《続・平熱日記》18 ビーチサンダルを履いた池田先生


【コラム・斉藤裕之】お中元にビーチサンダルをもらいました。夏はもちろん、四季を問わず、家の中でビーサンを履いている私に、友人が毎年この時期に渡してくれます。

ビーサンで思い出す先生がいます。中学の時。東京で研修をされていた偉い先生が戻って来られる。とても厳しく、水泳界では名の知れた先生。先輩達が戦々恐々として噂話をしているのを聞いて、水泳部だった私はかなりビビっていました。

そして現れたのは…。とぼけた感じもありながら、静けさの中にタダ者ならぬ気配の先生。全校集会の先生の号令に、生徒の背筋はピンと伸びました。やんちゃな先輩達の態度からもそれは明らかに感じ取られ、その夏からの練習は過酷なものとなりました。

その先生は池田先生といいます。淡い緑のキャップにTシャツ半ズボン。そしてビーサンという出で立ちで、隣街から自転車をゆっくりとこぎながら通勤して来ます。水泳部では、パイプ椅子に座って笛を吹くだけ。恐らく豊富な知識と経験があるのにもかかわらず、一度も技術的な指導を受けたことがありませんでした。

それどころか、体育の授業でも何も教えてもらった記憶がないのです。サッカー、バスケット、陸上競技、なんにも。覚えているのはグランドの隅で草を抜いている姿。しかしながら、池田先生はどんな生徒からもリスペクトされ、授業も充実していました。

また先生の指導の甲斐あって、水泳部は好成績を上げました。でも先生は褒めることもなく、次の大会に向け淡々と笛を吹くだけ。

集合時間は12:59 9:58

いよいよ卒業というころ、先生が部員を自宅に招いてくれました。きれいな畳の部屋には炭が香り、すき焼きのごちそうです。先生の威厳に、かしこまっているしかない私達。そして驚いたのが、先生には不釣り合いなきれいな奥さんと子煩悩な先生の姿。

今の子は、先生が結婚しているとか気安くうわさをしたりしますが、我々のころは先生という存在はそれ以上でも以下でもなく、プライベートを想像することなどありえませんでしたので、先生が夫であり父親である姿に戸惑った記憶があります。

余談ですが、この時、小池君が「春菊好きなんよ」と言って、美味そうに食っているのを見て、「俺も」と嘘をついて食べた私。あれ以来、春菊が好きになりました。

教育について語るのは苦手ですが、教えるということと学ぶということは直線的ではありません。今思うと、池田先生の在り様そのものに、いろんなことを学んだような気がします。日本の先生は世界一忙しいそうですが、御上の考える教育とは別に独自の哲学を持った、いい先生が増えるといいですね。

夏休みの水泳部のスケジュール。池田先生から渡されたプリントには、集合時間「12:59」「9:58」などと書かれていました。先生ならではのレトリック。半端な時刻にすることで、決して遅れる者はいませんでした。やはり優れた教育者でした。(画家)