木曜日, 7月 29, 2021
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《邑から日本を見る》83 モリカケに今度は菅の親子丼

【コラム・先﨑千尋】永田町、霞が関界隈(かいわい)で「モリカケに今度は菅の親子丼」というざれ歌がはやっているそうだ。際限のない官僚や国会議員、大臣の疑惑事件。総務省、農水省の違法接待が減給や厳重注意などでケリをつけたと思っていたら、また「文春砲」がさく裂し、総務省のナンバー2の谷脇康彦審議官、辞任した山田真貴子内閣広報官がNTTの接待を受けていたことが判明した。しかも金額は東北新社からの接待の時よりも多く、一度に10万円以上というから私たちには雲をつかむような話だ。

NTTの接待攻勢については、現時点ではまだ何が目的だったのかはわからないが、総務官僚と東北新社との関係については、これまでの報道で全体像がつかめるようになった。1放送事業者が、その死命を制する許認可官庁の担当者を現職課長から事務次官級まで芋づる式に違法接待の闇に取り込んでいた。そのキーマンが菅総理とその長男だったという構造だ。あまりにも無防備、異常な接待。なぜ優秀な官僚がリスクを冒してまであえて接待に応じてしまったのか。

私の知っている元総務官僚は「役所に忖度(そんたく)がはびこる中で、彼らにこれを断る選択肢はなかった。相手が首相の長男だから、拒否できなかったと思う」と語ってくれた。接待に応じた人たちは、会食の中で働き掛けはなかったと言っているが、その場に行っただけで、相手の要求、要望に応えるという意思表示、と考えるのが普通ではないか。他の会社の人たちとはそのような場を持たなかったと言っているのだから、問わず語りだ。

山田元広報官は「飲み会を絶対に断らない女」を動画で流していたそうだが、彼女はこの中で「イベントやプロジェクトに誘われたら絶対に断らない。飲み会も断らない。断る人は二度と誘われない。出会うチャンスを愚直に広げてほしい」と語っているそうだ(私は見ていないので)。そういう人が国会で首相の長男のことを聞かれると、「覚えていない」と言葉を濁す。そんな馬鹿なことがあるか。ウソに決まっているではないか。

この人から「自助」を聞きたくない

学校法人「森友学園」事件に絡んで、財務省の公文書改ざんをさせられて自殺した近畿財務局元職員の赤木俊夫さんの遺品には「国家公務員倫理カード」があった。「国民全体の奉仕者であることを自覚し、公正に職務を執行していますか? 職務や地位を私的に用いていませんか? 国民の疑惑や不信を招くような行為をしていませんか?」と書かれたカードは擦り切れていたという。菅総理や高級官僚の皆さんは、このカードを持っていないのかな。

菅総理はいつでも「自助、共助、公助」を口にする。しかし、総務大臣就任時に、無職だったバンドマンの長男を大臣秘書官として抜擢し、総務省の許認可先へ就職させたのは「自助」ではない。この会社は親と切っても切れない関係でもある。また長男が東北新社に入社する際、総務省と距離を置くように言ったと伝えられている。長男とは別人格だと言うのなら、こんなことを言うはずがない。この人から「自助」という言葉を聞きたくない。

コロナ対策でも今回の山田辞任劇でも、菅総理のやることは後手、後手。こんな人に、私たちの命と暮らしを任せておいていいものだろうか。(元瓜連町長)

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