やアイデアで社会課題を解決することを応援する、つくば市の社会実装実証実験の一環。コーヒーを提供するのは、注文から決済、調理、提供までが自動化されたロボットアームだ。市内での実証実験は今回が3回目。

今回はコーヒーが提供できることをアピールしているが、人手不足が指摘されている飲食業界や食品工場などでの活用を目指している。これまでに工場で実用化されている従来のロボットアームと比べ、低コストで、製造ラインの部分的な自動化に応用することができる。

副代表の杉江ニックさん(38)の話では「自動車工場など従来の工場で導入されている大量生産を得意とするロボットは、設計から導入まで1年程度かかる場合があるなど高コストであり、多品種少量生産を中心とした食品工場などへのロボットの導入はいまだに進んでいない」そう。低コストロボットアームは、初期コストを従来の10分の1以下に抑えることができ、導入までの期間も大幅に短くすることができるという。

大学院で知能機能システムを専攻する樋口代表は、以前から農業の人手不足について関心があった。今回は食品産業での人手不足に焦点を当て、低コストロボットアーム開発の着想を得た。「人手不足を解消するためのロボットを今後も作りたい」と話す。

低コストロボットアームの実用化は、今夏から行う予定だ。実証実験では技術的な安定性、汎用性を多くの人に知ってもらい、ロボットアームの身近さを分かってもらえるよう期待している。

◆ロボットカフェの実証実験は12日まで毎日午前11時から午後6時まで、つくば市物産館(つくば駅地下1階)前で行っている。

「廃墟」モチーフのセンタービルで 筑波大生グループが美術展

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美術展出演アーティストの顔合わせの様子(平砂アートムーヴメント提供)

【山口和紀】廃墟などの「遊休空間」で表現活動をしたいと立ち上がった筑波大学の学生グループの企画による美術展が14日から、つくばセンター広場(つくば市吾妻)で開かれる。平砂アートムーヴメント(阿部七海代表)による「狢PLAY(むじなプレー)」。学生たちが「スラム」と呼ぶ大学の平砂学生宿舎から始まったもので、今回は「廃墟」をモチーフとして設計されたつくばセンタービルの広場(※メモ参照)に会場を移す。発案者で「平砂アート…」のディレクターを務める栄前田さん(芸術専門学群4年)に話を聞いた。

14日から31日、センター広場をメーンに

平砂アートムーヴメント2020は14日から31日まで、各日正午から午後8時までの開催。つくばセンター広場をメーン会場に、作品の展示やセンタービルに入居する飲食店「フィンラガン」(センタービル1階)でのトークイベントなどを行う。

左端が栄前田愛香さん=昨年の平砂アートムーヴメント企画のトークショーで撮影(同)

「平砂アート…」は、今回が2回目。廃墟や空き店舗などの「遊休空間」で展覧会を開きたいという栄前田さんの思いからスタートした。故郷帯広の廃ホテルで行われたアート展「マイナスアート2015」にインスピレーションを得ている。「平砂宿舎には1年生のときから住んでいた。2年生のときに宿舎の古い棟に電灯がつかなくなっているのを見て、高校生のときに行った廃ホテルでのアート展を思い出し、あの使われなくなった宿舎で展示会をしてみたいと同級生に話した」

筑波大学の学生課や学群長にかけあって2019年に実現したのが、第1回の展示会「ここにおいて みせる/みる」。19年5月20日から6月2日まで平砂宿舎で行われた。芸術専門学群、情報メディア創生学類を中心に55人の学生がアーティストとして参加した。「廃墟」の棟内で自由に場所を選び、制作と展示を行った。

1月末に行われた作品制作の様子(同)

「人気があったのは、室内に人が『存在』しているという近藤舞さんの展示だった。ドアを開けたら人間が室内に居て存在しているというもので、装飾もまるで舞台のようになっていた。情報メディア創生学類の稲田和巳さんの展示も面白かった。宿舎に明かりを取り戻そうという発想で、14人の参加者の自宅と平砂宿舎の部屋の明かりが連動するようにしていた。参加者が家で電灯をつけると、平砂宿舎の方も自動的に明かりがつくというもの」

今回、会場をセンター広場にしたのは、フィンラガンのマスターである松島壮志さんの呼びかけから。「マスターからは、センター広場周辺に賑わいを生み出したいという思いを伝えられた。やっぱり、つくばは学生と市民の間に大きな乖離(かいり)がある。その異なる2つの立場の人をセンター広場に集めてみたいとの思いは、自分たちのプロジェクトのステートメントでも同じように示している」

しかし、思いが重ならない部分もある。「それはセンタービルという廃墟、おしまいになってしまう場所でアートをするという部分。そもそも平砂アートムーヴメントは誰にも使われなくなってしまった『遊休空間』におけるアートを意図している企画なので。だから、そういう点での違いはあると思う」。賑わいにはせる思惑と廃墟に魅せられた思いとか交錯する。

【メモ】つくばセンタービルの廃墟性
センター広場について設計者の磯崎新氏は「筑波研究学園都市という国家プロジェクトでつくられた街ゆえに、中心に国家のシンボルを描き出すのではなく中心を空間にし、空間の中に向かって消滅していくような反転した空間をつくり上げた」と述べている(建築のパフォーマンス―つくばセンタービル論争、パルコ出版局)。また、センター広場の石は、筑波山の筑波石と笠間市の稲田石をわざと崩れたように積み上げて「廃墟」を表現したものとされる。⇒NEWSつくば

《邑から日本を見る》83 モリカケに今度は菅の親子丼

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梅干しになる「白加賀」が満開

【コラム・先﨑千尋】永田町、霞が関界隈(かいわい)で「モリカケに今度は菅の親子丼」というざれ歌がはやっているそうだ。際限のない官僚や国会議員、大臣の疑惑事件。総務省、農水省の違法接待が減給や厳重注意などでケリをつけたと思っていたら、また「文春砲」がさく裂し、総務省のナンバー2の谷脇康彦審議官、辞任した山田真貴子内閣広報官がNTTの接待を受けていたことが判明した。しかも金額は東北新社からの接待の時よりも多く、一度に10万円以上というから私たちには雲をつかむような話だ。

NTTの接待攻勢については、現時点ではまだ何が目的だったのかはわからないが、総務官僚と東北新社との関係については、これまでの報道で全体像がつかめるようになった。1放送事業者が、その死命を制する許認可官庁の担当者を現職課長から事務次官級まで芋づる式に違法接待の闇に取り込んでいた。そのキーマンが菅総理とその長男だったという構造だ。あまりにも無防備、異常な接待。なぜ優秀な官僚がリスクを冒してまであえて接待に応じてしまったのか。

私の知っている元総務官僚は「役所に忖度(そんたく)がはびこる中で、彼らにこれを断る選択肢はなかった。相手が首相の長男だから、拒否できなかったと思う」と語ってくれた。接待に応じた人たちは、会食の中で働き掛けはなかったと言っているが、その場に行っただけで、相手の要求、要望に応えるという意思表示、と考えるのが普通ではないか。他の会社の人たちとはそのような場を持たなかったと言っているのだから、問わず語りだ。

山田元広報官は「飲み会を絶対に断らない女」を動画で流していたそうだが、彼女はこの中で「イベントやプロジェクトに誘われたら絶対に断らない。飲み会も断らない。断る人は二度と誘われない。出会うチャンスを愚直に広げてほしい」と語っているそうだ(私は見ていないので)。そういう人が国会で首相の長男のことを聞かれると、「覚えていない」と言葉を濁す。そんな馬鹿なことがあるか。ウソに決まっているではないか。

この人から「自助」を聞きたくない

学校法人「森友学園」事件に絡んで、財務省の公文書改ざんをさせられて自殺した近畿財務局元職員の赤木俊夫さんの遺品には「国家公務員倫理カード」があった。「国民全体の奉仕者であることを自覚し、公正に職務を執行していますか? 職務や地位を私的に用いていませんか? 国民の疑惑や不信を招くような行為をしていませんか?」と書かれたカードは擦り切れていたという。菅総理や高級官僚の皆さんは、このカードを持っていないのかな。

菅総理はいつでも「自助、共助、公助」を口にする。しかし、総務大臣就任時に、無職だったバンドマンの長男を大臣秘書官として抜擢し、総務省の許認可先へ就職させたのは「自助」ではない。この会社は親と切っても切れない関係でもある。また長男が東北新社に入社する際、総務省と距離を置くように言ったと伝えられている。長男とは別人格だと言うのなら、こんなことを言うはずがない。この人から「自助」という言葉を聞きたくない。

コロナ対策でも今回の山田辞任劇でも、菅総理のやることは後手、後手。こんな人に、私たちの命と暮らしを任せておいていいものだろうか。(元瓜連町長)

TX茨城空港延伸を再度要望 7市議会の期成同盟会 「91年合意」言及後初

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【山崎実】つくばエクスプレス(TX)茨城空港延伸議会期成同盟会(会長・笹目雄一小美玉市議会議長)はこのほど、今年度事業として玉川明県政策企画部長に対し「茨城空港延伸に関する要望書」を提出した。

TXの県内延伸をめぐっては、大井川和彦知事が2017年12月に策定した「新しい茨城づくり政策ビジョン」に「県内延伸検討」を明記したことから、地元の小美玉市議会を始め、土浦、石岡、つくば、かすみがうら、行方、鉾田の7市議会議長会が同盟会を設立し、国、県など関係機関連携による調査、研究の着手を要望してきた。

要望書では、延伸ルートの一つとして、一昨年まで6年連続で過去最高の国内・国際線利用者数を更新した「茨城空港ルート」が含まれており、本県の持続可能な成長と関連地域(沿線地域)の交流人口の増加、土地利用・産業振興及び観光振興の向上・実現のため、延伸ルートの検討を訴えている。

具体的には、県総合計画に基づくTX延伸ルートについて、茨城空港への延伸を、県が主体となり、国、関係機関連携による基本調査・研究に早期に着手するよう求めている。

TXの県内延伸問題は、県議会でもたびたび取り上げられ、昨年12月の第4回定例会でも議論になった。大井川知事は必要性を認めながらも、延伸の場合は請願者が建設にかかる費用の全額を負担する「91年合意」をクリアするには、財政力上厳しい条件だとして、「現時点では基本調査を実施する状況にはない」と否定的見解を示した(2020年12月22日付)。

延伸問題をめぐる期成同盟会と県当局とのつばぜり合いは、なおも続きそうだ。

《介護教育の現場から》5 コロナ禍で臨地実習に苦労

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心肺蘇生の演習風景

【コラム・岩松珠美】文科省と厚労省の「新型コロナウイルス感染症の発生に伴う医療関係職種等の各学校、養成所及び養成施設等の対応」通知(2020年2月28日)を受け、今年度は介護福祉士養成校や介護施設などで行われる臨地実習は軒並み中止・延期になり、大変な年度であった。さらに厚労省は「実習施設が確保できない場合は、学内の演習に代えてもよい」と通知していた。

日本介護福祉士養成施設協会のアンケート(20年4月23日)によると、この団体加盟の養成校のうち回答した240校の約半分が、介護実習先から中止要望や人数変更などの連絡・要望があったという。

本来、看護学生や介護学生が実際に患者や利用者を受け持ち、直接コミュニケーションしながら生活支援の実践を学ぶ場が、医療機関・介護施設・保育所・地域などである。学内で修得した知識や技術をもとに、臨床現場で実践力や判断力を養うもので、看護師や介護福祉士の養成課程において、カリキュラムの一部を担う教育の場である。

それらの機会が減少したことにより、様々なシミュレーション教育や模擬患者さんを迎えたOSCE(客観的臨床能力試験)などを学内で実施した。この1年、様々な臨床現場を再現する教育技術が、試行錯誤ながらも工夫・開発された。

地域の施設・機関に感謝

こういった臨床現場により寄り添ったアプローチや研究の成果は、これから明らかになってくるであろう。利用者さんの自宅と訪問介護ステーションをリモートでつなぎ、学生たちが利用者やその家族と対話する記事を見たが、新しいコミュニケーションの取り方を活用する大切さも感じた。利用者さんはどんな気持ちでおられ、どんな援助がどんな配慮のもとに必要かを知ることは、振替学内演習でも臨地実習でも重要だと考えている。

私の勤務校の今年度240時間の介護実習は、延べ20カ所の施設や機関のご協力を得て臨地で実施することができた。地域の利用者さんと関わっていきたいという本校の意向を受け入れてくださった施設や機関のおかげである。心より感謝している。(つくばアジア福祉専門学校校長)

「学用品 用意できるか不安」ひとり親家庭から声相次ぐ 土浦食料配布会

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日用品や子ども用衣類などを選ぶ参加者たち=土浦市中村南の三中地区公民館駐車場

【崎山勝功】コロナ禍で生活に困窮するひとり親家庭や学生などを支援しようと、土浦市内で6日、2回目の食料配布会が開かれた。ひとり親家庭の声を拾った。

市民団体「コロナに負けるな!つちうら食料支援プロジェクト」が同市中村南の三中地区公民館駐車場で開いた。「第2回学生・ひとり親支援 食料・日用品無料配布会」には親子連れなど約50人が集まった。

土浦市内の接客業女性(32)は、小学4年(10)と2歳の男の子(2)を連れて来場し、コメや日用品などを受け取った。コロナ禍による営業自粛の影響で収入が減少した女性は「子どもが4月から新学期を迎えるので、学用品を新たに用意できるか不安」と訴えた。

別の女性(33)は、5年前に感染症の後遺症で働けなくなった。中学1年の男子(13)を筆頭に小学生、保育園児など6人の子どもを抱え、市内の借家で生活保護を受けながら計7人で生活している。子どもたちが成長期のため「食費や光熱費の出費が大変」と話す。女性は運転免許証を持っていないためなかなか就職できないという。

40代後半の介護職員女性は、仕事で腰を痛め昨年から休職している。収入は休職前より約4割減少した。息子(20)と小学6年の娘(12)がおり「娘がいるので、お米や生理用品などの消耗品がもらえて助かった」と話した。

市内の自営業女性(65)は「リラクゼーションの店を経営しているが、(県独自の緊急事態宣言などで)収入がほぼゼロだった」。女性は持続化給付金を申請したが、光熱費など固定費の出費が大きく、減収分を補うには至っていない。

「近所のおばちゃんから(無料配布会の)チラシをもらった」という事務職女性(40)は「収入は減ってない」としながらも、昨年3月から5月の休校期間中は子どもの食費の出費がかかったと言い、「お米や野菜、生理用品をもらえるのがありがたい」と語った。

ボランティアスタッフの1人は「以前から生活に困窮していたひとり親家庭世帯などが、コロナ禍を契機にさらに困窮するようになっている」と解説する。

会場で食料無料配布のボランティアをしていた、つくば国際大学4年の女子学生(23)は、前回の配布会で野菜など食料品を受け取った。女子学生は「自分が(食料を)もらったのを還元していきたいと思った」と、恩を返す気持ちで参加をしたと話した。

配布会を主催する同プロジェクトの長坂法子さん(74)は、前回の参加者から人づてに紹介され来場した人がいる例を挙げ「必要としている人たちがいれば応えていきたい」と、今後も継続して開催できるか検討する考えを示した。

◆14日につくばで「子育て応援フードパントリー」 つくば市内で子育て家庭などを支援する「つくば子ども支援ネット」は、14日午前11時から午後4時までの間、食料品などを無料で配布する「子育て応援フードパントリー」を実施する。事前申し込み制で、配布会場は申込者に連絡する。先着80世帯。申し込み方法は、つくば子ども支援ネットのLINE公式アカウントを友だち追加して、トークで「314」と氏名を送信する。または事務局電話(070-4451-6328)でも受け付けている。詳しくは「つくば子ども支援ネット」公式サイトまで。

ニホンウナギ分布の謎、環境DNAで解く 国立環境研など

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シラスウナギ(左)と河川に生息するニホンウナギ(円内)=プレスリリース資料

【相澤冬樹】丑(うし)年の今年、ウナギの生態にスポットを当てた研究が国立環境研究所(つくば市小野川)の亀山哲主任研究員(生物・生態系環境研究センター)らによって報告された。絶滅危惧種、ニホンウナギの分布域を環境DNA解析という手法で推定したところ、ウナギの仔魚、シラスウナギが海洋でどのように運ばれるかが、日本国内の河川における分布を決める主要因になっていると考えられた。

調査には北海道大学大学院の笠井亮秀教授、龍谷大学の山中裕樹准教授らが参加、全国265河川、365地点で環境DNA調査を行い、これまで謎の多かったニホンウナギの分布を調べた。ウナギがどこにどれくらいいるのか、実はよくわかっていないという現状は資源管理上の課題となっていた。ウナギは普段、岩陰に隠れたり砂泥中に潜って暮らしていたりするうえ、「主に夜間に活動するため、捕獲したり見つけることが難しい」(亀山研究員)ためだ。

シラスの輸送経路と一致

環境DNAは生物の糞やはがれた表皮などによって、環境中に放出された生物由来のDNAの総称。研究グループは、調査地点で河川水を数百ミリリットル採り、その水をろ過しフィルター上に捕集されているDNAを抽出する。DNAの濃度から、その環境に生息している生物の量も把握できる。生物を捕獲することなく、統一した手法で生息量を調べることができる最新の解析法という。

その結果、ウナギは関東以西の太平洋側や瀬戸内海、九州西岸の河川で多く生息していることが分かった。一方、日本海側の北陸東北地方、北海道の河川にはほとんどいなかった。

これは南方から海流によって日本まで運ばれてくるシラスウナギの輸送経路をシミュレーションした結果と一致した。気象庁が2020年秋に運用を開始したモデルを用い、ウナギの仔魚に見立てた8万個の粒子を台湾東方の黒潮域に放流し、日本のどの地域に運ばれてくるかをシミュレーションしたものだ。

環境DNA解析(左)とシミュレーションによる分布域

実際にはウナギは、北海道を除く全国の様々な地域で放流されている。そこで都府県別のウナギの放流量と環境DNA濃度を比較したところ、両者はまったく一致しなかった。これらのことから、日本の河川に生息しているウナギの多くは天然のウナギであり、その分布は仔魚期の海洋での輸送状況によって決まると考えられた。

さらに、ウナギの環境DNA濃度が高かった河川は全窒素濃度も高い傾向にあった。これは高栄養環境にある河川ほどウナギの生残や成長が良いことを示している。

全窒素は富栄養化の指標とされ、水質の良し悪しの判断に用いられてきた。かつては全窒素濃度が高いといわゆる「汚れた川」と判断されていたが、近年の水環境改善の取り組みから、日本の河川の水質浄化が進んでいる。研究成果では、全窒素濃度が高い河川というのは、むしろ生産性が高く豊かな河川ととらえた方がよいでのではないか、という見方をしている。豊かな河川にウナギが多く生息していると考えることができるという。

霞ケ浦は未調査

那珂川などの環境DNA調査を担当した亀山研究員によれば「今回は河川の調査で、特に霞ケ浦については調べていない」そうだ。福島第1原発事故に伴う霞ケ浦流域のウナギに対する出荷制限指示は2016年に解除になったが、その資源回復状況などについては分からないという。

《続・気軽にSOS》80 高1ギャップ

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【コラム・浅井和幸】中1ギャップという言葉を聞いたことはあるでしょうか。小学生から中学生になると、勉強の仕方が変わったり、たくさんの人との交流があったりと環境が変わります。その変化になじめずに、不登校やいじめが起こることもあります。全国の小学生と中学生の不登校率を比べると、4~6倍ほど中学生の不登校率が高くなります。

具体的には、以下の調査結果をご覧ください。

▽2015年度県学校統計の調査結果

▽2018年度文科省の児童生徒問題行動・不登校等生徒指導上の調査結果

そして、高1ギャップ。中学校から高校では、さらに変化が大きくなることでしょう。高校生活に適応できずに不登校や退学する生徒は、高校1年時に集中しているようです。

高1ギャップは私が独自に提唱していると思っていましたが、インターネットで検索したら、結構出てきました。「高1クライシス」という言葉もあるようです。それはともかく、中学での不登校よりも高校での不登校が問題なのは、退学ができてしまうことです。

退学してしまうと、外部の人間からは把握しにくい状況になってしまいます。把握されにくいと、孤立しやすく、支援の機会を逃しやすくなります。では、大1ギャップはどうだろう?と思ったら、ちょっとだけインターネットで引っ掛かりました。じゃ、社会人ギャップ、定年退職ギャップ…ときりがないので、ここまでにしておきます。

つくば市の義務教育学校設立から9

さて、つくば市最初の義務教育学校が設立されてから9年経ちました。1年生から入った児童たちも卒業します。もちろん、制度開始時に6年生だった児童は3年前に卒業しています。市内の義務教育校が中1ギャップをフォローする効果は小さかったという専門家の意見もありますが、それでも、より高1ギャップの衝撃が強いのは想像に難くないでしょう。

市と県や民間団体、個人の連携、SOSを出せる当事者や家族、SOSを出しやすい環境づくりなど、今後、地域ぐるみで考え、構築していくことが必要になってくるでしょう。(精神保健福祉士)

イオン土浦でワクチン集団接種訓練 民間会場は県内初

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被接種者役の男性にワクチンを注射する訓練をする看護師=土浦市上高津のイオンモール土浦

【崎山勝功】65歳以上の高齢者や基礎疾患がある市民に、新型コロナウイルスワクチンを集団接種する訓練を、土浦市は5日、同市上高津の商業施設、イオンモール土浦2階クリニックエリアで実施した。市職員や市医師会関係者ら約60人が参加した。市コロナワクチン接種チームによると、民間施設を使ってワクチンを集団接種するのは県内初という。

訓練では、接種を受ける役の参加者が、係員の指示に従って検温してから受け付けを済ませ、予診票に記入、医師による予診の後、ワクチン接種を受ける訓練をした。さらに接種済証の交付、2回目の接種予約、接種後の経過観察と、一連の訓練を実施し、どれだけの時間がかかるかなどを測定しながら問題点を洗い出していった。

受け付けを済ませてから接種まで約8分、接種後の経過観察終了までを含めると合計約26分かかり、順番が後になればなるほど時間がかかる傾向が見られた。

市担当者は「接種後の経過観察のところが一番時間がかかってしまった」と話し、予診待機場所と接種後の経過観察場所が混雑する傾向があり、運用面での改善を検討する考えを示した。

訓練には安藤真理子市長も被接種者として参加し、検温から接種までの一連の流れを確認した。安藤市長は「意外なところで時間がかかることが分かった。問題点を洗い出せた」と、訓練を評価した。

被接種者役として参加した安藤真理子土浦市長(中央)=同

同市の65歳以上の高齢者は4万1022人(1月1日現在)で、同商業施設と市保健センター(同市下高津)の2カ所が集団接種会場となる。さらに市内約70カ所の協力医療機関でも個別接種できる対応をとる。

接種のスケジュールは、4月12日以降に国からワクチンが配送され次第、順次対応していく。接種に必要な「接種券」の配布も国次第となる。

同市は今月22日からワクチン接種の問い合わせ窓口となるコールセンターを開設する予定。市内在住の外国人にも対応できるよう、英語と中国語でも対応する。

買い物客との交錯課題

イオンモール土浦は、交通の便が良く、駐車場も広く、市民が訪れやすい半面、接種を受ける人と買い物客とが交錯するなど混雑する恐れも指摘される。イオンモール土浦の担当者は「どうソーシャルディスタンスを取るかが課題」とする。

同市が接種会場の一つを商業施設にしたのは、霞ケ浦水郷体育館やクラフトホール土浦(土浦市民会館)などの「空きが無かった」(同市担当者)という事情があるという。

今回の訓練では実施されなったが、接種後、副反応を起こす人が発生した場合の対処については、車で5分の距離にある霞ケ浦医療センターが協力する。会場にはストレッチャーも用意する。

一方、接種に必要な接種券を紛失したり、事前予約制にも関わらず予約無しに訪れる人がいることも想定されることから「今後は検討していかないといけない」としている。

【震災10年】5 10年は区切りではない  古場泉さん・容史子さん

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古場泉さん・容史子さん夫妻=つくば市

【柴田大輔】「原発災害は自然災害とは違う。10年で終わることはない」

つくば市で避難者同士の交流の場づくりに取り組む「元気つく場会(いい仲間つく浪会)」の共同代表・古場泉さん(65)が言葉に力を込める。避難者には、不安定な生活のなかで体調を崩す人も多くいる。

まるで世界が変わってしまった

泉さんとともに、会の共同代表を務める妻の容史子さん(65)も、避難生活の中で体調を崩した一人だ。現在も通院を続けており、制約のある生活を送っている。当初は不安定な生活の中で心のバランスも崩しかけた。震災後の10年を振り返り「まるで世界が変わってしまった」と話す。変化は体調だけではない。

「私にとって浪江の生活は、どこに行っても『こんにちは』って声掛け合う世界でした。それがいきなり知り合いの全くいない土地に。何も考えられなくなりました」

10年前、愛着ある自宅での、地域に根ざした生活が突然終わり、見知らぬ土地でのアパート暮らしが始まった。避難生活は、将来への不安と共に心身を圧迫した。周囲の人も同じだった。泉さんが振り返る。

「震災を経験してつくばに来た人たちは、すべての人がそうだったように『これからどうなるかわからない』という不安と孤独の中にいました」

それぞれのつながりは希薄だった

「元気つく場会」は毎月開催する茶話会「しゃべり場」と、レクリエーションなどを開催し、避難者同士の交流を図ってきた。2012年に発足し、現在は110人の会員がいる。きっかけは、容史子さんがつくば市内で偶然再会した浪江の知人から聞いた「みんなでお茶を飲んで、ざっくばらんに話せる場所が欲しい」という言葉だった。事実、先の見えない状況に心の拠り所を求める人は多かった。

当時のつくば市には福島からの避難者が500人以上が暮らしていた。市は避難者同士の交流の場として「交流サロン」を主催していた。そこでは、医療や福祉など生活に必要な情報提供や、弁護士による法律相談の場が設けられた。だが会が終わると参加者は長居せずにそれぞれ帰路に着くのが毎回だった。「避難者」といっても、互いに面識のない人がほとんどで、それぞれのつながりは希薄だったという。

こうした中、知人や家族に背中を押された古場さん夫妻は第一歩として、浪江出身の民謡歌手・原田直之さんのコンサートを企画した。紆余曲折ありながら開催にこぎ着けたイベントが、現在まで続く活動の始まりとなった。

骨を埋めるならこの町で

古場さん夫妻は1983年、泉さんの転勤で浪江にきた。夫婦共に福島県外の出身だ。当初は1、2年のつもりで住み始めたが、出産や仕事を通じて地域と縁が深まる中で、いつしか「骨を埋めるならこの町で」と思うようになる。

「人生の中で、最大限に近しい友人ができたのが浪江でした」と話すのは容史子さんだ。

看護師の資格を持つ容史子さんは、町や県の福祉関係の仕事に就き、子どもに本の読み聞かせをするなど地域の中に溶け込んだ。

泉さんも浪江を気に入った。「海も山も近いし、気候がいい。ゆったりしたところがいい」と話す。仕事に打ち込みつつ、ボーイスカウト指導者として地域の子どもたちと接していた。

「元気な若い人たちとバカやれるのが好きでした。一番の趣味でしたね」と振り返る。

「やりたいことをやれる充実した日々」。それが浪江の生活だった。

ついの住み家にしようと土地を求めたのは自然な流れだった。そこで出合った風景を、今も鮮やかに容史子さんは思い返す。

「家を建てる前に土地を見に行ったんです。そうしたら、目の前一面に広がる水田が風で波打つんですよ。緑の海ですよ。もう、『うわぁ』って感激しました。それから今度は秋ですよ。秋になったら黄金色の海です。もう、それがうれしくって」

浪江に暮らして28年が過ぎた。2人はここで穏やかな老後を迎えることを疑ってなかった。

もうこれで動かないで済む

震災後、混乱する福島を後にした古場さん夫妻は、つくばの大学に進学し市内で一人暮らしをする長男を頼った。3人で住むには手狭な部屋だった。その後、都度条件の合う部屋を求めて転居を繰り返す。容史子さんが体調を崩したのは、こうした不安定な暮らしの中でのことだった。

「わたしたち、これからどうして暮らせばいいんだろう」と心の中でつぶやいた。引っ越しは経済的、肉体的な負担だけでなく、精神をも侵食した。

震災から1年後、泉さんは勤務先企業のつくば工場に赴任が決まる。会を始めたのもこの時期だった。

「避難されてきた皆さんが大変な状況にある。支える場所は必要だ。こうしたときに、仕事や周囲との繋がりがある自分たちがやるのがいいと思いました」

その後2017年につくば市に家を得た。元通りではないが、失った安定をようやく取り戻し、心が軽くなったと、容史子さんは安堵した。

「それまで不安と閉塞感で夜眠れませんでした。でも、これでもう動かないで済む。そう思えて本当にほっとしました」

会での活動を通じて出会う人たちに容史子さんが感謝する。

「私は『会』をやることで、準備をしたり皆さんと交流させていただき、精神的に回復できたと思っています。みなさんには本当に感謝しています」

現在はつくば市で近所の保育園に赴き、泉さんがギターを奏で、容史子さんが絵本の読み聞かせをする。地域イベントにも参加し地元の人たちとも交流を深めている。

古場泉さん・容史子さん夫妻=つくば市

2021年で打ち切り

政府主催の追悼式は、震災から10年となる2021年で打ち切りとなる。だが、泉さんはこう言葉に力を込める。

「10年一区切りと言いますが、原発災害に関してそれは当てはまりません」

泉さんは、世間が震災に区切りを設けようとすることを疑問視する。高速道路の無料化もいつ打ち切られるかと心配する。警戒区域からの避難者は、元の居住地と避難先の最寄りの区間の高速料金が無料となっている。2012年にスタートしたこの制度はこれまで2度、期間が延長されてきた。現在公表されている期限は年度末の3月31日まで。その先の延長はまだはっきりしていない。

「私たちは浪江に家があります。お墓がある人もたくさんいます。浪江に行く必要がある。だから、高速無料化が自己負担になれば相当な負担になってしまい、行くことができない人が出てきます」

そう故郷との距離が広がることを懸念する。帰りたくないわけではない。帰れないのだ。容史子さんは自身の経験を踏まえこう話す。

「私は体を壊してしまい、通院が欠かせなくなりました。そのときに医療施設が整わない浪江にはもう戻れないと思いました」

体調面の不安から、やむなく避難先での生活を続ける人もいる。

泉さんは浪江への思いを大切に持ち続けている。

「つくばでの暮らしが安定し始めています。でも、私は浪江に戻る選択肢は残しておきたいと思っています。帰れるものなら帰りたいと思い生活してきました。私にとって浪江は、そのくらい大切な場所なのです」

震災から10年。しかし、震災と原発事故で避難した人にとってそれは区切りの時間ではない。(第1部終わり)

《くずかごの唄》81 亭主の誕生祝いに絵巻物を作ってみた

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【コラム・奥井登美子】亭主の92歳の誕生日。盛大に祝ってあげたいが、それがコロナでできない。彼は幼いころから身体が弱く、近くの石川小児科の医師から小学校の入学は無理だと言われ、2年も遅れて入学。体操の時間は見学だったという。

「神の子病なし…。お祈りして、さすって、神様にお願いして、やっと…」。幼児の死亡者が多い時代だったから、姑(しゅうと)の異常なほどの情熱がなかったら育たなかったのかも知れない。

90歳を過ぎても元気で、気が向くと、桜川まで3キロを歩いて散歩。友人との交流が好きで、日仏薬学会の友達、日本山岳会の友達、京大大学院の同級生とのお付き合いが生きがいみたいになっている。

舅(しゅうと)が重度の老人性うつ病で、最後の5年間は毎日が事故すれすれと、介護が大変だった。父親と性格が似てクソ真面目な彼を、私は老人性うつ病にはさせたくなかった。どうすればうつ病を避けられるか、そればかり考えて老後の20~30年を過ごしてきた。

私にとっても、「精神的に元気な92歳」は神様からのうれしいご褒美なのである。「コロナちゃんがびっくり」のお祝いを送ろう。何にしようか? 真剣に考える。

15人、犬2、狐1、牛3が手をつなぐ

日本の昔からの知恵、巻物を作ってみよう。昔の素材を使って、プラスチック文化との決別を心がけよう。半紙を半分に折って、墨でぐるぐるの輪を描き、それを3人の子供たちに送った。「パパの誕生祝いに、この紙に自分の家族の顔と足の漫画を描いて送り返して下さい」。

私は家族の中に動物がいることを予定していなかったので、帰ってきた漫画に、犬、狐 牛が入っていてびっくりした。15人の人間、2匹の犬、1匹の狐、3匹の牛が手をつないで、巻物の中に納まった。巻物の絵は軽くて、小さく丸められて持ち運びも簡単だ。

巻物を居間に張り付けて、2人で乾杯。乾杯の器も友達からの誕生日プレゼント。「誕生日おめでとう。家族がみんなで手をつないで、私たちを見守ってくれている」「うわっ、いいねえ、すごいな」。

彼は、15人の家族にぐるぐる巻きにされて、とてもうれしそうだった。(随筆家、薬剤師)

まちづくり会社社長に内山博文氏 クレオ再生計画立案 つくば市

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4日開かれたつくば市議会全員協議会に出席しあいさつする内山博文氏(中央)。右は五十嵐立青市長

【鈴木宏子】つくば駅周辺の中心市街地活性化に取り組むため、つくば市が4月1日付で設立を予定している第3セクターのまちづくり会社について、五十嵐立青市長は4日、社長に、筑波大学出身で、都内で不動産コンサルタント会社を経営する内山博文氏(52)が就任する予定だと発表した。内山氏は、2018年のクレオ再生計画立案で統括的役割を果たしたという。

新会社の名称は「つくばまちなかデザイン」で、つくばセンタービル内に本社を置く。出資金は市が6000万円、関彰商事、沼尻産業、AIベンチャーのLIGHTZ(ライツ)がそれぞれ3000万円の計1億5000万円を出資する。市は40%の筆頭株主となる(20年12月25日付)。4日開かれた市議会全員協議会で報告した。

内山氏は、18年に市から「クレオ再生手法検討調査業務」を請け負ったHEAD(ヘッド)研究会(東京都千代田区)会員。五十嵐市長が同年9月に発表した、市がクレオを取得し、市出資のまちづくり会社が体験型商業施設として運営するという再生計画立案(18年9月28日付)の際、全体のマネジメントを担ったという。同再生計画はその後、市民や議会の反対で白紙撤回された。現在クレオは、日本エスコンが取得し、今春、複合商業施設としてリニューアルオープンする予定(21年2月2日付)。

同じ18年度にHEAD研究会は、市が発注した「つくばセンタービルあり方検討業務」を請け負い、同センタービルを、新たに起業する人のビジネス拠点や地域のコミュニティ拠点としたり、センター広場に屋根を掛けて改修したり、マネジメント組織を設立して運営する計画を立案した(20年6月26日付同6月28日付)。屋根を掛ける案はその後、取り止めになった(20年12月4日付)。

五十嵐市長は内山氏について、まちづくりに知見があり、会社を起業し経営の実績がある、地域運営会社のリーダーとして必要な条件を満たす人だとした。

内山博文氏

内山氏は筑波大学体育専門学群卒。横浜市の横浜みなとみらい造船ドッグ跡地のリノベーションや、金沢市のビルをリノベーションしシェア型ホテルとして運営する再生事業を手掛けた。社長の任期は2年間。

内山氏は記者団の取材に「つくばセンタービルは建築的にも名がある。かなり老朽化していたり、今の時代にそぐわない設備もあるが、一部ハードの改修をしっかり行うことで、その後の運営をスムーズにつなげていきたい。市民や市の将来にとって有意義な結果をもたらすような運営形態をとって、地域や市民に開いた施設にすることで、様々な方々のコミュニケーションのきっかけを構築する場にしていきたい」とし、「市中心部でいろいろな起業家や地元企業が活躍しやすい環境を取り戻していきたい。市民活動や働いている方々をサポートしていくようなプラットフォームになる」などと抱負を話した。現在都内で会社を経営しているため、つくば市には最低限、週1回は来て、指揮を執るという。

新会社の取締役は4人で、専務は市学園地区市街地振興室の小林遼平係長(38)が派遣される。ほかに関彰商事と市から社外取締役が就任、沼尻商事から監査役が就任する予定。設立時の専任職員は4人で、市、関彰商事、沼尻産業から1人ずつ派遣されるほか、1人を直接雇用するとしている。

「不明な点多く説明不十分」

まちづくり会社の役割について市は、つくばセンタービル1階のアイアイモール部分約2500平方メートルを改修してシェアオフィスやコワーキングスペースとして運営するほか、中心市街地にわくわくする場をつくったり、人がつながる場をつくったり、情報を発信したり、ゲストハウスをつくったり、シェアハウスをつくるなどして中心市街地を活性化するとしている。

市が昨年12月に示した収支計画によると、当初の施設改修費は約2億7300万円、人件費や運営コストなど年間維持管理費は約6830万円。一方、収支計画で示されたのは、改修費や貸しオフィスの運営費などだけで、中心市街地をどう活性化していくのか、具体的な事業や収支計画はまだ示されていない。現在開会中の3月議会一般質問でも「不明な点が多く説明が不十分」「経営が厳しくなったらどうするのか」などの意見が出された。

まちづくり会社の今後のスケジュールは、4月以降、つくばセンタービル施設内の一部解体や設計を実施し、その後改修工事に着手する。2021年度末か22年度始めごろ第1期をオープンし、22年度中に第2期、23年度に第3期をオープンさせる計画。内山氏は「半年から1年かけて改修し、事業を本格的に立ち上げるのは1年後になる。目に見えて成果が出るには2年か3年かかる」と話している。

県南拠点、みらいのもり保育園内に完成 災害ボランティア防災倉庫

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覚書締結式。(左から)森戸久雄県社協会長、國松永稔関耀会事務局長、葉章二関耀会副理事長、川上美智子みらいのもり保育園園長、吉場勉つくば市社協副会長兼常務理事、稲葉光正つくば市社協事務局長

【池田充雄】県社会福祉協議会(社協)が県内各地に整備を進めている防災倉庫「災害ボランティアセンター用資機材ストックヤード」のうち、県南地区の拠点が3日、社会福祉法人関耀会みらいのもり保育園(つくば市鬼ケ窪、関正夫理事長)の敷地内に設置された。関耀会とつくば市社協との間で、施設の維持管理のための覚書も締結された。

ストックヤードは、県社協が県内各地の社会福祉法人と連携し、災害時の被災者支援のための資機材を分散配置するもの。県内全域をおおむね1時間以内でカバーできるよう9カ所を選んでおり、関耀会としては昨年10月、特別養護老人ホームまごころの杜(筑西市西方)に県西地区の拠点を置いたのに続く、2カ所目の設置協力となる。

施設は面積10平方メートル未満のコンテナ型。スコップ、デッキブラシ、一輪車、バケツ、ブルーシート、土のう袋、軍手などの資機材を多数配備し、特に使い捨てマスクは1000枚、防塵マスクは500枚、高圧洗浄機も1台用意した。

初動の立ち上げ早く

目的は、大規模な災害が発生し、被災地の市町村社協が災害ボランティアセンター(VC)を設置したとき、そこで使われる資機材を遅滞なく円滑に提供できるようにすること。

「県社協にも備蓄はあるが、近年は災害が広域かつ同時多発化している。また大規模災害では道路や鉄道などの交通手段が寸断されることも多い。初動の立ち上げを早くし、資機材の不足による支援の遅れが生じないようにしたい」と、県社協の森戸久雄会長は指摘する。

教訓となったのは一昨年の台風19号。県北5市町村に広域的被害が生じ、不足する資機材を現地調達しようにも、被災地のホームセンターなどはどこも商品が品切れ状態になり、苦労したという。このため、県北地域は特に手厚く、3カ所のストックヤードを置くことにした。

関耀会の葉章二副理事長は「今の災害は地震、風水害、コロナなど複合的かつ同時多発的。日々対策にいそしむ社協に感謝申し上げる。当法人の母体である関彰商事は創業以来113年、新しい時代の地域社会を、地域の皆様と共に作り上げるべく取り組んできた。災害に強い安心安全な社会を具現化していきたい」と話した。

つくば市社会福祉協議会の吉場勉副会長は「当会ではこの10年間に東日本大震災、北条地区竜巻被害、関東・東北豪雨と計3回の災害VCを立ち上げ、また県外の災害にもボランティアを派遣しているが、いずれも初動時の資機材確保には苦労した。立派なストックヤードを造っていただき感謝する」とした。

ストックヤードの設置場所となった、みらいのもり保育園

全9カ所の設置場所は以下の通り。今月内に全ての整備が終わる予定だ。

県央 県福祉会館(水戸市)
県北山間 仁川会(常陸大宮市)
県西 関耀会・特別養護老人ホームまごころの杜(筑西市)
県北臨海 日立市社会福祉協議会(日立市)
県南 関耀会・みらいのもり保育園(つくば市)
県南 明岳会・軽費老人ホームピソ天神(かすみがうら市)
県北山間 誉田会・児童養護施設誉田養徳園(常陸太田市)
県西 和風会・特別養護老人ホーム秋明館(古河市)
鹿行 鹿嶋市社会福祉協議会(鹿嶋市)

【震災10年】4 今いる地域で働いて友達と遊べたらいい 宇名根悠樹さん

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宇名根悠樹さん=土浦市内

【柴田大輔】「あれを見ると、本当に『帰れないんだ』って実感しましたよね」

原発事故で双葉町から避難した土浦市の宇名根悠樹さん(22)は昨年11月、9年半ぶりに故郷に帰った。町から連絡を受け、小学校に残したままの荷物を受け取るためだった。12歳で東日本大震災に遭った。母校に向かう途中、フェンスで封鎖された自宅へ続く道を見た。隔離された自分の家に疎外感を覚えたと話す。

やりかけのゲームがあった

「僕は『もう帰らない』って覚悟を決めて出てきたわけじゃないんです。だから、このまま帰れないなんて思えないんですよね。なんか寂しいじゃないっすか」  

当時は小学6年生で、卒業式を翌週に控えていた。4月には地元の中学に進学するはずだった。

「部屋にはやりかけのテレビゲームがあって、あと10分もやればクリアできたはずだったんです。最初は、それが本当悔しかったです」

そう苦笑いを浮かべて思い出すのは、兄と遊んだ自宅前の坂道や、父と作った木製の椅子、畑から採った野菜を料理する母の姿など、家族が暮らした双葉町での何気ない日々の出来事だ。

目立ちたくなかった

移動と転校を繰り返す避難生活は目まぐるしかった。原発事故による避難指示で、地震翌日に隣町に避難し、8日後には町ぐるみの集団避難で埼玉県へ移動した。茨城への転居は、約半年に及んだ避難所での集団生活ののちだった。

「双葉にいたころは、一度しか県外に出たことがなかったんです。スーパーで当たった懸賞で横浜の中華街に母と行ったんですよ」

茨城では、避難者に開放されたつくば市の国家公務員宿舎に部屋を借り、近隣の中学に通った。のちに隣の土浦市に借りた一軒家に家族で越している。学校では、避難者であることで「悪目立ち」するのが嫌だった。

つくばの中学校で、全校生徒を前にインタビューされたことがある。「事前準備なしだったので、すごく緊張して。別に嫌だったわけじゃないんですけど、『福島から来た宇名根くん』って、絶対目立つじゃないですか」

ゲームや読書が好きな、興味のあることにマイペースで向き合う少年時代だった。だが、目立ちたくなかった理由には、当時の報道も影響した。

「毎日のように『(避難者への)いじめ』をテレビで見てましたから、身構えたところはありました。でも、意識し過ぎだったのかもしれないですけどね」

幸い、中学・高校を通じて「避難」が理由でいじめに遭うことはなかったものの、高校では「福島出身」とあえて口にはしなかったという。

「高校で『福島出身』は隠してました。言ってもいいことないと思って。『福島で何があったの?』って毎回根掘り葉掘り聞かれるのが面倒だったんです」

「原付免許を取ったんですが、一度それを見られてバレちゃったんですよ。でも、そんなにみんな反応しなくて。気にし過ぎだったのかなぁ、みたいな。(震災から)時間が経ったってことかもしれないです。『気にすることなかったんだな』って、ほっとしました」

“悲しい人”ばかり取り上げますよね

取材の中で、宇名根さんがこう問いかけた。

「僕の友人も言ってたんですけど、インタビューって“悲しい人”ばかり取り上げますよね?」

続けてこう話す。

「僕はそういうのないんですよ。津波も見てないし、いじめにも遭ってない」

12歳の少年が経験した震災と、避難者として過ごした10代は、宇名根さんにとってどんな時間だったのか。

「福島で過ごした時間と、茨城の時間が半々くらいになってきてるんです。茨城の記憶の方が強いくらいです。でも、福島のことはよく覚えてるんですよね。近所の道とか」

「こっちでパン屋に行くとするじゃないですか。そうすると思い出すんですよ。『あぁ、あそこにパン屋あったな』とかって。友達にパン屋がいたんですよね」

「こっちで嫌なことがあったっていうわけじゃないんです。そうじゃなくて、単純に福島の方が好きだったんです」

母校で受け取った道具箱に、震災3日前に撮った自身の写真が入っていた

つくばの中学で出会った友人たちとは、今もよく遊んでいる。

「茨城に転校してきて、はじめ、あまりなじめなかったんです。でも先生がいい人で、『ゲームが好きな、気の合いそうな人がいるよ』って、隣のクラスの人たちを紹介してくれたんです。それは本当にうれしかった。いまでも仲良いですよ、そいつらとは」

10年後の自分について想像できるか聞くと、思いをまとめるように間を置きこう言った。

「10年後、福島に帰れたらっていうのは今も思います。可能なら。本当に可能ならなんですけどね。諦めきれないってことなんですかね。でも、今いる地域で働いて、友達と遊べたらいいんじゃないかなってのも思ってます」

そう言って、宇名根さんは優しい笑みを浮かべた。