土曜日, 7月 2, 2022
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「キーパーソン」 《続・気軽にSOS》112

【コラム・浅井和幸】「キーパーソン」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。病院への入院や介護施設に入所するときの手続きや連絡先などの協力をする人を指すことがあります。家族などが担うことが多いですが、身寄りがない方の場合は弁護士や施設の職員などが担うこともあるようです。

それ以外に、地域福祉でも支援時に課題解決のカギを握っている人という意味で使われることがあります。例えば、コミュニケーションの取れないひきこもりの方への支援としてのキーパーソンとして、接する機会が多い家族や友人、すでに支援をしているワーカーなどが挙げられるでしょう。

「悪いのは自分ではない、社会の方だ」という信念から、支援者とは会いたくない、何をされるのか分からずに怖いと感じている方は多いものです。支援を受けるなんて迷惑をおかけして申し訳ないと考えて、かたくなに支援を拒む方もいます。

良い悪いではなく人は支え合い、その多様性の中で生きていくものです。生活上で何か支障があれば、頼れるところを頼ることは大切なことです。

しかし、頼ることに慣れていない人が、そうそう簡単に支援者を利用することを選択できないことは当たり前のことです。心身にある程度の余裕がなければ、新しいことを始めることがさらなるストレスになり、避けたくなるのは不思議なことではありません。

そのようなときに、新しいことを取り入れることができる、周りの少しでも余裕のある方に関わってもらうことは、事態を変化させることにポジティブな影響を与えます。いろいろな関わり方のできる人が周りにいることは、複数の選択肢を得ることになります。

だれかの手を握りやすい状況になる

なので、支援者はキーパーソンを探すことが大切なことです。そうそう計画通りに進むことがない難しいケースであっても、たくさんの手が差し伸べられていたら、被支援者(利用者)が自分の意思で動こうとしたときに、だれかの手を握りやすい状況になるのですから。

被支援者の可能性を広げることが大切なことで、支援者が自分の信念でキーパーソンを決めつけて固定してしまうことはとても危険です。例えば、不登校は両親の仲が良ければ改善するという信念を持っている支援者は、「両親」をキーパーソンにして、さらに固定してしまいがちです。

実際にあったことですが、両親が仲良くなることが大切なので、不登校の子に直接会えるのに両親とばかり話しをして、いつまでたっても(といっても私からすれば短い期間でした)仲良くなるような兆候が見えないから、諦めてその家族との関わりを止めるという自称カウンセラーに接したことがあります。

課題の解決はいつも同じ道を同じようにたどるとは限りません。現状を変えたいと思い言動を変えていける些細(ささい)な積み重ねができる人が、できるところから変化させていくことが大切なのです。抱え込むことは避けなければいけませんが、大きな変化、安直なきっかけばかり追わずに、ほんの些細なかかわりの積み重ねを大切にしましょう。(精神保健福祉士)

あまり話さない息子と、あまり話さない私《ことばのおはなし》47

【コラム・山口絹記】あなたは、生まれてはじめて自分が発したことばを覚えているだろうか。

まぁ、覚えていないだろう。でも、親であれば自分のこどもが初めて発した意味のある(と思われる)ことばは覚えているのではないだろうか。我が家の上の娘も、最初は「まんまんま」とか「わんわん」とか、おそらく統計的にもよくあることばから話し始めていた。

しかし、下の1歳になる息子があまり話さない。

今年から保育園に通い始めたのだが、ついに保育園の先生に「あまり話さない」ということで心配されてしまっていた。普通はそろそろ「ママ」とか「わんわん」とかいうんですけど、ということらしい。かわいそうに、2人目のこどもということで、だいぶ適当に育てられている彼。母子手帳に書かれているような発育具合のチェックも適当になっていて気が付かなかった。

とはいえ、特に心配していなかったのには一応理由があった。保育園の先生にはなんとなく言えなかったのだが、すでにいろいろボキャブラリーがあったのだ。

一つは「でてって?(出ていけの意)」。何か気に食わないことが起きたり、私の帰宅時に飛び出すひとこと。これは姉のマネである。

もう一つは「うんてぃ、でたぁ(実際は出てない)」。まさかの「ママ」「パパ」より先に飛び出した二語文である。初めて聞いたときはだいぶ驚いたが、何も出ていないのが紛らわしいことこの上ない。困ったことである。他にも、「べろべろばぁ」とか、「てぃんてぃん」なんてことも言う。我が子ながらずいぶんと陽気な1歳児だ。

でもここにはことばがある

そして、ここ数日、ついに「まんまんま…」と言い出した。きちんと母の方を向いているので、たぶん理解して発話しているような気がする。さらには昨夜、隣の部屋から「パパパパパパ…」という声も聞こえたのだが、のぞき込むとにこにこして黙る。その場を離れるとまた、背後から「パパパパパ…」と聞こえる。私を呼んでいるわけではないのかもしれないし、もしかすると、からかわれているのかもしれない。まぁ、彼の真意を知ることはないのだろう。

息子と2人で近所のスーパーに買い出しに出ているとき、ふと数年前、私も頭の中の血管が破裂してことばが話せなくなったことを思い出した。あの時の私は、今の息子よりもことばを話すことができなかった。ことばのない、とても静かな景色を見ていた。

何かを見つけて駆けていったと思ったら、ふと振り返った息子がクシャッと笑った。そして次の瞬間には地面を歩くアリを捕まえている。食べないでくれよ?

今となってはすっかり話せる私と、あまり話さない息子。2人の時間はとても静かである。どちらもあまり話さない。でもここにはことばがある。私には見えるのだ。(言語研究者)

日本はプーチンのロシアになるのか 《ひょうたんの眼》50

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【コラム・高橋恵一】プーチンのロシアの理不尽なウクライナ侵攻を見て、日本の危機と防衛力の強化が叫ばれている。よくメディアに登場する「専門家」は、防衛省関係者・自衛隊幹部OB、あるいは旧大日本帝国の残影が残る関係者が大半だ。

「専門家」の解決策は、ロシアを押し返して、妥協できるところで停戦するシナリオだろうが、それまでにどれだけのウクライナ人が死ななければならないのだろう。ロシアの兵士は何万人死ぬのだろうか。世界の穀倉地帯の混乱で飢餓に陥る人々は16億人を超すとも予測されている。

プーチン大統領は、核兵器使用もいとわないという、無茶ぶりだ。NATO欧州加盟国は、防衛費をGDPの2%に増額するという。長期戦略として効果的かどうかも疑わしいが、少なくとも今のウクライナには間に合わない。

現在の日本の防衛予算は世界第8位。取りざたされているGDPの2%になれば、米国、中国に次いで、世界3番目の軍事費大国になる。

プーチンの侵略行為が、先の大戦のナチスドイツや大日本帝国軍の行動によく似ていることを考えれば、日本の防衛力強化は軍国日本の復活ともとられ、世界や日本国民が受け入れるとは思えない。世界は、そう見るのだ。

当然、中国もロシアも北朝鮮も、対抗して防衛力を強化する。それどころか、日本を警戒する意味で、韓国、台湾、フィリピンなどとの緊張も高めてしまうかもしれない。米国も、軍事産業部門以外からは、歓迎されないのではないか。

それにもかかわらず、憲法まで変え、日本の防衛力の抜本的強化を図る意味があるのだろうか。

不戦は日本の義務

ウクライナについては、「人命」と「人間の尊厳」保護を最優先して、現状で「停戦」するしかない。国連が、その役割を果たすしかない。

プーチンのロシアには、国際法も人道も通じない。先の大戦のナチドイツや大日本帝国の戦争と同じだ。だから、戦闘が予測される地域の外に市民を避難させ、現状で停戦する。どちらに不満があっても、これ以上の戦争継続は世界経済も地球環境も破滅するだけで、人類が滅びかねないからだ。

兵器は限りなく進化(?)高度化(?)するので、絶対的な攻撃力や絶対的な防衛などはありえない。中国で「矛盾」という言葉が生まれたのは何千年前なのだろう?

一方、大戦の反省から、日本人が苦難の末にやっと獲得した行動規範が、日本国憲法であり、その前文で「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、(その実現を果たすために)名誉ある地位を占めたい。全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免がれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と規定している。

不戦は日本の義務でもあるが、世界に履行を求める要求でもあるのだ。「核兵器禁止条約」はその第一歩であり、日本が締約国会議にオブザーバー参加もできなくて、どうするのだ。参院選で新しくなる国会議員は、どういう態度をとるのであろうか?(地図好きの土浦人)

安売りカメラ店 《写真だいすき》9

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【コラム・オダギ秀】また昔の話で、ゴメン。でも、店への愛を込めて書きたいのだ。とても若いころ、写真家仲間が頼りにしていた安売りカメラ店のことだ。

新宿の裏通りのその店は、間口が2、3間ほどだったろうか、住宅のような、お店とは思えないようなところだった。ガラスの引き戸を開けて入るとカウンターがあり、商品は並んでいない、カメラや写真の材料を売る店だった。近所にかつて浄水場があったので、その名前が付けてあった。

カウンターで「トライ、長巻き、2缶」のように言うと、無口な細っこいアンチャンが奥の棚から品物を持って来てくれた。貧しいカメラマンたちには、ありがたい安売り店だった。品物は並んでいないから、何というどんな商品か、価格はいくらならいいのか、わかる者だけが出入りする店だった。プロ機材ならまず手に入ったし、価格に不満なこともなかった。安かったのだ。

1年ぐらいしてからか、天井に穴を開け、2階の倉庫から品物をひもで吊り下げるようになって、品ぞろえとスピードが少し増し、店員も2人から5人くらいに増えたと思う。

昔、写真は、フィルムという感光シートか、それを細く巻いたロールで撮影していた。フィルムはパトローネという小さな金属ケースに巻き込まれていて、パトローネには36枚撮影分のフィルム入り、というのが普通だった。

プロやそのタマゴたちはパトローネ入りではなく、ずっと長くてコスパのいい100フィート入りの缶を買い、適当な長さにフィルムを切って、使用済みのパトローネに詰め、フィルム代を安くあげるようにしていた。

フィルムは真っ暗闇で作業しなければならないから、長巻きを両手で拡げて何枚撮りにするか、見ないでできるように、明室で目隠しして練習を繰り返した。

後には、店のDPEで出たものだろうか、使用済みのパトローネが捨てずに店の隅に置いてあり、ボクらはずいぶんそれをもらって使った。使用済みとはいえ、たいていは使えるものだったから、ありがたかった。

今では、あめだって売っている

ある時、新宿近くでバスに乗っていたら、ボクが写真材料の袋を抱えていたからだろう、離れた席からどこかのオッチャンがわざわざボクの所にやって来て、うれしそうに、でもヒソヒソ声でいい店があるんだよと、その店を教えてくれた。ボクは、知ってるよと返事してから、仲間だねと言って2人で笑った。

その店はどんどん大きくなり、プロの写真の店ではなくなった。今では何店もあり、いろんなものを売っている。今朝、ボクはその店のネットで、キャラメルを買った。今では、あめだって売っているんだぜ。

夕方に届いたそのキャラメルを口に含み、安さと早さに「あのころと変わんねえな」と思いながら仕事を続けた。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

つくばの坂路で実証実験 森林総研に電動四足歩行ロボット

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森林総合研究所(つくば市松の里、浅野透所長)は28日、ソフトバンク(本社・東京都港区、宮川潤一社長)と取り組む「電動四足歩行ロボット」による実験を公開した。スマート林業の実現と脱炭素社会をめざし、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)からの委託を受け、21年度からロボットの歩行実験を行っていたもので、6月から研究所内の施設で実証実験を開始した。

取り組むのは「NEDO先導研究プログラム/農山村の森林整備に対応した脱炭素型電動ロボットの研究開発」。傾斜角度が30度までの斜面の上り下りが全自動で出来るアメリカ製の四足歩行ロボットを採用して、森林環境において、高精度な自動歩行がどこまで可能になるか、通信の改善をどのように実現するか、など実地に検証する。

造林作業向けに開発

従事者の高齢化や担い手不足から、わが国の木材自給率は40%程度に留まり、国産材の供給力の強化が林業の課題になっている。近年は特に木材を伐採した後、新たに苗木を植えての「再造林」が進まないことが悩みになっているそう。

抜根や下刈りなどに人手を要するうえ、傾斜地での作業となるため労働負荷が大きい。この「造林」作業にマッチした走行性能を有するモビリティーの開発を目指している。具体的には、シカの食害対策のため設置する防鹿柵の点検、苗木の運搬、森林資源の調査・計測などの作業を想定している。

21年度は森林総研と連携協定を結ぶ北海道下川町で、造林地や急傾斜地、積雪などの環境下で電動四足歩行ロボットの歩行能力について調査・検討を行った。一定の条件下であれば斜面や障害物などがあっても安定した歩行ができることが分かった。

今年度は作業が可能な地表面の凹凸や柔らかさ、傾斜などを明らかにする。また、設定したルートを自動で歩行する機能や、複数台のロボットで協調作業を行うためのシステムの開発に取り組む。造林地の多くは携帯電話の電波が届かない場所だが、ロボットを運用するために衛星通信や長距離・広範囲をカバーするWi-Fiなどの複数の通信手段を用いて、ロボットが自動で歩行するための通信環境の構築や検証を行うとしている。

森林総研には傾斜角が10度、17.5度、25度などのスロープを持つ「築山」と呼ばれる屋外実験施設があり、28日には四足歩行ロボットが12キロほどの荷物を背に、上り下りを繰り返してみせた。ここでプログラムを組み替えながら模擬的な実験を行い、順次筑波山や下川町の実証フィールドで個別検証する形になるという。

森林総研の宇津木玄研究ディレクターは、再造林が進まない理由に、伐採の収益が経費を下回る構造をあげる。アメリカ製ロボットは価格こそ明かされなかったが、軍事用から民生用に転用された高スペックの高額商品という。宇津木ディレクターは「実際にロボットが導入されるとしたら、全く別のものになるはずだ。将来的には、できるだけ国産の技術でロボット開発を進めたい」との考えでいる。(相澤冬樹)

500号の大作も 県つくば美術館で「茨城の美術セレクション」展

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茨城県で活躍中の作家たちの作品を展覧する「茨城の美術セレクション」展が28日、県つくば美術館(つくば市吾妻)で始まった。県の美術界を代表する27人の作家による日本画6点、洋画16点、彫刻5点を展示する。

今年1月に県近代美術館(水戸市)で開かれた「第12回現代茨城作家美術展」に出品した100人の中から27人、27点の作品を選抜して展示する。19日までの県陶芸美術館(笠間市)に続く移動展覧会で、来年3月1日から12日には県天心記念五浦美術館(北茨城市)開催と、それぞれ異なる作品の展示となる。

昨年の開催では約1400人が来場した。作家自身が来場者に技法や制作への思いを話す「ギャラリートーク」が毎回好評だが、今回は来場者との対面スタイルでは実施せず、会期終了後にYouTubeでトークの動画を配信予定だという。

会派やジャンルの垣根を越えた大作が一堂に会する。展示された作品の中には、500号の大きさの絵画2つで構成された筑波大学名誉教授、玉川信一さんの作品「愚者の階梯(かいてい)」や筑波大教授、仏山輝美さんが自らの顔や手をモチーフとして描いた作品「月光」など、生と死を感じさせるような作品が並ぶ。

県美術展覧会事務局(水戸市千波町)の学芸員、天羽かおるさんは「生と死のテーマは作家が生きていく中で突き当たる必然。現役の作家が今まさに感じていることを表現している。コロナ禍以後は、作品にじっくり対面し丁寧に見られている方が多くなった。肌感覚だが、以前より特に男性で、お一人で来場される方が増えているように感じる」と話す。

市内から訪れた男性は「図書館に寄ったついでに見に来た。近代的な感じの作品が多く、おもしろい展覧会」と話した。(田中めぐみ)

◆「茨城の美術セレクション」展は7月10日まで。開館時間は午前9時30分~午後5時(月曜休館。最終日は正午まで)。入場無料。

病院はそろそろ建て替え? 霞ケ浦医療センターの鈴木さん【キーパーソン】

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土浦市の高台、下高津にある霞ケ浦医療センターは築53年になる。10数年前、勤務医が激減、それに伴い利用者が減り、廃院を取り沙汰されたこともあった。しかし、行政や大学を巻き込んだ病院改革が進み、医師の数は元に戻り、利用者も増えている。鈴木祥司院長に、どんな方法で危機を脱したのか?建て替えプランは?などについて聞いた。

霞ケ浦医療センターは「霞ケ浦海軍病院」に始まり、戦後まもなく「国立霞ケ浦病院」として出発。土浦市や近隣の人たちから「コクリツ」と呼ばれ、県南地域の医療を担ってきた。そして2004年に独立行政法人となり、「国立病院機構霞ケ浦医療センター」という長~い名の病院として再出発した。

存亡の危機→土浦市と筑波大の支援で再生

「存亡の危機に陥った」のは、「(国の)臨床研修制度の変更」(2004年)が主因。大学病院自体の研修医が減ったことから、それまで大学の病院から国立病院に派遣されていた医師が引き揚げられ、「50人近くいた医師が18人、内科はたった1人」に激減。総合病院の体を成さない、ほぼ産婦人科だけの病院となった。運営上は2008~2010年ごろが一番大変だったそうだ。

ここで土浦市が動く。2011年に市代表、県代表、機構代表、筑波大学代表などから成る「将来構想委員会」が発足。翌12年、「(当時の)中川市長と市議会の英断で」実現した寄付講座がテコとなり、病院内に「筑波大学付属病院・土浦市地域臨床教育ステーション」を設置。大学病院から教官3人が派遣され、筑波大の地域拠点病院になるとともに、地域医療の教育機関としての役割を担うこととなった。

現在、筑波大からの教官派遣は5人に増え、県内8カ所の地域臨床教育センター(当初の「ステーション」を改称)の1つとして、診療・教育・研究を行っている。これに伴い、筑波大から次々と医師が集まり、医師数は48人(2022年現在、筑波大出身がほとんど)に戻った。一時は減少した病院利用者も増え、「ずっと赤字だった収支は2017年から黒字となった」

建て替え、病院機構本部の優先順位は高い

黒字化に伴い、古くなった病院の建て替えも検討されたという。ところが、国の診療報酬引き下げにより、全国140病院を統括する病院機構本部の「経営」が悪化。赤字に転落したことから、全国すべての国立病院で、新規の病院建て替えなどの大型設備投資が凍結された。この投資ストップは今も続いている。

病院にとって大事なのは、患者を診る職員と医療機器であり、入れ物(建物)ではない。しかし、新しい建物は職員の志気を高め、利用者の病院への信頼も高める。鈴木さんは「建て替えには、機構本部の収支好転が必要。そして地域の信頼が最も大事。当センターは古いこともあり、建て替えの優先順位は高い」と読んでいる。

当面は、コロナ禍の経験も踏まえ、感染症対応など外来機能を強化する施設の改修を急ぐ。加えて、古くなった病棟(現在250病床)の改修に向け、約12万平方メートルの病院敷地の一部を老人介護施設などに貸し、その賃料を病院経営に回すことも検討している。

【すずき・しょうじ】1990年秋田大学医学部卒。同年、筑波大学臨床医学系内科・循環器内科レジデント。民間病院を経て、2000年国立循環器病センター・心臓血管内科スタッフ。2005年米シーダーズ・サイナイ メディカルセンター(加州)リサーチフェロー。2007年茨城県立病院・循環器内科部長。2011年霞ケ浦医療センター副院長。2013年から院長。ほかに、筑波大臨床教授、茨城県医師会副会長、日本循環器学会専門医など。千葉県生まれ、58歳。つくば市在住。

【インタビュー後記】霞ケ浦医療センターは、土浦市・筑波大と連携し、医師の教育・研究を支援しながら、地域医療を担う「市民病院」となった。鈴木さんは、病院医療、在宅医療、老人介護をつなげ、「土浦を医療・福祉のモデル地域に」と語る。行政と大学のコラボによる再生物語は新築病院で完結するわけでなく、その先も続く。(経済ジャーナリスト・坂本栄)

コーヒーの木を買って考えた ものの値段 《続・平熱日記》112

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【コラム・斉藤裕之】草刈りのアルバイトから戻ったら、まずはシャワーを浴びて昼飯。午前中だけの作業とはいえ、炎天下の数時間の労働はこたえる。「おお、今日はソーメンか!」

すると、「ちょっと欲しいものがあるんだけど」。カミさんにしては珍しいおねだり?「コーヒーの木が欲しいんだけど」。「は?」。カミさんの口から出たのは、意外な言葉だった。「コーヒーの花ってどういうのか、知ってる? 白くてねえ、すごくいい香りがするんだって…」と、聞き返される前に説明を始めるカミさん。

要するに、コーヒーの花を見てみたいが、ある程度の大きさの木にならないと花は咲かない。ついては、先日立ち寄ったコーヒーの専門店で、花を咲かせそうなコーヒーの木を見かけたので、是非買い求めたい、ということのようだ。

はて、これまでもコーヒーの木を目にすることはあったはずだが…。確かに花を見たことはないし、そもそも日本の気候には合ってないんじゃ…。ビニールハウスで栽培しているとか、沖縄でどうのこうのというのは聞いたことはあるけど…。

とにかく、その店でコーヒーの木にひとめぼれをしたということだと理解した。「それで、そのコーヒーの木はいくらすんの?」って聞いたら、「〇〇円。でも安いと思うの!」。カミさんはネットで調べていたらしいが、その金額に少しひるんだ私。

「それにもうすぐ誕生日だし…」というダメ押しの一言。そういえば、このところ特にプレゼントもしていないなあと思って、ソーメンを流し込んでその店に向かった。

草を刈って草を買うとは

店に着くと、お目当ての木が見当たらない。店員さんに尋ねてみると、風が強いので裏の倉庫に入れてあるという。「これをください」。元気そうな葉を身に着けた木は、ぎりぎり軽のバンに乗るほどの高さだった。その店のシンボルツリーのような存在だったのか、店員さんも名残惜しそうに見送ってくれた。

カミさんは以前園芸店で働いていたことがあって、植物のことは一通り詳しい。だから、日当たりだの水やりだのは口を出さにことにしている。結果、2階に置くのがいいだろうということになった。大きさといい葉の緑といい、なかなかいい感じだ。うまく育てれば花も期待できるし、店員さん曰く、実もなるかもしれないということだった。

こうして我が家にやってきたコーヒーの木。せこい話だが、はじめはその値段が随分と高いものに思えた。貧乏性の私としては、何かと比較してなんとか納得しようとした。食べ物、洋服、電化製品…。

しかし、実用的なものの値段と比べてもしっくりこない。何でもかんでも安いのが当たり前の、消費文化に麻痺(まひ)させられていた自分に気づかされた。例えば、自分がこの木をこの大きさまで育てるとして、その手間や年数を考えると、その値段は妥当なものに思えた。 そして結局、私の基本的な金銭感覚は肉体労働の時給だと理解した。草刈り3日分の日当で、カミさんにお誕生日プレゼントを買ってやれたわけだ。草を刈って草を買うとは…。実は、カミさんは挿し木も得意で、増やしたコーヒーの木を娘たちにもプレゼントしてやりたいという。梅雨のころが挿し木にいいのだそうだ。(画家)

つくば市に脅迫メール

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つくば市は27日、市役所に対し「28日に幼稚園児及び女子学生を誘拐する。市役所及び市施設のスプリンクラーにつながるタンクに薬物を混入した」などとする脅迫メールが届いたと発表した。

24日に市のホームページにメールが届いた。市はつくば警察署に連絡し、市内の保育施設や幼稚園、小中学校、保護者に注意喚起の通知をした。

さらに庁舎内の給水設備を点検し、各施設にも点検や注意喚起を実施した。27日までに給水設備に異状はないという。

28日は各学校で職員などの見回りを強化し、登下校時の安全確認を行うとしている。

同様の内容の脅迫メールは全国各地に送られている。被害は出ていないという。

63人に誤った投票用紙渡す 参院選期日前投票でつくば市

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参院選の期日前投票で、つくば市は27日、誤った投票用紙を63人に渡したと発表した。比例代表選挙の投票の際、茨城選挙区の用紙を渡してしまい、63人はそのまま誤った用紙で投票した。

63人の比例票が有効か無効かについて市は、県を通じて総務省と相談している。県選挙管理委員会は、所定の投票用紙で投票しなければならないと公選法で定められており、投票は無効票となってしまう可能性が高いとしている。

市選挙管理委員会(南文男委員長)によると、26日午前10時からイオンモールつくば3階で実施された期日前投票で、茨城選挙区の投票の後、比例代表の投票をする際、比例代表の白い投票用紙を渡すべきところ、誤って選挙区のクリーム色の投票用紙を渡してしまったとされる。

同日午後0時20分ごろ、その日64人目の有権者から指摘があり、投票用紙が違うことが分かった。

投票用紙は選挙区と比例代表の2種類あるが、朝、投票用紙の準備をする際、投票事務の担当職員が、保管庫から選挙区の投票用紙だけを取り出し、比例代表の投票用紙を取り出さなかった。市の事務要領では本来、投票用紙の準備は複数で確認するとされているが、もう一人の職員がその場を離れていたなどから、単独で投票用紙の準備を行ったのが原因という。

同会場での期日前投票は午前10時から始まり、計4人の職員が選挙事務に当たったが、午後0時20分に指摘を受けるまで、だれも誤りに気付かなかったという。

誤った投票用紙を渡してしまった63人に対しては今後、市選挙管理委員会委員と市幹部が自宅を訪問し、謝罪するとしている。再発防止策として市は、投票用紙準備のチェック表を作成し、28日から、複数で投票用紙を確認するよう徹底するとしている。

南委員長は「選挙事務の執行に関し、信頼を損ねる結果となってしまったことに対し深くお詫びします」としている。

規模縮小し研究学園駅周辺に変更 まつりつくば2022

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つくば市最大の夏祭り「まつりつくば2022」(まつりつくば大会本部主催)について、同市は27日、今年は規模を縮小し、会場を変更して、8月27日と28日の2日間、TX研究学園駅近くの研究学園駅前公園と周辺道路で開催すると発表した。

まつりつくばは41年前の1981年に初めて開催されて以来、つくば駅周辺で催されてきた。会場が研究学園駅周辺に変更されるのは初めて。新型コロナウイルス感染拡大の影響で2020年と21年は中止となっており、今年は3年ぶりの開催となる。

市観光推進課によると、詳細はまだ固まってないが、ねぶたやみこしの一部が同駅前公園の周辺道路をパレードするほか、公園内ではステージイベント、バザー、スポーツイベント、ふれあい広場などを開催する予定だ。

ねぶたパレードは例年、つくば駅近くの土浦学園線を通行止めにして10基ほどが練り歩いたが、今年、何基出るかは現時点で未定という。

まつりの開催時間は、例年午後9時までとしていたが、今年は両日とも午後8時までと1時間繰り上げる。

会場変更について、まつりつくば事務局の市観光推進課は「今年は規模を縮小するので、土浦学園線という大通りを通行止めにすることは難しかった」とする。

会場の変更は、今月22日の本部会議で正式決定したが、異論などは出なかったという。

今年のまつりつくばについて同課は「新型コロナの状況下で何ができるか、今年は新しい形の祭りを試すことになる」とし、来年以降については「来年に向けてどうするのか、つくば駅周辺も含めて、今年のまつりつくばが終わってから、改めて協議したい」としている。

「まつりつくば2022」のプログラムについては、内容が決まり次第、順次、大会本部のホームページなどに掲載するとしている。

筑波大出身の代表監督 U-23アジア杯3位を報告

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19日までウズベキスタンで開かれたサッカーのU-23「アジアカップ2022」(アジアサッカー連盟=AFC=主催)に出場していた21歳以下日本代表を率いた大岩剛監督(50)が27日、つくば市二の宮の関彰商事(関正樹社長)つくばオフィスを訪れ、3位入賞を報告した。大岩監督は同社スポーツアドバイザーを務めている。

次はパリ五輪予選

大会には16カ国が参加。23歳以下のチームが闘う大会で日本代表は、2024年に開催されるパリオリンピックを念頭に、21歳以下のチームで臨み、3位決定戦でオーストラリアに快勝した。日本代表は3位となったことで、パリ五輪予選となる次回大会で、グループリーグを分ける際に有利となる「ポット1」の獲得が確実となった。

大岩監督は大会を振り返り、「優勝を目指していたし、そのチャンスがあっただけに悔しいが、(オリンピック最終予選に向けて)最低限の結果を持ち帰ることができた」とした上で、「他国は23歳以下。その中で(21歳以下で)闘うことはタフだった。この結果は評価できると思う」と話した。オリンピック予選に向けた今後の強化ポイントについては、「アジアでは通用してもヨーロッパや世界で通じないことはある。全体的に個人の能力をあげていかなければ」とした。

静岡県出身の大岩監督は、1991年に入学した筑波大学で蹴球部主将を務めた。その後、名古屋グランパス、ジュビロ磐田でプレーし、2003年から鹿島アントラーズに移籍し、鹿島のリーグ三連覇に貢献するなど中心選手として活躍した。2011年に選手を引退後はアントラーズでコーチ、監督を歴任し、2021年4月U-21日本代表監督に就いた。関彰商事のスポーツアドバイザーには2020年就任し、同社のスポーツ支援活動や運動部活動などをサポートしている。

学生時代を過ごしたつくば市に対して「学生として暮らしていた街。愛着がある」と話す大岩監督。筑波大のOBが監督を務めるチームとして、U-21日本代表に「つくばや茨城のみなさんに関心を持ってもらい、応援していただけたらとてもうれしい」と語った。(柴田大輔)

終わっていない水俣病だが… 《邑から日本を見る》114

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【コラム・先﨑千尋】5月下旬、鹿児島市から熊本県水俣市に向かった。高速道路を使うと2時間余。山の中をひた走り。ここにも2人の朋(ほう)友がいる。1人は、水俣病患者支援のために水俣に入り、そのまま居ついてしまった大澤忠夫さん。もう1人は、市長として初めて水俣病患者に陳謝し、水俣病問題の解決に当たり、新しい水俣づくりに奔走した吉井正澄さん。

「公害の原点」と言われた水俣病が南九州の片隅で発見されたのは、経済白書が「もはや戦後ではない」と書いた1956年のこと。チッソが波静かな不知火(しらぬい)海の一部である水俣湾に猛毒のメチル水銀を垂れ流し、魚を通して周辺漁民や住民の人体を蝕(むしば)み、今なお被害に苦しむ人たちが大勢いる水俣。今回も、チッソ水俣工場の正門、毒を流した排水溝と埋立地、小さな漁港、水俣病歴史考証館などを1日歩いた。

大澤さんが京都にいた頃、水俣病患者に出逢い、1973年に水俣に移住した。水俣病患者たちは、海が有機水銀で汚染されていたため漁業ができず、陸に上がって山を切り開き、甘夏の栽培を始めた。当時の甘夏栽培には20回もの農薬を散布していたが、「他人に毒を盛られた者は、他人に毒を盛らない。加害者になりたくない」と、農薬や除草剤の散布を止めた。

そして、大澤さんは生産者たちと「反農薬水俣袋地区生産者連合」(反農連)を結成し、反農薬、有機栽培、自主販売を柱に、甘夏をはじめとする柑橘(かんきつ)類、野菜などの出荷を行うようになった。

こうして生産された甘夏は、表皮が“がさくれ”。見た目が悪く、売れない。大澤さんはその甘夏をリュックに詰め込み、つてを頼って売り歩いた。当時、私は『消費者レポート』で「ガサクレミカンを食べてください」という大澤さんの記事を読み、水戸市の友人たちと共同購入を始めた。それが私と水俣との出会いである。大澤さんには水戸まで来てもらったこともある。酒が回ると、カセットにスイッチを入れ踊り出す。座は一気にはじける。

今回、ミカン畑にも連れて行ってもらった。海が間近に見え、眺めはいいが、急斜面。高齢でミカンづくりを止める生産者が増えているという。大澤さんの家も、息子、娘の2代目に代わっている。

記憶を呼び覚ますものが消えている

吉井さんは市内の山奥に住んでおり、90歳になる。1994年に水俣市長に当選し、水俣病患者の精神的な救済を優先課題とし、市民の意識革命に取り組んだ。「環境モデル都市」をめざし環境学習に力を入れ、22分類のごみ収集、リサイクル工場の誘致など、行政だけでなく、市民が参加する活動を展開した。出身が市街地や海岸沿いではないため、客観的な見方、考え方ができたのだと思える。

私には、2000年に同市で開かれた「環境自治体会議」が忘れられない。私が司会を担当した分科会には、吉井市長のほか、岐阜県御嵩町長の柳川義郎さん、鎌倉市長の竹内謙さん、東海村の村上達也さんが出席したが、たまたま直前に柳川町長が暴漢に襲われるという事件が起こり、岐阜、熊本両県警の警備の人たちが会場をぐるりと取り囲んだのだ。

吉井さんの住まいの周辺は皆、棚田。石積みの田んぼを見ると先人の苦労がしのばれる。今でもトラクターに乗ると言う吉井さんは、がんが再発したそうだが、若々しい。田畑を上ったり下りたりだから、足腰が鍛え抜かれている。文章を書き続けているので、頭もさえている。

水俣は進化し続ける町。そう思いながら水俣通いをしてきたが、今回は市内では水俣病の記憶を呼び覚ますものが消えている。なぜなのだろうかと考えながら、水俣をあとにした。(元瓜連町長)

雨男・晴れ男 《短いおはなし》4

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【ノベル・伊東葎花】

雨と晴れなら、晴れの方が好き。
きっと9割くらいの人がそう答えるはず。
私、間違っていないよね。

好きだった彼は究極の雨男。初めてのデートは台風級の大雨。
会うたび雨。いつも雨。彼の人生、大切な行事はすべて雨だったと打ち明けられた。

大粒の雨が窓ガラスを叩(たた)く小さな部屋で「結婚しよう」と彼が言った。
不器用だけど優しくて、きっと私を大切にしてくれる。
嬉(うれ)しかったけど、ふと考えてしまった。
彼と一緒にいる限り、この先の行事はすべて雨。
結婚式も新婚旅行も、絶対雨だ。
子どもの行事も家族旅行もすべて雨だ。

迷っていたときに現れたのは、取引先の御曹司。
出会ったばかりでグイグイ来られて、ついに誘いに乗ってしまった。
初めてのドライブは、最高の青空。グレイの雲がみるみるうちに去っていく。
「俺、究極の晴れ男なんだ」
彼が言った。私の中で、何かが揺れた。

彼とのデートはいつも晴れ。降水確率80%をも覆すパワー。
テニスにゴルフ。キャンプにバーベキュー。
楽しくて、結局私は、晴れ男を選んだ。
土砂降りの日に雨男と別れ、秋晴れの日に晴れ男と結婚した。

だけど幸せは続かなかった。
晴れ男は、家庭を顧みない遊び人で、子どもが生まれても協力どころか無関心。
たった3年で離婚した。離婚した日も悲しいくらいの晴天だった。
優しかった雨男の彼を思い出す毎日。やっぱり私、間違えた?
ひとり息子の晴太(はるた)は、父親に似て晴れ男。
入園式も遠足も、雨に降られたことはない。
しかし幼稚園最後の運動会、ピカピカのお天気だったのに、年少組のかけっこが始まる辺りから、何やら雲行きが怪しくなってきた。
そして突然降りだした大粒の雨。
運動会は一時中断で、みんなテントの中に避難した。
「予報、雨じゃなかったのにね」と困り顔の保護者たち。

そのとき、ひとりの男が園庭の真ん中に出てきて頭を下げた。
「すみません。この雨は、僕のせいです」
思わず息をのんだ。彼だ! 究極の雨男の彼だ!
「僕が来たら雨が降ることはわかっていたのに、どうしても息子が走る姿を見たくて来てしまいました。ごめんなさい」
ふくよかな女性が走ってきて、彼の隣で同じように頭を下げた。
「夫が雨男ですみません」
たちまち起こる爆笑の渦。怒っている人なんて誰もいない。

ああ、そうか。私もこんなふうに彼を支えればよかったのか。
ずぶ濡(ぬ)れなのに幸せそうなふたりを見ながら、自分の愚かさに気づいた。
雨に濡れるくらい、どうってことないのに。

彼が帰ったと同時に、雨が止んだ。
園児たちが、いっせいに走り出す。喧騒(けんそう)の中、取り残された気分でしゃがみ込んだ。
「ママ」と晴太が私の手を握った。
「虹が出てるよ」
見上げると、空いっぱいの虹が、地球をまるごと包んでいる。
なんて優しくて、なんて美しい。
ああ、そうだ。私、やっぱり間違っていない。
自分で選んだ人生だもの。
私は、世界一愛しい小さな晴れ男の手を、ぎゅっと握り返した。(作家)

人材の育成・発掘・登用:過去に学ぶ 《文京町便り》5

【コラム・原田博夫】岸田首相は、2021年9月の自民党総裁選からの「新しい資本主義」を、22年6月公表の骨太方針で重点分野は「人への投資」と具体化した。「人への投資」を抜本的に強化するため、3年間で4000億円規模だ。この金額が妥当・十分かどうかも問題だが、誰がこうした人材育成を担うのか。

社会的な行き詰まりを振り返ると、江戸時代末期が参考になる。幕藩・鎖国体制下の江戸時代の後期には、「読み書きそろばん」の修得を第一義とした藩校や寺子屋・道場などが全国に普及していた。一方で、蘭学などの実践的な学問も、長崎・出島や大阪・適塾などの限定された機関で教授されていた。

さらには、西南雄藩は武器調達のみならず、実用知識を目指して、自藩の若者を留学生として(幕府には秘密裏に)派遣していた。

こうした動きは全国に広がり、幕府も各藩もそれぞれの窮状を打破するために(日本全体での国難という認識よりも、自藩の立て直しが優先されていた気味があるが)、積極的に人材を登用し始めた。幕府が派遣した使節団を見てみよう。

津田梅子、福沢諭吉、渋沢栄一…

第1は、安政7年1月(1860年2月)の遣米使節団で、正使、副使、目付・小栗忠順など総数77名が米艦に乗船。軍艦咸臨丸(かんりんまる)に、軍艦奉行、船将・勝麟太郎(海舟)など91名が随行。年少の津田梅子は日本人初の女子留学生として、福沢諭吉も随員として参加。

第2は、文久遣欧使節団で、文久元年12月(1862年1月)、総数38名がヨーロッパに派遣された。日本人として初めて第2回ロンドン万博を見学し、随員には福沢諭吉や福地源一郎もいた。

第3が、第2回文久遣欧使節団で、文久3年12月(1864年2月)、総勢34名がフランスに向かい、パリ協約の成果はあったが幕府は破棄している。

第4は、慶応3年1月(1867年2月)の訪欧使節団で、第2回パリ万博への正式参加を主目的に、将軍慶喜の弟昭武が名代だった。渋沢栄一、箕作麟祥、佐野常民などが同行していた。しかし、慶応3年10月14日(1867年11月9日)の大政奉還の報を1868年1月に受け取ることになった。

人材は登用すべきもの

このほか、幕府最初の海外留学生11名(榎本武揚、赤松則良、津田真道、西周など)は、文久2年9月(1862年11月)、長崎からオランダに向かった。萩藩士・伊藤博文、井上馨など5名も、文久3年5月(1863年6月)、横浜から英国に密出国している。

こうしてみると、その後活躍した人物は、海外渡航という千載一遇のチャンスをリスクとみなさずチャレンジした随員や脱藩者などに多い。派遣した幕府や各藩では当初の主目的は果たせなかった(見返りは得られなかった)が、結果的には、その後(明治期)の日本にとっては不可欠になった。散在していた有為の人材を発掘・登用できたのである。

私の結論は、人材は育成されるものではなく、登用すべきものである。問題は、だれがどのように発掘するか、である。(専修大学名誉教授)

3次元集積に足場 TSMCジャパン研究開発センター、産総研つくばにクリーンルーム

半導体の受託製造で世界最大手のTSMC(本社・台湾 新竹市)の子会社、TSMCジャパンは24日、つくば市小野川の産業技術総合研究所つくばセンター内に建設していた3DIC(3次元集積回路)研究開発センターのクリーンルームの完成を発表し、同日オープニングイベントを開催した。

半導体を立体的に積み重ねて高性能化を目指す「3次元化」技術を研究する。TSMCとしては台湾以外に初めて開設する研究拠点となる。総事業費370億円の約半分に当たる約190億円を日本政府が支援する体制を組んでおり、2021年3月に3DIC研究開発センターを設立した。これまでに旭化成や信越化学工業など国内24社の半導体関連企業が参加している。

台湾本社から魏哲家(シーシー・ウェイ)最高経営責任者(CEO)がつくば入りし、萩生田光一経済産業相と会談した。式典に臨んだ萩生田経産相は「かつて世界を席巻した日本の半導体産業は凋落(ちょうらく)著しい。過去を反省して国際連携に可能性を見いだした。3Dパッケージの技術に日本の装置、材料メーカーの支援を得てイノベーションを起こしていきたい」とあいさつした。

あいさつする魏哲家CEO(左)と江本裕3DIC研究開発センター長

式典には国会議員のほか、大井川和彦知事、五十嵐立青つくば市長、石村和彦産総研理事長らが出席。口々に期待を述べた。

高度なパッケージング技術の研究

3DIC研究開発センターは、産総研西事業所のTIA共用施設に向かい合う形で建設された。2階建て施設の2階がクリーンルーム。建設規模などは明らかにされていないが、産総研によれば1800平方メートルの広さがある。研究者・従業員数の詳細も伏せられたが、台湾からの派遣と日本国内からの採用がほぼ半数になるという。

稼働開始した3DIC研究開発センターのクリーンルーム=TSMCジャパン提供

材料科学における次世代の3次元集積化技術や高度なパッケージング技術の研究を推進する。これらにより、コンピューティング性能の向上や多機能化を実現するシステムレベルの革新が実現され、従来のトランジスタサイズの縮小に加え、半導体技術を前進させる新たな道が開かれる。

江本裕センター長によれば、半導体の性能を高めるため、ナノスケールの微細な加工によって密度を高める従来の手法では、物理的な限界が近づいているそう。発熱や静電容量の問題もあり、異種プロセスで製造した複数の半導体チップを混載し、縦方向(3次元)に集積する手法に注目が集まっているという。

この際、「日本には、世界の半導体サプライチェーンにおいて重要な機能性材料や主要技術を保有する企業が数多くあり、共にスケール(規模)を大きくしていくことで、半導体プロセスの革新に取り組んでいく」(江本センター長)としている。

同センターが技術開発に注力するのはウェハーからチップを切り出して製品化する「後工程」の部分となり、「前工程」技術に取り組んでいる産総研と共同研究の体制をとる。産総研から研究者が直接、同センターに所属して研究に加わることはないそうだ。(相澤冬樹)

7月2日から説明会とアンケート つくばの洞峰公園パークPFIで県

つくば市二の宮にある県営の都市公園、洞峰公園(約20ヘクタール)に今年4月から、民間の資金やアイデアを活用するパークPFI(公園設置管理)制度が導入され、グランピング施設やバーベキュー(BBQ)施設の整備、南側駐車場の拡張などが計画されている問題で、県都市整備課は24日、説明会とアンケート調査を7月2日から実施すると発表した。

説明会は県が主催し、7月2日から31日まで計4回、つくば市内の3会場で開催する。県都市整備課と、パークPFI事業者の「洞峰わくわく創造グループ」(代表法人・長大)が、バークPFI事業の目的、事業内容のほか、今年3月のオープンハウス型説明会で出された意見や、市民団体から寄せられている要望書など、これまで寄せられたさまざまな意見に対し、県や事業者の考え方を説明するという。

説明会の定員は会場ごとにそれぞれ100人~400人。説明資料は7月1日までに県都市整備課のホームページに掲載するという。

併せて、7月2日から8月31日までの2カ月間、アンケート調査を実施する。アンケート用紙は説明会会場でも配布し、会場でも回答を受け付けるほか、県ホームページ(HP)に掲載し、HPで回答を受け付ける。県都市整備課はアンケートの内容について「計画をより良くするためのアンケートになる」などとしている。

パークPFI事業による洞峰公園のリニューアル計画に対してはこれまで、地元の五十嵐立青つくば市長が、グランピング施設とBBQ施設について「周辺に対し臭いやアルコールなど懸念がある」などと表明している。

ほかに、公園周辺に住む住民らでつくる市民団体「地域参加型の洞峰公園整備計画を求める会」(木下潔代表)が、公園管理者と地域の利用者が話し合う「協議会」を設置するよう4000人を超える署名を添えて県などに提出している。同会はさらに南側駐車場を拡張するため伐採予定の約300本の樹林地に、準絶滅危惧種のキンラン、ギンランが確認されたなどとして、希少な動植物を保全するよう求めている。

◆洞峰公園パークPFI事業説明会の日程は以下の通り。
①7月2日(土)午後2~4時=つくば国際会議場Leo Esakiメーンホール(大ホール)、つくば市竹園2-20-3、定員400人
②7月12日(火)午後7~9時=谷田部総合体育館、つくば市谷田部4711、定員100人
③7月21日(木)午後7~9時=谷田部総合体育館、定員100人
④7月31日(日)午後2~4時=洞峰公園体育館、つくば市二の宮2-20、定員100人
※入場は先着順。受け付け開始は開会の1時間前。資料は県HPで公表し当日配布はしない。アンケ―トは説明会会場でも回収する。

「イナリヤツ」とよばれる谷津田 《宍塚の里山》90

【コラム・嶺田拓也】土浦市の宍塚大池の西側には約25アールの通称「イナリヤツ」とよばれる谷津田があります。谷津田とは斜面林(里山)に囲まれた盆地状の地形に展開している田んぼを指します。イナリヤツは5枚の田んぼから成る谷津田で、昭和初期から地元の青年会によって稲作が行われてきました。

戦後、青年会の人数が減ってからは、地元自治会により耕作されてきましたが、1954年からは宍塚大池の近隣に住むお1人の方によって、ほそぼそと耕作が続けられてきました。しかし高齢化などに伴い、2001年以降徐々に休耕する田んぼが増え、2008年にはすべての田んぼが放棄されるようになりました。

イナリヤツは耕作が放棄されたあとも、周辺の里山に降った雨が地下に浸透して谷津奥部や台地斜面の下部からしみ出すことで湿地状態を維持し、通称イナリヤツ湿地と呼ばれていました。この湿地には希少な湿生植物も見られたことから、宍塚の自然と歴史の会では茨城県自然博物館などと共同して、2012年から定期的に湿地内の植生を調査しています。

これまでのところ、湿地全体で150種以上の植物が確認され、マルバノサワトウガラシやミズニラなど、全国や茨城県で絶滅危惧種に指定されている希少な湿生植物10種の生育が確認されました。一方、外来種のセイタカアワダチソウやキショウブなどの定着も認められました。また、ヤナギ類やガマなどの大型で繁殖力も強い植物が繁茂し、何も手を加えないと小型の希少な湿生植物が生育しにくい環境に移行していくこともわかってきました。

絶滅危惧種などをモニタリング

そこで、絶滅危惧種の保全を目的に湿地の維持管理作業も行っています。具体的には、数年おきに刈り払いを行ったり、トラクターなどで部分的に耕したりすることに加え、定期的にセイタカアワダチソウやキショウブなどの外来種の除去も実施しています。

ヤナギ類など大型の植物の掘り取りや除去は大変な作業を伴うため、CSR活動(企業の社会的な貢献活動)との連携や、学生サークルや里山体験実習プログラム生にも参加してもらい、多くの人数をかけて活動しています。近年では、降雨が少なく大池の水位低下などにより乾燥化が進んでしまう年や、逆に長雨が続き湿地全体が10センチ以上も冠水してしまう年など、湿地の環境も年々変動しています。

私たちの会では、今後もイナリヤツ湿地に見られる絶滅危惧種などのモニタリングを継続し、湿地環境の変化にも対応しながら、適宜必要な手を加え、この希少な湿地環境を後代に残すべく活動を続けていくつもりです。(宍塚の自然と歴史の会 会員)

ウクライナ避難学生50人受け入れへ 筑波大

447人が申請

筑波大学(つくば市天王台、永田恭介学長)は23日の定例会見で、ウクライナからの避難学生を50人程度受け入れると発表した。国立大学としては全国で最大規模の受け入れになるという。第1期として20人を選考し、7月中旬以降、来日する予定だ。

ロシアの侵攻により、学ぶ場や研究する場を失ったウクライナの学生や大学院生、卒業生などを対象に、4月中旬から、筑波大のホームページなどで募集した。6月22日までに計447人の申請があったという。

第1期として、5月6日までに申請者があった83人を対象にオンライン面接などを実施し、勉強したい内容が筑波大が実施する授業や研究と一致するかや、英語や日本語の語学力があるかなどを選考し、20人の受け入れを決めた。

20人はウクライナの11の大学の学生で、現在、ウクライナ国内のほか、国外に避難している学生もいるという。

筑波大では受け入れ学生に、渡航費用上限15万円を支給するほか、学生宿舎を無償貸与し、月額5万円の生活費を支援する。入学金や授業料は免除し、日本語学習プログラムを提供したり、心のケアなどカウンセリングも実施する。

受け入れ期間は来年3月末までだが、ウクライナの情勢によっては延長も検討している。

ただし特別聴講学生として受け入れるため、筑波大での学位の取得は難しいという。

7月に来日する20人はこれからビザの取得手続きなどをする。ウクライナ政府は18歳から60歳の男性の出国を原則認めていないことから、太田圭副学長は、男子学生8人のうち出国できない学生もあるかもしれないとしている。

残り30人程度の受け入れについてもなるべく早く選考し、秋学期が始まる10月までには授業を受けられるようにしたいとしている。

筑波大には現在、ウクライナの留学生が5人在籍している。留学生には、避難学生を支援するスタッフとして協力を依頼したいとしている。

日本財団が実施している「ウクライナ避難民支援」に、渡航費や生活費の支援申請をするほか、学生宿舎がいっぱいになってしまった場合は、県やつくば市とも住まいの支援について連携したいとしている。さらに避難学生支援のための基金を設置し、学内、学外から寄付を募りたいとしている。(鈴木宏子)

ビデオ通話で遠隔手話サービス開始 つくば市 障害者らの声で実現

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つくば市が今年5月、聴覚障害者等を対象に、タブレット端末などのビデオ通話を利用した遠隔手話サービスを開始した。自宅や外出先で、聴覚障害者と聞こえる人が同じ場にいるときに、市役所本庁舎にいる手話通訳者にビデオ通話をつなぎ、通訳を受けることができる。

1回15分以内と時間制限はあるが、事前予約は不要だ。市内在住で意思疎通に手話を使用する聴覚障害者が対象。

障害者と家族、支援者などからなる市民団体「障害×提案=もうちょい住みよいつくばの会」(斉藤新吾さん主宰)が2020年の市長選と市議選の立候補者に、公開質問状の形で提案していた。昨年10月にはつくば市聾(ろう)者協会から要望書も出されていた。

窓口センターで手続き済むように

市聾者協会の事務局長で、「住みよいつくばの会」のメンバーでもある有田幸子さん(60)は聴覚障害があり、日常的なコミュニケーションは手話で行う。

市役所本庁舎には手話通訳者が配置されているが、市内6カ所の各窓口センターには配置されていない。各窓口センターでは筆談で対応してもらえるが、得られる情報量は手話通訳よりも少なくなってしまう。詳しい説明を受けながら各種申請をするためには、本庁舎に行くのが当たり前だと有田さんは思っていた。

しかし、数年前、その状況を「住みよいつくばの会」の仲間に話したところ、「わざわざ本庁舎に行かずに、電話できないの?」と言われ、当時、全国で遠隔手話サービスを導入する自治体が増えていたのを思い出し、選挙時に提案することになった。

2020年の選挙後、市議会でも遠隔手話サービスの導入について一般質問が複数回されたが、当時、福祉部長の答弁は「2021年から国が実施する電話リレーサービスの周知に努める」ことに終始した。しかし、電話リレーサービスは聴覚障害者と聞こえる人が離れた場所から電話するときに、オペレーターが手話・文字と音声を通訳するものであり、聴覚障害者と聞こえる人が同じ場にいるときには利用できない。

議会を傍聴し、遠隔手話サービスと電話リレーサービスの違いが理解されていないと感じた有田さんは、聾者協会として定期的に複数の議員と面会する際に、遠隔手話通訳の必要性を説明し、理解を得ていった。

何気ないやり取りも楽しみたい

窓口センターにも新たにタブレット端末が設置され、事前登録せずに、ビデオ通話で本庁舎の手話通訳者から通訳を受けながら各種申請が可能になった。それ以外の場所で聴覚障害者本人のスマートフォンやタブレット端末から手話通訳を受ける場合は事前に登録が必要。市障害者地域支援室によると、6月10日時点で、利用登録したのが7人、実際の利用はまだないという。

「今後、自宅での急な来客時や、お店で商品の説明を聞いたり、値引きの交渉をする時に利用したい。筆談でのコミュニケーションではどうしても用件のみになってしまい、『お元気ですか』などの何気ない会話は難しい。生活するために必要なコミュニケーションを手話でとりつつ、筆談では省略されてしまう何気ないやり取りも楽しみたい」と有田さんは期待する。(川端舞)

◆「住みよいつくばの会」は、オンライン報告会「市民の提案で市政が動いた!『障害×提案=もうちょい住みよいつくばの会』中間報告会2022」を29日(水)午前10時から正午まで開催する。遠隔手話サービスのほか、20年の選挙時に提案し、今年度の新規事業としてスタートした「重度障害者ICカード乗車券運賃助成制度」と「重度障害者等就労支援特別事業」について、市民の提案からどのように市政が動いたのか、広く市民と共有する。参加申し込みは27日まで。申込方法はこちら

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